2022年9月18日日曜日

ウクライナ戦争をどう見るか                 渋谷要

 ウクライナ軍民の対ロシア徹底抗戦断固支持! 避難民を救援しよう!

ウクライナ戦争をどう見るか                                                                 渋谷要(社会思想史研究)


【解説】

「研究所テオリア」の新聞「テオリア」は、その2022年9月10日号で、渋谷要「ウクライナ戦争をどう見るか」を掲載した。約一か月前に、編集部の方より渋谷が依頼を受けた文章である。

発売日から一週間がたった今日(9月18日)、 ★書店などで、手に入らない方々が、多数おられると思うので、この「個人ブログ」で、アップします。

―――――

当初、この文章は、ウクライナ戦争をめぐり、いろいろな考え方が、この日本国内で、さまざまに出てきていることに対し、本文を読んでお分かりのようにわたしは「ウクライナ徹底抗戦支持派」だが、むしろそうした主張の、考え方のその背景になにを「風景」としているかを、「論点」として書こうと思った。

こうした「反ファシズム人民戦線論」を書くのは、ぼくの人生で初めてだ。それは、いい。別に悪いわけではない。問題は、資本主義批判がそこで、いかに貫徹しているかどうかだ。

また新聞に掲載された後読んだ、「読後感」として各節間の、文の通りをよくする必要もある。そのため、「執筆後・読後」の「修正加筆」として、★★★「テオリア」に発表した文章に、★4か所★だけ、修正加筆をした★★★。

加筆をしたところは、「■……■」として、■でしめし、加筆したものを可視化している。量は多くない。

また★★★削除したところは【ない】★★★。

また以下の、★★★この「解説」で、三点、この文章への「注釈」★★★を加えることにする。

――――

以下はその「注釈」である。

(1)まず、前提の問題として、わたし(渋谷)は学生時代より、絶対平和主義者になったことはなく、「九条護憲論者」でもない。ただし右派改憲・右翼の九条改憲には断固反対という立場だ(拙著では『エコロジスト・ルージュ宣言』第二章「国家基本法と実体主義的社会観――自民党憲法改正草案の社会実在論と戦後民主主義憲法の社会唯名論」、社会評論社・2015年刊、参照)。そして天皇制廃止―人民主権・共和制建設と一体のものとして「全人民的民兵制度」の導入などを、かねてから主張してきた。今日でも、抵抗権・革命権などの自然権などの問題を積極的な社会変革要素として考えているものだ。その「民兵制度=実効的人民主権」論はマルクスが1871年のパリ・コミューンを総括した「フランスにおける内乱」で、「コミューンの原則」の一つとして「全人民武装」を明記したことからも明らかに、マルクス主義的根拠をもつものだ、と考える。この【前提をふまえ】、以下は、本論の論点での応接ということになる。

―――

本論文冒頭で、民衆・市民社会の「抵抗権・革命権」に触れた部分では、その自然権と間接した「国家緊急権」と、其れに関する政治問題である、エルンスト・カッシーラーが提起した「ジャンジャック・ルソー」問題が、論じられていない。

これは、著者・渋谷が、文章の論理構成を、難しくしたくなかったという理由からである。が、ウクライナ戦争でいうなら、「国家緊急権」は、現在、大統領が発動している戦争体制に関する国家の自衛・防衛のための自然権の発動である。そして、ウクライナ戦争で言うなら「ジャンジャック・ルソー問題」は、大統領が発動している動員令「18歳から60歳までの男子は出国禁止」である。つまり「社会契約によって守られてきた市民は、国家が危急の時、死なねばならない(主権者は団結し運命をもとにして戦え)」という問題だ。まさにルソーは「社会契約は契約当事者の生命維持を目的とするものである。……市民は府が危険に身をさらすよう要求するとき、もはやこの危険を云々する立場にはない。執政体が『お前が死ぬのは、国家のためになる』といえば、市民は死ななければならない。それまで彼が安全に生活してきたのは、そういう条件下においてのみであり、その生命はもはや単に自然の恵みではなく、国家の条件つきの贈り物であるからである」と述べている(『社会契約論』井上幸治訳、中公文庫、48頁)。つまり平時に守られる個人の生命は、戦時には、国家を守るためには、生命を賭して闘えとなる。この両義性が、問題になると、カッシーラーはいう。この問題では、拙著『国家とマルチチュード』第一部第一章「近代国家と主権形態」第五節「ルソー民主主義社会契約論の二重性」(社会評論社、2006年刊)。この問題はウクライナ徹底抗戦のように「侵略軍に対する徹底抗戦で市民社会をまもる」という郷土防衛戦争であるかぎり、また、ベトナム・インドシナ革命戦争においてもそうだったように、この両義性は、内容的には、【それらの場合においては】対立するものではないと、私は考える。だから侵略した国の人民は、「祖国敗北主義=自国帝国主義打倒」で、闘おうとなるのではないか。

(2)本論第五節「スターリン主義の影――「強制移住」政策=「民族」解体」では、執筆後・製品読後の修正加筆として次のようなデータをアップすることで、論説内容を強化したいと考える。

 3月25日にアップした『赤いエコロジスト』の「 ソ連スターリン主義を継承するロシア帝国主義戦争国家のウクライナ侵略戦争・「最初」の一ヶ月――ウクライナ人民( ―軍・民)のレジスタンスを支持し、難民を救援しよう」には、「注解」として「スターリン主義の敵対民族「強制移住」政策について」というデータ分析を展開している。このデータは本論で、紹介・引用しているクルトワ、ヴェルトの『共産主義黒書――犯罪・テロル・抑圧――ソ連編』からの引用だ。

そこでは、次のようなデータを書いている。

「さらに第二次大戦期、大規模なソ連邦内の諸民族に対する強制移住が行われた。「ナチス占領軍に集団協力」したという理由での政策であった。一九四三年から一九四四年にかけて、「チェチェン人、イングーシ人、クリミア-タタール人、カラチャイ人、バルカル人、カルムイク人の六民族がシベリア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスへ」。さらに「ギリシア人、ブルガリア人、クリミアのアルメニア人、メスヘティア-トルコ人〔グルジア南部のトルコとの国境に近く住むイスラム化したグルジア人〕、クルド人〔旧ソ連ではアゼルバイジャンとアルメニアに多く住んでいた〕、カフカスのヘムシン人〔十八世紀にイスラム化したアルメニア人〕」が強制移住させられた。

こうした移住政策は、スターリン主義権力にとって、その中央権力に対して自立化しようとする民族を解体しようとする意図をもっていた」。

以上を、追加のデータとして表明する。

(3)本論の「反ファシズム戦争」と左翼革命運動との関係であるが。この「反ファシズム人民戦線」という「構図」では、一つの宿題があると、私は考えている。

1930年代、ファシストに対し人民戦争を闘った「スペイン・マルクス主義統一労働者党」(POUM――ジョージ・オウェル『カタロニア讃歌』で有名なグループだ)は、「スパニッシュ・レボリューション」という機関紙(の1937年2月17日号)で、「前線では戦争を、後方には社会主義革命を」(「労働者の革命軍のために――POUM中央委員会の軍事決議」)と表明している(『マルクス主義軍事論≪現代編≫増補版』、革命軍事論研究会編、鹿砦社、1973年)。

 これは、反ファシズム戦争からプロレタリア革命への脈絡をつけようとするものと考えるが、それは、前線では、ファシストと闘うブルジョアジーの民主主義勢力と共闘し、後方では、ブルジョアジーの民主主義勢力の経済的な生命線を破壊する(例えば、生産の直接労働者による奪取=「集産化」――簡単に言うと「国有化」に類似した概念だ――など)ということになる可能性がある。ファシストと決戦を闘っている以上、それは、反ファシスト勢力の分裂につながる可能性がある。少なくともブルジョア民主主義者は不安だろう。だからスターリニストなどPOUMをよく思わない部分からは「POUMはファシストのスパイだ」といわれる口実になった可能性があると考えていいだろう。この問題の解決は、少なくとも実践的には「宿題」として残されていると考える。 

―――――――

ウクライナ戦争をどう見るか

              渋谷要(社会思想史研究)

はじめに

224日、ロシア全体主義はウクライナへの侵略戦争を開始した。欧米日帝国主義に対し、ロシアは、ウクライナをロシア「勢力圏」の一部として確保せんとしてきた。それが「ウクライナのNATO加盟」によって破壊されるという言説、これがプーチンのウクライナ侵攻の「正当化」の筋書きだ。

そうした中、私は510日(2022年)付の『テオリア』(116号)で、「『ウクライナ戦争』にどう向き合うか」という座談会を読んだ。私は白川真澄さんが、ロシアが「占領地域では住民を無差別に虐殺している現実のなかで、ウクライナの市民が武器をとって抵抗しているのは当然で、この抵抗は私は支持する」とのべていることに、同意する。近代の市民社会(市民)には、「抵抗権・革命権」という自然権がある。それは「民主主義法秩序」が例えばファシストや侵略軍に破壊されたとき、その「民主主義法秩序」を「回復」させるために戦う権利である。(※これは私の「注釈」だがそれを「愛国主義」というか言わないかは、自由だ。またその「愛国」という意味合いも欧州民主主義的な「個人・市民社会を国家の上位に置く」もの(社会契約としての国家)と、全体主義の「国家という実体があってこその人間だという国家有機体主義」では、全く違ってくる)。

ただその直後、白川さんのウクライナの「左翼」が「政府軍と一体になって戦うことにはディレンマが生ずる」との発言については、そうなんだろうけども、一方で異なった感想も持った。今は、市民と政府軍の一体的な団結が必要だ。左翼がそこで、いろんな人々をオルグすることが必要な時期だと思う。その場合一般論としてだが、オルグでは軍隊と住民が、信頼に値するような活動を左翼がつくりあげていくことが、重要だ。以上が、本論のとっかかりの問題意識だ。

(1)近代日本では特異の「反ファッショ」「反侵略」陣営入り

まず日本の問題を書いておこう。日本の反戦平和の運動では、ウクライナ徹底抗戦に支持を表明する人々と「NATO拡大」などの西側帝国主義のロシアへの軍事挑発や「米ロ代理戦争」という観点などを主眼とする人々に大きく分岐していると思う。私は次のような観点を、介在させる必要があるのではないかと考える。

 日本帝国主義がロシア全体主義を糾弾しているという事態。それは、「日本帝国主義」が<帝国主義国家として>、世界的な戦争で、左翼用語的には「国際反ファシズム統一戦線」の側に、あるいは「反侵略」の側に参加しているという事態である。「反ファシズム戦争」という軸を簡単に言うと「欧米のブルジョア民主主義(の帝国主義国)」と全体主義との戦争だということだ(※ここでいう「帝国主義」とは「資本主義の最高の段階としての帝国主義」というマルクス経済学の規定に基づく)。

 例えば、日本帝国主義は、1920年代、国際的なファシズム潮流が形成され始めると同時に中国全面侵略、ナチス・ドイツなどとのファシズムの「枢軸国=三国軍事同盟」などを結んできた。例えば、それは、「侵略国と被侵略国の区別を付けず『中立』であるとして、戦争は『両方悪い』ということであるのならば、そもそも第二次世界大戦でのナチス・ドイツの侵略や日本の戦争責任についてもすべて免罪することになりかねず、戦後秩序の根幹が崩れます」と、慶応大学の細谷雄一教授がいっているように戦後世界の根幹にかかわる構図である(ハフポスト日本版227250813)。それが国際反ファシズムの「国際連合」の世界の常識だ。

 戦後日本は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争、さらに東西冷戦終結後は9・11テロに対する「自衛権」の行使としてアフガにスタン・イラク侵略戦争など、合衆国の動きに追随してきた。だが今回は、日本が同じく合衆国に追随することで、国際反ファッショ・あるいは反侵略の国家の側に入った、ということだ。これは歴史的に特異な例である。そこに今回のウクライナ戦争での一つのポイントがある。

なお、この場合のファシズム及び全体主義の定義だが、ハンナ・アレント『全体主義の起原』(1951年刊行開始)では階級闘争の解体⇔民主主義的な市民社会の解体→労働者階級の階級としての解体→個人(アトム)化→専制国家への個人の統合という脈絡が重要だと指摘している。これについて拙著では「階級解体と全体主義」『資本主義批判の政治経済学』第二部第三章/社会評論社、参照のこと(他にトロツキー「次は何か」(1930年)、コミンテルン第七回大会のディミトロフ・テーゼなど。人民戦線については、ジャン・プラデル『スペインに武器を 1936』、 ダニエル・ゲラン『人民戦線―革命の破産』、ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』など参照を)。

(2)ブルジョア民主主義の「両義性」

■全体主義ーファシズムの定義を確認したことをふまえて、「反ファシズム戦争」ということをもう少し考えていこう。■

アメリカ合衆国には、その国民国家の物語がある。自らは、■アメリカ独立革命に勝利した後■、合衆国南部の奴隷制と闘い、20世紀には、ナチスドイツや大日本帝国の「枢軸国」ファシズムと闘い(連合国=国際連合)、共産主義(実はスターリン主義だが)との「東西冷戦」を闘い、そして、イスラム過激派と闘たかってきた(対テロ戦争)、今はロシア・中国の「専制主義」と闘っているという、総じて全体主義との闘いで「自由と民主主義」を守ってきたという物語だ。

そうした「反ファシズム」史観は、私の立場から言えば、西側世界の「国家共同幻想」であり、その「自由と民主主義」は、ブルジョア・アトミズム=競争原理に基づく自由主義であって、そのもとで人種差別と格差社会が拡大固定化し、国際的には多国籍企業を中心としたアメリカン・グローバリゼーションと「アメリカの戦争」が展開してきたのである。だが、それは、「全体主義」との闘いを労働者人民が進めるうえで、決して不利益なものばかりであったわけではない。例えば「1930年代の反ファシズム人民戦線」などにおいては、レジスタンス闘争などで優位に働いた「側面」があるということも、確認しなければならない。そういう「両義性」をもってきたのだ。

■例えば「第二次世界戦争」は、「民主主義ー対ーファシズム」の戦いだったといわれる。だがその「民主主義」はあくまでも、自らの資本主義「勢力圏・権益」の利害貫徹をめざしたもので、その本質においてファシズム帝国主義との「帝国主義間戦争」だった。まさに、そうした「両義性」である。■

 その「両義性」に対しては、マルクス主義の反戦闘争論の主体性を立てれば、「侵略された国」の人民解放・民族独立闘争(祖国防衛戦争)と、「侵略した国」の祖国敗北主義のための闘いの連帯ということ、になるだろう。■その場合、植民地を争奪する二つの帝国主義ブロックの争い、国境線で対峙する資本主義間の戦争(相互侵略戦争)等では、両交戦国の反戦運動は、「祖国敗北主義―自国戦争政府の打倒」という原則で闘うことになる。■

(3)国際連合―「国際社会」の矛盾と欧州議会・2019年「重要な記憶」の決議

その場合戦後の「国際秩序」である「国連」には大きな矛盾があった。それが、ファシズム「枢軸国」を打倒した関係で、安保理・常任理事国の中の2国が、スターリン主義に起因する全体主義のロシアと中国としてあるという問題だ。ロシアのプーチンの権力は、1999年以降のイスラム派・対ロ独立勢力を殲滅する戦争(第二次チェチェン紛争)以降、プーチンらは戦争放火をやりはじめた。それが20032004年にかけての「バラ革命」(ジョージア)、「オレンジ革命」(ウクライナ)の民主化運動の進捗と、それにともなうNATOなどへの加盟の動きに対する、クレムリンの対抗という事態にほかならない。クレムリンは、2008年ロシア・グルジア(ジョージア)戦争(ロシア軍の侵攻とグルジア領内での国境線の変更=二つの「独立」地域の承認)へと踏み込み、2015年シリア・アサド政権の要請で内戦介入や、2014年以降のロシアへのクリミアに対する暴力的併合、およびウクライナの東部(ドネツク、ルガンスク両州)の実効支配とそれらの「人民共和国」の「独立」の承認という政治過程を描いてきたのである。これらによって、脅威を覚えたウクライナ、スウェーデン、フィンランドなどロシア周辺諸国は、NATOへの加盟のベクトルを選択することとなった。

ロシアは「連合国」なのか?そこで、全体主義の「定義」という問題になる。それは、ハンナ・アレントの『全体主義の起原』に準拠しているように、私には思われる。「全体主義」に、ナチだけでなくそれと同等なものとしてソ連スターリン主義を同置させている。これは決定的に重要だ。まさにそれが「欧州議会」において、20199月、決議された、「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」という決議である。そこでは「Stalinist,Nazi,and other ictatorships」という全体主義が、断罪の対象となっている。バイデン大統領の「専制主義対民主主義」というフレーズも、これに準拠した考え方だろう。ではプーチンとスターリン主義との関係は如何に。

(4)スターリン主義の影――「強制移住」政策=「民族」解体

プーチン自身がかつて東独ドレスデン・KGB(ソ連国家保安委員会)支部の官僚だった。その全体主義の問題では、ウクライナ侵略戦争での「強制移住」の問題がある。それは<スターリン主義の影>という問題だ。以下に見てゆくようにスターリンの「民族理論」→強制移住で民族を解体するということだ。

まず官僚体制継続の問題から入ろう。1989年以降のソ連スターリン主義体制において、「党の独裁」としてあったノーメンクラツーラ体制は解体した。だが、軍事・警察官僚組織(KGB系列など)はのこった。そして「プーチンの統治で最大の謎の一つは、政権をサンクト派で固めてしまったことだ。…権力層の研究で知られるオリガ・クリシュタノフスカヤは、「プーチンの大統領二期目が終わる08年までに権力中枢ポストの八割以上はプーチンの息のかかったサンクト派や旧KGB人脈で占められた」と分析した」(名越健郎『独裁者プーチン』文春新書、2012年)。そのサンクト派には「シロビキ」といわれるKGB出身グループの「武闘派」が存在し、大統領府長官、連邦麻薬取締兆長官、安保会議書記などの要職を占めてきた。KGBはソ連解体以降、名称を変えながら1995年以降FSB(ロシア連邦保安庁)となって、民主派・改革派に対する弾圧を組織してきたといわれる。

そのスターリン主義と同様の手法は、ウクライナ戦争では、「強制移住」の施策に端的に表れている。ウクライナ侵略戦争を開始したクレムリンは、この約半年間で百数十万人(ウクライナの人口約4300万人)におよぶ、ウクライナ民衆をロシア国内(シベリアなど)に強制移住・連行している。また、東部や南部の占領地帯では、収容所施設をつくり、親ロシア派住民かどうかの選別などを行っているとの報道がある。これには、スターリン民族理論の強い影響があるのは明らかだ。

 スターリンによれば「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である」。そしてこの「すべての特徴が同時に存在する場合に、はじめて民族があたえられるのである」というものだ(スターリン『マルクス主義と民族問題』、原著1913年、引用は国民文庫、50~51頁)。

この規定は、「大ロシア主義」をかかげるプーチンにすれば、大ロシアが、いくつもの国家に分かれているのはおかしい、小ロシア=ウクライナは、クレムリンの「勢力圏」だ、ということに、口実をあたえるものだ。さらに、クレムリンに敵対するウクライナ民族を解体しようとした場合(焦土作戦とつらなる)、「強制移住政策」は、ウクライナの「民族」としての解体とウクライナのロシア化に効果を発揮するものとなるだろう。(※ステファヌ・クルトワ、二コラ・ヴェルト『共産主義黒書――犯罪・テロル・抑圧――<ソ連編>』(外川継男訳、惠雅堂出版、2001年、原書1997年)の「第七章 強制的集団化とクラーク撲滅」「第八章 大飢饉」などでは、その「強制移住」の強権的なファシスト的やり口が、暴露されている)。1930年代、ウクライナなどでの農業集団化における、いわゆる「クラーク(富農)撲滅政策」は、例えば、次のようだ。

「膨大な数のクラーク(これにはクラーク(富農)より圧倒的に多い数の一般農民などが含まれている――引用者・渋谷)の強制移住は、完全な即興とアナーキーの中で行われた。それは前代未聞の『強制移住=棄民』となって、政治にとって経済的になんらプラスにはならなかった。……クラークの強制移住は1930年2月の第一週からはじまった。政治局によって承認された計画では、第一段階で六万家族の移住が四月には終わっていなければならなかった。北方地域で四五〇〇〇、ウラルで一五〇〇〇家族を受け入れることになっていた」。「このように強制移住者は予備の食糧もなしに、多くの場合には仮寝の小屋すらないしに、定住することを余儀なくされた」等々だ。こうした支配方法をクレムリンは今も継続している。

(5)ロシアはウクライナから撤退せよ――戦争性格の変化にも留意を

プーチンにとってその「大ロシア主義」においては、レーニンが「分離の自由」に基づく民族自決権によってウクライナを連邦構成共和国として認めたこと自体が間違いであったという。これに対しスターリンの敵対民族消滅政策をプーチン自らが駆使しつつ、スターリンのようにクレムリンへの国家中央集権主義に基づく大ロシア主義を表明しているのだ。

(※この問題はそもそも、ロシア革命時の、アナーキストのウクライナ・マフノ反乱軍とボリシェビキとの闘いという問題を一つの源流としている。「ウクライナをクレムリンから解放せよ」ということだ。アルシーノフ『マフノ反乱軍史』、鹿砦社刊、1973年など参照)。

「ウクライナ戦争」は、ロシアのウクライナ侵略戦争―対―ウクライナ軍民の徹底抗戦という構図で推移している。すでに、ロシアの側は「核兵器使用」の恫喝も、開戦直後にやっている。反面、戦局の変化とともに、相互侵略戦争の様相へと転変する可能性も否定できないことは対自化すべきだ。そうしたことをも対象化しつつ、「ウクライナ軍民の対ロシア徹底抗戦断固支持! 避難民を救援しよう!」という声をあげていこうではないか。もちろん、この戦争を契機に組織されている日本の軍拡にはストップを!

(しぶや・かなめ 1955年生まれ、元・季刊「クライシス」編集委員(1984年第三期~1990年終刊))◆