2022年3月25日金曜日

ソ連スターリン主義を継承するロシア帝国主義戦争国家のウクライナ侵略戦争・「最初」の一ヶ月――ウクライナ人民(ー軍・民)のレジスタンスを支持し、難民を救援しよう

 【新稿】 ソ連スターリン主義を継承するロシア帝国主義戦争国家のウクライナ侵略戦争・「最初」の一ヶ月――ウクライナ人民( ―軍・民)のレジスタンスを支持し、難民を救援しよう

                              渋谷要

 最終更新 2022・4・02 23:00                    

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 2月24日、ロシア帝国主義はウクライナへの侵略戦争を開始した。まさに今、「一帯一路」を軸とした拡張政策を全世界的に展開する中国スターリン主義と同盟関係を強化し、ウクライナに対する侵略戦争をはじめたのがロシア帝国主義である。これは、欧米日帝国主義に対する世界「再分割」を表明する戦争の一部分にほかならない。欧米日帝国主義に対し、ロシアは、ウクライナをNATOとの中間地帯として維持し、また、ロシア勢力圏の一部として確保せんとしてきた。それがプーチンのウクライナ侵攻の「正当化」の筋書きとなっている。 

 「ウクライナのNATO加盟阻止」ということだ。そのため、ロシアの権力者たちは、ウクライナの首都キエフを制圧し現政権を打倒、ロシアの傀儡政権を樹立して、NATO加盟を阻止しようとしている。それは同時に、ウクライナを占領する選択をのこすものだ。

 そのためにウクライナの東部二州に展開する親ロシア派の武装勢力が事実上の支配地域としている地域を「独立国」として一方的に「承認」するという挙動にでた。そこには「ウクライナに居住するロシア国民を守るため」という正当性の主張がある。また、そのためにプーチンによる侵攻を正当化する「声明」では、世界で一番の「核兵器」の保有国・ロシアを直接攻撃することは自殺行為だとの文言を表明し、それを「防衛のため」と言い切っている。まさにプーチンは、核戦力をふくむ核抑止部隊を、「高度の警戒態勢に置くよう軍司令部に命令した」のである。そしてチェルノブイリ原発を軍事制圧・占領し、欧州最大規模のザポリージャ原発を軍事攻撃で占領した。さらに別の核施設にも軍事攻撃をかけて占領している。

<2>――A

だが、ロシア軍のウクライナ制圧は、思うようには進んでいない。侵略の開始から一ヶ月(3月24日現在)たつが、「電撃的攻勢」で制圧するはずだった、キエフは、いまだに制圧できず、「キエフから15キロに待機している」といわれていた、ロシア軍の部隊は、合衆国の情報筋によると、3月24日には、ウクライナ軍民の激しい抵抗闘争によって、キエフとは50キロの距離までに後退しているといわれている。

 他方、南東部、マリウポリなどでのロシア軍の攻勢はつづいている。ロシア軍の砲撃によってこの廃墟と見間違うような都市となったマリウポリには、まだ、10万人の民衆がとりのこされているという。

 だが、こうした、ロシア軍とウクライナ軍民の闘いでは、いまだに「制空権」をウクライナ側が握っているということは、現局面では非常に象徴的だ。つまり、そう出る以上は、戦闘状態は長くなるはずだ。これに対し、ロシアのミサイルは、ベラルーシ(キエフの北)、親ロシア派占領地のいっわゆる「共和国」(キエフの東)、黒海(キエフの南)から、爆撃機で攻撃し、ミサイルを発射して、都市を無差別に破壊し、逃げ出そうとした人民に射撃している。

 また拘束して、ウクライナ人数千人を、ロシア軍が、ロシア領に強制移住させ、そこからさらに遠隔地に連れ出していると、マリウポリの市議会が声明を発表している(本文【注解】参照)。

 <2>――B 

 では、なぜ、ロシア軍はプラグラム通り進めないのか。いろいろな、行く手を阻まれているのはなぜ、という思いが現れてきてもいる。

 実は、ロシア軍の十分の一の規模ともいわれているウクライナ軍の方が、ロシア軍より、兵器的な機能としては、圧倒的に優れた兵器を手に戦っているということがあるのではないか。

 だから、この2-Bの記事は不快感を覚える人がいるかもしれないが、それが、まさに、このレジスタンス闘争(国土―市民社会防衛闘争)の「唯物論的現実」だ。本論論者は、これを認識したうえで、レジスタンスを支持する。

 例えばこういうことだ。ロシア軍に対し、ウクライナ軍民は、対戦車砲で、道になん十列も並ぶ戦車を一つ一つ攻撃し破壊している。例えばこの対戦車砲だが、一番評価されているのが、米帝(軍産複合体)が生産している「ジャベリン」だ。着弾は二段階で、初めの弾頭がサブ、そのあとメインの弾頭が爆破して装甲を貫通する。射程は2500メートル。上空に向けて撃てば、ヘリコプターも撃破できる。こう言ってよければゲリラ戦仕様なのが特徴で、兵士の肩に乗せて持ち運びできる。発射時にロックした標的に向けて自律飛行する。こういうのが、米帝から支給されている。これは、爆発の力を分散させる仕組みを備えるロシアのT90戦車などの装甲もこの、二段階式弾頭なら貫通することができるというものだ。

 また、例えば、スティンガー地対空ミサイル(携帯型で、命中率もよいとされているが、バッテリーの持続時間が短いなどの短所もある)で、高度6000メートルの空域を部分的に閉鎖することができており、ロシアの空の戦闘力を減速している。ロシア軍は戦闘機100機以上を損失しているとの観測がある。また、人民は火炎瓶を大量に作り、徹底抗戦の構えを一層強化している。まさに軍民総力戦でのレジスタンス(国土ー市民社会防衛戦争)が闘われている。

 さらにウクライナの国産対戦車ミサイルとしては、「スタグナP」が、キーウに拠点をおくルチ設計局というところで、生産されている。レーザービームでもってミサイルを目標へ誘導するレーザー誘導式のもので、長距離であっても貫通力が保持されている。また、この対戦車ミサイルは、三脚に設定して、50メートル離れたところから、ノートパソコンのようなリモコンで、操作することができる。兵士が反撃されるリスクが低減されるというものだ。これもゲリラ戦仕様だ。

 また、ウクライナは、NATOなどに対してウクライナ上空を、「飛行禁止空域」に設定するよう求めている。だが、その設定は、アメリカ合衆国などが直接、戦争に軍事上のかかわりを持つことを意味し、「第三次世界戦争」の引き金になるなどのリスクがあるため、アメリカ合衆国などは態度を留保している。飛行禁止空域の設定を行った主体が、監視する義務を負うためでもある。「飛行禁止空域(区域)」(NFZ)は、軍事上の概念であり、「飛行機が飛んではいけない」空域に、設定することである。設定した軍にとっては、禁止されているのに飛んでいる飛行機は、攻撃してよいとされるものだ。

 (※ 現在、こうした空域に設定されているものとしては、ワシントンDCの「防空識別圏」や、日本では米軍・横田基地などや、日米安保軍の射爆撃場にかかわる「制限空域」などがある。日本の法制では、航空法80条・航空法施行規則173条によって規定するものとされている。有名な作戦では、湾岸戦争後、イラク戦争開戦前の「サザン・ウォッチ作戦」が有名だ。1992・8~2003・3・19イラク戦争開戦まで、イラク南部を飛行禁止空域として、アメリカ合衆国が中心となり、英仏が参加して、監視行動―作戦行動を展開した。)

 こうした、一連の軍事問題の配列において、レジスタンスの武装闘争が闘われている。この闘いの近代ブルジョア法上の法思想的な位置づけを確認しておこう。近代国民国家には、国家―市民社会に、民主主義法秩序の破壊を阻止し、破壊された秩序を回復するという目的で、自然権が保有されている。「国家緊急権」「抵抗権―革命権」だ。よく、絶対平和主義の立場からは、国家緊急権は「ファシズム」、抵抗権―革命権は「民主主義」と発想されるが、それは「一面的」な見方であり、国家―市民社会(個人)を総体として守る自然権として規定されたものだ。だからファシズム国家の侵略から、民主主義国家が国家緊急権を発動する事態がある。それが、典型的には、第二次世界戦争における「レジスタンス」であった。ウクライナの軍民が、レジスタンスで、自分たちの国家と生命を守るために戦っていることは、この近代市民法上の常識と言えるだろう。彼らがその権利を権利として、またその権利を自己の義務として選択している以上、断固として支持する。

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 そもそもウクライナ東部、ドンバス(ドネツク、ルガンスク両州)の分離派・親露派の支配地域の問題は、2014年、ロシアがクリミアを帝国主義的に併合して以降、開始されたウクライナ東部での親露派のドンバス一部地域の武装占拠・実効支配に関わる問題だ。2015年2月、この内戦の停戦合意として、ロシア、ウクライナの当局者と、ドイツ、フランスで、ベラルーシのミンスクで「ミンスク合意」がまとめられ、停戦が成立した。この間、なぜ、フランスなどがロシアのウクライナ侵攻をやめさせるための調停に動いたかということには、こうした背景がある。

 だが、問題は、この合意文書では、東部二州の親露派支配地域に「特別な地位」を付与するとの規定があったことだ。ここで親露派の権力を主張したのが「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」だ。彼らは、実効支配している地域のみならず、ドネツク、ルガンスクの全域が「特別な地位を付与する」地域に相当するという領有権を主張し、ウクライナ政府と争うことになった。その「特別な地位」の解釈は、また、「高度な自治権」という意味をとれば、外交権が主張でき、ウクライナのNATO入りを封じる権限となる。

そういうロシアの勢力圏の形成計画は、ロシアの権力者たちにとっては、1989年ソ連東欧圏の崩壊以降、分散・分解した旧ソ連の各国を、ふたたび、大ロシアのクレムリンに統合しようとする「再統合」(西側に行った分解した国家のクレムリンへの再統合)、つまりNATO諸国に対する東欧圏「再分割」の野望にほかならない。だから、ウクライナがNATOに入ることは、その野望の破壊となるのである。「大ロシアの版図を復権せよ」それは、ソ連邦の復活でもある。だが、もはやこれは、資本主義と社会主義との「生産様式」の違いというような価値観とは、まったくちがった、「大ロシアの版図」の問題なのである。

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そうした中で、ロシア権力者たちは、ロシアの「同盟国」である、ベラルーシを動員しようとしている。この間、ベラルーシの核武装を可能とする、憲法改定が成立した。 

 ベラルーシは、2月27日(2022年)、改憲国民投票をおこなった。20年夏の大統領選での不正が取りざたされているルカシェンコ大統領は、抗議行動を大量拘束で弾圧。EUの制裁対象となった。1999年、ベラルーシはロシアと「連合国家」を創設する条約を締結している。そして、2021年11月、「共通軍事ドクトリン」の改定をもって、安保協力を強めてきた。短距離ミサイル「イスカンデル」、防空ミサイル「S400」の配備などだ。そして、改憲国民投票となった。

 その改憲案の内容は、ベラルーシを「中立地帯」「非核地帯」とする条文の削除が規定されている、これで、ロシア核兵器の配備は可能になる。さらに大統領の任期の延長(最長2035年まで可能となる)ができ、さらに、大統領在任期間の責任が問われない特権が付与されることが規定されている。

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また、ロシアの旧ソ連領「再統合」という観点からいうならば、2008年の「南オセチア戦争――ロシア・グルジア(ジョージア)戦争」は、想起されるべき事態だ。

 2022年3月3日、旧ソ連構成国のモルドバとジョージア(グルジア)が、EUへの加盟申請書に署名した。2月には、ウクライナ国が自国領土に侵攻しているロシアに対してEU加盟申請書に署名している。 

 ロシアの権力者たちは、旧ソ連邦諸国を自身の「勢力圏」とみなし、欧米との接近を阻害してきた。とくに、ジョージアは、2008年、国内のロシア派がその支配地である南オセチアとアブハジアが独立しようとしたときに軍事介入(グルジアの主張では、グルジア軍陣地に対してオセチア軍が大量発砲したことが戦端だったというが、オセチア軍はこれを否定している)。これに対してロシアが「平和維持」を「正当性」として軍事介入し、「南オセチア戦争」となった。結果はロシアが8月26日、グルジア領とされている南オセチアとアブハジアの独立を承認。さらに、ロシア軍はこの地域に、軍隊を残し、「ロシア軍占領地域」(グルジア側の言い方)を形成している。

 今や、東ヨーロッパは、<東・西帝国主義ー間ー争闘戦>のひとつの戦場となりつつある。

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 今回のロシアの権力者たちのウクライナ侵攻は、そうした、「特別な地位」をもつ地域を独立の主権をもった「独立国家」として「承認」し、ウクライナのNATO加入に対しそれを廃棄させる、また、NATO加盟をめざすウクライナの現政権を転覆させるという、「ロシアの国益保護」という「正当化」による、侵略ということができるだろう。

 ロシアの権力者たちが、「承認」した二つの「共和国」は、もともと、ロシアの権力者たちが、ウクライナの侵略のために、クリミア併合以降、用意した、「クリミアの次」の作戦政府にほかならない。

 もちろん、こうした暴力による領土・主権の現状変更は、国際法が禁止していることはいうまでもないことだ。こうした全体主義国家の暴力支配は、ソ連スターリン主義の時代から、いわゆる「東欧圏」には連続的に起こってきたものだ。1956年ハンガリア革命に対するソ連の反革命戦争や、「チェコ事件」などは、その一部だ。ソ連の東欧支配では「制限主権論」によるモスクワの全東欧支配という構図が展開した。

 そうした「独立国家」なるものからの要請を受けて、その国家の安全保障の名目で、ロシア帝国主義の権力者たちはウクライナに侵略戦争を開始した。戦争はいつも、「防衛」を「正当性」の根拠として開始される。 

 プーチンは元・KGB官僚だ。そういう手法は、彼にとっては前提の話だ。これに対して、ロシアの人民は、ウクライナ侵略戦争に反対する反戦デモを闘っている。反戦デモを闘うロシアの人民、侵略の重圧に苦しむウクライナ民衆と連帯し、怒りに燃え、やむにやまれぬレジスタンスに立ち上がった民衆を支援せよ。

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 さらに、もう一つ、広いウインドで、かかる事態を見るならば、こういうロシアの権威主義国家・全体主義国家の戦争政策は、また、「一帯一路」で全世界的な拡張政策を展開する中国と同盟し、欧米日に対する世界市場と「勢力圏」の「再分割」を目指す意図を常に保持するものだというべきだ。帝国主義の「再分割」をめぐる争闘戦である。

 実際、中国は欧米日などが「経済制裁」を発表し始めるや、中国外務省報道官は、2月25日の会見で「制裁は有効な解決手段ではない。対話を」と表明している。が、侵略行為という国家犯罪をどのように処罰すればいいと考えているのか不明だ。まさに中国は、ロシアのウクライナ侵略と並行して、台湾への軍事侵攻を画策している。「一つの中国」戦略をもって、台湾を併合したい中国にとって、ロシアのウクライナ侵略は台湾侵略の正当性の形成にリンクするものだろう。このように、ロシア帝国主義のウクライナ侵略は、世界に戦争の火種をばらまきはじめている。

 ★ロシア帝国主義のウクライナ侵略戦争を弾劾せよ!

 ★欧米日帝国主義とロシア全体主義・中国スターリン主義による<帝国主義ー間ー争闘戦>を弾劾せよ!

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【解説】帝国主義国民国家とグローバリズム

●グローバリズムと国民国家の軸心が描く座標系を確認することが必要だ

 ロシア帝国主義のウクライナ侵略戦争であきらかとなったように、欧米日が、ロシアに対する経済制裁にのりだし、これまでなかったほど大掛かりな制裁をロシアに科していることだ。それはNATOにおいて、ロシアが侵略戦争を継続し、今以上に過激な兵器を使用するなどすれば、ウクライナへの軍事支援から、その一線を越えて、兵力投入となり、「世界戦争」へと展開する危機を内包したものにほかならない。

 この「経済制裁」だが、ロシアから欧米日の進出企業が引き上げる、ロシアから欧州への天然ガスの供給を欧州の側からストップするんどのほかに、それ以上に、厳しい制裁を、ロシアの侵攻の直後に科している。それが、SWIFT (Society for worldwide  interbank financial  telecommunication)からのロシアの排除だ。これは国際貿易の資金送金の手段で、2020年では、毎日3800万件の送金メッセージがあった。本部はベルギーで、2020年には、3600万ユーロの利益を計上した。この契約から排除されると、の国際金融市場へのアクセスが制限される。企業・個人の輸入品支払い、輸出金の受け取り、海外での借り入れ・投資ができなくなる。もちろん、電話、メッセージアプリ、電子メールなどでの決済チャンネルはOKだ。制裁を科していない国の銀行を経由して支払いを行うことになる。だが、代替手段は効率性や安全性が低い。取引量の減少やコスト上昇の可能性を伴う。

 端的には、ロシアの場合、ドル建てでの取引はできなくなる。ロシアはルーブルでの交易を独自に開始しあとわれているが、ルーブル価値の下落が決定的である以上、今後のロシアの対外交易関係の悪化が懸念されている(ただし、この制裁対象に、ロシア最大手のズべルバンクは含まれていない)。

  ルーブル市場は、ロシア通貨市場にとって取引が停止され、ソ連時代のように、為替レートが人為的に固定されたものになる。排除の解除が不明であり、1991年のロシア危機よりはるかに深刻な事態となっている。

 また、ロシアは、製造業製品の大口購入国。世界銀行のデータでも、たとえば、オランダとロシアは、ロシアにとっては、二番目と三番目の貿易相手国だ。そしてロシアはEUへの原油・天然ガスの供給国だ。この代替を見つけるのはむつかしいとされている。そこでエネルギー価格高騰はさけられないものとなる。そこまでしても、制裁に踏み切ったということだ。 

※ ただ一方で制裁を「暗号通貨」ですり抜けるのではないかともいわれている。だが通常、暗号通貨で取引されている額は、ロシア政府が必要とする資金量に対して、それほどおおいものではないともいわれている。

 さらにG7は、ロシアを「最恵国待遇」から除外する検討に入った。これは品目によって違うが、関税は少なくとも10倍以上に跳ね上がる処置だ。また、ロシア航空機に対するEUの全空港の閉鎖、米国内のロシア中央銀行の資産凍結や、プーチンなどロシア権力者をはじめとし、オリガルヒといわれる米国内ロシア富豪の資産凍結など、広範な経済制裁を展開している。

 そういう中で、オスロ発 3月01日 ロイター配信によれば、ノルウェーの大手肥料メーカー、ヤラ・インターナショナルは1日、ロシアウクライナ侵攻で世界的な食糧供給が危機となっていると警告している。

 「ウクライナとロシアは、合計で、世界の小麦輸出の約29%、トウモロコシ輸出の19%、ひまわり油輸出の80%を占めている。それだけでなく、ロシアは窒素肥料の生産に不可欠な天然ガスや原料も輸出、ヤラによると、窒素とカリ、リン酸という肥料の三大原料は欧州向けの25%がロシアから供給されているという」。ヤラは「ロシアへの依存を減らしてゆくため」「国際社会の団結」を訴えている。「国連世界食糧計画(WFP)のビーズリー事務局長も先週、ウクライナで戦争が始まったことでWFPの食糧支援能力に大きな影響が生じると述べ、食糧と燃料、輸送費の高騰への懸念を表明している」ということだ。

 以上をみてもわかるように、国民国家がグローバリズムに介入し、敵対する国民国家に対して戦略的な圧力、国際市場からの排除が可能となることが、立証されたのである。

21世紀に入る前あたりから、グローバリズムが、コスモポリタン的なニュアンスをもって論じられ、もう、国家間戦争などは起こらない宇宙の時代に入ったと考える経済学者の言説なども見受けられるようになった。だが、そうした「超国家」は、結局は、<学的幻想>であり、グローバリズムの軸線は、国民国家の軸線と座標系を形成して、展開するものに他ならないということが、今回のロシアのウクライナ侵攻とそれによって顕在化した。まさにロシア・中国と欧米日の<帝国主義-間ー争闘戦>という事態(これが今後、どう展開するかはともかく、今日、鮮明化してきた時点で、国民国家のヘゲモニーの顕在化ということは、十分に実証されている)で、はっきりと確認できるものとなっているのだ。

※ 本論論者(渋谷)の、ネグリなどの「超国家」論に対する批判としては、『国家とマルチチュード』第三部第一章「グローバリゼーションと軍事同盟」、社会評論社、2006年、245~247頁を参照してほしい。◆


【注解】スターリン主義の敵対民族「強制移住」政策について

 ――ファシスト思想と同義なスターリン主義(Stalinist,Nazi and other dictatorships「2019・9、欧州議会」「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」という決議文に基づく)は、現在もロシアで生きている

【リード】今は、2022年3月20日だ。ウクライナに軍事侵攻したロシア軍が、ウクライナ南東部の港湾都市、マリウポリの住民数千人を、一週間かけてロシアに強制移住させた、そしてロシア国内の遠隔地に移送している模様だ、という同市当局の「市議会の声明」としての情報という記事が、CNN・CO・JPのニュース(yahooニュース3月20日(日)10:24 配信)で配信されている。

 ナチスやスターリン主義者が、20世紀にやったことだ。この強制移住を一言で言えば、「敵対民族解体政策」にほかならない。プーチンは、ロシア、べラルーシ、ウクライナの「民族的一体性」という大ロシア主義を叫んでいる。そのためには、どんなことでもするということだろう。まさに、そうした帝国主義的民族主義は、20世紀のナチスやスターリン主義者の後継をなすものにほかならない。

【序節】民族の概念をめぐって――スターリン型民族実体主義の陥穽

そこで、基本的なことから始めよう。民族の概念の問題については、そもそもの民族の定義からはじめなければならないだろう。民族の定義についてみたとき、例えばスターリンの実体主義的な民族概念を問題とする以外ない。

スターリンによれば「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である」。そしてこの「すべての特徴が同時に存在する場合に、はじめて民族があたえられるのである」というものだ(スターリン『マルクス主義と民族問題』、一九一三年、引用は国民文庫、五〇~五一頁)。

このような観点からスターリンは、「経済的に分裂し、異なる地域に住み、異なる言語をつかっているユダヤ人」は民族ではないと論じたものである。

この民族規定は資本主義勃興期における国民国家形成をもとにしたものにほかならないのであるが、かかる規定性は結局、民族の様々に異なった「すべての特徴が同時に存在する」とはとてもいえない諸民族の存在条件の多様さの中で、普遍的定義としては破産せざるをえなかった。

まさに廣松渉がいうとおり「個々の徴標で以って『民族』の区分を一義確定的におこなおうとしても、“客観的に”無理なのである。当事者たちが日常的・既成的に設けている『民族区分』を個々の徴標に即して学理的に追認しようと試みても徒労に終わる」(「国民国家の問題構制」著作集第一四巻。岩波書店、三六七頁)ということだ。

例えばスターリンの言っていることに応接するならば、「言語」の同一性というけれど、様々な人種、民族が、例えばアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどでは英語という同一の言語を話している。しかも異なる国民国家において話している。「地域」の同一性といっても同一地域内で諸民族は混在し、また世界各地に同一民族が存在している。さらに「経済生活」の同一性といっても自給自足経済は、すでに世界的な経済連関によって不可能となり国際化している。「文化」の同一性についても国家の中に多民族が同一の文化をつくり、民族文化は国境をこえて交流しあっているのが実情である。

例えば日本人はハワイ、ブラジルに何十万人も居住し、コーリアンは韓国、朝鮮共和国、日本、アメリカ、中国東北部に居住している。

ここがポイントなのだがスターリンの規定では、それは民族ではないということになってしまうのだ。

スターリンの民族概念からこの現実を見た場合、“同一民族”の一部を他民族あるいは他民族の要素にしなければならないことばかりがおこることがわかるだろう。民族はさまざまの民族、国家、市民社会、共同体の複合的な間主体的関係性において相互に形成されてきた。自存的に形成されたものなどはなく、歴史的過程において変化しているものでもある。したがって「民族」とは結局、個人の自主的な規定と申告による以外なく、客観的に規定できるようなものではないのである。これは多民族国家としてのロシアなど既に歴史的事実となっていることだ。

まさに民族を実体主義的にあくまでも捉えようとすると人間の自然的関係性としてある「血統」とかいう「たしかなもの」に依拠する以外なくなる。

だがその「血統」(同胞的同族性)でさえ「歴史的過程で他民族出身者との混血がおこなわれ、文化的にも異民族からの影響を蒙り、以って民族的固有性・特有性が薄れる方向で長年月の歴史的経過を閲してきたはずである」。「祖先・故知を共有するということだけなら、そこから発して複数の民族が成立する可能性…を排除できないのであって、この“同胞的同族性”自体は民族にとって必要十分条件ではないのである」(廣松、前掲三六四~三六五頁)。まさにスターリン型民族実体主義は完全に破産し去っているのである。

この序節では、「民族」の概念をめぐる問題を論じてきたが、そのことをふまえて、以下、以上の内容とは、区別された、政治闘争(広義)・政治政策(広義)としての「民族」の問題を考えて行こう。

―――――以下、【本節】

 ●スターリン主義「民族理論」のニュートラルな政治的応用性

序節において記した、このスターリンの「民族」規定は、例えば、一地域が帝国主義国家に支配されるなどの抑圧・圧政状態から解放を勝ち取ろうとする民族解放闘争の場合、「この言語・地域・経済生活・文化の共通性・一体性を営む民族国家はわれわれの主権によってできているものだ。侵略者は出て行け」ということにおいては、民族の結束を生み出す、闘争論的に極めて妥当性を持つ規定となるだろう。だからかどうか、第三世界――発展途上国・経済新興国のマルクス・レーニン主義系統の民族解放勢力においては、「スターリン支持」の勢力が存在する。

だが他方で、この規定は、今日のウクライナ問題のばあいなど、「大ロシア主義」をかかげるプーチンにすれば、大ロシアが、いくつもの国家に分かれているのはおかしい、小ロシア=ウクライナは、クレムリンの「勢力圏」だ、ということに、口実をあたえるものとなるだろう。これは、一言で言えば「同化主義」である。だが、この帝国主義的同化主義に対して、ウクライナ民族は、そもそも、言語が違うし、その同化主義はウクライナ民族の解体を意味するとして、民族解放――反併合・民族自決の闘いを必要とすることになる。それが、今日の、ロシア帝国主義のウクライナ侵略に対するレジスタンスという闘いだと、規定できるのである。

まさに、民族解放闘争にも、帝国主義的民族主義にも、対妥当するものであり、例えば、民族解放闘争の側からは、そうした帝国主義的民族主義を拒絶することになる。ロシア・スターリン主義は、他民族を支配し、民族が存在する様態を、クレムリンの都合のいいように作り変える論理として、こうした民族規定をもちいたのである。


 ●スターリン民族理論と「敵対民族」解体政策

そこで、こうしたスターリン民族理論は、歴史上、以下のような党国家に敵対すと彼らが考えた民族への攻撃の武器となった。「言語・地域・経済生活・文化の共通性」「歴史的に構成された人々の堅固な共同体」を、強制移住で解体するという政策だ。それにはまず、その解体対象の民族をクレムリンが政治的に支配する必要があった。

このような中央―地方の関係は一九二一年、スターリン、オルジョニキーゼによって強行された、赤軍のグルジア軍事占領などを先鞭に展開されたものである。グルジアでは一九一九年、憲法制定議会で八〇%の支持を得たメンシェヴィキ政府が樹立された。レーニンはこれを承認したが、それは、グルジアのボリシェビキにはなんの話もなしにこれを、おこなったのである。そして一九二一年、オルジョニキーゼ、スターリンが赤軍を動かしグルジアを軍事的に占領し「ソヴィエト権力」を樹立してしまった。グルジアにとっては、その樹立は外国軍の占領にしかすぎなかったということだ。そしてグルジア共和国のソ連邦への加入手続に反対するグルジア共産党委員会―民族独立派の抵抗を粉砕する党内闘争が展開されるのである。

さらに第二次大戦期、大規模なソ連邦内の諸民族に対する強制移住が行われた。「ナチス占領軍に集団協力」したという理由での政策であった。一九四三年から一九四四年にかけて、「チェチェン人、イングーシ人、クリミア-タタール人、カラチャイ人、バルカル人、カルムイク人の六民族がシベリア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスへ」。さらに「ギリシア人、ブルガリア人、クリミアのアルメニア人、メスヘティア-トルコ人〔グルジア南部のトルコとの国境に近く住むイスラム化したグルジア人〕、クルド人〔旧ソ連ではアゼルバイジャンとアルメニアに多く住んでいた〕、カフカスのヘムシン人〔十八世紀にイスラム化したアルメニア人〕」が強制移住させられた。

こうした移住政策は、スターリン主義権力にとって、その中央権力に対して自立化しようとする民族を解体しようとする意図をもっていた。

例えばチェチェン・イングーシ自治共和国は、ナチスが一九四二年九月から十週間占領しただけだった。だがチェチェンは、一九世紀、ロシアの植民地政策に反対して闘い、ソヴィエト中央権力からも独立する意図をもち、一九三〇年代からの農業集団化に反対。ソヴィエト中央権力―内務人民委員部(NKVD)はこれを軍事的弾圧、特殊部隊による大砲・飛行機での攻撃などがおこなわれたのである。そういう民族に対する解体攻撃にほかならない。チェチェン人、イングーシ人の強制移住では一九四四年二月に約五二万人にのぼる強制移住としておこなわれた。そして「移住者はコルホーズまたは事業所に配属された」が宿舎は最悪の衛生状態であり、生存条件はきわめて悪かった。大量の死者がでた。そして子供たちには「ロシア語」での教育が義務付けられたのだ(ステファヌ・クルトワ、他『共産主義黒書―ソ連篇』恵雅堂出版 二二八~二四三頁)。 つまりスターリンにとってはこの集団移住は中央権力からの自立をつよめつつある民族の解体を意味したのである。

●ウクライナと強制移住の歴史

ここで、スターリン主義によるウクライナでの強制移住、棄民支配を見ていこう。ここでは、1930年代のスターリン主義全盛時代の問題を取り上げる。なぜなら、この時期のスターリン主義の所業が、ソ連の歴史で、一つの歴史的土台となってゆくからである。プーチン政権にも、「国家強権主義」として繋がる、というものとして、本論論者(渋谷)は考えている。

以下は、ステファヌ・クルトワ、二コラ・ヴェルト『共産主義黒書――犯罪・テロル・抑圧――<ソ連編>』(外川継男訳、惠雅堂出版、2001年、原書1997年)の「第七章 強制的集団化とクラーク撲滅」「第八章 大飢饉」からの引用である。

1932(~1934)年、ウクライナなど穀倉地帯で強制的食糧徴発から大飢饉が発した。これに対し8月、スターリンは、「国営企業、コルホーズ、協同組合の財産保護と国有財産の防衛強化」に関する法律を発布した。違反に対してはしけの死刑の適用までがあった。さらに「労働規律」が強化され、正当でない欠勤は一日でも解雇され、宿舎、配給権を失うことになった。革命後廃止されていた国内旅券制度の復活も、コルホーズ農民には、旅券権利は認められなかった。1933年になると、コルホーズから穀物の国家制定価格での引き渡しの義務が復活。こういう中で、1930年代、農業強制集団化と、そのための「クラーク(富農)撲滅隊」という行政独裁の政策が展開し、それは、政治警察・ゲーペーウーの指導により展開していった。強制的な農業集団化にたいしては、多くの農民反乱が闘われた。「最も激しかったのは、ウクライナ、とりわけポーランドととルーマニアの国境近くの西ウクライナで、そこでは全地区が当局の統制を回避した。次いで黒土地帯と北カフカスであった」。この中央黒土地帯は、かつて、1918年のボリシェビキによる「食糧独裁令(食料徴発)」と闘った一大拠点であり、左翼エスエル(社会革命党左派)の牙城だったところだ。

「弾圧は酷いものだった。西ウクライナの国境地帯だけでも1930年3月末に『反革命分子の一掃』で逮捕された者は、一万五〇〇〇人以上にのぼった。その他2月1日から3月15日までの40日間にゲーペーウーは2万6000人を逮捕し、その内650人を銃殺した。ゲーペーウーの資料によれば、秘密警察の特別裁判で1930年には2万200人が死刑を宣告された」。

強制移住については、次のようだ。

なお、この以下の引用文の文献中では、「クラーク」の等級に「第一」から「第三」まであるが、そこまで、細かな引用は本論の内容を複雑にするだけだというのが私の判断なので、本論では、自粛することとする。

「膨大な数のクラーク(これにはクラーク(富農)より圧倒的に多い数の一般農民などが含まれている――引用者・渋谷)の強制移住は、完全な即興とアナーキーの中で行われた。それは前代未聞の『強制移住=棄民』となって、政治にとって経済的になんらプラスにはならなかった。……クラークの強制移住は1930年2月の第一週からはじまった。政治局によって承認された計画では、第一段階で六万家族の移住が四月には終わっていなければならなかった。北方地域で四五〇〇〇、ウラルで一五〇〇〇家族を受け入れることになっていた」。

「このように強制移住者は予備の食糧もなしに、多くの場合には仮寝の小屋すらないしに、定住することを余儀なくされた」。

「1931年の夏から、もっぱらゲーぺーウーが『特命入植者』と呼ばれるようになるこの強制移住者の、追放から『開拓村』までの全行程に対して責任を負うようになった。この調査によると、約21万の逃亡者と9万の死亡者がいた。大飢饉の年だった1933年には、当局の統計では1933年1月1日に記帳された特命入植者114万2022人中、15万1601人が死亡したことになっている。したがって年間死亡率は、1932年は6・8%、1933年は13・4%となる」等々。<強制移住=棄民=死>ということだ。

さらに、飢饉が襲う。「1932~1933年の飢饉については、農村の強制的集団化の結果生じたソビエト国家と農民との新しい関係を抜きにしては、これを理解することはできない。集団化された農村では、コルホーズの役割は戦略的なものだった。それは『集団的』収穫を次第に厳しく取り立てることによって、国家に農産物の一定の引き渡しを確保する機能を持っていた。……1930年に国家はウクライナで農業生産物の30%を、北カフカスの肥沃なクバン平野では38%、カザフスタンでは33%を徴収した。1931年の収穫はずっと少なかったが、この比率は41・5%、47%、39・5%に上がった。このような徴収の強化は生産のサイクルを混乱させただけだった」。まさに、農民と地方当局との紛争が起きるのは、さけられなかった。だが、スターリニスト官僚の農民に対する弾圧は容赦なかった。

「『黒いリスト』(公的用語に従うなら)に記されたいくつかの地区に関しては、次のような手段がとられた。商店からすべての生産物を撤去すること。商業活動の完全な停止、現在貸し出されている融資の即時返済、非常特別課税、ゲーペーウーの後援のもと速やかな手続きですべての『サボタージュ参加者』、『社会的異分子』、『反革命分子』を逮捕すること、『サボタージュ』が続く時は、住民は大量強制移住に処されるものとされた」。

「ウクライナではモロトフ団が同様の処置を講じた。徴収計画が達成されなかった地区の名が『黒いリスト』に記され、前述したような結果を生んだ。党の地方組織の粛清、コルホーズ員だけでなく、『生産を減少させた』疑いのあるコルホーズ幹部も大量逮捕された。このやり方はまもなく他の穀倉地帯にも適用された」。

まだまだだ。

「スターリンとモロトフが著名したこの通達は地方当局、とりわけゲーペーウーに対して『ウクライナと北カフカスの農民が都市に大量脱出することをあらゆる手段で禁止し、反革命分子の逮捕後、他の逃亡者はその居住地へつれ戻す』ことを命じていた。通達は情況をこう説明していた。『中央委員会及び政府は、この農民の大量脱出は、ソビエト権力の敵、反革命家とポーランドのスパイによって、とくにコルホーズ制度とソビエト権力一般に反対する宣伝目的で組織されているという証拠をもっている』

飢餓が襲たすべての地区で、汽車の切符の販売がただちに中止になった。農民が自分たちの地区から脱出するのを防ぐために、バリケードが築かれ、ゲーペーウーの特殊部隊による検査が行われた。1933年3月初めに、ある政治警察の報告は飢餓農民の都市への脱出阻止作戦で、一ヶ月に二一万九四六〇人が尋問され、うち18万6588人は『元の居住地に戻され』、他の者は逮捕されて、裁判にかけられたことを伝えている」。

まさに「大量強制移住」と「住居強制封鎖」という、人民を人間と思わない、単に、国家・スターリニスト特権官僚の支配を維持する「道具」として位置付ける、そういう体制が、スターリン主義なのだ。

飢餓はハリコフで最もひどかったという。

「農村の死亡率は1933年の春に最高に達した。飢餓にチフスが加わった。数千の人口の村が数十二しか生きられなかった。ゲーペーウーの報告と同様、ハリコフ駐在のイタリア外交官の報告にも人肉を食うケースが書かれている。

「『ハリコフでは、毎晩飢え死にしたか、チフスで死んだ、約250の死体が集められています。その大部分は肝臓がなくなっています。顔を大きく引き裂かれて、取り出されたものと思われます。ついに警察は、これでピロシキを作って市場で売ったと白状した何人かの「切り裂き魔」を逮捕しました。』

 1933年4月にクバンのコサック村を訪れた作家のミハイル・ショーロホフ(『静かなるドン』の作者――引用者・渋谷)は、スターリンにあてた二通の手紙(前頁参照/――この前の頁にその文面がのっているものがある――引用者・渋谷)の中で、地方当局が拷問を用いてコルホーズ員からその保存食糧を徴収し、飢えにさらしていることを詳細に書いている。スターリンは作家へ返事(次頁参照)を書いて、自分の立場を単刀直入に明かした。彼は農民は『ストライキをやり、サボタージュをやった』から、また『ソビエト権力に対して必死でゲリラ戦を行った』から処罰されたのだと答えた」。

それは、こういう工業化という「正当性」のために、スターリンがおこなった、農民への国家テロだったのである。つまりこうだ。

「何百万という農民が飢えで死んでいったこの1933年にも、ソビエト政府は『工業化の必要』のために180万トンの小麦をがいこくに輸出しつづけた。……地理的に『飢餓地帯』は全ウクライナ、黒土帯の一部、ドン、クバン、北カフカスの肥沃な平野、そしてカザフスタンの大部分を覆っている。約4000万人が飢餓若しくは食糧不足を経験した。ハリコフ周辺の農村地域では、1933年1月から6月までの死亡率は平均より10倍も高くなった。1932年6月のハリコフ地域の死亡者は9000人だったが、1932年6月には10万人に達した。……ウクライナの農民は、少なくとも400万人という犠牲を払った」。

「実際のところ、ウクライナやコザックの定住地など多くの地区で、とくに黒土帯のいくつかの地区で、この飢饉は、一九一八~一九一九年に開始されたボリシェビキ国家と農民層との対決の最後のエピソードであった。一九一八~一九二一年の反食糧徴発と、一九二九~一九三〇年の反集団化闘争地帯と、飢餓に襲われた地帯とは、驚くほど一致している。一九三〇年にゲーペーウーに記録された一万四〇〇〇の農民騒擾と農民反乱のうち、85%が1932~1933年の大飢饉に襲われた地区中にあった」ということである。

※この1918年のボリシェビキ政権による「食糧独裁令」(食糧徴発)については、拙著では「 ロシア農耕共同体と世界資本主義 」(『世界資本主義と共同体』、社会評論社――東京都文京区本郷、2014年、所収)、「ボリシェビキ革命の省察」(『エコロジスト・ルージュ宣言』、社会評論社、2015年、所収)を参照してほしい。革命的マルクス主義者としては、厳しい省察が必要だと考えるものである。

【結語】

●こういうのが、スターリン主義なのである。そこでは、敵は刑に服させるのだけではなく、姿事、消滅させてやる、それが「正義」だと、そう考えるのが、スターリン主義なのだ。だから、大量強制移住、強制収容所、強制隔離政策などは、スターリニストにとってはフツーの話なのだ。「ブルジョア民主主義」的「適法性」などは、関係ないパラダイムなのである。 一端、降伏したら、とことん、降伏した人間は奴隷にされる以外ない。そして必ずや抹殺される。だから、戦争となったら、そこから遠くへ(スターリニストの主権がとどかないところに)逃げるか、レジスタンスとして闘うかしか、人間として生きる選択肢はないだろう。

●もう一つだけ、広いウインドを開けてみよう。世界には言語を基準にした場合、四〇〇〇の民族が存在している。そして約一九〇ある主権国家は、一つ一つが多数の民族の共同体としてあるのだ。民族のすべてが<一民族一国家>として独立するならば、そのすべてが国家として自立するみこみがないことは前提だ。だから多民族の共生と共和制のみが民族の存在を確保するのである。

例えば20世紀後半には、旧ユーゴ・ボスニアにおいては、セルビアとクロアチア、モスレムの民族自決権の主張から内戦が勃発したが、このなかで人口の一割をしめる「ユーゴスラビア人」は完全に無視され存在する場所さえ失ってしまった。さらに旧ソ連の崩壊では各共和国に居住していたロシア人二五三〇万人は外国人となり、そのうちの多くの人々がロシアへの民族移動を余儀なくされるにいたった。

まさに<一民族一国家>なる超国家主義幻想は、スターリン型の民族の実体視と、その実体視された民族〈なるもの〉を国民国家へと二重写しに実体視するという民族国家実体主義にほかならない。大ロシア主義、そして、北京・中南海の台湾軍事併合の恫喝など、まさにこのような国家主義的民族主義が、世界の何処を見ても戦争と難民をつくりだしているのだ。

民族の平和において問題なのは、民族の多義的な存在と共生を認めあい、<民族をこえた人民>の権利と生存の保証、平和的生存権を実現し確保すること以外ではないと考える。どうだろうか