2017年7月9日日曜日

天皇制問題としての森友問題 /渋谷要




天皇制問題としての森友問題
渋谷要


【リード】森友問題は、①国有地売却問題(財務省理理財局長、財務省近畿財務局と大阪府が連携し、国有内格安払い下げに関する疑惑があるなどの問題)、②小学校設立認可についての「何らかの政治的関与」が疑われる問題(大阪府私学審議会における私学認可新基準と、異例の速さで認可したことに関する疑惑が浮上している問題)というものだが、もう一つ教育内容の問題がある。本論では教育内容をめぐる問題を見てゆく。



●「瑞穂の國」と教育勅語



籠池泰典氏らの森友学園は「瑞穂の國記念小學院」(「安倍晋三記念小学校」にかわり)を設立しようとしていた。この「瑞穂の國」とは、どこのことか。ここから話をはじめたいと思う。

同学園の塚本幼稚園では園児が、「教育勅語」を暗唱させられていたが、それと、深く関係している。この学園の理事長だった籠池泰典氏自身が、どういう意図で、この名前を付けたかはともかく、天皇主義・愛国教育というところでは、それは次のような想定を故なしとしないだろう。

この「瑞穂の國」とは『日本書紀』にのべられている「天壌無窮の神勅」の中に存在するものだ。そしてこれが森友学園の愛国教育の理念、教育勅語斉唱と深い、直結した関係を描くものにほかならない。 

この神勅は、次のように述べられている。この神勅は、天照大神(アマテラスオオミカミ)が皇孫であるニニギノミコトに対して述べた詔である。一九三七年、文部省が編纂した「國體の本義」から引用しよう(カタカナ部分は平仮名にした――引用者)。

「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、當に天壤(あめつち)と窮りなかるべし」というものだ。

 ここに出てきた「瑞穂の國」は、天皇が永遠に支配する国だ。『國體の本義』は述べている。「天壌無窮とは、天地と共に窮りないことである」。しかしそれは、単に時間を意味するものではない。「過去も未来も今において一になり、わが国が永遠の生命を有し、無窮に発展することである。……我が歴史の根底にはいつも永遠の今が流れている」。

そして、次のように展開する。

「『教育に関する勅語に』『天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』と仰せられてあるが、これは臣民各々が、皇祖皇宗の御遺訓を招述したまう天皇に奉仕し、大御心を奉戴し、よくその道を行ずるところに實現される。……まことに天壌無窮の寶祚は、我が國體の根本であって、これを肇国の初に當って、永久に確定し給うたのが天壌無窮の神勅である」ということだ。つまり、「教育勅語」は「天壌無窮の神勅」を実践し、天皇の國=豊葦原の瑞穂の國を、臣民として実践するものにほかならない。



●「天壌無窮の皇運」――天皇のために死ね



まさに教育勅語の「核」となる部分は、「國體の本義」が引用・宣揚する「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という個所にほかならない。「公益を廣め世務を開き常に国憲を重じ国法に遵い一旦緩急あれば義勇公に奉し以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし是の如きは獨り朕が忠良の臣民たるのみならず又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」(教育勅語)。つまり、天皇の國のために死ぬ覚悟をせよといっているのである。

「教育勅語」は、明治天皇の名で出された勅語であって明治二三年(一八九〇年)一〇月三〇日に、御名御璽として公布されたものだ。これは天皇の「勅令」(議会で裁可された法律と同等)ではないが「教育勅語」には、法律的効力があった。まさに、これは勅令と同じく、帝国議会の協賛を経ず、<天皇の大権>により発せられたという位置づけをもつものだ。

 大日本帝国の明治憲法下では、天皇大権は絶対であり、法学者も、「天皇大権主義」を憲法解釈の基本とするのが、大きな勢力を占めていた。

 そして大日本帝国に日本をもどそうとする人々にとって、この、一九四八年に立法府において排除(衆議院)、失効(参議院)された、この「明治天皇の勅語(の精神)」を復活させる願望は、戦後、生き続けてきた。



●「愛国心」の意味



「愛国心」ということを、「教育勅語」の精神で考えることを主張する人々の中に、安倍首相のブレーンである八木秀次氏(麗澤大学教授・法学者)がいる。二〇〇六年「新しい教科書をつくる会」から独立してつくられた一般社団法人「日本教育再生機構」の理事長などとして活動している。八木氏はこう述べている。

 「『国を愛する心』は自分がその国に生まれたことを宿命として受け止め、国と運命を共にする覚悟、場合によっては国のために『死ぬ』ことすら厭わぬ『愛国心』」だと表明している(「保守派の油断がもたらす危機――教育基本法改正に仕込まれた革命思想」、『正論傑作選 憲法の論点』所収、『正論』編集部編、発行・産経新聞ニュースサービス、発売・扶桑社、二〇〇四年、二七七頁)。まさに、「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」ということだ。

 これは二〇〇六年に改正施行されることになる「教育基本法」を批判してのものだ。改正「教育基本法」が「国と郷土を愛する心」などという文言を入れているが、その国とは、「『新しい「公共」』の別名に他ならず、人々の社会契約によって『つくられる』国家のことである」、だがそれは「日本の歴史を継承する歴史的な存在としての日本人ということではない」(前掲二七七頁)との理由からだ。

 

●教育勅語と戦後教育基本法は矛盾しない――「道徳教育」の欠損という主張



こうした八木氏の主張の論点は、「教育基本法――その知られざる原点」(『誰が教育を滅ぼしたか』、PHP、二〇〇一年)に展開されている。それは一言でいうならば、戦後の教育基本法は、教育勅語(の精神をもった道徳教育)を排除するものではないという主張である。

 戦後一九四八年、衆議院と参議院で教育勅語に対する排除、失効の決議が行われたが、その一年三カ月前に、制定・施行されたのが「教育基本法」だった。その「教育基本法の起草に携わった日本側関係者は何れも教育勅語の道徳的権威を主張し、教育勅語との両立を前提に教育基本法の制定を構想していた」(一〇〇頁)というのが主張としてまずある。つまり、八木氏の言葉で戦後教育基本法の「立法者意思」は「教育勅語擁護」だったということだ。文部大臣など一人ひとりがどう考えていたかが詳論されているが、ここで扱う余裕はない。

八木氏は次のように展開してゆく。両院における教育勅語の廃止決議は、GHQの発意・主導でなされた。だが、教育勅語自体、明治期における「教育荒廃」を背景としてうまれたものであった。その教育勅語を廃止し、こうして「戦後教育は…教育勅語を失った形で出発した」。「私は教育勅語そのものに拘っているわけではない。教育勅語の復活を主張したいのでもない。私がここで言いたいのは、今日の教育の『危機』を目の当たりにした時、そもそも教育勅語が担うべきことを想定されていたために教育基本法には積極的には規定されなかった道徳教育の理念をもう一度、『基本』に立ち戻って補充する必要があるのではないかということである」(前掲一一三頁)というわけだ。

こう見てくると、現政権が今年(二〇一七年)三月三一日にした「教育勅語」に関する閣議決定での論法、「学校において教育に関する勅語をわが国の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」としつつ「教育基本法などに反しない形で教材として用いる」ことはできるということになるだろう。

安倍首相らは、森友学園は切ったとしても、それで愛国教育を否定するとはならない。まさに弥縫策としての閣議決定だ。まさにこの閣議決定は、一九四八年に行われた、教育勅語に対する立法府の「排除・失効」決定を破壊することを意味する。

※この「閣議決定」は、民進党・初鹿明衆議院議員が提出した質問趣意書(教育勅語を学校教育で使用することを禁止することを求める旨のもの)に対してのものであった。



●稲田朋美氏の教育勅語擁護



こうした教育勅語擁護の姿勢は、安倍内閣では顕著である。例えば、稲田朋美防衛相(二〇一七年六月現在)などは、二〇一七年三月八日の参議院予算委員会で、社民党の福島瑞穂副党首が、稲田朋美氏が、〇六年に月刊誌の対談で「教育勅語の精神は取り戻すべきだ」と述べたことに対し、「教育勅語が戦争への道につながったとの認識はあるか」と質問したのに対し「そういう一面的な考えはしていない」と反論した。また、「親孝行や友達を大切に」とかが「核の部分」であり、「道義国家をめざすこと」が中心だとの内容を答弁した。

安倍内閣の閣僚のうち神道政治連盟に所属している閣僚が大半をしめているといわれるのも、うなずけるというものだ。

たとえば稲田朋美氏などの場合、以下のような関係が展開している。稲田氏は生長の家学生会全国総連合や、反憲法学生委員会全国連合を生みだす生長の家の創始者・谷口雅春の『生命の実相』から影響を受けているようだ。二〇一二年四月(衆議院議員二期目)に、靖国神社でおこなわれた「第六回東京靖国一日見真会」で、「ゲスト講演」した稲田氏は、祖母から受け継いだ古く、何十年も読み込まれた『生命の実相』(の中の一冊)を参加者に見せて、講演したことがあったという。



●安倍と松井大阪府知事を結び付けた八木氏



実は、この八木氏の「日本教育再生機構」の「日本教育再生機構大阪」が、二〇一二年二月二六日に大阪でおこなった「教育再生民間タウンミーティングin大阪 教育基本条例の問題提起とは」というシンポジウムで、安倍晋三氏(当時・元首相)と松井大阪府知事が出会い、八木氏がとりもって、教育理念などの問題で、意気投合したのが、森友学園「忖度」問題のそもそもの始まりだという分析がある。

大阪教育基本条例とは何か

 二〇一二年三月に施行された「大阪府教育行政基本条例」は、その第四章冒頭で、教育振興基本計画の策定において、「知事は委員会(大阪府教育委員会のこと―引用者)と協議して基本計画の案を作成するものとする」とある。これが首長の教育委員会への介入であるとして、大阪のさまざまな教員組合などがこの条例に反対している。また、第九条四項においては「委員会」は生徒らへの「指導」が不適格な「教員」に対し「免職その他の必要な措置を厳正に講じなければならない」としている。これが、不当解雇攻撃を正当化するものであることは、火を見るより明らかだ。こうして、「教育の正常化(右傾化)」、教育労働運動の解体を促し、日の丸教育をつくっていこうとする意図がはっきりと表明されている。

まさに、「日本教育再生機構大阪」が開いた、二〇一二年二月二六日のシンポジウムは、こうした条例の成立とリンクしている。 



●全部つながっている



そもそも安倍首相は日本会議の会員(同会議の「国会議員懇談会」)であり、森友学園の当時・理事長だった籠池泰典氏は、日本会議大阪支部「運営委員」にもなった。また籠池氏の娘の「瑞穂の國記念小学院準備室長」籠池町浪氏は、例えば二〇一七年三月一九日開催の「シンポジウムin芦屋 これからの歴史教育を話し合おう」に講師として参加が予定されていた(見合わせたという)が、そのシンポは「日本の歴史文化研究会」と「日本教育再生機構兵庫」の共催だった。その「日本教育再生機構」の理事長である八木氏も日本会議系右翼学者にほかならない。

さらに前記、「小學院」の「名誉校長」に安倍昭恵氏が就任した時、二〇一五年九月の同学園の「塚本幼稚園」での講演会では、「瑞穂の國記念小學院を語る」との演題で講演した安倍昭恵氏は「せっかくここで芯ができたものが、(公立)学校に入ったとたんに揺らいでしまう」とまで言い放ったのである。

また、この日本会議の事務方は、菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書、二〇一六年)が詳論しているように(特に二五〇頁以降)、かつての右翼学生運動「反憲学連」(反憲法学生委員会全国連合)のOBたちが担っている側面をつよくもつものである。まさに安倍首相側、大阪維新の会、籠池氏ら森友学園、日本教育再生機構、日本会議は、すべて、天皇主義・愛国教育で一体なのである。



●「トカゲの尻尾切」は成功するか



それが今回の森友問題で、「籠池なんて知らない」となり、籠池氏が国会の証人喚問(二〇一七年三月二三日)のとき、「トカゲの尻尾切にならないように」との籠池氏の発言となっていった。このトカゲの名前こそ「日本会議」だということだ。

日本会議は大阪支部が、二月一七日(二〇一七年)、籠池氏が「大阪支部長」だと報道した、週刊文春と週刊新潮に、「支部長ではない」旨の訂正記事を要求した抗議文を送っている。さらに、日本会議事務総局は、三月一三 日、「六年前の平成二三年一月に本会を退会されている」との文書を同組織の国会議員懇談会の各議員に配布などしている。関係性を否定したいとの考えからだろう。

大阪維新の会の松井大阪府知事は、籠池氏が国会の証人喚問で「松井知事に梯子をはずされた」と述べたことに対し「当たるところは僕しかないのか、痛々しくかわいそう」などと皮肉るなど、無関係を装っている。

また、稲田朋美防衛相(二〇一七年六月現在)も「一〇年ほど会っていない」「関係は、私にはない。断っている」と国会で答弁しているが、稲田氏は籠池氏が会員として参加してきた「関西防衛を考える会」の「特別顧問」をしてきた。一方籠池氏は例えば二〇一一年からは大阪護国神社で同会などが開く花見の実行委員長をするなどしてきた人だ。だが関西防衛を考える会は、「塚本幼稚園」などへの寄付などは一切していないと切り捨てに必死だ(『AERA dot』三月一七日、一六:三一「愛国爆弾が国会で炸裂へ」参照)。

また安倍首相は籠池氏との関係について二月一七日の国会では、「妻から森友学園の先生の教育は素晴らしいと聞いている。いわば私の考え方に非常に共鳴している」といっていた。だが二月二七日には「教育の詳細は承知していない。安倍首相がんばれと園児に言ってもらいたいということは全くさらさらない」となり、二八日には「(籠池理事長と)個人的関係は全くない」と国会での答弁を籠池氏との関係否定に変えていった。籠池氏とつながっていた人々がトカゲの尻尾切におわれ、この問題を早く終わらせたいとやっきになっている。この人たちにとって、ほとぼりが冷めるまでは、森友学園を媒介に作られたいろいろな関係性を後景化させたいところだろう。

一九八〇年代のリクルート事件では、天皇主義者・中曽根康弘前首相(当時)が、自民党を離党に追い込まれ内閣は総辞職、その後の第一五回参議院通常選挙では自民党は建党史上、初めての参議院過半数割れをおこして惨敗するなど自民党にとっての政治危機を招いた。この間の森友問題では、安倍首相は「私や妻が関わっていたということになれば、…間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」(二〇一七年二月一七日、衆議院予算委員会)と言い切っている。だからこそ籠池氏を「トカゲの尻尾切」にして、逃げ切ろうとしているのだ。(2017627



(初出:『人民新聞』No.16162017525日号第四面、「籠池氏との関係を懸命に否定する日本会議 天皇主義愛国教育で一体――安倍首相・維新の会・森友学園・日本会議」に大幅、加筆)