2015年3月2日月曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第7章「レーニンの『絶対的真理』論とその教条化――「物質の神学」としてのスターリニズム哲学』(上)



今回から三回に分けて、拙著『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)の「第7章」を掲載します。これは科学哲学の課題でのスターリン主義批判の拙論です。廣松渉の物象化論、科学哲学論と広重徹の科学論、朝永振一郎の量子力学論などに依拠しています。次の掲載予定日は、3月9日ごろの予定です。
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7●─レーニンの「絶対的真理」論とその教条化

  「物質の神学」としてのスターリニズム哲学



 

 ●─ レーニンの「絶対的真理論」と素朴実在論

 スターリン主義党組織論のルーツはなんだろうか。もともとのロシア・マルクス主義の前衛党思想の根底にある「絶対的真理論」が問題となる。その原点がレーニンの『唯物論と経験批判論』(以下、引用はすべて国民文庫版、第一分冊から)である。
 一九〇八~〇九年にかかれたこの論文は、マッハ哲学をもってマルクス主義を豊富化することをめざしたボグダーノフを政治的に排撃するために書かれたものである。もともとは、ボグダーノフとプレハーノフの間における論争として展開されていたものにレーニンが介入するという形で展開された。ボグダーノフはカントの「物自体」を肯定したプレハーノフに対して、要素一元論のマッハに依拠してプレハーノフを批判していたのである。つまり、「物自体」などというような、現象の〈裏側〉で本質として存在し、その本質が諸関係を現象させていると思念するような、ものなどはないとプレハーノフを批判したのがボグダーノフだったのである。
 当初レーニンはこの論争を静観していた。だがボグダーノフと政治的に対立(国会の政治宣伝の場としての利用を表明するレーニンと、急進的闘争を表明するボグダーノフの対立)するにいたってからは、この論争に介入し、マッハの「感覚」概念を「主観的観念論」とレッテル張り、批判をするにいたったということだ。本論ではそのボグダーノフ、プレハーノフ、レーニンをめぐる論争の脈絡にはこれ以上は立ち入らない。本論では、レーニンがその中で「絶対的真理」論を論じた部分をあつかうものとする。
 レーニンのポイントは、素朴実在論にもとづく主客二元論を論定し、これにもとづいて客観的に実在する物質が因果論的に一義的な法則的決定性をもって運動していること、この「法則」を「真理」と規定する。そしてかかる絶対的真理が脳に反映するという真理の認識論を論じているのである。
 ① 「われわれのそとに、われわれから独立して、対象、物、物体が存在し、われわれの感覚は外界の像である、ということである」(レーニン前掲一三〇頁)。
 これがレーニンによる素朴実在論の規定である。認識主観と認識対象(客観)の二元論がいいあらわされている。
 この立場からレーニンはマッハを次のように批判する。
 「唯物論は、自然科学と完全に一致して、物質を第一次的にあたえられているものとし、意識、思考、感覚を第二次的なものとみなす。……マッハ主義は、これと反対の観念論的観点に立っており、たちまちたわごとになってしまう。なぜなら第一に感覚はただ一定の仕方で組織された物質の一定の過程と結合しているにすぎないにもかかわらず、感覚を第一次的なものとしているからであり、第二に、物体は感覚の複合である、という根本前提は、あたえられた大文字の自我以外の他の生物ならびに一般に他の複合が存在しているという仮定によってやぶられているからである」(同五〇頁)と。そしてレーニンはマッハをバークリーの主観的観念論と同じものとしているのである。「バークリーが、『感覚すなわち心理的要素』からは唯我論以外にはなにものをも『組みたてる』ことはできない、ということを十分にしめしたのである」(同五一頁)と。
 後述するようにマッハの「感覚」とは主観の側の「感覚」のことではない。ではなぜレーニンはマッハをこのようにしか分析できないのか。それはレーニンのような素朴実在論にもとづく反映論・模写論に基本的な形式である、廣松いうところの「三項図式」の限界にほかならないのである(この点は次々節で検討する)。
 ②レーニンはかかる素朴実在論にもとづき、客観的(─絶対的)真理概念を法則の客観的実在という考え方から規定するのである。
 「客観的な、すなわち人間および人類から独立した真理をみとめることは、なんらかの仕方で絶対的真理をみとめることを意味する」(同一七四頁)。「科学の発展におけるおのおのの段階は、絶対的真理というこの総和(相対的真理の─引用者)に新しい粒をつけくわえる」(同一七七頁)。「現代の唯物論(「弁証法的唯物論」といわれているもの─引用者)、すなわちマルクス主義の観点から見れば、客観的・絶対的真理への接近の限界は、歴史的に条件づけられている。しかし、この真理の存在は無条件的であり、われわれがそれに近づいてゆくことは無条件的である」(同一七八頁)。
 では、こうした真理の認識とは何をどのように認識することなのか。
 レーニンは次のように論じている、
 「フォイエルバッハは、秩序、法則、その他のものにかんする人間の観念によってただ近似的にだけ正確に反映される、自然における客観的合法則性、客観的因果性を、認めている」。「フォイエルバッハは……自然における客観的な合法則性、因果性、必然性の否定を、公正にも、信仰主義の流派に帰属させている。……自然の客観的合法則性と人間の脳におけるこの合法則性の近似的に正確な反映とを承認することは、唯物論である。……エンゲルスが自然の客観的な合法則性、因果性、必然性の存在にかんしてわずかばかりの疑念をもゆるさなかった、ということは明白であるにちがいない」(同二〇七~二〇八頁)。
 こうした一義的な因果律とこれにもとづいた必然性の認識が「法則」の解明だとされるのである。相対的真理にせよ絶対的真理にせよ、レーニンにあって「真理」とは客観的に実在する「法則」にほかならない。「弁証法的唯物論にとっては相対的真理と絶対的真理のあいだにこえがたい境界は存在しない」(同一七八頁)となる。つまり因果律的必然性の認識が真理の認識としてめざされているということだ。
 「エンゲルスにあっては、生きた人間的実践のすべてが認識論そのもののなかに侵入して、真理の客観的基準をあたえる。……(自然の─引用者)法則をひとたび知ったならば、われわれは自然の主人である。……人間の実践のなかに現れでる、自然にたいする支配は、自然の現象や過程が人間の頭脳のなかに客観的にただしく反映した結果であり、この反映が(実践がわれわれにしめすところのものの限界内では)客観的・絶対的・永久的な真理である、ということの証拠である」(同二五七頁)。
 ③こうした素朴実在論は、物体の客観的実在を時間・空間概念にも展開するものとなる。
 「世界には運動する物質以外のなにものもなく、そして運動する物質は、空間と時間とのなか以外では運動することができない」(同二三六頁)。後述するように、あきらかにニュートン古典力学の共同主観性のもとに論じられていることがわかる。
 「われわれの発展しつつある時間と空間の概念が客観的=実在的な時間と空間を反映するものであり、ここでもまた客観的真理に接近する」(同二三八頁)。ここからレーニンはマッハを次のように批判している。
 「感覚をもった人間が空間と時間のなかに存在するのではなくて、空間と時間が人間のなかに存在し、人間に依存し、人間によってうみだされる、マッハによるとこうした結論が出てくる」と。これは完全な誤読だ。そして、マッハがニュートンの「絶対時間・絶対空間」を批判したことに対し、「マッハの時間と空間についての観念論的見解こそが『有害』である」と論じるのである(同二四一~二四二頁)。
 こうしたレーニンのような素朴実在論とか、法則実在論、実体主義的な時間・空間概念といった理解が、二〇世紀の相対性理論誕生(特殊相対性理論は一九〇五年、一般相対性理論は一九一五年)と平行する時間のなかで、これを学的に把握することができなかった、あるいは客観的に評価することが歴史的な被拘束性ゆえに不可能であったレーニンによっていわれているということなのである。このレーニンの言説それ自体を自立化させて分析するならば、二〇世紀の科学論の展開を完全に見誤ったものでしかないという以外ないものである。


 ●─ 古典力学の自然観を克服したマッハの先進性─広重徹の分析

 だがマッハの言説を主観的観念論などといっているかぎり、二〇世紀の物理学の道筋はまったく理解できないものとなる以外ない。例えばマッハのニュートン古典力学思想─力学の諸原理を人間認識の外に、客観的に実在する数学的真理と考える自然観─に対する違和がアインシュタインの相対論(本論で後に検討する)の契機をなしたのである。広重徹の「相対性理論の起源」(『相対論の形成』所収。みすず書房)にも明らかなようにアインシュタインの相対論は彼がマッハに応接することによって切り開かれたのであり、この相対論の時間・空間論を肯定することは、マッハ哲学の特徴とフレンドな関係に入ることを意味するのである。
 (「マッハ─アインシュタイン問題」─マッハとアインシュタインの同一性とはなにかをめぐる論争─をめぐって、以下の広重説は廣松の分析と異同がある。廣松は「相対性理論の哲学」の最終節、「現時点からの自家評釈」というところで広重説への異同を表明している(廣松渉著作集第三巻四四七頁以下。例えば「マッハの『力学的自然観批判』が、アインシュタインの相対性理論と論理的構制上これというほどの関係があるとはとうてい言いがたい」など)。本論としては、ニュートン力学的自然観からのテイクオフという問題意識を第一とし、廣松・広重両者の折衷ということではなく、どちらからも学ぶという立場をとるものとする。したがって─少なくとも現時点では─廣松・広重説の異同には、それとしては、立ち入らないこととする)。
 例えば広重徹は次のようにのべている。
 「一九世紀の人々は、自然現象がすべて力学的に解明されるべきなのは、偶然的に事実上そうなのではなくて、論理的・必然的な根拠があるのだ、と考えた。それは、力学の原理ないし法則が単なる経験的・事実的な法則ではなく、ちょうど幾何学の公理ないし定理のように、アプリオリな、必然的な真理であるからなのであった」。
 リーマンが「慣性法則は充足理由律(事物の存在や真なる判断はそれを根拠づける十分な理由を要求する─引用者)からは説明できないという注をつけて、力学の法則をアプリオリな真理にまつりあげようとする試みを批判したのも、逆にそれが当時広くみられた考え方であったことを示している。マッハは、『歴史と根元』において、エネルギー恒存則の根元を・仕事を無からつくり出すことは不可能・という認識に求め、この認識は近代力学よりはるかに深く、長い年月にわたる人間の経験に根ざしていることを示した。そうすることによって、一般的な因果律からアプリオリに力学の諸法則を導こうとする努力が無意味であることを主張しようとしたのである」(広重前掲三二四頁)。
 つまりレーニンの因果律的決定論的な法則の客観的実在という考え方が、一九世紀の力学的世界観における共同主観性となっていたこと、これに対するマッハの異和が述べられているということである。
 かかるマッハの思想は、アインシュタインにつぎのような影響をあたえた。
 広重は次のように展開している。
 「一八九七年、ちょうど相対論へと発展する最初の歩みをふみだしたばかりのアインシュタインがマッハの『力学』によって力学的世界観のドグマから解放されたということは、相対論の創出のためのもっとも重要な前提を用意するものであったといわねばならない。マッハは『力学』で、力学の諸法則はアプリオリな原理から導き出されるものでなく、一見そう見えるものも、永い年月にわたる人間の経験から得られた認識であることを明らかにしようとした。……力学的自然観は、力学のいくつかの原理は大なり小なりアプリオリに基礎づけられうるという思い込みに支えられていた。力学の諸原理は、その意味で単なる経験事実の要約を超えた必然的真理であり、それゆえに全物理学の基礎となると考えられたのだった。このような力学の別格視は、力学の諸原理は幾何学の公理に似て規約としての性格をもつというポアンカレ─彼は力学のアプリオリ性をもはや認めないにもかかわらず─の思想のうちにも色濃く残っている。ところがマッハの分析は、力学の諸原理といえども、結局は人間の経験をとおして得られた知識であることを、単なる哲学的命題としてだけでなく、多くの歴史的事実の検討からの結論として示した」(同三三一頁)。
 つまり力学の諸原理も、「経験的事実を集約したもの」(同三二六頁)であり、力学的諸関係を人間が整合的に説明できるように形成した共同主観性にほかならないということだ。
 例えばわれわれは、以上のような広重の言説をマッハの次のような記述からも確認することができるだろう。
 「水平方向に投射された物体の蒙る運動抵抗や、緩い斜面を登る物体が蒙る減速を、頭のなかで次第に小さくしていって、ついにはそれが零になった状態を考えることで、・無抵抗等速運動体・の表象がえられる。つまり、抵抗がなければ物体はいつまでも等速運動をつづけるという考えに至る。そういうケースは実地には現われよう筈がない。それゆえ、慣性の法則は抽象によって発見されたのだというアーベルトの指摘は正鵠を得ている。思考実験、連続的変化によって慣性の法則に到達したのである」とマッハは述べ、「輻射の概念にせよ、屈折の法則にせよ、マリオットの法則にせよ、物理学上の普遍的な概念や法則は、簡潔でしかも普遍的な、限定条件の少ない形に─あまつさえ、これらの概念や法則の綜合的な組合わせによって、どんなに複雑な事実であっても、任意の事実を再構成(換言すれば理解)できるような形に─仕上げられる。カルノーの絶対的不導体、物体の完全な等温性、不可逆過程や、キルヒホッフの絶対的黒体、等々、等々は、そういう理想化の例である」(「思考実験について」廣松渉編訳『認識の分析』所収。法政大学出版局。一一三頁)といくつもの例をあげるのである。
 広重が言うように「こうして、物理学のすべての分野はいずれも経験科学として、同じ認識論的地位をもつものと理解されるに至る。一般的・形式的な原理のレベルにおける力学と電磁理論の統一というアインシュタインの追及した課題は、そのときはじめて設定することができたのである。相対性理論の形成にとって力学的自然観からの完全な離脱が決定的に重要であったことは、一九〇五年以後にアインシュタインの理論が受容されてゆく過程にも反映している。じっさい、相対性理論の内容と意義が正しく理解され、その理論そのものが受容されるためには、アインシュタインの理論が単に電磁気学だけでなく、力学にもかかわるものであることが認識される必要があった。つまり、電磁気学同様力学も相対論の基本的公準に従わねばならないことが認識されてはじめて、相対性理論は受け容れられることになるのである。しかし、そのような認識は力学的世界観と両立しない」(広重前掲三三一~三三二頁)ということなのである。


 ●─ マクスウェルからアインシュタインへ

 本論は唯物論哲学の話なのだが、ここでもう少し、物理学の歴史過程に相即する必要はあるだろう。だからマクスウェル電磁気学からアインシュタイン特殊相対性理論へと展開する物理学の問題意識について、必要とおもわれる記述はしておいたほうがいいだろう。
 朝永振一郎は次のようにのべている。
 一八六四年、マクスウェルは「波の性質をもつ光は電磁波であると結論した。そしていろいろの光の現象をマクスウェルの方程式によって説明することができた。……ラジオの波は回路の電気振動によって生ずる。それよりも波長の短いセンチメートル波を出す発振音は、真空管の中で電子を振動させているものである。電子は負の電気をもっているので、その電子の振動数と同じ振動数をもつ電磁波が発振される。原子は、正の電気をもった原子核の周囲に、電子がとりまいてできている。この原子内の電子の中で外層部にあるものの移動によって送り出される電磁波は、われわれの目で感じる可視光線から紫外線にわたっている。原子内の深部にある電子の振動によるものは、さらに波長が短かく、これがX線である」等々。
 「ニュートンの法則が天体の運動および地球の運動に関するすべての力学的な問題を非常に正確に答えるのと同様に、マクスウェルの理論は光の現象を含めて、すべての電磁気現象の問題にニュートンの法則に少しも劣らない精密さで正しい答えを与える。そして、力学的な現象が電磁気現象に比べてもっと本質的なものであるという理由もない。……マクスウェルの理論が確立された後にも長い間、力学的なエーテルの問題が、いろいろの人によって研究された。そして電磁気現象を力学的に説明しようとすると、どうしても何かの矛盾が生じて成功しなかった。自然現象を力学的な模型で説明することだけが本当の説明であると考えたのは、力学現象がわれわれに一番馴染みが深かったために、そのように考える癖がついてしまっただけで、別にそれ以上の根拠があるわけではない。エーテルは電場と磁場の媒体であって、マクスウェルの方程式で正確に規定されているのであるから、これ以上、エーテルの性質を詮索する必要はないわけである」(朝永振一郎編『物理学読本』みすず書房。五九~六〇頁)。
 だが、ニュートン力学は絶対の権威をもっていた。あらゆる物理現象がそれで整合的に説明されるはずなのである。光の波動の前提として媒体エーテルが考えられたのもそういうことである。マクスウェル電磁気学をニュートン力学を基礎として位置づけたいという学問的な探求がつづけられたということだ。
 だが、ある実験からエーテル仮説は完全に崩壊することになる。
 一八八七年、アメリカの物理学者マイケルソンとモーレイが絶対静止エーテルにたいする地球の相対運動を計測することを目的とした実験を試みた。だが計測の結果、エーテルによる作用はみられなかったのである。その実験をつうじて、アインシュタインはエーテルはないのだとし、そこから特殊相対性理論が確立されたのである。
 なぜ、このような実験がおこなわれたかということが、ポイントだ。
 ニュートン力学では、絶対空間・絶対時間が措定される。それは、いろいろな物理的運動は、絶対空間に対しての運動だと措定することだ。電車が動いているとき、地球が絶対空間に対して静止していたとすると、電車がうごいていることになる。絶対空間を絶対の基準として運動の方向と速度が求められるのである。絶対空間とは物体の運動を観測するために基準になる空間である。そして空間は、エーテルによって満たされているとニュートン力学では考えられていた。例えば、光は波であると考えられたが、真空で媒質がなにもないなら光はつたわらない。だからエーテルが振動して波になっているのだという考えである。つまり空気のない宇宙で光の波をつたえるのはエーテルだということである。
 その場合、運動の方向がちがうと、速度がちがってくる。川の流れに沿って船を漕ぐ場合に対し、逆らってこぐ場合は抵抗が大きいのと同じである。
 地球は太陽の周囲を、秒速三〇キロの高速で公転している。それで地球は、宇宙を満たしているエーテル中を運動しているということになる。エーテルは静止している。地球は東西方向に公転している。したがって東西方向にエーテルに対する流れがあるはずだ。これに対し、エーテルに対して直角になる南北方向はエーテルの抵抗をあまり受けない。したがって、この二方向の光速度の値は違うはずである。東西方向のほうが速度に対する抵抗は大きいはずなのである。
 実験はマイケルソンの干渉計というものでおこなわれた。簡単にいうと南北の二点と東の点にミラーを置き、中央にハーフミラーを置く、西点から光を発射する。光は中央のハーフミラーで南北と東西に分離するように設置するのである。そして、北点と東点から反射した光は南点に投射される。南に設置された観測計で計測するという精巧な装置を用いた実験である。
 しかし実験結果は、この二方向の光速度は変わらなかったのである。つまり、エーテルの抵抗、つまりエーテルは検出できなかった。(エーテル問題でのローレンツ収縮仮説をめぐる問題については省略する)。ニュートン力学では、エーテルがないと光は伝わらない。だが、伝わったということだ。
 「この実験によって、宇宙全体を満たしている静止したエーテルというものは、考えることができなくなった。なぜならば、この実験はエーテルと地球との相対速度が0であることをしめしているからである。……光の場合には、光源と観測者の相対運動を与えるだけで、静止したエーテルに対する速度を求めることはできない。このようにして、エーテルの運動を決定しようとするすべての実験は失敗した。光は互いに等速度の運動をしているいかなる観測者に対しても、つねに同一の速度をもっているのである。エーテルは、動いているとか、静止しているとかいう属性をもっていないのである。光の速さは走っている観測者からみても同じである。真空はどんな手段を用いてもそれ以上、空虚にすることはできないのであって、真空は電磁場を伝える性質をもっているのであるから、エーテルはわれわれのこの物理空間の属性と考えられる。われわれのこの物理空間を離れてエーテルはないのであるから、エーテルは存在しないと言ってもよい。したがって、光速度が任意の互いに等速度の運動状態の観測者に対して同じ値をもっているという光速度の不変性も空間の構造に帰せられるべきことになる」(朝永前掲六一~六二頁)。
 まさにアインシュタインは、かかるマイケルソン―モーレイの実験から、エーテルの存在を否定し、エーテル(つまり絶対空間)無しの理論として、光速度不変の原理(光速度は光源の運動状態とは無関係に一定である。光速度は観測者に対してつねに一定である)と、ガリレイの相対性原理(あらゆる慣性系で力学的法則はすべて同一になる)とを結合して、特殊相対性理論を提起したのであった。慣性系とは、等速直線運動、静止したゼロ量の運動をする場所のことであり、慣性の法則(静止または、一様な直線運動をする物体は、力が作用しない限り、その状態を維持する)が成り立つ場だということだ。
 つまり「光がすべての方向に等しい速さで進むような観測者を考えて、これを慣性系と名付ける。アインシュタインはある慣性系にたいして等速度で動くすべての観測者がまた慣性系であって、自然法則はすべての慣性系にたいして同じであると考えた、これを相対性理論という」(前掲六二頁)。
 こうして、ニュートン力学のような絶対的基準ではなく、慣性系(座標系)においてそれらの運動は互に相対的となるという考え方が成立したのである。ここから後にのべるように、同時刻の相対性ということが措定されることになるのである。
 そしてマッハは、後に見るように、ニュートン力学の「絶対空間・絶対時間」を否定していたのである。こうして、二〇世紀初頭、時代はニュートン力学からのパラダイム・チェンジをとげつつあった。だが唯物論哲学においては、ニュートン古典力学の物質概念が支配していたのだ。
 まさにポイントは、レーニンが一九世紀の古典力学的自然観を機械論的な因果律にもとづく法則の実在という考え方の受容などをつうじ、これを共同主観性として考えていたということだ。それは彼の歴史内存在における存在被拘束性にほかならないのである。
 まさにこのマッハから相対論と量子論が展開した。そして二〇世紀の物理学で明らかになったことは、科学的真理は「絶対的真理」ではなく「相対的真理」であり、その真理も一義的な因果律的決定論ではなく、函数的決定論・確率的真理だということになったということなのである。
 レーニンはボグダーノフを次のように批判した。
 「ボグダーノフは言明している。『私にとってマルクス主義は、どのような真理であるにせよ、その無条件的客観性の否定、あらゆる永久的真理の否定をそのうちにふくんでいる』。……この無条件的客観性とはなにを意味するか?『永久にわたる真理』とは『ことばの絶対的な意味における客観的真理』である、とボグダーノフは同じ箇所で言い、『一定の時代の限界内だけでの客観的真理』をみとめることだけに同意している」(レーニン前掲一五九頁)と。レーニンは絶対的真理(一義一価的決定論)をボグダーノフは否定していると批判しているのだが、二〇世紀自然科学の経験をつうじて明確になったのは物質的諸関係の運動の法則性は、一義的には決定されず、多価函数的にしか決定されないということになったのだ。