2013年10月26日土曜日

マルクスのロシア農耕共同体に関する見解


このマルクスの見解は、レーニンの「ロシア農耕共同体解消論」ではなく、ナロードニキの見解とフレンドだ。

共産党宣言 ロシア語第二版序文(全文) (マルクス・エンゲルス全集第19巻から。原書頁295以降)

『共産党宣言』のロシア語初版は、バクーニンの翻訳で、1860年代のはじめに『コロコル』発行所から出版された。当時の西欧の人々には、この本(『宣言』のロシア語版)は、文献上の珍品としか考えられなかった。今では、そういう見方をすることは不可能であろう。

その当時に(184712月)プロレタリア運動がまだどんなに限られた地域にしか及んでいなかったかは、『宣言』の最後の章、さまざまな国のさまざまな反政府諸党にたいする共産主義者の立場という章が、このうえなくはっきりと示している。つまり、そこには、ほかならぬ――ロシアと合衆国が欠けている。それは、ロシアがヨーロッパの全反動の最後の大きな予備軍となっていた時代であり、また合衆国がヨーロッパのプロレタリアートの過剰な力を移民によって吸収していた時代であった。どちらの国も、ヨーロッパに対する原料の供給者であると同時に、ヨーロッパの工業製品の販売市場になっていた。だから、その当時には、どちらの国もなんらかの仕方でヨーロッパの既成秩序の支柱であった。

それがいまではなんという変わりようだろう! まさにこのヨーロッパからの移民の力が北アメリカに、大規模な農業生産を発展させる可能性をあたえた。そして、いまこの農業生産の競争が、ヨーロッパの土地所有を――大小の別なく――根底からゆりうごかしている。そのうえ、この移民のおかげで合衆国は、非常な勢力と規模でその膨大な工業資源を利用することができたので、西ヨーロッパ、とりわけイギリスの従来の工業上の独占は、まもなく打破されるにちがいない。

この二つの事情は、ともにアメリカそのものに革命的な反作用を及ぼしている。全政治制度の土台である農業者の中小の土地所有は、しだいに巨大農場の競争に敗れている。それと同時に、工業地帯では、大量のプロレタリアートとおとぎ話のような資本の集積とが、はじめて発展しつつある。 それでは、ロシアはどうか! 1848―1849年の革命のときには、ヨーロッパの君主たちだけでなく、ヨーロッパのブルジョアもまた、ようやくめざめかけていたプロレタロアートから自分たちを守ってくれる唯一の救いは、ロシアの干渉であると見ていた。ツアーリはヨーロッパの反動派の首領であると、宣言された。

今日では、彼はガッチナ【引用者注:18813月、人民の意志党はアレクサンドル2世を完全打倒(=暗殺)した。これをうけて、アレクサンドル3世はサンクトペテルブルグ(レニングラート)付近にある城・ガッチナに、「人民の意志党」のテロルを避けるため軍隊などの警護をうけて、篭ることになっていた、そのガッチナ】で革命の捕虜になっており、ロシアはヨーロッパの革命的行動の前衛となっている。

『共産党宣言』の課題は、近代のブルジョア的所有の解体が不可避的にせまっていることを宣言することであった。ところが、ロシアでは、資本主義の思惑が急速に開花し、ブルジョア的土地所有がようやく発展しかけているその半面で、土地の大半が農民の共有になっていることが見られる。そこで、次のような問題が生まれる。ロシアの農民共同体(オプシチナ)は、ひどくくずれてはいても、太古の土地共有制の一形態であるが、これから直接に、共産主義的な共同所有という、より高度の形態に移行できるであろうか? それとも反対に、農民共同体は、そのまえに、西欧の歴史的発展でおこなわれたのと同じ解体過程をたどらなければならないのであろうか? この問題にたいして今日あたえることのできるただ一つの答えは、次のとおりである。もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者が互いに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる。

ロンドン、1882121日、カール・マルクス、F・エンゲルス