2015年3月8日日曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』第7章(社会評論社、2007年刊)(中)

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第7章
「レーニンの『絶対的真理』論とその教条化――『物質の神学』としてのスターリニズム哲学」(中)


今回は、(中)です。次回、最終回(下)の配信は、3月16日前後の予定です。




 ●─ レーニン主客二元論の三項図式的限界

 各論に入ってゆこう。
 前々節で数字をふった順番に、レーニンと廣松哲学の対質をおこなう。レーニンの素朴実在論にもとづく反映論は、廣松哲学にいう「三項図式」「カメラ・モデル」の認識論である。この「三項図式」からレーニンはマッハを批判したということなのである。このことは実はレーニンがマッハを主観的観念論と論定したことと関係している。
 レーニンの反映論は、「物的外界」と「心的内界」を二元論的に分離することを特徴としているが、廣松は例えば『哲学入門一歩前』(講談社現代新書)では次のようにレーニンらが論じたところの反映論・模写論を説明している。
 「意識対象(客観)─意識内容(心像)─意識作用(主観)」の三項図式は、「対象を─心に映った内なる写像─をつうじて見る意識作用」という形で認識していることになる。だがこれでは「意識は対象自体を直に見ることはできず、内なる映像を見ることを介して、間接的に原物を認識するという構図になっている」(六〇頁)と廣松は論じる。
 そこで廣松は次のようにいうのだ。
 「『客観─認識内容─主観』という常套的な了解の構図には警戒を要する。客観が主観に認識内容のかたちで意識されている(主観が客観を認識内容のかたちで意識している)という言い方は倒錯である。正しくは、認識主観は現与の認識内容を単なる与件「以上の」在るものとして、客観的照応性をもつものとして覚識する、といわねばならない(「映像で知るのと言葉で知るのと」廣松渉コレクション第五巻。情況出版。一四九~一五〇頁)。
 「認識内容」は「客観」(意識対象)のもっている意味とはなれてそのままで存在するのではないということだ。だから廣松は「所与─所識」「能知─能識」の四肢構造をたて、反映論がそれとして説明できなかった意味論を認識論に装着したのであった(くわしくは拙著『国家とマルチチュード』社会評論社。八四頁以降参照)。
 三項図式に従えば客観を重視する反映論は、「客観」(実在)の模写として─心像としての「意識内容」ができあがり、それを認識するとなる。
 これに対して主観を重視する主観的観念論は「意識内容」に構成されている構成形式から、対象(実在)を認識するということになる。つまり〈意識は認識内容が経験に先立って保有している構成形式によって対象(客観)を捉える〉(カント『純粋理性批判』(上)。岩波文庫。八七頁参照)、あるいは「精神すなわち知覚するもののほかにはいかなる実体もない」(バークリー『人知原理論』。岩波文庫。四八頁)というような、認識の構成形式や知覚などが世界を構成するという考え方だ。
 つまり、反映論と主観的観念論とは「三項図式」(客観─認識内容─主観)としてはおなじ形式なのである。
 レーニンはマッハの「感覚」を、かかる主観の働きと決め付け、これをバークリーなどと同じ主観的観念論の図式におしこんだのであった。つまりレーニンは三項図式以外の認識形式を想定することができなかったということなのである。ゆえにレーニンはマッハの「要素一元論」を主観的観念論と(マッハの「感覚」を観念論の「知覚」と)おなじものとして規定する以外なかったのである。まさにレーニンはかかる三項図式の呪縛をつうじた言説において、マッハへの論難を主張できたということ以外ではないのである。素朴実在ではない「感覚」を立てるからそれは反映論から見た場合、マッハの「感覚」とは、主観(個々人の主観)の観念だという判断である。だがマッハは主観的観念論ではなく、客観的要素主義であり、そのゆえに、カントの「物自体」やニュートンの「内奥の実体」なるもの、かかる現象の裏側にある本質なるものが存在するという考えを批判していたのである(廣松「哲学の功罪」(廣松渉著作集第三巻。岩波書店。五五六~五五七頁参照)。


 ●─ マッハの要素主義

 まさにマッハの「感覚」とは、主観の側の感覚のことではないのだ。
 「色、音、熱、圧、空間、時間等々は、多岐多様な仕方で結合しあっており、さまざまな気分や感情や意志がそれに結びついている。この綾織物から、相対的に固定的・恒常的なものが立ち現われてきて、記憶に刻まれ、言葉で表現される。相対的に恒常的なものとして、先ずは、空間的・時間的(函数的)に結合した色、音、圧、等々の複合体が現われる。これらの複合体は比較的恒常的なため、〈それぞれ〉特別な名称を得る。そして物体と呼ばれる。が、このような複合体は決して絶対的に恒常的なのではない」(『感覚の分析』法政大学出版局。四頁)。
 「物、物体、物質なるものは、諸要素、つまり、色、音、等々の聯関をはなれてはない」(マッハ前掲七頁)。
 このどこが観念論だというのか。
 「多様な姿をとって現われる同一の物体なるものが、いったいどこに存在するというのであろうか? われわれが言いうるのは、さまざまなABC……がさまざまなKLM……と結びついているということだけである」(同一〇頁)。「問題なのは、要素αβγ……ABC……KLMの聯関だけになる。かの〈自我と世界等の〉対立はまさに、この聯関に対して、ただ部分的に妥当な・不完全な表現にすぎなかったのである」。「私が『要素』『要素複合体』という表現と併用して、ないしは、それを代用して、『感覚』『感覚複合体』という言葉を以下で用いる場合、要素は右に述べた結合と聯関においてのみ、すなわち、右に述べた函数的依存関係においてのみ、感覚なのだということを銘記さるべきである」(同一二~一四頁)。「第一次的なもの(根源的なもの)は、自我ではなく、諸要素(感覚)である」(同一九頁)と。
 まさに廣松が言うように「この要素=感覚は、『頭のなかにある』主観的な心像として理解されてはならない」のであり「頭のそとにある感覚なのである」(マッハ前掲の巻末解説。廣松「マッハの哲学」。三三三頁)。そして廣松は、マッハにおいては「諸要素の函数的関係」が「大切」だと説明している。「マッハによれば、諸要素および要素複合体は、それが主観を構成するものであれ客観を構成するものであれ、フンクチオネール(機能的─引用者)な相互依存関係のうちにあり、この聯関を離れては自存しないのである」。まさに「要素はすべて汎通的相互関係のうちにあり、……このゆえに、色、形、等々が主観を離れて自存しないという当然の命題は、マッハをして直ちに主観的観念論に陥らせるものではない」(同三三八頁)ということなのである。
まさにマルクスがいうように「人間の本質とは……社会的諸関係のアンサンブル」(「フォイエルバッハ・テーゼ」廣松渉編訳、小林昌人補訳『ドイツ・イデオロギー』所収。岩波文庫。二三七頁)なのである。そしてかかる多岐多様な物質的諸関係において存在しているということ以外ではない。そしてこの要素一元論から、マッハの時間・空間概念が定立するのである。(マッハの客観的要素主義の陥穽(現相主義)については、拙著では『国家とマルチチュード』八八頁以下参照。廣松の『事的世界観への前哨』勁草書房。六八頁以降参照)。


 ●─ ミーチンの機械論的因果論とマッハ・廣松の法則理解

 レーニンは絶対的真理の根拠を物質の一義的で因果論的な法則的運動に求めた。この法則の客観的実在というレーニンの主張もまた、マッハとバッティングするところとなる。
 そして法則実在論を一九三〇年代のソ連において究極的におしすすめたコムアカデミア哲学研究所のミーチンらは、その共同著作『弁証法的唯物論』(ミーチン監修、廣島定吉訳。ナウカ社)で次のようにのべている。
 「われわれがもっと複雑な物理化学的現象に、さらに進んで生物学的現象や社会的現象に移るときは……これらの場合には、原因と結果とは内的な必然的聯関にあるので、この聯関を理解することは、発展の合法則性から出発してのみ可能である。原因は単に結果を起こすばかりでなく、単に結果に移行するばかりでなく、与へられた原因の総体の存在は、さらに必然的に与へられた結果の存在を前提とする」(二九〇頁)。「所与の現象の反復を引き起こし得る根本的な原因を探し出し、この根本的原因を、特殊な一般的原因から区別することも重要である」(二九四頁)。「原因について論ずるには、原因中に交互作用の出発点のみならず、所与の対象を引き起こし、生起させ、一定の仕方でそれを再生する規定的条件があることを、力説することが重要である。諸現象の関数関係だけを論ずることは、実は諸現象の交互作用の客観的基礎にまで達しようとせずに、諸現象の相互聯関の確認にのみとどまる」(二九三頁)というわけである。つまりミーチンは絶対的な形での因果性にモメントをおいた法則なるものが客観的に実在しているといいたいのである。ミーチンは函数関係を「聯関の確認」などと断定しているが、その根拠はしめされていない。諸現象の函数的関係とはどういうことか、マッハはのべている。
 「旧来の因果性の表象は多分に生硬であって、一定量の原因に一定量の結果が継起するというにある。ここには四元素の場合にもみられるような一種の原始的・呪術的な世界が露われている。このことは原因(Ursache=原事象)という言葉からして明白である。自然における連関は、ある与えられた場合に、一つの原因と一つの結果とを指摘できるほど単純なことは稀である。それで、私はずっと以前、因果概念を函数概念で置き換えようと試みた。すなわち、現象相互間の依属関係、より精密にいえば現象の諸徴表相互間の依属関係で置き換えようとした」。これらは「相互的な共時聯関」(マッハ前掲七七~七八頁)だという。
 廣松のいうところでは次のようになる。
 「例えば、物体が千仭の谷に『自由落下』していく場合、この物体の加速度は地球という質量塊の引力(原因)の結果だとされるのが普通である。しかし、この物体が現実におびる加速度は、大気の抵抗、したがって物体の形状によっても規定されるのであり、周囲の山からも引力を受ける。物体の加速度はこれらきわめて多くの要因によって規定されているのであって、決して地球の質量によって一義的に決定されているわけではない。そのうえ、地球の引力は一方的な原因なのではなく、実は地球と物体のあいだには相互作用が成立しているのである。両々原因であると同時に結果でもある等々」(廣松「マッハの哲学」マッハ前掲書三五二頁)ということだ。
 まさにミーチンの言っている〈関数関係は「連関の確認」にすぎない〉などという言説が、全く的外れな批判だということがわかるだろう。まさにミーチンは「根本的な原因を探し出す」などとして原因の実体化をおこない、それを通じて機械論的因果論に結局は陥没しているのである。
 マッハにより斥けられた、かかる因果律的決定論の概念をモーターのひとつにしているレーニンの法則観について、その法則なるものの物象化の機制をみておこう。
 法則はマッハによれば「法則とは知的労働を節約するための縮約的記述である」とされる(同三五三頁)。これは廣松の法則観と相即する。
 廣松は述べている。「個々の法則についていえば、ある種の状態が一定のあり方で随伴、継起すること、この予期的現認が恒常的に充足されること……この現象を斉合的・統一的に説明すべく事象が規則的拘束に服しているという擬人法的な暗黙の想定のもとに、構成的に措定されたもの」(『存在と意味』第一巻五〇六~五〇七頁。岩波書店)ということである。諸関係が生みだした法則という認識から逆に諸関係を「法則が支配する」という想念がうまれるのだ。これを法則の物象化といい、法則なるものが事象を動かしているという『了解』が成立するのである(前掲四八五頁)。まさに法則の客観的実在性という形而上学に陥没することになるのである(くわしくは本書「廣松哲学とエンゲルス主義」を参照してほしい)。


 ●─ ニュートン古典力学への批判とマッハの時間・空間論

 以上の機械論的因果論への批判は、ニュートン力学への以下の批判をベースとするものである。 かかるマッハの要素複合体という概念が、ニュートンの絶対空間・絶対時間の観念を解体することになるのである。
 ニュートンは『プリンキピア』において「絶対的空間は、その本性上いかなる外のものとの関係をも有せず、常に同形的であり、不動である。相対的空間は絶対的空間の或る可動的な次元または測度であって、これをわれわれの感覚が物体に対するそれの位置によって決定する」と定義している。
 廣松は「この命題に対して、マッハ哲学の立場からすれば……(絶対空間は─引用者)経験的には確証することのできぬ単なる思考上のもの」であって、「力学の諸定律は、すべて物体の相対的位置と運動とに関する経験〈を縮約的に記述したもの〉である」と(「相対性理論の哲学」廣松渉著作集第三巻所収。四二四頁)。
 廣松はマッハの「運動一般が相対的である」という説明を紹介する。
 「『物体Kの運動は他の物体群ABC……との関係においてしか判定することができない。われわれはいつも十分な数の相対的に静止している物体ないしは極めてゆっくりとしか位置を変じない物体を役立てることができるので、特定の物体を指示することなくして、あれこれの物体を適宜に無視することができる。このため、物体群は端的に無関係だという思念が生ずる』。しかし実際には、物体群との相互関係をはなれて運動なるものが存立するわけではない。『物体Kがその方向と速度とをもっぱら他の一つの物体K'の影響によって変ずるというとき、物体Kの運動をそれに微して判定する別の物体群ABC……が現前しないならば、われわれは決してKがK'の影響で方向と速さとを変ずるという洞見に達することはできないであろう。それゆえ、実際には、われわれは物体群ABC……に対する物体Kの関係を認識しているのである』。ここでもし『われわれが突然ABC……を捨象し、絶対空間内におけるKの動向を云々しようとするならば、それは二重の誤りをおかすことになろう。第一に、われわれはABC……が実在しない場合に一体Kがどのような動きを示すかを知らないし、第二に、物体Kの動向を判定し自分の主張を検証すべき一切の手段を欠くことになり、従ってわれわれの立言はいかなる科学的な意味をも有せぬことになろう』。
 このゆえに、運動は……いっさい相対的であり、絶対空間内における絶対運動という思念は、発生論的な根拠は肯けるにしても、客観的に存在するとはいえない。『物理空間は物理学的諸要素相互間の或る特別な依属関係』なのであって、……絶対空間なるものは単に思考されただけのものである」(四二五~四二六頁)。
 絶対時間も同様に批判することができる。ニュートンは絶対時間を次のように定義している。
 「絶対的な・真の・数学的・時間はひとりでに、それ自体の本性から、いかなる外的なものとの関係もなしに、一様に流れる。……相対的な・見掛け上の・通常の・時間は、或る可感的・外的な測度─運動という方法による測度─である」と。
 廣松はマッハを援用する。ある〈事物の変化を時間で測ることはできない〉のである。「『事物Aが時間につれて変化するというのは、事物Aの状態が他の事物Bの状態に依属しているということの縮約的表現である……一切は相互に聯関しているのであって、われわれは〈絶対的な基準となる〉特定の尺度をもちあわせてはいない』。『それは余計な形而上学的概念である』」と。
 ここでのポイントは「共同主観的な時間体系、従ってまた物理学的な時間体系は、物体間の位置関係に定位して─平たくいえば時計の針が動いた距離、天体が動いた距離、等々に定位して─組み立てるしかなすすべがない。言い換えれば、時間測定と称されるものは、結局において空間的規定に帰着する。この故に、要素一元論的世界観や操作主義といったマッハ哲学の立場からすれば、物理学体系の原理論においては、『時間という独立変数を消去してそれを空間的規定の指標によって代置すべし』という提題が当然の要求となる」(同四三二~四三七頁)ということなのである。
 まさに時間・空間は「物理学的な聯関においては、感官感覚によって特性づけられる要素相互間の函数的依属関係」(『感覚の分析』二八二頁)だとなるのである。
 まさにマッハはつぎのようにニュートンの時間・空間論を批判的に総括してみせたのである(『時間と空間』野家啓一編訳。法政大学出版局)。
 「ニュートンにとっては、時間と空間とは何かしら超物理学的なものであった。つまり、時間と空間とは直接に到達できるものではなく、少なくとも厳密には規定できない。依属関係をもたない(独立の)原変数なのであって、それにしたがって全世界が方向づけられまた統御されるものなのである。空間が太陽を回る最も遠い惑星の運動をも律しているように、時間もまた最も遠い天体の運動と、ごく些細な地上の事象とを符号させているのである。このような理解を通じて、世界は一つの有機体となる。あるいはこういった表現を好むのならば、一つの機械となるのである。そこでは、一つの部分の運動にしたがってすべての部分が完全に調和しながら動いており、いわば一つの統一的な意思によって導かれている」(一四四頁)云々。
 このような力学的自然観、因果論的・機械論的決定論がニュートン物理学の考え方であり、その考え方をマッハが函数的依属関係という考え方によって否定したということがおさえられなければならない。
 まさに野家が巻末解説においてアインシュタインを引用しているように「一九世紀において、空間という概念を排除することを真剣に考えた唯一の人はマッハであった。マッハは彼の試論において、空間をあらゆる質点間の瞬間的な相対距離の総体という考えでもって置き換えようとしたのであった」(アインシュタイン全集第三巻。四〇三~四〇四頁参照─引用者)ということだ(前掲二一八頁)。まさにこのようにマッハ哲学はアインシュタインの相対論を切り開いた科学哲学だったのである。
 そこで本論の次の幕はアインシュタインが開けることになる。


 ●─ アインシュタイン相対性理論における観測結果の相対性

 ニュートンの古典物理学では、物質の運動は絶対空間に対する運動ということに整理され、物質的諸関係は幾何学的な因果律によって運動する有機体として考えられた。絶対空間・絶対時間というものを「絶対的な座標系」としていたのである。つまりこれに対しアインシュタインは反対の方法をとったのである。ニュートン物理学にあっては「知覚的経験現相(経験としてあたえられた或ること─引用者)を超絶する独立自存の絶対的実在を前提・出発点にして、運動学を構築した。それに対して、特殊相対性理論におけるアインシュタインは、あくまでも経験的現相に定位しつつ、それを可能ならしめている条件の分析に即して時間論・空間論……を構築して行く」(廣松『哲学入門一歩前』講談社現代新書。一〇一頁)ということになる。例えば同時刻の相対性ということが措定される。
 おなじ時間がそれぞれの慣性系で異なる実験として、有名なものに次のような実験がある。廣松の解説によって考えていこう。
 今、二人の観測者は、等速直線運動をする電車がその中央で点灯したところを「車中」と「地上」から各々観測している。
 「今、電車が真直な線路上を走っている。この電車……の中央の実験台上に電球が固定してある。電球に点灯した! さてどうなるか? 車中の観測者にとっては、当然、光は車輛の先端部(前壁)と後端部(後壁)とに同時に到達する。では、この事件を地上から観察した場合にはどうなるであろうか? やはり、前後壁に同時に光が到達するであろうか?」(前掲一〇六頁)。
 「古典理論では、飛行機上から発射した弾丸のように、光の速度と電車の速度とが代数的に加算される。従って、前壁に向かう光の速度と後壁に向かう光の速度とに差があり、前壁までと後壁までは走光距離が違うが、速度のほうも違うので、到着時刻は同時という結果になるはずであった」(前掲一〇七頁)。しかし「光速度一定」という「相対性理論の第二前提のもとでは、そうはならない」(前掲一〇六頁)のである。
 つまりは地上の観測者にとっては、前壁と後壁への光の到着時刻は相違するということになる。この場合、列車の進行方向に対して、車輛の後壁は中央で点灯した点へと走行するので点灯点への距離が短くなる。車輛の前壁は点灯点より先へ進むので点灯点から距離が長くなる。光速度は一定なので、後壁に先に光が達することになるわけである。
 これは車中の観測者と地上の観測者の位置している慣性系の違いから異なった観測がなされるということだ。それぞれの慣性系で異なった時間が流れているということになるのである。すべての慣性系をつらぬく〈時間なるもの〉は存在しないのである。
 「こうして、相対運動をしている一方の系では同時刻に起こった事件が、他方の系では別々の時刻に起こったことになる!」(前掲一〇七頁)。
 さらに電車の長さも観測者の位置で相違する。車内の乗客にとって動いている電車の長さと、例えばこの電車を見ているプラットホームにいる駅員にとっての電車の長さも異なる。運動している座標系では、進行方向に長さが縮むのである。「動いているもの(の空間)は縮む」ということだ。
つまり、時間、空間(長さ)は慣性系によって異なるということが相対論でいわれる特徴である。
「相対性理論によれば、物理的時間や物理的空間というものは、こうして、観測系(観測者)と相対的である。相対論的時空間は、もはや絶対的実在ではなくなっている」。「観測者という要因を導入して言えば、系Sに属する観測者S氏と系S'に属するS'氏とのあいだで」各々「対自的な現相」と「対他的な現相」とは相互共軛的に相違しはするが、それら相違する現相(あるがまま─引用者)的測定値を整合的・統一的に定式・措定する相、それが物理的実在相にほかならないものと見做される所以となる」(これは「質量」についても同じと廣松は説明している)(前掲一一〇頁)。
 「こうして、観測者による間主観的(共同主観的……)な測定・定式ということを離れては、もはや、空間と時間という物理的実在相の措定が意味をなさない」(前掲一一〇頁)となった。
 こうして、アインシュタインはどのような観測においても絶対的な結果をみちびく運動法則があるという自然観を唱える古典物理学のパラダイムをチェンジしたのである。本論ではこれ以上、相対性理論には論脈上ふみこまないこととする。
 本論の舞台は以上を踏まえ、量子力学への舞台回しとなる。タイトルは「不確定性関係」である。 (つづく




2015年3月2日月曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第7章「レーニンの『絶対的真理』論とその教条化――「物質の神学」としてのスターリニズム哲学』(上)



今回から三回に分けて、拙著『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)の「第7章」を掲載します。これは科学哲学の課題でのスターリン主義批判の拙論です。廣松渉の物象化論、科学哲学論と広重徹の科学論、朝永振一郎の量子力学論などに依拠しています。次の掲載予定日は、3月9日ごろの予定です。
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7●─レーニンの「絶対的真理」論とその教条化

  「物質の神学」としてのスターリニズム哲学



 

 ●─ レーニンの「絶対的真理論」と素朴実在論

 スターリン主義党組織論のルーツはなんだろうか。もともとのロシア・マルクス主義の前衛党思想の根底にある「絶対的真理論」が問題となる。その原点がレーニンの『唯物論と経験批判論』(以下、引用はすべて国民文庫版、第一分冊から)である。
 一九〇八~〇九年にかかれたこの論文は、マッハ哲学をもってマルクス主義を豊富化することをめざしたボグダーノフを政治的に排撃するために書かれたものである。もともとは、ボグダーノフとプレハーノフの間における論争として展開されていたものにレーニンが介入するという形で展開された。ボグダーノフはカントの「物自体」を肯定したプレハーノフに対して、要素一元論のマッハに依拠してプレハーノフを批判していたのである。つまり、「物自体」などというような、現象の〈裏側〉で本質として存在し、その本質が諸関係を現象させていると思念するような、ものなどはないとプレハーノフを批判したのがボグダーノフだったのである。
 当初レーニンはこの論争を静観していた。だがボグダーノフと政治的に対立(国会の政治宣伝の場としての利用を表明するレーニンと、急進的闘争を表明するボグダーノフの対立)するにいたってからは、この論争に介入し、マッハの「感覚」概念を「主観的観念論」とレッテル張り、批判をするにいたったということだ。本論ではそのボグダーノフ、プレハーノフ、レーニンをめぐる論争の脈絡にはこれ以上は立ち入らない。本論では、レーニンがその中で「絶対的真理」論を論じた部分をあつかうものとする。
 レーニンのポイントは、素朴実在論にもとづく主客二元論を論定し、これにもとづいて客観的に実在する物質が因果論的に一義的な法則的決定性をもって運動していること、この「法則」を「真理」と規定する。そしてかかる絶対的真理が脳に反映するという真理の認識論を論じているのである。
 ① 「われわれのそとに、われわれから独立して、対象、物、物体が存在し、われわれの感覚は外界の像である、ということである」(レーニン前掲一三〇頁)。
 これがレーニンによる素朴実在論の規定である。認識主観と認識対象(客観)の二元論がいいあらわされている。
 この立場からレーニンはマッハを次のように批判する。
 「唯物論は、自然科学と完全に一致して、物質を第一次的にあたえられているものとし、意識、思考、感覚を第二次的なものとみなす。……マッハ主義は、これと反対の観念論的観点に立っており、たちまちたわごとになってしまう。なぜなら第一に感覚はただ一定の仕方で組織された物質の一定の過程と結合しているにすぎないにもかかわらず、感覚を第一次的なものとしているからであり、第二に、物体は感覚の複合である、という根本前提は、あたえられた大文字の自我以外の他の生物ならびに一般に他の複合が存在しているという仮定によってやぶられているからである」(同五〇頁)と。そしてレーニンはマッハをバークリーの主観的観念論と同じものとしているのである。「バークリーが、『感覚すなわち心理的要素』からは唯我論以外にはなにものをも『組みたてる』ことはできない、ということを十分にしめしたのである」(同五一頁)と。
 後述するようにマッハの「感覚」とは主観の側の「感覚」のことではない。ではなぜレーニンはマッハをこのようにしか分析できないのか。それはレーニンのような素朴実在論にもとづく反映論・模写論に基本的な形式である、廣松いうところの「三項図式」の限界にほかならないのである(この点は次々節で検討する)。
 ②レーニンはかかる素朴実在論にもとづき、客観的(─絶対的)真理概念を法則の客観的実在という考え方から規定するのである。
 「客観的な、すなわち人間および人類から独立した真理をみとめることは、なんらかの仕方で絶対的真理をみとめることを意味する」(同一七四頁)。「科学の発展におけるおのおのの段階は、絶対的真理というこの総和(相対的真理の─引用者)に新しい粒をつけくわえる」(同一七七頁)。「現代の唯物論(「弁証法的唯物論」といわれているもの─引用者)、すなわちマルクス主義の観点から見れば、客観的・絶対的真理への接近の限界は、歴史的に条件づけられている。しかし、この真理の存在は無条件的であり、われわれがそれに近づいてゆくことは無条件的である」(同一七八頁)。
 では、こうした真理の認識とは何をどのように認識することなのか。
 レーニンは次のように論じている、
 「フォイエルバッハは、秩序、法則、その他のものにかんする人間の観念によってただ近似的にだけ正確に反映される、自然における客観的合法則性、客観的因果性を、認めている」。「フォイエルバッハは……自然における客観的な合法則性、因果性、必然性の否定を、公正にも、信仰主義の流派に帰属させている。……自然の客観的合法則性と人間の脳におけるこの合法則性の近似的に正確な反映とを承認することは、唯物論である。……エンゲルスが自然の客観的な合法則性、因果性、必然性の存在にかんしてわずかばかりの疑念をもゆるさなかった、ということは明白であるにちがいない」(同二〇七~二〇八頁)。
 こうした一義的な因果律とこれにもとづいた必然性の認識が「法則」の解明だとされるのである。相対的真理にせよ絶対的真理にせよ、レーニンにあって「真理」とは客観的に実在する「法則」にほかならない。「弁証法的唯物論にとっては相対的真理と絶対的真理のあいだにこえがたい境界は存在しない」(同一七八頁)となる。つまり因果律的必然性の認識が真理の認識としてめざされているということだ。
 「エンゲルスにあっては、生きた人間的実践のすべてが認識論そのもののなかに侵入して、真理の客観的基準をあたえる。……(自然の─引用者)法則をひとたび知ったならば、われわれは自然の主人である。……人間の実践のなかに現れでる、自然にたいする支配は、自然の現象や過程が人間の頭脳のなかに客観的にただしく反映した結果であり、この反映が(実践がわれわれにしめすところのものの限界内では)客観的・絶対的・永久的な真理である、ということの証拠である」(同二五七頁)。
 ③こうした素朴実在論は、物体の客観的実在を時間・空間概念にも展開するものとなる。
 「世界には運動する物質以外のなにものもなく、そして運動する物質は、空間と時間とのなか以外では運動することができない」(同二三六頁)。後述するように、あきらかにニュートン古典力学の共同主観性のもとに論じられていることがわかる。
 「われわれの発展しつつある時間と空間の概念が客観的=実在的な時間と空間を反映するものであり、ここでもまた客観的真理に接近する」(同二三八頁)。ここからレーニンはマッハを次のように批判している。
 「感覚をもった人間が空間と時間のなかに存在するのではなくて、空間と時間が人間のなかに存在し、人間に依存し、人間によってうみだされる、マッハによるとこうした結論が出てくる」と。これは完全な誤読だ。そして、マッハがニュートンの「絶対時間・絶対空間」を批判したことに対し、「マッハの時間と空間についての観念論的見解こそが『有害』である」と論じるのである(同二四一~二四二頁)。
 こうしたレーニンのような素朴実在論とか、法則実在論、実体主義的な時間・空間概念といった理解が、二〇世紀の相対性理論誕生(特殊相対性理論は一九〇五年、一般相対性理論は一九一五年)と平行する時間のなかで、これを学的に把握することができなかった、あるいは客観的に評価することが歴史的な被拘束性ゆえに不可能であったレーニンによっていわれているということなのである。このレーニンの言説それ自体を自立化させて分析するならば、二〇世紀の科学論の展開を完全に見誤ったものでしかないという以外ないものである。


 ●─ 古典力学の自然観を克服したマッハの先進性─広重徹の分析

 だがマッハの言説を主観的観念論などといっているかぎり、二〇世紀の物理学の道筋はまったく理解できないものとなる以外ない。例えばマッハのニュートン古典力学思想─力学の諸原理を人間認識の外に、客観的に実在する数学的真理と考える自然観─に対する違和がアインシュタインの相対論(本論で後に検討する)の契機をなしたのである。広重徹の「相対性理論の起源」(『相対論の形成』所収。みすず書房)にも明らかなようにアインシュタインの相対論は彼がマッハに応接することによって切り開かれたのであり、この相対論の時間・空間論を肯定することは、マッハ哲学の特徴とフレンドな関係に入ることを意味するのである。
 (「マッハ─アインシュタイン問題」─マッハとアインシュタインの同一性とはなにかをめぐる論争─をめぐって、以下の広重説は廣松の分析と異同がある。廣松は「相対性理論の哲学」の最終節、「現時点からの自家評釈」というところで広重説への異同を表明している(廣松渉著作集第三巻四四七頁以下。例えば「マッハの『力学的自然観批判』が、アインシュタインの相対性理論と論理的構制上これというほどの関係があるとはとうてい言いがたい」など)。本論としては、ニュートン力学的自然観からのテイクオフという問題意識を第一とし、廣松・広重両者の折衷ということではなく、どちらからも学ぶという立場をとるものとする。したがって─少なくとも現時点では─廣松・広重説の異同には、それとしては、立ち入らないこととする)。
 例えば広重徹は次のようにのべている。
 「一九世紀の人々は、自然現象がすべて力学的に解明されるべきなのは、偶然的に事実上そうなのではなくて、論理的・必然的な根拠があるのだ、と考えた。それは、力学の原理ないし法則が単なる経験的・事実的な法則ではなく、ちょうど幾何学の公理ないし定理のように、アプリオリな、必然的な真理であるからなのであった」。
 リーマンが「慣性法則は充足理由律(事物の存在や真なる判断はそれを根拠づける十分な理由を要求する─引用者)からは説明できないという注をつけて、力学の法則をアプリオリな真理にまつりあげようとする試みを批判したのも、逆にそれが当時広くみられた考え方であったことを示している。マッハは、『歴史と根元』において、エネルギー恒存則の根元を・仕事を無からつくり出すことは不可能・という認識に求め、この認識は近代力学よりはるかに深く、長い年月にわたる人間の経験に根ざしていることを示した。そうすることによって、一般的な因果律からアプリオリに力学の諸法則を導こうとする努力が無意味であることを主張しようとしたのである」(広重前掲三二四頁)。
 つまりレーニンの因果律的決定論的な法則の客観的実在という考え方が、一九世紀の力学的世界観における共同主観性となっていたこと、これに対するマッハの異和が述べられているということである。
 かかるマッハの思想は、アインシュタインにつぎのような影響をあたえた。
 広重は次のように展開している。
 「一八九七年、ちょうど相対論へと発展する最初の歩みをふみだしたばかりのアインシュタインがマッハの『力学』によって力学的世界観のドグマから解放されたということは、相対論の創出のためのもっとも重要な前提を用意するものであったといわねばならない。マッハは『力学』で、力学の諸法則はアプリオリな原理から導き出されるものでなく、一見そう見えるものも、永い年月にわたる人間の経験から得られた認識であることを明らかにしようとした。……力学的自然観は、力学のいくつかの原理は大なり小なりアプリオリに基礎づけられうるという思い込みに支えられていた。力学の諸原理は、その意味で単なる経験事実の要約を超えた必然的真理であり、それゆえに全物理学の基礎となると考えられたのだった。このような力学の別格視は、力学の諸原理は幾何学の公理に似て規約としての性格をもつというポアンカレ─彼は力学のアプリオリ性をもはや認めないにもかかわらず─の思想のうちにも色濃く残っている。ところがマッハの分析は、力学の諸原理といえども、結局は人間の経験をとおして得られた知識であることを、単なる哲学的命題としてだけでなく、多くの歴史的事実の検討からの結論として示した」(同三三一頁)。
 つまり力学の諸原理も、「経験的事実を集約したもの」(同三二六頁)であり、力学的諸関係を人間が整合的に説明できるように形成した共同主観性にほかならないということだ。
 例えばわれわれは、以上のような広重の言説をマッハの次のような記述からも確認することができるだろう。
 「水平方向に投射された物体の蒙る運動抵抗や、緩い斜面を登る物体が蒙る減速を、頭のなかで次第に小さくしていって、ついにはそれが零になった状態を考えることで、・無抵抗等速運動体・の表象がえられる。つまり、抵抗がなければ物体はいつまでも等速運動をつづけるという考えに至る。そういうケースは実地には現われよう筈がない。それゆえ、慣性の法則は抽象によって発見されたのだというアーベルトの指摘は正鵠を得ている。思考実験、連続的変化によって慣性の法則に到達したのである」とマッハは述べ、「輻射の概念にせよ、屈折の法則にせよ、マリオットの法則にせよ、物理学上の普遍的な概念や法則は、簡潔でしかも普遍的な、限定条件の少ない形に─あまつさえ、これらの概念や法則の綜合的な組合わせによって、どんなに複雑な事実であっても、任意の事実を再構成(換言すれば理解)できるような形に─仕上げられる。カルノーの絶対的不導体、物体の完全な等温性、不可逆過程や、キルヒホッフの絶対的黒体、等々、等々は、そういう理想化の例である」(「思考実験について」廣松渉編訳『認識の分析』所収。法政大学出版局。一一三頁)といくつもの例をあげるのである。
 広重が言うように「こうして、物理学のすべての分野はいずれも経験科学として、同じ認識論的地位をもつものと理解されるに至る。一般的・形式的な原理のレベルにおける力学と電磁理論の統一というアインシュタインの追及した課題は、そのときはじめて設定することができたのである。相対性理論の形成にとって力学的自然観からの完全な離脱が決定的に重要であったことは、一九〇五年以後にアインシュタインの理論が受容されてゆく過程にも反映している。じっさい、相対性理論の内容と意義が正しく理解され、その理論そのものが受容されるためには、アインシュタインの理論が単に電磁気学だけでなく、力学にもかかわるものであることが認識される必要があった。つまり、電磁気学同様力学も相対論の基本的公準に従わねばならないことが認識されてはじめて、相対性理論は受け容れられることになるのである。しかし、そのような認識は力学的世界観と両立しない」(広重前掲三三一~三三二頁)ということなのである。


 ●─ マクスウェルからアインシュタインへ

 本論は唯物論哲学の話なのだが、ここでもう少し、物理学の歴史過程に相即する必要はあるだろう。だからマクスウェル電磁気学からアインシュタイン特殊相対性理論へと展開する物理学の問題意識について、必要とおもわれる記述はしておいたほうがいいだろう。
 朝永振一郎は次のようにのべている。
 一八六四年、マクスウェルは「波の性質をもつ光は電磁波であると結論した。そしていろいろの光の現象をマクスウェルの方程式によって説明することができた。……ラジオの波は回路の電気振動によって生ずる。それよりも波長の短いセンチメートル波を出す発振音は、真空管の中で電子を振動させているものである。電子は負の電気をもっているので、その電子の振動数と同じ振動数をもつ電磁波が発振される。原子は、正の電気をもった原子核の周囲に、電子がとりまいてできている。この原子内の電子の中で外層部にあるものの移動によって送り出される電磁波は、われわれの目で感じる可視光線から紫外線にわたっている。原子内の深部にある電子の振動によるものは、さらに波長が短かく、これがX線である」等々。
 「ニュートンの法則が天体の運動および地球の運動に関するすべての力学的な問題を非常に正確に答えるのと同様に、マクスウェルの理論は光の現象を含めて、すべての電磁気現象の問題にニュートンの法則に少しも劣らない精密さで正しい答えを与える。そして、力学的な現象が電磁気現象に比べてもっと本質的なものであるという理由もない。……マクスウェルの理論が確立された後にも長い間、力学的なエーテルの問題が、いろいろの人によって研究された。そして電磁気現象を力学的に説明しようとすると、どうしても何かの矛盾が生じて成功しなかった。自然現象を力学的な模型で説明することだけが本当の説明であると考えたのは、力学現象がわれわれに一番馴染みが深かったために、そのように考える癖がついてしまっただけで、別にそれ以上の根拠があるわけではない。エーテルは電場と磁場の媒体であって、マクスウェルの方程式で正確に規定されているのであるから、これ以上、エーテルの性質を詮索する必要はないわけである」(朝永振一郎編『物理学読本』みすず書房。五九~六〇頁)。
 だが、ニュートン力学は絶対の権威をもっていた。あらゆる物理現象がそれで整合的に説明されるはずなのである。光の波動の前提として媒体エーテルが考えられたのもそういうことである。マクスウェル電磁気学をニュートン力学を基礎として位置づけたいという学問的な探求がつづけられたということだ。
 だが、ある実験からエーテル仮説は完全に崩壊することになる。
 一八八七年、アメリカの物理学者マイケルソンとモーレイが絶対静止エーテルにたいする地球の相対運動を計測することを目的とした実験を試みた。だが計測の結果、エーテルによる作用はみられなかったのである。その実験をつうじて、アインシュタインはエーテルはないのだとし、そこから特殊相対性理論が確立されたのである。
 なぜ、このような実験がおこなわれたかということが、ポイントだ。
 ニュートン力学では、絶対空間・絶対時間が措定される。それは、いろいろな物理的運動は、絶対空間に対しての運動だと措定することだ。電車が動いているとき、地球が絶対空間に対して静止していたとすると、電車がうごいていることになる。絶対空間を絶対の基準として運動の方向と速度が求められるのである。絶対空間とは物体の運動を観測するために基準になる空間である。そして空間は、エーテルによって満たされているとニュートン力学では考えられていた。例えば、光は波であると考えられたが、真空で媒質がなにもないなら光はつたわらない。だからエーテルが振動して波になっているのだという考えである。つまり空気のない宇宙で光の波をつたえるのはエーテルだということである。
 その場合、運動の方向がちがうと、速度がちがってくる。川の流れに沿って船を漕ぐ場合に対し、逆らってこぐ場合は抵抗が大きいのと同じである。
 地球は太陽の周囲を、秒速三〇キロの高速で公転している。それで地球は、宇宙を満たしているエーテル中を運動しているということになる。エーテルは静止している。地球は東西方向に公転している。したがって東西方向にエーテルに対する流れがあるはずだ。これに対し、エーテルに対して直角になる南北方向はエーテルの抵抗をあまり受けない。したがって、この二方向の光速度の値は違うはずである。東西方向のほうが速度に対する抵抗は大きいはずなのである。
 実験はマイケルソンの干渉計というものでおこなわれた。簡単にいうと南北の二点と東の点にミラーを置き、中央にハーフミラーを置く、西点から光を発射する。光は中央のハーフミラーで南北と東西に分離するように設置するのである。そして、北点と東点から反射した光は南点に投射される。南に設置された観測計で計測するという精巧な装置を用いた実験である。
 しかし実験結果は、この二方向の光速度は変わらなかったのである。つまり、エーテルの抵抗、つまりエーテルは検出できなかった。(エーテル問題でのローレンツ収縮仮説をめぐる問題については省略する)。ニュートン力学では、エーテルがないと光は伝わらない。だが、伝わったということだ。
 「この実験によって、宇宙全体を満たしている静止したエーテルというものは、考えることができなくなった。なぜならば、この実験はエーテルと地球との相対速度が0であることをしめしているからである。……光の場合には、光源と観測者の相対運動を与えるだけで、静止したエーテルに対する速度を求めることはできない。このようにして、エーテルの運動を決定しようとするすべての実験は失敗した。光は互いに等速度の運動をしているいかなる観測者に対しても、つねに同一の速度をもっているのである。エーテルは、動いているとか、静止しているとかいう属性をもっていないのである。光の速さは走っている観測者からみても同じである。真空はどんな手段を用いてもそれ以上、空虚にすることはできないのであって、真空は電磁場を伝える性質をもっているのであるから、エーテルはわれわれのこの物理空間の属性と考えられる。われわれのこの物理空間を離れてエーテルはないのであるから、エーテルは存在しないと言ってもよい。したがって、光速度が任意の互いに等速度の運動状態の観測者に対して同じ値をもっているという光速度の不変性も空間の構造に帰せられるべきことになる」(朝永前掲六一~六二頁)。
 まさにアインシュタインは、かかるマイケルソン―モーレイの実験から、エーテルの存在を否定し、エーテル(つまり絶対空間)無しの理論として、光速度不変の原理(光速度は光源の運動状態とは無関係に一定である。光速度は観測者に対してつねに一定である)と、ガリレイの相対性原理(あらゆる慣性系で力学的法則はすべて同一になる)とを結合して、特殊相対性理論を提起したのであった。慣性系とは、等速直線運動、静止したゼロ量の運動をする場所のことであり、慣性の法則(静止または、一様な直線運動をする物体は、力が作用しない限り、その状態を維持する)が成り立つ場だということだ。
 つまり「光がすべての方向に等しい速さで進むような観測者を考えて、これを慣性系と名付ける。アインシュタインはある慣性系にたいして等速度で動くすべての観測者がまた慣性系であって、自然法則はすべての慣性系にたいして同じであると考えた、これを相対性理論という」(前掲六二頁)。
 こうして、ニュートン力学のような絶対的基準ではなく、慣性系(座標系)においてそれらの運動は互に相対的となるという考え方が成立したのである。ここから後にのべるように、同時刻の相対性ということが措定されることになるのである。
 そしてマッハは、後に見るように、ニュートン力学の「絶対空間・絶対時間」を否定していたのである。こうして、二〇世紀初頭、時代はニュートン力学からのパラダイム・チェンジをとげつつあった。だが唯物論哲学においては、ニュートン古典力学の物質概念が支配していたのだ。
 まさにポイントは、レーニンが一九世紀の古典力学的自然観を機械論的な因果律にもとづく法則の実在という考え方の受容などをつうじ、これを共同主観性として考えていたということだ。それは彼の歴史内存在における存在被拘束性にほかならないのである。
 まさにこのマッハから相対論と量子論が展開した。そして二〇世紀の物理学で明らかになったことは、科学的真理は「絶対的真理」ではなく「相対的真理」であり、その真理も一義的な因果律的決定論ではなく、函数的決定論・確率的真理だということになったということなのである。
 レーニンはボグダーノフを次のように批判した。
 「ボグダーノフは言明している。『私にとってマルクス主義は、どのような真理であるにせよ、その無条件的客観性の否定、あらゆる永久的真理の否定をそのうちにふくんでいる』。……この無条件的客観性とはなにを意味するか?『永久にわたる真理』とは『ことばの絶対的な意味における客観的真理』である、とボグダーノフは同じ箇所で言い、『一定の時代の限界内だけでの客観的真理』をみとめることだけに同意している」(レーニン前掲一五九頁)と。レーニンは絶対的真理(一義一価的決定論)をボグダーノフは否定していると批判しているのだが、二〇世紀自然科学の経験をつうじて明確になったのは物質的諸関係の運動の法則性は、一義的には決定されず、多価函数的にしか決定されないということになったのだ。

2015年2月3日火曜日

渋谷要『ロシア・マルクス主義と自由』(社会評論社、2007年刊)第6章「廣松哲学とエンゲルス主義」 



拙著『ロシア・マルクス主義と自由』第6章(社会評論社、2007年刊)


廣松哲学とエンゲルス主義

──ヘーゲルの神学的決定論とエンゲルスの法則実在論


渋谷要


※本論考は、スターリン主義の世界観への批判にとって基本的な内容を提供するものだ。本論でのポイントは主にヘーゲル、エンゲルスの哲学のポイントを批判する内容のものだが、それは内容的に、「法則」「弁証法」「決定論」「因果律」「相互作用」「物質」などの諸概念において、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』、クーシネンを監修者として刊行された『マルクス・レーニン主義の基礎』第一分冊「マルクス・レーニン主義世界観の哲学的原理」などでいわれているポイントと批判的に相即するものである。スターリン(主義)哲学の骨格はヘーゲル哲学の裏返しである。まさにヘーゲル哲学を裏返し的に継承したエンゲルス哲学をステップとして構築されたことがわかるのである。(筆者注)


廣松渉はマルクス・エンゲルス主義が神学と科学主義をこえたと宣揚してきた。そのことをふまえた上で、今日的にあらためて分節すべき問題があると考える。それは一九六〇年代に廣松が著わした論考を中心とした後期エンゲルスの法則実在論に対する価値的な〈改釈〉と、『存在と意味』(岩波書店)での法則実在論に対する批判との内容矛盾を軸とした問題である。廣松の見解の中にあきらかな矛盾が存在するということだ。


(一)「自由とは必然性の洞察」か


これを文献的にいうならば、『マルクス主義の地平』(講談杜学術文庫、以下『地平』とする、ことわりのない限り本章の引用は同書から)での歴史法則論
と『存在と意味』での歴史法則論の違いという問題である。まず何が、どのように矛盾していると疑問をもっているのか。その部分を抜き書きしてみることから初めよう。

『地平』に所収された「歴史法則と諸個人の自由」(一九六三年初稿、六九年完成、以下「歴史法則論」)から引用する。「実現が必然的であり、よってもって自由必然的になるためには、法則性に自覚的に服さなけれぱならない。『理性の狡智」をかりていえば、世界理性の目的を察知し、それを自分自身の目的として措定しなければならない」。「現実の人間的自由を論じようとするとき、法則的必然性の自覚的把捉とそれに自覚的に服するという契機を没却できない」。「内外の必然性を洞察し、それに自覚的に対処しなければならない」(P二四一)としてエンゲルスの『アンチ・デューリング』からつぎのように引用している。「自由は、法則からの独立性に存するのではなく、この法則の認識に、そしてそれに伴って与えられるところの法則を計画的に一定の目的のために作動せしめる可能性に存する」(P二四一)。つまり、「歴史の法則」というものが客観的に実在して、その自己運動に対し合法則的になることが自由だといっているエンゲルスの考え方を廣松は価値的に評価しているのである。

これに対して、『存在と意味』第一巻では、廣松は次のようにいっている。

「常識的な思念においては、事象界には『法則』なるものが在って、事象の生成変化を法則が規制している、ないしは、事象が法則に随って生成変化する、と了解されている」。「われわれは、法則なるものをそれ自身が規制力をそなえているものとして擬人化することをしりぞけるだけでなく、事象なるものをそれ自身が法則に随順するものとして擬人化することもしりぞける」(『存在と意味』第一巻、岩波書店、P四八五)。

法則とは「ある種の状態に一定の状態が一定の在り方で随伴・継起すること、この予期的現認が恒常的に充足されること…この現象を斉合的・統一的に説明すべく、事象が規則的拘束に服しているという擬人法的な暗黙の想定のもとに構成的に措定されるものにほかならない」(P五〇六~五〇七)。

つまりここで廣松は、客観的に白存的な法則などはなく、それは、対象と人間の共軸的関係がつくりだし、共同主観的に認証された〈説明〉にほかならず、「lawGesetz」などの「法」「掟」とおなじ位相にあるものだといっているのだ。

こうした見方に対して「法則が客観的に実在する」という考え方は、物象化的錯認だということだ。物象化とは「日常的意識にとって物象的な存在に思えるものが学理的に反省してみれば単なる客観的存在ではなく、いわゆる主観の側の動きをも巻き込んだ関係態の『仮現相(錯視されたもの)』である事態を指す」(『廣松渉著作集』第一三巻。三頁)のである。法則の物象化とは、法則なるものが自己運動して世界が創造されていると思念するということだ。こうした「法則」実在論を廣松は『存在と意味』では完全に錯認であると言い切っているのである。

だがこれはエンゲルスの法則実在論、「自由とは必然性の洞察だ」という考え方とは、まったく異なった考え方であり、それは文献的にいえば、『地平』では評価されている後期エンゲルス流の法則実在論を批判することをつうじてなされているということなのである。

あきらかに、両者には違いがある。この点をもう少し廣松の『地平』に内在してみていくことにしよう。


(二)「ヘーゲルからエンゲルスへ」という系譜の評価


まず『地平』の「歴史法則論」では、廣松はなにを問題意識としているのか、全体的なところからみていくことにしよう。

「唯物史観における歴史法則の必然性と諸個人の白由行為との関係について、どう理解するかし(P一九二)というのが論点だ。そこで廣松が言いたいのは、従来マルクス主義は「決定論」だといわれているが、本来は「決定論」と「非決定論」という対立図式そのものを乗り越えたものだということだ。

現代の決定論としては、「万象を力学的な法則性に服せしめる」近代科学主義がある。それは、中世の神学的決定論(森羅万象は神の意志によって全一的に支配されている)にかわり『必然性の連鎖を破るものは存在しない」という法則決定論にほかならない。廣松は、こうした決定論とマルクス主義が同一視されるのは、ロシア・マルクス主義の科学主義によってであるとする。

ロシア・マルクス主義は、その科学主義的発想から、決定論と因果論の承認とを同値化し、『因果律を承認する以上、マルクス主義が決定論の立場をとるのは当然である』と称する。しかも、その際、いうところの因果律をもって、結局は機械論的な、力学主義的なそれに事実上還元してしまう傾向がある」(P二〇一)。つまり徹頭徹尾、認識論的には反映論であり、客観的にある法則を発見し合法則的な活動によって、たとえばルイセンコ学説のように植物の発生・発育環境を人為的に操作し自然生態までもかえられるという科学主義を標傍したロシア・マルクス主義は、そのかぎりで決定論として規定されるべきものであり、廣松の言うようにこれを超えていくことが課題化されるべきだ。

これに対し「本来的にはマルクス・エンゲルスの思想そのものの内部には、決定論・非決定論というスコラ的な問題構成は存在しない」(P二〇二)というのが、廣松の基本的な立場なのである。

そこで次に廣松のいうマルクス・エンゲルスの本来的立場というものが何なのかということが問題となる。そしてここから廣松はほとんどエンゲルスに依拠して論じていくのであるが、かかる決定論の立場を乗り越えた者がへーゲルだったというエンゲルスの『自然弁証法』の引用からはじめている。

「へーゲルが、これら二つの観方(すなわち非決定論と決定論)に対立して、従来まったく耳にしたことのないような次の命題を携えて登場した。すなわち偶然的なものは必然的であり、必然的なものは偶然性として自己を規定する。そして他面においてはこの偶然性はむしろ絶対的な必然性である」と。つまりエンゲルスの言うへーゲルの「必然性は偶然性を媒介として貫徹される」という考え方が、かかる二元論の克服の出発点となったというのである。『地平』の廣松はここで、エンゲルスを援用しつつへーゲルの「白由・必然論」をポジティブなものとしてうけつごうとしている。

「(へーゲルは)『自由は、必然を前提し、必然を止揚されたものとして自己のうちに含んでいる』こと、『一般に白分が絶対理念に全く規定されているのだということを知るのが人間の最高の自立性である』ことを主張する。この命題は、しかし、いわゆる決定論として受け取るべきではない。この立言は彼の有名な『理性の狡智』の発想と相即的に理解しなければならない」(P二〇五)と廣松は言う。

「理性の狡智」とは、歴史過程は神の絶対知の自己実現の過程なのだが、その場合、神は歴史を担っている人間を好き勝手にふるまわせておくが、「その結果として生じてくるものは神の意図の実現であって、それは神が手段として用いている人びとが追求していたものとは全く別のものである」(P二〇六)ということだ。そのような「世界理性の意図を対自的に知り、絶対理念に全一的に規定されていることを知るのが人間の最高の自立性であ」る。「必然性の洞察が自由だというへーゲルの思想は、このような内実をもつ」。廣松はそれを「歴史の趨向を対自的にとらえ、それにアンガージュすることであると言い換えることもできよう」(前掲P二〇六)と、きわめてラフにおいている。

だが「必然性の洞察」ということをへーゲルが言う場合、それは、概念実在論というへーゲルの立場からみて、「神のロゴスヘの洞察」と言い換えられるべきものであり、「歴史の趨向を対自的にとらえる」と言いかえるのはあまりにも〈改釈〉がすぎるのではないか。

さらに廣松は、「世界理性も個別者を好き勝手にやらせておく”──この個別的な事象、つまり大法則にとっては偶然的な諸事象が全体としては大法則を貫徹せしめるという発想である」とし、「この発想法を単なる思弁的図式にとどめることなく、現実的な仕方で定律化する方向をとることによって、唯物史観は自由と必然の問題を積極的に処理しうべき視座を確保することができた」(P二〇七)とのべている。つまりここでは廣松は、へーゲルの弁証法、「理性の狡智」という考えをポジティブなものとし、これを方法論的に継承するといっているのだ。

つまり廣松は、「偶然性を通じて必然性が貫徹される」というへーゲル流の考え方は、近代科学主義の全一的・機械論的な決定論ではないということをいいたいのである。廣松はその内容をつぎのように説明している。

「『理性の狡智』という思想から、形而上学的な『世界理性』を消去し、法則性を世界に内在せしめるとき、そこにうかんでくる法則性と個別的事象との関係は」「河の流れと水の分子の運動との関係に類するであろう」(P二一四)として、水の分子は、河流の法則によって一義的に規定されているわけではなく、「あらゆる方向にあらゆる速度で……自由運動」することが前提である。これは、「商品の需要法則」が「売買の自由」を前提するのと同じだという。こうしてかかる「自由運動の『合成力』としてのみ」河流が存立するというのである。このことにもとづき「歴史法則と諾個人の行為との関係」(P二一五)を定義したのが『地平』の廣松にほかならない。

そしてこうした論考の背景には、近代の因果律が「『一定の原因が合法則的に一定の結果を必然的にひきおこす』という命題で定式化された」ことに対し、「それの原理的限界性を鋭く指摘したのがへーゲルである。へーゲルは因果律を止揚して『相互作用 Wechselwirkung』というカテゴリーでおきかえたのであった」(『マルクスの根本意想は何であったか』、情況出版、P一七八)という廣松の へーゲル理解が存在する。


(三)『弁証法の論理』でのヘーゲル批判


だが、ここでつぎのような疑問がおこってくる。へーゲルの弁証法が、近代科学主義の因果律にもとづく決定論ではないにしても、それは前提的にいえば神学的決定論の集大成ではなかったのか、それとかかる評価はどのように整合的に採られているのかという疑問である。廣松渉『弁証法の諭理』(青土社)においては、その点がつぎのように言われている。

へーゲル弁証法の場合「それは絶対的観念論と不可分の在り方をしております。そしてこのことが由因となって、実体=主体たる絶対者の自己運動(因に『論理学』は『天地創造に先立っての神の思惟』とされております)として思念される下降の途にあっては、フュア・エスとフュア・ウンスという構制をはじめ上昇の途で勘案されていた有意義な契機が没却される事態を招いております。迂生に言わせれぱ『当事主体』と『われわれ』、『著者』と『読者』との交錯した対話的構造を抜きにしては、上昇的であれ下降的であれ、そもそも弁証法が成立しえないのが道理です。対話なき弁証法、この没概念のもとでは、せいぜい読者の内なる擬似的対話を操ることしかできず、実質的には託宣の連続たらざるをえません」(P一二四)。

このように『弁証法の論理』の廣松はへーゲルの「理性の狡智」という方法は、「対話なき弁証法」であり、そもそも対話的構成を抜きにした、所詮神のモノローグでしかなく、形態論的にも弁証法とは呼べないといっている。まさにここではへーゲルの神学的決定論こそが暴きだされている。〈神〉。であれ、〈物質〉であれ、「すべてのものの根源」なるものを措定し、その根源、本質の自己運動として森羅万象を、歴史を叙述するような形而上学的な発想自体がキッパリとしりぞけられているのである。

だが、このような『弁証法の論理』における廣松の言説と『地平』でのへーゲル弁証法を高く評価した廣松のそれとはあきらかに矛盾しているのではないだろうか。

廣松はかかる問題を『マルクス主義の地平』の「歴史法則論」においては、「マルクス・エンゲルス」がへーゲルの観念弁証法を現実の諸関係に唯物論的に換骨奪胎しつつ、「『理性の狡智』という図式を批判的に継承している」とし、そのようなものとして「マルクス・エンゲルス」の歴史法則論が措定されている。

「エンゲルスは言う。…『歴史的出来事は、偶然によって支配されているようにみえる。だがしかし、皮相にみれば偶然性のたわむれである場合にも、その偶然はつねに内奥にひめられた法則に支配されているのであってこの法則の発目几こそが問題である』」(P二一六)とし、この「法則」をエンゲルスに即しながら論考していく運びとなっている。

廣松はそこで「理性の狡智」のシェーマを「偶然性を通じて必然性が貫徹するという弁証法」の命題においてひきつぎつつ、「マルクス・エンゲルス」が、廣松の言葉で「多価函数的な連続関係」、つまり「同一の原因から二つ以上の結果がそれぞれ一定の確率で生じうる」という考えを確立したことをつうじて決定論と非決定論の双方とものりこえたと論じている。

だがしかし、こうした「多価函数的な連続関係」と言ったものを、「理性の狡智」といったシェーマにはめこむのは無理だと思う。なぜなら、廣松の言う「多価函数的な連続関係」ということ自体は、複数の連関する対話的構造をもつと思われるものだが、へーゲルの「理性の狡智」とか、エンゲルスの言う「歴史法則」といったものは、「歴史の法則性」なるものを実体化した形而上学的な決定論でしかないのだから。

ともあれ廣松は、かかる準備作業をふまえつつ「歴史法則論」の第四章『歴史・内・存在の自由性」で、「自由論」の本格的討究へと入っていく。そしてそれが、本章第二節においてすでに示したものなのである。

ここでは廣松はエンゲルスの『アンチ・デューリング』を引用(P二四一)しているのだが、それは「自由は、法則からの独立性にあるのではなく、この法則の認識に、そしてそれにしたがってあたえられるところの法則を計画的に一定の日的のために作動せしめる可能性に存する」という法則実在論にほかならなかった。

エンゲルスはこの「法則」を、物象化の機制としてとらえていたかのように廣松は論じているけれども、だがここで廣松が引用しているエンゲルスの論述を素直に読めば、やはりエンゲルスは客観的な法則の実在を信じていたとしか私には思えない。エンゲルスが物象化の機制、つまり法則なるものを、あるいは「法則」をもふくむ「威力Macht(マハト)」なるものを人間の社会的諸関係が、人間諸個人からは外化した自然の力としてつくりだしたものだということをふまえて論じているとはどうしても私には信じられない。

初期のエンゲルスとマルクスの『ドイツ・イデオロギー』における Macht論とは異なって後期エンゲルスの「法則」論は、やっぱり法則実在論になってしまっているのではないか。ところが廣松は、この点で、エンゲルスの「歴史的法則性にもとづく認識」という考え方を〈改釈〉し、人間の判断と実践は、「共同主体的な協働による」、「歴史の趨向を洞察」するためには「各々の我が我々になっていなければならない」として「真の共同社会においてのみ人格的自由もはじめて可能になる」と自由論を展開し、マルクス主義において、自由とは「プロレタリアートの先駆的決意性」(P二四二~二四六)であるとしめくくるのである。

だがここで、協働連関の対自的な在り方の問題と「法則」の問題がどのように接合されるのか問われなければならない。同じ「協働」といっても、法則実在論にのっとり、法則の担い手を自覚することを命題とした、例えば、ロシア・スターリン体制下の協働もあれば、法則実在論から解放され、神学的決定論にせよ、科学主義的決定論にせよ「法則の支配」なるものをつくりだしている協働連関の有り方を積極的に変革していこうとする協働もあるのだから。
 こうしてエンゲルスの法則実在論(を価値的に評価し〈改釈〉する廣松)と『存在と意味』(で法則実在論を批判する廣松)との対質がおこなわれなくてはならないこととなる。


(四)「法則の客観的実在性」という考え方への批判


まずエンゲルスの考え方からみていこう。エンゲルスにおける「法則」とは、人間の協働連関から外化した、物質の自已運動の「法則」ということであり、人間の間主体的、対自然的な活動が物象化した相でとらえられたものという認識ではなく、「法則」なるものが客観的に、あるがままに存在する真理として存在すると考えるものである。

「すべては細胞である。細胞がへーゲルの即自有であって、そこから最後に理念(イデー)すなわちそれぞれの場合に完成した有機体が発展してくるまで、その発展において正確にへーゲルの過程をたどっている」(一八五八年七月一四日エンゲルスのマルクスにあてた手紙)。そしてこのへーゲルの「理念」を転倒したものこそエンゲルスの措定する「物質」なるものだ。

「物質(der Stoff, derMaterie)とは、物質というこの概念がそこから抽象されてきたところの諸物質の総体にほかならず、運動そのものとは感性的に知覚しうるあらゆる運動形態の総体にほかならない」(『自然弁証法』マルクス・エンゲルス全集二〇巻、P五四四)。かかる概念的に抽象化された「物質」なるものの自己運動の法則を記述するものが、弁証法だと規定される。「弁証法、いわゆる客観的弁証法は、自然全体を支配するものであり、また観念的弁証法、弁証法的な思考は、自然のいたるところでその真価をあらわしているところの、もろもろの対立における運動の反映にすぎない」(前掲P五一九)。

つまり物質の運動は人間存在から外化して客観的に存在しており、この運動の法則に対して客体たる人間が、その法則を発見し合法則的に関わっていくことが人間の課題となるというわけである。「弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的運動=発展法則に関する科学という以上のものではない」(『フォイエルバッハ論』、岩波文庫、P六二)として、客観的に存在している弁証法なるものが、決定論的・法則的な支配を展開しているというのが、エンゲルスの法則論であり、まさに法則実在論の立場にほかならない。へーゲルでいうならばこれはジットリヒカイト(人倫)、神学的決定論を〈神〉の理性の狡智から、〈物質〉の理性の狡智へと転じただけのものである。こうしたエンゲルス流の法則実在論については、例えば廣松は『存在と意味』第一巻で、「人々は、今日では、中世ヨーロッパの実念論派の知識人たちとは異なり、果物という普遍が存在するからこそリンゴやナシという個別が存在するのだとは思念しない。ところが、法則となると、人々は今日でも暗黙の裡に、法則という普遍態が存在するからこそ個々の合法則的な事象という個別態が存在するのだという構図で思念してしまう」(P五〇四)と批判している。

廣松は「客体それ自体の法則性」ということを批判し、「星座の客観的配列」という思念を例にとりあげて次のように述べている。

「人が、もし、ギリシャ・ローマ風の星座区画を以って星の客観的配列であると主張するとすれば、それはたしかに誤りであろう。中国風の星座やマヤ式の星座も同等の権利を主張しうる」。

「われわれはその都度一定の星座というかたちでしか見かけ上の星群を統握できないというかぎりで、論者たちが主客二元化を前提したうえで要求するごとき客体それ自体の法則性なるものをのかたちで認識することは原理上不可能である」。「論者たちの発想と語法に半ば妥協して」いうならば「法則性は主客の協働において存立する」。

「今度は別の論者が登場して次のように反問するかもしれない。『ギリシャ式星座、中国式星座、マヤ式星座…が同じ対象群の相異なった定式化であり、依って以って変換的に対応づけることが可能である所以の客観的配列が厳存するのではないか。個々の星座にこめられている主観的契機を消去することによって、純粋に客観的な配列を認知することができるのではないか』云々。われわれの見地から言えば、論者たちの謂う主観的契機を完全に消去してしまうことは原理上不可能である。論者たちの謂う客観的な配列なるものが、すでに、原理的には、ギリシャ式、中国式、マヤ式…星座と並ぶもう一つの星座でしかありえない」(以上『存在と意味』第一巻、P四八六~四八七)。

こうして「星座」とか各々の分析対象がどういうものとして考えられ、捉えられるかといったことは、主体的・立場的分節において説明されるものであって「星座」といった分析対象と人間の共犯関係によってつくられ、人々の間でそう分節することが妥当だと判断された共同主観性としてのみ定立するということである。まさに「自然像とは、自然そのものの像ではなくして、自然に対するわれわれの関係の像」(ハイゼンベルク)なのである。

このことをふまえた上で、最後にこうした「法則の客観的実在性」という思念はどのようにして形成されるのかを『存在と意味』からみていくことにしよう。

「おそらく、法則は『事象の生起に先立って未在的に既在しつつしかも事象の径行に規則的な作用をおよぼす』ものと思念されることに由来する。この思念は『規制的拘束力をもった法則なるものが在って、事象の振舞いはその法則に随う』という了解と相即する」。そして「人々は、人間の行動を内省してそれが一定の拘束的規制に服していることを覚識し、この拘束的規制への随順という行動の在り方を万象に推及する」。「このさい、しかも拘束的に規制する『掟』の既在性、それの規則力を人々は覚識する次第であって、法則の実在性という思念はこの覚識に根差すものといえよう」(P五〇四~五〇五)。

このように法則なるものは、ある事象を共同主観性の位相において、統一的に「説明」し、人間が対象と主客協働の位相で、主体的に分節し「構成的に措定された所識相」として定めたものにほかならないのである。

こうして『存在と意味』では廣松は、エンゲルスの考えているような「法則」の客観的、自存的定立と、それを人間が認識へと反映するということとは全く反対の思考を展開しているのである。廣松がこのような後期エンゲルスの思想をそれとして知っていないわけはないだろう。しかしなぜ、このような矛盾が生みだされたのだろうか。それは私には廣松によるエンゲルスの政治主義的擁護の結果のように思えてならない。

いずれにしても、『地平』の廣松はエンゲルスのかかる法則実在論を批判することなく、価値的に評価し〈改釈〉している。すくなくとも『地平』と『存在 と意味』とのかかる矛層は、哲学者廣松渉ではなく、「マルクス・レーニン主義者」廣松渉の「理性の狡智」によってしくまれていると思うのだがどうだろうか。