2024年1月31日水曜日

パレスチナ連帯! イスラエルはガザ虐殺戦争をやめろ! 【第三回】コールバーグ「正義」論・「発達段階」パラダイムを批判する 渋谷要

 パレスチナ連帯! イスラエルはガザ虐殺戦争をやめろ!——シオニスト入植植民地主義者・イスラエル国家権力を打倒せよ! 【第三回】渋谷要

(最終更新 2024・1・31 14:15)

【第三回】コールバーグ「正義」論・「発達段階」パラダイムを批判する

【はじめに】第三回は、戦後シオニストのパレスチナへの乗船・上陸活動に船の技師として参加し、そこから「道徳・正義」といったものを考えていった(詳しくは後述)ローレンス・コールバーグの「正義」論(発達段階論)をめぐる論の展開となる。以下の文章からわかるように、コールバーグ(1927~87。ハーバード大学教授)の発達段階論は、社会契約(改変・変革可能な法的正義)より、上に、「正義」があるというものであり、国際法無視・自己が価値とするものの絶対性を他者に強要する侵略者・イスラエルのパラダイムを象徴するものにほかならない。★★本論では、はじめにイスラエルの国際法無視の実態の一端を概観し、後半で、コールバーグの言説を見ていこう★★。

●ガザ虐殺戦争とイスラエルの攻撃性

今回のガザ戦争で ガザ保健省は、1月21日、パレスチナ人の死亡者が2万5千人を突破したと伝えている。また国際NGOの「セーブ・ザ・チルドレン」は、1月12日の時点で一万人以上の子供が犠牲になっていると伝えた。こうした、イスラエルのガザ虐殺戦争は、例えば1月29日放送のNHK・クローズアップ現代の「ガザと”ホロコースト生存者(サバイバー)” 殺戮はなぜ止まないのか」では、次のように報じている。

 これは私(渋谷)の「番組感想文」ということだが、イスラエルは「ハマスの攻撃は第二のホロコースト(ナチスが行ったユダヤ人に対する絶滅政策・大量虐殺のこと)だ」とし、「二度とホロコーストをおこさせないためには、攻撃すべきだ」と、攻撃を正当化する論理をイスラエルはつくっている。それはポグロム(19世紀、ロシアでユダヤ人に対して行われた暴力による排除行為が元になった言葉だ)であり、絶対に許すなと、教育でもそれを教えている。それがガザ虐殺戦争のもとになっている考え方に他ならない。このイスラエルの攻撃性は、ホロコーストの「歴史的トラウマ」がもとになっていると、この番組にでた解説者が言っていた。つまり、自分たちは「被害者」であり、「自衛」の攻撃は善であるということだ。

 これに対して、パレスチナの学生は、ナチスがやったユダヤ人に対するホロコーストは許してはならないが、「パレスチナをナチスに当てはめることは言語道断だ」。彼らは、「1948年から、われわれに、戦争を仕掛けている」ということだ。まさにその通りだと本論論者も考える。ここまでが「番組感想文」だ。

 ここではこのイスラエルの「攻撃=正義」の独自の論理回路を、もう少し、追ってゆこうと考える。

 ●国際法の無視抹殺とイスラエル的「正義」

 前回・第二回の最後に表示した「イスラエル的主体形成」。それは、国際法という社会契約とは関係なく、自分たちの「正義」だとする目的を達するために自分たちの必要とすることすべてを、例えば「国際社会」の賛否善悪の判断とは関係なく振る舞うということを特徴としている。

 例えば「入植地」問題ではICJ(国際司法裁判所)は2004年に国際法違反認定をしており、2016年国連安保理決議で「入植地の建設を停止せよ」との決議を議決――オバマ政権は拒否権を発動していない。また例えば「分離壁」の建設では2002年から、イスラエルが「西岸」で建設し始めたことに対し、ICJ(国際司法裁判所)は、2004年、違法判定を決定している。ここでは「勧告」として、分離壁の建設で、パレスチナ住民の通行権が侵害され、家屋破壊などが起きているとして、没収された財産・土地の返還と損失補償の義務が明記されている。
  さらにこの間、南アフリカがガザ虐殺戦争を、「ジェノサイド」(民族消滅のための虐殺)だとして提訴した。これに対しICJは、ジェノサイドかどうかの判断はしなかったが、ジェノサイドを防ぐ「あらゆる手段」をとるように命じた仮処分をイスラエルに対して出した。そして、一か月以内に、この仮処分をうけてとった措置をICJに報告するように命令した(2024年1月)。

 これらの法(社会契約)におけるイスラエルに対する決定に対して、イスラエル国家権力は一貫して、「自衛権」の行使だと、これらのイスラエルの行為を全面的に正当化しているのだ。

 このように、イスラエルは、ジュネーブ第4条約(戦時・占領下の文民保護を規定したもの)などの国際人道法規(社会契約)を無視抹殺し、「自衛権」のもとに、こういってよければ宗派主義的な対外政策をとり、それを「正義」としてきた。

それは、どのようなパラダイムをもっているのか。その理論形式が解明されるべきだ。

まさに、その理論形式を象徴するものが、戦後ユダヤ人難民のパレスチナへの乗船・上陸活動に船の「技師」として参加した(詳しくは後述)、心理学者のローレンス・コールバーグ(1927~1987年。シカゴ大学出身。ハーバード大学教授)の「発達段階論」にほかならない。

 そこでコールバーグは、「法(社会契約)的正義――これは改変し変更できるものとされている」という「段階」の上に立つ「正義」の「段階」がある、と述べている。

●コールバーグと第一次中東戦争(イスラエル名「独立戦争」) 

まずコールバーグが、どういう人生の経験のなかで、過ごしてきたか、コールバーグ自身が自分の立ち位置をのべているものを確認することから始めよう。コールバーグには『道徳性の発達と道徳教育』(ローレンス・コールバーグ著、岩佐道信 訳。以下『道徳性』と略す)という麗澤大学出版会から出版された1987年第一刷の出版物がある。、

 その初めの章は「普遍的道徳を求めてーー私の個人的体験」というタイトルのものだ。1985年来日したときに行った講演だ。

「私は、高校でユダヤ系アメリカ人として軽い人種的偏見すなわちユダヤ人排斥を経験しました。…1945年の秋、私は合衆国商船隊員としてヨーロッパに到着しました。私が衝撃を受けたのは、戦争による建物と生活の破壊ばかりでなく、ナチによるユダヤ人やジプシーや他の非アーリヤ人の大虐殺を生き延びた人たちの苦境でした。……ともあれ、私はアメリカの商船隊員としての任期を早々に終えました。そしてユダヤ人難民を満載した船を、非合法ながらイギリスの封鎖をくぐり抜け、当時イギリスの統治下にあったパレスチナに上陸させるため無報酬の技師として志願しました。

 大虐殺を生き延びたものの、帰るべき故国もなく、追放難民キャンプに移されたユダヤ人たちにとってきわめて不当と感じられたイギリスの法律を破ることについては、私はなんら道徳的葛藤を覚えませんでした。……私たちの船もイギリス軍艦に拿捕されました。……私と仲間の船員と難民は、キプロスにあるイギリスの強制収容所に連れて行かれました。……ハガナ(ユダヤ人の自警軍事組織で、イスラエル国防軍の基礎になったーー引用者・渋谷)は、私たちがキプロスからパレスチナへ逃亡するのを助けてくれ、私の身分証明者を用意してくれました。……戦争が終わると、私は学部の学生としてシカゴ大学に入りました。それまでは、大学に入りたいとは思っていませんでした。しかし、私は道徳の問題、つまり正義の問題に取り組んでいる自分に気づいたのです」(7頁~8頁)。

この場合、ハガナに救助されたコールバーグは、拿捕された船とは違う船をアメリカからパレスチナへと運ぶことになっていたが、共同社会のキブツにとどまっていた。「その船は、1948年のアラブ諸国に対するイスラエルの独立戦争で、イスラエル海軍の軍艦となりました」(8頁)という叙述があるが、このことが、コールバーグのシオニストとしての、そして、対アラブ排外主義者としての思想性を鮮明に表している。そして、この価値観を土台として「道徳」と「正義」を考えようということに他ならないのである。

※ 1969年、コールバーグはイスラエルを訪問した。それを機に自身の理論に「ジャスト・コミュニティ」という新しい概念を付け加えている、という。

※※【アレントとコールバーグの違い】

 ここでもう一つ、※として書いておきたいことがある。【それは一つには】、ハンナ・アレントのことだ。アレントは、第二次世界戦争当時、ドイツからのがれ、亡命していたが(最終的には合衆国に向かった)、連合国軍の一翼を担う「ユダヤ軍」の結成を主張している。これは、シオニズム(パレスチナ復帰運動)の範囲をこえた、ディアスポラ(離散者)になったすべてのユダヤ人の団結を実現するためであり、また、そこでは今住んでいる国を捨てパレスチナへ、とは言っていない。そこにはユダヤ民族を「能動的に」再生させる意図があった。だが他方で、シオニズム運動を支援する活動はしている。また、戦後は、国連を舞台とするイスラエル建国問題の中で、「分割」ではなく、「国連によるパレスチナ信託統治」など、ユダヤ人とアラブ人の共存を模索する政策提言などを表したが、1948年第一次中東戦争(イスラエル名「独立戦争」)が勃発した後は、政治的発言の舞台から撤収した。こうしたことが、何を意味するかは多説あるだろう。それがアレントが『全体主義の起源』などを表す序曲となったことだ。私はその全体主義批判を支持し、「階級解体と全体主義」というアレント論を書いた(拙著『資本主義批判の政治経済学』、社会評論社、2019年、所収)。

 そして、コールバーグも、実践の中で、自分の思想的立ち位置を形成していった。その内容はわたしにとっては、後述するように拒否するものだったが、それはしようがない話だ。

 ここで触れておきたい【もう一つのこと】は、アレント、コールバーグとも、彼らの学術理論領域では、ほとんど、彼らに対する実践の経緯の論述が消滅していることだ。これは、実践・イデオロギーで、彼らの学術研究を判断する余地を残すことを、しないことが、彼らの学術研究を正当に評価することになるとの判断からだと思う。その判断には、わたしは異議を唱えるものではない。が、こうした方法があると私が考えていることについては、わたしの考えでしかないが、一言、言っておきたいと思う。

●「発達段階」論と第六(最高)段階=「正義」とは何か

 コールバーグ『道徳性』で、もっとも特徴的な個所をまず読んでみよう。「道徳教育の基礎としての道徳性の発達段階」という『道徳性』所収論文(この論文は、『道徳教育ーー学際的アプローチ』ペック、クリテンドン、サリバン編、トロント大学出版局、1971年。の第一章として書かれているとの解説がある)の中の一節だ。

「道徳原理とは、全ての人があらゆる場合に採用することが期待される選択の普遍的な様式であり、選択の規則です。『原理』という言葉は、通常の規則よりも抽象的なものを意味しています。」しかし「ある種の行為の禁止や命令が普遍的に適用さえないことは理解できます。人間の生きる権利は、他人の財産権に優先しますから、人の命を救うために嘘をついたり盗みをすることは構わないことを私たちは知っています。人を殺すことは、時にそれが公平なことであるがゆえに正しい場合もあることを私たちは知っています。

 ヒットラーを殺そうと計画したドイツ人の人々は正しかったのです(ここでは、端的に1944年の「7月20日事件」を指すものだろうーー引用者・渋谷)。なぜなら、人間が等しく持っている生命の価値を尊重するには、人の命を救うために殺人者を殺さなければならないからです。各種の行為関する規則には、常に例外があります」(106頁)。

 まさにこれが、コールバーグの典型的な論点なのである。この考えは、「ハマスは現代のナチスだ」とする、イスラエル国家権力とそれを支持するイスラエル市民(部分)に共通するパラダイム(社会運営の考え方の基礎になっているもの)そのものであり、だから「ハマスせん滅まで戦争はつづけられる」という「絶対戦争(敵の完全せん滅)」の論理が常識化されているのである。

 この文章に「付随」したものとして(『道徳性』186頁に解説がある)、「発達段階」をまとめた文章が、『道徳性』では「付録」として提示されている。それが、もっともわかりやすいと考えるので、その文章で、コールバーグの論理を追っていこう。

「付録1 道徳性の段階の定義」だ。「Ⅰ習慣以前のレベル」では、「第一段階」と「第二段階」がある。「第一段階」は「罪と服従志向」であり、「行為の結果が、人間にとってどのような意味や価値をもとうとも、その行為がもたらす物理的結果によって、行為の善悪が決まる」。この「物理的結果」ということのポイントは「罰の回避と力への絶対的服従」であり「ただそれだけで価値あることと考えられる」というのが、第一段階だ。

「第二段階」は、「道具主義的相対主義者志向」だ。これは、「人間関係は、市場の取引関係に似たものと考えられる」。とされ、公正、相互性、分配などの要素は、「物理的な有用性」の面から考えられる。つまり同等のとりひきが問題であり、「忠誠や感謝や正義の問題ではない」となる。

 「Ⅱ慣習的レベル」。「このレベルでは、個人の属する家族、集団、あるいは国の期待に添うことが、それだけで価値があると認識され、それがどのような明白な直接的結果をもたらすかわ問われない」。秩序維持派にありがちな「志向」、現在ある社会の秩序に対する忠誠、集団との一体感などが、価値となるということだ。これに二つの段階がある。

 「第三段階――対人関係の調和あるいは『良い子』志向」。たとえば「多数意見や『自然な』行動についての紋切り型のイメージに従う」。行動はその動機によって判断されるため、「善意でやっているということが「初めて重要になる」。それは「『良い子』であることによって承認をかちとる」ことが目標になっているものだ。

「第四段階——『法と秩序』志向」であり、「正しい行動とは、自分の義務を果たし、権威を尊重し、既存の社会秩序を、秩序そのもののために維持することにある」。


●「第六段階」の「正義」は、「第五段階」の「意見の相対性」の一部・・・「合意」前の「個人的価値」に過ぎないものだーー「正義」は社会契約(とその変革)にある 

「Ⅲ慣習以後の自律的、原理的レベル」。このレベルでは、これまでの段階の「道徳的価値や道徳原理」を、それを「唱えている人間の権威から区別し」「個人が抱く集団との一体感からも区別して、なお妥当性をもち、適用されるようなものとして規定しようとする明確が努力が見られる」段階である。

 これは我田引水であるが、廣松渉的に言えば、「通用的正義から妥当的正義へ」ということだろう。形式論理的には別に異論はない。では、第五、第六段階を見ていこう。ここからが、ポイントだ。

「第五段階――社会契約的遵法主義志向」。「個人的価値や意見の相対性が明確に認識され、それに呼応して、合意に至るための手続き上の規則が重視される。正しさは、憲法に基づいて民主的に合意されたもの以外は、個人的な『価値』や『意見』の問題とされる」。

「その結果、『法の観点』が重視されるが、(第四段階の『法と秩序』によって、法を固定的に考えるのでなく)社会的効用を合理的に勘案することによって、法を変更する可能性が重視される」。そして法の範囲外では、「合意と契約」が義務の要素となるという。これは「アメリカ合衆国政府と憲法のよって立つ『公的』道徳である」と規定されている。

 この第五段階は、社会契約とその改変・変革にによる社会の改良という、普遍的な社会運営のルールを論理化したものである。そして、私見を言うなら、この社会契約のルールが国家権力により破壊されたとき、革命が正当なものとなる、というのが、私の見解である。

 さて、「第六段階」だ。「普遍的な倫理的原理志向」とコールバーグがよんでいるものだ。

 「正しさは、論理的包括性、普遍性、一貫性に訴えて自ら選択した倫理的原則に一致する良心の決定によって規定される」。これらの原理は「人間の権利の相互性と平等性、一人ひとりの人間の尊厳性の尊重など、正義の普遍的諸原理である」としている(『道徳性』171~173頁)。まさにここに「正義」の段階が措定されている、というわけである。

 まさしく、この第6段階は、上述したように、コールバーグが、イスラエル建国運動で、ユダヤ系の人々を、イギリスの法をくぐり抜けて、パレスチナに運んだという、彼にとっての「法」と「正義」の葛藤を、想起させるものだ。ユダヤ人が自分たちの「国」をつくることは「人間の尊厳」を実現することだ。それが、国連のブルジョア国際法的なイスラエルとパレスチナの「分割」政策(「二国家共存」)を、最初から超えて、パレスチナ全面侵略を当然の自分たちの権利として考える志向に展開していったのである。それが「正義」の実現だと。

 つまり、この第六段階が、一番高い「発達段階」とした場合、ある集団が、敵対するある集団に、攻撃をかけるのは「普遍的一貫性」であり、ある集団における「人間の尊厳性」を守るための行為となるだろう。「戦争」になる以外ない。それを、抑止するのが、国内の社会契約の、また、国際法のルールに従って、自分たちの要求を実現してゆくのが、「第五段階」の社会契約的遵法主義である。つまりこれをこそ、第六段階とする必要があるのだ。

 ★★★コールバーグが言う「第六段階」=「自ら選択した」「普遍的倫理」なるものは、「第五段階」の「個人的価値や意見の相対性」——国際社会的には一国家・国家間の相対性――の範囲における、一つ一つの価値、意見、立場に過ぎないものだ★★★。

それを、最高の段階としたのでは、「合意」などは横に置かれ、ただ自分たちの主張や利害を絶対的真理として、他者を服従させようとする態度が、常態化することになる。まさに、それが、イスラエルが、領土拡張戦争、アパルトヘイト、入植侵略、ガザ絶滅戦争のジェノサイドとしてパレスチナ侵略戦争でやってきたことではないか!

 イスラエル国家権力のガザ虐殺戦争のイスラエル的必然性が、かかるシオニストの論理と重なり合って形成されてきたことがわかるだろう。

 ★★コールバーグの話はここまでだ★★。

 ●【次回】の課題はイスラエルによるパレスチナ侵略戦争の青写真を分析する

 ガザ虐殺戦争弾劾! イスラエル国家権力を打倒せよ! パレスチナ解放! パレスチナに自由を! 次回は、このイスラエルの侵略戦争がもともと計画してきた青写真としての、パレスチナ住民のシナイ半島への追放計画、パレスチナ全土侵略支配計画としてのダレット計画、それを継承する、最近、流出したイスラエル諜報省の「シナイ半島への追放計画」(とりあえず【第一回】にも課題を設定している)を見ていこう。そして、そこから、イスラエル国家権力の暴力的資本蓄積戦略を分析してゆきたいと考える。

 ※ もちろん、このガザ虐殺戦争を糾弾することで、「反ユダヤ主義」までを良しとしてしまうのは、間違っている。むしろ革命的反戦闘争を闘う側は、イスラエル国家権力が、アラブ―パレスチナ人民に対し、反ユダヤ主義―民族排外主義と同じことを、第一次中東戦争以降、アラブ人民に対して展開してきたことを省察するべきだと、主張するのでなければならない。そして、「国際社会」は、そのイスラエルの犯罪行為を断罪すべきなのだ。

【次回予告】「ダレット計画」と資本蓄積戦略、など。


2024年1月25日木曜日

パレスチナ連帯! イスラエルはガザ虐殺戦争をやめろ! 【第二回】渋谷要

パレスチナ連帯! イスラエルはガザ虐殺戦争をやめろ!——シオニスト入植植民地主義者・イスラエル国家権力を打倒せよ!【第二回】渋谷要

(最終更新 2024・01・29   13:52)  

【第二回】戦争国家イスラエルと「国際社会」

●パレスチナの完全支配を目指すイスラエル国家権力

 今は2024年1月下旬だ。ガザ虐殺戦争の中で、世界に広がる反戦デモが、合衆国政府の政策である「イスラエル自衛権擁護」に対する抗議・批判となってゆくことを恐れた合衆国バイデン大統領の「2国家共存」(オセロ合意で社会契約になっている)にもとづく、イスラエルへの働きかけ(端的には戦闘規模の縮小要請)と、「パレスチナの独立はあり得ない」と「二国共存」を否定し、ガザのパレスチナ人自治の否定を表明するネタニヤフ・イスラエル国家権力との齟齬が、報道されはじめている。そこから、何を読み解くべきか? そのイスラエル国家権力の価値観を批判的に分析した考察が求められていると考える。

  
●「分割」から「追放」へ
 
 イスラエルは、1947年国連によるパレスチナのユダヤ人とアラブ人の分割決議を出発点としつつ、分割(イスラエルの存在が「国際社会」に認められた、そこ)から、今度はパレスチナ人追放という計画として、1947年から、独自のパレスチナ人追放計画を立て(ダレット計画――最近、暴露されたイスラエル諜報省による「シナイ半島への追放計画」は、これを継承するものだ)、1948年イスラエル建国と第一次中東戦争(イスラエル名「独立戦争」)から、対パレスチナ・戦争政策を展開してきた。第一次中東戦争では、パレスチナに居住するアラブ系住民のうち70万人以上が、ガザ、ヨルダン川西岸ーヨルダン、レバノンなどに逃れた。これは「破局(ナクバ)」と言われている。今回のガザ虐殺戦争は、ナクバの再来というべきだ。
 とりわけ、1967年第三次中東戦争では、イスラエルは、ガザ(エジプトから)やヨルダン川西岸(ヨルダンから。イスラエル名「ユダヤ・サマリア」)など、多くの占領地を獲得している。パレスチナ人の自治区、自治政府は、その中にある自治区・自治政府だ。国際連合(「国際社会」)は、イスラエルの領有権を認めていない(国連安保理決議第242号)。また入植地についても「国際社会」は認めていない(戦時・占領地における文民保護を規定したジュネーブ第四条約に対する違反)。
 西岸地区は、ザックリとパレスチナ自治政府の区域と思われている印象があるが、パレスチナ政府が行政権・警察権を持つ地域、パレスチナ政府が行政権・イスラエル軍が警察権を持つ地域、イスラエル軍が行政権・軍事権を持つ地域と三つに分かれ、その内イスラエルの行政支配の領域は60%以上に及ぶ。
●そもそも「2国家共存」は、イスラエルのためにする国家共同幻想だ

1993年オセロ合意によって確認された「2国家共存」以降も、イスラエルの入植侵略はつづき、93年には入植者11万人だったものが、現在は、250以上の入植地に70万人以上が居住している。ヨルダン川西岸は国際連合の規定では「占領地」(国連安保理決議242号にもとづく)だが、イスラエルの「法解釈」では、ヨルダン川西岸は「係争地」とされている。だから、入植は違法ではなく、奪っていいということを、イスラエル「としては」主張するものとなっている。★★結局、「2国家共存」はイスラエルの入植に、歯止めをかけることはできず、イスラエルという存在をパレスチナに認めさせるものだった。それは「2国家共存」というある種の「国家共同幻想」の下で、イスラエルの活動を支えるものとして機能した★★。そして合衆国政府はトランプが大統領の時、入植は合法だ、国際法(ジュネーブ第四条約…戦時・占領地における文民保護を規定したもの)違反ではないと表明した(2019年)。 

★では、どうして、このようなイスラエルの無法がゆるされてきたのか★。イスラエルは冷戦期、中東における欧米の反共突撃隊であり、冷戦後は、反米イスラム勢力に対する西側世界の軍事防衛国家として存在してきたからだ。だから、今でも、合衆国は国連でイスラエルに不利な安保理決議に「拒否権」をこうししているのだ。これは、少なくともこれまでは、合衆国にとって何かの戦術ではなく、「戦略的な選択」としてのことなのである。

●イスラエル的主体形成論とでもいうべきものとは何か?
 そこでは、どのような、国家主義的な主体形成がなされているのか、こういってよければ、単なる「ブルジョア帝国主義」ではない、ものがそこにある。

 ★★★イスラエル国家権力は、以上みてきたように国際法という社会契約とは、関係なくふるまってきた、これがポイントだ★★★。

 そもそもネタニヤフのグループ(リクード)は、2005年におけるシャロン政権(当時)のガザ入植地などからのイスラエルの撤退決定――これ以降、イスラエルは、ガザを包囲し封鎖する「壁」を建設し(「西岸」では2002年から。2004年、ICJ国際司法裁判所は、国際法違反と認定している)ガザを封鎖・管理支配しはじめるのだが、ガザからの撤退は、それ自体「西岸」の入植地を拡大してゆく政策だったが――、ガザからの撤退そのものを批判した勢力だが、その根底にはどのような「価値」が保有されているのか。それは「シオニズム」という一般的な指標ともちがい、むしろ、そのシオニズム(ユダヤ民族のパレスチナへの祖国復帰運動・建国運動として表明されているもの)を確固としたものにしている主体形成論なのである。それはまた、イスラエルの国民皆兵制度をつくってきた正当性の根拠とも連接するものだ。そのイスラエル的主体形成論とでもよぶべきものを照射するのが、『赤いエコロジスト』「イスラエルはガザ虐殺戦争をやめろ!」の次回の課題となる。(つづく)

2024年1月19日金曜日

パレスチナ連帯! イスラエルはガザ虐殺戦争をやめろ!【連載第一回】 渋谷要

 

【連載第一回】 パレスチナ連帯! イスラエルはガザ虐殺戦争をやめろ!

 ーーーシオニスト入植植民地主義者・イスラエル戦争国家権力を打倒せよ!

(最終更新 2024・02・10 16:11)

【第一回 はじめに】

                               渋谷要

 第一回【はじめに】資本主義国の戦争政策は、資本蓄積戦略の青写真が土台となっている

 はじめに、本論論者の「イスラエルによるガザ虐殺戦争」と「ロシアのウクライナ侵略戦争」をめぐる諸問題に対する、基本的なスタンスを表明することからはじめたい。

 

 ●ダブルスタンダード

 今は2024年1月19日だ。アメリカ合衆国権力はこの間、中東反米勢力に対する軍事行動を活性化させている。端的には、イスラエルに関係するとみられる紅海の船舶などに対する、イエメン「アンサール・アッラー」(蔑称「フーシ派」。2015年イエメンの政権を奪権。同国の北部中部を実効支配している。イランが大後方となっている)による武装攻撃・ハマスに連帯する軍事行動に対し、アメリカ中央軍による「フーシ派」の軍事拠点などに対する軍事報復を激化させているということだ。同時に、国連ではガザ虐殺戦争におけるイスラエル自衛権擁護の立場(例えば「停戦」をもとめる国連安保理決議に対する「拒否権」の発動)を鮮明にしている。これはどういうことかというと、合衆国は中東情勢でのいわゆる「安全保障政策」を優先し、ウクライナ支援を少なくとも、第一級の安全保障の課題としなくなるということを表示するものだ。そして、イスラエルを擁護しつつ、反米勢力と闘うという態勢をとりつつある。この態勢は、合衆国の権力者たちにとって従来からの基本パターンだ。

 こうした合衆国の動きは、ウクライナ戦争での(「国際秩序」—平和を重視し、武力での国家主権と国境などの現状変更を批判し、これと闘う)、パレスチナガザ虐殺戦争の(「国際秩序」を破壊し、武力での現状変更をおしすすめる国家を擁護する)という意味で「ダブルスタンダード」といわれてきたが、それはその通りで、「ダブルスタンダード」との批判は、それ自体、そうだと考える以外ない。

 だがしかし、本論論者の立場は、「ではなぜ、そうなるのか」という根拠を求める必要があるという立場だ。

★★ポイントは、資本主義国の戦争政策は、その資本主義にとってどのような「資本蓄積」戦略が、妥当か、ということで、政策決定されるということだ。★★

 ●資本主義の戦争政策は「資本蓄積戦略」で決まる

 例えばウクライナ戦争では、いわゆる欧米など「国際社会」は今まで、こういってよければだが「反ファシズム統一戦線」できた。それは、欧米日ー対ー中ロという、帝国主義間争闘戦における、政策決定としてだ。そこでは、「民主主義―対ー専制主義(全体主義)の闘い」という表現が、合衆国大統領の発言として表明されるなど、ファシズムの打倒で、欧米日の資本家階級と労働者階級の(こう言ってよければ、だが)「反ファシズム統一戦線」が構築できてきた。そこでは「資本蓄積」戦略との関係では、端的に言って現状の欧米世界が主導している世界資本主義経済秩序を守ることであり、そのための国家システムである「ブルジョア民主主義法秩序」を防衛することである。これは例えば、ロシアに対する経済制裁で、欧米日が一致した対応をとってきたことに端的に示されている。まさに市民社会と市場経済の秩序を維持し、これまでの経済流通と国際交易を確保するということにある。最もウクライナ戦争での経済分析では、これまで以上に、米軍産複合体の権益ということ等も、特に分析することが必要となる。他方、労働者人民の側は、全体主義ファシズムと闘うことで、階級闘争の法制的根拠などとなる「民主主義法秩序」を防衛することができるという、ことである。これはウクライナ戦争においては、ウクライナ軍の「指揮権」の下で闘う、ウクライナ民衆のパルチザンの戦いが、示してきたことに象徴されることだろう。そうした、資本家階級の資本主義経済秩序の利害防衛との「共闘」が、反ファシズム闘争では、実現する状況ができ、選択肢が選択されることがあるということであり、それが、まさに、ウクライナ戦争においては、選択されてきたということだ。

 まさに武装し市民社会に襲いかかる全体主義ファシズムに対しては、市民社会の一致した抗戦が、必要だというのが、本論論者の立場だ。

 一方、合衆国はガザ虐殺戦争では、イスラエル寄りであるが、アラブ世界にも配慮している。
 これは、ガザ虐殺戦争の戦後以降の、後述するようなガザのパレスチナ住民のシナイ半島への強制移住計画(例えば、yahooニュース2023年11月1日、川上泰徳氏の記事「ガザ全住民をシナイ半島に移送:流出したイスラエル秘密政策文書の全貌。ネタニヤフ首相の『出口戦略』か」参照)やガザ更地化での開発利権、さらに後述するようなガザ沖合の油田開発などとの関係で、どのようなスタンスが、妥当かを探っているということに他ならない。

こういうわけで、合衆国の議会では戦争予算の構成の仕方で、端的にはウクライナ戦争予算について、もめに・もめているのだ。クレムリンの侵略の前までは、ウクライナは基本的に、経済的には、中国との貿易をトップクラスの貿易相手国として、まさに「一帯一路」でやっていた国家だ。だから「戦後は信用できない」ということが、合衆国議会のなかの勢力の中にあるのではないか? 

 そういう、錯綜した情勢を、帝国主義国の「資本蓄積」戦略の多極性から分析してゆくのが、資本主義批判の革命的左翼の理論的スタンスだと考えるものである。もちろん、この「資本蓄積」戦略の対極に存在するのが、全世界の被搾取階級・プロレタリアートであり、被抑圧民族だ。

 まずこの点、まず初めの論点提起として、確認しておくことにする。(つづく)