2017年5月17日水曜日

「帝国主義論の方法」について――宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート   /渋谷要




●「帝国主義論の方法」について-―—宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート

渋谷要



「帝国主義」という概念を経済学として考えるとき、「帝国主義的独占」ということの内容が、問題とならねばならないだろう。それは、いかに・どのような構造かということだ。これが、帝国主義段階の「段階規定」の核心をなす問いである。

そこで問題とされるべきなのは、これから見るようにレーニンの「帝国主義の段階規定」では、まだ、資本主義原理論との間の、「区別」が<なされているようで、なされているわけではない>という問題があるのだ。

これを指摘したのが、宇野弘蔵(1897~1977)だった。

端的には、つぎのようなことだ。帝国主義的「独占資本」の規定をめぐっては、レーニン「帝国主義論」における「独占」概念の分析の方法をめぐり、マルクス経済学者・宇野弘蔵が「「帝国主義論」の方法について」(「「資本論」と社会主義」岩波書店、所収、初版1958年)で、そのレーニンの帝国主義的独占の概念規定が方法論的に限界があるというよりも、外れていると、指摘した問題である。

それは、レーニンが「独占」を、資本主義の一般的な「資本の過剰・集積」の延長上に「自由競争から独占資本へ」と解いたのに対し、宇野が、帝国主義段階における資本蓄積の特殊段階論的位相がそれでは明らかにできないとして、ドイツ鉄工業と金融資本の直接的一体化による株式会社制度の普及・証券投資の増殖に注目し、イギリスのような「資本の輸出」に金融資本化の根拠を求めることとは区別される、ドイツ(やアメリカ)のような、国内の直接産業企業と大銀行の金融資本的一体化による「独占」体の形成こそが、帝国主義的独占の特殊性の出発点だとした問題、まさに「金融資本が国内の生産過程に直接的に基づいて形成せられた点に」(宇野・前掲)その帝国主義的独占の規定をもとめ、それが、「資本の輸出」の、帝国主義段階における前提として、その上で解かれるべきとした問題としてあるということにほかならない。

だが結論はあせらず、宇野の「帝国主義論の方法について」(1955年11月『思想』岩波書店、1958年、『「資本論」と社会主義』、岩波書店、所収)を読むことから始めよう。

「レニンの『帝国主義論』は、君もご承知のように、その第一章で『独占』を説くのでありますが、それはマルクスが『資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争が生産の集積をうみだし、そしてこの集積はその発展の一段階では独占をもたらすことを論証した』(レニン『帝国主義論』邦訳国民文庫版二六頁。以下頁数指示の引用はすべてこの邦訳本による)ということを基礎にしています。この点、僕が最初から所謂重工業のような特定産業における資本集積の増大と固定資本の巨大化とによって、独占を説いているのとは、非常に異なっています。たしかに『資本論』における資本の集中、集積の理論は、レニンの考えるような独占への傾向を説くものといってよいふしがあります。しかし、その点は、実は僕としてはとりえないのです。資本の集中、集積の増進は、一定の段階では独占になるといえば、誰も疑問とするところは内容に考えられますが、よく考えてみると、そういう考えの裏には常に一定の市場を想定し、特定の産業を予想するということがあるのではないでしょうか」と宇野は言う。

 宇野が指摘するポイントを、結論から言うと「帝国主義の根底をなす金融資本による『独占』は、決して原理論的に規定されるような『独占』一般としてでなく、特定の歴史的意味を持ったものでなければなりません」ということである。

まずもって宇野がそこで、レーニンの『帝国主義論』の論述方法を直接問題視して指摘したことは、「『資本論』がその原理論の展開に際してあげる具体的事実は、その内に原理を具体的に示す例証としてである」ことに対し「帝国主義論のような段階論になると、具体的事実はもはや単なる例証であってはならないのです。それはタイプの問題になるのです」ということだ。だが「レニンのは『帝国主義論』では、事実がどうも『資本論』と同じように、何か理論の例証として引かれているかのように考えられるふしがある」というのである。

だから、これから後述するように、イギリス、フランスと、ドイツ、アメリカでは、「金融資本」といってもタイプが違うのに、ごちゃまぜに論じており、それによって、後述するように「ドイツが独占的な金融資本の典型的発展を見た国」とはされず、むしろレーニンは、ドイツを「特別扱い」するな、イギリスも、「いくらかおくれて」「別の形態で」「独占をもたらしつつある」としているというわけである。だが、宇野は「ドイツとイギリスの相違は、もっと重視されなければならない」と強調する。ここでは「独占」「金融資本」の在り様がタイプとして違うことが問題とされるべきで、「独占」「金融資本」に、単になっているか、いないかということではない。

また、後述するように、「帝国主義段階に特有な」「資本の輸出」も、「帝国主義的独占」と、それをつくる「資本の過剰」の「特殊の形態を明らかにした上で説かれるべきではなかったか」と、展開する。

まずこのタイプの問題だが、宇野は次のように、ドイツとイギリスのタイプの違いを指摘する。

「僕自身は、一方にドイツをとり、他方にイギリスをとる方法をとっていますが、そしてアメリカはなお第一次世界大戦までは典型的なものとしてでなく、単に補足的に採り上げられるにすぎないものとして扱ったのですが、それはもちろんドイツ、イギリスの両者に共通な金融資本化の傾向は認めながら、その相違を明らかにすることによって、始めて金融資本の意味も明確にされ、金融資本的『独占』も解明されると考えたからです。独占にしても僕は、それを単なる「独占」としてでなく、『組織的独占』とか『独占体』とかという言葉で表したわけです。もちろん僕もイギリスにおける独占企業の出現を否定するわけではありません。しかしそれはドイツのように大銀行との聯関をもった「独占体」と一様に扱うことはできないと考え、むしろ後者にこそ金融資本の典型が、しかもその積極的な面が認められると思ったのです。イギリスの場合は、これに対して「資本の輸出」にその金融資本化の根拠が求められる。したがってまた同じ金融資本にしても、ドイツの場合のように直接産業企業と大銀行との金融資本的一体化による『独占』は認められないといってよいのです」。「ドイツの場合にはその金融資本が国内の生産過程に直接的に基づいて形成せられた点に、その基本的規定をあたえられるものとした」のだが、それと、イギリスとの相違は、「僕の考えでは、イギリスの資本主義がその蓄積の一部を早くから海外投資に向けてきたということと産業企業の株式会社化が徹底しなかったということとの、相関聯する二つの事実によるものと解しています」ということになる。

宇野はレーニンの「独占」概念が、商品生産と私的所有制の一般的環境→生産の集積→独占→銀行と産業の融合・癒着という形成過程を描いているが、「銀行と産業の融合・癒着」について「株式会社制度の産業企業における普及によってはじめて実現されるのであって、レニンも実際上は株式会社制度の発展によって説きながらその点を明確にしてはいないのです」とする。

宇野の論点は、ここから、レーニンの「独占」概念を導いた論述・分析方法の問題などを細かく論及することになるが、本論としては、まず、帝国主義に特有な「資本の輸出」との関係で、この部分を取り上げることにする。

「ドイツ、アメリカが株式会社形式を極度に利用して資本家的独占組織を発展せしめるのに対して、イギリス、フランスが多かれ少なかれ金利生活者的傾向を示していることを示すと思うのですが、『資本の輸出』という場合にも、この区別が考慮されてよかったのではないでしょうか」。そこから宇野の分析は、レーニンの「資本の輸出」「資本の過剰」の概念問題に入るのだが、ここで、レーニンの「帝国主義」の概念規定について、おさえておこう。



●レーニンにおける「帝国主義」の概念規定



レーニン「帝国主義論」の基本視座から引用していく。

a.次の五つの基本的標識を含むような帝国主義の定義を与えねばならない。すなわち、(1)生産と資本の集中が高度の発展段階に達して、経済生活で決定的な役割を演じている独占体をつくりだすめでになったこと。(2)銀行資本が産業資本と融合し、この「金融資本」を基礎として金融寡頭制がつくりだされたこと。(3)商品輸出とは区別される資本輸出が、とくに重要な意味をもつようになること。(4)資本家の国際的独占体が形成されて、世界を分割していること。(5)巨大な資本主義列強による地球の領土的分割が終わっていること。

 帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が成立して、資本の輸出が顕著な重要性をもつようになり、国際トラストによる世界の分割が始まり、巨大な資本主義諸国による地球の全領域の分割が終わった、そういう発展段階の資本主義である」(選集2、大月書店、758頁)。



b. 「1生産の集中と独占体」

「マルクスは資本主義の理論的および歴史的な分析によって、自由競争は生産の集中を生みだし、この集中は一定の発展段階で独占に導くということを証明した点…生産の集中による独占の発生は総じて資本主義の現在の発展段階の一般的・根本的な法則なのである」(700701)。「(北アメリカ合衆国では)国の全企業の総生産の約半分が企業総数の100分の一ににぎられている。そしてこれら3000の巨大企業は、258の工業部門にわたっている」。



.「2銀行とその新しい役割」、「3金融資本と金融寡頭制」

「生産の集中、そこから生まれてくる独占体、銀行と産業との融合あるいは癒着、――これが金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容である」(選集②723)。「少数者の手に集中され、事実上の独占的地位を占めている金融資本は、会社の創立や、有価証券の発行や、国債等々から巨額の、しかもますます増大する利潤を獲得し、こうして金融寡頭制の支配を強化し、社会全体にたいして独占者へのみつぎ物を課している」(728)。

「金融資本の主要な業務の一つである有価証券発行の異常に高い収益性は、金融寡頭制の発展と強化のうえできわめて重要な役割を演じている。『国内には外債発行のさいの仲介に匹敵する利益をもたらす事業は一つもない』と、ドイツの雑誌『バンク』は書いている」(730)。

金融寡頭制がもっとも進んでいる国を知るには「証券発行統計、すなわちあらゆる種類の有価証券の発行高の統計によって、判断することができる。「国際統計研究所報」のなかで、A、ネイマルクは、全世界の有価証券発行に関するきわめて詳細な、完璧な、また比較可能な資料を発表している。…この資料によれば、およそ一〇〇〇億から一五〇〇億フランの有価証券を所有している四つのもっとも富裕な資本主義国が、くっきりときわだっていることが、一目瞭然である。これらの四つの国のうち二つは最も古いそしてあとでみるように、植民地をもっとも多くもっている資本主義国、イギリスとフランスであり、他の二つは、発展の速度と生産における資本主義的独占体の普及の制度との点で先進的な資本主義国アメリカ合衆国とドイツである。これら四つの国は合計して490億フラン、すなわち全世界の金融資本の80%近くをもっている。それ以外のほとんど全部は、なんらかの形で、これらの国々 -国際的銀行家、世界金融資本の四本の「柱」――に対する債務者と貢納者の役割を演じている」(七三四~七三五)。



.「4資本の輸出」

「イギリスのこの独占(世界交易の―引用者)は、19世紀の最後の四半世紀にくつがえされた。なぜなら、一連の他の国々が、『保護』関税にまもられて、自立した資本主義国家に発展したからである。20世紀に入るころには、われわれは他の種類の独占が形成されたのを見る。第一は資本主義の発展したすべての国々で資本家の独占団体が形成されたことであり、第二は、資本の蓄積が巨大な規模に達した少数のもっとも富んだ国々の独占的地位が形成されたことである。先進諸国には膨大な『資本の過剰』が生じた。…資本主義が依然として資本主義であるかぎり、過剰の資本はその国の大衆の生活水準を引き上げることにはもちいられずに――なぜなら、そうすれば資本家の利潤は低下することになるから――外国へ、後進諸国へ資本を輸出することによって利潤を高めることにもちいられる。これらの

後進国では利潤は高いのが普通である。なぜなら、資本は少なく、地価は比較的低く、賃金は低く、原料は安いからである。資本輸出の可能性は、一連の後進国がすでに世界資本主義の循環のなかにひきいれられ、鉄道幹線が開通するか敷設されはじめ、工業発展の基礎条件が保障されている等々のことから生じる。また、資本輸出の必然性は、少数の国々では資本主義が『爛熟し』、資本には「有利に」投下される場所がない(農業の未発達と大衆の貧困という条件のもとでは)ということから生じる」(レーニン②735~736)。

(これらが、→「5 資本家団体の間での世界の分割」「6 列強のあいだでの世界の分割」への起点にほかならない)。



e.「5 資本家団体のあいだでの世界の分割」

「資本主義のもとでは、国内市場は不可避的に国外市場と結びついている。資本主義は、はやくから世界市場をつくりだしている。そこで、資本輸出が増加し、巨大独占団体のあらゆる対外的および対植民地的結びつきと「勢力範囲」とが拡大するにつれて、事態は「おのずから」これら独占団体の間の世界的な協定に、すなわち国際カルテルの結成に近づいていった。これは資本と生産の集中の新しい段階であ」る(740)。

「金融資本の時代には、私的独占と国家的独占がたがいにからみあっていること、また、前者も後者もともに、実際には巨大独占者たちのあいだで世界を分割するための帝国主義的闘争の個々の環に過ぎない」(745)。「国際カルテルは、いまや資本主義的独占体がどの程度に成長したか、また資本家団体のあいだの闘争がなんのためにおこなわれているかを、示すものである」(746)。「資本家は世界を「資本に応じ」「力におうじて」分割する」。「資本家団体のあいだには、世界の経済的分割を基礎として一定の関係が形成され、…これにともなって…国家のあいだには、世界の領土的分割、植民地のための闘争、「経済的領土のための闘争」を基礎として、一定の関係が形成される」(745)。



f.「6 列強のあいだでの世界の分割」

「この時期の特徴は地球の最後的分割である。…再分割が不可能だという意味ではなく――それどころか、再分割は可能であり、不可避である――、資本主義諸国の植民政策が、地球上の占有されていない土地の略奪を終えたという意味である」(747~748)。

「われわれはいま世界的植民政策という独自の時代にあるわけであって、この政策は、「資本主義措ける最新の段階」と、金融資本と、固く結びついている」(748)。「資本輸出の利益も、同様に、植民地獲得を促す。…金融資本を基礎として発達する経済外的な上部構造、すなわち金融資本の政策やイデオロギーは、植民地獲得の欲求を強める」(754~755)。



g.「7 資本主義の特殊の段階としての帝国主義」

「事の本質はカウツキーが帝国主義の政策をその経済から切り離し、併合を金融資本の『好んでもちいる』政策であると説明し、この政策に、彼によれば同じ金融資本を基礎として可能であるという他のブルジョア的政策を対置している点にある。…資本主義の最新の段階のもっとも根本的な矛盾の深刻さを暴露するかわりに、それらの矛盾をあいまいにし、やわらげることになり、マルクス主義のかわりにブルジョア改良主義が生じることになる」(761)。

h.「8 寄生性と資本主義の腐朽」

「金利生活者国家は、腐朽しつつある資本主義の国家であり、そしてこの事情は、一般にはその国のあらゆる社会政治的条件に、とくに労働運動内の…潮流に反映せずにおかない」(769)。「労働運動の内部でも、いま大多数の国で一時勝利を占めた日和見主義者が、まさにこの方向にむかって系統的にたゆみなく『働いでいる』ことだけを、つけくわえておくべきであろう。帝国主義は、世界の分割と、中国に限らない他国の搾取を意味し、ひとにぎりのもっとも富裕な国々が独占的高利潤を手にいれることを意味するので、それは、プロレタリアートの上層部を買収する経済的可能性をつくりだし、そのことによって日和見主義をはぐくみ、形づくり、強固にする」(771)。「日和見主義は、いまでは、十九世紀の後半にイギリスで勝利を得たように、数十年の長期にわたってある一国の労働運動内で完全な勝利者となるなることはできない。しかしそれはいくたの国で最後的に成熟し、腐朽してしまって、社会排外主義の形で、ブルジョア政治と完全に融合しているのである」(774)。

「『二十世紀はじめのイギリス帝国主義』を研究した一ブルジョア研究家は、イギリスの労働者階級について述べるさい、労働者の『上層』と『本来のプロレタリア的下層』とを系統的に区別することをよぎなくされている。…いま記述している一群の現象と関連のある、帝国主義の特質の一つとして、帝国主義諸国からの移出民の減少と、賃金の安い、おくれた国からくるこれらの国への移入民(労働者の流入と一般の移住)の増大とがある」(772)。  

「帝国主義は、労働者のあいだでも特権的な部類を分離させ、これをプロレタリアートの広範な大衆から引き離す傾向をもっている」(773)。

以上がレーニン「帝国主義論」の要点だ。



●レーニンによる「金融資本の支配」説明の限界



ここで、もう一度、帝国主義段階を画期する、「株式資本」=「金融資本」の存在の措定の仕方を確認しよう。

「かれは、帝国主義段階における有価証券の巨額な増大を示し、これをもって金融資本の支配の指標とする。したがって世界的規模での金融資本の支配は、いまや「富裕な本主義国」の有価証券所有と、「それに対するその他のほとんどすべての世界」の「債務者と貢納者の役割」(全集㉒276頁)への転落をもって特徴づけられることになる。銀行と産業と

の癒着にもとづく組織的独占体の形成という意味での『金融資本の支配』は、ここではその内容を抜きさられ、たんなる有価証券所有の優劣、つまりレントナー化へと形式的に一般化されることになっている。そしてまた、このように『富裕な資本主義国』の国際的レントナー化をもって、『金融資本の依存と連絡との国際網の創出』(同)と規定することによって、ここから『資本の輸出』の問題、もみちびきだされているのである」(降旗節雄『帝国主義論の系譜と論理構造』二一五頁)。



ヒルファーディングの説明



 こうした宇野学派のレーニンに対する違和は、ヒルファーディングの次のような、段階規定での立論を媒介としている。降旗節雄『宇野経済学の論理体系』(社会評論社)では、つぎのようである。

「ここでヒルファーディングは次のように言う。

『資本主義の発展は、それぞれの国で土着的におこなわれるのではなく、むしろ資本といっしょに資本主義的な生産および搾取関係が輸入されるのであり、しかも最先進国で到達された段階においていつも輸入されたのである。それは、ちょうど今日あらたにうまれる産業が、かならずしも手工業から出発し、手工業的技術をへて近代的大経営に発展するのではなく、最初方高度資本主義企業として創立されるのと同様に、資本主義もまた今日では、そのときどきの完成された段階において、あらたな国に輸入されるのであり、したがって、それは例えばオランダやイギリスの資本主義的発展が必要としたよりもはるかに大きな重圧をもって、はるかに短い期間において、その革命的作用を展開する』。(ヒルファーディング(岡崎次郎訳)『金融資本論』下、岩波文庫版、八五頁)

 ここで示されている資本主義の発展についての理解は、マルクスの資本主義認識にはまったくなかったものである。マルクスの場合、後進国はつねに先進国の後をおうにすぎなかったのに対して、ヒルファーディングにあっては関係は逆転する。

『はじめはドイツ資本主義発展のたちおくれにもとづいた一事情が、結局はイギリス産業に対するドイツ産業の組織上の優越の一原因ともなったわけである。イギリスの産業は有機的に小さな始まりから、しだいに発展して後に大きくなった協業とマニュファクチゥアが生まれ、工場はまず主として紡績業という比較的小資本しかいらない産業で発展した。それは組織の点では主として個人経営にとどまった。株式会社ではなくて個人資本家が支配権をにぎり、資本主義的には個別産業資本家の手にとどまった。……そこ(ドイツ)では、もとより資本主義の発展はイギリスのそれを後から一々追ってゆくことはできなかった。むしろ先進国のすでに到達した段階を、技術的にも、経済的にも、できるだけ自国の到達点にしようとの努力がなされざるをえなかった。とはいえ、最高度に発展した諸産業で生産をイギリスのすでに到達した規模でおこなうには、企業が個人企業であるかぎり、個々人の手における資本の蓄積が必要だったが、そのような蓄積はドイツにはなかった。そこで、ドイツでは株式会社は、ドイツの形態にもイギリスの形態にも共通な機能のほかに、所要の資本を調達する機関となるという新たな機能をもった。……産業で株式形態を有利にした同じ原因が、銀行をもまた株式銀行として発生させた。だから、ドイツの諸銀行は、はじめからドイツの産業株式会社に所要の資本を融通するという任務、したがって流通信用だけでなく資本信用をも扱うという任務をもっていた。だからはじめから産業に対する銀行の関係は、ドイツでは、そして――部分的に、ちがった形態で――アメリカでも、イギリスとはまるでちがわざるをえなかった。この相違は、なかんずくドイツの後進的な、おくれて形成された資本主義的発展に由来するが、逆に、産業資本と銀行資本とのこうした内面的むすびつきは、ドイツおとびアメリカにおけるヨリ高い資本主義的組織形態のへの発展において重要な一契機となった』(前掲、五一~五三頁)。

 このヒルファーディングの文章に示されているのは、資本主義的発展における先進国と後進国の逆転の論理である。一九世紀中葉最大限の個人企業的発展をとげたイギリスと、資本蓄積のきわめて遅れたアメリカ、ドイツという二つの類型の資本主義国家において、「最高度に発達した諸産業」つまり固定資本の巨大化した重工業部門を基幹産業として定着せしまざるをえないという状況が発生した。この解決は、いかにスムーズに株式会社形式を産業企業に普及させるかにかかっていた。イギリスにおける個人企業の全面的発展は、株式会社形式の採用に阻止的に働き、アメリカ、ドイツでは、その資本蓄積の後進性がかえって促進的に作用した。こうして生産力の発展における逆転が生じたというのである。宇野は、このヒルファーディングの把握を、かれの段階論的認識の前提として採用した」(降旗前掲一二七~一二八頁)。

 

●宇野・帝国主義論の核心



 以上のような宇野の「帝国主義」分析の核心を降旗は次のように説明する。

「宇野教授の帝国主義段階把握の核心は、次の文章である。

『自由主義時代の基礎をなした産業資本は、原則的には、原理的に説かれる資本の蓄積のように、個々の個人資本家の蓄積による綿工業の発展にみられたのに対して、帝国主義時代は、株式会社による最初から資本家社会的に集中せられた資本をもって行われる比較的大規模なる固定施設をもった鉄工業などの重工業がドイツのような後進国では却っていわゆる金融資本なるあらたな資本のタイプを形成する基礎となるのであった。それはもはや産業資本のように個々の資本家としての競争を貫徹せしめることよりも、むしろいわゆる独占的利益を求める特殊の組織の形成を容易にするものであった』(「経済政策論・改訂版」、弘文堂、一五三頁)。

 つまり教授にあっては、『世界の工場』として一九世紀中葉までの資本主義の発展を規定したイギリス資本主義と対抗しつつ、かつその影響のもとに資本主義化を実現せざるをえなかった後発資本主義国ドイツにおける資本蓄積の特有のあり方が、帝国主義段階の資本の存在様式の基本的タイプとされているのであって、帝国主義段階の支配的資本としての金融資本は、最初から一定の時と所とに限定された具体的歴史性において把握されているのである。このように把握された金融資本の特質を、いま、前節の最後で要約した、レーニン帝国主義論のもつ問題点との対比において示せば次のようになろう」(降旗前掲二九二頁)。

「レーニンは、帝国主義段階の資本主義の「最もいちじるしい特質の一つ」として「生産の集積」をあげ、しかもこれを資本主義の基本的特質である自由競争の必然的結果として把握していた。産業資本における『生産と資本の集積』の一定の発展が、資本主義的独占の成立根拠をなすというわけである。これに対して宇野教授は、帝国主義段階に支配的な金融資本の成立の根拠として、『資本集積の増大と重工業における固定資本の巨大化』をあげる。つまりこの場合の『資本の集積』は、『すでに産業資本による資本主義の一定の発展を基礎とするものではあるが、単にその拡大とはいえないものを含む』(『政策論・改訂版』一五七~八)のであって、一九世紀後半における重工業の特殊な技術的発展に支えられて異常な固定資本の巨大化をみちびき、かつそれに規定された資本の集積なのである。しかもこの場合、一九世紀中葉までの資本主義の発展における基幹産業が綿工業だったのに対して、一九世紀末葉からは鉄工業がその地位を取って代わったのであって、このような基幹産業の交替自体は、たんなる競争による大規模生産の創出と小規模生産の駆逐とから必然的に生ずるものではない。……(それらは――引用者・渋谷)たんなる資本集積の増大という一般的論理からはみちびきえない、産業資本としての綿工業を基幹産業とする資本主義の特定の発展段階が、いわば技術的に生み出した技術的現実なのである。そして資本主義的生産は、それが支配的生産様式たるかぎり、このような特殊な歴史的現実をも、それ自身の運動によって処理しなければならないのであるが、そのためには、もはや産業資本は適合的な資本形態たりえないことになる。資本の所有と経営とを分離しつつ、一応その所有から離れて支配を異常に集中しうる株式会社形態が、まさにこのような歴史的現実に適合的な資本形態として登場せざるをえないのである」(降旗前掲二九三頁)。

「株式会社形態においては、資本は、現実資本と株式としての資本とにその存在を二重化される。そしてこのことは、現実資本から分離して株式がいわゆる擬制資本として売買されることによって、資本は現実資本としては依然としてG―W…PW´―G´として存在しつつ、資本市場を通して流動化されるという特殊な運動を可能にするとともに、直接株式売買をとおしてあらゆる社会的資金が生産過程に動員されることをも可能にする。株式会社は『社会的に蓄積せられた資金から、事業の経営に必要な任意の額の資本を調達するという資本主義社会に特有な資本家社会的なる機構を一般的に確立する』(『政策論・改訂版』一六八~九頁)資本形式をなすのである。個人資本の集積によってでなく、既存の資本の社会的集積をとおして、一挙に巨大な資本蓄積を実現しうる株式会社は、かくて巨大固定施設をもつ重工業を、しかも後進資本主義国において、資本主義的に確立するためのもっとも適合的な資本形態となった」(降旗前掲二九三~二九四)。

「以上のような性格をもって、重工業を巨大企業として実現する株式会社は、銀行に対しても特有の関連を要請することになる。つまり、いわゆる商業銀行としての流通信用的関係をこえて、直接資本信用を供与するとともに、株式会社形式は銀行側でもこの資金を新株式の発行によって回収することを可能にするのであり、さらに銀行自身も発行業務をとおして操業利得を獲得しうることになる。巨大産業企業と銀行とは、このような株式会社形式をばいかいとして癒着し、相互に益々巨大化しつつ、銀行を中心とする特有の組織的独占体を形成することになる。以上のような重工業における固定設備の巨大化、株式会社によるその巨大企業としての実現―株式会社形態を媒介とする産業と銀行の癒着―組織的独占体の成立という一連の過程は、19世紀末葉のドイツにおいて最も典型的に実現された。これは結局、『不断の過剰人口を基礎とする労働力の商品化』を社会的基礎とする金融資本的遅奇跡様式として、重商主義段階における商人資本、自由主義段階における産業資本に対して、帝国主義段階の支配的資本形態たる位置をしめることになる。しかし、重商主義段階、自由主義段階と違って、この帝国主義段階の特質は、それまでのイギリス資本主義を典型とする世界史的過程に対して、後進国ドイツがその後進性をいわば優越条件に転化せしめつつ積極的参加を実現した点にあるのであって、その支配的資本としての金融資本も、この『ドイツの進出的な役割に対してイギリスが防衛的立場に立つ』(宇野前掲『経済政策論』、一九一頁)という帝国主義国同士の対立関係によってきていされているのである。したがって、イギリス羊毛工業やイギリス綿工業において典型的に示された商人資本や産業資本と異なって、金融資本は『積極的にはドイツ重工業の発展に規定されつつ、イギリスにおいて特殊の、直接、生産過程に基礎をもつとはいえない形態で発現』(同)するという特有な関連において、いわば相互補足的な二類型の様相をもって実現されることになるのである」(降旗前掲二九三~二九五頁)。 

「帝国主義国による資本進出―植民地領有関係の展開は、歴然と存在する二つの類型にわけれることになる。第一は、イギリスのように、すでに自由主義段階から『世界の工場』、『世界の銀行』としての世界市場におけるその優越的地位を前提として蓄積された資本が、マーチャント・バンカーなどの投資銀行業者の媒介によって海外に向かっていたものであって、帝国主義段階ではいわばその延長線上に発展を見たのである。第二は、ドイツに代表されるような後発資本主義国のそれであって、そこでは国内における基幹産業の独占的組織による支配完了とともに、過剰資本の処理が過剰商品輸出と有機的連関を保ちつつ、大銀行を中心として先進国の支配地域への割り込みとして強行される場合である。…帝国主義段階の資本の輸出―世界の分割とは自由主義段階から展開されてきた先進資本主義国の資本輸出と植民地分割に対して、後発資本主義国における…過剰資本の海外投資が、植民地再分割を要求するという点に特色がある」(降旗前掲二九八~二九九頁)。つまり「帝国主義的対立は、むしろ海外投資にむかうイギリスとドイツに代表される帝国主義国の過剰資本の形成機構自体の差異を基礎として明らかにされねばならない。…たんに各帝国主義国における過剰資本の増大という量的変化の結果ではなかった。…そしてこのような意味での植民地ないし勢力圏の再分割の要求と、それに対する防衛との対抗関係は、結局『戦争によってでも解決せられるほかに途のない対立』(宇野前掲『経済政策論』二五七頁―引用者・渋谷)を必然化することになる。……帝国主義戦争も結局、この特殊な蓄積様式と対応する経済政策の総括的結果として解明されたことになるのである」(降旗前掲三〇〇頁)。
――(ここまで)