2023年6月24日土曜日

連邦離脱の自由と民族独立・解放闘争――ウクライナ徹底抗戦の理論的裏づけについて 渋谷要

 

以下の論考が、『情況』に発表されてから、一ヶ月が経過しました。地理的な都合等々で、入手困難な方々がおられます。ここに、掲載します(2023・6・24)。

 

『情況』(2023 春号/2023・5・20発行/264~270頁に掲載)

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連邦離脱の自由と民族独立・解放闘争――ウクライナ徹底抗戦の理論的裏づけについて 

(『情況』(2023 春号/2023・5・20発行/264~270頁に掲載)

★注釈★本文中、一か所、加筆した箇所があります。可視化できるように、★★★~★★★で、示してあります。

最終更新 2023・6・24 22:36

 

著述業  渋谷要

●はじめに——戦況と抗戦闘争

 

本誌『情況』前号では近代法思想の「抵抗権」を軸として論述したが、本論では「民族独立・解放闘争」の文脈での展開である。 

 今は233月下旬だ。戦況は一進一退の状況だ。東部、ドネツク州・バフムトでの攻防が現在の焦点となっている。一方、ロシアとベラルーシでは反クレムリンのパルチザン活動が展開している。ベラルーシでは例えばロシア軍機早期警戒管制機「A50」が、首都ミンスク近郊のマチュリシチ飛行場で闘争により損傷した(朝日新聞デジタル227報道)。またロシアとベラルーシの反体制派で組織し、ウクライナ軍の指揮のもとにある「自由ロシア軍団」(約500名以上)の活動が顕著だ。これに対しクレムリンは同部隊を「テロ組織」に指定した(23年3月)。他方で、ICC(国際司法裁判所)は、プーチン他一名を、戦争犯罪者として逮捕状をとった。ウクライナの子供たちを多数ロシアに強制移住している容疑である。

 かかる中でプーチンは、ベラルーシに戦術核兵器を、シベリアに射程1万キロのICBMを配備すると表明した。一方、欧米側のウクライナへの武器供与も展開している。英国による劣化ウラン弾供与については本論者(渋谷)は反対を表明する。ウクライナ戦争の世界核戦争への転化を阻止せよ!

クレムリンに対するウクライナの抗戦目的は鮮明だ。「ロシアによる占領地を奪還し、完全解放を勝ち取ること」だ。ウクライナのグループ「社会運動」をはじめとする抗戦をたたかう民衆運動に連帯しよう!その場合のポイントは、後述するようにレーニン反戦思想に依拠すれば侵略国・ロシアにおける反戦闘争としての「革命的祖国敗北主義」と、これに対する被侵略国・ウクライナにおける「革命的祖国防衛主義」が正義の形となるということだ。

 

●近代ロシアによるウクライナ抑圧の歴史——その概観

 

 以下のタイムラインは、プーチン論文「ロシア人とウクライナ人の一体性について」(2021年)の「一体性」ということの欺瞞性を批判するものだ。

まず《本論をつらぬく、用語上のポイントを指摘》しておく。ソ連邦の「連邦構成共和国」(「独立共和国」として連邦からの離脱の自由がある)と、ソ連邦の各独立共和国の中にある「自治共和国」(共和国からの離脱の自由がない)との権利における違いが重要だ。後述するようにレーニンのスターリンに対する批判においても重要な概念をなすものだ。

 

(1)【連邦構成共和国】 1917年キーウで「中央ラーダ(ソヴェト)」成立し、11月ウクライナ人民共和国が成立したが、この政権は10月革命を否定したため1918年以降、ウクライナとソビエトは戦争状態に突入した。1920年ソ連のウクライナ・ポーランド連合軍に対する軍事的勝利ののち、192212月ソ連が結成された。そしてウクライナ社会主義ソビエト共和国(他に、ロシア、白ロシア、ザカフカース)が、ソ連邦の連邦構成共和国となる。また、クリミア半島は、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の一部としてのクリミア自治社会主義ソビエト共和国となった。

 (2)【マフノ反乱軍・ウクライナ「自由地区」】 ロシア革命・内戦期(1918~21年)、ウクライナでは、ドイツ軍の侵攻に対し、マフノたちの無政府主義運動・「ウクライナ革命反乱軍」が、ドイツ軍に対するパルチザン戦闘を展開した。他方でマフノたちはボリシェビキと左翼エスエル(SR=社会革命党)を、「国家権威主義者」としていた。マフノたちのウクライナ「自由地区」(解放区)では、これら国家権威主義者の「言論の自由」をみとめたものの、彼らの権力の樹立を禁止した。だから、白軍撃退(赤軍と共闘)以降は、赤軍と闘うことになった。

総じてマフノ革命反乱軍は、ドイツ軍、ヘトマン反動体制、デニキン、ウランゲリなどの白軍=反革命軍、ボリシェビキの赤軍と戦った後、1921年初旬以降、赤軍の奇襲を受ける等、本格的な激戦となり、マフノたちはフランスに亡命する。そこで「アナキスト総同盟綱領」を発表する。このテーゼは戦後アナキスト運動に波及してゆく(詳しくはアルシノフ『マフノ運動史』、社会評論社、2003年刊等参照)。

(3)【農業集団化―ホロドモール】 192830年代中期。ソ連の工業化政策とともに、強権的な「農業集団化」が始まる。これが、クラーク(富農)とみなされた農民、集団化に敵対した農民に対する家畜の屠殺や、政府調達ノルマとして収穫物の大量収奪、住民の強制移住などを展開する政策になり、大飢饉(ホロドモール)を生じる結果となった。数百万人の餓死者が出た。(※この時期、クレムリンのウクライナ共産党に対する「粛清」がおきている。が、その問題については、別稿にゆずる)。後述するようなレーニンの民族解放思想とソ連結成の位置づけの意思統一を破壊した、スターリンの大ロシア主義的ウクライナ隷属政策の発動だ。

(4)【独ソ戦】1930年代後期~1945年の第2次世界戦争期では「大祖国戦争」といわれた対ナチ戦の勝利の中で展開した。ウクライナ自身は、独ソ戦で、多大な破壊にあった。この戦争で、マフノ以降、鮮明な形で現れたウクライナ独立派が「ウクライナ蜂起軍」(この軍の評価そのものには立ち入らない)だ。ドイツ軍、赤軍と交戦した。 ウクライナの祝日「祖国防衛者の日」は、2014年マイダン革命以降、蜂起軍結成の日、1014日となっている。

(5)【制限主権論と独立】 戦後、ウクライナは、ロシア共和国とは独立の連邦構成共和国として、白ロシア共和国(現・ベラルーシ)とともに、独自に「国連」に議席をもった。だが、「制限主権」(1968年チェコ・「プラハの春」事件などで確立された)というクレムリンによる、連邦構成国や東欧諸国——つまり「ワルシャワ条約機構」を守るために、必要とあれば、その一国の主権が制限されることは正義であるという帝国的支配が、ソ連・東欧圏崩壊まで存在した。1956年のハンガリア革命などがクレムリンによって弾圧された事件もこうした考え方によっている。

一方、1954年、クリミア半島はロシアからウクライナへ移管された。

ウクライナは91年、ソ連崩壊を契機に独立し、「ウクライナ共和国」をへて「ウクライナ」に改名している。

(6)【侵略と徹底抗戦】だがロシアは、2014年、ウクライナ民主化のマイダン革命に対する反革命としてクリミアを一方的・軍事的に併合した後、東部(ドネツク・ルガンスク両州)の実効支配にのりだした。22年ロシア、ウクライナに軍事侵攻。以上が、ロシアのウクライナに対する<民族抑圧>の歴史だ。プーチンの言う「一体性」など大うそだ。

 

以上、歴史を概観した。そのうえで問題は次のように立てられる必要がある。前号で書いたように、プーチンは、レーニンがウクライナを「連邦構成共和国」(分離の自由の権利を承認)にしたことを批判し、「自治共和国化」を提案したスターリンの再評価とともに「大ロシア主義」を表明している。ロシアへのウクライナの隷属・同化を強制するものだ。そして従わない奴は殲滅だと侵略をしかけてきたのだ。それはどういうことなのか?ここで歴史を遡及しよう。

 

●ロシア共和国と「構成(独立)共和国」との関係——大ロシア主義を批判

 

最も基本的なことは、ウクライナを独立共和国の一つとして、192212月成立した「ソビエト社会主義共和国連邦の成立に関する条約」をめぐる問題である。

レーニンの闘いによって、ロシア共和国への諸独立共和国の「加入」(スターリンの提案)ではなく、ロシア、ウクライナなどの諸独立共和国が、その条約で「ソビエト連邦に統一する」という位置づけや「離脱の自由」が、どのように明記されたかということだ。

まず「連邦構成共和国」の位置づけの問題。レーニンの「ソヴェト社会主義共和国連邦の結成について(ロシア共産党(ボ)中央委員会政治局員たちのために、エリ・ベ・カーメネフへあてた手紙)」(19229月)では、次のような問題があると指摘された。

「同志カーメネフ! スターリンから、諸独立共和国のロシア社会主義連邦ソヴェト共和国への加入にかんする彼の委員会の決議をすでに受け取られたものと思います。……私の考えによれば、問題はきわめて重要なものだ。スターリンは事をいそぎすぎる傾向が多少ある。あなたによく考えてもらわなければならない。……スターリンはすでに、一つの点で譲歩することを承認した。すなわち、第一項で、ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国へ『加入する』という代わりに次のようにする――『ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国と正式に合同して、ヨーロッパおよびアジアのソヴェト共和国連邦を結成する』…同権の共和国の連邦をつくりだすことがたいせつである」(レーニン全集第42巻)ということだ。大ロシア主義は退けられた。

EH・カー『ボリシェビキ革命(1917―1923)』第一巻「第三篇 分離と再結合」(みすず書房)では、内戦期の赤軍への動員での<各地域の均一化>が、自治共和国と独立共和国の違いを曖昧化させ、後景化させたという分析がある。

 

●「離脱の自由」の重要性――民族抑圧の歴史的対自化

 

次に「分離の自由」の問題。レーニンは「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて」(19221230日~31日、レーニン全集第36巻)で 「『自治共和国化』の企ては根本的にまちがって」いるとして、『同盟からの脱退の自由』を反故にするなと主張した。その意味であるが、レーニンは、「ウクライナ」(1917628日、『プラウダ』第82号。レーニン全集第25巻)では「分離の自由」に関する考え方を次のように表明している。

 「のろうべきツアーリズムは、大ロシア人をウクライナ人の絞刑吏にし、ウクライナの子弟に母語をかたり母語でまなぶことさえ禁止した人々に対する憎悪を、あらゆる方法でウクライナ人の心のうちに、はぐくんだのである。…ロシアの革命的民主主義派は、この過去と手をきり、ウクライナの労働者・農民の兄弟のような信頼を自分に、ロシアの労働者・農民にとりもどさなければならない。自由な分離の権利をふくむウクライナの権利を完全に承認することなしには、それを取りもどすことはできない」と。

9221230日、ソ同盟第一回ソヴェト大会では、ソヴェト共和国同盟の成立に関する決定を採決し、「連邦構成共和国」の「分離の自由」が明記された。

こうしてスターリンの大ロシア主義は否認されたのだ。

 

●プロレタリア革命と民族解放闘争の結合とは何か――レーニンのテーゼ

 

民族解放の問題についてレーニンは、「プロレタリア革命の軍事綱領」(レーニン全集第23巻。1916年執筆)で、革命論における位置づけを明記している。

この文章は「オランダやスカンディナビアやスイスで、この帝国主義戦争における『祖国擁護』という社会排外主義のうそとたたかっている革命的社会民主主義者のあいだから、『民兵、または人民の武装』という社会民主主義者の最小限綱領の旧来の事項を、『軍備撤廃』という新しい条項とおきかえるべきだ、という声があげられている」。これに対するレーニンの反論として書かれたものだ。

「内乱もまた戦争である。階級闘争をみとめるものは、内乱も認めないわけにはいかない」。そして「一国だけでなく全世界でブルジョアジーを打倒」した後に戦争はなくなるだろう。レーニンは、そう論じた後、次のように言う。「われわれは、言葉にごまかされてはならない。たとえば、『祖国擁護』という概念が多くの人々ににくまれているのは、日和見主義者やカウツキー派が、今の強盗戦争におけるブルジョアジーのうそを、この概念によっておおいかくし、あいまいにしているからである。……帝国主義的大国にたいする被抑圧民族のがわの『祖国擁護』を否認したり……勝利したプロレタリアートの戦争でプロレタリアートのがわの「祖国擁護」を否認するのは、まったく愚かなこと」だと。

総じて「この時代は、かならず…第一に、革命的な民族的蜂起と民族戦争の、第二に、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの戦争と蜂起の、第三に、両種の革命戦争の結合等々の可能性と不可避性を、生み出さざるを得ない」と。

 

●自己解放のためには「軍事教練」を利用せよ

 

さらにそこでの主体的課題としてレーニンは言う。「これにくわえて、さらに次の考慮がある。…武器の使い方に習熟し、武器を持とうとつとめないような被抑圧階級は、抑圧され、虐待され、奴隷としてとりあつかわれても仕方がない」。

だから「軍備撤廃を要求するだけでよいのであろうか?被抑圧階級の婦人は革命的であり、彼女たちはけっしてこのような恥ずべき役割に甘んじないだろう。むしろ彼女たちは、その息子たちにむかってこう言うだろう。

『おまえはまもなく大人になって、銃をあたえられるでしょう。銃をとって軍事知識をすっかり、しっかりとまなびとりなさい。この知識はプロレタリアにとって必要なものです。だがそれは、いまこの強盗戦争でやられているように、そして社会主義の裏切り者どもがそうしろとすすめているように、おまえの兄弟たちを撃つためにではなく、おまえ「自身の」国のブルジョアジーとたたかうために、…ブルジョアジーにうち勝ち、彼らを武装解除することによって、搾取と窮乏と戦争をおわらせるために、必要なのです』」と。「プロレタリアートの武装」が求められていると、レーニンは力説する。ウクライナ抗戦では男女とも志願兵が多数存在するという。例えば「領土(地域)防衛隊」の民兵となって闘うことだ。

※マルクスの民族問題については、マルクス・エンゲルス全集第16巻のアイルランド問題に関する所論、とりわけ原書ページ(409)から始まる「非公開通知」の「(5)」を参照せよ。「他の民族を隷属させる民族は、自由にはなれない」と表明している。

 

●いろいろな「和平案」とグローバル・サウス——交渉と抗戦の方向性

 

最後に和平交渉をめぐる動きを見ていこう。今後の抵抗闘争の方向性と直接の関係があるからだ。20233月下旬、中国中南海・習近平主席は、ロシア・クレムリンにプーチン大統領を訪問した。この訪問の主要点が、「ウクライナ危機の政治的解決に関する中国の立場」という和平案だ。だが、①ロシアが侵略者であり、ウクライナが被侵略国であるという明確な定義はどこにも書かれていない。②ロシア軍のウクライナからの撤退が書かれていない。ロシアによる占領地の既成事実化が前提となっている。③「ロシアとウクライナが互いに歩み寄る」などとしている。両国は同罪だとなってしまう。総じてロシアの侵略と戦争犯罪を隠ぺいしている。

  かかる中南海の立ち位置は、グローバル・サウスの有力国が、対ロ制裁に参加していない状況を反映するものでもある。例えばインド、南アフリカ、ブラジルなどは、ロシアへの経済制裁、ウクライナへの武器供与をしていない。こうしたグローバル・サウスの主要国は、G20に入る諸国家だ。これらの諸国には、G7とは違ったロシアや中国との政治経済関係がある。さらにロシアに逆らえば、モルドバでこの間、暴露されたような政権転覆工作などに遭遇する危険もある。つまり<欧米日—対―中・ロ>の世界的な市場争闘戦のなかで、一方に与しても、自国の権益を保持することはできない。こうした関係の中で中南海は、自分たちの「一帯一路」などの権益に沿った「和平」なるものを目指しているのだ。

4月に入りブラジル大統領が「ウクライナのクリミア領有権放棄」を条件とした「和平案」なるものを表明した。近々に訪中し習近平と会談する。また「和平」の多国間グループを創設するという。この企画はクレムリンを免罪する可能性がある。

「クリミア」の焦点化は、4月初旬(2023年)、ウクライナのシビハ大統領府副長官がイギリスのフィナンシャル・タイムズのインタビューで、「ウクライナ軍がクリミア半島との境界に達することができれば、外交交渉を始める用意がある」との発言にも表れている。発言は一方で「クリミア奪還」を排除しないとした。つまりブラジルの表明する「領有権放棄」とは対立するものだと考えるべきだ。

クリミアは第二次大戦後、ソ連領内で、ウクライナに移管するまで、ロシア共和国の「自治共和国」だった。2014年ロシアへの併合以降は、独立した「クリミア共和国」としてロシアの構成共和国になっている★★★(2020年、ロシア憲法改正で領土割譲禁止条項——「国境線確定」は例外とされる――が明記された)★★★。ウクライナにとっては「自治共和国」のままだ。問題はウクライナ—クリミアの住民が何を選択するかだ。だが待った!その「選択」に際しての「自己決定権」を、クレムリンは侵略者として現に阻害しているではないか。それが一番の問題だ。クレムリンはウクライナから手を引け!(2023年4月10日筆)◆