2019年8月22日木曜日

実録物語・リーマンショック(サブプライム恐慌)10~11周年 渋谷要



実話物語・リーマンショック(サブプライム恐慌)10~11周年
渋谷


★これは、半分以上未発表のもので、
当時、ノートとしてつくったものです。
このノートから、二つぐらいの既出論文を書いています。

★既出論文では、資本の動向の分析(経済評論家の方々などが、各誌で、論じられている対象となるもの)は、ほとんど、省略していますが,
このノートでは、そうした前提となるものも、論じており、また、リーマンの破産のプロセスも、描写、しています。

★★数字は、すべて、当時のものです。


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サブプライム問題の展開図

アメリカの大不況は09年も深刻化さをましてゆきつつある。130日、ニューヨーク市のブルームバーグ市長は、08年のウォール街の大手金融機関による損失額が472億ドル(42500億円)との推計を発表し、07年半ばからみて106月までにウォール街金融機関で働く約46000人の労働者が失業し、08年半ばとの比較で10年までに市全体で約30万人が失業するおそれがあると表明した(時事通信社1・31電子版)。



日本でも厚生労働省が130日、093月までの半年間に失職を余儀なくされたか、される派遣・非正規雇用労働者が12万4802人に上るとの調査結果を発表した。仕事を奪われた人は0811月から3ヶ月で4倍にふくれあがったとしている。中途解除、解雇5万人、雇い止め6万人。住居をなくした人は、2675人になる。

自動車産業、その関連産業をはじめ、大手メーカーはのきなみ業績不振を理由に労働者への解雇攻撃をつづけている。

ソニー16000人、トヨタ自動車7000人、日産2000人、ホンダ1200人、マツダ1200人などをはじめとする大量解雇などといったようにだ。





089月のリーマンブラザース経営破たんから始まったとされる今回の大不況は、米のダウ平均株価がリーマン破綻時で1万900円台が一ヵ月後には8千ドル台に急落。日本でもリーマンショック時では、日経平均株価12千円台が、現在では7千円台に下落している。新車販売台数では47万台が、38万台になり、鉱工業生産指数(05年=100)では、105.6が、75・8に落ち込んでいる。



まさにアメリカの金融危機からはじまった大不況は、グローバル化した日本の自動車産業や電気産業などをまきこみ、一挙に日本に飛び火した。例えば自動車の生産・販売台数の減少は、自動車部品では、鉄工業の鋼材生産の減少、石油化学製品や電気電子機器、ガラス・紙・パルプ部門に波及し、中小下請けの部品工業・機械工業への受注の縮小、車を海外に運ぶ海運業の減などとして影響してゆく。さらに自動車の販売では、リース・広告、運輸・倉庫関連、金融・保健、機械修理などの部門、燃料部門、不動産部門などに波及してゆく。このように産業は複合的に関連しているので、全社会的に銀行の貸し渋りなどがつよまり、給料の減少、解雇、倒産などをまねき、消費行動が抑制され、日用品などの売り上げが落ち込む。こういう連鎖をつうじて、売れない、買わない、作らないという循環ができあがってしまうのだ。



GMを例にとると、0812月の決算での売上高は約146千億円で純損失約3兆円、全世界の販売台数は前年比11%の減益とGMは発表している。またトヨタは、09年度3月期の業績予想では、営業損益の赤字が4500億円に拡大すると表明している。欧米での販売台数の落ち込みと、アメリカでの自動車ローン貸し倒れなどでの損失が最大の要因だ。トヨタの売り上げ一兆円減は日本経済全体で3兆円強の売り上げ減につながるといわれている。



★サブプライム・ローン問題をつうじた信用収縮は、金融機関の貸し渋りを構造化させ市場に打撃を与えた。銀行は国際的な公式の基準で、貸し出しの上限を自己資本(株式発行などで調達した資金と積立金・準備金の合計)の12・5倍までとされている。100億円の自己資本を持つ会社では1250億円まで貸し出せる。だが、貸出金の内50億円が焦げ付いき、その処理で50億円自己資本を使えば自己資本は半分の50億円になる。これは貸し出し額がこれまでの半分の625億円に減少することになる。だから銀行は、焦げ付き・貸し倒れ、不良債権化などを予測し、融資基準を見直し貸し出しを制限するようになる。



例えば受注の大幅な減少で資金繰りに困った企業は、預金を取り崩す。給与準備などでの借り入れが続出するが不良債権化が予想される。こうして銀行は貸し渋りを強めるのである。こうして信用収縮は経済の社会的再生産に打撃をあたえてゆくのである。



このようなアメリカ発経済危機といわれるこのたびの事態とは何か、なぜ、いかにどのように生み出され、どのような危機として進行しているのかが、とわれなければならない。



サブプライム・ローン問題とは何か



まず確認しなければならないことは、今次金融危機が、何かの自然現象ではなく、アメリカ資本主義権力者たちがこの間展開してきた政治経済政策の帰結としてあるということを見ておかなければならない、ということである。



アメリカ・ブッシュ政権は、住宅バブルを軸としてアメリカの経済成長をすすめようとした、これが始まりだ。ブッシュ政権は経済成長の主要な割合を住宅市場に依存しており、これから見るように、その大部分は住宅金融に依存していた。



それは同時に政治的にはアメリカの「対テロ戦争国家」化を経済的に支えるものとして、また経済主義的な国民統合としての意味を持っていた。しかし2006年秋以降、住宅の過剰生産に対し住宅の購入が限度に達し反転下落しはじめ、またアメリカのインフレ傾向に対するFRB(米連邦準備制度理事会)の金融引き締め政策の発動をつうじて、利上げによりローン金利も上昇した結果、債務不履行としてサブプライム・ローンの焦げ付きが激化し、住宅バブルは崩壊した。



最初、住宅バブルはフロリダなどのリゾート物件を購入していた富裕層によって推進されていた。だがプライム・ローンで上向いた住宅ブームを通じ、過剰生産傾向を示した住宅建設ラッシュに対応すべく、クレジットスコア(アメリカでおこなわれている消費者の過去の借入と返済の履歴。スコアが低い借り手は信用力が低い)の低い人々に対してサブプライム・ローンを販売することで、住宅ブームを下支えさせようとするようになっていった。

サブプライム・ローン資格とは「過去5年以内に破産宣告を受けている」とか「返済負担額が収入の50%以上」などであった。このようなサブプライム・ローンにより、850万世帯のサブプライム層が購入したのである。



このようなことが可能となったのはノンリコース(非遡及貸出債権)制度、つまり借金している人は担保を差し出せば借金は免除されるという、アメリカの制度に根拠をもっていた。



経済学者の分析――サブプライム層の動員と過剰生産



伊藤誠((『情況』09、12月号、伊藤誠「サブプライムから世界金融恐慌へ――マルクスの逆襲」))はつぎのように分析している。



資本主義的金融セクターの中枢部をなす大手銀行が、住宅金融などの消費者金融の拡大に積極的に進出し、広く労働者階級を重要な貸付対象としてとりいれる傾向を強めてきている。その結果」「労働力の代価としての賃金所得にかなりの元利払いの負担をおわせ、搾取・収奪を重ねる社会経済機構が、資本主義の中枢に広く形成されたのである」。



「いわば労働力の商品化による剰余労働の搾取に、労働力の金融化による重層的搾取が現代的に組織される傾向がみとめられる」。



2001年からの景気回復に向けての低金利を利用したアメリカの国内金融の拡張は、さらに大規模に労働者階級への住宅金融を中心とする消費者金融に注力する特徴をもっていた」。



つまりここで伊藤氏がいっていることのポイントは、「労働力の金融化」ということだ。



労働者は資本家に「労働力」という「商品」を売り、それを買い取った資本家は、その労働力を「資本家の生産力」として工場・職場生産点で使用する。そこで資本家は生産設備や労働力の購買にかかった資金の回収以上の富、収益をあげるための生産として、労働者に利益還元されない資本家だけが所有する、いわゆる剰余価値の産出のための商品の生産を組織する。この剰余価値が搾取されることと引き換えに、労働市場で得る賃金をば、住宅ローンの支払いというかたちで、資本が収奪するということが広汎におこなわれるようになったということだ。



「そのさいサブプライム層(信用力があるプライムローン対象者でない人びと)への住宅ローンが、新たな市場として開拓され積極的に拡大されて、のちにサブプライム問題を生ずることになった」のであった。



全米規模の住宅ローン販売



ここでサブプライム層のローン利用の規模を確認しておこう。



「サブプライムローンは2001年以降に急増し、2008年には実行ベースで住宅金融の20%、総残高の13%(実額で1・7兆ドル)を占めるにいたる。サブプライムローンの標準モデルは20万ドルとされているから、残高からみれば、850万世帯(アメリカにおける一世帯平均ほぼ3人をこれに乗ずれば約2550万人)のサブプライム層が、住宅ローンを負っていたことになる。住宅ローンの総額13兆ドルの全体をとり、平均かりに40万ドルのローンが組まれているとすれば、3250万世帯(三倍すれば)アメリカの全人口約3億人のほぼ三分の一が住宅ローンによって新居をえたものと思われる。」(伊藤、前掲、この節の引用はすべて伊藤論文からのもの)



ものすごい規模だということがわかるだろう。ピーク時では住宅着工件数は、年間200万戸にたっしているのである。こうした住宅ローンの展開は、それじたいが、「アメリカンドリーム」の夢を売るというような内容での、全国民的な経済主義的国民統合の意味をもつものに他ならない。



だが、「2006年秋以降、10年にわたる住宅価格の上昇が、停滞的な大衆の所得との比較で限度に達し、反転下落しはじめたときに、一転してグローバルな金融危機を生ずるにいたる。それは、アメリカの住宅金融が、各種の抵当担保証券(MBS)に組成されて(後述する――引用者)、グローバルに転売され、世界中の金融機関に大量に保有されていたからである」。



そうして住宅バブルは破綻したのである。



つまり「世界的な規模で各国の金融諸機関、年金基金、保険基金、投資信託基金、ヘッジファンド、さらには政府・自治体の投資運用基金などにまで売り込まれ」たが、「住宅市場の価格の反転下落とともに、2007年以降あいついで債務不履行におちいる構成部分を増していった」のである。



住宅ローン購入者は「期待していた担保住宅の値上がりも所得の上昇も実現しない場合」、例えば「ローン20万ドルへの月々の返済額がたとえば1-2年目の1531ドルから5年目には2370ドルへ大きく増大し」それによって「返済不能となり、期待していた住宅価格の上昇による借り換えもまったく望めなくなり、住宅の差し押さえにあって追い立てられる人びとの数が優に100万人をこえて増大し続け、社会問題となって」いった。



一言でいうなら住宅建設にも「労働力の金融化」にも限界があったということである。



これらがサブプライム問題それ自体の顛末である(この損害の度合いは後述する)。



その場合、問題を深刻化したのは、住宅ローン債権を証券化し販売したことである。つまり住宅金融会社は、サブプライム層の動員としてあるサブプライム・ローンは、債務不履行(デフォルト)リスクが高い、ハイリスクであるということはわかっていた。だからリスクを分散させるべく、さまざまの証券化商品に加工し転売したのだ。



錬金術的手法としてのRMBS・ABSCDOの発行



サブプライム・ローンを組み込んだ証券化商品、まさに債務担保証券(CDO、コラテライズド・デット・オブリゲーション)などの証券化商品は、すこし言い方は悪いかもしれないが、サブプライム・ローンという鳥インフルエンザにかかった肉を他のローン、債権などと組み合わせ、混ぜ合わせて売り出したミンチ肉商品に他ならない。



その生成のプロセスは次のようである。



「銀行や住宅金融会社は、プライム・ローンからサブプライム・ローンまでのさまざまなローンを束ねて住宅ローン担保債権を証券化するこれを投資銀行に販売する。これにより、ローン回収権利は投資銀行に移転する。

 

投資銀行は住宅ローン担保証券に他の債権(自動車ローン債権や一般企業への貸出金など)を加えて、新たな証券化商品(再証券化商品)(これがCDOなどの証券化商品である――引用者)を作り、これを保険会社やヘッジファンド、投資信託や年金基金などの投資家に販売する。



これにより、住宅ローンのデフォルト・リスク(債務不履行リスク)は最終的に投資家に移転、投資銀行はローンのデフォルト・リスクを回避することが可能となる」(新保恵志『金融商品とどうつき合うか――仕組みとリスク』岩波新書)という仕組みだ。



もう少しくわしく見ていこう。



住宅を購入する消費者は資金をうるため、金融機関から融資をうけて住宅ローンを組む。住宅ローンは貸し手からさらに大手の貸し手へと売却される。貸し手はローンを売却した資金によって他の融資に資金を回すことができる。売却された住宅ローンは投資銀行が集約し住宅ローン担保証券」(MBS=モーゲージ・バックト・セキュリティ)」として販売される。



 こうして証券化商品、RMBS(レジデンシャル・モーゲージ・バックド・セキュリティー、不動産を担保としたローンであるモーゲージ証券の一つで、不動産担保融資の債券を裏づけにつくられた証券)や、ABS=アセットバック証券(アセット・バック・セキュリティーズ)などとして資産担保証券化されるのである。



こうした住宅ローン担保証券は格付けされる。



〈 住宅ローン証券化商品のうち原債権が「プライム」であるため、優良部分とされるものでできたものがシニア債。これがAAA(トリプルA)である。これに対し、プライムにサブプライムを含んだ証券化商品はメザニン債でAA、BBB。サブプライムを原債権とするものはエクイティで、BB以下のジャンク(がらくた)債である。



またRMBS、ABSを集約した投資銀行・金融機関はさらに次のように加工した。



かかる証券化商品のなかの、リスクがかなり高い部分を、細かく切り分け、他の債権、例えばクレジットカード債権、商業用不動産、企業向け貸出、破綻する可能性の高い会社の社債(ジャンク債)や、自動車ローン債券などがくみあわさった各種の証券化商品CDO(債務担保証券コラテライズド・デット・オブリゲーション)を作成したのである。



この証券も格付けされる 〉(以上の証券化プロセスについては中空麻奈『早わかりサブプライム不況』朝日新書、水野和夫『金融大崩壊』NHK出版生活人新書、堀紘一『世界連鎖恐慌の犯人』PHP、新保恵志『金融商品とどうつき合うか』岩波新書などを参照せよ)。



この混合の意味だが。



「それぞれ異なったリスクを持つデリバティブなど各種証券類が、数多くあつめられているところがミソになっている。これらすべてが同時に悪い方向に動くことはない。少なくとも理論上はない。すると、CDOは全体としてボラティリティ(上下の変動幅――引用者)が、抑えられ、金融商品としてのリスクが低減するわけである」(堀紘一前掲)ということになるわけである。



「CDOを格付け会社に持ち込めば、見事にボラティリティが抑えられているため、AAAなどの高い格付けを与えてもらえる。CDOの中身のサブプライム・ローンがいくらハイリスクで、いくら低い格付けのものであっても、そんなことはまったく関係ない。CDOそれ自体は、AAAの評価を与えるにふさわしい金融商品なのだ。高い格付けをもらってしまえば、あとは、売り歩くだけである」。格付けがよいわりに利回りもよい設計なので、「CDOは世界各国で売られたが、日本では地銀などがよく買っていたようだ」(堀紘一前掲)ということになったのである。

金融機関・投資会社はこうして保有したCDOを販売した。



さまざまの債務者から回収された資金は集約されたのち、そこから証券化商品の債権保持者に配分される。だが債権をローンプールにあつめ、証券化商品に加工してゆくやり方は、投資家にとっても重大な問題があった。



「証券化証券に投資する投資家にとって、対象証券のリスクが見えにくい点も、大きな問題といわなければなりません。株式、社債、国債などの投資物件は背景にある企業、国の姿を具体的に観察することができますが、様々な住宅ローンがプール化された債務全体を厳密に査定するのは不可能に近いといえます。債権のプール化を通じてリスクを薄めますが、同時にリスクを曖昧にしている点に注意しなければなりません」(証券アナリスト・大田登茂久『手にとるように証券化がわかる本』かんき出版)ということだ。



CDOは「請求書」の福袋



この債権とはいわば、「請求書」のことである。このようなCDO(コラテライズド・デット・オブリゲーション)などの債権の証券化商品とはいろいろな「請求書」を細かくわけて、セットにしたものにほかならない。



次のような比喩による説明を紹介しよう。



「証券化を活用する金融機関は、ツケで飲む客が多い飲み屋のようなものである。なじみの客が増えるのは結構だ。だが、ツケはあくまでツケである。請求書を現金代わりにして仕入れの代金を払うわけにはいかない。店を拡張するための設備投資にも使えない。しかも、請求書の山には必ず貸し倒れの危険がつきまとう。

 そこで、飲み屋は一計を案ずる。たまった請求書を切り分けたり束ねたりして、たくさんの福袋をつくるのである。その福袋を町中の人びとを相手に売りまくれば、飲み屋の手元には福袋代という形の現金収入が入ってくる。同時に貸し倒れリスクも福袋の買い手に転化することが出来る。請求書の山が突如として現金に化けるは、リスクは人に押しつけられるは、これぞまさしく、金融錬金術だ。

このツケの福袋が、要するに債権の証券化商品である。飲み屋の福袋作戦は、要するに手元にたくさん溜まった一対一の個別債権の金額を合算し、その総額を担保に不特定多数を相手とする証券を発行するというやり方なのである」。

このような形で発行される福袋に、「例えば「債務担保証券」(CDO)があった。「債務弁済準位の高い債権を担保に発行される「シニア債」から、弁済準位が劣後する債権が裏打ちの「劣後債」まで、リスクの度合いに応じて福袋が用意される方式だ」

だが、ここからが問題だ。

「福袋を買った町中の投資家たちが、中身の焦げつきで、次々に大損を蒙っていけばどうなるか。福袋の買い手に対して、その購入資金を用立てた人々がいるかもしれない」。その人も損をする。さらに、福袋を売り出した飲み屋が一軒でなく、たくさんな場合、このような福袋がどれだけ出回っていて、そのうちどれだけが実際の危険を含むのかわからなくなってしまう。



こうなってくると、福袋の損失をうめようとしてカネを借りる人に、カネを貸す人はいなくなる。だれとも取引をしない方が安全だとなる。この町の経済は完全に行き詰ってしまう。(浜矩子『グローバル恐慌――金融暴走時代の果てに』岩波新書)

こうして危険な「請求書」の切り売りをあつめた福袋たる債権化商品は一挙に価値を喪失してしまったのである。



まさにムーディーズなどの格付会社をして、「トリプルA」などの格付けをもたされた証券化商品を、国際的にさまざまな金融・証券機関が買いあさったのだ。



このCDOには、その債務不履行(デフォルト)に対する保険商品として、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)が対応していた。



CDSの負の連鎖――AIGの場合



CDSとは次のようなシステムだ。

「銀行AがB社への一億円の貸出金(債権)を保有していたとしましょう。銀行Aは、B社の決算の分析などをしているうちにB社が本当に貸出金を返済してくれるかどうか心配になってきたとします。そんな場合に、銀行Aの心配を取り除いてくれるのがCDSです。いわば『倒産保険』みたいなものです。仕組みはこうです。CDS契約を結ぶのは銀行Aと金融機関Cです。仮に契約期間を5年とすると、銀行Aは金融機関Cに毎年、貸出金の1%に当たる100万円を『保険料』として払います。B社が倒産しないまま生き残れば、保険料は金融機関Cの利益になります。銀行AにとってCDSの効果が発揮されるのは、B社が倒産した場合です。仮に契約最終年の五年目にB社が倒産し、銀行Aが一銭も貸出金を回収できなかったとすると、金融機関Cは「保険金」として元本の一億円を銀行Aに支払うのです」(中空麻奈、前掲)。

この保証によって銀行Aは、貸し渋りなどをすることなくリスクから逃れられる。CDSの利用者は07年には62兆ドル(約6200兆円)にまで拡大した。



だが、こうしたCDSをあつかう、アメリカ最大の保険会社AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)はこのCDSの支払い不能によって経営破綻に直面したのであった。



この顛末は次のようである。

「AIGはCDS契約を引き受けることで保険料の受け取りが積み上がり、利益が伸びます。「保険料」を支払う必要がないからです。

ところがサブプライム危機が起こると事態は一変しました。まず、ハプニングが発生します。米住宅金融公社(GSE)が20089月に政府管理下に置かれることになりましたが、そのさい国債スワップ・デリバティブス協会(ISDA)が何とそのことを「倒産」に該当する事象が起こったと認定したのです。ISDAは、CDS契約で何が倒産事由に当たるかを中立の立場で決める公的な機関です。倒産事由に当たると認定すれば、CDS取引で支払うべき「保険金」の金額のもとになる清算価格も決定します」。

こうして「GSE債に「保険」をかける意味でCDS契約を結んでいたプロテクション(保護――引用者)の買い手に、AIGは保険を支払わなければならなくなったそこへリーマンの破産がおきます。もはやこれは、AIGにとっては非常事態以外の何者でもありませんでした。AIGはリーマンを対象にしたCDS契約を多く引き受けていて、保険金の支払いが急膨張することが確実になってしまったからです。」「AIGが破綻に追い込まれたら、どうなるでしょう。AIGとCDS契約を結んでいた相手方は、それまで信用リスクをAIGに移転していたと信じていたのに、それが移転できていなかったことになります。つまり、リスクは相手方にあり、その相手方の信用リスクが増してしまうことになります。仮に、相手方が別のCDS契約ではプロテクションの売り手になっていたとしたら、相手方の信用リスクが増大することは、そのプロテクションの買い手にとっても信用リスクが上昇することになってしまいます」。

そこからくる信用リスクの増大により、「次から次へと続く信用リスクの悪循環が起こってしまいます。これは最悪の場合、AIGが破綻したら、他の金融機関も支払い不能になる連鎖倒産の可能性さえありました。こういうことが予測されたため、米当局は救済を決めたのです」(中空麻奈、前掲)と。



まさにかかるCDOの破綻は、CDSを発行した金融機関などにCDS契約による損失補償のための支払いのため、資金繰りを増大させたが、そうした支払いができなくなったCDS発行金融機関・保険会社などの破綻が展開されていくことになったのである。リスクを回避するために開発された金融商品であるデリバティブが、リスクのバネに転化したことになる。



こうしたサブプライム・ローン証券化商品の暴落は、他の自動車ローンなどの破綻――これらローン債券の不良債権化に展開し金融機関の経営危機を招来することとなった。例えば、そのことは自動車をローンで買うために住宅ローンを担保にするというようなケースが増大したためである。ホームエクイティローンという住宅の正味価値を担保にした使途自由のローンにより、住宅価格が上昇しているときには、そこから資金を借りることができ、その資金で自動車ローンをくむことができたのである。

こうしたことがマイナスに連鎖することによって、自動車バブルも崩壊したのである。



経営破綻の展開



まさにこのように、住宅バブルの崩壊で債務者の債務不履行の激発をつうじた、証券の不良債権化をつうじ、関連証券を扱っていた証券・金融会社は損失、倒産の危機にいたった。



20087月には、米国最大手の住宅金融会社、連邦住宅金融公庫(ファニイメイ)と連邦住宅貸付公社(フレディマック)が経営破たんした。そして大手証券会社リーマン・ブラザーズの倒産を通じ国際的に各国の株式市場に打撃をあたえ世界的な危機を醸成させているのだ。そして9月、連邦住宅金融公庫(ファニイメイ)と連邦住宅貸付公社(フレディマック)は事実上国有化した。

この9月、大量の不動産資産・資産担保証券(6300億ドル相当)を保有・運用していた大手証券会社(株式・債券のセールス、投資銀行業務など)リーマン・ブラザーズが倒産。同社の債券などを保有する銀行に大規模な損失が発生した。



破綻への展開ケーススタディ



リーマンは08年、6―8月期、不動産関連の評価損約6000億円(56億ドル)を出して約4200億円の赤字を計上した。このため資産売却の検討に入った。この年の7月MBSの格下げ(ムーディーズ)が大きく影響したのである。

7~8月、リーマンが住宅ローン関連で巨額の評価損を出した事に対し、ムーディーズは「リーマンの長期債務格付け(債務履行能力の度合い)の格下げ」を発表した。リーマンは「商業銀行の保有するトリプルAのMBS3800億ドルでうち1100億ドルに、また海外投資家の保有額4130億ドルの内1180億ドルにリスクがある」と表明。これらをつうじて9月にはリーマン株が急落。S&Pなど格付け会社がリーマンを格下げし、ムーディーズが「リーマンの格付け維持には過半数株売却や身売りが必要」と表明。こうしてリーマンは破産したのである。

このリーマンショックでのCDS保険の支払いの困難化問題などでAIGの経営が危機に陥り、AIGは政府管理下に入り、連邦準備銀行から5年間600億ドル融資、150億ドルの公的資金投入を受けることになったのである。

日本への影響も大きかった。日本の大手銀行は、リーマンへの融資で推計27億ドル2900億円の債券を保有していた。その一部のみの回収しか見込めなかった。また地銀への影響も大であった。



まさに世界には日本の国家予算をこえる100兆円のCDOが流出している。アメリカの住宅金融会社は100社以上が倒産、米最大の銀行シティ・グループは破綻の危機に直面し公的資金投与をうけた。メリルリンチなどは経営破たんしバンク・オブ・アメリカに吸収された。

また特別目的会社として親会社からの出資や、大量に保有したCDO、RMBSを担保にABCP(資産担保コマーシャルペーパー)を発行し短期資金を調達していたSIV(ストラクチャード・インベストメント・ビークル。銀行がリスク資産を消すために会社本体と分離させることを狙った事業体で、07年危機以降、自力での資金調達ができなくなったため銀行本体に解消した)にも経営破たんが続出した。



例えば日本でもみずほ銀行は20075月に保有していた500億のサブプライム保有額を9月には1000億に増加させた、こうして多額の損失を出している。野村證券もそうだ。日本全体では1兆3000億のサブプライム・ローンが保有されているといわれているが、6000億円からの損失(2008年次推計)が予測されてきたのである。



こうして起こった世界金融危機をつうじた大不況、グローバリズム的連鎖、日本も自動車業界や大手電気メーカーの不況と解雇攻撃にはじまる大不況の波にさらわれているのである。



ブッシュの戦争政策のための経済主義的国民統合の破産



同時にこのことは低所得者層に、むりやりの押し売りをも含んだサブプライム・ローンの強力な販売をつうじ、「労働力の金融化」をもって、労働者階級からの金融的収奪を土台に、住宅バブルをつづけ、対テロ戦争国家の経済成長をつづけ、また、住宅バブルをつうじた経済主義的国民統合を展開しようとした米帝国主義の経済的な失策にほかならない。

ブッシュ政権はまさに、このサブプライム危機によって陥没したのであった。



「カリフォルニア、フロリダ、ネバダはすごい状態です。30~50%の住宅ローンが担保価値割れした水没状態です。オバマに投票した激戦区のいくつかは水没状態。経済危機がいかに深刻か、個人に打撃を与えているかが見えます」(金子勝「金融資本主義の終焉」『情況』09・1-2月号)。



まさにオバマ政権による戦争政策・経済政策の一定の転換(イラク撤兵政策、排ガス規制などを先鞭としたグリーン・ニューディールなど)はそれをうけての、景気回復策にほかならない。



金融工学のこのような破産は、市場における貨幣供給量をより大量につくりだすことが、限られた富を、最大多数の人々に平等に分配することになるというマネタリズムの考え方にもとづき、その考えを金融取引において組織したものだということができる。



そして、まさにこのような金融工学の破産によって現出した金融危機の結果、生産は過剰生産となり、資本の過剰=商品の過剰という現象、大不況が現出してしまったのである。



アメリカの成長神話の破産



その破綻の問題の根幹には、資本主義の必然的な景気循環がはたらいている。



住宅バブルの前には、IT景気などにささえられたニューエコノミーブームがあった。そこでは、〈生産性の上昇によって米国経済からは景気循環が消失してしまい、インフレなき長期景気拡大が実現、情報技術の発展による在庫管理の効率化、規制緩和による企業間競争、労働市場の柔軟化などが理想的な経済構造をもたらした〉とされる、ニューエコノミー論が登場した。



(例えばこうした考え方は、金融工学の前提でもある。CDOなどの証券化商品の考案は景気の上向きがずっとつづくという設定でしかなされないものだった。景気下降のなったときの反転が考慮されないことになる)



住宅・不動産ブーム――サブプライム・ローン政策は、このような経済成長の心理にも支えられながら、市場原理主義をつうじ貨幣供給量の回転をあげる、収益の流動性、貨幣流通をアップさせてゆくという考え方にもとづき、証券化商品にみられるような投機資本主義を展開してきたのである。



しかし、こうした投機資本主義もまた、その実体の力量は、剰余価値の搾取による資本蓄積を土台とする以外ない。今回のサブプライム問題における「労働力の金融化」(の限界)とその破産という場面こそは、その実質的資本蓄積が資本主義の運動をあくまで、規定しているのだという、そのことを明確に示しだしたのである。



そしてこのような金融危機はアメリカが、日本や中国に国債をかわせるなどして世界から集めてきた資金を、アメリカの金融市場で増殖して、これを国外に流出させ、投資を誘導してゆくというサイクルを機軸として、ドルの基軸通貨性を確保してきた、そのサイクルの破綻の危機が現出してしまっていることを意味する。



過剰生産力の形成(過剰資本)を根幹とした景気循環の必然性



そもそも資本主義は、好況期の生産力の過剰にもとづく景気循環をのがれることはできない。



そこでマルクスがつぎのようにのべていることは、確認しておこう。

「信用の発達につれて生産過程をその資本主義的制限を乗り越えて推進することの必然性、過剰取引や過剰生産や過剰信用が発達せざるをえないのである。それと同時に、これはまた、つねに、ある反動を呼び起こすような形で起こらざるをえないのである」(『資本論』第三巻、マルクス・エンゲルス全集25b)。

つまり資本主義の過剰生産とそこからくる反動としての、歴史的にいろいろな状態を示しだす恐慌や不況は、それこそが資本の運動なのである。そのようなものの一つとして住宅バブルの崩壊から大不況への展開ということが現象してきた。その様相は、以上にわれわれが見てきたとおりである。



ここでマルクス経済学の経済学原理論でいわれている景気循環の代表的なシナリオを書いてみる(拙著では社会評論社刊『アウトノミーのマルクス主義へ』「第二部1.「資本の専制賃金奴隷制と資本の労働処分権」参照)



好況期における過剰生産の展開によって、設備費や賃金の上昇によって、資本家の利潤になる部分の割合(利潤率)が相対的に低下することに対応することからも、利潤部分を引き上げようとする資本は、銀行からの借り入れをもって過剰生産を続けようとする。だが過剰生産には限界がある。販売は頭打ちとなる。結果、銀行は産業資本家への資金の貸し出しを抑制(利子率の上昇という形で)する。商品交換はすべて産業間でいろいろ連関しているから、全社会的な商品の過剰、資本の過剰などを現象し、投売りがはじまり、最後は経済は麻痺、恐慌が起こる。



このように資本は何らかの理由で過剰な資本投下による過剰生産をつづけることになるのである。



これにつづく不況期には合理化と労働賃金の低下を根拠に、資本は生産設備などを刷新し、過剰生産力を消化する市場をつくり、新たな資本蓄積を開始しようとする。不況期から好況期への過程では不況期に排除された労働力を雇い入れ好況期を準備する。それは、資本が利潤をよりおおく生産するためになされるが、ふたたび過剰生産問題が襲ってくるということだ。以上がシナリオのあらましである。



結局、労働者は資本主義のこの循環においては、労働力商品として、資本にとって必要な生産力として存在するにすぎない、ということだ。そもそも労働者階級は、資本主義がつづくかぎり、こうした景気循環に左右された人生をおくりつづけることになる。



今日の「恐慌」、大不況もまた、こうした過剰生産力の形成を軸としてあらわれているものだ。



次に過剰生産を資本の無政府性から説明したものを例にとろう。



「『過剰生産に基づく資本主義固有の矛盾』とは何か。ごく簡単にいえば、それは要するにひたすら利益最大化を求めて生産を拡大する供給側と、そうして造りだされたモノを吸収する能力におのずと限界がある需要側との間に生じるミスマッチである。このミスマッチが耐えがたいところまで来て「爆発」し、価格や雇用という経済活動の基盤部分に破壊的な力が襲いかかり、『最悪の経済状態』が現出するというわけである。」(浜矩子『グローバル恐慌』岩波新書)

まさに住宅バブル・建設ラッシュもそういうことだ。この過剰生産と相互作用する過剰投資・証券化商品の多様な販売が過熱したわけである。



「金融証券化が生み出す合成の誤謬の中で、市場参加者たちがお互いにリスクを押しつけあった、我勝ちに危ない橋を渡る金融機関たちは、そうすることで、結局のところ、危ない金融商品のいわば「生産過剰」を促していた。過剰生産化した金融商品に買い手がつかなくなり、それらが値崩れを起こし、市場が崩落した、この流れは古典的恐慌のそれに合致している」(浜矩子、前掲)ということだ。

だが、その背後には、商品の過剰のみならず、「資本設備の過剰」という問題があるだろう。

つまりここでの「古典的恐慌」という意味は、マルクス・エンゲルスなどが生き、それを分析したころの――そして、経済学原理論などでの「恐慌」の概念に含まれるところの、過剰資本を軸とした恐慌の概念に投影される事態だということだろう。


2019年8月9日金曜日

戦争と帝国主義に関する考察――戦争問題の≪古典≫としてのレーニン「戦争と革命」を読む  渋谷要




戦争と帝国主義に関する考察――戦争問題の古典としてのレーニン「戦争と革命」を読む  渋谷要


(★★内容更新コメント)
以下のレーニンの講演『戦争と革命』では、宇野弘蔵による指摘、レーニン『帝国主義論』における「初期独占」と「帝国主義的独占」の混同は、ある程度、イギリス型とドイツ型の区別の確認としては、払しょくされているのではないか。詳しくは、本ブログでは「『帝国主義論の方法』について――宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート」を参照のこと。



(リード
2019年現在、日米軍事一体化・沖縄辺野古―南西諸島軍拡をはじめとした日本帝国主義ブルジョアジーを一つの勢力として、アメリカ帝国主義の対イラン軍事外交(ホルムズ海峡危機)、中距離核戦力(INF)全廃条約失効(2019年8月~)などを先端としての、EU諸国、ロシア、中国、朝鮮、韓国―アジア諸国間を相互にリンクさせた帝国主義間軍事外交が、新たな段階を迎えている。
ここでは、世界資本主義の「帝国主義『段階』」(この「段階」は、レーニンの時代から現象形態をかえつつ、現在に至るまで本質的に続いていると、本論論者(渋谷)は、考えている)における反戦平和運動の<古典>をなす、レーニンの反帝闘争論から考えていく。



第一節 レーニン「戦争と革命」を読む



レーニン「戦争と革命」(1917年5月講演)について



一九一七年「二月革命」で、ツアーリ(帝政)権力が打倒され、右派エスエルとメンシェビキなどを中心とした「臨時政府」(ブルジョア革命派)と、ボリシェビキ(都市)と左翼エスエル(農村)を中心とした労働者・農民・兵士代表ソビエトの人民権力の二重権力状態になったロシア。その革命情勢のロシアに、四月、亡命地よりもどったレーニンはその年の五月、「戦争と革命」という講演をおこなった(レーニン全集第二四巻、大月書店、所収)。



 ソビエト(評議会)……二月革命ではブルジョア民主主義を目的とするものが多数意見だったが、しだいにプロレタリア革命を目指すボリシェビキへの支持が多数意見となってゆき、プロレタリア革命に傾倒して行く。レーニンたちは、このソビエト運動を策源として「赤衛隊」という労働者民兵運動を造った。これが一〇月蜂起の中心部隊になった。このときのレーニンらのスローガンが「全権力をソビエトへ!」である)



この講演は、勃発した第一次世界戦争(一九一四年~講演当時も戦争中)に対する社会主義者の立場をしめしたものである。その内容は本論論者(渋谷)の考えでは、革命的反帝闘争(この場合「革命的」とは、階級闘争の考え方を土台とした帝国主義戦争反対の闘いという意味)を組織し始めたレーニンら反帝国際主義者が、どのような政治内容(帝国主義本国における革命的「祖国」敗北主義という考え方)を形成してきたかを、総括したものとなっている。

レーニンによる「戦争とロシア社会民主党」(一九一四年発表)などでの「帝国主義戦争を内乱へ!」という、革命的「祖国」敗北主義(労働者人民にとって真の敵は国内にいる。それが戦争で利益を上げるため戦争に踏み込んだブルジョアジーだ。だから「自」国ブルジョアジー権力(「自」国帝国主義)を打倒しよう!という政治方針)の提起以降、レーニンは多くの意思統一文書を作り、革命運動を組織して行った。

「民族自決権について」(一九一四年発表)、「第二インタナショナルの崩壊」(一九一五年発表)、「帝国主義戦争における自国政府の敗北について」(一九一五年発表)、「社会主義と戦争(戦争に対するロシア社会民主労働党の態度)」(一九一五年発表)、「ツインメルバルト左派の決議草案」(一九一五年執筆)、「社会排外主義との闘争について」(一九一五年発表)、「日和見主義と第二インタナショナルの崩壊」(一九一五年執筆)、「革命的プロレタリアートと民族自決権」(一九一五年執筆)、「社会主義革命と民族自決権」(一九一六年発表)、「ユニウスの小冊子について」(一九一六年発表)、「マルクス主義の漫画および『帝国主義的経済主義』について」(一九一六年執筆)、「自決に関する討論の決算」(一九一六年発表)、「プロレタリア革命の軍事綱領」(一九一六年執筆。一九一七年発表)、「プロレタリア民兵について――遠方からの手紙 第三信」(一九一七年三月執筆)、「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」(四月テーゼ、一九一七年四月)、「ロシア社会民主労働党(ボ)第七回(四月)全国協議会」での「戦争についての決議」、「民族問題についての決議」(一九一七年四月発表)、「革命前にわが党は戦争についてどのような声明をしたか」(一九一七年五月発表)、「ボリシェビズムと軍隊の『解体』」(一九一七年六月発表)等々で、レーニンは、「戦争と革命」の問題での意思統一と論争をくりかえし行い、革命運動を組織して行ったのである。

(以上あげたレーニンの文献・文書は全て『レーニン全集』(大月書店)で確認したものである。その文書中にはレーニン死後、刊行図書に収録されたものもある。その場合、本論では、「執筆」時の年だけを記した。これは、その文書は党内に配布され、それで意思統一はされたが、当時は刊行物に収録されたものではないということを意味すると考えるべきものである。当時のレーニンらの国際非合法党活動の一端をその行間に見ないわけにはいかないだろう)。

 そして、その内容が理論的に整理されたものの一つとして、この「戦争と革命」の講演があると本論論者(渋谷)は考えている。

また、この講演は後述するように、ロシアでの一〇月革命(一九一七年)をボリシェビキ党に意思統一した政治文書であるレーニンの『国家と革命』(一九一七年執筆)と、併せて読むと、反戦平和に関してレーニンたち、当時の反帝反戦派が何を・どのように考えていたかが理解できる。

『国家と革命』には「マルクス主義の国家学説と革命におけるプロレタリアートの任務」というサブタイトルが付されている。これに対し「戦争と革命」に、そういう意味でのサブタイトルをつけるなら「レーニン主義の反帝思想と革命におけるプロレタリアートの任務」ということになるだろう。

それは後述するように、二一世紀現代においても現実の戦争問題に適用できる、普遍的な意義をもつものだ。



第一次世界戦争の構図



第一次世界戦争の諸相を、まずみてゆくことからはじめよう。

簡単にそして、一般的な認識をまずは、見てゆくということで、「広辞苑」から援用する。

「三国同盟(独・墺・伊)と三国協商(英・仏・露)との対立を背景として起こった世界的規模の大戦争。サラエヴォ事件を導火線として19147月オーストリアはセルビアに宣戦、セルビアを後援するロシアに対抗してドイツが露・仏・英と相次いで開戦、同盟側(トルコ・ブルガリアが参加)と協商側(同盟を脱退したイタリアのほかベルギー・日本・アメリカ・中国などが参加)との国際戦争に拡大。最後まで頑強に戦ったドイツも1811月に降伏、翌年ヴェルサイユ条約によって講和成立」。

この戦争といかに向き合うのか、レーニンは、一九一四年九月~一〇月に執筆した「戦争とロシア社会民主党」で、次のようにのべている。

「交戦国の一グループの先頭には、ドイツのブルジョアジーが立っている。彼らは、戦争をしているのは祖国と自由と文化を擁護するためであり、ツァーリズムに抑圧されている諸民族を解放するためであり、反動的なツァーリズムを破壊するためだと言い張って、労働者階級と勤労大衆をだましている。だが実際には、このブルジョアジーこそ、ヴィルヘルム二世をいただくプロイセンのユンカーのまえに平身低頭して、つねにツァーリズムの最も忠実な同盟者であったし、ロシアの労働者と農民の革命運動の敵であったのである。戦争の結末がどうなろうと、実際には、このブルジョアジーはユンカーといっしょに、ロシアの革命に抗してツァーリ君主制を支持することに全力を傾けるであろう。

実際には、ドイツ・ブルジョアジーは、セルビアを征服し、南スラブ人の民族革命を圧殺しようとして、セルビアに対する略奪戦役を企てたのだ。それと同時に、その兵力の大部分をより自由な国であるベルギーとフランスにさしむけ、このより富裕な競争相手(フランス)を略奪しようとしたのである。ドイツ・ブルジョアジーは、この戦争が自分の側からの戦争にとって最も好都合な彼らの見地から見て時機をえらび、自分たちの軍事機材の最新の成果を利用したのであり、ロシアとフランスによってすでに計画され、まえもって決定されていた新しい軍備の機先を制したのである。

交戦国のもう一つのグループの先頭には、イギリスとフランスのブルジョアジーが立っている。彼らは、ドイツの軍国主義と専制主義に反対し、祖国、自由、文化のために戦争をしているのだと言い張って、労働者階級と勤労大衆をだましている。ところが実際には、このブルジョアジーは、すでにはやくから何十億という金で、ヨーロッパの最も反動的で野蛮な君主制である、ロシアのツアーリズムの軍隊を雇い、ドイツ攻撃を準備していたのである。

実際には、イギリスとフランスのブルジョアジーの闘争目的は、ドイツの植民地を奪い取り、経済的発展の速度のすばらしくはやい、この競争国を破滅させることである。しかも、この崇高な目的のために。「民主主義的」な「先進」国は、野蛮なツァーリズムが、ポーランド、ウクライナなどをさらに圧殺し、ロシア革命をさらに弾圧するのをたすけている」というのが、この戦争の基本的な構図だった。



「戦争と革命」で言われていること(一)――この戦争は資本家のための戦争だ



(一)こうした戦争の構図に対し、レーニンはまず、考え方の提起から始めている。

「戦争の問題で人々がいつもわすれていて、十分な注意をはらっていない主要点……空っぽな、見込みのない、むだな論争がおこなわれている主要点、――それは、この戦争がどういう階級的性格をおびているか、この戦争はなにが原因でおこったのか、それを遂行しているのはどの階級か、どのような歴史上、経済史上の条件がそれらをひきおこしたのか、という根本問題をわすれていることである」と。レーニンは、それは「大衆集会や党(レニンのボリシェビキ――引用者)の集会」でも、そういうことがあるといっている。

 (二)そういう問題提起を踏まえて、レーニンは、戦争問題の基本的な分析視角を論じてゆく。

「マルクス主義……の見地から見て戦争をどう評価すべきか、戦争に対してどういう態度をとるべきかを、社会主義者が検討するさいの基本的問題は、なにが原因でこの戦争がおこなわれているのか、それを準備し指図したのはどの階級か、という点にある」とのべる。

そして、「われわれマルクス主義者は、あらゆる戦争の無条件の反対者のうちにははいらない」として、「社会主義社会制度」をめざす「革命戦争の可能性」に言及している。

 社会主義制度は「人間の階級分裂をなくし、人間による人間の搾取、ある民族による他の民族の搾取をことごとくなくすことによって、必然的に、およそ戦争のあらゆる可能性をなくすものである」が、そのためには、階級闘争が不可避であり、そのことに基づいた革命的階級によって遂行され、「直接の革命的意義を持つような戦争の可能性を否定することはできない」と断言している。

 (三)レーニンはそこで、いろいろに違った戦争の性格は、どのように認識されねばならないかを述べている。

 それは「戦争哲学と戦争史にかんするもっとも著名な著述家のひとりクラウゼビッツ」が言ったように「戦争は別の手段による政治の継続である」ということだとレーニンはいう。

 「どんな戦争も、それを生んだ政治制度と不可分に結びついている。ある大国、その大国内のある階級が戦争まえに長いあいだとってきたまさにその政治を、同じこの階級が、ただ行動形態をかえただけで、戦争中にもとりつづけることは必然であり、不可避である」ということだ。

 (四―A)レーニンはそこから、ヨーロッパの歴史を遡及して行く。

「ヨーロッパでは平和が支配していたが、この平和がたもたれていたのは、幾億の植民地住民に対するヨーロッパ諸国の支配が、恒常的な、不断の、けっしてやむことのない戦争、ただしわれわれヨーロッパ人が戦争とは考えない戦争によって、実現されていたからである。というのは、それらは、あまりにもしばしば、戦争というよりは、むしろ、もっとも凶暴な殺戮、武器をもたない人民の皆殺しに近かったからである。ところで要点は、まさに、今日の戦争を理解するためには、われわれが、なによりも、全体としてのヨーロッパ列強の政治を概観しなければならないという点にある」とのべ、第一次世界戦争を階級的に解明する方法を示している。

 (四-B)その場合、注意すべきことは次のことだ。

 「個々の例、個々の場合をとりあげてはならない。そんなものは、社会現象のつながりからいつでも容易に切り離してとりだせるのであって、なんの値うちもない。なぜなら、反対の例をあげることもまた容易だからである」という。

 この事件から戦争は始まった、というお決まりの言説だ。そこには、戦争の真の原因はない。

(五)では、どのように、分析の視角をつくればいいのか。レーニンは言う。

「いまわれわれが見るのは、なによりも、資本主義列強の二つのグループの同盟である。……世界最大の資本主義強国のすべて――イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ――であって、これら大国の全政治は、数十年もの間、全世界をどのように支配するか、弱小民族をどのようにして圧殺するか、全世界を自分の勢力の鎖につないだ銀行資本の利潤をどのようにして三倍にも一〇倍にも確保するかということをめぐる、不断の経済競争にあったのである。イギリスとドイツの実際の政治は、ここにある」と。

 そうした世界最大の二つのグループ、イギリスとドイツがそれぞれの同盟国をひきつれて、展開してきた数十年の間の実際の歴史を理解することがないなら、「今日の戦争についてなにも理解できない」と提起している。

(六)ではこの二つのグループの実際の政治とは何だったか。レーニンはそれらのグループの足取りをつぎのように概観する。

 「この政治は、われわれにただ一つのことを示している。二つの最大の世界的巨人の、資本主義経済の、たえまない経済競争がそれである。一方にはイギリスが、すなわち、地球の大部分を領有する国家、富の大きさで第一位に立つ国家がある。それは、自国の労働者の労働によるというよりも、むしろ主として無数の植民地の搾取により、イギリスの銀行の無限の力によって、この富をつくりだした。……しかもそれらの巨大銀行は巨額の金を自由にしているので……イギリス資本の数千の糸に巻きつけられていないような土地はひとかけらもないと言ってもけっして誇張ではないのである。この資本は、十九世紀の終りから二十世紀の始めにかけて、非常に大きな規模に増大したので、前代未聞の富をもった巨大銀行グループを結成して、個々の国家の国境のはるかかなたにその活動をうつした」。

 レーニンは、この資本の世界性こそ、イギリスとフランスの経済政策の基本的なものだとのべている。そしてフランスの全世界的な高利貸資本主義としてのイメージなどを紹介している。

 これに対抗するのが、ドイツだ。

「他方では、イギリスとフランスを主とするこのグループに対抗して、資本家のもう一つのグループ、いっそう略奪的で、いっそう強盗的なグループが進出してきた。これは、席がすっかりふさがった後で資本主義的獲物の食卓についた資本家たち、だが、資本主義的生産の新しいやり方、よりすぐれた技術を闘いにもちこみ、また、古い資本主義、自由競争の時代の資本主義を巨大なトラスト、シンジケート、カルテルの資本主義に転化させる比較にならない組織を闘いにもちこんだ資本家たちのグループである。このグループは、資本主義的生産の国家化の原理、すなわち、資本主義の巨大な力と国家の巨大な力とを単一の機構に――幾千万の人々を国家資本主義の単一の機構に――結合するという原理をもたらした」。

レーニンは、この二つの資本家グループの「経済史」「外交史」だけが、「戦争問題の正しい解決の道をあたえ、そして、この戦争もまた、この戦争で連合した諸階級の政治の産物であり、戦争のはるか以前に、全世界に、すべての国に、自分の金融的搾取の縄を張り、戦前に世界を経済的に分割した二大巨人の政治の産物であるという結論に、諸君を導くのである」。そして、重要なポイントをレーニンは、次のように、明らかに強調した。

「かれらが衝突せざるをえなくなったのは、この支配の再分割が資本主義の見地から避けられなくなったからである」と。

 この「再分割」ということが、この戦争の一番のポイントである。

これまでの分割は、イギリスが、かつての競争相手を没落させてきたことにもとづく分割だったとレーニンは言う。そこにイギリスより、急速に発展してきたのがドイツ資本主義だった。それは「若くて強力な略奪者の発展であった」と。

さらに続けて言う。

「この戦争は、ドイツ人とイギリス人がアフリカで、イギリス人とロシア人がペルシアでやった――彼らのうちのだれが多くやったかは知らないが――、侵略と、幾多の民族の射殺と、前代未聞の野蛮行為という政治の継続である」。

「そしてイギリス人とロシア人がペルシアを侵略したり、射殺したりしたので、ドイツの資本家は彼らを敵視した。君たちは金持ちだから強いというのか? だがわれわれは君たちより強い。だから、我々は略奪をする同じ「神聖な」権利をもっている。戦争にさきだつ数十年のイギリスとドイツの金融資本の実際の歴史は、要するにこういうことになる」。これが実際の政治であり、その別の形での継続としての「戦争」になった関係性だ。それは一方的な関係ではなく、相互媒介的な対立関係だ。

「ロシアとドイツの関係、ロシアとイギリスの関係、ドイツとイギリスの関係の歴史は、要するにこういうことになる。戦争の原因を理解する鍵は、まさにここにある」と。

「それだから、戦争が勃発した原因について一般に広められている歴史は、ペテンであり、欺瞞である。金融資本の歴史をわすれ、この戦争が再分割をめぐって熟してきた歴史をわすれて、人々は事態をつぎのように描いている。二つの民族が平和にくらしてきたが、あとになって一方が攻撃したので、他方が防衛し始めたのだと」。だが、「ロシアの歴史も、イギリスの歴史も、ドイツの歴史も、全歴史が併合をめぐっての、間断ない、情容赦ない、血なまぐさい戦争」の歴史であるとレーニンは論じている。

(七)ここから、レーニンは、戦争の双方の当事者たちが、民族・領土の併合の問題や「自由のための戦争」などと自分たちの戦争を、いかに「正当化」しているかを暴露して行く。

(七A)ここに排外主義の正当化の論理と、そのペテン性・欺瞞性が浮かび上がる。

 レーニンは言う。

「領土併合の問題について論争するとき……略奪物の分配、もっと一般向きに言えば、二組の強盗団によって略奪された獲物の分配であることが、いつもわすれられている」。対立するAとBの場合、AはBの「併合がどういうものであるかをりっぱに説明してくれるだろう」。だが、すべての相対立する強盗団の略奪(併合)に対して、すべてに「あてはまるような併合の一般的な定義」は。けっしてあたえることはできない。

「なぜなら、この戦争全体が、領土併合という政治の継続」、双方の侵略と、「資本主義的強盗の政治の継続だからである」。「だからこそ、これら二人の略奪者のうちどちらがさきに刀を抜いたかという問題が、われわれにとってなんの意義ももたないのは、わかりきったことである」。

「戦争をしているのは人民ではなくて、政府である」。それは資本家の政府だ。「彼ら王冠をかぶったこれらの強盗は、すべて同類である。……資本家の支配をうちたおし、労働者革命をなしとげる以外は、それからのがれる道はない。これこそ、わが党(ボリシェビキ――引用者)が戦争の分析から到達した回答である」。

 他国(の資本家政府)からの侵略にたいして「自由のために闘っている」ということが、自国の資本家政府の戦争に従っていることを意味するなら、それこそが、社会排外主義である。それは「自由のための闘い」ではなく、片方の強盗団の仲間となって、帝国主義戦争を帝国主義戦争として戦うことに、参加しているだけだ。

 この場合の「社会排外主義」の定義だが、レーニンは、「社会主義と戦争」(一九一五年発表)で、次のように述べている。

「社会排外主義とは、この戦争における『祖国防衛』の考えを擁護することである。さらにこの考えからは、戦時には秋級闘争を放棄し、軍事公債に賛成投票するなどという結論が出てくるのである」。「すべての交戦国の社会主義者の一様な『祖国防衛』権をみとめている者も、社会排外派の仲間である。社会排外主義は、実際には『自国』の(あるいは一般にあらゆる)帝国主義的ブルジョアジーの特権、優先権、略奪、暴力行為を擁護するものであるから、あらゆる社会主義的信念とバーゼルの国際社会主義者大会の決定とを完全に裏切るものである」。

 この場合のバーゼルの決定とは、一九一二年の第二インターの「バーゼル宣言」のことだ。

レーニンはその宣言の核心を「自国の政府に反対して国際的な規模でおこなわれる労働者の革命的闘争の戦術、プロレタリア革命の戦術を、まさに今の戦争のために策定している。……社会主義者は戦争によって生み出される『経済危機と政治危機』を利用して『資本主義の没落を促進』しなければならないという」ことだと説明する。

(七B)こうした社会排外主義の言説に関節して「戦争と革命」では、「革命的祖国防衛主義」の問題点について、レーニンはつぎのようにのべている。

「『革命的祖国防衛主義』と称するものは、われわれは革命をおこなった。われわれは革命的人民だ。われわれは革命的民主主義派だ、という口実で、戦争をおおいかくすもののことである。「われわれは、ニコライを退位させた」と。だが「わが国の革命のあとで、だれが権力をにぎったか? 地主と資本家である。すなわち、ヨーロッパでは、ずっとまえから権力をにぎっている連中である。……条約はそのまま、銀行もそのまま、利権もそのままのこった」。政府は変わったが「世界戦争の性格には、まったくなんの変化もなかった」。結局「革命的祖国防衛主義者」は、「血なまぐさい戦争を、革命という偉大な概念によっておおいかくすものにすぎない」と述べている。

 (七C)レーニンは、この文脈からかなり後の方で、「アメリカ民主主義」の参戦については、次のように述べている。

 「人々は、アメリカには民主主義があり、そこにはホワイト・ハウスがあるということを引合いにだしている。だが、奴隷制がたおれたのは半世紀もまえのことであった」。そのアメリカ合衆国では、それ以降、「億万長者が成長」し、「その金融で、アメリカ全体をにぎりしめており……また、不可避的に、太平洋の分割をめぐる日本と戦争するようになるだろう。……アメリカの参戦の真の目的は、未来の対日戦争の準備である。……アメリカの資本家にとっては、弱小民族の権利を守るという崇高な理想のかげにかくれて、偉大な常備軍を創設する口実をえるために、この戦争に介入することが必要になったのである」。

 レーニンは、一九一七年という時間点で、すでに、日米戦争を確定的な事項として記述している。日本の真珠湾奇襲から日米戦争がはじまたという言説の没階級性が、指摘されるべきだ。それはまぎれもなく、帝国主義間戦争だった。それを米帝だけではなく、日本の共産主義者、反戦派としては、大日本帝国も「大東亜共栄圏の形成」などとしてアジア侵略戦争を展開し、まさに準備していったことを指摘するべきである。





「戦争と革命」で言われていること(二)――資本家のための戦争は、労働者革命によってのみ終わらせることができる



(一)レーニンは、この講演で、では戦争は、どのように止められるのか、終わらせることができるのか、ということを述べている。

そのポイントは、世界を分割支配する・他国他民族を併合する必要がない階級が権力をにぎるということだ。

 「ロシア革命(二月革命のこと――引用者)は戦争を変えはしなかったが、しかしそれは、どの国にもない、西ヨーロッパの大多数の革命にもなかった組織をつくりだした。……この事実のうちに、革命が戦争にうちかちうることの萌芽がある」。「この事実とは……全ロシアにわたって労働者・農民・兵士代表ソヴェトの網があることである」。「これこそ、実際に併合を必要としない階級、幾百万の金を銀行に投じていない階級、おそらく、リャホフ大佐とイギリスの自由主義的な大佐がペルシアを正しく分割したかどうかなどということに関心をもたない階級の組織である。ここにこそ、この革命がもっとさきへすすみうる保障がある」。

こうした階級の組織が中心となって、革命を最後まで貫徹できるか?そこに戦争を終わらせるカギがある、というのがレーニンのいいたいことだ。

「すべての国の資本家が遂行している戦争は、これら資本家に対する労働者革命なしにはおわらせることができない。統制(銀行に対する・ブルジョアジーの経済活動に対する――引用者)が言葉から実行へうつらないうちは、また資本家の政府にかわって革命的プロレタリアートの政府がうちたてられないうちは、政府は、破滅だ、破滅だ、破滅だ、としか言えない運命にある」、つまり、破滅がしたくないなら戦争だということであり、戦争は終わらないということだ。

 レーニンはここで、そうした革命は容易なことではないと、その闘いの重要性を次のようにも指摘している。

「いま、『自由な』イギリスでは、私と同じことを言ったというかどで、社会主義者が投獄されている。ドイツでは、私と同じことを言ったために、リープクネヒトが投獄されている……」。だが「すべての国の労働者大衆の同情は、このような社会主義者に寄せられており、自国のブルジョアジーのがわへうつった社会主義者には寄せられていない。労働者革命は全世界で成長しつつある。もちろん、他の(ロシア以外の他の――引用者)国々ではそれはもっと困難である」。

「全世界で、社会主義者は分裂した、一方は閣内におり、一方は獄中にいる」。

だが、労働者革命だけが戦争を終わらせることができる。

 その場合、労働者革命は、つぎのように展開するべきだとレーニンは述べている。

「ロシアの革命的階級である労働者階級が権力をにぎったら、彼らは講和を提案しなければならない。そして、もし、ドイツあるいはその他どこかの国の資本家がわれわれの条件に拒絶の回答をしたら、ロシアの労働者階級はあげて戦争を支持するだろう、と。われわれは、一方のがわの意志だけで戦争をおわらせるというような不可能な、実行できないことを、提唱したりはしない」。

 ではどうするか。この講演と同じ一九一七年五月にボリシェビキの新聞『プラウダ』に発表した「革命前にわが党は戦争についてどのような声明をしたか」(レーニン全集第二四巻、大月書店、所収)では、レーニンは次のように述べている。

「われわれは、講和が受け入れられず戦争が継続される場合、「そうなれば、われわれは革命戦争を準備し、遂行しなければならないであろう」とのべ、その内容を次のように展開している・

「もし革命によってプロレタリアートの党がこんにちの戦争で権力につくようになったなら、党はなにをするか、という問題に対して、われわれはこう答える。われわれは、植民地と、すべての従属的な、抑圧されている完全な権利をもたない諸民族との解放を条件として、すべての交戦国に講和を提議するであろう。ドイツも、イギリスとフランスも、いまの政府のもとでは、この条件を受けいれないであろう。そうなれば、われわれは革命戦争を準備し、遂行しなければならないであろう。すなわち、断固たる措置によってわれわれの最小限綱領を完全に実現するばかりでなく、いま大ロシア人に抑圧されているすべての民族、アジアのすべての植民地・従属国(インド、中国、ペルシア、その他)を反乱に立ち上がセルことを系統的にはじめ、さらにまた――まず第一に――ヨーロッパの社会主義的プロレタリアートを、自国の政府に反対し自国の社会排外主義者にさからって、蜂起に立ち上がらせるであろう。ロシアにおけるプロレタリアートの勝利が、アジアでもヨーロッパでも、革命の発展にとって異常に有利な条件をもたらすであろうことは、なんの疑いもいれない」。これは、一九一五年十月十三ン日付の『ソツィアル・デモクラート』第四七号に「編集局」の名で掲載したテーゼからレーニンが引用しているものだ。

レーニンは「戦争と革命」の講演を次のように、しめくくっている。

「権力が労働者・兵士・農民代表ソヴェトの手にうつったとき、資本家は我々に反対をとなえるだろう。日本も反対、フランスも反対、イギリスも反対、すべての国の政府が、反対をとなえるだろう。資本家はわれわれに反対するだろう。だが、われわれには労働者が味方するだろう。そのときに、資本家がはじめた戦争に終わりがくる。これが、どのようにして戦争を終わらせるかという問題にたいする解答である」。



レーニン反帝思想の筋書き



 以上をまとめると次のようである。

第一次世界戦争は帝国主義戦争である。この戦争は資本家階級がはじめた。

この戦争は、帝国主義諸国の資本家階級とその国家により「分割」支配された植民地・従属国諸国への抑圧と収奪の結果である。帝国主義諸国間の植民地・市場などに対する世界「再分割」を争う、植民地・領土乗っ取りの取り合いの戦争だ。

帝国主義国のブルジョアジーから利益分配にあずかっていた労働官僚などの日和見主義的社会民主主義潮流は「祖国防衛」の「美名」で、この戦争に加担する社会排外主義となった。

この戦争をおわらせるのは、交戦間諸国の労働者階級による「内乱」である。「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」というスローガンで闘うことだ。

⑤―aこの「内乱」の意味は、例えば今日の「シリア内戦」のようなことではなく、資本家階級がはじめた戦争は、労働者階級の「労働者革命」によって、おわらせる以外ないということだ。これが「革命的祖国敗北主義」と革命派が言っている意味であり、単に「自国が敗北すればいい」ということではない。対立する両交戦諸国間の労働者階級にとって、戦争の真の敵は、外国にいるのではなく、戦争を始めた国内のブルジョアジー権力である。

-bブルジョアジーは、交戦諸国間の労働者階級を「兵士」に駆り出し、殺し合わせることで、利益をえようとしている。戦争でもうけるのはブルジョアジーであり、労働者階級は戦勝国においても、戦死とひきつづく搾取と収奪がまっている。

この戦争は、戦争当事国(帝国主義抑圧国)の労働者革命と、帝国主義抑圧国に支配されてきた被抑圧民族・植民地人民の、帝国主義国家の支配からの解放を求める革命(民族解放闘争)の結合によってやめさせることができる。それは全交戦国を巻き込んで、一国的には内乱を、国際的には革命戦争を準備する。帝国主義抑圧国の労働者人民は、被抑圧国の帝国主義抑圧国からの「分離の自由」(民族自決権・自己決定権)を無条件で承認すべきである。

だから「戦争か、革命か」が問われている。この革命で成立する人民権力は「労働者・農民・兵士代表ソビエト」という全人民の自治・自己権力である。

こうした革命は容易なことではない。戦争の全ての当事国で、反戦運動は弾圧にさらされる。だが、この方向でしか、戦争ブルジョアジーと社会排外主義に対して闘うことはできない。

 レーニンの反帝=革命思想は、以上のように、まとめられるものだ(本論では、この反帝=革命を容易でない状況下でおしすすめてゆくための組織論的領域の課題については省略する)。

  

第二節 帝国主義「段階」におけるレーニン主義革命思想の「普遍性」



廣松渉の分析視角



 以上の、レーニン反帝=革命思想の<歴史的位置性>について、マルクス主義者で哲学者だった廣松渉(一九三三~九四年)の立論を参照したいと思う。

廣松渉は『マルクスと歴史の現実』(平凡社、一九九〇年)の第六章「レーニンの革命路線」で次のように述べている。

「私の見るところ、レーニンが独自の立場を固めてからでも時代的な変容が認められますので、レーニンの革命論なるものを単純に定式化することはできませんし、周到に論じる場合には、時系列を追いながら情勢との絡みで討究する必要があります。彼の路線に特殊ロシア的な条件が影響していることはもちろんです。しかし、彼の革命論をロシア的な特殊性に還元してしまおうとする一部論者に与するわけにはいきません。レーニン主義はロシア的特殊性のバイヤスを免れないとしても、総じては帝国主義(金融独占資本主義)という新段階に即応して、マルクス主義の革命理論を再編したものとして、普遍的意義をもつものであったと認められます」(一七四頁)。

 廣松はそこでレーニンが、一九〇五年にメンシェビキと「訣別」したあとに打ち出した革命路線の検討からはじめている。

ここでは廣松が論述した「レーニンにおける帝国主義の段階論的把握と、それに相即する革命路線の設定、ロシア革命におけるそれの具現」について論じている箇所を読むことにしよう。

 「レーニンの中枢的な著作、いわゆる『帝国主義論』が、『資本主義の最新(最高)の発展段階としての帝国主義』という表題をもつことからも知られるとおり(いまここではヒルファーディングとの関係は措きます)、レーニンは『帝国主義』=金融独占資本主義をもって、資本主義の新しい発展段階――マルクスが『資本論』で描き出している産業資本主義とは段階的に区別される新しい発展段階――であることを自覚的に把えます。『修正主義者はマルクス主義の根本的見解にそむきながらも、放棄してしまった見解を、公然と率直にきっぱりと明瞭に清算することを恐れた』のでしたが、レーニンは自ら語る通り『マルクスの陳腐になった見解に異を唱える場合には、いつでも確然とかつ周到におこなう』という態度をとります。

 レーニンは資本主義が『変貌』したという事実を単に現象的に指摘するという域を超えて『資本主義の基本的な属性のいくつかがその対立物に変化しはじめている』ことを公然と認めます。その最たるものが、自由競争に代わって独占が現れたことです。『自由競争は資本主義と商品生産一般との基本的な属性であり、独占は自由競争の直接的な対立物である。しかるに、いまやこの自由競争が独占に転化しはじめたのである』とレーニンは言います。


こうして、資本主義という根本的規定性においては変化がないとしても、『基本的な属性』に及ぶほどの変化が生じ、それが対立物に転化しているのだとすれば、この資本主義に対する実践的な対応の仕方にも、当然、しかるべき変更が要求されます。けだし、この資本主義の『変化』は、上部構造にも射程が及ぶものであり、労働者階級をも含めて、諸階級、諸階層の動態に一定の変容をもたらさずにはおかないからです」。

 廣松はそこから、「ここでは、しかし、レーニン主義がマルクス主義の古典的な『了解事項』や命題にいかなる変更を加えたか、よってもって、マルクス主義をいかに発展せしめたか、その軌道を逐一辿るには及びますまい」として、「ここでは、差し当たり、次の諸点を追認すれば足ります」として、以下、レーニン主義のポイントと廣松が考える諸点を列挙している。



「暴力革命論」(組織されたゲヴァルトとしてのプロレタリア運動)の復権



廣松は第一に「暴力革命論の復権」である、と記している。

これは「帝国主義戦争と戦後の混乱期をとらえることによって平時には不可能な内乱・暴力革命が再度可能になっている」という認識から「帝国主義戦争を内乱に転化する」という方式の暴力革命が『必要』であり、かつ可能である」という認識・判断からいわれていることだ。

また、それは「プロレタリア独裁の理論と相即的に暴力革命論を復権した」ものとしてあったと廣松は論じている。

この「内乱」規定は、暴力革命の規定であることは明白であるが、その根拠は、もともとは、マルクス主義の国家論に理論的根拠をもっている。

レーニンの『国家と革命』での論理だてから言うならば、「国家とは階級対立の非和解性の産物」である。この国家を支配するものは「支配階級」であり、資本主義国家は「ブルジョアジーの国家」である。

資本主義国家は、「ブルジョアジーの階級支配」を維持・防衛する「公的暴力」の機関である。

この国家の変革は、改良では不可能であり、議会主義は幻想である。ブルジョア議会は数年に一回、支配者の政治委員会を選び変えるものにすぎない。

国家権力の基軸をなすのは、「公的暴力装置」たる「官僚的軍事的統治機構」だ。常備軍・警察・官僚組織などのことだ。

国家の変革はこの公的暴力装置を、全人民の武装蜂起で「破壊」することによって、これらを、ソビエト権力に転化することによって果たされる。

そのソビエト権力は「全人民武装」「立法府と行政府が一体となった行動的な機関」「コミューン官吏の即時リコール制度」「ソビエトの議員や職員の労働者並み賃金」など、一八七一年の「パリ・コミューン」の規定を踏襲するものだった。

そして、このソビエト権力が、「プロレタリア独裁」、つまり資本主義から共産主義社会――階級と国家の死滅した共同体社会――への「革命的過渡期」とされる「過渡期社会」の基本形とされるものである。「過渡期国家(死滅しつつある半国家)」、「労働者国家」、「世界プロレタリア独裁」などの表現がある。

私見になるが、ここで「全人民武装」とは、<人民主権にもとづく共和制=主権者の自己統治>という近代政治思想の革命論的再措定と理解すればいいのではないかと考える。

まさに、廣松が言う通り、「プロレタリア独裁の理論と相即的に暴力革命論を復権した」といえるだろう。



なお著者(渋谷)は、レーニン国家論の理論建ては、今日までにつくられてきたマルクス主義国家論の全体像から言ったとき、極めて「初期的」なものであり、多くの「不十分性」をもっていると考えている。それは、端的に言うならば、マルクス主義の国家論の中心的なテキストをなすマルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』の発見前のものである。その決定的「不十分性」については、拙著『エコロジスト・ルージュ宣言』第一章「資本主義国家批判の方法について――レーニン『国家と革命』の問題点と資本主義権力論」――社会評論社、文京区本郷、二〇一五年――を参照してほしい。なお、かかる「不十分性」を払拭する・補うことをつうじて、レーニン主義国家論・革命論を理論的知見として、あらたに発展させてゆくことも可能だろう)。



プロレタリア国際主義の復権



廣松はレーニン主義のポイントとして、第二に、「資本主義体制の「破局」の必然的な到来をあらためて確説したこと」である、と展開する。

これは「窮乏化論」「恐慌論」での破局論とは違い、資本主義国の発展の「不均等性」、帝国主義戦争の「必然性」、帝国主義国諸国の中の「弱い環」から体制的危機が深まってゆくという「弱い環の理論」によって、「新しいタイプの体制的破局の到来を基礎づけた」ものだ。

それは「帝国主義段階においては植民地が本国にとって生命線になることの洞見とも結合されており、植民地の――それ自体としてはブルジョワ民族主義的な――解放闘争が、帝国主義本国の破綻をもたらす要因となる」ことと結合して組み立てられている。

第三に「プロレタリアート・インターナショナリズムの回復である」。これは次の様である。

「マルクス主義運動は、第二インターの時代においてすら、国際主義の建前を崩したわけではなかったが、『国民生活』が帝国主義国家競争戦の勝敗に懸るという歴史的現実を反映して、労農大衆ですら排外主義的な民族意識にとらわれていた即自的な状態に追随し、世界革命の同時的遂行が見通せぬという条件に藉口しつつ、事実上ショービニズムに陥っていた。これに対して、レーニンは、上述の植民地解放闘争と本国革命との有機的な関係をも一契機としつつ、帝国主義戦争を内乱に転化するという形態における国際的連帯――世界革命の論理によって、プロレタリア・インターナショナリズムの実践的・理論的復権を遂行した」というものだ。

第四に、「中間的諸階層との積極的な同盟の理論である」。とくに「農民」との同盟(労農同盟)を強調する。「中間層を差し当たり彼らの現実の利害に即しつつ、プロレタリアートの周囲に結集する可能性と現実性を理論的に定礎し、同盟軍の理論を確立した」としている(一八四~一八六頁)。

以上、こうしたことを、一口で言うなら、帝国主義段階における「ヘゲモニーとしてのプロレタリア・インターナショナリズム」を体系的に表明・提起したということができるだろう。帝国主義の体制的危機と戦争を革命に転化すること、帝国主義本国の革命と植民地解放闘争の結合、労働者階級と中間層、とりわけ農民との同盟が、その場合、ポイントとなるものだ。



(※ この場合、労農同盟に関しては、革命ロシアでは、レーニンが指導していた時期において、ロシア内戦期(一九一八~二一年)、左翼エスエルやウクライナ・マフノなど農民戦争勢力とボリシェビキの間で、不幸な戦争がおこされ、自殺的な破壊がおきてしまった。その和解の道は永遠に閉ざされてしまった(ここでは、以上のような文学的(?)表現にとどめておく。詳しくは拙著では「ボリシェビキ革命の省察」、『エコロジスト・ルージュ宣言』第六章、社会評論社、文京区本郷、二〇一五年、参照)。

だが、レーニンが示した反帝・プロレタリア国際主義を、帝国主義列強との国際的な階級闘争における政治関係の中で明確に――<国際共産主義運動の戦略論のわくぐみ>として――破壊したのが、レーニン死後登場した、スターリン主義だったのである。そこではレーニンの「労働者革命」とは、真逆の政治路線が、ソ連派スターリニストによって展開されていったのである。




結語――帝国主義支配の様態変化に対応する戦争の様態変化



レーニンの時代の「帝国主義戦争」は、帝国主義国家間戦争と、帝国主義による植民地・後進国への侵略戦争というタイプの戦争であった。これは基本的に第二次世界戦争もそのようなタイプの戦争だった。それは「帝国主義国の市場再分割競争と植民地主義」という帝国種意義の支配様式に規定されたものである。

第二次世界戦争の戦後は、これにかわり、米ソ冷戦(帝国主義ブルジョアジーの支配する西側諸国と全体主義スターリニスト官僚が支配する東側諸国の冷戦)が世界情勢を規定する中、帝国主義ブルジョアジーの「新植民地主義」(植民地従属国の「政治的」独立をみとめつつ経済的には帝国主義本国の従属的下位社会として支配する。また、他の帝国主義国の企業や政府プロジェクトなどの経済的進出を、帝国主義国が相互に認め合う)を規定とする戦争の形態が展開した。

したがって、帝国主義国家間戦争は、一九四五年以降は、起きていない。

例えばベトナム戦争のような戦争。南ベトナムでのカイライ政権をつくりながら米帝国主義による南ベトナムやソ連の同盟国である北ベトナムへの侵略反革命戦争という「侵略反革命戦争」として展開されてきた。そしてこれと闘う国土防衛戦争としての南北ベトナムのベトナム革命戦争そしてこの革命戦争と同盟した、インドシナ反米革命戦争という事態が一九七〇年代中ごろまで展開し、革命戦争が全面的に勝利する事態となった。

そして、ソ連・東欧圏の崩壊以降、決定的には、イスラム過激派による二〇〇一年9・11米・ツインタワー破壊戦争によって、米帝はアフガニスタン戦争、イラク戦争を、米の自衛権の発動を正当性として開戦し、これにイギリスをはじめとする「有志連合」が参戦している。日本もその「有志連合」の中の一国となっている。この戦争は「対テロ戦争」と名づけられている。帝国主義の「侵略反革命戦争」の一つのタイプである。こうした戦争情況に日本の政府支配層が対応・協力すべく、また自らも参戦できるように「集団的自衛権」を成立させた。また例えば、米軍産複合体との軍事貿易を展開しているのである。日本はかつてない軍拡の時代に突入している。経済構造的には、グローバルな富裕層を頂点とした「投機資本主義」が規定力をもっており、この経済構造をもっと拡張して行くようなベクトルが日帝ブルジョアジーの経営創造のベクトルである。そしてこの一環に、武器輸出三原則の撤廃もあったのだ。

帝国主義国家の戦争は、世界の帝国主義国家がどの様な支配様式を形作っているか、国家と国家の関係で基本となっているものは何か、ということを立体的な基礎として、戦争の形態を常に変化させてきた。

現代は新自由主義グローバリズムの時代だ。そしてこのグローバリズムが世界中で起こしている貧困と抑圧のなかから、イスラム過激派などのテロが生み出され(それ自体、「カリフ制イスラム国建設」などの神話的プロパガンダを組織して存在しているが)、このイスラム過激派の戦争にたいする「対テロ戦争」が展開されている。しかし、この戦争は、イスラム過激派の拠点とされる都市や町、村を、米軍機などが空爆し、住民に多大な被害を及ぼしている。まさに、そこに住んでいる住民は、人間の平和的生存権を破壊された、無差別爆撃状態となっている。これは国家テロだ。また、その戦争では、多くの社会変革のために活動する人々、団体が被害を受ける。その国、社会の変革を破壊している。そして、アメリカ帝国主義やその有志連合の言いなりになるような、それらの帝国主義国家の軍産複合体などが大きな利益を上げられるような市場・社会関係をつくっていこうとしている。そもそも軍事産業にとって、作った兵器を使うことをしなければ、さらに新たな武器を量産して行くことには限界がある。戦争をして売り上げを上げなけば軍事産業は斜陽化する。「侵略反革命戦争」の意味は、そういう平和的生存権破壊・変革破壊・帝国主義的権益増長という目的をもった戦争ということだ。

古典的レーニン主義では「帝国主義戦争を内乱へ!」ということになるが、現在の民主主義の政治構造では、それは「内乱・内戦」という戦術を絶対化するのではなく、もっと多様な社会運動での選択肢があるだろう。
 ★問題のポイントは、「労働者階級人民にとって、対外戦争の敵は国内にいるブルジョアジーであり、支配階級だということだ」。帝国主義ブルジョアジーの戦争利権は、「万国の労働者、殺しあえ」として、労働者階級=賃金奴隷を戦争に動員し、殺し合いを強制し、戦争によってえた勢力圏・戦争利権を創造することにある。これに対し労働者階級は「万国の労働者、団結せよ。戦争を強制する政府を倒せ!」とする戦いを組織することだ。これが、一切の闘いの基本だ。
この一つのポイントにのっとった、反戦平和・反帝平和の運動が、多様に展開されることが、基礎のはなしでなければならない。(了)