2023年3月31日金曜日

ウクライナ「徹底抗戦」支持——全体主義ファシスト・クレムリンを打倒せよ!   渋谷要

※発行から一ヶ月以上経過しました。いろいろな事情で入手困難な方々がおられます。ここに、文章をアップします。  渋谷要

 雑誌『情況』(「第6期 創刊号」、2023 冬号。2023年2月23日発行)掲載 

『ウクライナ戦争論戦

ウクライナ「徹底抗戦」支持――全体主義ファシスト・クレムリンを打倒せよ!

                       著述業 渋谷要』

  

●はじめに――現在の戦況と抗戦闘争

2022年2月、ロシアのウクライナ侵略戦争が開始された。だが次第に攻勢に転じたウクライナ軍は11・12、州都へルソン市解放(南ウクライナ・へルソン州は、ロシアが一方的併合を宣言した州のひとつ)を宣言した。かかる攻勢に対しロシア軍は、ウクライナのエネルギー施設を狙ったミサイル攻撃を激化させている。冬が始まり民衆の生活は、命の危険、停電や断水などにさらされている。欧州議会はこの蛮行に対しロシアを「テロ支援国家」に指定した(22年11月)。

一方ロシア国内では反戦運動が持続的に闘われている。1024日(22年)、ロシアとベラルーシ南部を結ぶ鉄道線路(ベラルーシ国境から15キロ離れた、ロシアのノボジブコボ村付近)で、ロシア国内の反戦運動「STOP THE WAGONS」(STW「貨車を止めろ」)というグループによる爆破闘争がたたかわれた。連帯を表明したい。また、日本人ウクライナ義勇兵の戦死が11月初旬に発表された。本論著者(渋谷)は深い哀悼の念を表明したいと思う。

 

●雑誌『情況』をめぐる論戦――ウクライナ対ロ徹底抗戦支持が基本ではないか

日本の反戦平和の運動では、いろいろな見解が、存在している。見解は二つのベクトルに分かれている。「ウクライナ軍民の対ロ徹底抗戦支持」と、「ウクライナ戦争は米ロ代理戦争、あるいはNATOの拡大政策の挑発によってもたらされた」という問題を重視するという、二つの方向性だ。これから示すように雑誌『情況』でのウクライナ論戦を見ていこう。

 

※ここで、誤解の無いようにするための、断り書きであるが。この論考は、渋谷要個人のもので、渋谷が200512月まで所属し離党届を出して離党した、いわゆるブント「日向派」(08年解党)とは、まったく関係がないものだ。

 

雑誌『情況』(第五期2022年夏号)は、ウクライナ戦争に関する特集を組んでいる。編集部で「プーチンのウクライナ戦争をどう考えるのか? 真っ二つに割れた日本新左翼・反戦運動」という「特集解説」が書かれている。「文責」は「編集部・横山茂彦」氏、「編集協力・岩田吾郎」氏である。小見出しごとに見ていこう。

小見出し「混迷する日本の反戦運動」では、次のような問題を指摘している。

「ロシアの軍事侵略という現実から目をそらし、アメリカ帝国主義とNATOが戦争の原因だと主張している」見解が存在すると指摘する。そして「どちらも悪いと、いわゆる小ブル平和主義の『戦争反対』一般となっている」という。それらはレーニンの「自国帝国主義打倒」を論拠としているが、1914年(第一次世界大戦勃発)とは、ことなった「事実関係」があることがわっかっていない、「そこに根本的な誤謬がある」と指摘している。そこで、論者は、いくつかの事例を挙げて、ウクライナ戦争の具体的な特徴から出発せよとのべている。

また小見出し「忘れてはならないウクライナ人民の主体性」では、いくつかの見解を取り上げている。「NATO―米帝」責任論をいう新左翼のある部分に対し、いくつかの新左翼はウクライナ人民の「主体性」を分析の核心部分とするべきだという。そしてこれから見ていくように、ウクライナ戦争の定義を分析する領域にはいってゆく。小見出し「帝国主義間戦争なのか、侵略戦争なのか」では、次のようである。

 

●帝国主義間戦争か、侵略戦争か

「『帝国主義間戦争』と言い切っているのは、共産同首都圏委員会である」とのべ、次のように論を展開してゆく。

「云うところを聴こう。『この戦争の基本性格はウクライナを舞台とした欧米とロシアによる帝国主義間戦争であり、米帝・NATOの東方拡大によるロシアの軍事的封じ込め政策、多額の軍事支援とテコ入れにより二〇一五年の『ミンスク合意』を無視してウクライナ東部のロシア系住民居住区域への軍事的圧迫と攻勢を強めたゼレンスキー政権の強硬策がロシアを挑発し、今日の事態を招いた直接的な原因』(「radical chic」第44号早川礼二)」であると。

それでは問うが。この戦争が帝国主義間戦争であればゼレンスキー政権は、米帝の傀儡政権・買弁ブルジョアジーとして打倒対象になるのではないのか?」と問うている。

この場合、私(渋谷)としては、欧米とロシアとの関係が<帝国主義間争闘戦>の状況を呈していると私は認識しているが、それと、今回のロシアのウクライナ軍事侵略とを直接二重写しにすることは、避けるべきだと考える。そもそもウクライナは貿易相手国のトップクラスを中国とする中国・「一帯一路」の拠点国家だ。様々な利害が錯綜しており、とても米帝の買弁権力だとは言えない。(このことについては、拙著では渋谷個人ブログ「赤いエコロジスト」2022年・311日アップの「『一帯一路』の帝国主義」を参照せよ)。本論後半でのべているようにクレムリンから見てだが「裏切り者」である(なぜそうなったのかは、後述)。

さらに横山氏は、首都圏委が「ゼレンスキー政権の民族排外主義……に抗しつつ、ロシアの帝国主義的侵略に立ち向かうウクライナの人々に連帯する。ブルジョア国家と労働者人民を峻別することは我々の原則であり…」(前出)とすることに対し、横山氏は「今回の戦争の本質は、ロシア帝国主義の侵略戦争とウクライナの民族解放戦争である。…侵略戦争に対する民族解放・独立戦争はすなわち、プロレタリアートにとって祖国防衛戦争となる。…だから民族ブルジョアジーとの共同戦線が人民戦争戦術として必要とされるのだ。したがって…首都圏委のようにブルジョア国家と労働者人民を峻別する必要はなく、ウクライナ人民が決めることだ」としている。そして民族解放闘争の歴史的事例として「中国における抗日救国闘争(国共合作)」を、その「典型」例としてあげている。

私も同感だ。「国共合作」は、1930~40年代の「人民戦線―反ファシズム戦争」(広義)で、左派・国際共産主義運動(広義)にとって、最も成功した事例である。

さらに「他のブント系諸派の見解も紹介しておこう」として「共産同統一委員会」の主張を取り上げている。

統一委員会の機関誌『戦旗』1612号(四月二〇日付)に掲載された「春期政治運動方針」をとりあげている。横山氏は「『大ロシア主義の帝国主義的侵略戦争』という真っ当な指摘にもかかわらず、任務を反戦闘争一般に解消してしまっている」という。「戦旗」では「ロシアとウクライナを貫く反戦、さらには世界各地の国際反戦闘争によって阻止」すると主張されているが、「それでは戦争を止める方途とは何なのか。市民運動的な反戦一般ではなく国家と革命に責任をもつ革命党派らしい指針がほしいものだ」としている。

 

●レーニンの「祖国敗北(防衛)主義」の考え方

以上の論戦とのかかわりで、レーニンの言うところを聞こう。レーニンは侵略国の帝国主義国における「革命的祖国敗北主義」を主張したことで知られているが、被侵略国における「祖国防衛」をも提起もしている。これは「国家=悪→だから祖国敗北」などと言う思想とは、決定的に違うものなのだ。レーニンは言う。

「帝国主義強国、すなわち抑圧者的強国にたいする、被抑圧者(例えば植民地民族)の戦争は、真の民族戦争である。こういう戦争は、こんにちでも可能である。抑圧民族の国にたいして被抑圧民族の国が『祖国を擁護する』ことは、欺瞞ではない。だから、社会主義者は、このような戦争における「祖国擁護」に決して反対しない。

民族自決とは、完全な民族解放と完全独立をめざし、領土併合に反対して闘争することと同じことである」(「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」、レーニン全集第23巻。1916年)ということだ。ウクライナ徹底抗戦は「祖国防衛」であり、ロシア反戦は「祖国敗北」というのがここでの正義となる。

 

●ウクライナ人民の主体性

ここで横山論文でウクライナ人民の主体性を問題のポイントとした主張を見ていこう。『The Red Stars(旧共産同蜂起派――以下Red Starと略す)の主張である。その引用では、 「プーチンの戦争を止められるのは、ウクライナの抵抗だけだ。侵略への抵抗を支持せず講釈をたれるだけで、戦争犯罪に沈黙することは、間接的に侵略を擁護することに等しいのではないか」と。この主張に、横山氏は、「まさに『異議なし!』である。残虐な侵略者から、みずからの人間的尊厳を護るのはベトナム人民がやりとげたように抵抗しかないのだ」とし、さらに「Red Star」を引用する。「反戦運動に求められているのはそれは『怒り』だ」。「プーチンによる戦争犯罪を不問に付すばかりか免罪さえし『ウクライナ戦争の元凶はアメリカをはじめとしたNATO』だとうそぶく左翼もいる。まったく呆れる。侵略に徹底抗戦するウクライナの人々の戦いぶりが世界中の共感を集めウクライナに連帯する反戦運動のうねりは、……『平和主義者』や『反帝国主義者』に自省と恥の意識を芽生えさせるであろう」と主張している。(※「Red Star」については、第107号(20229―10月号、原隆「侵略に抵抗するウクライナに連帯を!」等の分析がある――渋谷)。わたしもこの主張について、全面的に賛成する。

この「特集解説」の次節では「誇らしい全面的な民衆の抵抗 ウクライナ人民にとって実存的な戦いなのです」の節がつづく。そこでは、「ウクライナ左翼、ユリア・ユルチェンコ」(グリニッジ大学講師、『ウクライナと資本の帝国』の著者)氏が、「アメリカとカナダで発行されている」雑誌「spectre」のウェブ版に掲載されたインタビューを紹介している。ユルチェンコさんは、次のように述べている。

まさに「この戦争を西側とロシアの対立に還元することは、ウクライナ人の主体性を否定し、ウクライナの自決権や民族解放のための闘いについての議論を抑圧してしまう」。「ウクライナ人にとってこれは、実存的な戦いなのです」。そしてそれは、「左翼は被抑圧国家としてのウクライナの自決のための戦に連帯しなければならない。それには我々の戦闘員やボランティアのために武器を確保することも含まれます」。だが、それは同時に「NATOに飛行禁止区域を要求してはならない」、それは、NATOとロシアとの空軍の戦闘を意味し、「核保有国間のより広い戦争」を冒すことにつながると警告を発している。

 

●ウクライナ・パルチザンの闘い

このウクライナの主体性は、今に始まったことではない。歴史的に歌われてきたウクライナ国歌には、「兄弟よ、サン川からドン川にいたるまでの血の戦いに起とうではないか。我らは祖国の地の他人の支配を許さない。黒海はいまだ微笑み、父なるドニエプルは喜ぶだろう。このウクライナの幸福の再来に」と歌われている。

また、研究者の指摘では、18世紀末から19世紀初頭にかけてはドイツ、ロシアなどの大国に支配されていたため「東欧の『民族』は、近代の西欧にみられる民族=国家(ネイション)をあらわす概念とは結びつかない。それは、大国支配の下で、個々の『民族集団』(ナショナリティ)をあらわす概念にとどまった。……『既存の国家に対抗し、自民族の境界線に従って国境線を引き直そうとする』要求を起こしていくこととなった」。こうした民族性は、「東欧の諸国民が独立国家を形成したのちも、東欧の民族の大きな特徴として継続することとなる」(羽場久浘子『統合ヨーロッパの民族問題』、講談社現代新書、1994年、23頁)という分析が存在する。本論ではこれらをふまえ、この間の政治過程から見ていこう。それは、ウクライナのパルチザンに関するものだ(TBSテレビ 『報道1930』、2022/11/14(月) 10:00配信)。

ウクライナのパルチザンは、ロシアがクリミアを併合した2014年にウクライナ政府によって合法化され、国防省の管轄のもと活動するようになる。要人暗殺・拠点破壊・敵の位置情報の提供などのゲリラ戦が主要な任務だ。2013年、米国の特殊部隊が欧州で活動する兵士に向けて体系化したROC(抵抗活動戦略)という300頁に及ぶマニュアル書が教科書になっているという。例えばゲリラ戦での、道路標識付けかえ、道にガラスをまく闘い等々が細かくマニュアル化されている。また平時に何をしておくか、危機の際は個人は何をすべきか、有事の際での役割分担など。さらに個人・インテリジェンス機関・法執行機関などのすべきことがマニュアル化されたものだという。 またウクライナでは、2015年ころから、隠し倉庫をつくって、武器、通信機、お金、食糧などを貯蔵してロシアの侵略にそなえていたという。

 

●徹底抗戦のための兵器を否定するのか?

ユルチェンコさんがのべている「戦闘員やボランティアのために武器を提供する」というこの武器は、もちろん、米・軍産複合体が生産し供与している武器が一つの中心だ。ウクライナ抗戦の開戦から、重要な戦果をウクライナにもたらしたものとして「対戦車砲・ジャベリン」「地対空ミサイル・スティンガー」、ウクライナ国産では「対戦車ミサイル・スタグナP」などがある(この性能などについては、拙著では渋谷のブログ「赤いエコロジスト」で2022325日にアップした論考に紹介しているものだ)。さらに、東部など平坦な地形での野戦で必要な装備として、遠距離砲撃の兵力火力装備を、西側から供与されてきている。現在注目を集めているのが多連装ロケット発射システム「ハイマース」だ。一言でいうと、これは長射程の「阻止攻撃用」の目的で使われる兵器であり、敵の後方兵站から前線への物資の遅滞・破壊などを主要に目的とするものだ。抵抗闘争にとっては重要な兵器だ。

  以上に紹介した、横山氏の文責論考に対し、共産同首都圏委員会(「首都圏委」とする)が出した反論がある。

 首都圏委の 「radical chic」№46(2022・9・18)には「補論 グローバル化時代の民族問題と戦争論――「情況休刊号」のコラムを読む」という文章がある。横山氏の『情況』での「特集解説」に対し、「疑問」として何点かにわたり、示したものだ。

「コラム筆者がウクライナ戦争で米帝が果たしている役割について触れようとしないこと」、また「ウクライナは米国から高機動ロケット砲システム『ハイマース』の供与を受け、ロシアとの戦争に活用している」とし、「帝国主義間戦争」という文脈での主張を展開している。しかし、それは後述するように「対ロシア・国際反ファシズム闘争」ということを、概念的に対象化していない事と関係があると私は考える。

横山氏は「特集解説」では、そこから、覇権主義との左派の闘いの歴史、社会主義と戦争の問題を、論じていく。さらに、「資料編」へとすすむ。白川真澄、新開純也、高原浩之さんの主張の紹介、ウクライナ左翼の見解があり、「戦争を止める方途はあるか 非暴力と降伏は可能か」で、編集部の意見が書かれるという展開だ。そこでは次のようにのべている。

「プーチンのロシアがウクライナという国をなくそうとしているのは明白である。実際にメドベージェフ前大統領(現ロシア安全保障会議副議長)は自分のSNSに『ウクライナが二年後に世界地図上に存在していると誰が言ったのか』と書き込んでいる。……独裁者の戦争意志はわれわれの法と正義、政治と経済の基準をこえているのだ。ロシア皇帝を気取って十八世紀戦争を行っている人物を相手に、二一世紀の国際法は通用しないと考えざるをえない」と。まったくそのとおりだ。ここまでが、横山論文に応接した話ということになる。

 

●反ファシズム戦争を如何に進めるか――人民戦線と階級闘争

 ではウクライナにおける対ロシア徹底抗戦の性格について見ていこう。国際共産主義運動(広義)では、「国際反ファシズム統一戦線・人民戦線」といわれてきたものだ。それは「反ファシズム」で、ブルジョア民主主義国家・政治勢力が、プロレタリアートの左派勢力と協力して、ファシストと闘う枠組みである(トロツキー『社会ファシズム論批判』、コミンテルン第七回大会「ディミトロフ・テーゼ」、ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』、ジャン・プラデル『スペインに武器を 1936』、ダニエル・ゲラン『人民戦線――革命の破産』、竹内良知編『人民戦線――ドキュメント現代史6』(平凡社 1973年)などを参照せよ)


 全体主義ファシストは階級闘争を破壊する。これに対し、階級闘争で武器になる労働者階級の諸権利は、ブルジョア市民社会の法制として存在し、その法制において、階級闘争は、合法的な権利を獲得している。これがプロレタリアートにとっての「民主主義法秩序」だ。人民戦線はこれを守るために選択肢とされる。同時に市民社会法制という資本主義秩序の維持のために選択される政治である以上、階級闘争を反帝・社会主義革命へと展開してゆくうえでは決定的な限界をもっている。だが全体主義ファシズムとの闘いには必要な選択肢である。


その全体主義ファシズムの規定だがハンナ・アレント『全体主義の起原』では――ナチとスターリン主義の同一性を論じ、階級闘争と市民社会の解体で、個人化した大衆を専制国家が統合することがポイントだ(マルクス主義ではトロツキー「次は何か」参照)。また2019年、欧州議会は「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」という決議を挙げた。Stalinist,Nazi,and other dictatorshipsを批判するものだ。そしてこの反ファシズムブロックの中にウクライナ戦争では、欧州議会とともにブルジョア民主主義国家のアメリカと日本の帝国主義が入り、ウクライナを支援しているのだ。


では何を根拠に戦うのか。近代市民社会(市民)には、かかる全体主義などによる「民主主義法秩序」の破壊に対しこれを「回復」するための「抵抗権・革命権」と、国民国家における「国家緊急権」が認められている。国家緊急権とは、例えばウクライナでは大統領が発動している「18歳から60歳までの男性国民の出国禁止」という「国民総動員令」がそれだ。この問題ではエルンスト・カッシーラー『ジャン=ジャック・ルソー問題』、(訳・生松敬三、みすず書房、1997年、原書・1932年)が重要だ。<社会契約によって守られてきた主権者人民は、社会契約国家が危急の時は、国家のために戦え>というのがルソーの思想的核心だという問題だ。

 

●スターリン主義の支配方法の継承としてのロシア全体主義

 それでは侵略者・プーチン体制とはなにか。プーチン自身かつて東独ドレスデン・KGB(ソ連国家保安委員会)支部の官僚だった。そのソ連スターリン主義の軍事・警察官僚組織(KGB系列など)は存続しており、それが「シロビキ」といわれるKGB出身の官僚たちであり、「大統領府長官」等の要職を占めてきた。1995年以降FSB(ロシア連邦保安庁)となって民主派等に対する弾圧を展開してきた。

歴史的なスターリン主義と同様の手法としては、ウクライナ戦争では、「強制移住」の施策に端的に表れているだろう。クレムリンは、すでに百数十万人(ウクライナの人口約4300万人)以上の、ウクライナ民衆をロシア国内(シベリアなど)に強制移住・連行している。スターリンのやったことで一例を挙げれば、「ナチス占領軍に集団協力」したという理由での政策であった。一九四三年から一九四四年にかけて、「チェチェン人、イングーシ人、クリミア・タタール人、カラチャイ人、バルカル人、カルムイク人の六民族がシベリア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスへ」強制移住させる等々が行われている。(ステファヌ・クルトワ、二コラ・ヴェルト『共産主義黒書――犯罪・テロル・抑圧――<ソ連編>』(外川継男訳、惠雅堂出版、2001年、原書1997年、231頁など参照)。まさに強制移住は、独立ウクライナを消滅させることが、プーチン・クレムリン体制の意志にほかならないのだ。


( スターリンによれば「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である」。そしてこの「すべての特徴が同時に存在する場合に、はじめて民族があたえられるのである」というものだ(スターリン『マルクス主義と民族問題』、原著1913年、引用は国民文庫、50~51頁)。だから別「地域」への強制移住は民族解体政策となる)

●「大ロシア主義」の帝国主義――プーチン「一体性」論文

プーチンの「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」(2021年)では、スターリン型の「大ロシア主義」が如実に表れている。そこでポイントはレーニンの「諸民族間の国家的分離の自由((「ぺ・キエフスキー(ユ・ピャタコフ)への回答」、レーニン全集23巻、1916年)参照)」に対してプーチンはこのレーニンの政策を「極めて危険な『緩効性の地雷』」と批判している。そしてロシアとウクライナ人、ベラルーシ人は、「一つの民族」である。「かつてヨーロッパ最大の国家であった古代ルーシの子孫です」という。そこでプーチンにとってその「大ロシア主義」においては、レーニンが「分離の自由」に基づく民族自決権によってウクライナを連邦構成共和国として認めたこと自体が間違いであったという。

ここで特に、指摘しておきたいのは、クレムリンの側から見て、ウクライナのゼレンスキー政権を、「裏切り者」とみていることだ。

 「ウクライナとロシアは、数十年、いや数世紀にわたって単一のシステムとして発展してきました」。だが、「米国とEU諸国はウクライナとロシアの経済協力を縮小、制限するよう計画的持続的に仕向けてきた」とし、「このゲームの目的は、ウクライナをヨーロッパとロシアの間の障壁に変え、ロシアへの前進拠点とすることです」としてそれを推進する「ウクライナ政府」を批判している。ウクライナのNATO化に対する強い批判が書かれている。

(※独立ウクライナ問題は、そもそも、ロシア革命時の、アナーキストのウクライナ・マフノ反乱軍とボリシェビキとの闘いを一つの源流としている。アルシノフ『マフノ運動史』、社会評論社、郡山堂前訳、2003年など参照)。


だが、そういえるのか。ロシアのプーチンの権力は、1999年以降のイスラム派・対ロ独立勢力を殲滅する戦争(第二次チェチェン紛争)以降、戦争放火をやりはじめた(※ウクライナ政権は2022年11月、チェチェン独立派亡命政府を承認した)。それが20032004年にかけての「バラ革命」(ジョージア)、「オレンジ革命」(ウクライナ)→ユーロ・マイダン革命(2014年)の民主化運動の進捗と、それにともなうNATOなどへの加盟の動き、これに対する、クレムリンの対抗という事態にほかならない。ウクライナにおいては、2014年以降のロシアへのクリミアに対する暴力的併合、およびウクライナの東部(ドネツク、ルガンスク両州)の実効支配。これらクレムリンの蛮行に対して脅威を覚えたウクライナ、スウェーデン、フィンランドなどはNATOへの加盟のベクトルを選択した。その歴史的文脈が想起されるべきだ。

ロシアはウクライナから撤退せよ! ウクライナ軍民の対ロシア・救国徹底抗戦を断固支持しよう! もちろん、この戦争を口実に組織されている日本の軍拡にはストップを!◆
(2022年11月30日)