2015年11月9日月曜日

書評 トマ・ピケティ『21世紀の資本』 渋谷要


●編集者の方へ。以下の文章で書かれているrは、リターン(return)のアールであって(文中にも説明した箇所が一か所あります)、γ(ガンマ)ではありません。イタリックあるいは斜体の表記から解説書などでもγガンマとしている人がいますが、NHKEテレ白熱講義や、伊藤誠先生の論文などすべてアールとされています。


書評  世襲資本主義と税制社会国家

――トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、訳・山形浩生、守岡桜、森本正史、2014年、原著2013年)を読む

渋谷要(社会思想史研究)

●はじめに

本書著者のピケティは1971年生まれ。フランス人でパリ経済学校経済学教授など経済学の研究者。本書は米国(英語版)では発売三か月余りで40万部を販売した。本書は格差社会を分析した迫真の研究書である。また米国・ウォール街の「1%」の富裕層を糾弾する運動と連動するものとなっている。

例えば昨年(2014年)9月、国税庁は2013年分の「民間給与実態統計調査」を発表した。2013年に民間企業に就労した労働者の中で、年収200万円以下のいわゆるワーキングプア(貧困層)が11199000人に達していることが分かった(1994年で774万人、177%)。民間給与所得者(5535万人、会社役員を含む)の全体に占める比率は241%。この数字は安倍政権の発足1年にして前年比で30万人、ワーキングプア層が増加したことを意味している。

これに対し年収別1000万円以上の人は前年より約14万人増加して186万人、全体の4%である。4%と241%だ。両方とも増加していることが分析として重要な意味をもつ。加えて、厚生労働省の発表によると201410月の生活保護受給者は前月比3484人増の2168393人、世帯数で3287増の1615242世帯となった。これは2013年に「過去最多」といわれた水準で推移していることを意味している。格差が拡大していることがわかるだろう。こうした格差社会の進行に対し、日本の統計も含んで、その在り様を分析し、解決策を提起しようと試みたのが、トマ・ピケティ『21世紀の資本』に他ならない。


●本書での統計の方法について

本書で使われているデータは、計量経済学者で統計学者のクズネッツの米国における「所得格差推移」(19131948)の研究資料を拡大することを出発点としている。欧米日をはじめとして「課税記録」を収集し、「高所得層の十分位(上位10%――引用者)や百分位(上位1%――引用者)は、申告所得に基づいた税金データから推計」し、「それぞれの国で所得税が確立した時期から始まり(これはおおむね1910年から1920年くらいだが、日本やドイツなどの国では1880年から開始されているし、ずっと遅い国もある)」(1819頁)。

また「相続税申告の個票を大量に集めた」。これによりフランス革命以来の富の集積に関する均質な時系列データを確立できたとしている。

これらは「コンピュータ技術の進歩により、大量の歴史データを集めて処理するのがずっと簡単になった」ことに依っているという(2022頁)。

 これだけを見ても、「搾取論」を解いたマルクスの『資本論』とは全く趣が異なっていることが分かるだろう。こうしたデータはマルクスの時代にはなかった、個人の「課税記録」、「相続税申告」のデータなどの統計を用いたものであり、搾取概念よりは完全に広く<資産>(世襲)と言うものが、中心概念となっている。ここが本書の特徴だ。


●富裕層の状態=格差の状態

本書は、第1部「所得と資本」、第2部「資本/所得比率の動学」、第3部「格差の構造」、第4部「21世紀の資本規制」の4部からなっている。ここでは、第3部での格差の在り方を概観した上で、その原因としてピケティが説明している第1部と第2部、そして第4部で展開されている基本的な考え方を確認したい。第3部でピケティは次のように述べている。

「成人一人当たりの世界平均資産は6万ユーロ」(454頁)だが(1ユーロは140円前後――引用者)、「最も裕福な1パーセント――45億人中4500万人――は、一人当たり平均約300万ユーロを所有している(大まかに言って、この集団に含まれる人たちの個人資産は100万ユーロ超)。これは世界の富の平均の50倍、世界の富の総額の50パーセントに相当する」(454頁)。

この数字は、119日(2015年)、反貧困のNGO団体・オックスファムが発表した報告で2014年、上位1%が世界の富の48%を所有し、一人当たりで270万ドル(約32千万円)に達する、他方下位80%の庶民の資産は、平均でその700分の13851ドル、合計でも世界全体の55%にしかならないとしていることからも明らかだろう。

ピケティは言う。「手元の情報によると、世界的な富の階層の上部で見られる格差拡大の力は、すでに非常に強力になっている。これは『フォーブス』ランキング(長者番付のこと――引用者)に登場する巨額の資産のみに当てはまるのではなく、おそらくもっと少ない1000万―1億ユーロの資産にも当てはまる。こちらの人口集団ははるかに規模が大きい。トップ千分位(上位01%――引用者)(平均資産1000万ユーロの450万人の集団)は、世界の富の約20パーセントを所有しており、これは『フォーブス』の億万長者たちが所有する15パーセントをはるかに上回る。だから肝要なのは、この集団に作用する格差拡大の規模感を理解することだ」(455頁)。

 

●格差の原因(r>g)

ここで問題になるのは、以上のような富裕層の相続資産である。

「この根本的な不等式をr(資本収益率、リターン(return)のアール―引用者)>g(経済成長率―引用者)と書こう(rは資本の年間収益率で、利潤、配当、利子、賃料などの資本からの収入を、その資本の総額で割ったものだ。gはその経済の成長率、つまり所得や産出の年間増加率だ)、…ある意味で、この不等式が私の結論全体の論理を総括しているのだ」(2829頁)とピケティは言う(「文末注」参照)。

「たとえばg=1%で、r=5%ならば、資本所得の5分の1を貯蓄すれば(残り5分の4は消費しても)、先行世代から受け継いだ資本は経済と同じ比率で成長するのに十分だ。富が大きくて、裕福な暮らしをしても消費が年間レント(「資本所得」のこと439頁など)収入より少なければ、貯蓄分はもっと増え、その人の資産は経済よりもより早く成長し、たとえ労働からの実入りがまったくなくても、富の格差は増大しがちになるだろう。つまり厳密な数学的観点からすると、いまの条件は「相続社会」の繁栄に理想的なのだ――ここで「相続社会」と言うのは、非常に高水準の富の集中と世代から世代へと大きな財産が永続的に引き継がれる社会を意味する」(366頁)。

 第一次大戦前の「ベル・エポック」と言われた時代は、富裕層の繁栄の時代であり、労働者階級との格差は格段に開いていた。だが、二度にわたる世界戦争と大恐慌によって富裕層の相続する富が破壊され(285頁等)、それにつづく「公共政策」の必要と高度成長に支えられ191470代までは、この資本収益率と経済成長率のかい離が狭まっていた。これを底として「U字曲線」を描いて、1980年代以降――経済成長率の鈍化による労働力の削減・価値低下が構造化される他方で――富裕層の資本収益率におうじて資産が増大した(415頁)。富の不平等な分配が拡大している。ピケティはこれを「世襲資本主義」と規定する。


●富裕税論

そこで、こうした世襲資本主義に対し富裕層の金融資産をはじめとする年間所得と資産に対して累進資本課税と相続税を軸とした富裕税が提起される。

例えば「ヨーロッパ富裕税の設計図」としては、次のようである。

「パリのアパルトマンを持つ人物は、地球の裏側に住んでいて国籍がどこだろうと、パリ市に固定資産税を払う。同じ原理が富裕税にも当てはまるが、不動産の場合だけだ。これを金融資産に適用できない理由はない。その事業活動や企業の所在地に基づいて課税するのだ。同じことが国債についても言える。「資本資産の所在地」(所有者の居住地ではない)を金融資産に適用するには、明らかに銀行データの自動的な共有により、税務当局が複雑な所有構造を評価できるようにする必要がある。こうした税金はまた、多重国籍の問題を引き起こす。こうした問題すべての解決策は、明らかに全ヨーロッパ(または全世界)レベルでしか見い出せない。だから正しいアプローチは、ユーロ圏予算議会を創り出して対応させることなのだ。……各国が通貨主権を放棄するなら、国民国家の手の届かなくなった事項に対する各国の財政的な主権を回復させるのが不可欠だろう。たとえば、公的債務に対する金利、累進資本税、多国籍企業への課税などだ」(590591頁)。

 こうした「税制社会国家」(513頁)の構想は、私見では単に税制に一面化されるものではなく、格差の是正策として、地域通貨や地域の生活協同組合運動など、例えばラトゥーシュの『<脱成長>で世界を変えられるか?』作品社、2013年、原著2010年)で論じられている内容などと<接合>する必要があるのではないか。

【注】資本収益率(r)の考え方

資本収益率とは「年間の資本収益」を、その法的な形態(利潤、賃料、配当、利子、ロイヤルティ、キャピタル・ゲイン等々)によらず、その投資された資本の総額に対する比率として表すものであり、「利潤率」や「利子率」より、はるかに広い概念だ(5657頁)。

まず「α=r×β」(「資本主義の第一法則」と定義される)の式が大切だ。

αは「「国民所得」の中に占める資本の割合」である。rは「資本収益率」で民間資本(資産と意味づけられるもの)と、それが作り出した一年間の収益との比率。βは「資本/所得比率」で、「国民資本」(=民間財産(資本、資産)+公的財産で「国富」の総資本のストック)と「年間の国民所得」(年間の、資本所得+労働所得)との比率。「国民資本」が「年間の国民所得」の何倍あるかという値、6倍だったらβは6、あるいは600%となる。

例解として、ピケティがしているように(59頁)個別企業に置きかえて考えてみよう。500万(単位ユーロ)の資本で、年間100万の所得を生産し(これがβの比率で、資本は生産された所得の5年分だから、β=5で、500%)、そのうち労賃60万、利潤40万とすると(これがαの資本取得の比率で100万の所得に対して40万だから40%)、資本収益率rは8%となる(04008×5)。

この式は国民経済総体の所得の配分に関する式であって、この国民経済のレベルでの民間「資本収益率」rが、g国民経済全体の「所得と産出の年間増加率」(経済成長率)よりも、大きい状態が、格差を生み出す関係性となる(r>gと表す)。そういう状態では「論理的にいって相続財産は産出や所得よりも急速に増える」(29頁)。相続資本(資産)を多く持つ富裕層は、資本所得からごく一部を貯蓄するだけで資本の集積を増加させることができる。またそこにおいて「資本主義の第二法則」として、βはs/g(貯蓄率s割る成長率g)とされ「年間の国民所得の貯蓄率」に対して「年間の国民所得の成長率」が落ちると、「国民資本(総ストック)」の「年間国民所得」に対する比率は上昇する。世襲資本が多い者は、より多くの割合で経済資源のシェアを拡大する(175頁)。総じて、資本(資産)収益率が高い社会が、「世襲資本主義」の社会だ。

2015年3月15日日曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』第7章(社会評論社、2007年刊)(下)

今回が、第7章の 最終回です。一言、注意書きをしますと、ここに論じている「量子力学」は、あくまでも、廣松渉の理解に基づくものであって、それ以外の説や領域に関わるものではありません。




―――――





 ●─ 量子力学─ハイゼンベルクの「不確定性関係」



 一九二〇年代、ニールス・ボーア、ウェルネル・ハイゼンベルクらによって確立した量子力学は、アインシュタインによっては支持されなかった。「神はサイコロをふらない」というアインシュタインの量子力学に投げかけられたことばが残っているように、電子の運動と位置の測定を確率によっておこなうものとした量子論に異和をもったのである。アインシュタインは確率論に対してはいわゆる決定論の方を支持したのだということだろう。

 アインシュタインは或る一定の定数をつかえば電子の位置は予測できると考えたが、アインシュタインに対してボーアらはそういう定数は空想上の概念でしかないと考えたのである。

 ここで古典力学と量子力学との考え方の違いを、簡単におさえておこう。

 古典力学では ①物質は、初期状態を明らかにすればその運動(軌道)を決定できる。②物質の状態は、客観的事実であり、観測によって違いが生じるべきではないということだ。これに対して量子力学は、①物質は、空間的な広がりをもって確率的に存在する。②物質の状態は、観測されることによって変化するということである。

 かかる量子力学の考え方について、その代表的なポイントをなすハイゼンベルクの「不確定性関係」から考えてみよう。

 一九二七年、ハイゼンベルクは「不確定性関係」を定立する。電子の状態の測定で観測したい事は、電子の「位置」と「運動量」の両方である。ニュートン力学では、この二つは同時に測定される論理立てである。ところがトレードオフのように両立しないといったのがハイゼンベルクだったのだ。

 電子の「位置」を測るため光をあてる。すると電子は光にはじき飛ばされる。観測する前とは運動量はすっかり違ってしまう。では電子の運動量を正確に求めようとして光のエネルギーを抑制する。これは光の波長を細かなものから長い波にかえることだ。すると長い波では電子がどこにあるのか、「位置」が解らなくなってしまう。こうして「位置」と「運動量」の両方を同時に知ることは量子力学ではできないということになったのである。観測することが、観測対象である物質の状態を変えてしまうのだ。

 つまり観測とは観測者の観測行為による物理的変化作用をつうじた観測対象総体の物理的状態の観測であり、観測者は同時に被観測的存在であり観測者から外化したところに観測対象は自立的にあるわけではない、測定を考慮した観測の確率的分析が必要になるということなのである。

 廣松渉『事的世界観への前哨』ではつぎのように言われている。

 「古典的発想では、観測的認識とは、対象そのもののあるがままをとらえることだと了解されていた。換言すればそこでは、観測者側(単なる意識だけでなく一定の観測手段をも含む)の・攪乱的影響・は原理上消去できるということ、・攪乱的誤差・を加減的に除去、補正できることが想定されていた。

 しかし例えば或る微粒子を電子顕微鏡で観察する場合、現前するのは電子と微粒子とが・衝突・している瞬間的な一状態なのであって、微粒子そのものが自存する際の状態なるものは原理上観察されない。

 現前するのは常に・知る側・(能知)と・知られる側・(所知)との一体的な状態である。観測とはこのような『能知的所知』=『所知的能知』の現前であって、ここに現前するところのものは、単なる対象的所知でも単なる認識的能知でもない」(一八三頁)。

 まさに「ボーアが『われわれは単なる観客ではなく常に同時に共演者でもある』とい」った「所以である」(前掲一八三頁)。

 まさに「古典力学の世界では人間の意志や主観には無関係に粒子の位置と運動量は精密に決まっている。それが『客観的な存在』というものではなかったか! 位置と運動量についての観測者の認識に不確定性が入るとすれば、それは人間の観測操作のまずさから来る誤差であって原理的なものではない。しかし量子論のいう不確定性はこのような誤差ではなく原理的なものである。とすれば私たち人間は観測器械の性能をどんなに向上させても量子力学的粒子の位置と運動量の双方を精密に知ることは原理的にできないことになる。そのような粒子を果たして『客観的な存在』とみなしてよいものだろうか? こうして量子力学をめぐる認識論的な疑問と論争が始まったのである」(並木美喜夫『量子力学入門』岩波新書。五四頁)。

 まさに人間の認識主観の側の、共同主観性となった一定の対象への関わりを考慮にいれた、主客未分の相での観測ということがいわれている。ここにおいて、物質の状態は客観的事実であり、観測によって違いが生じるべきでないという古典力学の考え方が否定されるにいたったということだ。

 この場合、この量子の位置づけが必要だ。

 素粒子の状態とは、アトムとしての状態ではなく、場の状態とされる。廣松は例えば、朝永振一郎の『量子力学的世界像』(みすず書房)を援用し次のようにのべている。

 「素粒子は・粒子・と呼ばれてはいるが……『場の状態』なのであり、・素粒子の運動・と呼ばれているのは、─実体的運動体の移動運動なのではなく─『場の状態の継起的布置変化』にほかならないのである。素粒子という・物質の構成単位・は、こうして、実態においては、『場の状態』なのであるから、およそ独立自存体ではなく、依他起生(他に依って生ずる)非実体であることが判る」(『哲学入門一歩前』講談社現代新書。四三頁)。

 「ついでながら、素粒子をクォークの複合体と見なすとしても、そのクォークは決して古典的発想でのアトムではなく、やはり『場の量子化』と相即するものであり、「場の状態」であることにかわりがない」(同)。

 こうして量子とは、場・諸関係において相互に継起的な運動をする状態だということが、量子力学で解明されたということなのである。

 まさに明らかなように、古典力学においてはアトムのように実体をもった原子が力学の法則(慣性の法則、力の法則、作用・反作用の法則)にもとづき、機械論的な因果律によって、絶対的な軌跡をたどるごとき、運動をすることがいわれていた、そういう実体主義的な原子論が否定されているのである。

 以上のように量子論においては電子・素粒子など量子は粒でもあり波でもあり、その現象が確率的であるという性質が解明されている。その量子の状態は例えばシュレーディンガー方程式などによって電子がどれくらいの確率でいつどこにいるか、量子が展開する可能な運動経路(一つに確定できない)を確率的に求めることができる。もはや原子をつくっている電子の軌道が、中心から一義的に確定された半径の軌道をとるとかの説明でいわれる古典的な考え方は二〇世紀の量子物理学の展開過程の中で失効したということなのである。

 つまり、この確率ということだが、「量子力学においては、電子や光子の状態というものが一つのベクトル空間中のベクトルで表わされるものと考える。……場の考えと、状態ベクトルの考えとを、うまく合わせて素粒子の理論を作り上げる」(朝永振一郎『量子力学的世界像』みすず書房。一八〇~一八三頁)のである。





 ●─ 一義一価的決定論を否定した確率論的決定の考え方



 こうした状態ベクトルによる確率的決定ということを〈考え方として〉確認しておくために、S・ワインバーグに登場願おう。電弱統一理論というものでノーベル物理学賞を受賞したS・ワインバーグは、「究極の物理法則を求めて」(ちくま学芸文庫『素粒子と物理法則』R・P・ファイマンとの共著)で次のように説明している。

 「この講演を準備するにあたって、量子力学の初歩を学んだ学部学生のレベルに合わせるようにと注文されました。けれども聴衆の皆さんの中にはこの注文通りでない人もいるかもしれません。そこで皆さんに量子力学2分間コースを準備してきました。持ち時間は2分間ですから非常に単純な力学系を考えざるをえません。一枚のコインを考えます。運動とか位置といった性質にはすべて目をつぶり、表か裏かだけを問題にしましょう。さて古典的にはコインの状態は表か裏かだけです。コインが一方の状態から他方の状態に変わるとき、古典論はどちらか一方の状態が出ると言います。量子力学では、コインの状態は単に表か裏かということでは記述できないのです。いわゆる・状態ベクトル・という一つのベクトルを指定して初めて正しく記述できるのです。このベクトルは2次元空間のベクトルで、縦・横の軸はそれぞれコインの取りうる二つの状態、表と裏です(図1参照)。矢印が裏軸(縦軸)方向を向いている場合は、コインは確かに裏が出ていると言ってよいでしょう。もし、表軸である水平方向を向いていれば確かに表が出ていると言ってよい。古典力学にはこの二つの可能性しかありません。ところが、量子力学では矢印(状態ベクトル)は中間の勝手な向きをとることができます。もし状態ベクトルが中間のある方向を向いていたとすると、コインは表が出ているのか裏が出ているのかどちらともはっきり言うことができません。しかし実際にコインを見るときは、表か裏か二つに一つの可能性しかありません。すなわち、測定の結果は二つの可能性、表か裏のうちの一つです。コインが表か裏かという測定をするとコインはある確率で表か裏かどちらかにジャンプするのです。その確率は初めに矢印が両軸となす角に依存します。

 状態ベクトルは二つの成分、表の成分Hと裏の成分Tによって記述することができます(図1)。HとTを確率振幅と呼びます。測定の結果表が出る確率は2Hであり、裏が出る確率はもう一方の確率振幅Tを使って2Tで表わされます。ところで皆さんは大昔のピタゴラスの定理(直角三角形の斜辺の上に立つ正方形の面積は他の二辺の上に立つ正方形の面積の和に等しい─引用者)を知っているでしょう。これを使えば二つの振幅の2乗の和は状態ベクトルの長さの2乗に等しいことがわかります。あらゆる可能性を尽くしていれば、その確率を全部加えると1になります。つまり振幅の2乗の和は1でなければなりません。したがってこのベクトルの長さの2乗は1です。言い換えれば状態ベクトルは長さが1でなければならない。こういうわけで量子力学においては、一つの系は長さ1の状態ベクトルで記述され、ある測定を行ったときいろいろ異なる結果が得られる確率は、その状態ベクトルの成分の2乗で与えられます。このときの系のは状態ベクトルが時間とともにどう回転するかというルールを与えることによって記述されるのです。瞬間的な短い時間内にベクトルがある角度回転するというルールが、系をに記述する処方箋です。ところでこれは完全に決定論的な処方箋になっています。状態ベクトルの時間発展は決定論であって、コインのどちらが出るかという測定をしたときに初めて非決定論が介入するのです。これが量子力学のすべてです」(八〇頁~八三頁)。

 こうして法則性が確率論的に与えられていることがわかるだろう。





 ●─ ミーチンによるレーニン哲学の神学化



 以上でわかっただろう。つまりレーニンが「唯物論」だとしていたものは、主客二元論(論理形式の観念論との同一性)、一義一価的な法則観─法則の物象化、機械論的因果律としての法則観や絶対時間・絶対空間といった形而上学的概念の受容など、まったくの「物質」の形而上学にすぎなかったということだ。一九世紀のパラダイムなのである。

 だからこそ、こうしてレーニン自らが〈真理は一定の時代において相対的に存在する〉というボグダーノフの真理論の正しさを逆に証明することになったのだ。

 だが、ここでぜひとも確認しておかなければならないことがある。このような過程はレーニンにとっては「仕方がなかったこと」だといえるのである。当時では古典物理学的自然観が科学思想上の共同主観性となっていたのだ。したがってすくなくともレーニンがそのような論陣をはっても不思議ではないといえる。

 問題はこのレーニンの絶対的真理の言説をば金科玉条とし、セントラルドグマ(一方通行的教義)とした、スターリン、ミーチン、クーシネンらスターリニスト官僚にこそあるのだ。

 レーニンの絶対的真理論は、スターリニストたちによって絶対的真理は一つしかなく、だから唯一の前衛の真理だという考えのもとに展開していくのである。相対的真理しかみとめない立場では、複数の真理が競争し、連合する。例えば、「前衛」党は複数存在することが可能になる。だが、「絶対的真理」の立場はそういう競争と連合は一つの真理への同心円的な吸収・解体、弁証法的総合への止揚の対象としてあるだけだと考えることだ。

 ある「絶対的真理」なるものにとっては、他の真理は、自分たちの絶対的真理が主張する未来を実現することとの関係では、その阻害物になるとも考えることになる。「あいつは未来の行く手を阻害している」と。こうして粛清が始まるのである。実際、ロシア・スターリン主義の歴史はそういう歴史だったのだ。

 一九〇九年に刊行されたレーニン『唯物論と経験批判論』の二五周年は、レーニンの没後一〇年目にあたり、ソ連では「共産主義アカデミー哲学研究所」の主催になる記念集会が開催された。佐々木力『マルクス主義科学論』(みすず書房)は、次のように分析している。

 「ミーチンは講演『反映論の緊要問題とレーニンの「唯物論と経験批判論」』において……『哲学のレーニン的段階』の意義をおおいに強調した。ミーチンによれば、『レーニンのあらゆる他の労作と同じく「唯物論と経験批判論」は創造的マルクス主義の模範である』。その著作は、階級闘争の一環である『哲学戦線』において、種々の観念論、なかんずく新カント派の哲学とマッハ主義、と闘うために書かれた。それはとりわけ二十世紀初頭に成立をみた新しい物理学理論にマルクスとエンゲルスの観点からアプローチしており、その意味で『二〇世紀の自然科学の唯一の真実の哲学』となりえている」とのべたと。

 一九世紀の古典力学的自然観の時代の子でしかない『唯物論と経験批判論』が「新しい自然科学の」それも「唯一の真実の哲学」とされているのである。そしてミーチンは相対論や量子論の「それら物理学の新理論の建設者たちの哲学は自然発生的には……おおむね観念論」だといい、「反映論」のみが、真理なのだ、資本主義の危機的状況に対応できるものなのだと表明したという。

 「ミーチンは……アインシュタインの相対性理論は、たしかにニュートン的時間空間表象の崩壊に導いたが、そうだからといって、人間から『独立な客観的内容があるという事実、すなわち、すべて存在するものは時間と空間の中に存在するという事実』を変更するものではない! これがレーニンの反映論の立場からする相対性理論の時間空間論の解釈だというのである。さらに、ミーチンの論難は、量子力学に関連してハイゼンベルクによって提出された不確定性関係にまで及ぶ。不確定性関係には、たしかに合理的根拠がないわけではない─このことをミーチンもはっきり認める。しかし彼は、ハイゼンベルクの認識論的観点、すなわち、原子物理学は原子の本質や構造を扱うのではなく、われわれがそれを観測する時に知覚する現象を記述するとする観点、を観念論であるとして糾弾する。不確定性関係の根底にある、観測対象に対する観測手段の攪乱的影響を現在は計量しえないのは事実であるにしても、将来は『この影響をますます精密に計量しうる方法を発見しないであろうことを意味しない』。ミーチンが、彼の畏敬してやまない『唯物論と経験批判論』のレーニンと同じく、素朴実在論の立場、『裏返しにされたプラトン主義』、に立っていることに疑問の余地はない。そしてこの立場こそが彼の、相対性理論の時間空間概念や不確定性関係についての誤解に導いているのである」(二七七~二七八頁)。

 まさにミーチンは相対性理論、量子力学をほとんど否定的にしか解釈していないことになる。相対性理論にとっては時間空間の「中にすべての物質が存在する」という表現自体が古典物理学的な表現なのである。絶対時間・絶対空間と同様、時間・空間を実体視してしまっているのだから。

 相対性理論の場合、観測者の位置(慣性系)の相違にもとづく観測結果の相違という観点が、古典物理学での観測結果はひとつという絶対的に客観的な普遍的観測結果という考え方を否定することにポイントがあるということがまったく理解できていないのだ。われわれがこれまで見てきたように、時間・空間は物質的諸関係の函数的依属関係というあり方が現象させているということにおいて、はじめて現実的な概念となるものであった。そして不確定性関係を発見した量子力学は、確率的説明を共同主観性とするものであった。

 これが結局は〈客観的真理の実在〉(法則実在論)という立場から、観念論として否定されているということである。

 かかるスターリニストの言説は結局、レーニンがマッハを観念論と攻撃したことを教義化し、これを強迫的な禁制にも似た共同観念=〈マッハ的なものはすべて否定せよ〉といわんばかりの教説にまで高め、セントラルドグマとしたことにもとづくものだという以外ないものである。





 ●─ スターリニスト哲学の陥穽



 一九六二年に刊行されたクーシネン監修の『マルクス・レーニン主義の基礎』(合同出版)でも同様の展開が記述されている。結局、二〇世紀をつうじて、次第に明らかになっていった相対性理論と量子力学の学問的地位化に対してソ連のスターリン主義官僚たちは、対応におわれ、自分たちの素朴実在論の決定的限界を白日のもとにさらけださざるをえなくなったということなのだ。

 スターリン主義自ら絶対的真理などはなく、相対的真理だけがあるということを証明したのである。

 クーシネンたちは『マルクス・レーニン主義の基礎』(第一分冊)でつぎのように論じた。

 「微視的世界の分野における諸発見と、量子力学の創始は、それ自体として科学と弁証法的世界観の最大の成果であった。物質的物体とその粒子の性質や関係は、かつての物理学が考えたように、同質、一様ではなく、物質の多様性は汲みつくされえない、ということがあきらかになった」。だが、ここからだ。「しかしながら、物理学の諸発見から他の、観念論的な結論もひきだされた」といい、「『非決定論』の流派が頭をもちあげたが、その代表者たちは、客観的、必然的連関の原理そのものを否認している。……機械的決定論のなりたたないことが科学によってあきらかにされたことを口実にしながら、決定論一般がすべてなりたたない、という結論をくだしている。……量子力学の場合も、われわれがかかわるのは、現実のすべての現象に内在している客観的、必然的連関と諸現象の被制約性であることを」(一一〇~一一一頁)無視しているというわけである。

 このような量子力学に対する理解は、その確率的真理の否定であるといっていいものだ。かかる見解は結局、クーシネンたちが「すべての現象の因果的被制約性が必然的性格をもつと承認することは、とりもなおさず、必然性の存在を承認することである……自然と社会における必然性は、もろもろの法則のうちに、もっとも完全にあばきだされている。諸現象の発生・発展における必然性の承認は、これらの現象が、人々の意志や願望から独立して存在する、一定の合法則性にしたがっている、ということの承認をともなう」。そして「法則とはなにか? 法則とは、諸現象のあいだの、または同一の現象のさまざまの側面のあいだの、深い、本質的な、固定した、反復される連関または依存関係である」(一〇四頁)とのべたのである。

 「固定した、反復される連関」!! これまで見てきたように、これでは量子力学は理解できないのである。まさに量子力学の多元的決定論、確率論を「非決定論」として批判するという決定的な誤りを生起せしめるしかなかったのだ。そもそも量子力学がどういうものかを理解できていないということだ。

 かかるスターリニストの見解こそ古典力学的な一義的決定論でしかない。スターリニスト哲学なるものは結局はこうした機械論的決定論だということが暴露されているのである。結局は一義的決定論以外はすべて「非決定論」になってしまうのである。廣松はこの一義的決定論を批判し、「多価函数的連続関係における決定」、つまり「同一の原因から二つ以上の結果がそれぞれ一定の確率で生じうる」という考えを『マルクス主義の地平』(講談社学術文庫)、『存在と意味』(岩波書店)などで表明している。そういう確率的決定ということこそが、二〇世紀をつうじて確立されてきたことなのである。

 そしてこの多元的決定論のポイントは、法則〈なるもの〉が人間の主観の側からはまったく独立に客観的に存在しているのではなく、認識する側の共同主観性を媒介とした対象への関わりとして、法則(─法則性)なるものの機制が─まさに主客未分の相において─組み立てられているのだ、ということだ。客観主義としてのいわゆる古典的な科学主義はここでは退けられることになるのである。

 だからまさにスターリニストたちの哲学的破産は、レーニンのマッハ批判のスタンスを教条化したことを土台にしているのである。

 クーシネンたちは言う。「自然は人間にさきだって存在したか?─レーニンはマッハ主義者たちにたずねた。もし自然が人間の意識によって創造されたものであり(マッハがどこでそんなことをいったというのかね─引用者)、感覚に還元されるとすれば、自然が人間をつくりだしたのではなく、人間が自然をつくりだしたことになる。ところが、自然科学によって明白なことだが、人間の出現するずっとまえから自然は存在していた」(六六頁)のだと。

 まさに、このようなマッハ哲学への完全な歪曲と主観的観念論というレッテル張り、それは「マッハ的なものを否定せよ」という神の声となってスターリニストたちのかかる「物質の神学」の世界に響き渡っているのである。スターリニストたちによる、相対論、量子論におけるマッハ的なものの否定こそ、かれらが二〇世紀の相対論・量子論を否定的に解釈せざるをえなかった根底にあるものだ。そのことが、レーニンの「絶対的真理論」における「相対的真理論」者ボグダーノフへの論難からはじまったことこそ、ボリシェビキの悲劇の始まりにほかならなかったのではないか。(了)


2015年3月11日水曜日

憲法論議において廣松哲学として、おさえておくべきこと



●はじめに――廣松渉の問題意識


廣松渉は、一九五六~六五年までつづいた(実質的には六四年まで)、戦後初期の憲法調査会の“答申”を引用して、次のように述べている。

「(答申は次のように言う――引用者・渋谷)『一八世紀的な民主主義は、国家権力を最小限におさえると同時に、個人の自由・人権を最大限にのばすという方向をとった。全体よりも個人を、公共の福祉よりも基本的人権の方に重点を置くというのが一八・九世紀民主主義のとったエッセンスであった』。『古典的民主主義が殊に個人を強調したことについては、それなりの正当性と歴史的必然性があったし、大きな役割を果たしてきた』『けれども、人間は個人として生きていると同時に、社会生活を営んでいるわけであるから……個人の自由・人権をいくら最大限に認めるといっても、……他人とのあいだ、そして社会(国家)とのつながりにおいて、それがまったく無制限であることはできない』。……『個人の自由・人権と社会の福祉という二つのものは、たぶんに矛盾し反撥し合うものである』。……『要するに、人間が社会生活をいとなむ以上、個人の自由・人権にも大きな社会的制約があることを認めないわけにはいかない。したがって人間の社会のなかに平和な秩序ある状態を欲するならば、この社会(国家)に対して各個人が共同の忠誠、服従、奉仕の精神をささげなければならないということになる』云々。

 右の一文でさも当然のようにさらりと語られているイデオロギー、これが市民権をうるためには、一八、九世紀的民主主義の個体主義のイデーに対して、かつてはファシストのイデオローグたちがいかに努力を払わねばならなかったことか! 『憲法調査会』の多数派はもとより狭義のファシストではない。今や体制側のイデオロギーは、建前のうえではまだ個体主義的な残滓を留めているにしても、かつてファシストたちが血路を拓いて押しつけた全体主義を、大趣においてはそのまま受容継承しているのである」(「全体主義的イデオロギーの陥穽」、『マルクス主義の理路』、勁草書房、初版一九七四年、所収、二八〇~二八一頁)。 



●社会実在論と社会唯名論


 全体主義と個人主義(近代民主主義)の問題について。

『唯物史観と国家論』(講談社学術文庫、1989年)では次のようである。

「われわれは近代ブルジョア的“社会”観の祖型における特質を“人間”観との関連に即して対自化することができる。

第一に、人間が基体subjectum…として考えられており、社会・国家はたかだか二次的な存在にすぎないとされていること。「本地」authorと「垂迹」personaという伝統的な用語法を踏んでいえば、諸個人があくまで「本地」であって、社会・国家は人工的人格artificial persona、作為的人格personne moraleだとみなされる。

この了解にもとづいて、「社会」という二次的な存在の本質は、“人間の本性”human natureから帰結するものとみなされる。近代的社会観の父、すなわち、――デカルトが近代的世界観一般の地平を拓いたと言われうるのと類比的に『近代的社会観の地平を拓いた』と称されうる――ホッブスが、彼の主著『リヴァイアサン』を人間から始めていることにいちはやくそれが象徴されている。モンテスキューは『法の精神』の序文にいう通り「人間を第一に考究」したのであったし、ルソーの『社会契約説』も「人間をありのままにとらえ」そのことに即して『社会秩序』の基本的構造を討究する姿勢になっている。ロックにせよ、ファーガスンにせよ、スミスにせよ、十七・八世紀の著名な社会思想家がsubjectumたる人間の自然的本性から「社会」を規定していることは逐一想起を求めるまでもあるまい」(九一~九二頁)。

「第二に人間の本源的な同型性isomorphismが想定され、この平等な諸個人が語の優れた意味でのindividuum…として考えられており、このような同型的諸個人のもつ自然権をしかるべく保証する制度的定在として社会・国家が了解されていること。

この了解によって、中世的自然法と近世的自然法との異質性が劃される。人間の平等性、それがたとえ“神の前での平等”というイデオロギー的屈折を経ているにしても、この同型的なsubjectumの存在権そのものから自然権が定立されているのであって、それはもはや神与の自然法に法源をもつものではない。自然法と言う生得の平等的権利は、生存権から財産権へと及ぶ諸々の定在形態において漸次表象されていったが、ともあれ、同型的諸個人の原子的な同調性と反撥性の弁証法によって、社会の制度化が説明される。この自然権とその譲渡alienationの理説は、絶対主義的国家権力とブルジョアジーとの関係の歴史的変異を相即しつつ周知の変様をとげていくが、原初的な平等性の故に、相互的譲渡(結合契約)は許されても、単なる貢納的呈上(服属契約)は許されないということ、この点に留意を促しておきたい」(同前 九二~九三頁)。

「第三に、人間がhome sapiens et faberとして了解され、この意味で『自由な主体』とみなされており、『社会』はかかる自覚的で能動的な主体たる諸個人の営為によって形成されるものとみなされること、ここにおいて『社会』は、契約contract、黙的conventないしは、単なる打算的な相互承認であるにせよ、そしてまた、前意識的な過程を通じて成立するにせよ、ともあれ人間の営為による形成物として了解される」(同前 九三頁)。

「われわれは、以上、とりあえず三つの契機に分けて立言した次第であるが、これを一言で括れば、同型的・自立的なsubjectum(基体)として了解された諸個人を分子的な単位となし、かかる近代的subjektとして了解された諸個人の人格的複合として社会を表象する観方、このような構えAuffassungとして一七・八世紀の“社会観”を特徴づけることができよう」(九四頁)。

「諸個人としての人間を分子的単位とみなし、この分子的単位の相関的複合として社会なるものを表象する観方――これは様々な変様形態をとりつつも“ブルジョア的”社会観の呪縛となっており、――この観方がわれわれの日常的意識にまで浸透している」(九七頁)。

「マルクス主義的社会観をポジティブに捉えるためには、あらためて強調するまでもなく、<物質的生活の生産>という場面に視座を捉えて、生活ファンドの生産と配分のメカニズム、再生産ファンドの蓄積様式と定在形態に定位しなければならない。ブルジョア的社会観においては、それが即自的に“自然的”な大前提とされてしまうことによって――というよりも<物質的生活の生産>はいうなれば私事に属することとされ、私的生産物を携えての交通の場面からはじめて、“社会”……が成立するものとして了解されることによって――、物質的生活の生産を基軸とする“間主観的”な<対象的活動>の総体的聯関……への対自的着眼が事実上欠落している。そのことにおいて、それはまさしくブルジョア的な社会観のネガティブな特質をなすものであり、それとの対比において、当の契機に視座を構えることがマルクス主義的社会観のポジティブな特質の輻輳点をなす」(一四八~一四九頁)。

こうしたブルジョア的社会観は、社会唯名論を一般的に現象させる。

「諸個人を実体化してしまい、社会とは名目にすぎないとみなす“社会唯名論”は、……近代市民社会のアトミズムに照応するイデオロギーとして“現実”の内に根拠をもっている。とはいえ、すでに、スミスが『見えざる手』という仕方で形象化し、ルソーが『われわれはいたるところ鉄鎖につながれている』という仕方で対自化したように、社会形象は外部拘束性をもった或るものとして意識される。社会有機体説にみられるごとき、社会そのものの実体化、“社会実在論”が生ずるのも故なしとはしない。しかしマルクスが『経済学批判要綱』のなかでいう通り『社会は諸個人から成り立っているのではない』。さりとて自存的な実体ではなく、『社会とはこれら諸個人が相互に関わり合っている諸関連、諸関係の総体』にほかならない。しかるに、この間主体的協働の函数的・機能的聯関の『項』を実体化する錯視によって社会唯名論が成立し、当の機能的聯関の総体を実体化してしまう錯視によって社会実在論が生ずることになる。マルクス・エンゲルスは、これら二極的な形態で錯視される与件の真実態は諸個人がそこにおいて参与……するところの協働聯関であることを洞察し、二重の実体化を対自的に斥ける」(一五二~一五三頁)。 

この社会唯名論としてのブルジョア的社会観を全体主義(社会実在論)から見た場合、ファシズムに典型的なように、次のような対立軸が描かれることとなる。


(2)個人主義対全体主義


廣松渉は、「全体主義的イデオロギーの陥穽」(『マルクス主義の理路』1974年初版、勁草書房)では、次のように論じている。――ここでは「個人主義」と「全体主義」との対立軸における論理構成に関し必要と思われる論点だけをとりあげるものとする――。

「ナチズムが『全体主義』の論理を掲げたのは、……理論上の文脈で言えば、近代的個体主義の原理に対するアンチテーゼとしてであった。近代的自然法思想や一七・八世紀の啓蒙主義思想に典型的に顕われている『個体主義の原理』に対するアンチテーゼという点では、同一の思想的構えをイタリアン・ファシズムにも認めることができる。ブルジョア・デモクラシーの理論的基礎をもなす近代的個体主義に対するファシズムの批判は、決して単なる反発ではなく、しかるべき一定の“学”に裏打ちされている」(二五八頁)。

「ファシズムの提起した論点を検討し、その陥穽を見定めるためにも、近代的個体主義の虚構性をわれわれなりに一瞥するところから始めよう。……近代的社会思想においては、古代や中世のアリストテレス・トマス的な『国家社会が諸個人に先立つ』という了解が卻けられて、実体的諸個人が社会や国家に先立つものとされ、社会や国家はたかだか第二次的なものとみなされる。近代の社会思想はそのすべてが社会契約説を採るわけではないが、人間諸個人は本来的には自由・平等な主体であるという了解とも相即的に、社会や国家というものは、本源的には自律的な諸個人が自己の便益を図って形成する人為的な一制度、ないしは、集合的な一団体であるという了解が基底をなしている。……近代社会においては、諸個人は古い共同体のしがらみから解放されて、たしかに自律的な人格として現われる。彼らは対等な商品交換者として交渉的聯関を取り結ぶのであって、資本家と労働者の関係ですら、身分的に不平等な隷属関係としてではなく、労働力という“商品”の対等な売買関係として現象する。社会的関係は独立の人格どうしの自発的な関わり合いであって、原理的には、任意に取り決めることができるものと了解されている。アダム・スミスがいみじくも表現しているように、人間諸個人の社会的諸関係は一種の商人社会的関係として現われ、そこでは相互的打算にもとづいて他人を手段的に扱うが、この相互的手段化が分業と商品交換の原理によって一つの調和的統一を存立せしめる。

諸個人こそが第一次的に存在する主体=実体であり、社会・国家は第二次的な形成体にすぎないとみなす個体主義的な社会観は、近代的商品経済社会、近代的市民社会の如上の在り方を投影したものとして、その限りで近代の歴史的現実のうちに一定の根拠をもっている。

このことを一応は認めうるにしても、ファシストたちの指摘を俟つまでもなく、個体主義的社会観の虚構性は覆えない。この問題について“理論的”な討究をおこなったファシストのイデオローグとして、読者は直ちに、イタリアのアルフレッド・ロッコやオーストリアのオトマール・シュパンを想起されることであろう。彼らが互いに独立に、しかし殆んど同じ言葉、同じ論理を用いているのは象徴的であるが、彼らは近代的個体主義の社会観を『機械論的・原子論的』であると評し、アリストテレスの『国家社会的動物』という大命題を復権しつつ、『有機体的・歴史的な国家社会概念』を彼らは顕揚する」(二五九~二六〇頁)。

「近代的個体主義に全体主義を反定立するにあたって、経済学者として出発したシュパンは、個々人は実体的に自存するものではなく、全体の肢節としてのみ存立するという論点を軸にしたのであったが、……法学者ロッコは、法人格を生物学主義的に実体化させる方向で議論を立てている。すなわち、彼は国家・社会の全体性は決して個々人の代数和には還元できないこと、国家社会はそれ固有の目的、固有の生命をもつ独特の存在体であることを直截に主張する。この点において、ロッコはヒットラーヤローゼンベルクのそれとも相通ずる議論の構造に定位しているということができる。しかも、彼の議論は『血と地』の理論のごとき、全体主義のイデーそのものにとって本来的には偶有的な論点を含んでおらず、ファシズムの全体主義的社会・国家観をティピカル(典型的・類型的――引用者)に表象するのに恰好である」(二六三頁)。

そこで廣松はロッコの「パルウジア講演の記録 (Bigongiari英訳、長崎太郎邦訳)」を援用する。

「ムッソリーニが『私は一字一句これを承認する。君は実に堂に入った方法を以ってファシズムの教理を示してくれた』と評した」(二六三頁)ものだ。

「『人間種族の目的は、ある時点に生存している個々人の目的ではない。それは時として個々人の目的とは相反することすらある。社会団体の目的は、その団体に属する個々人の目的ではなくて、個々人の目的と衝突することすらある。これは種族の保存・発展が、個人の犠牲を要求する場合、つねに明らかなところである』と言い切る」。「『ファシズムは、自由民主主義の基礎にある旧い原子論的・機械論的な国家論に代えうるに、有機体的・歴史的概念を以ってする。われわれはいわゆる国家有機体説をそのまま採る者ではないが、われわれは、個々人の目的、個々人の生命を超越せる固有の生命、固有の目的を社会団体が有するということを言表したいのである』」(二六四~二六五頁)。

このことは、ファシスト的社会(国家)有機体説を表明するものにほかならないということをそれは意味している(なお、コント、スペンサーの有機体説については、廣松では、『唯物史観と国家論』第三章第一節の注記などを参照せよ)。まさに社会団体が「固有の生命」をもっており、それが、その目的に即して「個人の犠牲を要求」するということだ。まさに社会・国家有機体説を含有した社会実在論の徹底化という以外ではない。

「ファシズムの全体主義は、社会というもものが諸個人の代数和ではないということを主張する限りでは正しいにしても、マルクスを援用していえば、社会というものを諸個人の現実的な関わり合いの機能的聯関の総体として把握せず、それを自存的な実体に仕立て上げるという物象化的錯視に陥ってしまっている。マルクス的な社会把握とのこの相違点に、全体主義イデオロギーの社会(国家)観のもつ根本的な難点が存するように思われる」(二七九頁)。

「人々の間主体的な営為の総体は、なるほど諸個人とその代数和には還元できないが、しかし、当のIntersubjektivな営為はあくまで機能的・函数的な間聯なのであって、機能的全体なる固有の生命体が実体的に自存するものではないということ、この点の対自的把握を欠くところから、遡っては間主体的な協働聯関の存在構造を把握しえぬところから、民族や民族国家なるものを誤って形象化したり、資本の論理に盲目(ママ)であったりといった一連の契機が派生し、ファッショ的全体主義イデオロギーの徒花が展開されることになる」(二八〇頁)。

廣松はゲッペルスの次のような言を引用する。ゲッペルスは言う。

「自由主義が個人を出発点にし、各人を万事の中心におくのに対して、われわれは個々人の代わりに民族を、各人の代わりに国家共同体を置きかえた」「個人の自由が国家の自由と矛盾する場合には、個人の自由が制限されねばならなかったことは言うまでもない」云々(二八二頁)。


廣松は、述べている。

「全体主義の思想にとって中枢的な論点は、決して独裁的な指導者の存在や彼と被指導者との一体性といったところに存在するわけではなく、また、領土拡大後のナチスが弁じた通り、必ずしも民族排外主義に存するのでもない。ヒットラー一派はユダヤ民族をスケープゴートに仕立てたが、これとて全体主義思想の論理必然的な契機ではなく、そもそも人種主義的な民族有機体論ですら本質必然的な論点をなしていない。事は一つに懸かって“国家共同体”なるものを物神的に形象化し、全国民にそれへの帰依的帰入を求める点にある。

対外的緊張関係を媒介にして即自的に意識される民族国家という“共同体”、それが実際には階級的編成構造をもち、資本の論理を動軸にして存在している場合には、この擬似的“共同体”への滅私奉公は、階級的支配・被支配の現構造を強化しつつ資本の論理を維持すること、これ以外の帰結をもたらしえよう筈がない」(二八二~二八三頁)。

「人間社会はたとえ階級的に編成されていようとも、近代的個体主義が錯視するごとき機械論的・原子論的な体系ではなく、有機的な協働聯関をなしていることは確かであるが、これを真のゲマインシャフト(共同体社会――引用者)として再編成することが今や人類史の課題となっている」(二八四頁)。

「予め既述の論点の整理と図式の提示を兼ねてかいておけば、旧来のヨーロッパ的『人間―社会観』は三つの類型ないしは三つの極を立てて類別することができるように見受けられる。①機械論的個体主義、②有機体的全体主義、③聯関論的統体主義の三つがすなわちそれである。①が近代ヨーロッパの典型的な人間―社会観、②は古代・中世の主流であり、近代ではファシズムが典型、③はマルクス主義が典型であるといえよう(ヘーゲルは②と③との中間というよりも、両者の間を動揺している)。①は社会生活の即自的な協働聯関の間主体的な関係の「項」を実体的に自存化させる錯視によって成立し、②は当の聯関の「総体」を実体的に自存化せしめることによって成立するものであって、原理的に言えば、③の二極的に異型の射影として位置づけられる」(二八四~二八五頁)。

「……クローズアップされるのがマルクス主義の「個即類」のテーゼである。けだし、この提題の継承・展開こそが、個体主義対全体主義の対立交代劇を端的に止揚する鍵鑰をなす所為である。……われわれが実践的にそれの実現を志向するゲマインシャフトを理論的に基礎づけるためには、①と②との対立を生ずる地平そのものを超克しなければならない。因みにいえば、全体主義の②に対して個体主義の①を対置したのではファシズムを思想的に超克する所為とはなりえない。しかるに人民戦線時代のコミンテルンは古典的な民主主義の①の立場を以ってファシズムの全体主義思想に対処したのであって、これでは“思想的に敗北”したのもけだし当然であったといわなければならない!」(二八六頁)。

この「③聯関論的統体主義」のマルクス的根拠としては「人間の本質は社会的諸関係のアンサンブルである」という、マルクスの「フォイエルバッハに関するテーゼ」にある考え方が、的を得ているだろう。

全体主義は<国家>(社会)の実体化に基づいている。個人主義は<個人>の実体化に基づいている。私見(渋谷)では、これら二つの実体主義に対する廣松の言うところの「聯関論的統体主義」は、<個と共同性の共振>に基づいている。それは「共同体的所有と個的占有」にもとづく社会を前提として形成される。もちろん主権は人民にあり、人民は、自分たちの共同体を「全人民武装」と「一切の特権の廃止」ということをルールにして運営し、相互扶助の社会を形成する。

このような論法から、改憲論議に、どう肉迫できるかだ、と思っています。

2015年3月8日日曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』第7章(社会評論社、2007年刊)(中)

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第7章
「レーニンの『絶対的真理』論とその教条化――『物質の神学』としてのスターリニズム哲学」(中)


今回は、(中)です。次回、最終回(下)の配信は、3月16日前後の予定です。




 ●─ レーニン主客二元論の三項図式的限界

 各論に入ってゆこう。
 前々節で数字をふった順番に、レーニンと廣松哲学の対質をおこなう。レーニンの素朴実在論にもとづく反映論は、廣松哲学にいう「三項図式」「カメラ・モデル」の認識論である。この「三項図式」からレーニンはマッハを批判したということなのである。このことは実はレーニンがマッハを主観的観念論と論定したことと関係している。
 レーニンの反映論は、「物的外界」と「心的内界」を二元論的に分離することを特徴としているが、廣松は例えば『哲学入門一歩前』(講談社現代新書)では次のようにレーニンらが論じたところの反映論・模写論を説明している。
 「意識対象(客観)─意識内容(心像)─意識作用(主観)」の三項図式は、「対象を─心に映った内なる写像─をつうじて見る意識作用」という形で認識していることになる。だがこれでは「意識は対象自体を直に見ることはできず、内なる映像を見ることを介して、間接的に原物を認識するという構図になっている」(六〇頁)と廣松は論じる。
 そこで廣松は次のようにいうのだ。
 「『客観─認識内容─主観』という常套的な了解の構図には警戒を要する。客観が主観に認識内容のかたちで意識されている(主観が客観を認識内容のかたちで意識している)という言い方は倒錯である。正しくは、認識主観は現与の認識内容を単なる与件「以上の」在るものとして、客観的照応性をもつものとして覚識する、といわねばならない(「映像で知るのと言葉で知るのと」廣松渉コレクション第五巻。情況出版。一四九~一五〇頁)。
 「認識内容」は「客観」(意識対象)のもっている意味とはなれてそのままで存在するのではないということだ。だから廣松は「所与─所識」「能知─能識」の四肢構造をたて、反映論がそれとして説明できなかった意味論を認識論に装着したのであった(くわしくは拙著『国家とマルチチュード』社会評論社。八四頁以降参照)。
 三項図式に従えば客観を重視する反映論は、「客観」(実在)の模写として─心像としての「意識内容」ができあがり、それを認識するとなる。
 これに対して主観を重視する主観的観念論は「意識内容」に構成されている構成形式から、対象(実在)を認識するということになる。つまり〈意識は認識内容が経験に先立って保有している構成形式によって対象(客観)を捉える〉(カント『純粋理性批判』(上)。岩波文庫。八七頁参照)、あるいは「精神すなわち知覚するもののほかにはいかなる実体もない」(バークリー『人知原理論』。岩波文庫。四八頁)というような、認識の構成形式や知覚などが世界を構成するという考え方だ。
 つまり、反映論と主観的観念論とは「三項図式」(客観─認識内容─主観)としてはおなじ形式なのである。
 レーニンはマッハの「感覚」を、かかる主観の働きと決め付け、これをバークリーなどと同じ主観的観念論の図式におしこんだのであった。つまりレーニンは三項図式以外の認識形式を想定することができなかったということなのである。ゆえにレーニンはマッハの「要素一元論」を主観的観念論と(マッハの「感覚」を観念論の「知覚」と)おなじものとして規定する以外なかったのである。まさにレーニンはかかる三項図式の呪縛をつうじた言説において、マッハへの論難を主張できたということ以外ではないのである。素朴実在ではない「感覚」を立てるからそれは反映論から見た場合、マッハの「感覚」とは、主観(個々人の主観)の観念だという判断である。だがマッハは主観的観念論ではなく、客観的要素主義であり、そのゆえに、カントの「物自体」やニュートンの「内奥の実体」なるもの、かかる現象の裏側にある本質なるものが存在するという考えを批判していたのである(廣松「哲学の功罪」(廣松渉著作集第三巻。岩波書店。五五六~五五七頁参照)。


 ●─ マッハの要素主義

 まさにマッハの「感覚」とは、主観の側の感覚のことではないのだ。
 「色、音、熱、圧、空間、時間等々は、多岐多様な仕方で結合しあっており、さまざまな気分や感情や意志がそれに結びついている。この綾織物から、相対的に固定的・恒常的なものが立ち現われてきて、記憶に刻まれ、言葉で表現される。相対的に恒常的なものとして、先ずは、空間的・時間的(函数的)に結合した色、音、圧、等々の複合体が現われる。これらの複合体は比較的恒常的なため、〈それぞれ〉特別な名称を得る。そして物体と呼ばれる。が、このような複合体は決して絶対的に恒常的なのではない」(『感覚の分析』法政大学出版局。四頁)。
 「物、物体、物質なるものは、諸要素、つまり、色、音、等々の聯関をはなれてはない」(マッハ前掲七頁)。
 このどこが観念論だというのか。
 「多様な姿をとって現われる同一の物体なるものが、いったいどこに存在するというのであろうか? われわれが言いうるのは、さまざまなABC……がさまざまなKLM……と結びついているということだけである」(同一〇頁)。「問題なのは、要素αβγ……ABC……KLMの聯関だけになる。かの〈自我と世界等の〉対立はまさに、この聯関に対して、ただ部分的に妥当な・不完全な表現にすぎなかったのである」。「私が『要素』『要素複合体』という表現と併用して、ないしは、それを代用して、『感覚』『感覚複合体』という言葉を以下で用いる場合、要素は右に述べた結合と聯関においてのみ、すなわち、右に述べた函数的依存関係においてのみ、感覚なのだということを銘記さるべきである」(同一二~一四頁)。「第一次的なもの(根源的なもの)は、自我ではなく、諸要素(感覚)である」(同一九頁)と。
 まさに廣松が言うように「この要素=感覚は、『頭のなかにある』主観的な心像として理解されてはならない」のであり「頭のそとにある感覚なのである」(マッハ前掲の巻末解説。廣松「マッハの哲学」。三三三頁)。そして廣松は、マッハにおいては「諸要素の函数的関係」が「大切」だと説明している。「マッハによれば、諸要素および要素複合体は、それが主観を構成するものであれ客観を構成するものであれ、フンクチオネール(機能的─引用者)な相互依存関係のうちにあり、この聯関を離れては自存しないのである」。まさに「要素はすべて汎通的相互関係のうちにあり、……このゆえに、色、形、等々が主観を離れて自存しないという当然の命題は、マッハをして直ちに主観的観念論に陥らせるものではない」(同三三八頁)ということなのである。
まさにマルクスがいうように「人間の本質とは……社会的諸関係のアンサンブル」(「フォイエルバッハ・テーゼ」廣松渉編訳、小林昌人補訳『ドイツ・イデオロギー』所収。岩波文庫。二三七頁)なのである。そしてかかる多岐多様な物質的諸関係において存在しているということ以外ではない。そしてこの要素一元論から、マッハの時間・空間概念が定立するのである。(マッハの客観的要素主義の陥穽(現相主義)については、拙著では『国家とマルチチュード』八八頁以下参照。廣松の『事的世界観への前哨』勁草書房。六八頁以降参照)。


 ●─ ミーチンの機械論的因果論とマッハ・廣松の法則理解

 レーニンは絶対的真理の根拠を物質の一義的で因果論的な法則的運動に求めた。この法則の客観的実在というレーニンの主張もまた、マッハとバッティングするところとなる。
 そして法則実在論を一九三〇年代のソ連において究極的におしすすめたコムアカデミア哲学研究所のミーチンらは、その共同著作『弁証法的唯物論』(ミーチン監修、廣島定吉訳。ナウカ社)で次のようにのべている。
 「われわれがもっと複雑な物理化学的現象に、さらに進んで生物学的現象や社会的現象に移るときは……これらの場合には、原因と結果とは内的な必然的聯関にあるので、この聯関を理解することは、発展の合法則性から出発してのみ可能である。原因は単に結果を起こすばかりでなく、単に結果に移行するばかりでなく、与へられた原因の総体の存在は、さらに必然的に与へられた結果の存在を前提とする」(二九〇頁)。「所与の現象の反復を引き起こし得る根本的な原因を探し出し、この根本的原因を、特殊な一般的原因から区別することも重要である」(二九四頁)。「原因について論ずるには、原因中に交互作用の出発点のみならず、所与の対象を引き起こし、生起させ、一定の仕方でそれを再生する規定的条件があることを、力説することが重要である。諸現象の関数関係だけを論ずることは、実は諸現象の交互作用の客観的基礎にまで達しようとせずに、諸現象の相互聯関の確認にのみとどまる」(二九三頁)というわけである。つまりミーチンは絶対的な形での因果性にモメントをおいた法則なるものが客観的に実在しているといいたいのである。ミーチンは函数関係を「聯関の確認」などと断定しているが、その根拠はしめされていない。諸現象の函数的関係とはどういうことか、マッハはのべている。
 「旧来の因果性の表象は多分に生硬であって、一定量の原因に一定量の結果が継起するというにある。ここには四元素の場合にもみられるような一種の原始的・呪術的な世界が露われている。このことは原因(Ursache=原事象)という言葉からして明白である。自然における連関は、ある与えられた場合に、一つの原因と一つの結果とを指摘できるほど単純なことは稀である。それで、私はずっと以前、因果概念を函数概念で置き換えようと試みた。すなわち、現象相互間の依属関係、より精密にいえば現象の諸徴表相互間の依属関係で置き換えようとした」。これらは「相互的な共時聯関」(マッハ前掲七七~七八頁)だという。
 廣松のいうところでは次のようになる。
 「例えば、物体が千仭の谷に『自由落下』していく場合、この物体の加速度は地球という質量塊の引力(原因)の結果だとされるのが普通である。しかし、この物体が現実におびる加速度は、大気の抵抗、したがって物体の形状によっても規定されるのであり、周囲の山からも引力を受ける。物体の加速度はこれらきわめて多くの要因によって規定されているのであって、決して地球の質量によって一義的に決定されているわけではない。そのうえ、地球の引力は一方的な原因なのではなく、実は地球と物体のあいだには相互作用が成立しているのである。両々原因であると同時に結果でもある等々」(廣松「マッハの哲学」マッハ前掲書三五二頁)ということだ。
 まさにミーチンの言っている〈関数関係は「連関の確認」にすぎない〉などという言説が、全く的外れな批判だということがわかるだろう。まさにミーチンは「根本的な原因を探し出す」などとして原因の実体化をおこない、それを通じて機械論的因果論に結局は陥没しているのである。
 マッハにより斥けられた、かかる因果律的決定論の概念をモーターのひとつにしているレーニンの法則観について、その法則なるものの物象化の機制をみておこう。
 法則はマッハによれば「法則とは知的労働を節約するための縮約的記述である」とされる(同三五三頁)。これは廣松の法則観と相即する。
 廣松は述べている。「個々の法則についていえば、ある種の状態が一定のあり方で随伴、継起すること、この予期的現認が恒常的に充足されること……この現象を斉合的・統一的に説明すべく事象が規則的拘束に服しているという擬人法的な暗黙の想定のもとに、構成的に措定されたもの」(『存在と意味』第一巻五〇六~五〇七頁。岩波書店)ということである。諸関係が生みだした法則という認識から逆に諸関係を「法則が支配する」という想念がうまれるのだ。これを法則の物象化といい、法則なるものが事象を動かしているという『了解』が成立するのである(前掲四八五頁)。まさに法則の客観的実在性という形而上学に陥没することになるのである(くわしくは本書「廣松哲学とエンゲルス主義」を参照してほしい)。


 ●─ ニュートン古典力学への批判とマッハの時間・空間論

 以上の機械論的因果論への批判は、ニュートン力学への以下の批判をベースとするものである。 かかるマッハの要素複合体という概念が、ニュートンの絶対空間・絶対時間の観念を解体することになるのである。
 ニュートンは『プリンキピア』において「絶対的空間は、その本性上いかなる外のものとの関係をも有せず、常に同形的であり、不動である。相対的空間は絶対的空間の或る可動的な次元または測度であって、これをわれわれの感覚が物体に対するそれの位置によって決定する」と定義している。
 廣松は「この命題に対して、マッハ哲学の立場からすれば……(絶対空間は─引用者)経験的には確証することのできぬ単なる思考上のもの」であって、「力学の諸定律は、すべて物体の相対的位置と運動とに関する経験〈を縮約的に記述したもの〉である」と(「相対性理論の哲学」廣松渉著作集第三巻所収。四二四頁)。
 廣松はマッハの「運動一般が相対的である」という説明を紹介する。
 「『物体Kの運動は他の物体群ABC……との関係においてしか判定することができない。われわれはいつも十分な数の相対的に静止している物体ないしは極めてゆっくりとしか位置を変じない物体を役立てることができるので、特定の物体を指示することなくして、あれこれの物体を適宜に無視することができる。このため、物体群は端的に無関係だという思念が生ずる』。しかし実際には、物体群との相互関係をはなれて運動なるものが存立するわけではない。『物体Kがその方向と速度とをもっぱら他の一つの物体K'の影響によって変ずるというとき、物体Kの運動をそれに微して判定する別の物体群ABC……が現前しないならば、われわれは決してKがK'の影響で方向と速さとを変ずるという洞見に達することはできないであろう。それゆえ、実際には、われわれは物体群ABC……に対する物体Kの関係を認識しているのである』。ここでもし『われわれが突然ABC……を捨象し、絶対空間内におけるKの動向を云々しようとするならば、それは二重の誤りをおかすことになろう。第一に、われわれはABC……が実在しない場合に一体Kがどのような動きを示すかを知らないし、第二に、物体Kの動向を判定し自分の主張を検証すべき一切の手段を欠くことになり、従ってわれわれの立言はいかなる科学的な意味をも有せぬことになろう』。
 このゆえに、運動は……いっさい相対的であり、絶対空間内における絶対運動という思念は、発生論的な根拠は肯けるにしても、客観的に存在するとはいえない。『物理空間は物理学的諸要素相互間の或る特別な依属関係』なのであって、……絶対空間なるものは単に思考されただけのものである」(四二五~四二六頁)。
 絶対時間も同様に批判することができる。ニュートンは絶対時間を次のように定義している。
 「絶対的な・真の・数学的・時間はひとりでに、それ自体の本性から、いかなる外的なものとの関係もなしに、一様に流れる。……相対的な・見掛け上の・通常の・時間は、或る可感的・外的な測度─運動という方法による測度─である」と。
 廣松はマッハを援用する。ある〈事物の変化を時間で測ることはできない〉のである。「『事物Aが時間につれて変化するというのは、事物Aの状態が他の事物Bの状態に依属しているということの縮約的表現である……一切は相互に聯関しているのであって、われわれは〈絶対的な基準となる〉特定の尺度をもちあわせてはいない』。『それは余計な形而上学的概念である』」と。
 ここでのポイントは「共同主観的な時間体系、従ってまた物理学的な時間体系は、物体間の位置関係に定位して─平たくいえば時計の針が動いた距離、天体が動いた距離、等々に定位して─組み立てるしかなすすべがない。言い換えれば、時間測定と称されるものは、結局において空間的規定に帰着する。この故に、要素一元論的世界観や操作主義といったマッハ哲学の立場からすれば、物理学体系の原理論においては、『時間という独立変数を消去してそれを空間的規定の指標によって代置すべし』という提題が当然の要求となる」(同四三二~四三七頁)ということなのである。
 まさに時間・空間は「物理学的な聯関においては、感官感覚によって特性づけられる要素相互間の函数的依属関係」(『感覚の分析』二八二頁)だとなるのである。
 まさにマッハはつぎのようにニュートンの時間・空間論を批判的に総括してみせたのである(『時間と空間』野家啓一編訳。法政大学出版局)。
 「ニュートンにとっては、時間と空間とは何かしら超物理学的なものであった。つまり、時間と空間とは直接に到達できるものではなく、少なくとも厳密には規定できない。依属関係をもたない(独立の)原変数なのであって、それにしたがって全世界が方向づけられまた統御されるものなのである。空間が太陽を回る最も遠い惑星の運動をも律しているように、時間もまた最も遠い天体の運動と、ごく些細な地上の事象とを符号させているのである。このような理解を通じて、世界は一つの有機体となる。あるいはこういった表現を好むのならば、一つの機械となるのである。そこでは、一つの部分の運動にしたがってすべての部分が完全に調和しながら動いており、いわば一つの統一的な意思によって導かれている」(一四四頁)云々。
 このような力学的自然観、因果論的・機械論的決定論がニュートン物理学の考え方であり、その考え方をマッハが函数的依属関係という考え方によって否定したということがおさえられなければならない。
 まさに野家が巻末解説においてアインシュタインを引用しているように「一九世紀において、空間という概念を排除することを真剣に考えた唯一の人はマッハであった。マッハは彼の試論において、空間をあらゆる質点間の瞬間的な相対距離の総体という考えでもって置き換えようとしたのであった」(アインシュタイン全集第三巻。四〇三~四〇四頁参照─引用者)ということだ(前掲二一八頁)。まさにこのようにマッハ哲学はアインシュタインの相対論を切り開いた科学哲学だったのである。
 そこで本論の次の幕はアインシュタインが開けることになる。


 ●─ アインシュタイン相対性理論における観測結果の相対性

 ニュートンの古典物理学では、物質の運動は絶対空間に対する運動ということに整理され、物質的諸関係は幾何学的な因果律によって運動する有機体として考えられた。絶対空間・絶対時間というものを「絶対的な座標系」としていたのである。つまりこれに対しアインシュタインは反対の方法をとったのである。ニュートン物理学にあっては「知覚的経験現相(経験としてあたえられた或ること─引用者)を超絶する独立自存の絶対的実在を前提・出発点にして、運動学を構築した。それに対して、特殊相対性理論におけるアインシュタインは、あくまでも経験的現相に定位しつつ、それを可能ならしめている条件の分析に即して時間論・空間論……を構築して行く」(廣松『哲学入門一歩前』講談社現代新書。一〇一頁)ということになる。例えば同時刻の相対性ということが措定される。
 おなじ時間がそれぞれの慣性系で異なる実験として、有名なものに次のような実験がある。廣松の解説によって考えていこう。
 今、二人の観測者は、等速直線運動をする電車がその中央で点灯したところを「車中」と「地上」から各々観測している。
 「今、電車が真直な線路上を走っている。この電車……の中央の実験台上に電球が固定してある。電球に点灯した! さてどうなるか? 車中の観測者にとっては、当然、光は車輛の先端部(前壁)と後端部(後壁)とに同時に到達する。では、この事件を地上から観察した場合にはどうなるであろうか? やはり、前後壁に同時に光が到達するであろうか?」(前掲一〇六頁)。
 「古典理論では、飛行機上から発射した弾丸のように、光の速度と電車の速度とが代数的に加算される。従って、前壁に向かう光の速度と後壁に向かう光の速度とに差があり、前壁までと後壁までは走光距離が違うが、速度のほうも違うので、到着時刻は同時という結果になるはずであった」(前掲一〇七頁)。しかし「光速度一定」という「相対性理論の第二前提のもとでは、そうはならない」(前掲一〇六頁)のである。
 つまりは地上の観測者にとっては、前壁と後壁への光の到着時刻は相違するということになる。この場合、列車の進行方向に対して、車輛の後壁は中央で点灯した点へと走行するので点灯点への距離が短くなる。車輛の前壁は点灯点より先へ進むので点灯点から距離が長くなる。光速度は一定なので、後壁に先に光が達することになるわけである。
 これは車中の観測者と地上の観測者の位置している慣性系の違いから異なった観測がなされるということだ。それぞれの慣性系で異なった時間が流れているということになるのである。すべての慣性系をつらぬく〈時間なるもの〉は存在しないのである。
 「こうして、相対運動をしている一方の系では同時刻に起こった事件が、他方の系では別々の時刻に起こったことになる!」(前掲一〇七頁)。
 さらに電車の長さも観測者の位置で相違する。車内の乗客にとって動いている電車の長さと、例えばこの電車を見ているプラットホームにいる駅員にとっての電車の長さも異なる。運動している座標系では、進行方向に長さが縮むのである。「動いているもの(の空間)は縮む」ということだ。
つまり、時間、空間(長さ)は慣性系によって異なるということが相対論でいわれる特徴である。
「相対性理論によれば、物理的時間や物理的空間というものは、こうして、観測系(観測者)と相対的である。相対論的時空間は、もはや絶対的実在ではなくなっている」。「観測者という要因を導入して言えば、系Sに属する観測者S氏と系S'に属するS'氏とのあいだで」各々「対自的な現相」と「対他的な現相」とは相互共軛的に相違しはするが、それら相違する現相(あるがまま─引用者)的測定値を整合的・統一的に定式・措定する相、それが物理的実在相にほかならないものと見做される所以となる」(これは「質量」についても同じと廣松は説明している)(前掲一一〇頁)。
 「こうして、観測者による間主観的(共同主観的……)な測定・定式ということを離れては、もはや、空間と時間という物理的実在相の措定が意味をなさない」(前掲一一〇頁)となった。
 こうして、アインシュタインはどのような観測においても絶対的な結果をみちびく運動法則があるという自然観を唱える古典物理学のパラダイムをチェンジしたのである。本論ではこれ以上、相対性理論には論脈上ふみこまないこととする。
 本論の舞台は以上を踏まえ、量子力学への舞台回しとなる。タイトルは「不確定性関係」である。 (つづく