2019年8月9日金曜日

戦争と帝国主義に関する考察――戦争問題の≪古典≫としてのレーニン「戦争と革命」を読む  渋谷要




戦争と帝国主義に関する考察――戦争問題の古典としてのレーニン「戦争と革命」を読む  渋谷要


(★★内容更新コメント)
以下のレーニンの講演『戦争と革命』では、宇野弘蔵による指摘、レーニン『帝国主義論』における「初期独占」と「帝国主義的独占」の混同は、ある程度、イギリス型とドイツ型の区別の確認としては、払しょくされているのではないか。詳しくは、本ブログでは「『帝国主義論の方法』について――宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート」を参照のこと。

(リード
2019年現在、日米軍事一体化・沖縄辺野古―南西諸島軍拡をはじめとした日本帝国主義ブルジョアジーを一つの勢力として、アメリカ帝国主義の対イラン軍事外交(ホルムズ海峡危機)、中距離核戦力(INF)全廃条約失効(2019年8月~)などを先端としての、EU諸国、ロシア、中国、朝鮮、韓国―アジア諸国間を相互にリンクさせた帝国主義間軍事外交が、新たな段階を迎えている。
ここでは、世界資本主義の「帝国主義『段階』」(この「段階」は、レーニンの時代から現象形態をかえつつ、現在に至るまで本質的に続いていると、本論論者(渋谷)は、考えている)における反戦平和運動の<古典>をなす、レーニンの反帝闘争論から考えていく。



第一節 レーニン「戦争と革命」を読む



レーニン「戦争と革命」(1917年5月講演)について



一九一七年「二月革命」で、ツアーリ(帝政)権力が打倒され、右派エスエルとメンシェビキなどを中心とした「臨時政府」(ブルジョア革命派)と、ボリシェビキ(都市)と左翼エスエル(農村)を中心とした労働者・農民・兵士代表ソビエトの人民権力の二重権力状態になったロシア。その革命情勢のロシアに、四月、亡命地よりもどったレーニンはその年の五月、「戦争と革命」という講演をおこなった(レーニン全集第二四巻、大月書店、所収)。



 ソビエト(評議会)……二月革命ではブルジョア民主主義を目的とするものが多数意見だったが、しだいにプロレタリア革命を目指すボリシェビキへの支持が多数意見となってゆき、プロレタリア革命に傾倒して行く。レーニンたちは、このソビエト運動を策源として「赤衛隊」という労働者民兵運動を造った。これが一〇月蜂起の中心部隊になった。このときのレーニンらのスローガンが「全権力をソビエトへ!」である)



この講演は、勃発した第一次世界戦争(一九一四年~講演当時も戦争中)に対する社会主義者の立場をしめしたものである。その内容は本論論者(渋谷)の考えでは、革命的反帝闘争(この場合「革命的」とは、階級闘争の考え方を土台とした帝国主義戦争反対の闘いという意味)を組織し始めたレーニンら反帝国際主義者が、どのような政治内容(帝国主義本国における革命的「祖国」敗北主義という考え方)を形成してきたかを、総括したものとなっている。

レーニンによる「戦争とロシア社会民主党」(一九一四年発表)などでの「帝国主義戦争を内乱へ!」という、革命的「祖国」敗北主義(労働者人民にとって真の敵は国内にいる。それが戦争で利益を上げるため戦争に踏み込んだブルジョアジーだ。だから「自」国ブルジョアジー権力(「自」国帝国主義)を打倒しよう!という政治方針)の提起以降、レーニンは多くの意思統一文書を作り、革命運動を組織して行った。

「民族自決権について」(一九一四年発表)、「第二インタナショナルの崩壊」(一九一五年発表)、「帝国主義戦争における自国政府の敗北について」(一九一五年発表)、「社会主義と戦争(戦争に対するロシア社会民主労働党の態度)」(一九一五年発表)、「ツインメルバルト左派の決議草案」(一九一五年執筆)、「社会排外主義との闘争について」(一九一五年発表)、「日和見主義と第二インタナショナルの崩壊」(一九一五年執筆)、「革命的プロレタリアートと民族自決権」(一九一五年執筆)、「社会主義革命と民族自決権」(一九一六年発表)、「ユニウスの小冊子について」(一九一六年発表)、「マルクス主義の漫画および『帝国主義的経済主義』について」(一九一六年執筆)、「自決に関する討論の決算」(一九一六年発表)、「プロレタリア革命の軍事綱領」(一九一六年執筆。一九一七年発表)、「プロレタリア民兵について――遠方からの手紙 第三信」(一九一七年三月執筆)、「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」(四月テーゼ、一九一七年四月)、「ロシア社会民主労働党(ボ)第七回(四月)全国協議会」での「戦争についての決議」、「民族問題についての決議」(一九一七年四月発表)、「革命前にわが党は戦争についてどのような声明をしたか」(一九一七年五月発表)、「ボリシェビズムと軍隊の『解体』」(一九一七年六月発表)等々で、レーニンは、「戦争と革命」の問題での意思統一と論争をくりかえし行い、革命運動を組織して行ったのである。

(以上あげたレーニンの文献・文書は全て『レーニン全集』(大月書店)で確認したものである。その文書中にはレーニン死後、刊行図書に収録されたものもある。その場合、本論では、「執筆」時の年だけを記した。これは、その文書は党内に配布され、それで意思統一はされたが、当時は刊行物に収録されたものではないということを意味すると考えるべきものである。当時のレーニンらの国際非合法党活動の一端をその行間に見ないわけにはいかないだろう)。

 そして、その内容が理論的に整理されたものの一つとして、この「戦争と革命」の講演があると本論論者(渋谷)は考えている。

また、この講演は後述するように、ロシアでの一〇月革命(一九一七年)をボリシェビキ党に意思統一した政治文書であるレーニンの『国家と革命』(一九一七年執筆)と、併せて読むと、反戦平和に関してレーニンたち、当時の反帝反戦派が何を・どのように考えていたかが理解できる。

『国家と革命』には「マルクス主義の国家学説と革命におけるプロレタリアートの任務」というサブタイトルが付されている。これに対し「戦争と革命」に、そういう意味でのサブタイトルをつけるなら「レーニン主義の反帝思想と革命におけるプロレタリアートの任務」ということになるだろう。

それは後述するように、二一世紀現代においても現実の戦争問題に適用できる、普遍的な意義をもつものだ。



第一次世界戦争の構図



第一次世界戦争の諸相を、まずみてゆくことからはじめよう。

簡単にそして、一般的な認識をまずは、見てゆくということで、「広辞苑」から援用する。

「三国同盟(独・墺・伊)と三国協商(英・仏・露)との対立を背景として起こった世界的規模の大戦争。サラエヴォ事件を導火線として19147月オーストリアはセルビアに宣戦、セルビアを後援するロシアに対抗してドイツが露・仏・英と相次いで開戦、同盟側(トルコ・ブルガリアが参加)と協商側(同盟を脱退したイタリアのほかベルギー・日本・アメリカ・中国などが参加)との国際戦争に拡大。最後まで頑強に戦ったドイツも1811月に降伏、翌年ヴェルサイユ条約によって講和成立」。

この戦争といかに向き合うのか、レーニンは、一九一四年九月~一〇月に執筆した「戦争とロシア社会民主党」で、次のようにのべている。

「交戦国の一グループの先頭には、ドイツのブルジョアジーが立っている。彼らは、戦争をしているのは祖国と自由と文化を擁護するためであり、ツァーリズムに抑圧されている諸民族を解放するためであり、反動的なツァーリズムを破壊するためだと言い張って、労働者階級と勤労大衆をだましている。だが実際には、このブルジョアジーこそ、ヴィルヘルム二世をいただくプロイセンのユンカーのまえに平身低頭して、つねにツァーリズムの最も忠実な同盟者であったし、ロシアの労働者と農民の革命運動の敵であったのである。戦争の結末がどうなろうと、実際には、このブルジョアジーはユンカーといっしょに、ロシアの革命に抗してツァーリ君主制を支持することに全力を傾けるであろう。

実際には、ドイツ・ブルジョアジーは、セルビアを征服し、南スラブ人の民族革命を圧殺しようとして、セルビアに対する略奪戦役を企てたのだ。それと同時に、その兵力の大部分をより自由な国であるベルギーとフランスにさしむけ、このより富裕な競争相手(フランス)を略奪しようとしたのである。ドイツ・ブルジョアジーは、この戦争が自分の側からの戦争にとって最も好都合な彼らの見地から見て時機をえらび、自分たちの軍事機材の最新の成果を利用したのであり、ロシアとフランスによってすでに計画され、まえもって決定されていた新しい軍備の機先を制したのである。

交戦国のもう一つのグループの先頭には、イギリスとフランスのブルジョアジーが立っている。彼らは、ドイツの軍国主義と専制主義に反対し、祖国、自由、文化のために戦争をしているのだと言い張って、労働者階級と勤労大衆をだましている。ところが実際には、このブルジョアジーは、すでにはやくから何十億という金で、ヨーロッパの最も反動的で野蛮な君主制である、ロシアのツアーリズムの軍隊を雇い、ドイツ攻撃を準備していたのである。

実際には、イギリスとフランスのブルジョアジーの闘争目的は、ドイツの植民地を奪い取り、経済的発展の速度のすばらしくはやい、この競争国を破滅させることである。しかも、この崇高な目的のために。「民主主義的」な「先進」国は、野蛮なツァーリズムが、ポーランド、ウクライナなどをさらに圧殺し、ロシア革命をさらに弾圧するのをたすけている」というのが、この戦争の基本的な構図だった。



「戦争と革命」で言われていること(一)――この戦争は資本家のための戦争だ



(一)こうした戦争の構図に対し、レーニンはまず、考え方の提起から始めている。

「戦争の問題で人々がいつもわすれていて、十分な注意をはらっていない主要点……空っぽな、見込みのない、むだな論争がおこなわれている主要点、――それは、この戦争がどういう階級的性格をおびているか、この戦争はなにが原因でおこったのか、それを遂行しているのはどの階級か、どのような歴史上、経済史上の条件がそれらをひきおこしたのか、という根本問題をわすれていることである」と。レーニンは、それは「大衆集会や党(レニンのボリシェビキ――引用者)の集会」でも、そういうことがあるといっている。

 (二)そういう問題提起を踏まえて、レーニンは、戦争問題の基本的な分析視角を論じてゆく。

「マルクス主義……の見地から見て戦争をどう評価すべきか、戦争に対してどういう態度をとるべきかを、社会主義者が検討するさいの基本的問題は、なにが原因でこの戦争がおこなわれているのか、それを準備し指図したのはどの階級か、という点にある」とのべる。

そして、「われわれマルクス主義者は、あらゆる戦争の無条件の反対者のうちにははいらない」として、「社会主義社会制度」をめざす「革命戦争の可能性」に言及している。

 社会主義制度は「人間の階級分裂をなくし、人間による人間の搾取、ある民族による他の民族の搾取をことごとくなくすことによって、必然的に、およそ戦争のあらゆる可能性をなくすものである」が、そのためには、階級闘争が不可避であり、そのことに基づいた革命的階級によって遂行され、「直接の革命的意義を持つような戦争の可能性を否定することはできない」と断言している。

 (三)レーニンはそこで、いろいろに違った戦争の性格は、どのように認識されねばならないかを述べている。

 それは「戦争哲学と戦争史にかんするもっとも著名な著述家のひとりクラウゼビッツ」が言ったように「戦争は別の手段による政治の継続である」ということだとレーニンはいう。

 「どんな戦争も、それを生んだ政治制度と不可分に結びついている。ある大国、その大国内のある階級が戦争まえに長いあいだとってきたまさにその政治を、同じこの階級が、ただ行動形態をかえただけで、戦争中にもとりつづけることは必然であり、不可避である」ということだ。

 (四―A)レーニンはそこから、ヨーロッパの歴史を遡及して行く。

「ヨーロッパでは平和が支配していたが、この平和がたもたれていたのは、幾億の植民地住民に対するヨーロッパ諸国の支配が、恒常的な、不断の、けっしてやむことのない戦争、ただしわれわれヨーロッパ人が戦争とは考えない戦争によって、実現されていたからである。というのは、それらは、あまりにもしばしば、戦争というよりは、むしろ、もっとも凶暴な殺戮、武器をもたない人民の皆殺しに近かったからである。ところで要点は、まさに、今日の戦争を理解するためには、われわれが、なによりも、全体としてのヨーロッパ列強の政治を概観しなければならないという点にある」とのべ、第一次世界戦争を階級的に解明する方法を示している。

 (四-B)その場合、注意すべきことは次のことだ。

 「個々の例、個々の場合をとりあげてはならない。そんなものは、社会現象のつながりからいつでも容易に切り離してとりだせるのであって、なんの値うちもない。なぜなら、反対の例をあげることもまた容易だからである」という。

 この事件から戦争は始まった、というお決まりの言説だ。そこには、戦争の真の原因はない。

(五)では、どのように、分析の視角をつくればいいのか。レーニンは言う。

「いまわれわれが見るのは、なによりも、資本主義列強の二つのグループの同盟である。……世界最大の資本主義強国のすべて――イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ――であって、これら大国の全政治は、数十年もの間、全世界をどのように支配するか、弱小民族をどのようにして圧殺するか、全世界を自分の勢力の鎖につないだ銀行資本の利潤をどのようにして三倍にも一〇倍にも確保するかということをめぐる、不断の経済競争にあったのである。イギリスとドイツの実際の政治は、ここにある」と。

 そうした世界最大の二つのグループ、イギリスとドイツがそれぞれの同盟国をひきつれて、展開してきた数十年の間の実際の歴史を理解することがないなら、「今日の戦争についてなにも理解できない」と提起している。

(六)ではこの二つのグループの実際の政治とは何だったか。レーニンはそれらのグループの足取りをつぎのように概観する。

 「この政治は、われわれにただ一つのことを示している。二つの最大の世界的巨人の、資本主義経済の、たえまない経済競争がそれである。一方にはイギリスが、すなわち、地球の大部分を領有する国家、富の大きさで第一位に立つ国家がある。それは、自国の労働者の労働によるというよりも、むしろ主として無数の植民地の搾取により、イギリスの銀行の無限の力によって、この富をつくりだした。……しかもそれらの巨大銀行は巨額の金を自由にしているので……イギリス資本の数千の糸に巻きつけられていないような土地はひとかけらもないと言ってもけっして誇張ではないのである。この資本は、十九世紀の終りから二十世紀の始めにかけて、非常に大きな規模に増大したので、前代未聞の富をもった巨大銀行グループを結成して、個々の国家の国境のはるかかなたにその活動をうつした」。

 レーニンは、この資本の世界性こそ、イギリスとフランスの経済政策の基本的なものだとのべている。そしてフランスの全世界的な高利貸資本主義としてのイメージなどを紹介している。

 これに対抗するのが、ドイツだ。

「他方では、イギリスとフランスを主とするこのグループに対抗して、資本家のもう一つのグループ、いっそう略奪的で、いっそう強盗的なグループが進出してきた。これは、席がすっかりふさがった後で資本主義的獲物の食卓についた資本家たち、だが、資本主義的生産の新しいやり方、よりすぐれた技術を闘いにもちこみ、また、古い資本主義、自由競争の時代の資本主義を巨大なトラスト、シンジケート、カルテルの資本主義に転化させる比較にならない組織を闘いにもちこんだ資本家たちのグループである。このグループは、資本主義的生産の国家化の原理、すなわち、資本主義の巨大な力と国家の巨大な力とを単一の機構に――幾千万の人々を国家資本主義の単一の機構に――結合するという原理をもたらした」。

レーニンは、この二つの資本家グループの「経済史」「外交史」だけが、「戦争問題の正しい解決の道をあたえ、そして、この戦争もまた、この戦争で連合した諸階級の政治の産物であり、戦争のはるか以前に、全世界に、すべての国に、自分の金融的搾取の縄を張り、戦前に世界を経済的に分割した二大巨人の政治の産物であるという結論に、諸君を導くのである」。そして、重要なポイントをレーニンは、次のように、明らかに強調した。

「かれらが衝突せざるをえなくなったのは、この支配の再分割が資本主義の見地から避けられなくなったからである」と。

 この「再分割」ということが、この戦争の一番のポイントである。

これまでの分割は、イギリスが、かつての競争相手を没落させてきたことにもとづく分割だったとレーニンは言う。そこにイギリスより、急速に発展してきたのがドイツ資本主義だった。それは「若くて強力な略奪者の発展であった」と。

さらに続けて言う。

「この戦争は、ドイツ人とイギリス人がアフリカで、イギリス人とロシア人がペルシアでやった――彼らのうちのだれが多くやったかは知らないが――、侵略と、幾多の民族の射殺と、前代未聞の野蛮行為という政治の継続である」。

「そしてイギリス人とロシア人がペルシアを侵略したり、射殺したりしたので、ドイツの資本家は彼らを敵視した。君たちは金持ちだから強いというのか? だがわれわれは君たちより強い。だから、我々は略奪をする同じ「神聖な」権利をもっている。戦争にさきだつ数十年のイギリスとドイツの金融資本の実際の歴史は、要するにこういうことになる」。これが実際の政治であり、その別の形での継続としての「戦争」になった関係性だ。それは一方的な関係ではなく、相互媒介的な対立関係だ。

「ロシアとドイツの関係、ロシアとイギリスの関係、ドイツとイギリスの関係の歴史は、要するにこういうことになる。戦争の原因を理解する鍵は、まさにここにある」と。

「それだから、戦争が勃発した原因について一般に広められている歴史は、ペテンであり、欺瞞である。金融資本の歴史をわすれ、この戦争が再分割をめぐって熟してきた歴史をわすれて、人々は事態をつぎのように描いている。二つの民族が平和にくらしてきたが、あとになって一方が攻撃したので、他方が防衛し始めたのだと」。だが、「ロシアの歴史も、イギリスの歴史も、ドイツの歴史も、全歴史が併合をめぐっての、間断ない、情容赦ない、血なまぐさい戦争」の歴史であるとレーニンは論じている。

(七)ここから、レーニンは、戦争の双方の当事者たちが、民族・領土の併合の問題や「自由のための戦争」などと自分たちの戦争を、いかに「正当化」しているかを暴露して行く。

(七A)ここに排外主義の正当化の論理と、そのペテン性・欺瞞性が浮かび上がる。

 レーニンは言う。

「領土併合の問題について論争するとき……略奪物の分配、もっと一般向きに言えば、二組の強盗団によって略奪された獲物の分配であることが、いつもわすれられている」。対立するAとBの場合、AはBの「併合がどういうものであるかをりっぱに説明してくれるだろう」。だが、すべての相対立する強盗団の略奪(併合)に対して、すべてに「あてはまるような併合の一般的な定義」は。けっしてあたえることはできない。

「なぜなら、この戦争全体が、領土併合という政治の継続」、双方の侵略と、「資本主義的強盗の政治の継続だからである」。「だからこそ、これら二人の略奪者のうちどちらがさきに刀を抜いたかという問題が、われわれにとってなんの意義ももたないのは、わかりきったことである」。

「戦争をしているのは人民ではなくて、政府である」。それは資本家の政府だ。「彼ら王冠をかぶったこれらの強盗は、すべて同類である。……資本家の支配をうちたおし、労働者革命をなしとげる以外は、それからのがれる道はない。これこそ、わが党(ボリシェビキ――引用者)が戦争の分析から到達した回答である」。

 他国(の資本家政府)からの侵略にたいして「自由のために闘っている」ということが、自国の資本家政府の戦争に従っていることを意味するなら、それこそが、社会排外主義である。それは「自由のための闘い」ではなく、片方の強盗団の仲間となって、帝国主義戦争を帝国主義戦争として戦うことに、参加しているだけだ。

 この場合の「社会排外主義」の定義だが、レーニンは、「社会主義と戦争」(一九一五年発表)で、次のように述べている。

「社会排外主義とは、この戦争における『祖国防衛』の考えを擁護することである。さらにこの考えからは、戦時には秋級闘争を放棄し、軍事公債に賛成投票するなどという結論が出てくるのである」。「すべての交戦国の社会主義者の一様な『祖国防衛』権をみとめている者も、社会排外派の仲間である。社会排外主義は、実際には『自国』の(あるいは一般にあらゆる)帝国主義的ブルジョアジーの特権、優先権、略奪、暴力行為を擁護するものであるから、あらゆる社会主義的信念とバーゼルの国際社会主義者大会の決定とを完全に裏切るものである」。

 この場合のバーゼルの決定とは、一九一二年の第二インターの「バーゼル宣言」のことだ。

レーニンはその宣言の核心を「自国の政府に反対して国際的な規模でおこなわれる労働者の革命的闘争の戦術、プロレタリア革命の戦術を、まさに今の戦争のために策定している。……社会主義者は戦争によって生み出される『経済危機と政治危機』を利用して『資本主義の没落を促進』しなければならないという」ことだと説明する。

(七B)こうした社会排外主義の言説に関節して「戦争と革命」では、「革命的祖国防衛主義」の問題点について、レーニンはつぎのようにのべている。

「『革命的祖国防衛主義』と称するものは、われわれは革命をおこなった。われわれは革命的人民だ。われわれは革命的民主主義派だ、という口実で、戦争をおおいかくすもののことである。「われわれは、ニコライを退位させた」と。だが「わが国の革命のあとで、だれが権力をにぎったか? 地主と資本家である。すなわち、ヨーロッパでは、ずっとまえから権力をにぎっている連中である。……条約はそのまま、銀行もそのまま、利権もそのままのこった」。政府は変わったが「世界戦争の性格には、まったくなんの変化もなかった」。結局「革命的祖国防衛主義者」は、「血なまぐさい戦争を、革命という偉大な概念によっておおいかくすものにすぎない」と述べている。

 (七C)レーニンは、この文脈からかなり後の方で、「アメリカ民主主義」の参戦については、次のように述べている。

 「人々は、アメリカには民主主義があり、そこにはホワイト・ハウスがあるということを引合いにだしている。だが、奴隷制がたおれたのは半世紀もまえのことであった」。そのアメリカ合衆国では、それ以降、「億万長者が成長」し、「その金融で、アメリカ全体をにぎりしめており……また、不可避的に、太平洋の分割をめぐる日本と戦争するようになるだろう。……アメリカの参戦の真の目的は、未来の対日戦争の準備である。……アメリカの資本家にとっては、弱小民族の権利を守るという崇高な理想のかげにかくれて、偉大な常備軍を創設する口実をえるために、この戦争に介入することが必要になったのである」。

 レーニンは、一九一七年という時間点で、すでに、日米戦争を確定的な事項として記述している。日本の真珠湾奇襲から日米戦争がはじまたという言説の没階級性が、指摘されるべきだ。それはまぎれもなく、帝国主義間戦争だった。それを米帝だけではなく、日本の共産主義者、反戦派としては、大日本帝国も「大東亜共栄圏の形成」などとしてアジア侵略戦争を展開し、まさに準備していったことを指摘するべきである。

「戦争と革命」で言われていること(二)――資本家のための戦争は、労働者革命によってのみ終わらせることができる

(一)レーニンは、この講演で、では戦争は、どのように止められるのか、終わらせることができるのか、ということを述べている。

そのポイントは、世界を分割支配する・他国他民族を併合する必要がない階級が権力をにぎるということだ。

 「ロシア革命(二月革命のこと――引用者)は戦争を変えはしなかったが、しかしそれは、どの国にもない、西ヨーロッパの大多数の革命にもなかった組織をつくりだした。……この事実のうちに、革命が戦争にうちかちうることの萌芽がある」。「この事実とは……全ロシアにわたって労働者・農民・兵士代表ソヴェトの網があることである」。「これこそ、実際に併合を必要としない階級、幾百万の金を銀行に投じていない階級、おそらく、リャホフ大佐とイギリスの自由主義的な大佐がペルシアを正しく分割したかどうかなどということに関心をもたない階級の組織である。ここにこそ、この革命がもっとさきへすすみうる保障がある」。

こうした階級の組織が中心となって、革命を最後まで貫徹できるか?そこに戦争を終わらせるカギがある、というのがレーニンのいいたいことだ。

「すべての国の資本家が遂行している戦争は、これら資本家に対する労働者革命なしにはおわらせることができない。統制(銀行に対する・ブルジョアジーの経済活動に対する――引用者)が言葉から実行へうつらないうちは、また資本家の政府にかわって革命的プロレタリアートの政府がうちたてられないうちは、政府は、破滅だ、破滅だ、破滅だ、としか言えない運命にある」、つまり、破滅がしたくないなら戦争だということであり、戦争は終わらないということだ。

 レーニンはここで、そうした革命は容易なことではないと、その闘いの重要性を次のようにも指摘している。

「いま、『自由な』イギリスでは、私と同じことを言ったというかどで、社会主義者が投獄されている。ドイツでは、私と同じことを言ったために、リープクネヒトが投獄されている……」。だが「すべての国の労働者大衆の同情は、このような社会主義者に寄せられており、自国のブルジョアジーのがわへうつった社会主義者には寄せられていない。労働者革命は全世界で成長しつつある。もちろん、他の(ロシア以外の他の――引用者)国々ではそれはもっと困難である」。

「全世界で、社会主義者は分裂した、一方は閣内におり、一方は獄中にいる」。

だが、労働者革命だけが戦争を終わらせることができる。

 その場合、労働者革命は、つぎのように展開するべきだとレーニンは述べている。

「ロシアの革命的階級である労働者階級が権力をにぎったら、彼らは講和を提案しなければならない。そして、もし、ドイツあるいはその他どこかの国の資本家がわれわれの条件に拒絶の回答をしたら、ロシアの労働者階級はあげて戦争を支持するだろう、と。われわれは、一方のがわの意志だけで戦争をおわらせるというような不可能な、実行できないことを、提唱したりはしない」。

 ではどうするか。この講演と同じ一九一七年五月にボリシェビキの新聞『プラウダ』に発表した「革命前にわが党は戦争についてどのような声明をしたか」(レーニン全集第二四巻、大月書店、所収)では、レーニンは次のように述べている。

「われわれは、講和が受け入れられず戦争が継続される場合、「そうなれば、われわれは革命戦争を準備し、遂行しなければならないであろう」とのべ、その内容を次のように展開している・

「もし革命によってプロレタリアートの党がこんにちの戦争で権力につくようになったなら、党はなにをするか、という問題に対して、われわれはこう答える。われわれは、植民地と、すべての従属的な、抑圧されている完全な権利をもたない諸民族との解放を条件として、すべての交戦国に講和を提議するであろう。ドイツも、イギリスとフランスも、いまの政府のもとでは、この条件を受けいれないであろう。そうなれば、われわれは革命戦争を準備し、遂行しなければならないであろう。すなわち、断固たる措置によってわれわれの最小限綱領を完全に実現するばかりでなく、いま大ロシア人に抑圧されているすべての民族、アジアのすべての植民地・従属国(インド、中国、ペルシア、その他)を反乱に立ち上がセルことを系統的にはじめ、さらにまた――まず第一に――ヨーロッパの社会主義的プロレタリアートを、自国の政府に反対し自国の社会排外主義者にさからって、蜂起に立ち上がらせるであろう。ロシアにおけるプロレタリアートの勝利が、アジアでもヨーロッパでも、革命の発展にとって異常に有利な条件をもたらすであろうことは、なんの疑いもいれない」。これは、一九一五年十月十三ン日付の『ソツィアル・デモクラート』第四七号に「編集局」の名で掲載したテーゼからレーニンが引用しているものだ。

レーニンは「戦争と革命」の講演を次のように、しめくくっている。

「権力が労働者・兵士・農民代表ソヴェトの手にうつったとき、資本家は我々に反対をとなえるだろう。日本も反対、フランスも反対、イギリスも反対、すべての国の政府が、反対をとなえるだろう。資本家はわれわれに反対するだろう。だが、われわれには労働者が味方するだろう。そのときに、資本家がはじめた戦争に終わりがくる。これが、どのようにして戦争を終わらせるかという問題にたいする解答である」。



レーニン反帝思想の筋書き



 以上をまとめると次のようである。

第一次世界戦争は帝国主義戦争である。この戦争は資本家階級がはじめた。

この戦争は、帝国主義諸国の資本家階級とその国家により「分割」支配された植民地・従属国諸国への抑圧と収奪の結果である。帝国主義諸国間の植民地・市場などに対する世界「再分割」を争う、植民地・領土乗っ取りの取り合いの戦争だ。

帝国主義国のブルジョアジーから利益分配にあずかっていた労働官僚などの日和見主義的社会民主主義潮流は「祖国防衛」の「美名」で、この戦争に加担する社会排外主義となった。

この戦争をおわらせるのは、交戦間諸国の労働者階級による「内乱」である。「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」というスローガンで闘うことだ。

⑤―aこの「内乱」の意味は、例えば今日の「シリア内戦」のようなことではなく、資本家階級がはじめた戦争は、労働者階級の「労働者革命」によって、おわらせる以外ないということだ。これが「革命的祖国敗北主義」と革命派が言っている意味であり、単に「自国が敗北すればいい」ということではない。対立する両交戦諸国間の労働者階級にとって、戦争の真の敵は、外国にいるのではなく、戦争を始めた国内のブルジョアジー権力である。

-bブルジョアジーは、交戦諸国間の労働者階級を「兵士」に駆り出し、殺し合わせることで、利益をえようとしている。戦争でもうけるのはブルジョアジーであり、労働者階級は戦勝国においても、戦死とひきつづく搾取と収奪がまっている。

この戦争は、戦争当事国(帝国主義抑圧国)の労働者革命と、帝国主義抑圧国に支配されてきた被抑圧民族・植民地人民の、帝国主義国家の支配からの解放を求める革命(民族解放闘争)の結合によってやめさせることができる。それは全交戦国を巻き込んで、一国的には内乱を、国際的には革命戦争を準備する。帝国主義抑圧国の労働者人民は、被抑圧国の帝国主義抑圧国からの「分離の自由」(民族自決権・自己決定権)を無条件で承認すべきである。

だから「戦争か、革命か」が問われている。この革命で成立する人民権力は「労働者・農民・兵士代表ソビエト」という全人民の自治・自己権力である。

こうした革命は容易なことではない。戦争の全ての当事国で、反戦運動は弾圧にさらされる。だが、この方向でしか、戦争ブルジョアジーと社会排外主義に対して闘うことはできない。

 レーニンの反帝=革命思想は、以上のように、まとめられるものだ(本論では、この反帝=革命を容易でない状況下でおしすすめてゆくための組織論的領域の課題については省略する)。

第二節 帝国主義「段階」におけるレーニン主義革命思想の「普遍性」

廣松渉の分析視角



 以上の、レーニン反帝=革命思想の<歴史的位置性>について、マルクス主義者で哲学者だった廣松渉(一九三三~九四年)の立論を参照したいと思う。

廣松渉は『マルクスと歴史の現実』(平凡社、一九九〇年)の第六章「レーニンの革命路線」で次のように述べている。

「私の見るところ、レーニンが独自の立場を固めてからでも時代的な変容が認められますので、レーニンの革命論なるものを単純に定式化することはできませんし、周到に論じる場合には、時系列を追いながら情勢との絡みで討究する必要があります。彼の路線に特殊ロシア的な条件が影響していることはもちろんです。しかし、彼の革命論をロシア的な特殊性に還元してしまおうとする一部論者に与するわけにはいきません。レーニン主義はロシア的特殊性のバイヤスを免れないとしても、総じては帝国主義(金融独占資本主義)という新段階に即応して、マルクス主義の革命理論を再編したものとして、普遍的意義をもつものであったと認められます」(一七四頁)。

 廣松はそこでレーニンが、一九〇五年にメンシェビキと「訣別」したあとに打ち出した革命路線の検討からはじめている。

ここでは廣松が論述した「レーニンにおける帝国主義の段階論的把握と、それに相即する革命路線の設定、ロシア革命におけるそれの具現」について論じている箇所を読むことにしよう。

 「レーニンの中枢的な著作、いわゆる『帝国主義論』が、『資本主義の最新(最高)の発展段階としての帝国主義』という表題をもつことからも知られるとおり(いまここではヒルファーディングとの関係は措きます)、レーニンは『帝国主義』=金融独占資本主義をもって、資本主義の新しい発展段階――マルクスが『資本論』で描き出している産業資本主義とは段階的に区別される新しい発展段階――であることを自覚的に把えます。『修正主義者はマルクス主義の根本的見解にそむきながらも、放棄してしまった見解を、公然と率直にきっぱりと明瞭に清算することを恐れた』のでしたが、レーニンは自ら語る通り『マルクスの陳腐になった見解に異を唱える場合には、いつでも確然とかつ周到におこなう』という態度をとります。

 レーニンは資本主義が『変貌』したという事実を単に現象的に指摘するという域を超えて『資本主義の基本的な属性のいくつかがその対立物に変化しはじめている』ことを公然と認めます。その最たるものが、自由競争に代わって独占が現れたことです。『自由競争は資本主義と商品生産一般との基本的な属性であり、独占は自由競争の直接的な対立物である。しかるに、いまやこの自由競争が独占に転化しはじめたのである』とレーニンは言います。


こうして、資本主義という根本的規定性においては変化がないとしても、『基本的な属性』に及ぶほどの変化が生じ、それが対立物に転化しているのだとすれば、この資本主義に対する実践的な対応の仕方にも、当然、しかるべき変更が要求されます。けだし、この資本主義の『変化』は、上部構造にも射程が及ぶものであり、労働者階級をも含めて、諸階級、諸階層の動態に一定の変容をもたらさずにはおかないからです」。

 廣松はそこから、「ここでは、しかし、レーニン主義がマルクス主義の古典的な『了解事項』や命題にいかなる変更を加えたか、よってもって、マルクス主義をいかに発展せしめたか、その軌道を逐一辿るには及びますまい」として、「ここでは、差し当たり、次の諸点を追認すれば足ります」として、以下、レーニン主義のポイントと廣松が考える諸点を列挙している。



「暴力革命論」(組織されたゲヴァルトとしてのプロレタリア運動)の復権



廣松は第一に「暴力革命論の復権」である、と記している。

これは「帝国主義戦争と戦後の混乱期をとらえることによって平時には不可能な内乱・暴力革命が再度可能になっている」という認識から「帝国主義戦争を内乱に転化する」という方式の暴力革命が『必要』であり、かつ可能である」という認識・判断からいわれていることだ。

また、それは「プロレタリア独裁の理論と相即的に暴力革命論を復権した」ものとしてあったと廣松は論じている。

この「内乱」規定は、暴力革命の規定であることは明白であるが、その根拠は、もともとは、マルクス主義の国家論に理論的根拠をもっている。

レーニンの『国家と革命』での論理だてから言うならば、「国家とは階級対立の非和解性の産物」である。この国家を支配するものは「支配階級」であり、資本主義国家は「ブルジョアジーの国家」である。

資本主義国家は、「ブルジョアジーの階級支配」を維持・防衛する「公的暴力」の機関である。

この国家の変革は、改良では不可能であり、議会主義は幻想である。ブルジョア議会は数年に一回、支配者の政治委員会を選び変えるものにすぎない。

国家権力の基軸をなすのは、「公的暴力装置」たる「官僚的軍事的統治機構」だ。常備軍・警察・官僚組織などのことだ。

国家の変革はこの公的暴力装置を、全人民の武装蜂起で「破壊」することによって、これらを、ソビエト権力に転化することによって果たされる。

そのソビエト権力は「全人民武装」「立法府と行政府が一体となった行動的な機関」「コミューン官吏の即時リコール制度」「ソビエトの議員や職員の労働者並み賃金」など、一八七一年の「パリ・コミューン」の規定を踏襲するものだった。

そして、このソビエト権力が、「プロレタリア独裁」、つまり資本主義から共産主義社会――階級と国家の死滅した共同体社会――への「革命的過渡期」とされる「過渡期社会」の基本形とされるものである。「過渡期国家(死滅しつつある半国家)」、「労働者国家」、「世界プロレタリア独裁」などの表現がある。

私見になるが、ここで「全人民武装」とは、<人民主権にもとづく共和制=主権者の自己統治>という近代政治思想の革命論的再措定と理解すればいいのではないかと考える。

まさに、廣松が言う通り、「プロレタリア独裁の理論と相即的に暴力革命論を復権した」といえるだろう。



なお著者(渋谷)は、レーニン国家論の理論建ては、今日までにつくられてきたマルクス主義国家論の全体像から言ったとき、極めて「初期的」なものであり、多くの「不十分性」をもっていると考えている。それは、端的に言うならば、マルクス主義の国家論の中心的なテキストをなすマルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』の発見前のものである。その決定的「不十分性」については、拙著『エコロジスト・ルージュ宣言』第一章「資本主義国家批判の方法について――レーニン『国家と革命』の問題点と資本主義権力論」――社会評論社、文京区本郷、二〇一五年――を参照してほしい。なお、かかる「不十分性」を払拭する・補うことをつうじて、レーニン主義国家論・革命論を理論的知見として、あらたに発展させてゆくことも可能だろう)。



プロレタリア国際主義の復権



廣松はレーニン主義のポイントとして、第二に、「資本主義体制の「破局」の必然的な到来をあらためて確説したこと」である、と展開する。

これは「窮乏化論」「恐慌論」での破局論とは違い、資本主義国の発展の「不均等性」、帝国主義戦争の「必然性」、帝国主義国諸国の中の「弱い環」から体制的危機が深まってゆくという「弱い環の理論」によって、「新しいタイプの体制的破局の到来を基礎づけた」ものだ。

それは「帝国主義段階においては植民地が本国にとって生命線になることの洞見とも結合されており、植民地の――それ自体としてはブルジョワ民族主義的な――解放闘争が、帝国主義本国の破綻をもたらす要因となる」ことと結合して組み立てられている。

第三に「プロレタリアート・インターナショナリズムの回復である」。これは次の様である。

「マルクス主義運動は、第二インターの時代においてすら、国際主義の建前を崩したわけではなかったが、『国民生活』が帝国主義国家競争戦の勝敗に懸るという歴史的現実を反映して、労農大衆ですら排外主義的な民族意識にとらわれていた即自的な状態に追随し、世界革命の同時的遂行が見通せぬという条件に藉口しつつ、事実上ショービニズムに陥っていた。これに対して、レーニンは、上述の植民地解放闘争と本国革命との有機的な関係をも一契機としつつ、帝国主義戦争を内乱に転化するという形態における国際的連帯――世界革命の論理によって、プロレタリア・インターナショナリズムの実践的・理論的復権を遂行した」というものだ。

第四に、「中間的諸階層との積極的な同盟の理論である」。とくに「農民」との同盟(労農同盟)を強調する。「中間層を差し当たり彼らの現実の利害に即しつつ、プロレタリアートの周囲に結集する可能性と現実性を理論的に定礎し、同盟軍の理論を確立した」としている(一八四~一八六頁)。

以上、こうしたことを、一口で言うなら、帝国主義段階における「ヘゲモニーとしてのプロレタリア・インターナショナリズム」を体系的に表明・提起したということができるだろう。帝国主義の体制的危機と戦争を革命に転化すること、帝国主義本国の革命と植民地解放闘争の結合、労働者階級と中間層、とりわけ農民との同盟が、その場合、ポイントとなるものだ。



(※ この場合、労農同盟に関しては、革命ロシアでは、レーニンが指導していた時期において、ロシア内戦期(一九一八~二一年)、左翼エスエルやウクライナ・マフノなど農民戦争勢力とボリシェビキの間で、不幸な戦争がおこされ、自殺的な破壊がおきてしまった。その和解の道は永遠に閉ざされてしまった(ここでは、以上のような文学的(?)表現にとどめておく。詳しくは拙著では「ボリシェビキ革命の省察」、『エコロジスト・ルージュ宣言』第六章、社会評論社、文京区本郷、二〇一五年、参照)。

だが、レーニンが示した反帝・プロレタリア国際主義を、帝国主義列強との国際的な階級闘争における政治関係の中で明確に――<国際共産主義運動の戦略論のわくぐみ>として――破壊したのが、レーニン死後登場した、スターリン主義だったのである。そこではレーニンの「労働者革命」とは、真逆の政治路線が、ソ連派スターリニストによって展開されていったのである。




結語――帝国主義支配の様態変化に対応する戦争の様態変化



レーニンの時代の「帝国主義戦争」は、帝国主義国家間戦争と、帝国主義による植民地・後進国への侵略戦争というタイプの戦争であった。これは基本的に第二次世界戦争もそのようなタイプの戦争だった。それは「帝国主義国の市場再分割競争と植民地主義」という帝国種意義の支配様式に規定されたものである。

第二次世界戦争の戦後は、これにかわり、米ソ冷戦(帝国主義ブルジョアジーの支配する西側諸国と全体主義スターリニスト官僚が支配する東側諸国の冷戦)が世界情勢を規定する中、帝国主義ブルジョアジーの「新植民地主義」(植民地従属国の「政治的」独立をみとめつつ経済的には帝国主義本国の従属的下位社会として支配する。また、他の帝国主義国の企業や政府プロジェクトなどの経済的進出を、帝国主義国が相互に認め合う)を規定とする戦争の形態が展開した。

したがって、帝国主義国家間戦争は、一九四五年以降は、起きていない。

例えばベトナム戦争のような戦争。南ベトナムでのカイライ政権をつくりながら米帝国主義による南ベトナムやソ連の同盟国である北ベトナムへの侵略反革命戦争という「侵略反革命戦争」として展開されてきた。そしてこれと闘う国土防衛戦争としての南北ベトナムのベトナム革命戦争そしてこの革命戦争と同盟した、インドシナ反米革命戦争という事態が一九七〇年代中ごろまで展開し、革命戦争が全面的に勝利する事態となった。

そして、ソ連・東欧圏の崩壊以降、決定的には、イスラム過激派による二〇〇一年9・11米・ツインタワー破壊戦争によって、米帝はアフガニスタン戦争、イラク戦争を、米の自衛権の発動を正当性として開戦し、これにイギリスをはじめとする「有志連合」が参戦している。日本もその「有志連合」の中の一国となっている。この戦争は「対テロ戦争」と名づけられている。帝国主義の「侵略反革命戦争」の一つのタイプである。こうした戦争情況に日本の政府支配層が対応・協力すべく、また自らも参戦できるように「集団的自衛権」を成立させた。また例えば、米軍産複合体との軍事貿易を展開しているのである。日本はかつてない軍拡の時代に突入している。経済構造的には、グローバルな富裕層を頂点とした「投機資本主義」が規定力をもっており、この経済構造をもっと拡張して行くようなベクトルが日帝ブルジョアジーの経営創造のベクトルである。そしてこの一環に、武器輸出三原則の撤廃もあったのだ。

帝国主義国家の戦争は、世界の帝国主義国家がどの様な支配様式を形作っているか、国家と国家の関係で基本となっているものは何か、ということを立体的な基礎として、戦争の形態を常に変化させてきた。

現代は新自由主義グローバリズムの時代だ。そしてこのグローバリズムが世界中で起こしている貧困と抑圧のなかから、イスラム過激派などのテロが生み出され(それ自体、「カリフ制イスラム国建設」などの神話的プロパガンダを組織して存在しているが)、このイスラム過激派の戦争にたいする「対テロ戦争」が展開されている。しかし、この戦争は、イスラム過激派の拠点とされる都市や町、村を、米軍機などが空爆し、住民に多大な被害を及ぼしている。まさに、そこに住んでいる住民は、人間の平和的生存権を破壊された、無差別爆撃状態となっている。これは国家テロだ。また、その戦争では、多くの社会変革のために活動する人々、団体が被害を受ける。その国、社会の変革を破壊している。そして、アメリカ帝国主義やその有志連合の言いなりになるような、それらの帝国主義国家の軍産複合体などが大きな利益を上げられるような市場・社会関係をつくっていこうとしている。そもそも軍事産業にとって、作った兵器を使うことをしなければ、さらに新たな武器を量産して行くことには限界がある。戦争をして売り上げを上げなけば軍事産業は斜陽化する。「侵略反革命戦争」の意味は、そういう平和的生存権破壊・変革破壊・帝国主義的権益増長という目的をもった戦争ということだ。

古典的レーニン主義では「帝国主義戦争を内乱へ!」ということになるが、現在の民主主義の政治構造では、それは「内乱・内戦」という戦術を絶対化するのではなく、もっと多様な社会運動での選択肢があるだろう。
 ★問題のポイントは、「労働者階級人民にとって、対外戦争の敵は国内にいるブルジョアジーであり、支配階級だということだ」。帝国主義ブルジョアジーの戦争利権は、「万国の労働者、殺しあえ」として、労働者階級=賃金奴隷を戦争に動員し、殺し合いを強制し、戦争によってえた勢力圏・戦争利権を創造することにある。これに対し労働者階級は「万国の労働者、団結せよ。戦争を強制する政府を倒せ!」とする戦いを組織することだ。これが、一切の闘いの基本だ。
この一つのポイントにのっとった、反戦平和・反帝平和の運動が、多様に展開されることが、基礎のはなしでなければならない。(了)