2020年5月10日日曜日

伝染病との闘いを意思統一するレーニン・1920 / 渋谷要

最終更新 2020・5・15

パンデミックと階級闘争】

★★★伝染病との闘いを意思統一するレーニン・1920

                         渋谷要

★★★「内戦上の決意のすべて、経験のすべてを、われわれは伝染病とのたたかいにふりむけなければならない」(1920.レーニン)。

「新型コロナウイルス(covid-19)」と闘う、すべてのみなさんに、冥界より、同志レーニンから、連帯のメッセージが届いています。僕が所蔵しているレーニン全集の、第30巻に、あった!

★★★【タイトル】「医療衛生勤務員第二回全ロシア大会での演説 1920年3月1日、(議事の控え)」(レーニン全集第30巻、原書ページ375~376)

●【渋谷による解説】ロシアでは内戦期だった、1918~20年にかけて、欧米などを中心に大流行した「スペイン風邪」(インフルエンザウイルスでの感染症、第一次大戦の中立国であり、情報統制がなかったため、スペインの大流行が早期に報じられ、この命名となったといわれている)。これにレーニンは如何に立ち向かったか、そこから、学ぶのもいいでしょう。このスペイン風邪では、ボリシェビキの革命家であり、全ロシア中央執行委員会(のちの連邦最高会議幹部会)議長のヤーコフ・スヴェルドロフ(1885~1919・3)が、このスペイン風邪で、命を落としています。
おそらくは、この感染症で、多くのボリシェビキや左翼エスエル、赤軍の活動家たちが死亡していると考えてよいでしょう。
 世界的規模で死亡者数・約1700万人~5000万人といわれるこの、伝染病に対するレーニンのアジテーションです。このころ、ロシアでは「発疹チフス」(病原体はリケッチアの一種)も流行していました。この発疹チフスでは、1920年、『世界を揺るがした10日間』などで知られる、ジャーナリストのジョン・リードが、モスクワで死亡しています。

●【本文(全文)】「医療衛生勤務員第二回全ロシア大会での演説 1920年3月1日、(議事の控え)」(レーニン全集第30巻、原書ページ375~376)

 (しばらくなりやまない拍手と『インターナショナル』の高唱にむかえられたレーニンは、短い祝賀演説をおこなう)同志諸君、人民委員会議を代表して、諸君の大会に祝辞を述べさせてもらいたい。本大会の任務と諸君が果たした仕事について、ここで多く述べるにはあたらない。おそらく、軍事戦線については、諸君の仕事ほど多くの犠牲を要した仕事は、ほかにはなにもないとおもう。四年にわたる帝国主義戦争の結果、人類は数百万の不具者(ママ)といくつかの伝染病をかかえこむことになった。

 われわれには、巨大な、困難な、責任の重い任務がふりかかった。軍事戦線におけるたたかいは、帝国主義者の企てがなんにもならなかったことを、証明した。軍事上のもっとも大きな困難は過ぎさったが、いますぐ必要なことは、平和的建設の任務を実現することである。流血の戦線で得た経験を、われわれは無血の戦線にもうつすであろう。ここでは、われわれは、はるかに大きな共感に接するであろう。

 われわれは数千の専門家、莫大な数の将校、将軍を勤務につけることができたし、彼らは労働者共産党員とならんで、責任ある職務についている。内戦上の決意のすべて、経験のすべてを、われわれは伝染病とのたたかいにふりむけなければならない。

 かつては、医師界の人々も、労働者階級に不信の念をいだいていた。かつては、彼らもブルジョア制度の復帰を夢見ていた。いまでは、彼らも、プロレタリアートと共同してはじめて、ロシアを文化的な繁栄に導いていくことができると、確信している。科学界の人々と労働者との協力――このような協力だけが、窮乏、病気、汚物の全重圧をなくすことができるであろう。そして、これはなしとげられるであろう。

 科学界の人々とプロレタリアートと技術との同盟には、どんな暗黒の力も立ちむかうことができないだろう」。◆

※ 異議なし! 新型コロナ・パンデミックの克服のために、がんばりましょう!