2015年3月15日日曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』第7章(社会評論社、2007年刊)(下)

今回が、第7章の 最終回です。一言、注意書きをしますと、ここに論じている「量子力学」は、あくまでも、廣松渉の理解に基づくものであって、それ以外の説や領域に関わるものではありません。




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 ●─ 量子力学─ハイゼンベルクの「不確定性関係」



 一九二〇年代、ニールス・ボーア、ウェルネル・ハイゼンベルクらによって確立した量子力学は、アインシュタインによっては支持されなかった。「神はサイコロをふらない」というアインシュタインの量子力学に投げかけられたことばが残っているように、電子の運動と位置の測定を確率によっておこなうものとした量子論に異和をもったのである。アインシュタインは確率論に対してはいわゆる決定論の方を支持したのだということだろう。

 アインシュタインは或る一定の定数をつかえば電子の位置は予測できると考えたが、アインシュタインに対してボーアらはそういう定数は空想上の概念でしかないと考えたのである。

 ここで古典力学と量子力学との考え方の違いを、簡単におさえておこう。

 古典力学では ①物質は、初期状態を明らかにすればその運動(軌道)を決定できる。②物質の状態は、客観的事実であり、観測によって違いが生じるべきではないということだ。これに対して量子力学は、①物質は、空間的な広がりをもって確率的に存在する。②物質の状態は、観測されることによって変化するということである。

 かかる量子力学の考え方について、その代表的なポイントをなすハイゼンベルクの「不確定性関係」から考えてみよう。

 一九二七年、ハイゼンベルクは「不確定性関係」を定立する。電子の状態の測定で観測したい事は、電子の「位置」と「運動量」の両方である。ニュートン力学では、この二つは同時に測定される論理立てである。ところがトレードオフのように両立しないといったのがハイゼンベルクだったのだ。

 電子の「位置」を測るため光をあてる。すると電子は光にはじき飛ばされる。観測する前とは運動量はすっかり違ってしまう。では電子の運動量を正確に求めようとして光のエネルギーを抑制する。これは光の波長を細かなものから長い波にかえることだ。すると長い波では電子がどこにあるのか、「位置」が解らなくなってしまう。こうして「位置」と「運動量」の両方を同時に知ることは量子力学ではできないということになったのである。観測することが、観測対象である物質の状態を変えてしまうのだ。

 つまり観測とは観測者の観測行為による物理的変化作用をつうじた観測対象総体の物理的状態の観測であり、観測者は同時に被観測的存在であり観測者から外化したところに観測対象は自立的にあるわけではない、測定を考慮した観測の確率的分析が必要になるということなのである。

 廣松渉『事的世界観への前哨』ではつぎのように言われている。

 「古典的発想では、観測的認識とは、対象そのもののあるがままをとらえることだと了解されていた。換言すればそこでは、観測者側(単なる意識だけでなく一定の観測手段をも含む)の・攪乱的影響・は原理上消去できるということ、・攪乱的誤差・を加減的に除去、補正できることが想定されていた。

 しかし例えば或る微粒子を電子顕微鏡で観察する場合、現前するのは電子と微粒子とが・衝突・している瞬間的な一状態なのであって、微粒子そのものが自存する際の状態なるものは原理上観察されない。

 現前するのは常に・知る側・(能知)と・知られる側・(所知)との一体的な状態である。観測とはこのような『能知的所知』=『所知的能知』の現前であって、ここに現前するところのものは、単なる対象的所知でも単なる認識的能知でもない」(一八三頁)。

 まさに「ボーアが『われわれは単なる観客ではなく常に同時に共演者でもある』とい」った「所以である」(前掲一八三頁)。

 まさに「古典力学の世界では人間の意志や主観には無関係に粒子の位置と運動量は精密に決まっている。それが『客観的な存在』というものではなかったか! 位置と運動量についての観測者の認識に不確定性が入るとすれば、それは人間の観測操作のまずさから来る誤差であって原理的なものではない。しかし量子論のいう不確定性はこのような誤差ではなく原理的なものである。とすれば私たち人間は観測器械の性能をどんなに向上させても量子力学的粒子の位置と運動量の双方を精密に知ることは原理的にできないことになる。そのような粒子を果たして『客観的な存在』とみなしてよいものだろうか? こうして量子力学をめぐる認識論的な疑問と論争が始まったのである」(並木美喜夫『量子力学入門』岩波新書。五四頁)。

 まさに人間の認識主観の側の、共同主観性となった一定の対象への関わりを考慮にいれた、主客未分の相での観測ということがいわれている。ここにおいて、物質の状態は客観的事実であり、観測によって違いが生じるべきでないという古典力学の考え方が否定されるにいたったということだ。

 この場合、この量子の位置づけが必要だ。

 素粒子の状態とは、アトムとしての状態ではなく、場の状態とされる。廣松は例えば、朝永振一郎の『量子力学的世界像』(みすず書房)を援用し次のようにのべている。

 「素粒子は・粒子・と呼ばれてはいるが……『場の状態』なのであり、・素粒子の運動・と呼ばれているのは、─実体的運動体の移動運動なのではなく─『場の状態の継起的布置変化』にほかならないのである。素粒子という・物質の構成単位・は、こうして、実態においては、『場の状態』なのであるから、およそ独立自存体ではなく、依他起生(他に依って生ずる)非実体であることが判る」(『哲学入門一歩前』講談社現代新書。四三頁)。

 「ついでながら、素粒子をクォークの複合体と見なすとしても、そのクォークは決して古典的発想でのアトムではなく、やはり『場の量子化』と相即するものであり、「場の状態」であることにかわりがない」(同)。

 こうして量子とは、場・諸関係において相互に継起的な運動をする状態だということが、量子力学で解明されたということなのである。

 まさに明らかなように、古典力学においてはアトムのように実体をもった原子が力学の法則(慣性の法則、力の法則、作用・反作用の法則)にもとづき、機械論的な因果律によって、絶対的な軌跡をたどるごとき、運動をすることがいわれていた、そういう実体主義的な原子論が否定されているのである。

 以上のように量子論においては電子・素粒子など量子は粒でもあり波でもあり、その現象が確率的であるという性質が解明されている。その量子の状態は例えばシュレーディンガー方程式などによって電子がどれくらいの確率でいつどこにいるか、量子が展開する可能な運動経路(一つに確定できない)を確率的に求めることができる。もはや原子をつくっている電子の軌道が、中心から一義的に確定された半径の軌道をとるとかの説明でいわれる古典的な考え方は二〇世紀の量子物理学の展開過程の中で失効したということなのである。

 つまり、この確率ということだが、「量子力学においては、電子や光子の状態というものが一つのベクトル空間中のベクトルで表わされるものと考える。……場の考えと、状態ベクトルの考えとを、うまく合わせて素粒子の理論を作り上げる」(朝永振一郎『量子力学的世界像』みすず書房。一八〇~一八三頁)のである。





 ●─ 一義一価的決定論を否定した確率論的決定の考え方



 こうした状態ベクトルによる確率的決定ということを〈考え方として〉確認しておくために、S・ワインバーグに登場願おう。電弱統一理論というものでノーベル物理学賞を受賞したS・ワインバーグは、「究極の物理法則を求めて」(ちくま学芸文庫『素粒子と物理法則』R・P・ファイマンとの共著)で次のように説明している。

 「この講演を準備するにあたって、量子力学の初歩を学んだ学部学生のレベルに合わせるようにと注文されました。けれども聴衆の皆さんの中にはこの注文通りでない人もいるかもしれません。そこで皆さんに量子力学2分間コースを準備してきました。持ち時間は2分間ですから非常に単純な力学系を考えざるをえません。一枚のコインを考えます。運動とか位置といった性質にはすべて目をつぶり、表か裏かだけを問題にしましょう。さて古典的にはコインの状態は表か裏かだけです。コインが一方の状態から他方の状態に変わるとき、古典論はどちらか一方の状態が出ると言います。量子力学では、コインの状態は単に表か裏かということでは記述できないのです。いわゆる・状態ベクトル・という一つのベクトルを指定して初めて正しく記述できるのです。このベクトルは2次元空間のベクトルで、縦・横の軸はそれぞれコインの取りうる二つの状態、表と裏です(図1参照)。矢印が裏軸(縦軸)方向を向いている場合は、コインは確かに裏が出ていると言ってよいでしょう。もし、表軸である水平方向を向いていれば確かに表が出ていると言ってよい。古典力学にはこの二つの可能性しかありません。ところが、量子力学では矢印(状態ベクトル)は中間の勝手な向きをとることができます。もし状態ベクトルが中間のある方向を向いていたとすると、コインは表が出ているのか裏が出ているのかどちらともはっきり言うことができません。しかし実際にコインを見るときは、表か裏か二つに一つの可能性しかありません。すなわち、測定の結果は二つの可能性、表か裏のうちの一つです。コインが表か裏かという測定をするとコインはある確率で表か裏かどちらかにジャンプするのです。その確率は初めに矢印が両軸となす角に依存します。

 状態ベクトルは二つの成分、表の成分Hと裏の成分Tによって記述することができます(図1)。HとTを確率振幅と呼びます。測定の結果表が出る確率は2Hであり、裏が出る確率はもう一方の確率振幅Tを使って2Tで表わされます。ところで皆さんは大昔のピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の上に立つ正方形の面積は他の二辺の上に立つ正方形の面積の和に等しい─引用者)を知っているでしょう。これを使えば二つの振幅の2乗の和は状態ベクトルの長さの2乗に等しいことがわかります。あらゆる可能性を尽くしていれば、その確率を全部加えると1になります。つまり振幅の2乗の和は1でなければなりません。したがってこのベクトルの長さの2乗は1です。言い換えれば状態ベクトルは長さが1でなければならない。こういうわけで量子力学においては、一つの系は長さ1の状態ベクトルで記述され、ある測定を行ったときいろいろ異なる結果が得られる確率は、その状態ベクトルの成分の2乗で与えられます。このときの系のは状態ベクトルが時間とともにどう回転するかというルールを与えることによって記述されるのです。瞬間的な短い時間内にベクトルがある角度回転するというルールが、系をに記述する処方箋です。ところでこれは完全に決定論的な処方箋になっています。状態ベクトルの時間発展は決定論であって、コインのどちらが出るかという測定をしたときに初めて非決定論が介入するのです。これが量子力学のすべてです」(八〇頁~八三頁)。

 こうして法則性が確率論的に与えられていることがわかるだろう。





 ●─ ミーチンによるレーニン哲学の神学化



 以上でわかっただろう。つまりレーニンが「唯物論」だとしていたものは、主客二元論(論理形式の観念論との同一性)、一義一価的な法則観─法則の物象化、機械論的因果律としての法則観や絶対時間・絶対空間といった形而上学的概念の受容など、まったくの「物質」の形而上学にすぎなかったということだ。一九世紀のパラダイムなのである。

 だからこそ、こうしてレーニン自らが〈真理は一定の時代において相対的に存在する〉というボグダーノフの真理論の正しさを逆に証明することになったのだ。

 だが、ここでぜひとも確認しておかなければならないことがある。このような過程はレーニンにとっては「仕方がなかったこと」だといえるのである。当時では古典物理学的自然観が科学思想上の共同主観性となっていたのだ。したがってすくなくともレーニンがそのような論陣をはっても不思議ではないといえる。

 問題はこのレーニンの絶対的真理の言説をば金科玉条とし、セントラルドグマ(一方通行的教義)とした、スターリン、ミーチン、クーシネンらスターリニスト官僚にこそあるのだ。

 レーニンの絶対的真理論は、スターリニストたちによって絶対的真理は一つしかなく、だから唯一の前衛の真理だという考えのもとに展開していくのである。相対的真理しかみとめない立場では、複数の真理が競争し、連合する。例えば、「前衛」党は複数存在することが可能になる。だが、「絶対的真理」の立場はそういう競争と連合は一つの真理への同心円的な吸収・解体、弁証法的総合への止揚の対象としてあるだけだと考えることだ。

 ある「絶対的真理」なるものにとっては、他の真理は、自分たちの絶対的真理が主張する未来を実現することとの関係では、その阻害物になるとも考えることになる。「あいつは未来の行く手を阻害している」と。こうして粛清が始まるのである。実際、ロシア・スターリン主義の歴史はそういう歴史だったのだ。

 一九〇九年に刊行されたレーニン『唯物論と経験批判論』の二五周年は、レーニンの没後一〇年目にあたり、ソ連では「共産主義アカデミー哲学研究所」の主催になる記念集会が開催された。佐々木力『マルクス主義科学論』(みすず書房)は、次のように分析している。

 「ミーチンは講演『反映論の緊要問題とレーニンの「唯物論と経験批判論」』において……『哲学のレーニン的段階』の意義をおおいに強調した。ミーチンによれば、『レーニンのあらゆる他の労作と同じく「唯物論と経験批判論」は創造的マルクス主義の模範である』。その著作は、階級闘争の一環である『哲学戦線』において、種々の観念論、なかんずく新カント派の哲学とマッハ主義、と闘うために書かれた。それはとりわけ二十世紀初頭に成立をみた新しい物理学理論にマルクスとエンゲルスの観点からアプローチしており、その意味で『二〇世紀の自然科学の唯一の真実の哲学』となりえている」とのべたと。

 一九世紀の古典力学的自然観の時代の子でしかない『唯物論と経験批判論』が「新しい自然科学の」それも「唯一の真実の哲学」とされているのである。そしてミーチンは相対論や量子論の「それら物理学の新理論の建設者たちの哲学は自然発生的には……おおむね観念論」だといい、「反映論」のみが、真理なのだ、資本主義の危機的状況に対応できるものなのだと表明したという。

 「ミーチンは……アインシュタインの相対性理論は、たしかにニュートン的時間空間表象の崩壊に導いたが、そうだからといって、人間から『独立な客観的内容があるという事実、すなわち、すべて存在するものは時間と空間の中に存在するという事実』を変更するものではない! これがレーニンの反映論の立場からする相対性理論の時間空間論の解釈だというのである。さらに、ミーチンの論難は、量子力学に関連してハイゼンベルクによって提出された不確定性関係にまで及ぶ。不確定性関係には、たしかに合理的根拠がないわけではない─このことをミーチンもはっきり認める。しかし彼は、ハイゼンベルクの認識論的観点、すなわち、原子物理学は原子の本質や構造を扱うのではなく、われわれがそれを観測する時に知覚する現象を記述するとする観点、を観念論であるとして糾弾する。不確定性関係の根底にある、観測対象に対する観測手段の攪乱的影響を現在は計量しえないのは事実であるにしても、将来は『この影響をますます精密に計量しうる方法を発見しないであろうことを意味しない』。ミーチンが、彼の畏敬してやまない『唯物論と経験批判論』のレーニンと同じく、素朴実在論の立場、『裏返しにされたプラトン主義』、に立っていることに疑問の余地はない。そしてこの立場こそが彼の、相対性理論の時間空間概念や不確定性関係についての誤解に導いているのである」(二七七~二七八頁)。

 まさにミーチンは相対性理論、量子力学をほとんど否定的にしか解釈していないことになる。相対性理論にとっては時間空間の「中にすべての物質が存在する」という表現自体が古典物理学的な表現なのである。絶対時間・絶対空間と同様、時間・空間を実体視してしまっているのだから。

 相対性理論の場合、観測者の位置(慣性系)の相違にもとづく観測結果の相違という観点が、古典物理学での観測結果はひとつという絶対的に客観的な普遍的観測結果という考え方を否定することにポイントがあるということがまったく理解できていないのだ。われわれがこれまで見てきたように、時間・空間は物質的諸関係の函数的依属関係というあり方が現象させているということにおいて、はじめて現実的な概念となるものであった。そして不確定性関係を発見した量子力学は、確率的説明を共同主観性とするものであった。

 これが結局は〈客観的真理の実在〉(法則実在論)という立場から、観念論として否定されているということである。

 かかるスターリニストの言説は結局、レーニンがマッハを観念論と攻撃したことを教義化し、これを強迫的な禁制にも似た共同観念=〈マッハ的なものはすべて否定せよ〉といわんばかりの教説にまで高め、セントラルドグマとしたことにもとづくものだという以外ないものである。





 ●─ スターリニスト哲学の陥穽



 一九六二年に刊行されたクーシネン監修の『マルクス・レーニン主義の基礎』(合同出版)でも同様の展開が記述されている。結局、二〇世紀をつうじて、次第に明らかになっていった相対性理論と量子力学の学問的地位化に対してソ連のスターリン主義官僚たちは、対応におわれ、自分たちの素朴実在論の決定的限界を白日のもとにさらけださざるをえなくなったということなのだ。

 スターリン主義自ら絶対的真理などはなく、相対的真理だけがあるということを証明したのである。

 クーシネンたちは『マルクス・レーニン主義の基礎』(第一分冊)でつぎのように論じた。

 「微視的世界の分野における諸発見と、量子力学の創始は、それ自体として科学と弁証法的世界観の最大の成果であった。物質的物体とその粒子の性質や関係は、かつての物理学が考えたように、同質、一様ではなく、物質の多様性は汲みつくされえない、ということがあきらかになった」。だが、ここからだ。「しかしながら、物理学の諸発見から他の、観念論的な結論もひきだされた」といい、「『非決定論』の流派が頭をもちあげたが、その代表者たちは、客観的、必然的連関の原理そのものを否認している。……機械的決定論のなりたたないことが科学によってあきらかにされたことを口実にしながら、決定論一般がすべてなりたたない、という結論をくだしている。……量子力学の場合も、われわれがかかわるのは、現実のすべての現象に内在している客観的、必然的連関と諸現象の被制約性であることを」(一一〇~一一一頁)無視しているというわけである。

 このような量子力学に対する理解は、その確率的真理の否定であるといっていいものだ。かかる見解は結局、クーシネンたちが「すべての現象の因果的被制約性が必然的性格をもつと承認することは、とりもなおさず、必然性の存在を承認することである……自然と社会における必然性は、もろもろの法則のうちに、もっとも完全にあばきだされている。諸現象の発生・発展における必然性の承認は、これらの現象が、人々の意志や願望から独立して存在する、一定の合法則性にしたがっている、ということの承認をともなう」。そして「法則とはなにか? 法則とは、諸現象のあいだの、または同一の現象のさまざまの側面のあいだの、深い、本質的な、固定した、反復される連関または依存関係である」(一〇四頁)とのべたのである。

 「固定した、反復される連関」!! これまで見てきたように、これでは量子力学は理解できないのである。まさに量子力学の多元的決定論、確率論を「非決定論」として批判するという決定的な誤りを生起せしめるしかなかったのだ。そもそも量子力学がどういうものかを理解できていないということだ。

 かかるスターリニストの見解こそ古典力学的な一義的決定論でしかない。スターリニスト哲学なるものは結局はこうした機械論的決定論だということが暴露されているのである。結局は一義的決定論以外はすべて「非決定論」になってしまうのである。廣松はこの一義的決定論を批判し、「多価函数的連続関係における決定」、つまり「同一の原因から二つ以上の結果がそれぞれ一定の確率で生じうる」という考えを『マルクス主義の地平』(講談社学術文庫)、『存在と意味』(岩波書店)などで表明している。そういう確率的決定ということこそが、二〇世紀をつうじて確立されてきたことなのである。

 そしてこの多元的決定論のポイントは、法則〈なるもの〉が人間の主観の側からはまったく独立に客観的に存在しているのではなく、認識する側の共同主観性を媒介とした対象への関わりとして、法則(─法則性)なるものの機制が─まさに主客未分の相において─組み立てられているのだ、ということだ。客観主義としてのいわゆる古典的な科学主義はここでは退けられることになるのである。

 だからまさにスターリニストたちの哲学的破産は、レーニンのマッハ批判のスタンスを教条化したことを土台にしているのである。

 クーシネンたちは言う。「自然は人間にさきだって存在したか?─レーニンはマッハ主義者たちにたずねた。もし自然が人間の意識によって創造されたものであり(マッハがどこでそんなことをいったというのかね─引用者)、感覚に還元されるとすれば、自然が人間をつくりだしたのではなく、人間が自然をつくりだしたことになる。ところが、自然科学によって明白なことだが、人間の出現するずっとまえから自然は存在していた」(六六頁)のだと。

 まさに、このようなマッハ哲学への完全な歪曲と主観的観念論というレッテル張り、それは「マッハ的なものを否定せよ」という神の声となってスターリニストたちのかかる「物質の神学」の世界に響き渡っているのである。スターリニストたちによる、相対論、量子論におけるマッハ的なものの否定こそ、かれらが二〇世紀の相対論・量子論を否定的に解釈せざるをえなかった根底にあるものだ。そのことが、レーニンの「絶対的真理論」における「相対的真理論」者ボグダーノフへの論難からはじまったことこそ、ボリシェビキの悲劇の始まりにほかならなかったのではないか。(了)