2023年2月28日火曜日

日米安保軍の単一軍化をめざす日米IAMD構想(――「反撃能力」の概念と安保三文書)に関するノート     渋谷要

 




日米安保軍の単一軍化をめざす日米IAMD構想(——「反撃能力」の概念と安保三文書)に関するノート     渋谷要

最終更新 2023・03・02.21:25

 

はじめに

 現在(2023・03・02)、国会では安保・防衛費予算の質疑で、「反撃能力」なるものをめぐる、質疑が、交わされている。それ自体は、悪いことではない。だが、そもそも、「反撃能力」とは何なのか? それは、どういう位置づけのものなのか。誰が何のために、用いようとしているのか。そこが、中心にならなければいけない。それは、結論から言えば「日米IAMD(統合防空ミサイル防衛)」というもので、アメリカが、米のインド・太平洋軍を中心に日本をはじめ同盟国と中国包囲の単一の司令部をもつ作戦体系を作り出そうしていることに起因している問題だ。米軍はハワイの司令部に2014年「太平洋IAMDセンター」を設置している。日本が「反撃能力」を保有するという「安保三文書」の要点の一つも、この作戦体系とそのもとでの、日米軍事一体化(これまでの単なる連合化ではない)ということの象徴的一課題としてあることなのである。

(※ 「IAMD」については、今国会の質疑では、日本共産党や立憲民主党などの質疑で、記録されている)
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  日本帝国主義は、ウクライナ戦争から波動的に開始された、東アジアにおけるロシアの脅威に関する懸念を、中国・朝鮮と同様の脅威とみなしつつ、自国軍拡の展開を着々と進めている。それは、反戦平和・反ファシズムの観点からも、絶対に阻止しなければならないものである。

東アジアにおいては、<米日―対―中・ロ・朝鮮>の相互の軍拡競争に対する、反戦平和の国際連帯の課題が不可欠だ。とりわけ、日本においては、日本帝国主義の米軍と一体化した軍拡がすすんでいる。そして沖縄―南西諸島の軍事基地建設などが、中・台の軍事緊張を高めている。このことをストップさせなければならない。 

以下に述べるように日本政府は、東アジアの軍事緊張の方向に飛躍的にシフトしようとしている。それは、日米安保軍(連合軍)を、日米単一軍化しようとする「日米IAMD(統合防空ミサイル防衛)」の形成・構築として進められているものにほかならない。

その場合、本論が指摘する<日米安保軍の単一軍化>とは、一言で言えば、後述すように、「日米IAMD」が、単に装備の一体化だけでなく、日米両軍における情報の把握の共有と、例えば各種の攻撃指令など、攻撃方法の選定などでの、米国のミサイル防空システムなどとの機構的一体化が課題となっているからである。日米両軍の、集団的自衛権の行使を部隊間の連携——情報・通信・司令面での一体化として展開してゆこうとしているからだ。だからそれは、「集団的自衛権」の行使が、このシステムの中心にある設計思想であり、しかもそれは、単一の指揮・指令システムの下に軍が動くことを前提としたものだということにほかならない。

だから「反撃能力(敵基地攻撃能力)」それ自体は、アメリカ帝国主義の推し進めているIAMD(統合防空ミサイル防衛)戦略に対応した戦略的シフトを、日本が構築するという戦略的な態勢の構築の一部分にすぎないのだ。

そこで「安保三文書」の書き換え(202212月)と、そこにおける攻撃型軍事機能の新設、いわゆる「反撃能力」の保持等々の課題を表明しているということだ。そしてそのあらたな態勢にともなう自衛隊の部隊の新編成がめざれているのである。これらに多額の国費を投入しようとしているのだ。

同時に、まさにそのことは、2015年安保法制制定における「集団的自衛権」の確認と整備を基本としている。この「集団的自衛権」(攻守同盟)の確立(文末「資料①」参照)なくして、「日米IAMD」などの日米単一軍化などありえなかった。

また他方では、国連の「敵国条項」(文末「資料②」参照)では、「(旧)敵国」(旧枢軸国の日本・ドイツなど)が、国際連合の秩序に違反しそれを破壊しようとする軍事行動にでたときは、連合国諸国は、国連安保理の承認なしで、軍事的反撃をおこなうことができるなどの条項がある。この条項は国連の全体会議(1995年国連総会)では「死文化」といことが採決されたものの、国連の三分二の国が自国で批准しないと死文化は成立しない。その確認はいまだに確認できていない。

 だから日本が「反撃能力」の資格・権利を確保するためには、合衆国をはじめとする日本の同盟国がその「反撃能力」を承認するという段取りが必要であったと考えられる。例えば安保理常任理事国のロシアなどは、この「敵国条項」は死文化してはいないとの立場を強調している(以上について詳しくは「文末(資料②)」を参照せよ)。
 
 このため日本が、中ロ・朝鮮などとの間の軍事紛争で、交戦する場合、この「敵国条項」で、日本が安保理の決定なしに、軍事攻撃を受ける可能性がある。例えば日米の「集団的自衛権」の行使などとの関係からも、日本の「反撃能力」(交戦能力といっていい)の確認を、日本の同盟国との相互の確認として、とりつける課題があったと考えられる。

(※本論著者(渋谷)は革命的左翼の立場として、ロシアの権力者・クレムリンとは対立する立場だが、客観的事実として「死文化」はしていないと考えるものである)。

「敵国条項の死文化」ー「反撃能力」(交戦能力といっていい)の保持ー「憲法九条(戦力不保持・交戦権否認)の改定・改悪」は、相互に関連・共通した意味をもつものだ。

本論ではそういう脈絡での、以上の諸点にわたり論点を確認しつつ、日本版IAMDの方針書である安保三文書の内容を見てゆくことにしよう。

 

●第1節 安保三文書(1)――「国家安全保障戦略」における「反撃能力」の登場

 

三文書の内、当該文書の策定趣旨、位置づけと戦略的枠組みを示すものが「国家安全保障戦略」だ。次のような状況分析から始まっている。

「ロシアによるウクライナ侵略により、国際秩序を形作るルールの根幹がいとも簡単に破られた。同様の深刻な事態が、将来、インド 太平洋地域、とりわけ東アジアにおいて発生する可能性は排除されない。国際社会では、インド太平洋地域を中心に、歴史的なパワーバランスの変化が 生じている」。

「また、我が国周辺では、核・ミサイル戦力を含む軍備増強が急速に進展し、力による一方的な現状変更の圧力が高まっている。そして、領域をめぐるグレーゾーン事態、民間の重要インフラ等への国境を越えたサイバー攻撃、偽情報の拡散等を通じた情報戦等が恒常的に生起し、有事と平時の境目はますます曖昧になってきている」などとして、危機管理の在り方が変化してきていると表明している。

「我が国の平和と安全、繁栄、国民の安全、国際社会との共存共栄を含む我が国の国益を守っていかなければならない。そのために、我が国はまず、我が国に望ましい安全保障環境を能動的に創出するための力強い外交を展開する。そして、自分の国は自分で守り抜ける防衛力を持つことは、そのような外交の地歩を固める ものとなる。 こうした目標を達成するためには、地政学的競争、地球規模課題への対応等、対立と協力が複雑に絡み合う国際関係全体を俯瞰し、外交力・防衛力・ 経済力・技術力・情報力を含む総合的な国力を最大限活用して、国家の対応を高次のレベルで統合させる戦略が必要である」。

 

 「本戦略は、外交、防衛、経済安全保障、技術、サイバー、海洋、宇宙、情報、 政府開発援助(ODA)、エネルギー等の我が国の安全保障に関連する分野 の諸政策に戦略的な指針を与えるものである」。

 

2013 年に我が国初の国家安全保障戦略(平成 25 12 17 日国家安全保 障会議決定及び閣議決定)が策定され、我が国は、国際協調を旨とする積極 的平和主義の下での平和安全法制の制定等により、安全保障上の事態に切れ 目なく対応できる枠組みを整えた。本戦略に基づく戦略的な指針と施策は、 その枠組みに基づき、我が国の安全保障に関する基本的な原則を維持しつつ、戦後の我が国の安全保障政策を実践面から大きく転換するものである。 同時に、国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」。

 として、国民が自分のこととして、「国防」に積極的にコミットすることをアピールしている。

これらを踏まえて、「⑵ 我が国の防衛体制の強化」の項目が始まる。

 

「我が国の 防衛力は、科学技術の進展等に伴う新しい戦い方にも対応できるものでなくてはならない。 このような視点に立ち、宇宙・サイバー・電磁波の領域及び陸・ 海・空の領域における能力を有機的に融合し、その相乗効果により自衛隊の全体の能力を増幅させる領域横断作戦能力に加え、侵攻部隊に対し、その脅威圏の外から対処するスタンド・オフ防衛能力等により、 重層的に対処する」。

※「スタンド・オフ」=「長射程」。

とくに「スタンド・オフ防衛能力」を活用した「反撃能力」が、ここでのポイントだ。

「我が国への侵攻を抑止する上で鍵となるのは、スタンド・オフ防衛能力等を活用した反撃能力である。近年、我が国周辺では、極超音速兵器等のミサイル関連技術と飽和攻撃など実戦的なミサイル運用能力が飛躍的に向上し、質・量ともにミサイル戦力が著しく増強される中、 ミサイルの発射も繰り返されており、我が国へのミサイル攻撃が現実の脅威となっている。こうした中、今後も、変則的な軌道で飛翔する ミサイル等に対応し得る技術開発を行うなど、ミサイル防衛能力を質・量ともに不断に強化していく。 しかしながら、弾道ミサイル防衛という手段だけに依拠し続けた場合、今後、この脅威に対し、既存のミサイル防衛網だけで完全に対応 することは難しくなりつつある」。

「このため、相手からミサイルによる攻撃がなされた場合、ミサイル防衛網により、飛来するミサイルを防ぎつつ、相手からの更なる武力攻撃を防ぐために、我が国から有効な反撃を相手に加える能力、すなわち反撃能力を保有する必要がある」。

 

そして、「反撃能力」の位置づけを次のように述べている。

 

「この反撃能力とは、我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力の行使の三要件に基づき、そのような攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とする、スタンド・オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力をいう」とされるものだ。

 

(この場合の「武力の行使の三要件」とは、「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」(20147月閣議決定)を示している)。

 

「こうした有効な反撃を加える能力を持つことにより、武力攻撃そのものを抑止する。その上で、万一、相手からミサイルが発射される際にも、ミサイル防衛網により、飛来するミサイルを防ぎつつ、反撃能力により相手からの更なる武力攻撃を防ぎ、国民の命と平和な暮らしを守っていく」としている。

 

「この反撃能力については、1956 年2月 29 日に政府見解として、憲法上、「誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」としたものの、これまで政策判断として保有 することとしてこなかった能力に当たるものである」。

「この政府見解は、2015 年の平和安全法制に際して示された武力の行使の三要件の下で行われる自衛の措置にもそのまま当てはまるものであり、今般保有することとする能力は、この考え方の下で上記三要件を満たす場合に行使し得るものである。 この反撃能力は、憲法及び国際法の範囲内で、専守防衛の考え方を 変更するものではなく、武力の行使の三要件を満たして初めて行使され、武力攻撃が発生していない段階で自ら先に攻撃する先制攻撃は許されないことはいうまでもない」。

だが、それは「専守防衛」を破壊する内実をもつものではないのか。次節では米IAMDとのかかわりで、この点を考えて行こう。

 

さらに「反撃能力」の保有においての日米連携の在り方がしめされている。

「また、日米の基本的な役割分担は今後も変更はないが、我が国が反撃能力を保有することに伴い、弾道ミサイル等の対処と同様に、日米が協力して対処していくこととする」。 「さらに、有事の際の防衛大臣による海上保安庁に対する統制を含め、 自衛隊と海上保安庁との連携・協力を不断に強化する。 また、政府横断的な連携を図る形での自衛隊のアセットを活用した 柔軟に選択される抑止措置(FDO)等を実施する」として、自衛隊外機関との連携などがかだいにあげられている。

「現下の我が国を取り巻く安全保障環境を踏まえれば、我が国の防衛力の抜本的強化は、速やかに実現していく必要がある。具体的には、本戦略策定から5年後の2027年度までに、我が国への侵攻が生起する場合には、我が国が主たる責任をもって対処し、同盟国等の支援を受けつつ、これを阻止・排除できるように防衛力を強化する」。

また「財源についてしっかりした措置を講じ、 これを安定的に確保していく。 このように、必要とされる防衛力の内容を積み上げた上で、同盟 国・同志国等との連携を踏まえ、国際比較のための指標も考慮し、我 が国自身の判断として、2027 年度において、防衛力の抜本的強化とそれを補完する取組をあわせ、そのための予算水準が現在の国内総生産 (GDP)の2%に達するよう、所要の措置を講ずる」というものだ。

 

 

第2節 IAMD(統合防空ミサイル防衛)―日本における「EOR」と安保三文書―「反撃能力」の明示の意味

 

●米軍の「ミサイル迎撃」態勢とIAMD

このような「国家安全保障」の文書を内容的位置づけとした安保三文書を分析するにあたって、まずこの文書が、大きく、米のIAMD戦略に対応し、その一部となる目的をもつと言う基調をもつものであることを確認する必要がある。

IAMDは米帝がすすめる防衛構想だ。弾道ミサイルや航空機・無人機などの攻撃に対して、イージス艦・早期警戒機・地上配備レーダーなどでも情報を集約し敵の攻撃を阻止しようとするものである。ポイントは、IAMDでは「迎撃」に特化させない「攻勢作戦」を明示するところだ。そういう攻撃型の軍事同盟をつくりあげるのが、米帝の目的だ。IAMDは敵国からのミサイル攻撃を未然に防止する目的で、敵基地・軍事施設や指揮統制機能を攻撃する「攻勢作戦」(米統合作戦本部JCSの規定)として定義している。その目的は「中国包囲網」の形成であり、日米をはじめとする同盟国の指揮統制・情報処理などを中軸とした軍事一体化にほかならない。米帝はこうした態勢を2030年前後までに構築しようとしている。

 

IAMDの概念――「防衛研究所紀要」論考●

 

ここで防衛研究所の専門家の、IAMDに関する解説を聞こう。IAMDは、日本の国会では安保三文書の書き換え=「反撃能力」の賛否・位置づけなどをめぐり、初めて国会質疑の中で、登場したようだが、すでに、201712月『防衛研究所紀要』(20巻第1号)で、まとまった論文が発表されている。「米国におけるIAMD(統合防空ミサイル防衛)に関する取り組み」(有江浩一、山口尚彦)である。有江氏は「2等陸佐 理論研究部政治・法制研究室所員」、山口氏は「1等陸佐 東北方面総監部監察官」と、記されている。

 

まず、当論文の「要旨」がのべられている。

「〈要旨〉 近年の航空・ミサイル脅威の量的・質的増大に鑑み、米国は IAMD(統合防空ミサイル防衛)構想のもと、自国及び同盟国・友好国に対する航空・ミサイル攻撃を抑止 あるいはこれに対処する取組みを進めている。IAMD は、弾道ミサイル、巡航ミサイ ル、有人・無人航空機、短射程のロケット弾や野戦砲弾・迫撃砲弾による攻撃を含む あらゆる航空・ミサイル脅威に対して、攻撃作戦、積極防衛、消極防衛を C2(指揮統 制)システムによって一体化させた方策を追求するものである。ただし、IAMD 構想 には未知数な部分も多く、米軍内では同構想を巡って様々な議論がなされており、米軍が開発中の IAMD 装備体系も日進月歩の状況にある。また、IAMD を進めるに当たっては、米軍の能力を統合する必要があるのみならず、米国の同盟国・友好国との連携 が必要となる。わが国としても、米国における IAMD に関する取組みを参考としつつ、 自衛隊の防空作戦と弾道ミサイル防衛を一体化させる努力を続けていく必要があろう」。

そこで、IAMD構想の概念が紹介される。

「1.       米国の IAMD 構想 (1)IAMD の概念とその背景

ア 概念  IAMD の概念は、2017 4 月改訂の米軍統合文書 JP 3-01『対航空・ミサイル脅威』 (Countering Air and Missile Threats)において定式化されている。それによると、IAMDは「対 航空(counterair)」の諸作戦をグローバルミサイル防衛、米本土防衛、グローバル攻撃 (global strike)及びロケット弾・野戦砲弾・迫撃砲弾への対応策と同調させるアプロー チである」。

「ここで、「対航空」とは戦域レベルの基本的枠組み(foundational framework at the theater level)であり、敵の航空機やミサイルを離陸・発射の前後において無力化または破壊する攻防両面の作戦を統合した概念である。その目的は、統合部隊指揮官が 所望する程度の制空(control of the air)及び防護(protection)を達成し維持することにある」。

「「対航空」の諸作戦は攻勢対航空(offensive counterair: OCA)と防勢対航空(defensive counterair: DCA)に大きく区分され、その手段としては航空機、地対地・地対空ミサイル、 野戦砲兵、地上部隊、特殊作戦、宇宙作戦、サイバー戦、電子戦が用いられる」 。

IAMD の諸作戦は、これらの「対航空」作戦と密接に連携して行われる。まず、戦域レベルにおける IAMD 作戦は DCA を主体とし、OCA がこれを支援する形で遂行される。また、戦域レベルを超える IAMD 作戦では「対航空」作戦とグローバルミサイル防衛、本土防衛、グローバル攻撃との一体化が強調される」。

「このうち、グローバルミサイル防衛については米戦略軍司令官(Commander, United States Strategic Command: CDRUSSTRATCOM)が各地域別統合軍と協同しつつ全般の計画を調整することとされている。また、グローバルミサイル防衛を支えるシステムとして「指揮・統制・戦闘 管理及び通信(Command, Control, Battle Management and Communications: C2BMC)」がある。 JP 3-01 は、IAMD を「敵の航空・ミサイル能力から悪影響を及ぼし得る力を無効に することにより、米本土と米国の国益を防衛し、統合部隊を防護し、行動の自由を可…… 能にするために行う諸能力と重層的な諸作戦の統合」と定義している」。

「ここにいう「重層的な諸作戦」は次の3つに大きく区分される:

①敵の航空・ミサイル攻撃を未然に防止する(prevent

②攻撃発起後の敵の航空機及びミサイルを破壊する(defeat

③攻撃を受けた場合、友軍の作戦への影響を最小にする(minimize) このうち、①は敵の策源地に対する攻撃作戦であり、left of launch 作戦とも呼称される。 ②は防空作戦やミサイル防衛などの積極防衛(active defense)に相当し、right of launch作戦とも言う。③は偽装や抗たん化などによって被害を局限するための消極防衛(passive defense)を指す」。

「また、IAMD の定義にある「諸能力」は、上記の各作戦において用いられる全ての軍事能力を含むものであり、要撃戦闘機や迎撃ミサイルなどの運動性 (kinetic)兵器はもとより、サイバー戦、指向性エネルギー、電子戦などの非運動性(nonkinetic)兵器も該当する」 。

 以上で、ただ一つだけ、「安保3文書」との関連で、ポイントをとりあげるとすれば、「敵の航空・ミサイルを未然に防止する――敵の策源地に対する攻撃作戦」ということであり、それは「対航空」作戦――攻勢対航空(OCA)と防勢対空港(DCA)という攻防の両面での作戦として組織され、DCAが主力でありOCAがこれを支援する形で遂行される、これがIAMDの基本形だということである。それは「敵の航空機やミサイルを離陸・発射の前後において無力化または破壊する攻防両面の作戦を統合した概念」だということ。また、「その目的は、統合部隊指揮官が 所望する程度の制空(control of the air)及び防護(protection)を達成し維持することにある」ということだ。

以上が、考え方であるが、敵が「航空機やミサイルを発射する前後において」というところ、注目しよう。この敵が攻撃をしかけてくる「前後において」敵の攻撃を「無力化・破壊」するということ、ここに「反撃能力」のポイントがあるということだ。

 

●米軍のミサイル防衛システム●

以上を踏まえつつ、ここで米軍のミサイル防衛(迎撃)のシステムを見ていこう。

「防衛省・自衛隊」のホームページの「ミサイル防衛について」では、米帝の「ミサイル防衛」のシステムが紹介されている(20202月現在のもの)。

まず「迎撃」のシステムであるが、その迎撃の在り方が示されている。

   敵国がミサイルを発射→②米軍の早期警戒機が、発射の熱源を探知→③地上配備型・海上配備型・移動型の各種警戒レーダーが目標探知・識別・追尾→④イージス艦、イージス・アショア、及びGBIからの「ミッドコース段階」(弾道ミサイルが大気圏外を飛行している段階―引用者)での迎撃→⑤THAAD(弾道弾迎撃ミサイル)、PAC―3(地対空ミサイル)、による「ターミナル段階」(弾道ミサイルが大気圏に再突入し目標に向かって飛行している最終段階―引用者)での迎撃という流れを基本とした攻防が描かれている。

 

こうしたことを基本とした米軍の「ミサイル防衛網」は「米国や同盟国・友好国のミサイル防衛のため、米軍は14カ国に部隊を展開」しているとある。

日本では「TPY―2レーダー」(Xバンド・レーダー。弾道ミサイルの探知・追尾)を京都府京丹後市(経ケ岬)、青森県に設置。PAC―3一個大隊を沖縄(嘉手納基地)に配備、米軍横須賀基地にはSM―3(艦船発射型の弾道弾迎撃ミサイル)搭載イージス艦を配備などと紹介している。このイージス艦とは、イージス・システム(イージス武器システム:AWS)を搭載するあらゆる艦艇を指す総称だ。2021年現在で、巡洋艦・駆逐艦・フリゲートの三つの艦種に搭載されている。イージス・システムは、遠くの敵機を正確に探知できる索敵能力、迅速に状況を判断・対応できる情報処理能力、一度に多くの目標と交戦できる対空射撃能力を備えるシステムだ。イージス艦は、同時に多数の空中目標を補足し、これらと交戦できる。 

こういう戦闘態勢を基礎にしてIAMDが作動することになる。この態勢では、「敵基地攻撃応力(反撃能力)」も、米軍においてはこれまで、前提として設計されてきている。問題は日本の場合だ。

 

●日本の「ミサイル迎撃」システム——BMDからIAMDへ●

まさにこれまで日本の安保政策においては、「総合ミサイル防空」(日本版弾道ミサイル防衛BMD)という構想が推進されようとしてきた。それは「迎撃」に特化するものだった。「専守防衛」だからだ。イージス艦・地対空誘導弾・ぺトリオット(PAC3)等防空用装備を自動警戒管制システムに接合して運用する。

 

「防衛省・自衛隊」のホームページ(2021年29日更新)では「ミサイル防衛について」の項目に次のように書かれている。

我が国では、ミサイル攻撃などへの対応に万全を期すため、2004(平成16)年度からミサイル防衛(MD)システムの整備を開始しました。

イージス艦への弾道ミサイル対処能力の付与やペトリオット(PAC-3)の配備など、弾道ミサイル攻撃に対するわが国独自の体制整備を着実に進めています。

自衛隊は、レーダー、人工衛星、航空機、艦艇などによって、今この瞬間も、我が国周辺の警戒監視にあたっています。我が国に飛来する弾道ミサイルに遅滞なく対応するため、JADGE(ジャッジ)と呼ばれる自動警戒管制システムが、全国各地のレーダーがとらえた情報を集約・処理しています。これにより、着弾地点の計算などを自動的に行い、はるか洋上のイージス艦などに瞬時に迎撃を命令することができます」。

 

「日本に向けて弾道ミサイルが発射された場合、これを迎撃するのは、海上自衛隊のイージス艦や航空自衛隊のPAC-3です。イージス艦は弾道ミサイルが大気圏外を飛行している段階(ミッドコース段階)で迎撃する一方で、PAC-3は大気圏に再突入した後の最終段階(ターミナル段階)で迎撃します。現在、イージス艦の能力向上増艦や、能力向上型PAC-3PAC-3MSE)の導入を進めており、さらなるMD体制の強化に取り組んでいます」。

 

さらにEOR射撃の開発ということがポイントとなる。「極超音速兵器などを始めとする新たな脅威が出現している中、防衛省では、センサーやシューターの能力を高めていくほか、(JADGEに集約される――引用者)ネットワークを通じて、ミサイル防衛用の装備品(アセット――引用者)とその他防空のための装備品を一体的に運用する「総合ミサイル防空」強化のための取組みを進めています。こうした取組みが進展すれば、例えば、自らのセンサーで目標を捕捉していなくても、他のセンサーからの情報を用いて迎撃ミサイルを誘導する(Engage on RemoteEOR射撃――引用者)ことが可能となって防護範囲が拡大するなど、防空能力の向上が期待されます」ということだ。(ミサイル防空などで、どのような兵器が増強されるのか、などについては、「安保三文書」の節において後述する)

 

●「日米IAMD」での日米連携●

だが、IAMDとの決定的な違いは、この防空システムが「迎撃」に特化するというところにあった。これに対しIAMDは敵国からのミサイル攻撃を未然に防止する目的で、敵基地・軍事施設や指揮統制機能を攻撃する「攻勢作戦」(米統合作戦本部JCSによる定義)として、敵国に対する打撃力をその位置づけとしてもつ(これが「敵基地攻撃能力」「反撃能力」というものである)。

このIAMDに対し、これまでの「総合ミサイル防空」は、そうした位置づけを含まない位置づけのもとに、設計されてきたのである。つまり、「防衛大綱の改定」などでも、これまで、議論されてきたが、「反撃能力」までは、位置づかなかった。

だが、今回の「安保三文書」では、この「反撃能力」をミサイル防衛に位置づくようにしたということだ。それが「統合防空ミサイル防衛」(IAMD)といわれるものだ。

米国のIAMDは、宇宙・サイバーなどの手段をもちいた攻撃に対応する態勢をめざしている。IAMDでは、指揮統制システムをもって最適な攻撃手段を選択する。人口知能・高度コンピュータ技術も重要な開発プロジェクトとなってくるだろう。

この場合、ポイントは、「迎撃能力」の発動は、事実上、日米共同作戦となるということだ。

まさにさきに述べたようなJADGEによるネットワークで総合的な攻撃が可能となる態勢が、「反撃能力」の保持で、より強化されるとともに、それは、米軍との一体化した防空ネットワークを整備してゆくということを意味している。

米国製の巡航ミサイル「トマホーク」などの取得を検討すると同時に、単に兵器の一体化だけではなく、情報の把握・攻撃方法の選定などでの、米国のミサイル防空システム(広義)などとの機構的一体化が課題となっているのである。

そもそもこの「反撃能力」の発動は、日本が敵国から攻撃されるいわゆる「武力攻撃事態」のみならず、2015年に制定された「安保法制」において新設された、同盟国が敵国から攻撃され、日本も戦争危機に見舞われる「存立危機事態」に対する「集団的自衛権」の発動も入っている。だから、「反撃能力」は、必然的に米国・米軍と自衛隊の共同作戦を前提とした設計になっていなければならない。

 

本節冒頭で読んだ「防衛研究所紀要」の論文においては「4 防衛省・自衛隊への影響」という節で、「日米同盟においても、現在の日米弾道ミサイル防衛協力を「日米IAMD」に発展させることができれば、わが国に対する弾道ミサイル攻撃のみならず、あらゆる経空脅威の抑止に寄与するものとなることが期待される。この際、中国に日米の意図を誤解させないような配慮が必要であろう」と述べている。

 

まさに「反撃能力」の共有など、こうしたミサイル防衛体制での日米安保軍の一体化は、日米両軍の、集団的自衛権の行使を部隊間の連携や技術面での一体化として、さらに、自衛隊が米軍の一部となってゆくものとして展開してゆくものにほかならない。

2014年、米インド太平洋軍はハワイの司令部に「太平洋IAMDセンター」を設置している。これは「シームレス(切れ目のない融合)」としてアジアでの、米軍と同盟国軍隊の単一軍化をめざす(米空軍「航空宇宙作戦レビュー」(2022年夏号)では米インド太平洋軍「IAMD構想2028」など)ものだ。そして20231月の「日米2プラス2」(日米安全保障協議委員会)の共同発表では、IAMDでの協力を表明しているものである。

この「共同発表」(外務省ホームページ。令和5年1月11日配信の「2プラス2」の「概要」の記事に付されている「共同発表」文の「仮訳」とされているものからの引用―2023・2・17現在)では、次のように述べられている。

「日本は、新たな戦略の下、防衛予算の相当な増額を通じて、反撃能力を含めた防衛力を抜本的に強化するとの決意を改めて表明した。日本はまた、自国の防衛を主体的に実施し、米国や他のパートナーとの協力の下、地域の平和と安定の維持に積極的に関与する上での役割を拡大するとの決意を再確認した。米国は、日本の新たな国家安全保障政策について、同盟の抑止力を強化する重要な進化として、強い支持を表明した。 米国は、より多面的で、より強靱で、そしてより機動的な能力を前方に展開することで、日本を含むインド太平洋における戦力態勢を最適化するとの決意を表明した。日本は、米国の戦力態勢 を最適化する計画を支持し、地域における強固なプレゼンスを維持するとの米国の強いコミットメントを歓迎した」。

まさに、反撃能力の効果的な運用に向けて、日米間での協力を深化させる、「米国は…日本を含むインド太平洋における戦力態勢を最適化するとの決意を表明視点…日本は、米国の戦力態勢を最適化する計画を支持」したといいうわけだ。まさに、日米IAMDのシフトを強化、米・インド太平洋軍の戦略的IAMD構想を実現してゆくことが話し合われた、ということだ。


第3節 安保三文書(2)「国家防衛戦略」における「スタンド・オフ防衛能力」と「統合防空ミサイル防衛」などの定義と解説

 ●スタンド・オフ防衛能力●

そこでは次のように書かれている。

「Ⅳ 防衛力の抜本的強化に当たって重視する能力」として、スタンド・オフ防衛能力などがあげられている。

 

「 1 スタンド・オフ防衛能力 東西南北、それぞれ約 3,000 キロに及ぶ我が国領域を守り抜くため、島嶼部を含む我が国に侵攻してくる艦艇や上陸部隊等に対して脅威圏の外から対処するスタンド・オフ防衛能力を抜本的に強化する。 まず、我が国への侵攻がどの地域で生起しても、我が国の様々な地点から、重層的にこれらの艦艇や上陸部隊等を阻止・排除できる必要かつ十分な能力を保有する。次に、各種プラットフォームから発射でき、また、高速滑空飛翔や極超音速飛翔といった多様かつ迎撃困難な能力を強化する」。

 

「このため、2027 年度までに、地上発射型及び艦艇発射型を含めスタンド・オフ・ ミサイルの運用可能な能力を強化する」。「おおむね 10 年後までに、航空機発射型スタンド・オフ・ミサイルを運用可能な能力を強化する」などとしている。

 

●「統合防空ミサイル防衛能力」●

 

「 2 統合防空ミサイル防衛能力 四面環海の日本は、経空脅威への対応が極めて重要である。近年、弾道ミサイ ル、巡航ミサイル、航空機等の能力向上に加え、対艦弾道ミサイル、極超音速兵器や無人機等の出現により、この経空脅威は多様化・複雑化・高度化している。 このため、探知・追尾能力や迎撃能力を抜本的に強化するとともに、ネットワークを通じて各種センサー・シューターを一元的かつ最適に運用できる体制を確立し、統合防空ミサイル防衛能力を強化する」。

 

「相手からの我が国に対するミサイル攻撃については、まず、ミサイル防衛シス テムを用いて、公海及び我が国の領域の上空で、我が国に向けて飛来するミサイ ルを迎撃する。その上で、弾道ミサイル等の攻撃を防ぐためにやむを得ない必要 最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、有効な反撃を加える能力と して、スタンド・オフ防衛能力等を活用する」。

 

「こうした有効な反撃を加える能力を持つことにより、相手のミサイル発射を制約し、ミサイル防衛による迎撃を行い易くすることで、ミサイル防衛と相まってミサイル攻撃そのものを抑止していく。 このため、2027 年度までに、警戒管制レーダーや地対空誘導弾の能力を向上させるとともに、イージス・システム搭載艦を整備する。また、指向性エネルギー兵器等により、小型無人機等に対処する能力を強化する」としている。「今後、おおむね 10 年後までに、滑空段階での極超音速兵器への対処能力の研究や、小型無人機等に対処するための非物理的な手段による迎撃能力を一層導入することにより、統合防空ミサイル防衛能力を強化する」という。

 

第4節 防衛課題の全体像と位置づけ——安保三文書(3)・「防衛力整備計画」(その1)

※「防衛力整備計画」は、こまでは「中期防衛力整備計画」といわれていたもの


●全体的見取り図●

  安保三文書のなかで、最も具体的に、読者がイメージできる文書が「防衛力整備計画」である。まず、その中から、かかる「計画」の全体が見渡せる箇所を読もう。

 「Ⅰ 計画の方針 「国家防衛戦略」(令和4年 12 16 日国家安全保障会議決定及び閣議決 定)に従い、宇宙・サイバー・電磁波領域を含む全ての領域における能力を 有機的に融合し、平時から有事までのあらゆる段階における柔軟かつ戦略的 な活動の常時継続的な実施を可能とする多次元統合防衛力を抜本的に強化し、 相手の能力と新しい戦い方に着目して、5年後の 2027 年度までに、我が国へ の侵攻が生起する場合には、我が国が主たる責任をもって対処し、同盟国等の支援を受けつつ、これを阻止・排除できるように防衛力を強化する。おお むね 10 年後までに、防衛力の目標をより確実にするため更なる努力を行い、より早期かつ遠方で侵攻を阻止・排除できるように防衛力を強化する。 以上を踏まえ、以下を計画の基本として、防衛力の整備、維持及び運用を 効果的かつ効率的に行う」。

 

「1 我が国の防衛上必要な機能・能力として、まず、我が国への侵攻そのものを抑止するために、遠距離から侵攻戦力を阻止・排除できるようにする 必要がある。このため、「スタンド・オフ防衛能力」と「統合防空ミサイル防衛能力」を強化する」。   

「また、万が一、抑止が破れ、我が国への侵攻が生起した場合には、これらの能力に加え、有人アセット、さらに無人アセットを駆使するとともに、 水中・海上・空中といった領域を横断して優越を獲得し、非対称的な優勢 を確保できるようにする必要がある。このため、「無人アセット防衛能力」、「領域横断作戦能力」、「指揮統制・情報関連機能」を強化する」。

「さらに、迅速かつ粘り強く活動し続けて、相手方の侵攻意図を断念させられるようにする必要がある。このため、「機動展開能力・国民保護」、 「持続性・強靱性」を強化する。また、いわば防衛力そのものである防衛 生産・技術基盤に加え、防衛力を支える人的基盤等も重視する」ということだ。

 こうした今後獲得・形成すべき能力の中から、本論では、「スタンド・オフ防衛能力」「統合防空ミサイル防衛能力」と、指揮系統の形成、さらに、日米安保軍の課題に関する考えを見ていく。

 

●スタンド・オフ防衛能力の諸課題●

 

★「Ⅱ 自衛隊の能力等に関する主要事業 2027 年度までに、我が国への侵攻に対し、我が国が主たる責任をもって対 処し、同盟国等の支援を受けつつ、これを阻止・排除できる防衛力を構築す るため、防衛力の抜本的強化に当たって重視する主要事業を1から7までの とおり実施することとする。

 1 スタンド・オフ防衛能力 我が国に侵攻してくる艦艇や上陸部隊等に対して、脅威圏外から対処す る能力を強化するため、12 式地対艦誘導弾能力向上型(地上発射型・艦艇 発射型・航空機発射型)、島嶼防衛用高速滑空弾及び極超音速誘導弾の開 発・試作を実施・継続する。島嶼防衛用高速滑空弾及び極超音速誘導弾を始め、各種誘導弾の長射程化を実施する。防衛力の抜本的強化を早期に実現するため、上記のスタンド・オフ・ミサイルの量産弾を取得するほか、 米国製のトマホークを始めとする外国製スタンド・オフ・ミサイルの着実 な導入を実施・継続する。 また、発射プラットフォームの更なる多様化のための研究・開発を進めるとともに、スタンド・オフ・ミサイルの運用能力向上を目的として、潜 水艦に搭載可能な垂直ミサイル発射システム(VLS)、輸送機搭載シス テム等を開発・整備する。 スタンド・オフ防衛能力の実効性確保のため、目標情報の一層効果的な 収集を行う観点から、衛星コンステレーションを活用した画像情報等の取 得や無人機(UAV)、目標観測弾の整備等を行い、情報収集・分析機能 及び指揮統制機能を強化する。スタンド・オフ・ミサイルの運用は、目標 情報の収集、各部隊への目標の割当てを含む一連の指揮統制を一元的に行う必要があるため、統合運用を前提とした態勢を構築する。スタンド・オフ・ミサイル等を保管するための火薬庫を増設するとともに、射場利用の 確保を含め、試験・整備等に必要な施策を着実に実施することで、スタン ド・オフ・ミサイルの開発・運用に必要な一連の機能を確保する。

 

●「統合防空ミサイル防衛」の諸課題●

 

 2 統合防空ミサイル防衛能力 極超音速滑空兵器(HGV)等の探知・追尾能力を強化するため、固定 式警戒管制レーダー(FPS)等の整備及び能力向上、次期警戒管制レー ダーの換装・整備を図る。また、地対空誘導弾ペトリオット・システムを 改修し、新型レーダー(LTAMDS)を導入することで、能力向上型迎 撃ミサイル(PAC-3MSE)による極超音速滑空兵器(HGV)等へ の対処能力を向上させる。 各種事態により実効的に対応するため、航空自衛隊の高射部隊の編成及 び配置の見直しに着手するとともに、中距離地対空誘導弾部隊と合わせた 重層的な要域防空体制を構築し、平素からの展開配置のための部隊運用を 行う。また、基地防空用地対空誘導弾の能力向上を推進する。加えて、滑 空段階での極超音速滑空兵器(HGV)等への対処を行い得る誘導弾シス テムの調査及び研究を実施する。 極超音速滑空兵器(HGV)等に対処する能力を強化するため、03 式中 距離地対空誘導弾(改善型)の能力向上を図るほか、弾道ミサイル防衛用 迎撃ミサイル(SM-3ブロックⅡA)、能力向上型迎撃ミサイル(PA C-3MSE)、長距離艦対空ミサイル(SM-6)等を取得する。 ネットワーク化による効果的かつ効率的な対処の実現のため、護衛艦等 4 の間で連携した射撃を可能とするネットワークシステム(FCネットワー ク)を取得し、共同交戦能力(CEC)を保持する。また、地対空誘導弾 ペトリオット・システムの情報調整装置(ICC)を改修することで、各 種誘導弾システムをネットワークで連接する。 我が国の防空能力強化のため、主に弾道ミサイル防衛に従事するイージ ス・システム搭載艦を整備する。 高出力レーザーや高出力マイクロ波(HPM)等の指向性エネルギー技 術の組み合わせにより、小型無人機(UAV)等への非物理的な手段による対処能力を早期に整備する。 なお、我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル 等による攻撃が行われた場合、武力の行使の三要件に基づき、そのような 攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の自衛の措置として、相手の領 域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とする、スタンド・ オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力を反撃能力として用いる。この反 撃能力の運用は、統合運用を前提とした一元的な指揮統制の下で行う」。

 

●「指揮統制・情報関連機能」に関する諸課題●

 

「5 指揮統制・情報関連機能 ⑴ 指揮統制機能の強化 迅速・確実な指揮統制を行うため、抗たん性のある通信、システム・ ネットワーク及びデータ基盤を構築し、スタンド・オフ防衛能力及び統 合防空ミサイル防衛能力を始めとする各種能力を統合的に運用するため、 リアルタイムに指揮統制を行う態勢を概成するとともに、各自衛隊の一 元的な指揮を可能とする指揮統制能力に関する検討を進め、必要な措置 を講じる。 このため、領域横断作戦に資する情報共有機能の強化を図るため、共 通基盤としてのクラウドの整備、自衛隊の指揮統制機能及び関係省庁等 との連接機能を強化する中央指揮システムの換装を行う。また、陸上自 衛隊の自律的な作戦遂行能力を強化する将来指揮統制システムの整備、 海上自衛隊の意思決定サイクルを一層高速化する指揮統制システムの換 装、航空自衛隊の指揮統制機能の抗たん性を強化する自動警戒管制シス テム(JADGE)の換装、指揮統制機能の機動性・柔軟性の強化、宇 宙関連装備品の運用を一元的に指揮統制する宇宙作戦指揮統制システム の整備及び衛星利用の抗たん性強化を行う。さらに、それらの情報を共 有するために必要な防衛情報通信基盤(DII)の強化を行う」。

 

●日米安保軍の課題●

 

★「Ⅳ 日米同盟の強化」という項目が重要だ。「1 日米防衛協力の強化 日米共同の統合的な抑止力を一層強化するため、平素からの連携を図る 態勢を構築するとともに、宇宙・サイバー・電磁波を含む領域横断作戦に 係る協力、相互運用性を高めるための取組、我が国による反撃能力の行使 に係る協力、防空、対水上戦・潜水艦戦、機雷戦、水陸両用作戦、空挺作 戦、情報収集・警戒監視・偵察・ターゲティング(ISRT)、アセット や施設の防護、後方支援等における連携を推進する。また、より高度かつ 実践的な演習・訓練を通じて同盟の即応性や相互運用性を始めとする対処 力の向上を図る。 力による一方的な現状変更やその試み、更には各種事態の生起を抑止す るため、日米共同による、事態に応じて柔軟に選択される抑止措置(FD O)、情報収集・警戒監視・偵察(ISR)等を拡大・深化させるとともに、平素から、日米双方の施設等の共同使用の増加、訓練等を通じた日米 の部隊の双方の施設等への展開等を進める。また、日米間の調整機能を一 層強化するとともに、日米同盟を中核とした同志国等との運用面における 緊密な調整を実現する。 あらゆる段階における日米共同での実効的な対処を支える基盤を強化するため、日米間の情報共有を促進するための情報保全及びサイバーセキュリティに係る取組を強化するとともに、先端技術に関する共同分析や共同 研究、装備品の共同開発・生産、相互互換性の向上、各種ネットワークの 共有及び強化、米国製装備品の国内における生産・整備能力の拡充、サプライチェーンの強化に係る取組等、装備・技術協力を一層強化する」。

2 在日米軍の駐留を支えるための施策の着実な実施 在日米軍の安定的なプレゼンスを支えるだけでなく、日米同盟の抑止 力・対処力を強化していく観点から、「同盟強靱化予算」を始めとする在 日米軍の駐留に関連する経費を安定的に確保する」。

 

第5節 各防衛能力の実際の検討——安保三文書(3)・「防衛力整備計画」(その2)

●「スタンド・オフ防衛能力」●

 以下、「防衛力整備計画」で書かれている各箇所から、以下の実際の運用課題を引用・整理する。

いずれの場合も「指揮統制」の「一元的」な実施が課題であり、「常設の統合指揮所」のもとで、任務―作戦を完遂することが課題となるものだ。(「Ⅲ 自衛隊の体制等 計画の方針に基づき、各自衛隊の体制等を1から5までのとおり整備する。 1 統合運用体制 ⑴ 各自衛隊の統合運用の実効性の強化に向けて、平素から有事まであらゆる段階においてシームレスに領域横断作戦を実現できる体制を構築するため、常設の統合司令部を創設する」)。

 

「Ⅱ 自衛隊の能力などに関する主要事業」(以下、Ⅱとする)では次のようである。

「1 スタンド・オフ防衛能力 我が国に侵攻してくる艦艇や上陸部隊等に対して、脅威圏外から対処する能力を強化するため、12式地対艦誘導弾能力向上型(地上発射型・艦艇 発射型・航空機発射型)、島嶼防衛用高速滑空弾及び極超音速誘導弾の開発・試作を実施・継続する。島嶼防衛用高速滑空弾及び極超音速誘導弾を  始め、各種誘導弾の長射程化を実施する。防衛力の抜本的強化を早期に実現するため、上記のスタンド・オフ・ミサイルの量産弾を取得するほか、 米国製のトマホークを始めとする外国製スタンド・オフ・ミサイルの着実 な導入を実施・継続する」。

 

「また、発射プラットフォームの更なる多様化のための研究・開発を進めるとともに、スタンド・オフ・ミサイルの運用能力向上を目的として、潜水艦に搭載可能な垂直ミサイル発射システム(VLS)、輸送機搭載システム等を開発・整備する」。

 

「スタンド・オフ防衛能力の実効性確保のため、目標情報の一層効果的な収集を行う観点から、衛星コンステレーションを活用した画像情報等の取得や無人機(UAV)、目標観測弾の整備等を行い、情報収集・分析機能 及び指揮統制機能を強化する」。

 

「スタンド・オフ・ミサイルの運用は、目標 情報の収集、各部隊への目標の割当てを含む一連の指揮統制を一元的に行う必要があるため、統合運用を前提とした態勢を構築する」(Ⅱ)。

 

 

「Ⅸ いわば防衛力そのものとしての防衛生産・技術基盤」(以下、Ⅸとする)では次のようである。

 

「 ⑴ スタンド・オフ防衛能力」とは、「我が国に侵攻してくる艦艇、上陸部隊等に対して、脅威圏の外から対処する能力を獲得する」であると規定している。

 

※「長射程ミサイル」については、現在(2023・2)、アメリカ合衆国から「トマホーク」(射程1600キロ)が購入されようとしている。

 

「ア 12 式地対艦誘導弾能力向上型(地上発射型・艦艇発射型・航空機発 射型)について開発を継続し、地上発射型については 2025 年度まで、 艦艇発射型については 2026 年度まで、航空機発射型については 2028 年度までの開発完了を目指す」。

 

この「 12式地対艦ミサイル(対艦誘導弾)システム」は2012年度調達がはじまったが、旧来のものに比べて「目標情報更新能力の向上」「命中のばらつき低減」などで、技術的に向上している。このシステムは「捜索評定レーダー装置」「中継装置」「指揮統制装置」「発射機搭載車両および誘導弾」「弾薬運搬車及び誘導弾(予備団)で構成される。

 

これをベースとして「12式地対艦誘導弾能力向上型」は、陸上自衛隊が装備する12式地対艦誘導弾をベースにした巡航ミサイル。202012月の閣議において「スタンド・オフ防衛能力の強化」が閣議決定された。これをはじめとして開発がはじまった。長距離射程を実現する大型回転主翼、ジェットエンジンの開発、人工衛星経由のデータリンクの搭載などが課題とされた。

 これらをふまえ、202212月の閣議決定では、「防衛力整備計画」により、12式地対艦誘導弾能力向上型(地上発射型、艦艇発射型、航空機発射型)に関し、以下が決定されている。

 

「イ 高い隠密性を有して行動できる潜水艦から発射可能な潜水艦発射型 スタンド・オフ防衛能力の構築を進める」。

 

「ウ 高高度・高速滑空飛しょうし、地上目標に命中する島嶼防衛用高速滑空弾の研究を継続し、早期装備型について 2025 年度までの事業完了を目指すとともに、本土等のより遠方から、島嶼部に侵攻する相手部隊等を撃破するための島嶼防衛用高速滑空弾(能力向上型)を開発する」。

 

 この「高速空団滑空弾」は、地対地ミサイル(開発中―20232現在―引用者)。2026年から射程数百キロのブロック1を配備、さらに射程2000キロから3000キロで極超音速飛行が可能なブロック2Bの配備を開始することが目指されている(2023・2現在―引用者)。

 

 「エ 極超音速の速度域で飛行することにより迎撃を困難にする極超音速誘導弾について、研究を推進し 2031 年度までの事業完了を目指すとともに、派生型の開発についても検討する。

 

この「極超音速誘導弾」は、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に代わるものと位置づけられている。マッハ5以上の速度で飛行する(開発中―2023・2—引用者)。

 

●統合防空ミサイル防衛●

 

「Ⅱ」では次のようである。

 「2 統合防空ミサイル防衛能力」  極超音速滑空兵器(HGV)(マッハ10~15程度のものが開発途上である—―引用者)等の探知・追尾能力を強化するため、固定式警戒管制レーダー(FPS)等の整備及び能力向上、次期警戒管制レー ダーの換装・整備を図る。また、地対空誘導弾ペトリオット・システムを改修し、新型レーダー(LTAMDS)を導入することで、能力向上型迎撃ミサイル(PAC-3MSE)による極超音速滑空兵器(HGV)等への対処能力を向上させる」。

 

「各種事態により実効的に対応するため、航空自衛隊の高射部隊の編成及 び配置の見直しに着手するとともに、中距離地対空誘導弾部隊と合わせた 重層的な要域防空体制を構築し、平素からの展開配置のための部隊運用を行う」。

 

「また、基地防空用地対空誘導弾の能力向上を推進する。加えて、滑 空段階での極超音速滑空兵器(HGV)等への対処を行い得る誘導弾システムの調査及び研究を実施する」。

 

「極超音速滑空兵器(HGV)等に対処する能力を強化するため、03 式中距離地対空誘導弾(改善型)の能力向上を図るほか、弾道ミサイル防衛用迎撃ミサイル(SM-3ブロックⅡA)、能力向上型迎撃ミサイル(PA C-3MSE)、長距離艦対空ミサイル(SM-6)等を取得する」。

 

「ネットワーク化による効果的かつ効率的な対処の実現のため、護衛艦等の間で連携した射撃を可能とするネットワークシステム(FCネットワーク)を取得し、共同交戦能力(CEC)を保持する。また、地対空誘導弾 ペトリオット・システムの情報調整装置(ICC)を改修することで、各種誘導弾システムをネットワークで連接する。 我が国の防空能力強化のため、主に弾道ミサイル防衛に従事するイージス・システム搭載艦を整備する」。

 

「高出力レーザーや高出力マイクロ波(HPM)等の指向性エネルギー技術の組み合わせにより、小型無人機(UAV)等への非物理的な手段による対処能力を早期に整備する」。

 

「なお、我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力の行使の三要件に基づき、そのような 攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とする、スタンド・オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力を反撃能力として用いる」。

 

「Ⅸ」では次のようである。

 

「⑵ 極超音速滑空兵器(HGV)等対処能力」として、「既存装備品での探知や迎撃が困難である極超音速滑空兵器(HGV) 等に対処するための技術を獲得する。 ア 巡航ミサイル等に加えて、極超音速滑空兵器(HGV)や弾道ミサイル対処を可能とする 03 式中距離地対空誘導弾(改善型)能力向上型 を開発する。 イ 極超音速で高高度を高い機動性を有しながら飛しょうする極超音速 滑空兵器(HGV)に対処する、極超音速滑空兵器(HGV)対処用 誘導弾システムの調査及び研究を実施する」(Ⅸ)。

 

 

●宇宙領域での日米共同対処●

 

また「Ⅱ」の4では、日米共同軍の宇宙領域での課題があげられている。

 

「4 領域横断作戦能力 ⑴ 宇宙領域における能力 スタンド・オフ・ミサイルの運用を始めとする領域横断作戦能力を向 上させるため、宇宙領域を活用した情報収集、通信等の各種能力を一層 向上させる。具体的には、米国との連携を強化するとともに、民間衛星 の利用等を始めとする各種取組によって補完しつつ、目標の探知・追尾 能力の獲得を目的とした衛星コンステレーションを構築する。また、衛 星を活用した極超音速滑空兵器(HGV)の探知・追尾等の対処能力の 向上について、米国との連携可能性を踏まえつつ、必要な技術実証を行 う。さらに、増大する衛星通信の需要に対応するため、従来のXバンド 通信に加え、より抗たん性の高い通信帯域を複層化する取組を進める。 宇宙領域の安定的利用に対する脅威が増大する中、宇宙領域への対応 として、相手方の指揮統制・情報通信等を妨げる能力を更に強化する。 また、平素からの宇宙領域把握(SDA)に関する能力を強化するため、 2026 年度に打ち上げ予定の宇宙領域把握(SDA)衛星の整備に加え、 更なる複数機での運用についての検討を含めた各種取組を推進する。さ らに、我が国の衛星を含む宇宙システムの抗たん性を強化するため、準天頂衛星を含む複数の測位信号の受信や民間衛星等の利用を推進しつつ、 衛星通信の抗たん性技術の開発実証に着手する。 諸外国との協力について、米国等と宇宙領域把握(SDA)に係る情報共有を推進するほか、高い抗たん性を有する通信波を多国間で共同使用するなどの連携強化を推進する。 宇宙領域に係る組織体制・人的基盤を強化するため、宇宙航空研究開発機構(JAXA)等の関係機関や米国等の同盟国・同志国との交流に よる人材育成を始めとした連携強化を図るほか、関係省庁間で蓄積された宇宙分野の知見等を有効に活用する仕組みを構築するなど、宇宙領域に係る人材の確保に取り組む」としている。

この場合、例えば「高い抗たん性を有する通信波を多国間で共同使用する」などと言われているように、情報・司令部機能の統一・単一化への整備を本格化することが、ポイントとなるだろう。

 

第6節 戦争国家化を許すな——実戦のシミュレーションと整備費用

 

●沖縄―南西諸島の軍事化・最前線化を想定した野戦病院態勢●

 

 「防衛力整備計画」には、次のような「課題」も書かれている。それが、「衛生機能」という表現での、以下に引用するような戦時医療態勢(「戦傷医療対処能力」)の整備、とりわけ、南西諸島の実戦での、有事野戦医療態勢だ。

 

「Ⅹ 防衛力の中核である自衛隊員の能力を発揮するための基盤の強化」の「2 衛生機能の変革」として次のように展開している。

 

「各種事態への対処や国内外における多様な任務に対応し得るよう、各自 衛隊で共通する衛生機能等を一元化して統合衛生運用を推進するとともに、 防衛医科大学校も含めた自衛隊衛生の総力を結集できる態勢を構築し、戦傷医療対処能力向上の抜本的改革を推進する」。

「有事において、危険を顧みずに任務を遂行する隊員の生命・身体を救うため、第一線から後送先までのシームレスな医療・後送態勢を確立することが必要である。このため、応急的な措置を講じる第一線、戦傷者を後送 先病院まで輸送する各自衛隊の各種アセットを有効に利用した後送間救護、 最終後送先となる病院それぞれの機能を強化していく必要がある。 まず、第一線救護については、実際に第一線で活動を行う衛生隊員に准看護師及び救急救命士の資格取得を推進するとともに、これらの養成基盤の更なる強化を図る。また、第一線救護に引き続いて実施する緊急外科手術に関して、新たに統合の教育課程を新設し、計画的な要員の育成を図る。 さらに、艦艇での洋上外科手術についても上記課程修了者に必要な教育訓 練を実施し洋上医療の強化を図る。 航空後送間救護については、新たに航空後送間救護のための訓練装置を導入し、傷病者搬送時の救護能力向上のための教育訓練環境を整備する。 これらの教育訓練の実施に当たっては、各自衛隊間での共通化、統合化を 推進し、共通の知識・技能の向上を図る」。

 

そして「南西地域における」態勢づくりが述べられる。

 

「南西地域における衛生機能の強化に当たっては、自衛隊那覇病院の機能 及び抗たん性を拡充することが有効と考えられることから、同病院の病床の増加、診療科の増設、地下化等の機能強化を図る。その他の後送先となる自衛隊病院についても、建替え等の機会を捉え、同様の機能強化を図る。 衛生機能については、各自衛隊で共通する機能が多いことから、衛生資 器材の整備について、各自衛隊間の相互運用性を考慮して共通化を推進する。また、医療・後送に際して必要となる各自衛隊員の医療情報を自衛隊 病院等において陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の隊員の区別なくタイムリーに取得できるよう、隊員の身体歴情報を電子化し、各隊員の医療 情報を速やかに検索・閲覧できる態勢を整える」。

「戦傷医療における死亡の多くは爆傷、銃創等による失血死であり、これを防ぐためには輸血に使用する血液製剤の確保が極めて重要であることから、自衛隊において血液製剤を自律的に確保・備蓄する態勢の構築について検討する。また、血液製剤と並び戦傷医療において重要な医療用酸素の確保のため、酸素濃縮装置等についても整備を行う」。

「さらに、防衛医科大学校においては、近年の医療技術等の進展が著しい中、戦傷医療対処能力向上を始めとした教育研究の強化を進めるとともに、 臨床の現場となる防衛医科大学校病院については、医官及び看護官への高度な医療教育や自衛隊の衛生隊員の技能向上を図るほか、戦傷者の受け入れに対応するため、運営の抜本的改革を図るとともに、病院の建替え等の機会を捉え、機能強化を図る。また、それを補完するものとして、医官及び看護官の部外研修についてもその確保に努める」。

 

現在(20232月)、沖縄—南西諸島では、軍事基地が住民の反対を押し切って新設されている。例えば、石垣島の「石垣駐屯地」には、「12式地対艦ミサイル」を運用する部隊と車両二百両・弾薬などが配備される計画だ(2022・2・27現在)。

その軍拡のベクトルは日本全国で、展開している。「集団的自衛権」のもと、NATO型の攻守同盟・「日米IAMD」態勢をつくろうとしている。沖縄をはじめ日本全土を、単一軍としての日米安保軍の軍事基地・策源地(前線の作戦部隊に対し物資を調達するなどする兵站を担う後方基地)にしようとしているのだ。例えばそれは、「台湾有事」などで米中の軍事衝突が起これば、前線基地となるだろう。こうした戦時体制の構築は、具体的なシミュレーションとして、この「戦傷対処能力」だけでなく、各「防衛分野」において、組まれているだろうことは、いうまでもないだろう。

 

第7節    自衛隊部隊再編と整備計画費用について

 

「防衛力整備計画」には、整備計画の規模と自衛隊部隊再編の計画が記されている。

●再編(軍拡)予算●

「ⅩⅢ 所要経費等 1 2023 年度から 2027 年度までの5年間における本計画の実施に必要な防 衛力整備の水準に係る金額は、43 兆円程度とする。 2 本計画期間の下で実施される各年度の予算の編成に伴う防衛関係費は、 以下の措置を別途とることを前提として、40 5,000 億円程度(2027 年度 は、8兆 9,000 億円程度)とする。 ⑴ 自衛隊施設等の整備の更なる加速化を事業の進捗状況等を踏まえつつ 機動的・弾力的に行うこと(1兆 6,000 億円程度)。 ⑵ 一般会計の決算剰余金が6の想定よりも増加した場合にこれを活用すること(9,000 億円程度)。 なお、格段に厳しさを増す財政事情と国民生活に関わる他の予算の重要 性等を勘案し、国の他の諸施策との調和を図りつつ、防衛力整備の一層の 効率化・合理化を徹底し、重要度の低下した装備品の運用停止、費用対効 果の低いプロジェクトの見直し、徹底したコスト管理・抑制や長期契約を 含む装備品の効率的な取得等の装備調達の最適化、その他の収入の確保等 を行うこととし、上記剰余金が増加しない場合にあっては、この取組を通じて実質的な財源確保を図る。 各年度の予算編成においては、情勢の変化等の不測の事態にも対応できるよう配意するとともに、別表2に示す装備品の整備を含め、各事業の進 捗状況、実効性、実現可能性を精査し、必要に応じてその見直しを柔軟に 行う。 3 この計画を実施するために新たに必要となる事業に係る契約額(物件費) は、43 5,000 億円程度(維持整備等の事業効率化に資する契約の計画期 間外の支払相当額を除く)とし、各年度において後年度負担についても適 切に管理することとする」としている。が、今後、大きく予算額が変動してゆくことが想定される。

その場合、政府は個別何についてどれだけの予算を計上するのかには、まったく明確にしていない。国会の予算審議の経過をまちたいが、それは、明らかにされず、防衛機密として、扱われてゆくはずだ。

 本論では、自衛隊の部隊再編・部隊新設を確認することで、その事業規模——これは、「反撃能力」の形成を骨格とし、「日米IAMD」を構築してゆくための政策実現の様相を見てゆくことにしよう。

 ●自衛隊部隊の再編・新編成●

「防衛力整備計画」の別表では、「別表3(おおむね 10 年後)」の「将来体制」として次のようである(人員、部隊の個数などは、今後変動するので特に記さない)。また、部隊そのものの編成も、ここに書かれているものとは、変化する可能性がある。

 

 【共同の部隊】 としてサイバー防衛部隊(自衛隊などに対するサイバー攻撃などに対処するため2014年にサイバー防衛隊が設置された。その部隊の改編設置)、海上輸送部隊の新設があげられる。

 

【陸上自衛隊】では、 作戦基本部隊——9個師団 5個旅団 1個機甲師団——、空挺部隊、 水陸機動部隊、 空中機動部隊などにつづいて、「スタンド・オフ・ミサイル部隊」が「地対艦ミサイル連隊」「島嶼防衛用高速滑空弾大隊」「長射程誘導弾部隊」として新設する。また「地対空誘導弾部隊 高射特科群」、「電子戦部隊(うち対空電子戦部隊)」「電子作戦隊 (1個対空電子戦部隊)」「無人機部隊」「多用途無人航空機部隊」「情報戦部隊」が改編・新設される等々である。ここに書かれている「電子戦」とは、敵による電磁周波数帯域の利用情報を検知、分析した上で、妨害や逆用する活動、また、自軍の電磁波の円滑な利用を確保するための活動の総称である。 

【海上自衛隊】では 無人機部隊 情報戦部隊が新設。【航空自衛隊】では、 作戦情報部隊が新設される、などが計画されている。

 

また、「注1:上記、陸上自衛隊の15個師・旅団のうち、14個師・旅団は機動運用を基本とする。 注2:戦闘機部隊及び戦闘機数については、航空戦力の量的強化を更に進めるため、2027 年度までに必要な検討を実施し、必要な措置を講じる。この際、無人機(UAV) の活用可能性について調査を行う」などとしている。

 

 こうした大がかりな部隊の新設再編が、目論まれている。こう見てくると、「何にいくらかかる」という見通しなど立てられないのが、本当のところなのだろう。まさにこの「反撃能力」の目玉である「スタンド・オフ・ミサイル」システムの確立は、まだ、開発途上(20232月)なのであり、「日米IAMD」軍の基本的な形成はこれからの課題なのだ。

 

 こうして「防衛予算」は、これから、のっぴきならないほど上昇することが見込まれる。

 

●結語●

 

以上のような軍事開発・軍事再編の理由として、中ロ・朝鮮の脅威が宣伝されている。それらをきっかけに「国家安全保障戦略」の初めに書かれていた「国民の決意」を発揚するような舞台回しを、つくっていくことが日帝支配層の課題となっている。

 その一つの分野として、「ロシアのウクライナ侵略報道」があるとの言説がある。そのような意図で、「戦争報道」がなされている側面はたしかにある。「ない」などと言えば、それは詐欺師の言説になるだろう。だが、一方で、「ウクライナ・パルチザン」の闘いをはじめ、ロシア国内やベラルーシの「反戦パルチザン」など、人民の主体的な闘いにつながる情報を大切に発信することが求められている。それなくしては、「戦争を革命に転化する」ことはできない。そういう意味で、「戦争情報」は、利用すべきなのである。即自的に、それを信じるのではなく、分析の対象にする必要がある。この「安保三文書」もまた、一つの情報であり、これをどう分析するか、何を問題として、これと向き合うかは、主体的に創造されるべきことなのだ。◆

 

 

【資料①】安保法制と集団的自衛権――主要な項目に関するデータ

 

2015年制定された「平和安全法制整備法」によれば、以下のような、ポイントを備えたものとなっている。

以下に後述するように、例えば第一に、 国連PKOや,その他の国際的な平和協力活動へのより幅広い参加が可能になった(いわゆる安全確保業務、駆け付け警護等)。

第二に、「我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態や国際社会の平和及び安全を脅かす事態」において,他国軍隊に対する支援活動が可能になった。 第三に、 「集団的自衛権」の行使が容認されるのは,「新三要件」という「厳格な要件が満たされる」場合に限られるとされ、 自衛の措置としての「武力の行使」のための「新三要件」 が規定されている。

(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと,又は我が国と密接な関係 にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅か され,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な 危険があること。

 (2)これを排除し,我が国の存立を全うし,国民を守るために他に適当な 手段がないこと。

 (3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。ということである。

その場合、この「整備法」(安保法制)は、10の改正法とひとつの新設の法制から成り立っている。その中で、安保法制制定論議で、もっともポイントとなってきた、以上のポイントとして、以下の4法の「改正」ポイントを見てゆこう。

 

●安保法制の法的構成

 

まず、改正対象となった各法律の確認から始めよう。以下が「平和安全法制整備法(改正法案と新法)」の構成である。

   自衛隊法。/②国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法)。/③周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(「周辺事態安全確保法」を「重要影響事態安全確保法」に変更)。/④周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律(船舶検査活動法)。/⑤武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(武力攻撃事態対処法)。/⑥武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律(米軍等行動関連措置法)。/⑦武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律(特定公共施設利用法)。/⑧武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律(海上輸送規制法)。/⑨武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律(捕虜取扱い法)。 /⑩国家安全保障会議設置法。/⑪【新設】国際平和支援法。以上の11の法制だ。この法案において、以下の4法が、改正論議で特に問題となってきたものだ。そのポイントを見ていこう。 

 

PKO法(国際平和協力法)

 

(1)PKO以外の任務OK……「第一条 この法律は、国際連合平和維持活動、国際連携平和安全活動、人道的な国際救援活動及び国際的な選挙監視活動に対し適切かつ迅速な協力を行うため、国際平和協力業務実施計画及び国際平和協力業務実施要領の策定手続、国際平和協力隊の設置等について定めることにより、国際平和協力業務の実施体制を整備するとともに、これらの活動に対する物資協力のための措置等を講じ、もって我が国が国際連合を中心とした国際平和のための努力に積極的に寄与することを目的とする」。

この場合、この文言にある「国際連携平和安全活動」というのが、ポイントだ。2015年のこの法の改定で規定されたものだ。

それは、国連平和維持活動以外のものが対象であることを示唆している。つまり、この改定で、PKO部隊を国連が直接統括する以外からの要請で派遣することが可能となったのである。国連PKO活動以外の多様な要請に対応できるようになった。国連憲章第七条で規定されている国際連合の主要機関が支持する国の、個々の要請で派遣を行えるようになったということだ。


(2)「駆けつけ警護」は命令による銃撃戦は許可するという問題……ここでこうした課題に関連し、法案審議当時、問題になった。以下がその条文である。。

「第35項ト 防護を必要とする住民、被災民その他の者の生命、身体及び財産に対する危害の防止及び抑止その他特定の区域の保安のための監視、駐留、巡回、検問及び警護」。

 

「第35項ラ ヲからネまでに掲げる業務又はこれらの業務に類するものとしてナの政令で定める業務を行う場合であって、国際連合平和維持活動、国際連携平和安全活動若しくは人道的な国際救援活動に従事する者又はこれらの活動を支援する者(以下このラ及び第二十六条第二項において「活動関係者」という。)の生命又は身体に対する不測の侵害又は危難が生じ、又は生ずるおそれがある場合に、緊急の要請に対応して行う当該活動関係者の生命及び身体の保護」というのがそれだ。

また、その場合の武器の使用の規定が、26条に規定されたものだ。

「第二十六条 前条第三項(同条第七項の規定により読み替えて適用する場合を含む。)に規定するもののほか、第九条第五項の規定により派遣先国において国際平和協力業務であって第三条第五号トに掲げるもの又はこれに類するものとして同号ナの政令で定めるものに従事する自衛官は、その業務を行うに際し、自己若しくは他人の生命、身体若しくは財産を防護し、又はその業務を妨害する行為を排除するためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、第六条第二項第二号ホ(2)及び第四項の規定により実施計画に定める装備である武器を使用することができる。

 前条第三項(同条第七項の規定により読み替えて適用する場合を含む。)に規定するもののほか、第九条第五項の規定により派遣先国において国際平和協力業務であって第三条第五号ラに掲げるものに従事する自衛官は、その業務を行うに際し、自己又はその保護しようとする活動関係者の生命又は身体を防護するためやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、第六条第二項第二号ホ(2)及び第四項の規定により実施計画に定める装備である武器を使用することができる。

 前二項の規定による武器の使用に際しては、刑法第三十六条又は第三十七条の規定に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。

 自衛隊法第八十九条第二項の規定は、第一項又は第二項の規定により自衛官が武器を使用する場合について準用する」。

以上、というものだ。総括していうなら、以上のような必要性において指導者が判断した場合、武器の使用つまり銃撃戦が命令されるということだ。この場合、どういう状況においてかということは、多岐にわたる。また、いろいろな混乱での銃撃戦が、事後的に、戦闘行為者の指導部(命令権者)によって、都合のいいように解釈されレポートされる可能性を有している。

 

◆重要影響事態安全確保法(周辺事態安全確保法から「我が国周辺」という地理的概念を消去した)

 

第一条 この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(以下「重要影響事態」という。)に際し、合衆国軍隊等に対する後方支援活動等を行うことにより、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という。)の効果的な運用に寄与することを中核とする重要影響事態に対処する外国との連携を強化し、我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする。

(重要影響事態への対応の基本原則)

第二条 政府は、重要影響事態に際して、適切かつ迅速に、後方支援活動、捜索救助活動、重要影響事態等に際して実施する船舶検査活動に関する法律(平成十二年法律第百四十五号)第二条に規定する船舶検査活動(重要影響事態に際して実施するものに限る。以下「船舶検査活動」という。)その他の重要影響事態に対応するため必要な措置(以下「対応措置」という。)を実施し、我が国の平和及び安全の確保に努めるものとする。

 対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない。

 後方支援活動及び捜索救助活動は、現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われている現場では実施しないものとする。ただし、第七条第六項の規定により行われる捜索救助活動については、この限りでない。

 外国の領域における対応措置については、当該対応措置が行われることについて当該外国(国際連合の総会又は安全保障理事会の決議に従って当該外国において施政を行う機関がある場合にあっては、当該機関)の同意がある場合に限り実施するものとする。

 内閣総理大臣は、対応措置の実施に当たり、第四条第一項に規定する基本計画に基づいて、内閣を代表して行政各部を指揮監督する。

 関係行政機関の長は、前条の目的を達成するため、対応措置の実施に関し、相互に協力するものとする。

(定義等)

第三条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。

 合衆国軍隊等 重要影響事態に対処し、日米安保条約の目的の達成に寄与する活動を行うアメリカ合衆国の軍隊及びその他の国際連合憲章の目的の達成に寄与する活動を行う外国の軍隊その他これに類する組織をいう。

 後方支援活動 合衆国軍隊等に対する物品及び役務の提供、便宜の供与その他の支援措置であって、我が国が実施するものをいう。

 捜索救助活動 重要影響事態において行われた戦闘行為によって遭難した戦闘参加者について、その捜索又は救助を行う活動(救助した者の輸送を含む。)であって、我が国が実施するものをいう。

 ◆武力攻撃事態対処法(集団的自衛権の行使を可能とする「存立危機事態」の新設。米軍に限らない同盟国などとの連携)

(定義)

第二条 この法律(第一号に掲げる用語にあっては、第四号及び第八号ハ(1)を除く。)において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。

 武力攻撃 我が国に対する外部からの武力攻撃をいう。

 武力攻撃事態 武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態をいう。

 武力攻撃予測事態 武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう。

 存立危機事態 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。…

 存立危機事態を終結させるためにその推移に応じて実施する次に掲げる措置

(1) 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃であって、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるもの(以下「存立危機武力攻撃」という。)を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使、部隊等の展開その他の行動

 

第三条  武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処においては、日米安保条約に基づいてアメリカ合衆国と緊密に協力するほか、関係する外国との協力を緊密にしつつ、国際連合を始めとする国際社会の理解及び協調的行動が得られるようにしなければならない。

  

◆国際平和支援法(この法の成立まで、「特別措置法」という形で成立してきた「派兵」法を、この法に「恒久化」し、国会の承認を経て、同法にもとづいて派兵を実施するというもの)。

「(目的)第一条 この法律は、国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの(以下「国際平和共同対処事態」という。)に際し、当該活動を行う諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等を行うことにより、国際社会の平和及び安全の確保に資することを目的とする」と規定されている。

 

 

【資料②】 国連「(旧)敵国条項」と「反撃能力」の同盟国間での共有の意味

 

 

●国連憲章「敵国条項」と「反撃能力」

 国連憲章で「敵国条項」といわれているものは、以下である。

・第53条【地域的取極(とりきめ——引用者)・機関による強制行動】1 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の(「参考 第52条」参照」――引用者)地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

 

2本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

 

(参考)第52条【地域的取極と地方的紛争の解決】この憲章のいかなる規定も、国際の平和及び安全の維持に関する事項で地域的行動に適当なものを処理するための地域的取極又は地域的機関が存在することを妨げるものではない。但し、この取極又は機関及びその行動が国際連合の目的及び原則と一致することを条件とする。

1 前記の取極を締結し、又は前記の機関を組織する国際連合加盟国は、地方的紛争を安全保障理事会に付託する前に、この地域的取極又は地域的機関によってこの紛争を平和的に解決するようにあらゆる努力をしなければならない。

2 安全保障理事会は、関係国の発意に基くものであるか安全保障理事会からの付託によるものであるかを問わず、前記の地域的取極又は地域的機関による地方的紛争の平和的解決の発達を奨励しなければならない」。

 

・第77条【信託統治制度の種類】1 信託統治制度は、次の種類の地域で信託統治協定によってこの制度の下におかれるものに適用する。①現に委任統治の下にある地域。②第二次世界大戦の結果として敵国から分離される地域、③施政について責任を負う国によって自発的にこの制度の下におかれる地域。2前期の種類のうちのいずれの地域がいかなる条件で信託統治制度の下におかれるかについては、今後の協定で定める」と規定されている。


・第107条【敵国に対してとった行動の効力】 この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。

以上の三条が、「(旧)敵国条項」といわれるものだ。

 

 「敵国」とは第2次世界戦争において、「連合国」の敵国であった「枢軸国」のことでありドイツ、日本などが、それだ。その敵国が、第二次世界戦争によって確定した事項を、無効にし、または排除した場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の承認がなくても、無効・排除した敵国に対して、軍事的制裁を科すことが容認され、その行為は制止できないと解釈されるものだ。現在問題になっている「反撃能力」に照らし合わせて考えるなら、「敵国条項」の存在は、「敵国」が、連合国側の国家と対等に交戦し合う資格を認めていないそこから言えることだが、だから、「敵国」の「反撃能力」は、否定されると解するのが自然だ。そこでこの「敵国条項」が「死文化」しているか、どうかが問題となる。

 この間、ロシアが日本に対してとった以下の対応も、この問題を根拠にしたものだ。例えば朝日新聞デジタル2019年2月22日2時02分配信の記事によれば次のようである。

ロシアの「ラブロフ外相は21日、ドイツ・ミュンヘンで16日に行った河野太郎外相との外相会談で、国連憲章に「(第二次大戦での)戦勝国の行いは議論の対象とはならない」との記述があると主張し、北方領土のロシアの主権を認めるよう迫ったことを明らかにした。インタファクス通信などによると、モスクワでのビジネス関係者らとの会合で述べた。ラブロフ氏は従来、「旧敵国条項」といわれる国連憲章107条には「第2次大戦の結果は変更できないと記されている」と主張している。外相会談でもこの条項に言及しつつ、河野氏にロシア側の原則的な立場を伝えたとみられる」。

まさに、これだと、2019年現在も、この「敵国条項」は「死文化」していないということになる。だから、この問題の歴史的経緯と、国連憲章における条文項目「削除」の手続きについて、確認することが大切だ。

●「敵国条項」は「死文化」したとはいえない

この場合「「国連憲章」109条【再審議のための全体会議】2 全体会議の三分の二の多数によって勧告されるこの憲章の変更は、安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の三分の二によって各自の憲法上の手続きに従って批准されたときに効力を生じる」ということがポイントだ。

●●また、「全体会議」(1995年国連総会)で、「事実上死文化している」というのが、日本政府の見解(解釈)だが、1995年国連総会の決議(12/11)は「削除(deletion)に向けた作業を開始すること」が決議されたにとどまる。2005年9月の国連首脳会合では「『敵国』への言及の削除を決意する」という決議があがっている。あくまでも「作業を開始する」「決意する」だ。

 翻ってまた仮に、1995年の総会決議を各国で「批准」するとしても、●●、★★国連加盟国の「三分の二の国の批准」という事実は2023年の今日においても、日本国家は確認できていない。従って「死文化」はしていないと見るのが妥当だ。こうした歴史的経緯に対して日米IAMD構想は「反撃能力」=交戦能力を日本に付与するという意味をもっている。

 

2022年9月18日日曜日

ウクライナ戦争をどう見るか                 渋谷要

 ウクライナ軍民の対ロシア徹底抗戦断固支持! 避難民を救援しよう!

ウクライナ戦争をどう見るか                                                                 渋谷要(社会思想史研究)


【解説】

「研究所テオリア」の新聞「テオリア」は、その2022年9月10日号で、渋谷要「ウクライナ戦争をどう見るか」を掲載した。約一か月前に、編集部の方より渋谷が依頼を受けた文章である。

発売日から一週間がたった今日(9月18日)、 ★書店などで、手に入らない方々が、多数おられると思うので、この「個人ブログ」で、アップします。

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当初、この文章は、ウクライナ戦争をめぐり、いろいろな考え方が、この日本国内で、さまざまに出てきていることに対し、本文を読んでお分かりのようにわたしは「ウクライナ徹底抗戦支持派」だが、むしろそうした主張の、考え方のその背景になにを「風景」としているかを、「論点」として書こうと思った。

こうした「反ファシズム人民戦線論」を書くのは、ぼくの人生で初めてだ。それは、いい。別に悪いわけではない。問題は、資本主義批判がそこで、いかに貫徹しているかどうかだ。

また新聞に掲載された後読んだ、「読後感」として各節間の、文の通りをよくする必要もある。そのため、「執筆後・読後」の「修正加筆」として、★★★「テオリア」に発表した文章に、★4か所★だけ、修正加筆をした★★★。

加筆をしたところは、「■……■」として、■でしめし、加筆したものを可視化している。量は多くない。

また★★★削除したところは【ない】★★★。

また以下の、★★★この「解説」で、三点、この文章への「注釈」★★★を加えることにする。

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以下はその「注釈」である。

(1)まず、前提の問題として、わたし(渋谷)は学生時代より、絶対平和主義者になったことはなく、「九条護憲論者」でもない。ただし右派改憲・右翼の九条改憲には断固反対という立場だ(拙著では『エコロジスト・ルージュ宣言』第二章「国家基本法と実体主義的社会観――自民党憲法改正草案の社会実在論と戦後民主主義憲法の社会唯名論」、社会評論社・2015年刊、参照)。そして天皇制廃止―人民主権・共和制建設と一体のものとして「全人民的民兵制度」の導入などを、かねてから主張してきた。今日でも、抵抗権・革命権などの自然権などの問題を積極的な社会変革要素として考えているものだ。その「民兵制度=実効的人民主権」論はマルクスが1871年のパリ・コミューンを総括した「フランスにおける内乱」で、「コミューンの原則」の一つとして「全人民武装」を明記したことからも明らかに、マルクス主義的根拠をもつものだ、と考える。この【前提をふまえ】、以下は、本論の論点での応接ということになる。

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本論文冒頭で、民衆・市民社会の「抵抗権・革命権」に触れた部分では、その自然権と間接した「国家緊急権」と、其れに関する政治問題である、エルンスト・カッシーラーが提起した「ジャンジャック・ルソー」問題が、論じられていない。

これは、著者・渋谷が、文章の論理構成を、難しくしたくなかったという理由からである。が、ウクライナ戦争でいうなら、「国家緊急権」は、現在、大統領が発動している戦争体制に関する国家の自衛・防衛のための自然権の発動である。そして、ウクライナ戦争で言うなら「ジャンジャック・ルソー問題」は、大統領が発動している動員令「18歳から60歳までの男子は出国禁止」である。つまり「社会契約によって守られてきた市民は、国家が危急の時、死なねばならない(主権者は団結し運命をもとにして戦え)」という問題だ。まさにルソーは「社会契約は契約当事者の生命維持を目的とするものである。……市民は府が危険に身をさらすよう要求するとき、もはやこの危険を云々する立場にはない。執政体が『お前が死ぬのは、国家のためになる』といえば、市民は死ななければならない。それまで彼が安全に生活してきたのは、そういう条件下においてのみであり、その生命はもはや単に自然の恵みではなく、国家の条件つきの贈り物であるからである」と述べている(『社会契約論』井上幸治訳、中公文庫、48頁)。つまり平時に守られる個人の生命は、戦時には、国家を守るためには、生命を賭して闘えとなる。この両義性が、問題になると、カッシーラーはいう。この問題では、拙著『国家とマルチチュード』第一部第一章「近代国家と主権形態」第五節「ルソー民主主義社会契約論の二重性」(社会評論社、2006年刊)。この問題はウクライナ徹底抗戦のように「侵略軍に対する徹底抗戦で市民社会をまもる」という郷土防衛戦争であるかぎり、また、ベトナム・インドシナ革命戦争においてもそうだったように、この両義性は、内容的には、【それらの場合においては】対立するものではないと、私は考える。だから侵略した国の人民は、「祖国敗北主義=自国帝国主義打倒」で、闘おうとなるのではないか。

(2)本論第五節「スターリン主義の影――「強制移住」政策=「民族」解体」では、執筆後・製品読後の修正加筆として次のようなデータをアップすることで、論説内容を強化したいと考える。

 3月25日にアップした『赤いエコロジスト』の「 ソ連スターリン主義を継承するロシア帝国主義戦争国家のウクライナ侵略戦争・「最初」の一ヶ月――ウクライナ人民( ―軍・民)のレジスタンスを支持し、難民を救援しよう」には、「注解」として「スターリン主義の敵対民族「強制移住」政策について」というデータ分析を展開している。このデータは本論で、紹介・引用しているクルトワ、ヴェルトの『共産主義黒書――犯罪・テロル・抑圧――ソ連編』からの引用だ。

そこでは、次のようなデータを書いている。

「さらに第二次大戦期、大規模なソ連邦内の諸民族に対する強制移住が行われた。「ナチス占領軍に集団協力」したという理由での政策であった。一九四三年から一九四四年にかけて、「チェチェン人、イングーシ人、クリミア-タタール人、カラチャイ人、バルカル人、カルムイク人の六民族がシベリア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスへ」。さらに「ギリシア人、ブルガリア人、クリミアのアルメニア人、メスヘティア-トルコ人〔グルジア南部のトルコとの国境に近く住むイスラム化したグルジア人〕、クルド人〔旧ソ連ではアゼルバイジャンとアルメニアに多く住んでいた〕、カフカスのヘムシン人〔十八世紀にイスラム化したアルメニア人〕」が強制移住させられた。

こうした移住政策は、スターリン主義権力にとって、その中央権力に対して自立化しようとする民族を解体しようとする意図をもっていた」。

以上を、追加のデータとして表明する。

(3)本論の「反ファシズム戦争」と左翼革命運動との関係であるが。この「反ファシズム人民戦線」という「構図」では、一つの宿題があると、私は考えている。

1930年代、ファシストに対し人民戦争を闘った「スペイン・マルクス主義統一労働者党」(POUM――ジョージ・オウェル『カタロニア讃歌』で有名なグループだ)は、「スパニッシュ・レボリューション」という機関紙(の1937年2月17日号)で、「前線では戦争を、後方には社会主義革命を」(「労働者の革命軍のために――POUM中央委員会の軍事決議」)と表明している(『マルクス主義軍事論≪現代編≫増補版』、革命軍事論研究会編、鹿砦社、1973年)。

 これは、反ファシズム戦争からプロレタリア革命への脈絡をつけようとするものと考えるが、それは、前線では、ファシストと闘うブルジョアジーの民主主義勢力と共闘し、後方では、ブルジョアジーの民主主義勢力の経済的な生命線を破壊する(例えば、生産の直接労働者による奪取=「集産化」――簡単に言うと「国有化」に類似した概念だ――など)ということになる可能性がある。ファシストと決戦を闘っている以上、それは、反ファシスト勢力の分裂につながる可能性がある。少なくともブルジョア民主主義者は不安だろう。だからスターリニストなどPOUMをよく思わない部分からは「POUMはファシストのスパイだ」といわれる口実になった可能性があると考えていいだろう。この問題の解決は、少なくとも実践的には「宿題」として残されていると考える。 

―――――――

ウクライナ戦争をどう見るか

              渋谷要(社会思想史研究)

はじめに

224日、ロシア全体主義はウクライナへの侵略戦争を開始した。欧米日帝国主義に対し、ロシアは、ウクライナをロシア「勢力圏」の一部として確保せんとしてきた。それが「ウクライナのNATO加盟」によって破壊されるという言説、これがプーチンのウクライナ侵攻の「正当化」の筋書きだ。

そうした中、私は510日(2022年)付の『テオリア』(116号)で、「『ウクライナ戦争』にどう向き合うか」という座談会を読んだ。私は白川真澄さんが、ロシアが「占領地域では住民を無差別に虐殺している現実のなかで、ウクライナの市民が武器をとって抵抗しているのは当然で、この抵抗は私は支持する」とのべていることに、同意する。近代の市民社会(市民)には、「抵抗権・革命権」という自然権がある。それは「民主主義法秩序」が例えばファシストや侵略軍に破壊されたとき、その「民主主義法秩序」を「回復」させるために戦う権利である。(※これは私の「注釈」だがそれを「愛国主義」というか言わないかは、自由だ。またその「愛国」という意味合いも欧州民主主義的な「個人・市民社会を国家の上位に置く」もの(社会契約としての国家)と、全体主義の「国家という実体があってこその人間だという国家有機体主義」では、全く違ってくる)。

ただその直後、白川さんのウクライナの「左翼」が「政府軍と一体になって戦うことにはディレンマが生ずる」との発言については、そうなんだろうけども、一方で異なった感想も持った。今は、市民と政府軍の一体的な団結が必要だ。左翼がそこで、いろんな人々をオルグすることが必要な時期だと思う。その場合一般論としてだが、オルグでは軍隊と住民が、信頼に値するような活動を左翼がつくりあげていくことが、重要だ。以上が、本論のとっかかりの問題意識だ。

(1)近代日本では特異の「反ファッショ」「反侵略」陣営入り

まず日本の問題を書いておこう。日本の反戦平和の運動では、ウクライナ徹底抗戦に支持を表明する人々と「NATO拡大」などの西側帝国主義のロシアへの軍事挑発や「米ロ代理戦争」という観点などを主眼とする人々に大きく分岐していると思う。私は次のような観点を、介在させる必要があるのではないかと考える。

 日本帝国主義がロシア全体主義を糾弾しているという事態。それは、「日本帝国主義」が<帝国主義国家として>、世界的な戦争で、左翼用語的には「国際反ファシズム統一戦線」の側に、あるいは「反侵略」の側に参加しているという事態である。「反ファシズム戦争」という軸を簡単に言うと「欧米のブルジョア民主主義(の帝国主義国)」と全体主義との戦争だということだ(※ここでいう「帝国主義」とは「資本主義の最高の段階としての帝国主義」というマルクス経済学の規定に基づく)。

 例えば、日本帝国主義は、1920年代、国際的なファシズム潮流が形成され始めると同時に中国全面侵略、ナチス・ドイツなどとのファシズムの「枢軸国=三国軍事同盟」などを結んできた。例えば、それは、「侵略国と被侵略国の区別を付けず『中立』であるとして、戦争は『両方悪い』ということであるのならば、そもそも第二次世界大戦でのナチス・ドイツの侵略や日本の戦争責任についてもすべて免罪することになりかねず、戦後秩序の根幹が崩れます」と、慶応大学の細谷雄一教授がいっているように戦後世界の根幹にかかわる構図である(ハフポスト日本版227250813)。それが国際反ファシズムの「国際連合」の世界の常識だ。

 戦後日本は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争、さらに東西冷戦終結後は9・11テロに対する「自衛権」の行使としてアフガにスタン・イラク侵略戦争など、合衆国の動きに追随してきた。だが今回は、日本が同じく合衆国に追随することで、国際反ファッショ・あるいは反侵略の国家の側に入った、ということだ。これは歴史的に特異な例である。そこに今回のウクライナ戦争での一つのポイントがある。

なお、この場合のファシズム及び全体主義の定義だが、ハンナ・アレント『全体主義の起原』(1951年刊行開始)では階級闘争の解体⇔民主主義的な市民社会の解体→労働者階級の階級としての解体→個人(アトム)化→専制国家への個人の統合という脈絡が重要だと指摘している。これについて拙著では「階級解体と全体主義」『資本主義批判の政治経済学』第二部第三章/社会評論社、参照のこと(他にトロツキー「次は何か」(1930年)、コミンテルン第七回大会のディミトロフ・テーゼなど。人民戦線については、ジャン・プラデル『スペインに武器を 1936』、 ダニエル・ゲラン『人民戦線―革命の破産』、ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』など参照を)。

(2)ブルジョア民主主義の「両義性」

■全体主義ーファシズムの定義を確認したことをふまえて、「反ファシズム戦争」ということをもう少し考えていこう。■

アメリカ合衆国には、その国民国家の物語がある。自らは、■アメリカ独立革命に勝利した後■、合衆国南部の奴隷制と闘い、20世紀には、ナチスドイツや大日本帝国の「枢軸国」ファシズムと闘い(連合国=国際連合)、共産主義(実はスターリン主義だが)との「東西冷戦」を闘い、そして、イスラム過激派と闘たかってきた(対テロ戦争)、今はロシア・中国の「専制主義」と闘っているという、総じて全体主義との闘いで「自由と民主主義」を守ってきたという物語だ。

そうした「反ファシズム」史観は、私の立場から言えば、西側世界の「国家共同幻想」であり、その「自由と民主主義」は、ブルジョア・アトミズム=競争原理に基づく自由主義であって、そのもとで人種差別と格差社会が拡大固定化し、国際的には多国籍企業を中心としたアメリカン・グローバリゼーションと「アメリカの戦争」が展開してきたのである。だが、それは、「全体主義」との闘いを労働者人民が進めるうえで、決して不利益なものばかりであったわけではない。例えば「1930年代の反ファシズム人民戦線」などにおいては、レジスタンス闘争などで優位に働いた「側面」があるということも、確認しなければならない。そういう「両義性」をもってきたのだ。

■例えば「第二次世界戦争」は、「民主主義ー対ーファシズム」の戦いだったといわれる。だがその「民主主義」はあくまでも、自らの資本主義「勢力圏・権益」の利害貫徹をめざしたもので、その本質においてファシズム帝国主義との「帝国主義間戦争」だった。まさに、そうした「両義性」である。■

 その「両義性」に対しては、マルクス主義の反戦闘争論の主体性を立てれば、「侵略された国」の人民解放・民族独立闘争(祖国防衛戦争)と、「侵略した国」の祖国敗北主義のための闘いの連帯ということ、になるだろう。■その場合、植民地を争奪する二つの帝国主義ブロックの争い、国境線で対峙する資本主義間の戦争(相互侵略戦争)等では、両交戦国の反戦運動は、「祖国敗北主義―自国戦争政府の打倒」という原則で闘うことになる。■

(3)国際連合―「国際社会」の矛盾と欧州議会・2019年「重要な記憶」の決議

その場合戦後の「国際秩序」である「国連」には大きな矛盾があった。それが、ファシズム「枢軸国」を打倒した関係で、安保理・常任理事国の中の2国が、スターリン主義に起因する全体主義のロシアと中国としてあるという問題だ。ロシアのプーチンの権力は、1999年以降のイスラム派・対ロ独立勢力を殲滅する戦争(第二次チェチェン紛争)以降、プーチンらは戦争放火をやりはじめた。それが20032004年にかけての「バラ革命」(ジョージア)、「オレンジ革命」(ウクライナ)の民主化運動の進捗と、それにともなうNATOなどへの加盟の動きに対する、クレムリンの対抗という事態にほかならない。クレムリンは、2008年ロシア・グルジア(ジョージア)戦争(ロシア軍の侵攻とグルジア領内での国境線の変更=二つの「独立」地域の承認)へと踏み込み、2015年シリア・アサド政権の要請で内戦介入や、2014年以降のロシアへのクリミアに対する暴力的併合、およびウクライナの東部(ドネツク、ルガンスク両州)の実効支配とそれらの「人民共和国」の「独立」の承認という政治過程を描いてきたのである。これらによって、脅威を覚えたウクライナ、スウェーデン、フィンランドなどロシア周辺諸国は、NATOへの加盟のベクトルを選択することとなった。

ロシアは「連合国」なのか?そこで、全体主義の「定義」という問題になる。それは、ハンナ・アレントの『全体主義の起原』に準拠しているように、私には思われる。「全体主義」に、ナチだけでなくそれと同等なものとしてソ連スターリン主義を同置させている。これは決定的に重要だ。まさにそれが「欧州議会」において、20199月、決議された、「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」という決議である。そこでは「Stalinist,Nazi,and other ictatorships」という全体主義が、断罪の対象となっている。バイデン大統領の「専制主義対民主主義」というフレーズも、これに準拠した考え方だろう。ではプーチンとスターリン主義との関係は如何に。

(4)スターリン主義の影――「強制移住」政策=「民族」解体

プーチン自身がかつて東独ドレスデン・KGB(ソ連国家保安委員会)支部の官僚だった。その全体主義の問題では、ウクライナ侵略戦争での「強制移住」の問題がある。それは<スターリン主義の影>という問題だ。以下に見てゆくようにスターリンの「民族理論」→強制移住で民族を解体するということだ。

まず官僚体制継続の問題から入ろう。1989年以降のソ連スターリン主義体制において、「党の独裁」としてあったノーメンクラツーラ体制は解体した。だが、軍事・警察官僚組織(KGB系列など)はのこった。そして「プーチンの統治で最大の謎の一つは、政権をサンクト派で固めてしまったことだ。…権力層の研究で知られるオリガ・クリシュタノフスカヤは、「プーチンの大統領二期目が終わる08年までに権力中枢ポストの八割以上はプーチンの息のかかったサンクト派や旧KGB人脈で占められた」と分析した」(名越健郎『独裁者プーチン』文春新書、2012年)。そのサンクト派には「シロビキ」といわれるKGB出身グループの「武闘派」が存在し、大統領府長官、連邦麻薬取締兆長官、安保会議書記などの要職を占めてきた。KGBはソ連解体以降、名称を変えながら1995年以降FSB(ロシア連邦保安庁)となって、民主派・改革派に対する弾圧を組織してきたといわれる。

そのスターリン主義と同様の手法は、ウクライナ戦争では、「強制移住」の施策に端的に表れている。ウクライナ侵略戦争を開始したクレムリンは、この約半年間で百数十万人(ウクライナの人口約4300万人)におよぶ、ウクライナ民衆をロシア国内(シベリアなど)に強制移住・連行している。また、東部や南部の占領地帯では、収容所施設をつくり、親ロシア派住民かどうかの選別などを行っているとの報道がある。これには、スターリン民族理論の強い影響があるのは明らかだ。

 スターリンによれば「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である」。そしてこの「すべての特徴が同時に存在する場合に、はじめて民族があたえられるのである」というものだ(スターリン『マルクス主義と民族問題』、原著1913年、引用は国民文庫、50~51頁)。

この規定は、「大ロシア主義」をかかげるプーチンにすれば、大ロシアが、いくつもの国家に分かれているのはおかしい、小ロシア=ウクライナは、クレムリンの「勢力圏」だ、ということに、口実をあたえるものだ。さらに、クレムリンに敵対するウクライナ民族を解体しようとした場合(焦土作戦とつらなる)、「強制移住政策」は、ウクライナの「民族」としての解体とウクライナのロシア化に効果を発揮するものとなるだろう。(※ステファヌ・クルトワ、二コラ・ヴェルト『共産主義黒書――犯罪・テロル・抑圧――<ソ連編>』(外川継男訳、惠雅堂出版、2001年、原書1997年)の「第七章 強制的集団化とクラーク撲滅」「第八章 大飢饉」などでは、その「強制移住」の強権的なファシスト的やり口が、暴露されている)。1930年代、ウクライナなどでの農業集団化における、いわゆる「クラーク(富農)撲滅政策」は、例えば、次のようだ。

「膨大な数のクラーク(これにはクラーク(富農)より圧倒的に多い数の一般農民などが含まれている――引用者・渋谷)の強制移住は、完全な即興とアナーキーの中で行われた。それは前代未聞の『強制移住=棄民』となって、政治にとって経済的になんらプラスにはならなかった。……クラークの強制移住は1930年2月の第一週からはじまった。政治局によって承認された計画では、第一段階で六万家族の移住が四月には終わっていなければならなかった。北方地域で四五〇〇〇、ウラルで一五〇〇〇家族を受け入れることになっていた」。「このように強制移住者は予備の食糧もなしに、多くの場合には仮寝の小屋すらないしに、定住することを余儀なくされた」等々だ。こうした支配方法をクレムリンは今も継続している。

(5)ロシアはウクライナから撤退せよ――戦争性格の変化にも留意を

プーチンにとってその「大ロシア主義」においては、レーニンが「分離の自由」に基づく民族自決権によってウクライナを連邦構成共和国として認めたこと自体が間違いであったという。これに対しスターリンの敵対民族消滅政策をプーチン自らが駆使しつつ、スターリンのようにクレムリンへの国家中央集権主義に基づく大ロシア主義を表明しているのだ。

(※この問題はそもそも、ロシア革命時の、アナーキストのウクライナ・マフノ反乱軍とボリシェビキとの闘いという問題を一つの源流としている。「ウクライナをクレムリンから解放せよ」ということだ。アルシーノフ『マフノ反乱軍史』、鹿砦社刊、1973年など参照)。

「ウクライナ戦争」は、ロシアのウクライナ侵略戦争―対―ウクライナ軍民の徹底抗戦という構図で推移している。すでに、ロシアの側は「核兵器使用」の恫喝も、開戦直後にやっている。反面、戦局の変化とともに、相互侵略戦争の様相へと転変する可能性も否定できないことは対自化すべきだ。そうしたことをも対象化しつつ、「ウクライナ軍民の対ロシア徹底抗戦断固支持! 避難民を救援しよう!」という声をあげていこうではないか。もちろん、この戦争を契機に組織されている日本の軍拡にはストップを!

(しぶや・かなめ 1955年生まれ、元・季刊「クライシス」編集委員(1984年第三期~1990年終刊))◆

2022年9月5日月曜日

ノート:コロナパンデミックとグローバリズム……「本論」部分再アップ 渋谷要


ノート:コロナ・パンデミックとグローバリズム…「本論」部分再アップ

                               渋谷要

【解説】本年二月にアップした、「ノート:コロナパンデミックとグローバリズム」の、「本論」部分を、再アップします。コロナ感染の【パンデミックとしての】終息が見えない中、帝国主義グローバリズムとの関連で、コロナ感染という事態をとらえ返す。そのことを通じて、グローバリズムがもたらす様々な諸結果を、自分たちの身近な問題として把握する視点が、必要であると考えます。

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 ●ノート:コロナパンデミックとグローバリズム

【第一節】パンデミックの発生と二〇二二年冒頭の経済状態の概観

●新型コロナ・パンデミックの発生

 二〇二〇年一月三〇日、WHOのテドロス事務局長は、「新型コロナはPHEIC(国際緊急事態)を構成する」との声明を発表した。

 IHR(国際保健規則)第一条(定義)は、「PHEICの基準として(1)疾病の国際的拡大ににより他国に公衆衛生リスクをもたらすと認められる事態(2)潜在的に国際的対策の調整が必要な事態」である。二〇二〇年二月一一日、WHOは、新型コロナウイルスの正式名称を「COVID・19」(コ―ヴィッド・ナインティーン)――ハイフン・が正式表記だ――と発表した。これが、一か月ほどで「コロナ・パンデミック」と呼ばれる(WHO三月一一日表明)ようになる最初の経緯だ。

 この感染症を「原因不明の肺炎」として、最も早く公式に認めたのは、二〇一九年一二月ごろ、WHOと中国政府によるものだった。地域は中国の武漢市だった。一二月中には、武漢の専門家チームが、調査を開始する。そして、二〇二〇年一月、肺炎患者から新型コロナウイルスを検出、中国国営メディアが報道した。この一月、武漢での死亡例が発表された。全世界に感染は拡大し、パンデミックがはじまった。日本でも、この月、感染が確認されている。この発生源は、まだ特定されていない(二〇二二年二月現在)。

 このパンデミックの定義を専門家の説明で確認しておこう。典型例は「スペイン・インフルエンザ」だ。この感染症に関しては本論においても、何度か触れることになる。 

「特定の地域で限定的に流行するのがエンデミック(地域流行)です。…これがもう少し広がって、特定の社会・共同体で短期間に予測を越えた感染の流行が起こっている状態がエピデミック(流行)です。そのような感染の急激な発生をアウトブレイク(集団発生)といいます。エピデミックは、ときには、突然、国や地域を越えて感染が広がることもあります。ただし、その広がりは一時的です。……SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)はこの例です。エピデミックからパンデミックになりかけたところで感染が止まりました。これに対して、流行が国や大陸を越えて世界的に大きく広がったものがパンデミック(世界的大流行:パンはすべてという意味です)です。その典型例が一九一八年に起こったスペイン風邪です。世界の約三分の一の人が感染し、約五〇〇〇万人の死者が出ました。鳥インフルエンザウイルス由来のインフルエンザウイルスHINI型が病原体でした。パンデミックを起こす病原体は、動物からヒトに、さらにヒトからヒトに感染するような変異をした、ヒトが経験したことのない新しいものです。このために、われわれのからだの免疫系がすばやく反応を起こすことができず、特に最初の感染をうまく防げないことがしばしばです。その間に感染が広がり、病原性の高い病原体の場合には重篤な結果をもたらすのです」(宮坂昌之『新型コロナ 7つの謎』、講談社ブルーバックス、二〇二〇年、一七~一八頁。以下、宮坂本とする)、ということだ。

●パンデミックと産業・商業変動の現実(二〇二二年二月)

  新型コロナ・パンデミックとその被害などの最終の規模・数字的データは、あきらかではない(二〇二二年二月現在)。故に、本論では、数字表現は、可能な限り自粛する方針である。だが必要だと考えられるものは論述する。現在(二〇二二年二月)の時点では、二月九日(日本時間)に、米ジョンズホプキンス大学の集計で、感染者が四億人を越えたとの発表があった。合衆国は7700万人で最多。インドが四二三〇万人、ブラジル二六七〇万人、フランス二一一〇万人、イギリス一八〇〇万人(すべて約数)などとなっている。この一月七日の集計で三億人をこえたばかりだ。「オミクロン株」の感染力の表現でもある。それでも、今年にはいって欧米は感染者数は減少傾向にあるといわれている。こうした状況を注視していく必要がある。

 コロナ禍のパンデミック(世界的大流行)が発生して約一年後、二〇二一年二月二六日、ジェトロ(日本貿易振興機構)は、ジェトロで実施した「二〇二〇年度 日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査」を公表した(JETRO電子版)。そのトップにある見出しが「新型コロナによる日本企業の海外売上高への影響、色濃く」という見出しでのデータだ。

 「本調査では、新型コロナの拡大が自社ビジネスに与える影響を尋ねた。新型コロナの拡大による二〇二〇年度の売上高への影響について、海外向けにビジネスを行う企業の六四・八%が、海外での売上高に「マイナスの影響(がある)」と回答した。二〇二〇年度の海外売上高への影響について業種別にみると、主要国市場の低迷から「自動車・同部品/その他輸送機器」でマイナスの影響を受ける企業の割合が高い結果となった。他方で、需要が底堅い「飲食料品」では、プラスの影響があるとの回答が一三・九%と相対的に高い」。

「それでは、どのような面にマイナスの影響を与えたのか。マイナスの影響の最大の内容として、国内、国外いずれも七〇%超の企業が「販売」を挙げた。特に海外での販売面での具体的なマイナス影響としては、『ロックダウン』を挙げる企業が目立つ。日本国内よりも厳格なロックダウン(都市封鎖――その地域での商業・産業活動の規制……引用者・渋谷)や、渡航制限の影響が強く出たものとみられる。具体的なコメントとして、ロックダウンによる『取引先の休業』(印刷・同関連、中小企業)、『商談の中断』(プラスチック製品、中小企業)、『店舗休業』(商社・卸売り、大企業)などの声が寄せられた。ロックダウンによる現地需要の低下が、日本からの輸出減少、さらには日本企業の売り上げ減少につながった」。

 こうした傾向は、二〇二一年度もつづいている。コロナ禍の半導体不足なども懸念材料の一つだ。半導体を必要とする業種、たとえば自動車の減産も深刻化している。

 さらに、感染の急拡大に対する「緊急事態宣言」や「まん蔓延防止等緊急措置」などで、そのたびに、お店の協業や短縮、酒類の提供停止や自粛を余儀なくされてきた「飲食業」などは、極端な減収においこまれており、閉店するお店も続出している。もちろん、観光業などは大打撃だ。他方で、家電メーカーなど、いわゆる「自粛での巣籠需要」で営業成績をのばしている業種もあるが、総体的に経済活動の縮小は基調的なベクトルとなっている。労働者階級の状態では、日本の労働者階級で約四割をしめる(総務省「労働力調査(詳細集計)」などによる)といわれる非正規雇用労働者をはじめ、商業・産業の縮小と同時に、雇止め―解雇などが横行しており、失業者増大・生活困窮・貧富格差が拡大している。

 感染の拡大で、生活苦が、子育て世代の親と子供や老人世帯などを直撃している。例えば、保育所や学校でのクラスターとかは言うに及ばず、例えば保育所が休みになり、親が働いていて、子供の面倒を見られない状況となり、親が仕事を休むしかなくなるとか、失業するとか、いろいろなことが起こっている。これに対し「子供食堂」など、いろいろな相互扶助がなされている。さらに、エッセンシャル・ワーカーが感染すれば、社会の基本的な機能が阻害される。エッセンシャル・ワーカーとは医療労働者、介護・福祉の労働者、運送・物流の労働者、スーパー・コンビニなどの労働者、電気・水道・ガス・通信・ごみ収集などに従事する労働者、農・漁業者などである。政府はいろいろな「給付金・助成金」制度の申請を簡略化して政策を立案・執行してきたが、その額だけでは、どうにもならないのが実情だ。それが、一般的な見方だと、本論論者としては、考える。もっと構造的な改革と仕組みが必要だろう。それらの現状は、例えば少なくとも、メディアでも報道していることだ。

 ●医療法「改正」での病床削減問題

 こうした状況に加え、コロナとの闘いの最前線では、とんでもない逆行まさに反動が、政府権力者たちなどの支配勢力によってくわえられている、日本では、特に21世紀に入り、本格的な医療削減計画が展開してきた。新自由主義の弊害だ。

 2021年通常国会では、「医療制度改定一括法案――医療法等改定案」が、自民・公明・維新・国民民主の賛成で国会を通過した。この法制は、病院機能の削減を目的とする「地域医療構想」なるものの延長に、それを推進するシステムとして制定されたものにほかならない。

 すでにリスト化している公立・公的病院の400以上の施設のリスト化をふまえ、「改正」医療法体制では、病院に消費税財源から病床削減に対する給付金を支払う。100%連日空きあるベッドがない病院を病症稼働率100%として、単価一床あたり、50%の病院には114万円、90%の病院には、228万円を給付する。この前提条件は、稼働している病棟の病床の10%以上の削減を前提とするというものだ。また、病院の統廃合を規定。

  労基法36条にもとづく、36協定に関しては、一般的には残業時間の上限は年360時間(繁忙期など、それ以上働く必要から「特別条項付き36協定」があるが法定休日労働を除き年720時間とされている。また、月45時間を超えた時間外労働が許されるのは年6か月)とされているが、診療従事の医師は年960時間、地域医療診療確保の機関を特定したうえで、年1860時間とすると規定するなどとしている。また、医師の仕事を放射線技師などに割り振るなどで、医師不足を弥縫しようとしている。

 また、この一括法案では、患者には75歳以上の医療費窓口負担の、原則1割負担を2割に引き上げることが可決された(「健康保険法等一部改正法案」)。 

 そもそも、この間、コロナ感染対応で、日本の保健所の数が問題となってきているが、1992年には800以上(これがピークといわれている)あったものが、2020年には500か所を切っているといわれている。病院施設・研究施設・マンパワーが総じて削減されているのだ。そうした中で、政府によるコロナ対策の不備と無責任が、国会でも指摘されてきたのである。

 (※ 以上、企業関連、労働者雇用・生活関連に関する、これらの数字的表記については、現在進行中のことでもあり本論では不記とする)。

●ワクチン格差の問題

 ここで、発展途上国などへのワクチン供給問題について、触れておこう。ここでは、経済問題としての側面を中心に言及する。

(※本論論者・渋谷は、いわゆる「反ワクチン」論者ではない。だが、「ワクチンの義務化」には反対する。各人のいろいろな医療的事情を考えれば、それは「必要とする人々」に、というフレーズが、妥当性を持っていると考えるものである。現行の日本における「予防接種法」も、そういう趣旨だと考える。この点、確認しておく)。

 WTOでは、ワクチン・製薬などに関して、TRIPS協定というものに基づき、知的財産権の保護に関する制度の順守を規定している。その場合、とりわけ特許権が重要なものとなる。これにより、一定期間、製品の独占生産・販売などが約束される。しかし、先進国には販売されても発展途上国などには行き渡らないことが問題になってきた。コロナ・ワクチンもその例に漏れないことになった。そこで、南アフリカとインドが「ウェイバー提案」というものを二〇二〇年六月におこなったのである。

 「ウェイバー提案」は、知的財産権の保護の「一時放棄」、先進国のワクチン独占の解除をもとめるものだった。これに対して、EU、イギリスをはじめ先進国は軒並み、反対してきた。これに対し、途上国六〇以上が賛成するとともに、合衆国、中国、ロシアなど、ワクチンの開発・生産が完成した国家は賛成している(二〇二二年二月現在)。これは、「ワクチン外交」のためにほかならない。米・中の間での貿易競争の一端がここにもあらわれている。

 またワクチンの「ウェイバー提案」にたいしては、世界中で製品生産が認められれば、ワクチンを製造する原材料が不足してくるというリスクを懸念する見解がある。それは、確かにあるだろう。だが、発展途上国へのワクチン供給の低迷は、それらの地域での感染を拡大するため、労働力不足や、事業所の生産ラインの減速を結果する。これは例えば、先進国に必要な生産材(中間財)の生産が減速する・入らなくなるということだ。結果、先進国の生産が低迷し、経済的なダメージが経済全体に構造化していく。だから、ワクチンの特許権を免除せよという主張は、経済的な効率性から言っても、こういってよければ、資本主義的な妥当性をもっているのではないか。

  だが他方で、特許独占権をパンデミック中は、ワクチンを開発した大手製薬会社が「一時放棄」すると宣言したとしても、世界中で、開発・生産の設備整備を、どのように展開するのか。ここには、先進資本主義国の生産諸力が、各個の企業の競争力(資本間競争)に規定されているという問題があるだろう。一言でいうなら、「特許独占」も、「一時放棄」も、資本間競争に圧倒的に有利な巨大製薬会社・多国籍製薬企業が、広い市場を形成してゆくということである。

 端的に言うなら「特許独占を一時放棄」をしても、多国籍製薬企業が作り出した・あるいは流通させるワクチンは、どこに売られるかわからない。一番、利益が上がるところに売られていくだろう。それが資本主義だ。結局、ここにもコロナ禍が生産のグローバリズムに負の影響を与えているばかりでなく、そのしわ寄せが、グローバル・サウスに押し付けられているという、世界資本主義の構造的な問題が表出しているということだ。

 こうした問題は、スペイン・インフルエンザ(一九一八~二一年ごろ)の分析においても、以下のような記述がみられる南北問題として存在してきた。

 「留保付きであるが、朝鮮では、スペイン・インフルエンザによる死亡率がかなり高かったと言えるだろう。これは、朝鮮が流行期に寒冷であり、貧困な者はオンドルの燃料にも事欠いていたほどで、罹患者・死亡者が多かったに違いない。また、内地人と比べて、治療・入院などの措置は、朝鮮人には十分でなかっただろうから、この点でも被害を大きくさせた。目の前で日本人は厚遇され、朝鮮人に死者が続出する状景は、三・一運動として、朝鮮の人びとが、大正八(一九一九)年三月に蜂起した(「三・一独立運動」……大日本帝国の朝鮮総督府を執政機関とする植民地主義支配は「韓国併合」といわれているが、一九一〇~一九四五年に及んだ、そういう支配からの民族自決の闘いの一つ――引用者・渋谷)ことの一つの前提となったと考えられないだろうか」(速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』藤原書店、二〇〇六年、四〇四~四〇五頁)。

 まさに、今日的にも経済格差や、政治的抑圧――被抑圧という問題が、コロナ禍で、顕現している。だからパンデミックは帝国主義の問題と相乗「効果」をつくりだして、拡大しているのだ。

【第二節】感染症とグローバリズムによる環境破壊

●産業・都市の様態と感染症

 感染症の拡大については、まず、産業と都市の構造との関係で、石弘之『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫、平成30年・2018年)で、次のような論述がある。

「インフルエンザウイルスは、HIVと同じRNAウイルスに属し、哺乳類が一〇〇万年かかる進化を、一年でやってのけるほど変異が激しい。たえず変異を繰り返すので、ワクチンをつくっても完成するころには姿を変えていて、効かないことがしばしばある」(二二〇~二二一頁)。(※RNAウイルスの変異については、本論では第三節で述べている)。

  こうした感染症を防ぐ基本は「接触しないこと」である。そして感染症の拡大は「密集・密接・密閉」などによる、この「接触」の強力な広がりにある。

「以前から存在した鳥インフルエンザウイルスが、なぜ近年になってこれほどまでに猛威を振るいはじめたのだろうか。カート・バンデグリフとら米国カリフォルニア大学サンタクルーズ校のグループは、地球環境の変化が影響したとみている。地質保全の国際機関、ラムサール条約事務局は。農地転換や開発によって過去半世紀に世界の湿地の五〇パーセントが失われたと発表している。カリフォルニア州ではこれまでに、湿地の九〇%を失った。日本でも五〇%が消失した。この結果、カモなど水禽類の越冬地は狭められて過密になっている。……以前に比べてカモのウイルス感染の機会が格段に増えたという。空気感染で広がるインフルエンザウイルスは、人口過密の高い「都市」に適応したウイルスだ。過去の大発生をみても、古代ギリシャ・ローマ、サンクトペテルブルグ(帝政ロシアー引用者・渋谷)、ニューヨーク、東京といった大都市で大発生した。そして、軍隊、工場、学校など人の集まる場所が、ウイルスの温床になってきた。人の密度の低いところでは、ウイルスは生きながらえることはできなかった」。そしてこうのべている。「一八世紀にイギリスではじまった産業革命と工業化によって、多くの人々が過密な大都市に住むようになり、インフルエンザ以外にも結核やコレラなど新たな大流行を経験するようになった」(二二一~二二二頁)と。

 まさに感染症で、とくに、21世紀に入ってから、問題になっている一つに鳥インフルエンザがある。一つの養鶏場で感染が確認されるとその場所で飼われているすべてのトリたちが殺処分される。

 鳥インフルエンザの「原因は畜産革命」だという。「この四半世紀に、世界的に食肉の消費が増加している。とくに、鶏肉の消費量は六倍近くになる。国連食糧農業機関(FOA)によると、世界で飼われている鶏は二〇一〇年には約二〇〇億羽になった。この一〇年で三割も増えた。このうちの二四%を中国が占め、アジア全体では五五%が飼われている。……世界最大の養鶏工場といわれるブラジル南東部のマンディケイラ農場は、八〇〇万羽を飼育、一日五四〇万個の卵を生産している。自然光や外気がほとんど入らない閉鎖式の鶏舎で、身動きできないほど多数の鶏を狭いケージに詰め込む。

 鶏は、遺伝子組み換えトウモロコシのエサを与えられ、むりやり太らされる。四〇~六〇日間飼われるとベルトコンベアーで運ばれ、機械で自動的に食肉処理される。……ファーストフード用やスーパーの安いブロイラーは、もはや大量生産でコストを競う『工業製品』である。

 豚の飼育現場も鶏と変わらない。豚も世界で約八億頭が飼われ、その六〇%までが中国産だ。最初にメキシコで出現した「豚(新亜型)インフルエンザ」は、進出してきた米国の大手養豚会社が経営する巨大養豚場が、発生源だったとみられている。ここで年間一〇〇万頭近い豚が生産され、その高密度飼育と不潔さで悪名高い養豚場である」(二二四~二二五頁)ということだ。

●グローバリズムの産物としての感染症

 ポイントは、世界資本主義の永続的資本蓄積運動は、環境破壊をもたらすと同時に、その環境破壊を通じて感染症の世界的大流行=パンデミックを醸成・結果した。そしてそのことによって逆に、世界資本主義の資本蓄積運動=「資本の回転」を阻害し、破壊した。世界資本主義の自殺行為だ。そしてまた、そこで、生活の困窮に陥っている大多数の人々は、全世界の労働者階級・農民大衆である。

 岡田晴恵『知っておきたい感染症【新版】――新型コロナと21世紀型パンデミック』(二〇二〇年、ちくま新書)は、次のように、感染症の社会的な様相を論述している。 

「2011年10月31日、地球人口は70億人を突破し、2019年には77億人との推定されているが、スペインかぜ(スペイン・インフルエンザ)が流行した1918年ごろは18億人だった。第二次世界大戦後、人口は急増し、12年で10億ずつ増加している。

 人口増加には、食糧増産が必要となる。人類はジャングルや密林などの開発を手掛けて、耕作地を拡げ、家畜を飼育して、食糧増産と供給を促している。さらに、居住区もそれらの開拓地に盛んに造られている。

 野生動物の生息エリアに人が踏み込むことで、これまでは接触する機会の少なかった動物との接点ができる。野生動物は、様々なウイルスや細菌などの微生物の宿主として、これらを保有している。通常、それらの微生物は自然宿主とは病気を起こさずに共存しているが、人がそのウイルスや細菌に感染すると、発症し、ときに病原性の強い、致死性の感染症となることがある。野生動物に直接接触する機会としては、狩猟や肉を取るためなどの解体作業、ブッシュミート等としての経口摂取、さらに皮革などの利用における処理作業などがある。また、人が野生動物生息のエリアの近くに居住し、動物の排泄物や体液、血液などの触れることなどで、感染することも考えられる」(七五~七六頁)。

 また社会構造の問題を軸に見るならば次のようなことになるだろう。

 「現代では、文明の進歩と経済発展とともに人の交流は活発化、広域化している。その影響が野生生物の生息する地域にも及び始めている。密林周囲の村々と近隣の町や大都市が、車や鉄道でつながり、交通量とスピード効率も上がった。

 都市には多数の人が密集して生活する場所が形成され、もしもそこに野生動物由来の新興感染症が侵入すれば、爆発的な流行が起こることになる。都市で流行が起これば、さらに人の移動によって、病原体が地方にも拡散していく。2014年のエボラ出血熱のアウトブレイクの要因としては、野生動物との接点のある村に留まっていた感染症が、都市に運ばれ流行を起こしたことが大きい。そして首都にまで入ったウイルスは、国際空港から航空機で新天地の大陸に拡散していくことも、21世紀の象徴的な感染症拡大の様式である。

 地球人口の増加と高速大量輸送を背景としたグローバル化社会の中で、ここ40年、さまざまな新興感染症が発生し、流行を起こしては世界に拡散していった。エボラ出血熱の流行というウイルス学的には予測し難い想定外の事態も、21世紀における社会環境の変化が色濃く影響している」(七六~七七頁)ということだ。

 以上に示されているように、21世紀世界の大量消費社会と、それを生産するグローバルな開発によって、新たな感染症のリスクが生み出され、猛威を振るってきたのだ。

●環境破壊・地球環境の変化に注目せよ

 宮坂昌之『新型コロナ七つの謎』(講談社ブルーバックス、二〇二〇年。以下、宮坂本とする)、第一章「風邪ウイルスがなぜパンデミックを引き起こしたのか」では次のように言われている。これはパンデミックと言われるものの原因の分析だ。

 「パンデミックの原因はいくつかあります。その一つは、経済の発展とともに起こる環境の破壊です。例えば森林などの自然環境の破壊により、野生動物と人間の距離が近くなり、そのために野生動物に感染しているウイルスがヒトにかかりやすくなることが指摘されています。エイズの原因ウイルスのHIVはアフリカの森林にいるサルに起源があると言われています。また、先に挙げたSARSウイルスも、新型コロナウイルスSARS-CoV-2も、いずれも元は森林や洞窟にすむコウモリに感染していたもので、コウモリとヒトとの距離がちかくなるなかで、やがてヒトに感染するようになったのです」(宮坂本、二四頁)。

 これら人間と野生動物の距離の短縮の問題と同時に、地球温暖化との直接的な関係が指摘される。

「地球環境の変化、特に温暖化も、パンデミックに関わる大きな原因の一つです。温暖化が進むと、気温が上昇するだけでなく降水量も変わり、これにより特定の環境における病原体が増えたり、あるいは、感染症を媒介する動物が増えたり、その分布が変わることがわかっています。たとえば、世界全体で毎年二万人が亡くなるデング熱は、ネッタイシマカやヒトスジシマカが媒介するデング熱ウイルスによって発症する病気で、主に熱帯、亜熱帯で見られます。ところが最近の温暖化とともに、これらの蚊が世界各国で見つかるようになり、デング熱の世界的な発生域が広がるとともに発生率も高まっています。日本でもヒトスジシマカはもともと西日本が生息域だったのですが、次第に北上して、現在では秋田県や岩手県の一部でも見られるようになっています。日本でもデング熱の流行が起こる可能性があることを意味するので、警戒すべき現象です」(宮坂本、二四~二五頁)。

 さらに、その温暖化が、これまで地球の奥底で存在していた、人類にとって未知の感染病原体に接触する機会の可能性に言及している。

「また、温暖化に伴い、シベリアの永久凍土やヨーロッパの氷河が溶け始めています。永久凍土や氷河の下からは未知のウイルスや細菌が出現してくる可能性があります。北極ではマンモスが凍った形で見つかることがあるようですが、マンモスが絶滅した理由の一つとして細菌やウイルスによる感染が挙げられています。これが事実とすると、凍ったマンモスから人類がほとんど見たこともないような病原体が見つかる可能性のあり」と記述している(宮坂本、二五頁)。

 まさに、こうして免疫反応を起こすことができない事態が、今や、限りなく想定されてきているのだ。

 「感染性や病原性を強くするような変異が起きて、しかも、元のウイルスとは異なる抗原性(=個体の体内で免疫反応を起こす力)を持つようになると、ヒトはうまく免疫反応を起こすことができず、結果的に、社会の中で感染が急速に広がるようになる可能性があります。インフルエンザウイルスの場合、トリやブタなどの複数の動物種が宿主となる可能性があり、……一つの動物種の細胞に複数のウイルスが感染して遺伝子が混ざると抗原シフト(新たな雑種ウイルスが形成されること――引用者・渋谷)という現象が起こります。実際にこのために、アジア風邪(一九五七年)や香港風邪(一九六三年)のようなパンデミックが起こりました」(宮坂本、三一頁)。

 そこで、こうした環境破壊・気候変動に対する持続可能な社会の構築が、召されるべきだと述べられる。もちろん、その中にパンデミックから社会を防衛する検査ー医療体制の整備が要求されている。

 「環境破壊も問題です。国際的な環境保護団体であるWWF(世界自然保護基金)は、人獣共通感染症によるパンデミックが今後も起こり続ける可能性があることについて警鐘を鳴らしています。彼らは、このような感染症が起こる原因として、(1)高いリスクを伴った野生生物の取引と消費、(2)森林破壊を引き起こす土地の転換と利用の変化、(3)非持続可能な形での農業と畜産の拡大、という三つの理湯を挙げています。これらの理由は、いずれも、われわれの社会が経済的メリットだけに注目するあまりに、無頓着に環境破壊を進めてきたことが原因だと思われます。また、これとともに、全地球的に気候の温暖化がつづいていることも環境破壊につながっています。……パンデミックに対する社会の防衛体制、特に検査体制、医療体制を築き上げることが必要です」(宮坂本、同上、三一~三二頁)と展開している。

【第三節】人類の未来について――感染症の各種分析

 最後に、かかる感染症の症例を見ていくことにしよう。本論では、二つの事例を挙げ、その特徴と思われるものを取り上げたい。

 感染症各種となるとウイルスの他に細菌なども含まれるが、ペスト、天然痘、コレラ菌、インフルエンザ、エボラウイルス病、エイズ、MERS、SARS、そしてCOVID-19などがある。ここでは、インフルエンザ、エボラウイルス病(エボラ出血熱)をとりあげよう。 

●インフルエンザーーウイルス自体の特性(――変異)について

ここで、各種感染症の特徴をその病名に限って、見ていこう。まず少なくとも本論論者にとって、代表例とおもわれる「インフルエンザ」だ。

 以下の文章は、普通、われわれがもつ、このウイルス感染症の不確かさにかんする疑問から解かれている(小田中直樹『感染症はぼくらの社会をいかに変えてきたのか 世界史のなかの病原体』、二〇二〇年、日経BPマーケティング、一四八~一四九頁。以下、小田中本とする)。

「人間において、予防接種があるのに毎年インフルエンザが流行するのは、ウイルスが変異して別のタイプになることが多く、その場合、予防接種の効力が低下してしまうからだ」。どうしてか。

「インフルエンザ・ウイルスが変異しやすいことには、二つの理由がある。

第一は、人間の遺伝子(遺伝情報)がDNA(デオキシリボ核酸)から成っているのに対して、インフルエンザ・ウイルスの遺伝子はRNA(リボ核酸)からなっていることである。DNAの基本的な機能が遺伝子の保存(遺伝情報の保存)なのに対して、RNAの機能は遺伝子の処理(遺伝情報の処理)であることから、RNAはDNAと比較して不安定であり、さまざまな要因にもとづく突然変異を生じやすい。具体的には、DNAは二本鎖構造をとるのに対して、RNAは一本鎖であり、損傷すると正確な修復が困難である。また、化学構造上、RNAの鎖はDNAより切れやすく、分解されやすい。

第二は、インフルエンザ・ウイルスの遺伝子がRNAで八つの分節にわけて保存されていることである。そのため、別種の遺伝子をもつインフルエンザ・ウイルスと出会うと、遺伝子交雑(くみかえ)が生じて、新しい遺伝子をもった別のタイプになってしまうことが多い。

 RNAの鎖は切れやすいため、たとえば、一つの細胞に遺伝子が異なる二つのウイルスがとりつくと、しばしば、両者のRNAが切れ、クロスして接合し合い、新しい組み合わせの八つの分節からなる遺伝子をもったRNA、ひいてはウイルスが出来上がってしまう。これを『遺伝子再集合』と呼ぶ(〔 岡部他/二〇二〇〕八四頁)(――岡部信彦也『新型インフルエンザパンデミックに日本はいかに立ち向かってきたか』南山堂、2020、――小田中本・二一九頁参照――引用者・渋谷)」。

 (※ 以下、小田中本の引用文をしめす〔〕内の文字につづき、(――)でもって、示した引用文の紹介文字は、小田中本の、二一八~二二三頁にある【引用・参照文献リスト】から、引用者・渋谷が援用して、書いたものです)。

●スペイン・インフルエンザの場合

その中で「史上最悪のインフルエンザ」といわれているものに、「スペイン・インフルエンザ」がある。一般に「スペイン・インフルエンザ」の「スペイン」とは、発祥地を表わす言葉ではなく、第一次大戦の中立国であり、感染症について軍事情報としての秘密の必要がなかったスペインでの感染が、初期に報じられたことによると言われている。

「スペイン・インフルエンザは、第一次世界大戦のさなかという、感染爆発にとって絶妙のタイミングで発生した。

 愛戦はヨーロッパ諸国を中心とする諸国が連合国(英仏伊露など)と同盟国(独墺など)にわかれ、おもにヨーロッパを戦場として戦う「ヨーロッパの戦争」であり、合衆国にとっては、ほぼ他所事だった。

 ところが、ウッドロー・ウイルソンが第三者として仲介した和平の試みが失敗し、ドイツが、合衆国を含む中立国の船舶も攻撃対象に含める無制限潜水艦作戦を大々的に実施するようになると、合衆国の世論は急速に連合国を支持して参戦する方向に傾き、一九一七年、合衆国はドイツに宣戦布告した。これにより、大量のアメリカ陸海軍兵士が大西洋を渡ってヨーロッパに派遣され、先頭に参加することになった。

 この動員は、大量のヒトが大西洋を渡ることを意味する。

  アメリカは四百万人以上の兵士を徴用し、そのうち約二百万人をヨーロッパ戦線に派遣したが、彼らのなかには大量のインフルエンザ感染者が含まれていた。平時であれば体調不良を理由として移動を断るような症状の人びとも、愛国心に導かれ、あるいは『戦時だからやむをえない』とか『兵士なら出征して当然』とか言った理由で、輸送船に乗りこんだ。

 また、兵士を輸送する船舶は、衛生状態が劣悪であり、人口密度が高いこともあって、感染拡大には最適の環境だった。海軍における感染率は四〇パーセント以上であり、最大の被害を出した巡洋艦ピッツバーグに至っては、乗組員の感染率は八〇パーセントに至った(〔 クロスビー/二〇〇九〕一五四~五頁)(――クロスビー、アルフレッド『史上最悪のインフルエンザ【新装版】』西村秀一訳、みすず書房、2009、原著1976――小田中本・二一九頁参照――引用者・渋谷)。

 「ヨーロッパに到着すれば到着したで、これら二百万人の兵士たちは劣悪な環境、つまり戦場に放りこまれた。戦場の兵士のインフルエンザ感染状況にかんするデータはほとんど存在していないが、感染爆発がピークを迎えた第二波の時期には、インフルエンザで入院した兵士の数は、アメリカ軍が九月の一か月間で約四万人、イギリス軍が一一月の一か月間で三万人、フランス軍が一〇月の一か月間で七・五万人に達している(〔クロスビー/2009〕二〇〇頁――前掲)。いうまでもなく、入院できた兵士は幸運である。その背後に入院できなかった感染兵士が何倍もいたことは、想像に難くない。

 さらに、彼ら感染兵士は、戦場にとどまっていた一般市民に対してインフルエンザを感染させた。戦時中ということもあって、一般市民のインフルエンザに関するデータは兵士にもまして少ないが、世界全体で二千万から五千万と言われる死者の多くがかれらからなっていたこともかた、想像にかたくない。

 戦争は、兵士の動員によってヒトの移動を誘発し、兵士の密集輸送という感染にとって好適な環境をもたらし、さらには、戦場という過酷な環境に兵士を置くことで彼らの体力を奪い、ひいては感染に対する抵抗力を奪う。さらに、兵士の間に広まった感染症は、軍事作戦が続くあいだに、戦場にとどまる一般市民に広がってゆく。

 二〇世紀の戦争は、大規模な総力戦、すなわち戦場と銃後の区別がなくなり、全土が一種の戦場になることによって特徴づけられる。戦争は、とりわけ総力戦は、感染症の拡大に適した環境をもたらすのである」(小田中本一五八~一六一頁)。

 こうしたことは、二〇二一年一二月、新型コロナウイルス感染症の「第六波」において、沖縄在日米軍内にクラスター(感染者集団)が確認(沖縄キャンプ・ハンセンでのクラスターの確認をはじめとして)され、その後、全国的に、厚木・横須賀・岩国その他の米軍基地で、感染が広がっているのが報道され始めた。それが、基地の外に拡大するという事態が、沖縄県当局によって指摘されていた事態からも、確認できるだろう。

●エボラ出血熱の場合

「一九七六年八月、ザイール(現・コンゴ民主共和国)国のある村で、奇妙な病気が発生した(〔山内/二〇一五b〕、〔日経メディカル編/二〇一五〕四六~五三頁、参照〕)――山内一也『エボラ出血熱とエマージングウイルス』、岩波書店・岩波化学ライブラリー、2015――小田中本・二二二頁参照――引用者・渋谷)。発熱、頭痛、嘔吐と下痢、筋肉痛といった症状に続き、歯茎、鼻、消化器など全身からの出血が見られ、ほとんどの場合は多臓器不全か出血多量で死に至った。ついで家族、近隣住民、看護師などが次々に発病し、この病気が感染症であることを示した。病気の流行は二か月続いて一〇月に収束したが、感染者三一八人に対して、死亡者は二八〇人、致死率は約九割に達した」(小田中本、一九三頁)。

「しばらくして、合衆国の疾病管理センター(CDC、現・疾病管理予防センター)が、血液から紐状のウイルスを発見した。これまで見たことのない新種のウイルスであり、病気発生地の近くを流れる川の名前をとってエボラウイルスと命名された」(小田中本、一九四頁。

 その後、エボラは、一九九五年~二〇一九年にかけて、アフリカ大陸で何度か、感染をおこしている。二〇一四年には、ギニア、シエラレオネ、リベリアで、二〇一八年には、コンゴ民主共和国で感染爆発を起こした。

「ウイルスは、人間に感染した場合、免疫異常と血管異常をもたらす(〔クアメン/二〇一五〕七八~八〇頁)。(――クアメン、デビッド『エボラの正体』(山本光伸訳、日経BP、2015、原著2014――小田中本・二一九頁参照――引用者・渋谷)。

 ウイルスは免疫細胞を攻撃し、免疫システムを機能不全に陥らせる。具体的には、一方では免疫システムの一部を機能低下させることにより、人間の体内での病原体の活動を可能にし、各種の感染をもたらす。他方では、免疫システムの一部の機能を異常亢進させることにより、免疫システムが自己を攻撃する自己免疫症状(サイトカインストーム)を引き起こす」(小田中本、一九六~一九七頁)(※このメカニズムについては、渋谷要の拙著本書では、本論の「【第三節】新型コロナウイルスの<機制>に関するノート――特に、その「重症化」(⇔サイトカインストーム)との関係で」を参照してほしい)。

ではなぜ「エボラウイルス病」が「出血熱」と言われてきたかということだが。

「ウイルスは『エボラウイルス糖タンパク』と呼ばれるたんぱく質を合成するが、このたんぱく質は血管を構成する細胞に付着し、透過性を高める。そのため、血漿を中心とする血液が血管から滲出して各種の出血を引き起こすとともに、滲出しにくい赤血球などが凝縮されたかたちで血管内に残り、血栓をつくって血管を詰まらせ、臓器の機能不全や末端部の壊死をもたらす」(小田中本、一九七頁)。ここに、エボラ出血熱の特徴があるということだ。

 だがさらにエボラ出血熱に関して、ひとつの大きな問題がある。それは、このウイルスが、ヒトを「保有宿主」とはしていないのではないか、という問題だ。これはどういうことかというと。ウイルスは宿主とはひとことで言って、種としては(ウイルスは明確には生物種として自己増殖能力を備えた「生物」ではないが)共存の関係に入っている。だが、宿主でない生命体は、こういってよければ、殲滅していい対象だ、という問題だ。

 エボラウイルスの宿主は、「オオコウモリだろう」と考えられているが、「今日でもなお確定されていない」という問題もある。

そこで、小田中氏は、次のように論じている。

「(「間欠的にしか流行しないこと」などを、エボラの謎という問答で解明している文脈で、――引用者・渋谷)『エボラウイルスは、ヒトを宿主として想定していないから』ではないかと考えられている(〔クアメン/二〇一五〕五六~八頁)(――上記、『エボラの正体』と同じ――引用者・渋谷)」と。

「もしもオオコウモリが保有宿主だとすると、エボラウイルスはオオコウモリとのあいだで微妙なバランスをとりながら存在してきた。『感染して殺すが、殺しすぎると自分も存在あるいは繁殖できないので、殺しすぎはしない』というバランスである。そして、ときどきサルに偶然感染しては、大量死をもたらしてきた。

 ヒトについても、サルの状況と同じである。

 エボラウイルスはヒトを宿主として想定しておらず、偶然の接触によって感染が生じるにすぎない。そのため致死率は高く、人間を恐怖に陥れるが、しかし一九七六年ザイールの事例のように致死率が九割ともなると、ウイルスの存在自体が危うくなる。宿主がいなくなれば、ウイルスも存在できないからだ。しかし、ウイルスはそんなことは計算しないから、高い致死率を保ち、感染者の多くが死亡するのと同時に消滅してゆく。これによって流行は終わり、またウイルスは保有宿主(おそらくはオオコウモリ)の体内で保有宿主と共存する時期に入る。そして、しばらくして、ふたたび偶然の接触が生じ、ヒトにおけるエボラウイルス病の流行がまた始まる」(小田中本、一九九頁)。

 小田中本で書かれているように、このオオコウモリを食用とする中央アフリカや西アフリカで感染が流行していることからも、そうした「接触」が明らかに原因となっているのだろう。

さらに、こうした「偶然の接触」の機会が、人間の乱開発などによって多発化していることも、関係している可能性がある。

●生態系と感染症

「人類は20万年前に誕生してから五大陸に分散し、そこで生態系の頂点にのぼりつめた。この時点で人類という生物種の数を調整できるのは、食糧の枯渇か人類間の殺し合い、そして病原体との闘いである感染症だけになった。つまり生態系から見れば、病原体とは人間という生物の数を調整できる唯一の存在になったのである。病原体はこの役割を担うため、人類が農耕生活を始めた頃から、人類に感染症をおこすことで、その数を調節してきた。ただし、人類が絶滅してしまっては病原体にとっても不利なので、病原体は感染力と毒性を変化させながら人類と闘ってきた。しかし、この変化が効かずに病原体が暴走したのが14世紀のペスト流行だった。その結果、人類は滅亡の危機に瀕したのである」。

20世紀以降、人類は急激に増加している。

「これには19世紀後半の微生物学の発展により感染症が減ったことが大きく影響している。すなわち、この時点で従来の病原体による人類の数の調整がきかなくなり、その結果、20世紀後半から新たな病原体(ウイルス)が人類に襲いかかってきたと考えることができる。人口が増えたため、奥地への開発が加速し、新たな病原体に接したのである。今回の新型コロナウイルスの流行も、生態系という観点から見ると、このように解釈することができるのではないだろうか。

 くりかえすが、病原体にとって人類を絶滅に追い込むのは不利なので、14世紀のペスト流行のような事態は、そう簡単にはおきないだろう。しかし、これから先はわからない。人口の急激な増加が今後も続けば、新たなウイルス感染が人類を襲う頻度は増えてくるはずだ。その時に病原体が暴走を起こし、14世紀のような状況が再現される可能性はある」(濱田篤郎『パンデミックを生き抜く 中世ペストに学ぶ新型コロナ対策』朝日新書、二〇二〇年、二二四~二二五頁)。

 まさに、今日の感染症パンデミックは、グローバリズムによる環境破壊の産物であり、人類の生存をかけた闘いが必要だ。だが、問題は、この人類の生存をかけた闘いは具体的には、環境破壊を作り上げ、推進している、資本主義の永続的資本蓄積運動を主導している先進国ブルジョア体制、「社会主義国家」の官僚制国家資本主義との闘いだということだ。これがラディカルな資本主義批判の立場でなければならない。

 かかる政治的スタンスをあいまい化し、後景化、ないしは忘却させようとする、偽善的環境保護政策を批判してゆくことは、大変重要なことに、なっている。そうした問題意識をも含有しつつ、搾取・抑圧と環境破壊をいかに克服するか、その課題に、向き合っていくこととしたい。

2022年8月28日日曜日

コロナ・パンデミックの中で資本論第二巻「資本の流通過程」を読む  渋谷要

 【解説】2022年2月20日に、このブログ『赤いエコロジスト』にアップした「ノート:コロナ・パンデミックとグローバリズム」の中から、後半の【注解ノート】「資本主義と『資本の回転』についてのノートーーパンデミックによる経済循環の破壊についての分析の前提となるもの」を、分割アップします。

 この論考は、資本論第二巻のお勉強です。

 第二巻を、いろいろとまとめながら、コロナ・パンデミックにおける「資本の流通過程」の破壊を分析しています。★このアップに限ってタイトルを新たに、付けました★「コロナ・パンデミックの中で資本論第二巻「資本の流通過程」を読む」です。


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コロナ・パンデミックの中で資本論第二巻「資本の流通過程」を読む

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原題・「ノート:コロナ・パンデミックとグローバリズム」【注解ノート】

 資本主義と「資本の回転」についてのノート――パンデミックによる経済循環の破壊についての分析の前提となるもの 

                         渋谷要

【リード】 以上、本論「ノート:コロナ・パンデミックとグローバリズム」の「注解」として以下のノートを提示する。

 ここでの課題は、本論の冒頭部分に戻ると思う。コロナ・パンデミックによる「コロナ恐慌」ともいわれる非常事態を、<経済学的に>何を原基的な考え方・<分析視角>としつつ、考えてゆくのか、そのラディカルな視角の原点がふまえられなければならない。その原基こそ、マルクス『資本論』であると考えるものである。

 ここでは、そのコロナ禍経済危機に対する分析視角をなすものを『資本論第二巻資本の流通過程』に求めるものである。資本論第二巻は三篇構成で論述されている。「第一編 資本の諸変態とその循環」、「第二編 資本の回転」、「第三篇 社会的総資本の再生産と流通」。本論では「第二巻第二編・第三篇」を中心にノートをとった。

また、文末には【小括】として、コロナ・パンデミックとのかかわりに関する問題意識を示した。

 まずは、それらの【序説】として、資本主義の基礎をなす「搾取」の<機制>を確認し、そののち、第二巻のノートを論述することとする。なぜなら、この「搾取」論を論の前提とし、骨格として、第二巻「資本の流通過程」が論じられているからである。まず、第二巻にはいる前に、第一巻・第三巻における「資本主義的搾取」の概要を確認することからはじめよう。

【第一節】資本主義的搾取の基礎について

以下は『資本論第一巻・第三巻』における「搾取論」のポイントだ。

資本家的商品生産社会である資本主義社会では商品(W)は、「労働生産過程」において「不変資本(生産手段)c+可変資本(労働力)v+剰余価値m(このv+mは生きた労働vが生産した価値)」として「商品価値」を構成する。

この場合、剰余価値の産出は、自然に過剰なものが生み出されるのではなくマルクスの『経済学批判要綱』(グルントリッセ)に基づけば、「資本の労働に対する処分権」として組織されるものにほかならない。ここに「労働力の商品化」とは、「賃金奴隷制」だとマルクスが喝破した根拠がある。だが、この商品の価値構成は、「生産価格」=費用価格k(c+v)+利潤(市場競争の結果としての平均利潤p)に転形する。これにより、労働力vは剰余価値部分(利潤部分)を生産しない単なる費用価格の一部と観念され、剰余価値の搾取は隠ぺいされる。

 この剰余価値の産出についてだが、労働力をマルクスが「可変資本」としていることにポイントがある。労働力が剰余価値mの生産というように、価値を増殖させるからだ。これに対し、生産手段を「不変資本」というのは、価値を増殖するのではなくて不変のままで生産物に価値を移転するからだ。

 この場合、「労働・生産過程」が「価値形成・増殖過程」となるわけだが、資本の労働に対する処分権の発動をつうじて、労働者の「必要労働」(賃金分の価値に対妥当する時間労働)に対する「剰余労働」(剰余価値の産出として消費される労働)の率を高めることを、つまり搾取率・剰余価値率を高めることを土台に、最終的には利潤率を上昇させることをもって成立する搾取の機制が、ブルジョアジー・キャピタリストによって展開している。

また、その場合、「必要労働時間」「剰余労働時間」というのは、時間が区切られてあるわけではなく、生産過程では、労働力は「新たな価値を形成する」(新たな商品生産をなす)が、「剰余価値は、労働力の買い入れに支払われた価値とこの新たなる価値との差額に他ならない。とくに剰余価値として生産されるわけではない」(宇野弘蔵、岩波全書『経済原論』六六頁)ということだ。

 また、この場合、利潤率の機制がはたらく、剰余価値mは資本家の立場から見れば総資本(投下資本総額c+v)の増加分である。だから、総資本に対する増加分の値が利潤率として定立する。つまり利潤率は「剰余価値m/総資本(c+v)」である。これにより、増加分の利潤率での計算は、剰余価値(m)が労働力(v)によって増加(剰余労働)分として産出されていることを隠ぺいし、総資本(c+v)にプラスして与えられたということになるのである。

そして、ここから資本家と労働者の搾取にもとづく階級対立は「資本―利子、土地ー地代、労働―労賃・企業者利得」=商品所有者間の平等な分配システム(三位一体的定式)へと擬制化する。労働者の賃金は「労働報酬としての労賃」とされ、労働力商品の所有者が、労働市場で資本家にこれを売ったものの対価(だから費用価格の一部と観念される)として通常考えられるようになる。自由な商品交換の主体として労働者と資本家は自由平等な市民社会を構成することになる。マルクスはこれを「自由幻想」と呼んでいる。

こうした、「商品価値」「生産価格」「搾取」「利潤率」「自由幻想」などが、どのように、資本主義社会で展開しているのか、その機制・メカニズムの解明に挑戦したのが、『資本論第二巻 資本の流通過程』だ。


【第二節】「資本論第二巻第一編 資本の諸変態とその循環」

●資本が展開する三つの循環

 この第二巻第一編は、本論の目的上は、序論に当たる部分でもあり、簡単にまとめることにする。

マルクスは「第一編第一章 貨幣資本の循環」では次のようにのべている。

「資本の循環過程は三つの段階を通って進み、これらの段階は、第一巻の叙述によれば、次のような順序をなしている。

 第一段階。資本家は商品市場や労働市場に買い手として現われる。彼の貨幣は商品に転換される。すなわち流通行為G-Wを通過する。

 第二段階。買われた商品の資本家による生産的消費。彼は資本家的商品生産者として行動する。彼の資本は生産過程を通過する。その結果は、それ自身の生産要素よりも大きい価値をもつ商品である。

 第三段階。資本家は売り手として市場に帰ってくる。彼の商品は貨幣に転換される。すなわち流通行為W-Gを通過する。

 そこで、貨幣資本の循環を表す定式は次のようになる。G-W…P…W´ーG´。ここで点線は流通過程が中断されれていることを示し、W´とG´は、剰余価値によって増大したWとGを表わしている」(マルクス・エンゲルス全集24「資本論Ⅱ」原書頁31)。

これが資本主義における「資本の回転」の基本的なストーリーとなるものだ。

●資本の諸変態の展開と階級関係の設定

マルクスは「第一編第一節 第一段階GーW」でいう。

「GーWは、ある貨幣額がある額の諸商品に転換されることを表わしている。…このような、一般的な商品流通の過程を、同時に一つの個別資本の独立した循環のなかの機能的に規定された一つの区切りにするものは、まず第一に、この過程の形態ではなく、その素材的内容であり、貨幣と入れ替わる諸商品の独自な使用性質である。それは一方では生産手段、他方では労働力であり、商品生産の物的要因と人的要因であって、それらの特殊な性質は、もちろん、生産される物品の種類に相応していなければならない。労働力をAとし、生産手段をPmとすれば、買われる商品総額W=A+Pm」である。……つまり、GーWは、その内容から見れば、GーW(Pm+A)として表わされる(32)。

 このG―Aは、剰余価値を生産する本質的条件をなしているとマルクスは言う。

「GーAは、貨幣資本から生産資本への転化を特徴づける契機である。なぜならば、それは、貨幣形態で前貸しされた価値が現実に資本に、剰余価値を生産する価値に、転化するための本質的な条件だからである」(35)。「貨幣は、Gが貨幣資本に転化するとか経済の一般的性格が変革されるとかいうことがなくても、すでに古くからいわゆる用役の買い手として現われているのである」(36)。

 また、このG-A交換では、貨幣所有者(資本家)と労働力所有者(労働者)の原初的な階級関係が設定されている。

「GーAという行為では、貨幣所有者と労働力所有者とは、互いにただ買い手と売り手として関係し、互いに貨幣所有者と商品所有者として相対するのであり、したがってこの面から見れば互いに単なる貨幣関係ににあるだけなのであるが、ーーーそれにもかかわらず、買い手の方は、はじめから同時に生産手段の所持者として立ち現われ、その生産手段は、労働力がその所持者によって生産的に支出されるための対象的諸条件をなしているのである。言い換えれば、この生産手段は、労働力の所持者に対して他人の所有物として現われるのである。…この労働力は、買い手の資本が現実に生産資本として働くために買い手の支配下にはいらなければならないのであり、彼の資本に合体されなければならないのである。だから、資本家と賃金労働者との階級関係は、両者がGーA(労働者から見ればAーG)という行為で相対して現われる瞬間に、すでに存在しているのであり、すでに前提されているのである」(36~37)。

 こうして「G―W……P……W´ーG´・GーW……P……W´―G´・G―」という資本の循環において、「G―G」は貨幣資本の循環、「P―P」は生産資本の循環、「W´―W´」は商品資本の循環だ。この循環には、これから述べるように、生産過程とともに、生産物が商品として流通する流通資本の過程が展開されている。ブルジョアジーは剰余価値を生産するために生産している。換言すれば資本の増殖につながらないものは、生産する意味がない、それが資本主義的生産の意味だ。

●資本論第二巻と宇野弘蔵の問題意識

 宇野弘蔵(一八九七~一九七七年)は『資本論入門』(講談社学術文庫)で、次のように述べている。

 そこでマルクスは、「(資本論第二巻の)第五章、第六章で、この資本の流通にともなう特殊な問題、流通に要する期間と費用とを考察する。この点は第一巻ではほとんど問題にならなかった。したがってまた第一巻だけで資本を理解したと思っている人にはしばしば見逃されやすい重要な問題をなすのである。……資本家と資本家のあいだの関係が問題になる場合には――第三巻ではその点が考察されるのであるが――これが重要な問題になり、資本主義社会を支配する原理として実際上は商品の価格を理解するうえからいっても、欠くことのできないものとなるなるのである」(一七五頁)。

これには「流通資本」の位置づけの問題がある。

「流通過程にある資本――生産資本にたいして流通資本というのであるが、そしてそれはのちに述べる流動資本とは異なるのであるが――それも資本としてあることを明確にし、いかなる産業においても全資本が生産過程にあって価値、したがって剰余価値を生産しつつあるものとはいえないことを明らかにしている。……生産期間と流通期間とは一様に資本が投ぜられる機関として、のちに述べる資本の回転期間に埋没されてしまうことになり、流通機関が長くなったり、短くなったりすることが、資本の価値増殖にどんな影響を及ぼすかは不明確にならざるをえない」(一七六頁)。

 ここから「流通費用」の中で、「価値」を追加するものと・しないものを分節する。

「マルクスは流通期間にたいしてとくに流通費用を考察している。そしてこの費用を(一)純粋の流通費用として、(1)売買期間、(2)簿記、(3)貨幣――もっともこの貨幣の費用は個々の資本にとっての費用ではなく、資本全体にとっての費用をなすのであるが――をあげている。そしてこの純粋の流通費用が、(二)保管の費用、(三)運輸費用とそれぞれことなった性質を有していることを明らかにする」(一七六~一七七頁)。

「第一の純粋の流通費用が商品の使用価値に変化を加えない点で何らの価値をも追加しないのにたいして、第二の保管の費用は、商品の使用価値にたいして消極的ではあるが、これを保存するという点から社会的に必要とせられるかぎりでは――したがってたんに思惑からの保有はそうはならないが――価値を追加するものとし、第三の運輸も使用価値を実現するために必要なるかぎりで、価値の追加をなすものとする――ふつう、商品の売買にともなう運搬は商業自身の内にもおこなわれ、それと混同せられるが理論的には区別せられなければならない――のである」(一七七頁)ということになる。

 以上この「保管費」と「運輸費」を、マルクスの「資本論第二巻」で、以下確認しておこう。

●「第六章流通費第二節 保管費」について

まず、上の文章での「保管の費用」だ。

「この流通費は、生産過程から生じるものであって、ただこの生産過程が流通のなかでのみ続行され、したがってその生産的な性格が流通形態によって覆い隠されているだけである。…個別資本家にとっては価値形成的に作用することができ、彼の商品の販売価格への付加分をなすことができるのである。……価値をつけ加える労働はすべて剰余価値をもつけ加えることができる。そして資本主義的基礎の上ではつねに剰余価値をつけ加えるであろう。……だから、商品に使用価値をつけ加えることなしに商品の価格を高くする諸費用、したがって社会にとっては生産の空費に属する諸費用が、個別資本家にとっては致富の源泉になることができるのである」(一三八~一三九頁)。

「生産物在庫の社会的形態がどうであろうと、その保管には費用が必要である。……そこで問題になるのは、このような費用はどの程度まで商品の価値んはいるのかということである。……商品在庫なしには商品流通はあり得ない。…商品在庫は、与えられたある期間にわたって需要の大きさにたいして十分であるためには、ある程度の大きなをもっていなければならない。……商品の停滞は商品の販売の必然的な条件とみなされるのである。さらにまた、その大きさは、中位の売れ行きよりm、また中位の需要の大きさよりも、大きくなければならない。そうでなければ、この大きさを越える需要を生み出すことはできないであろう。……在庫形成の費用は、(1)生産物量の量的減少(たとえば穀粉在庫の場合)、(2)品質の損傷、(3)在庫の維持に必要な対象化されている労働と生きている労働都から成っている」(一四六~一五〇頁)というのが、基本的な理解ということになる。

●「第六章第三節 運輸費」にいつて

ここは、運輸労働による「価値付加」という文脈が、重要である。

「生産物の量はその運輸によってふえはしない。また、運輸によってひき起こされるかもしれない生産物の自然的性質の変化も、ある種の例外を除けば、もくろまれた有効効果ではなく、やむをえない害悪である。しかし、物の使用価値はただその消費によってのみ実現されるものであって、その消費のためには物の場所の変換、したがって運輸業の追加生産過程が必要になることもありうる。だから、運輸業に投ぜられる生産資本は、一部は運輸手段からの価値移転によって、一部は運輸労働による価値付加によって、運送される生産物に価値をつけ加えるのである。このような運輸労働による価値付加は、すべての資本主義的生産でそうであるように、労賃の補填と剰余価値とに分かれるのである」(一五一頁)。

こうした、剰余価値の自己増殖を含む資本の運動が、では、どのような構成・機制によって、また、価値観(資本主義の通用的真理)によって展開しているのか、その経済過程を見ていこう。

【第三節】資本の現実の運動構造を分析する――「第二編 資本の回転」 

●「周期的な」循環期間としての回転数

 資本主義における利潤の創造・価値増殖では、とりわけ、「資本の回転」数ということが重要だ。たとえば、コロナ・パンデミックなどでの、時短営業にはじまり、感染拡大・クラスター発生などでの職場休業や工場労働の短縮などの影響などは、こうした「資本の回転」にマイナスの結果をもたらしている。

マルクスは論じている。

「資本の循環が個々別々な過程としてではなく周期的な過程として規定されるとき、それは資本の回転と呼ばれる。この回転の期間は、資本の生産期間と流通期間の合計によって与えられている。この総期間は資本の回転期間をなしている。したがって、それは、総資本価値の一循環周期と次の循環周期とのあいだの間隔を表わしている。それは、資本の生活過程における周期性を、または、そう言いたければ、同じ資本価値の増殖過程または生産過程の更新、反復の時間を表わしている。……一労働日が労働力の機能の自然的な度量単位になっているように、一年は過程を進行しつつある資本の回転の自然的な度量単位になっている。この度量単位の自然的基礎は、資本主義的生産の母国である温帯のもっとも重要な土地果実が一年ごとの生産物だということにある。

 回転期間の度量単位をUとし、ある一定の資本の回転期間をùとし、その回転数をnとすれば、n=ù/Uである。たとえば回転期間ùが三か月ならば、n=3/12=4である。この資本は、一年に四つの回転をおこなう。……ùが18か月ならば、n=18/12=3/2であり、言い換えれば、この資本は、一年にその回転期間の三分の二だけを終える。……資本家にとっては、彼の資本の回転期間は、自分の資本を価値増殖して元の姿で回収するためにそれを前貸ししておかなければならない期間である」(156~157)と。

●「不変資本」の意味

そこで、「資本の回転」のなかで、価値を生む(可変資本)のではなく、価値をただ生産物に転化していくだけの不変資本が考察される。

「不変資本の一部分は、不変資本が生産過程にはいるときの一定の使用形態を、その不変資本の協力によって形成された生産物に対して、元のまま保持している。すなわち、それは、長短の期間にわたって、絶えず繰り返される労働過程で、絶えず繰り返し同じ機能を行うのである。たとえば、作業用の建物や機械など、要するにわれわれが労働手段という名前のもとに総括するものは、すべてそういうものである。不変資本のこの部分は、それ自身の使用価値とともにそれ自身の交換価値を失うのに比例して、生産物に価値を引き渡す」(158)。

●「不変ー固定資本」としての労働手段・機械などと「不変ー流動資本」としての生産物の原料など素材的成分

さらに、不変資本は「固定資本」と「流動資本」に分節される。

 「資本価値のうちこのように労働手段に固定されている部分も、やはり流通するのであって、このことは他のどの部分とも変わらない。……しかし、ここで考察される資本部分の流通は独特なものである。第一に、この部分はその使用価値で流通するのではなく、ただその価値だけが流通するのであり、しかも、それがこの資本部分から商品として流通する生産物に移って行くのにつれてだんだん少しづつ流通するのである。労働手段が機能する全期間にわたってその価値の一部分は常に固定されており、それの助力によって生産される商品にたいして独立に固定されている。この特性によって、不変資本のこの部分は、固定資本という形態を受け取る。これに反して、生産過程で前貸しされている資本の他のすべての素材的成分は、この固定資本にたいして、流動資本を形成するのである」(159)。

マルクスは、固定資本と流動資本の分節が生産資本の回転の特徴をなすと論じる。そして、「労働手段の価値」は、その一部は、生産過程に縛りつけられたままであり、一部は、貨幣となってこの形態から離れると論じている。コロナ禍では、生産・流通の縮小が、連鎖的にさまざまな業種をっまきこみ、いろいろな生産システムの稼働が縮小した結果、「貨幣となってこの形態からはなれる」価値が減少したことになる。 

「固定資本の独特な流通からは独特な回転が生ずる。固定資本がその現物形態の消耗によって失う価値部分は、生産物の価値部分として流通する。生産物はその流通によって商品から貨幣に転化する。したがってまた、労働手段の価値のうち生産物によって流通させられる部分も貨幣に転化し、しかもその価値は、この労働手段が生産過程での価値の担い手でなくなって行くのと同じ割合で、流通過程から貨幣になってしたたり落ちてくる。だから労働手段の価値は今では二重の存在をもつことになる。その一部分は、生産過程に属するその使用形態または現物形態に縛りつけられたままであり、もう一つの部分は貨幣となってこの形態から離れる……この点に、生産資本のこの要素の回転の特徴が表れている」(163~164)ということになる。

●「固定資本」の「価値」の特徴

 そうしたあり様を、マルクスは簡単な事例で説明している。

 「かりに10000ポンドという価値のある機会の機能期間が10年だとすれば、この機械のために最初に前貸しされた価値の回転期間は10年である。この期間が過ぎるまではこの機械は更新される必要はなく、その現物形態で作用を続ける。その間にこの機械の価値は、引き続きこの機械で生産される商品の価値部分として少しづつ流通し、こうしてだんだん貨幣に転換して行き、最後に10年間の終わりにはその価値が全部貨幣に展開してさらに貨幣から機会に再転化し、こうしてその転回をすませたことになる。この再生産期間が始まるまでは、機械の価値は、だんだんに、さしあたりは準備金の形で(減価償却基金――引用者)、蓄積されていくのである」(164)と。

●「可変ー流動資本」としての「労働力」と「不変ー流動資本」としての固定資本を形成しない原料など成分的「生産手段」

 このような生産資本の様態を前提として、生産資本の中での、可変資本と不変資本の要素の分節がのべられる。

「生産資本のうちの他の要素は、一部分は、補助材料や原料の形で存在する不変資本要素から成っており、一部分は、労働力に投ぜられた可変資本から成っている」(164)。

剰余価値の実際の生産過程での創造の場面があきらかとなる。 

「労働力は労働過程によって自分の価値の等価を生産物に加える。言い換えれば、自分の価値を現実に再生産する。……生産資本のうち労働力に投ぜられる可変的な成分について言えば、労働力は一定の時間を限って買われる。資本家が労働力を買って生産過程に合体させてしまえば、それは彼の資本の一成分をなしており、しかもその可変的な成分をなしている。それは毎日ある時間働いて、そのあいだにただその日価値の全部を生産物につけ加えるだけでなく、さらにそれを越える剰余価値をもつけ加える」(165)。

 「生産資本のうち労働力に前貸しされた部分は、その全体が生産物に移り(ここでは引き続き剰余価値は無視する)、流通部面に属する2つの変態を生産物といっしょに通り、そして不断の更新によって常に生産過程にがったいされている。…すなわち価値形成に関しては、労働力と固定資本を形成しない不変資本成分との間にどんな相違があろうとも、労働力の価値のこのような回転の仕方は、固定資本に対立して、労働力とこの不変資本部分とに共通なものである」(165)。

 ここで流通資本ではない「流動資本」の概念が導き出される。 

「生産資本のこれらの部分――生産資本価値のうち労働力に投ぜられた部分と固定資本を形成しない生産手段に投ぜられた部分と――は、このような、それらに共通な回転の性格によって、固定資本にたいして流動資本として相対するのである」(165)。

 そしてマルクスは、「資本の回転」においては「形態」が重要であること、たとえば、資本家が買うものは、「労働者の生活手段ではなく、労働者の労働力そのもの」だということを、以下のように、強調する。この労働力の労働生産過程での、「資本の労働に対する処分権」として、剰余価値の増殖がおこなわれる。そして生産の短縮・縮小は、資本家が剰余価値の創造を保守しながら、労働者の賃金を抑止し、労働者を解雇するなどの失業の多発化ウィ生み出してゆく過程をつくる。そのような労働者に対する抑圧を、資本家が容易にできる仕組みが「非正規雇用」という形態だ。

 資本家が労働者に支払う貨幣は「実際にはただ労働者の必要生活手段の一般的な等価形態でしかない。そのかぎりでは、可変資本は素材的には生活手段からなっている。しかし、ここでは、回転の考察では、問題は形態である。資本家が買うものは、労働者の生活手段ではなく、労働者の労働力そのものである。…流動資本――労働力及び生産手段の形での――の価値が前貸しされているのは、ただ、固定資本の大きさによって与えられている生産の規模に応じて、生産物が完成される期間だけのことである」(166)。

●「固定資本」の諸成分・補填・修理・蓄積の問題

 マルクスは、流動資本の解説ののち、他方での「固定資本」の中でのいろいろな要素について論じていく。

 「同じ資本投下でも、固定資本の個々の諸要素は、それぞれ違った寿命をもっており、したがってまた違った回転期間をもっている。たとえば鉄道の場合には、軌条、枕木、駅の建物、橋、トンネル、機関車、車両は、それぞれ違った機能期間と再生産期間をもっており、したがって、それらのために前貸しされた資本もそれぞれ違った回転期間をもっている。建物、プラットホーム、貯水槽、陸橋、トンネル、切り通し、築堤など、簡単に言えばイギリスの鉄道でworks  of  art (工作物)と呼ばれるものは、すべて長い年月にわたって更新を必要としない。消耗品のもっとも主要なものは鉄道と車両(rolling  stock)である」(169)。

固定資本の「手入れ」の問題は、固定資本の維持のため、特に注意を要するものだ。

「固定資本はその手入れのために積極的な労働投下をも必要とする。機械はときどき掃除しなければならない。ここにいうのは、それなしでは機械が使用不能になるような追加労働であり、生活家庭と不可分な有害な自然的影響の単なる防止であり、つまり、最も文字通りの意味で作業可能状態に維持することである。固定資本の平均寿命は、言うまでもなく、その固定資本がその期間中正常に機能しうるための諸条件が満たされるものとして計算されるのであって、ちょうど、人間が平均して30年生きるという場合には、人間が入浴することも想定されているようなものである。また、ここに言うのは、機械に含まれている労働の補填でもなく、機械の使用のために必要になる追加労働である。それは、機械が行う労働ではなく、機械に加えられる労働であって、この労働では機械は生産能因ではなく原料である。この労働に投ぜられる資本は、生産物の源泉になる本来の労働過程にはいるのではないが、流動資本に属する。この労働は生産が行われるあいだ絶えず支出されなければならず、したがってその価値も絶えず生産物の価値によって補填されなければならない」(174)。

この固定資本の維持のための労働と財源だが。

「この労働に投ぜられる資本は、流動資本のうちの、一般的な雑費の支弁にあてられて年間の平均計算によって価値生産物に割り当てられるべき部分に、属する」(174)。

「本来の工業ではこの掃除労働は労働者たちによって休息時間中に無償でおこなわれるのであって、それだからこそまたしばしば生産過程そのもので行われ、そこではこの労働がたいていの災害の根源になるのである。この労働は生産物の価格では計算に入らない。そのかぎりでは、消費者はこの労働を無償で受け取るのである。他方、資本家はこうして自分の機械の維持費をただですますことになる。労働者が自分自身で支払うのであって、このことは資本の自己維持の神秘の一つをなしているのであるが、このような自己維持の神秘は、事実からすれば、機械に対する労働者の法律的要求権を形成して労働者をブルジョア的な法的見地からさえも機械の共同所有者にするのである。とはいえ、たとえば機関車の場合のように、機械を掃除するためにはそれを生産過程から引き離すことが必要であり、したがって掃除が知らぬまにすんでしまうことができないようないろいろな生産部門では、この維持労働は経営費のなかに数えられ、したがって流動資本の要素として数えられる。機関車は、せいぜい三日も仕事をすれば、車庫に入れられて掃除されなければならない」(174)。

それは現在器具の「補填」と「生産規模の拡大」との兼ね合いの問題でもある。 

「実際には補填のために必要な資本のごくわずかな部分が準備金になっているだけである。最も重要な部分は生産規模そのものの拡大にあるのであって、この拡大は、一部は現実の拡張であり、一部は固定資本生産部門の正常な範囲に属するものである。たとえば、機械製造工場は、その顧客の工場が年々拡張されるということ、またいつでもそれらの工場の一部分が全体的かまたは部分的な再生産を必要とすることに備えているのである」。

同じ生産器具でも、消耗した部分を修理するかどうかは、あるいは、どのように修理するかは、資本家・生産管理者の判断によって違う。 

「消耗が、また修理費が、社会的平均によって規定されるとすれば、そこには必然的に非常な不均等が生ずるのであって、同じ生産部門の中で同じ大きさをもちその他の点でも同じ事情のもとにある諸投資のあいだでさえもそうなるのである。実際には、機械などは、ある資本家にとっては返金寿命以上に長もちするが、他の資本家のもとではそれほど長くはもたない。一方の修理費は平均よりも高く、他方のそれは平均よりも低い、等々」(178)。

マルクスは、つぎのように、これらの問題を整理している。 

「われわれが見たように、固定資本の消耗補填分として還流するかなり大きな部分が、毎年、またはもっと短い期間にさえ、固定資本の現物形態に再転化させられるのであるが、それでもなお各個の資本家にとっては、固定資本のうち数年後にはじめて一度にその再生産期に達してそときすっかり取り替えられなければならない部分のために、償却基金が必要である。固定資本のかなり大きな構成部分は、その性質上、一部分ずつの再生産を排除する。そのほかにも、減価した現品に新品が比較的短い間隔でつけ加えられるという仕方で再生産がい部分ずつ行われる場合には、このような補填が行われうる前に、生産部門の独自な性質に応じてあらかじめ大なり小なりの規模の貨幣蓄積が必要である。そのためにはどんな任意の貨幣額でも足りるのではなく、ある一定の大きさの貨幣額が必要なのである」(181~182)。

ここに「蓄蔵貨幣」と「信用制度」の課題があらわれる。 

「この償却基金によって、流通貨幣の一部は、前に固定資本を購入したときに自分の蓄蔵貨幣を流通手段の転化させて手放したその同じ資本家の手のなかで、再び――長短の期間――蓄蔵貨幣を形成する。それは、社会に存在する蓄蔵貨幣の絶えず変動する部分であって、この蓄蔵貨幣は交互に流通手段として機能してはまた再び蓄蔵貨幣として流通貨幣量から分離されるのである。大工業と資本主義的生産との発展に必然的に並行する信用制度の発展につれて、この貨幣は蓄蔵貨幣としてではなく資本として機能するのであるが、しかしその所有者の手のなかでではなく、その利用をまかされた別の資本家たちの手のなかで機能するのである」(182)。

●前貸資本の総回転――「恐慌はいつでも大きな投資の出発点をなしている」

ここで、恐慌の問題がでてくる。それは、「恐慌→革命」という物語ではなく、宇野弘蔵が『経済学方法論』などで論じたように、<新たな資本蓄積の形を創造する>という話だ。

「資本主義的生産様式の発展につれて充用される固定資本の価値量と寿命とが増大するのと同じ度合いで、産業の生命も各個の投資における産業資本の生命も、多年にわたるものに、たとえば平均して一〇年というようなものに、なるのである。一方で固定資本の発達がこの生命を延長するとすれば、他方では、同様に資本主義的生産様式の発展につれて絶えず進展する生産手段の不断の変革によって、この生命が短縮されるのである。したがってまた、資本主義的生産様式の発展につれて、生産手段の変化も、それが肉体的に生命を終わるよりもずっと前から無形の消耗のために絶えず補填される必要も、増大する。大工業の最も決定的な諸部門については、その生命環境は今日では平均して一〇年の周期を持つものと推定してよい。とはいえ、ここでは特定の年数が問題なのではない。ただ次のことだけは明らかである。このようないくもの転回を含んでいて多年にわたる循環に、資本はその固定的成分によって縛りつけられているのであるが、このような循環によって、周期的な恐慌の一つの物質的基礎が生ずるのであって、この循環のなかで事業は不振、中位の状況、過度の繁忙、恐慌という継起する諸時期を通るのである。……とはいえ、恐慌はいつでも大きな投資の出発点をなしている。したがってまた――社会全体としてみれば――多かれ少なかれ次の回転循環のための一つの新たな物質的基礎をなすのである」(185~186)。

 「コロナ恐慌」が、新たなビジネス・モデルを作り出すといわれているのも、こういう事情に拠っていることだろう。

 たとえば、都内の大手ホテルでは、格安の長期滞在型のホテル生活プランが、人気を呼んでいる。これまでコロナ禍で「キャンセル」続出だった、高価で短期な一泊何万円もするような部屋を、たとえば料金を半額にして設定し、一か月やそれ以上の長期宿泊ができるプランへと変更した。その結果、予約がでてきたというものだ。オンライン・テレワーク生活の定着ができている人々のオフィス生活。混雑な密集空間を避ける。家庭内感染をふせぐため家族と離れて生活する、それは例えば、子供が受験のため、子供に感染させないように、会社勤めの親御さんがホテル住まいをする等々である。また、クルーズ船生活代わりのホテル生活として、数か月部屋を借りるなどだ。お金がまわっていく。

 また、売り上げが伸び、単価はこれまでよりも、低額なものの、確実に売り上げがみこまれてきたことから、従業員の給与も安定して支払うことができるというのが経営者の声としてあるという。

 もちろん、こうしたことはお金がある人たちにしかできないことだが。それが資本主義の現実であり、コロナが格差社会をあぶりだしているといわれる一端だろう。

●「労働期間」の問題――恐慌など生産過程の攪乱による中断など

 マルクスは、労働時間を定義するとともに、生産の中断、一連の生産行為の中断などでの、労働期間の問題を言っている。

「われわれが労働日というときには、労働者が自分の労働力を毎日支出しなければならない労働時間……を意味する。これに対して労働期間と言う場合には、一定の事業部門で一つの完成生産物を供給するために必要な相関連する労働日の数を意味する。……それゆえ、社会的生産過程の中断や攪乱、たとえば恐慌によるそれが分離性の労働生産物に与える影響と、その生産にかなり長い関連した一期間を必要とする労働生産物に与える影響とは、非常に違うのである。一方の場合には、一定量の糸や石炭などの毎日の生産に、明日は糸や石炭などの新しい生産が続かなくなる。ところが、船や建物や鉄道などではそうではない。労働が中断されるだけではなく、一つの関連した生産行為が中断されるのである。仕事が続行されなければ、すでにその生産に消費された生産手段や労働はむだに支出されたことになる。仕事は再開されるとしても、中断期間中は絶えず質の悪化が進行しているのである」(233)。

●地域開発を想定した資本主義時代の「開発」の様相

 さらに以下のような資本主義時代と、その前の時代での、労働時間の回転の相違をとりあげている。

 「資本主義的生産の未発達な段階では、長い労働期間を必要とするためにかなり長期間にわたって大きな資本投下を必要とする諸企業は、ことにそれが大規模にしか実行できない場合には、決して資本主義的には経営されない。たとえば共同体や国家の費用による……道路や運河などの場合である。あるいはまた、その生産に比較的長い労働期間の必要な生産物は、ごくわずかな部分だけが資本家自身の資力によってつくられる。たとえば、家屋の建築の場合には、家屋を建てさせる個人は建築業者に前貸金一部ずつ支払って行く。だから、この人は実際には家屋の生産過程が進行するにつれて少しづつ家屋の代金を支払って行くわけである。ところが、発展した資本主義時代には、一方では大量の資本が個々人の手のなかに集積されており、他方では個別資本家と並んで結合資本家(株式会社)が現れていて同時に信用制度も発達しているのであるが、このような時代には、資本家的建築業者は個々の私人の注文でもはや例外的にしか建築をしない。彼は立ち並ぶ家屋や市区を市場めあてに建設することを商売にする。それは、ちょうど個々の資本家が請負業者として鉄道を建設することを商売にするようなものである」(236)。

●協業・機械などでの「労働期間」の短縮

 マルクスは協業や分業や機械の質が資本の回転を短縮してゆく。これは固定資本の増大と結びついてるし、このことが個々の資本家企業での資本の集積の規模を決定づけると展開する。

「協業や分業や機械の充用は、同時にまた、関連した生産行為の労働期間を短縮する。たとえば機械は家や橋などの建設期間を短縮する。造船の改良は、速度を増すことによって、海運に投下された資本の回転期間を短縮する。……労働期間を短縮し、したがってまた流動資本が前貸しされていなければならない期間を短縮する諸改良は、たいていは固定資本の投下の増大と結びついている……それゆえ、たいていは、この短縮された期間に前貸しされる資本の増大と結びつけられており、したがって、前貸期間が短くなるにつれて資本の前貸しされるされる量がおおきくなるのであるが、――しうだとすれば、ここでは次のことに注意しておかなければならない。すなわち、社会的資本の現在量を別とすれば、問題は、生産手段や生活手段はそれらにたいする処分力がどの程度に分散しているか、または個々の資本家の手のなかにまとめらているか、つまり資本の集積がすでにどれほどの規模に達しているか、に帰着するということである。信用が一人の手のなかでの資本の集積を媒介し、促進し、増進するかぎり、それは労働時間に短縮を助け、したがってまた回転期間の短縮を助けるのである」(238)。

だが「特定の自然条件によって定められている生産部門では、前述のような手段による短縮が行われることはできない」(238)。

 ここで、資本の回転(量)に対する、固定資本と流動資本との機能の違いが指摘されている。 

「機械は、その損耗の補填分貨幣形態で還流するのが遅かろうと速かろうと、引き続き生産過程で働いている。流動資本はそうではない。労働期間の長さに比例して資本が資本がより長い期間固定されていなければならないだけではなく、また、絶えず新たな資本が労賃や原料や補助材料として前貸しされなければならない。それゆえ、還流がおそくなることは固定資本と流動資本とに別々の作用をするのである。還流がおそかろうと速かろうと、固定資本は働き続ける。これに反して、流動資本は、まだ売れていない生産物または未完成でまだ売ることができない生産物の形態に固着しているならば、そしてそれを現物で更新するための追加資本もないならば、還流の遅延によって機能できなくなるのである」(239)。

●「生産期間」の問題――とりわけ長い生産期間について

 マルクスは「ぶどう液」を例にとり、ある生産物の生産における個々の自然過程での時間が必要な「労働過程」の停止と「生産期間」の継続との間の関係を解き明かしている。

「資本が生産過程にあるすべての期間が必ず労働期間であるとはかぎらない。ここで問題にするのは、労働力そのものの自然的制限によってひき起こされる労働過程の中断ではない。……労働過程の長さにかかわりのない、生産物とその生産との性質そのものによってひき起こされる中断であって、その間労働対象は長短の期間にわたる自然過程のもとに置かれていて、物理的、化学的、生理的諸変化を経なければならないのであり、そのあいだ労働過程はその全体または一部分が停止されているのである」(241)。

「たとえば、絞られたぶどう液は、一定の完成度に達するためには、まずしばらく醗酵状態を経てからまたしばらく放置されなければならない。製陶業のように生産物が乾燥の過程を経なければならない産業部門や、漂白業のように生産物がその化学的性状を変えるためにある種の状態にさらしておかなければならない産業部門も多い」(241)。

 労働期間をこえる生産期間という問題が、どのような労働者の状態を結果しているか、マルクスは次のように言う。 

「労働期間を越える生産期間が、穀物の成熟やオークの成長などのように永久的に与えられている自然法則によって規定されているのでないかぎり、回転期間が生産期間の人為的短縮によって多かれ少なかれ短縮されうることも多い。たとえば、屋外漂白に代わる化学的漂白の採用によって、あるいは感想過程でのいっそう有効な乾燥装置によって」(242)。

 「ここでわかるのは、生産期間とそおの一部分でしかない労働期間との不一致が農業と農村の副業との結合の自然的基礎をなしているということ、他方、この副業がまた、最初はまず商人としてはいりこんでくる資本家にとっての手がかりになるということである。その後、資本主義的生産が工業と農業の分離を完成するようになると、ますます農業労働者はただ偶然的でしかない副業にたよることとなり、こうして農業労働者の状態はますます悪くなってくる」(244)。

長い生産期間(また、回転期間)は、その生産分野を、「不利な生産部門」にする。 

「長い生産期間(それは相対的に小さな範囲の労働期間しか含んでいない)、したがって長い回転期間は、造林を不利な私経営部門にし、したがってまた不利な資本主義的経営部門にする。……これに比べれば、耕作や産業が逆に森林の維持や生産のためにやってきたいっさいのことは、全く消えてなくなるような大きさのものである。……つまり、一〇年から四〇年以上に一回の回転なのである」(247)。

●「生産期間」と「労働期間」の差

 マルクスは、いろいろな生産期間のあり様を次のようにまとめている。

「生産期間と労働期間との差は、われわれが見てきたように、非常にさまざまでありうる。流動資本は、本来の労働過程にはいる前に、生産期間にはいっていることがありうる(靴型製造)。または、本来の労働過程をすませてからも生産期間にあることがある(ぶどう酒、穀物の種子)。または、生産期間のところどころに労働期間がはさまることがある(耕作、造林)。流通可能な生産物の大きな一部分は現実の生産過程に合体されたままになっていて、それよりもずっと小さい部分が年々の流通にはいっていく場合もある(造林、畜産)。流動資本が潜勢的な生産資本の形態で投下されなければならない期間の長短、したがってまたこの資本が一度に投下されなければならない量の大小は、生産過程の種類から生ずることもあり(農業)、市場の遠近など、要するに流通部面に属する諸事情にかかっていることもある」(249)。

 「以前に考察した回転期間は、生産過程に前貸しされた固定資本の維持によって与えられている。この回転期間は多かれ少なかれ何年かにわたるものだから、それはまた固定資本の年々の回転のいくつかを、または一年のうちに繰り返される回転のいくつかを含んでいるのである」(249)。

●「流通期間――販売期間」

 資本の回転期間は資本の生産期間と流通期間の合計に等しい。ここに流通期間の合理化、技術的刷新という問題が現れる。 

「資本の回転期間は資本の生産期間と流通期間との合計に等しい。それゆえ流通期間の長さの相違は回転期間を相違させ、したがってまた回転周期の長さを相違させるということは自明である。……流通期間の一部分――そしてそして相対的に最も決定的な一部分――は、販売期間、すなわち資本が商品資本の状態にある期間から成っている。この期間の相対的なな長さにしたがって、流通期間が、したがってまた回転期間一般が、長くなったり短くなったりする。保管費などのために資本の追加投下が必要になることもある。はじめからあきらかなことであるが、できあがった商品を売るために必要な時間は、同じ事業部門のなかでも個々の資本家にとっては非常に違っていることもありうる」(251)。

ことに市場と生産地の移動期間の問題がある。

 「販売期間を相違させ、したがってまた回転期間一般を相違させることにつねに作用する一原因は、商品が売られる市場がその商品の生産地から遠く離れているということである。……運輸交通機関の改良は、商品の移動期間を絶対的には短縮するが、この移動から生ずるところの、いろいろな商品資本の、または同じ商品資本のなかでも別々の市場に行くいろいろな部分の、流通期間の相対的な差を解消しはしない」(252)。

●「生産地と販売地」の変動

生産地と販売地の集積やその変化は、地方の在り方を変える。

「一方では、ある生産地がより多く生産するようになり、より大きな生産中心地となるにつれて、まず第一に運輸機関の機能する頻度、たとえば鉄道の列車数が増加して、その増加は既存の販売市場への方向に、つまり大きな生産中心地や人口集中地や輸出港などに向かって行われる。しかし、他方では、これとは反対に、このように交通が特別に容易であることや、それによって資本の回転が(流通期間によって制約される限り)進められることは、一面では生産中心地の集積を促進し、他面ではその市場地の集積を促進する。このように与えられた地点での人口と資本量との集積が促進されるにつれて、少数の手のなかでのこの資本量の集積が進行する。同時に、交通機関の変化につれて生産地や市場地の相対的な位置が変化することによって、再び変転や移動が生ずる。かつてはその位置が国道や運河に沿っていることによって特別に有 利な位置を占めていた生産地が、今では、相対的に大きな間隔をおいて運転されるだけのただ一本の支線に沿っているのに、他方、主要交通路からまったく離れておた別の地点が今では何本もの鉄道の交差点にあたっている。あとのほうの地方は盛んになり、前の方の地方は衰える」(253)。

運輸交通機関の発達は、世界市場のための前提だ。 

「一方では、資本主義的生産の進歩につれて運輸交通機関の発達が与えられた量の商品の流通期間を短縮するとすれば、この同じ進歩と、運輸交通機関の発達とともに与えられた可能性とは、――逆に、ますます遠い市場のために、一言で言えば、世界市場のために、仕事をする必要をひき起こすのである。……それと同時に、社会的富のうちの、直接的生産手段として役立つのではなく運輸交通機関に投ぜられる部分、また運輸交通機関の経営に必要な固定資本と流動資本との投ぜられる部分も、増大する」(254)。

「生産地から販売地への商品の旅行の相対的な長さだけでも、流通期間の第一の部分である販売期間の相違をひき起こすだけではなく、第二の部分、すなわち貨幣が生産資本の諸要素に再転化する購買期間の相違をもひき起こす」(254)。

●購買期間

購買期間とは、貨幣が再び生産資本の諸要素に転化する期間である。一言で言うと仕入れの期間だ。ここで資本の回転は、生産資本の循環の初めに戻る。

「流通期間の第二の時期である。それは購買期間、すなわち資本が貨幣形態から生産資本の諸要素に再転化する期間である。この期間には資本は長短の時間貨幣資本の状態にとどまっていなければならない。……商品の買い入れに関しては、購買期間があるために、また原料の主要仕入地から多少とも遠く離れているために、かなり長い期間のための原料を買い入れて生産用在庫すなわち潜在的または潜勢的な生産資本の形態で準備しておくことが必要になる。……比較的大量の原料が市場に放出される周期――長短の――も、いろいろな事業部門で同様に作用する。たとえば、ロンドンでは三か月ごとに羊毛の大競売が行なわれて、それが羊毛市場を支配する。他方、綿花市場の方は、収穫期から収穫期までだいたい連続的に、といっても必ずしも一様にではないが、更新される。このような周期は、これらの原料の主要な買い入れ時期を決定し、ことにまた、これらの生産要素のための長短の前貸を伴う思惑的な買い入れにも影響する」(257)。

コロナ・パンデミックに例をとるならば、こうした、購買期間においても、コロナ禍における、従業員・技術者などでのクラスターなどでの生産の停滞など、世界的な経済・物流の混乱が起きている。それは、海外での中間財の本国への物流の遅延など、さまざまな分野が影響し合い、まさに「コロナ恐慌」と呼ばれる現実を作り出しているのだ。

【第四節】資本の再生産の機制――資本論第二巻第三篇「社会的総資本の再生産と流通」

●「社会的総資本の再生産」についての考え方と再生産表式の位置づけ

ここで、資本主義的再生産の問題に入ろう。ここでは、資本の諸変態の分析と剰余価値の産出の機制とセットで、「資本主義的再生産」の仕組みを確認することが必要だ。「第18章緒論 第一節 研究の対象」というところで、マルクスは次のようにのべている。

そこではこの研究の位置づけが問題となっている。

「社会的資本の運動は、それの独立化された諸断片の諸運動の総体すなわち個別的諸資本の諸回転の総体からなっている。個々の商品の変態が商品世界の諸変態の列――商品流通――の一環であるように、個別資本の変態、その回転は、社会的資本の循環のなかの一環なのである。この総過程は、生産的消費(直接的生産過程)とそれを媒介する形態変化(素材的に見れば交換)とを含むとともに、個人的消費とそれを媒介する形態変化又は交換とを含んでいる」(352)。

どういうことか。

「それは、一方では、労働力への可変資本の転換を、したがって資本主義的生産過程への労働力の合体を含んでいる。ここでは、労働者は自分の商品である労働力の売り手として現われ、資本家はその買い手として現われる。しかし、他方、商品の販売のうちには労働者階級による商品の購買、つまりこの階級の個人的消費が含まれている。ここでは、労働者階級は買い手として現われ、資本家は労働者への商品の売り手として現われる。商品資本の流通は剰余価値の流通を含んでおり、したがってまた、資本家が自分の個人的消費すなわち剰余価値の消費を媒介するところの売買をも含んでいる」(352)。

かかる「個別的諸資本の循環は、互いにからみ合い、互いに前提し合い、互いに条件をなし合っているのであって、まさにこのからみ合いのなかで社会的総資本の運動を形成するのである。……社会的総資本の循環は、個別資本の循環にははいらない商品流通、すなわち資本を形成しない商品の流通をも含んでいるのである。そこで、……社会的総資本の構成部分としての個別的諸資本の流通過程(その総体において再生産過程の形成をなすもの)が、したがってこの社会的総資本の流通過程が、考察されなければならないのである」(353~354)。

●社会的生産の組織的構成――「第二一〇章 単純再生産 第二節 社会的生産の二つの部門

「社会的総生産物は、したがってまた総生産も、次のような二つの大きな部門に分かれる。

Ⅰ生産手段。生産的消費にはいるよりほかはないかまたは少なくともはいることのできる形態をもっている諸商品。

Ⅱ 消費手段。資本家階級および労働者階級の個人的消費にはいる形態をもっている諸商品。

これらの部門のそれぞれのなかで、それに属するいろいろな生産部門の全体が単一の大きな生産部門をなしている。すなわち、一方は生産手段の生産部門を、他方は消費手段の生産部門をなしている。この両生産部門のそれぞれで充用される総資本は、社会的資本の一つの特殊な大部門をなしている。

それぞれの部門で資本は次の成分に分かれる。

(1)可変資本。これは、価値から見れば、この生産部門で充用される社会的労働力の価値に等しく、したがってそれに支払われる労賃の総額に等しい。素材から見れば、それは、活動している労働力そのものから成っている。すなわち、この資本価値によって動かされる生きている労働から成っている。

(2)不変資本。すなわち、この部門での生産に充用される一切の生産手段の価値。この生産手段は、さらにまた、固定資本、うあなわち機械や工具や建物や役畜などと、流動不変資本、すなわち原料や補助材料や半製品などのような生産材料とに分かれる。

 この資本の助けによって両部門のそれぞれで生産される年間総生産物の価値は、生産中に消費され価値から見ればただ生産物に移されただけの不変資本Cを表わす価値部分と、年間総労働によってつけ加えられた価値部分とに分かれる。この後の方の価値部分はさらにまた前貸可変資本Vの補填分と、それを越えて剰余価値mを形成する超過分とに分かれる。つまり、各個の商品の価値と同じに、各部門の年間総生産物の価値もc+v+mに分かれるのである」(394~395)。

ここまでが、社会的総生産の概念的前提になることだ。ここから、単純再生産(の時の表式)、拡大再生産(の時の表式)という話になって行くのである。

●「二部門」の意味内容

 この「生産手段生産部門」と「消費手段生産部門」の二部門ということの、意味だが。「このばあい個々の具体的な産業部門が必ずどちらかに属すると考えてはならない」。たとえば「紡績業についてはそうはいえない。生産物である綿糸は織布業の原料として生産手段であるとともに、直接に生活資料となりうる。……また例えば製粉製パン過程が農業から独立の資本のもとにおかれているとすれば、原料となる小麦の多くは生産手段である」(日高晋『経済原論』、一九八三年、有斐閣選書、一二八~一二九頁)ということは、踏まえなければならない。

●単純再生産の機制

 その社会的総資本の運動の構造だが、まずは「単純再生産」の構図から見ていこう。これにつづくのは「拡大再生産」だが、基本は、単純再生産の拡張だ。

単純再生産は「Ⅰv+Ⅰm=Ⅱc」という表紙がポイントだ。生産手段生産部門の労働者階級と資本家階級は、第二部門に生産手段を売り、そのことによって、第二部門でつくられた生活資料を購入するということだ。

 ここでは、前掲・日高晋『経済原論』を援用することにする。この表式の解法では、宇野経済学のテキストのなかで、本書は出色にわかりやすいというのが、本論著者・渋谷の個人的な認識だからだ。

「総商品をその用いられる方から第一部門生産物と第二部門生産物にわけるなら、そのおののは価値のうえからそのその部門のcとvとmとをそれぞれあらわしている部分から成り立つ。

こうして総商品W´は、次のような内容を持つ。

Ⅰ=Ⅰc+Ⅰv+Ⅰm

Ⅱ=Ⅱc+Ⅱv+Ⅱm

このうち1cは生産手段であり、生産手段で補填される部分だから、第一部門の資本家同士の交換をとおして処理できる。またⅡvとⅡmはものは生活資料であって生活資料として用いられるはずのものだから、Ⅱの労働者と資本家および資本家同士の交換をとおして処理される。つまりⅠcとⅡv、Ⅱmは、その部門内で処理することができるのである。

 ところが、ⅠvとⅠmとは、ものは生産手段でありながら、生活手段で補填されなくてはならず、またⅡcは、ものは生活資料でありながら生産手段で補填されなくてはならない。そこでこの両者の価値が等しくⅠvとⅠmがⅡcにたいして交換されるとしたら、単純再生産がおこなわれるだろう。そのためには、次の等式の成立が必要だ。

Ⅰv+Ⅰm=Ⅱc

この等式の両辺にⅠcを加えるなら

Ⅰc+Ⅰv+Ⅰm=Ⅰc+Ⅱc

となり、第一部門の生産物である総生産手段は両部門の生産手段を補填することが示される。また先の式(Ⅰv+Ⅰm=Ⅱcの式――引用者・渋谷)の両辺にⅡvとⅡmとを加えるなら

Ⅰv+Ⅰm+Ⅱv+Ⅱm=Ⅱc+Ⅱv+Ⅱm

となり、両部門の資本家階級と労働者階級の生活を支える生活資料は、第二部門で補填されることが示される」(129~130頁)。

●単純再生産の例解

日高前掲で、論述されている例解もやることにしよう。

「かりに9,000億円のうち第一部門の生産物を6000億円、第二部門のそれを3000億円とする。そして両部門の資本をそれぞれ5000億円と2500億円、不変資本と可変資本の割合である資本の構成を両部門とも4対1、剰余価値率を100%とすると、

Ⅰ 6000=4000c+1000v+1000m

Ⅱ 3000=2000c+500v+500m

となる。この生産物で本年も前年と同じ規模の生産をするとすれば、第一部門の資本家は必要とする4000億円の生産手段を部門内の相互の交換で得ることができる。また第二部門の資本家は労働者のための生活資料と自分たちの使う生活資料とを、部門内の資本家相互か労働者をも交えた相互の交換で得ることができる。そこで第一部門の資本家がもつ1000v+1000mに当たる2000億円の生産手段と第二部門の資本家がもつ2000cに当たる生活資料とが交換されるとしよう、すると第一部門の資本家はその労働者の賃金の内容をなす生活資料と自分たちの生活に必要な生活資料を得ることができると同時に、第二部門の資本家は次の生産に必要な生産手段を得ることができる」。

 この場合のポイントは、第一部門の資本家は、第二部門の資本家と、資本を「交換」すると言う意味だ。それは、第一部門の資本家は、第二部門の資本家に生産手段を売った貨幣で第二部門から生活資料を得る=第一部門の資本家と労働者が第二部門から生活資料を購入する、第二部門はその売り上げで、第一部門から生産手段を購入するということだ。同時・等価の交換が成立している。

●拡大・拡張再生産の機制

次は拡大・拡張再生産の機制を見ていこう。

「拡張(拡大)再生産」のポイントは、「Ⅰv+Ⅰm>Ⅱc」である。だが、日高『原論』では、もう一つ、この『原論』にしか見られない――浅学な私の思い込みかもしれないが――表式が書かれている。「Ⅰv+Ⅰm(k)+1m(v)=Ⅱc+Ⅱm(c)」である。

この「Ⅱm(c)」というのがポイントだ。

 このことが、拡大再生産の理解を、きわめて容易なものにしていると、本論論者・渋谷は考えている。

 ここでは、考え方としては、第一部門の生産によってつくられた資本家の剰余価値を全部私的な消費にまわすのではなく、その部分を蓄積し、新たな生産に投入していくことを条件にする。それを根拠として生産手段の生産の増加を根拠とし、第二部門の資本家も生産手段をより多く第一部門より購入すべく、第二部門の資本家の剰余価値を新たな設備投資へと転換する。それにより新たな生産の規模が拡大する、ということだ。

「拡張再生産を拡張再生産たらしめるものは、剰余価値が再びしほんとして投下されることだ。……mは資本家の生活に費やされる部分と追加投資される部分とに分かれる。そして追加投資される部分は、追加的な生産手段を買う部分と追加的な労働力を買う部分とに分かれる。そして買うことができるためには、追加的な生産手段と賃金の内容となる生活資料の追加分が生産されていることが必要だ。こうして拡張再生産表式の第一歩であるW´は次のようになる。

Ⅰ=Ⅰc+Ⅰv+Ⅰm(k)+Ⅰm(c)+Ⅰm(v)

Ⅱ=Ⅱc+Ⅱv+Ⅱm(k)+Ⅱm(c)+Ⅱm(v)

両部門ともその生産物のうち剰余価値をあらわす部分は三つに分かれる。第一は資本家の生活を可能にする価値部分m(k)であり、のこりは投資されるべき価値部分なのだが、それが追加的生産手段の購入にあてられる部分m(c)と追加的労働力の購入にあてられる部分m(v)とから成り立つ。このようにmがm(k)+m(c)+m(v)とに分けられるところから、Wの運動がはじまるのである」(133~134)。

「第一部門の生産物のうちcとm(c)とは、素材は生産手段であって、しかも生産手段として用いられるべき部分なのだから、第一部門の資本家同士の交換によって処理される。同様に第二部門の生産物のうちvとm(k)とm(v)とは素材も生産資料であり、しかも生活資料に用いられる部分だから、第二部門の資本家同士さらには資本家と労働者との交換によって処理される。だから残るところは、第一部門のvとm(k)とm(v)、および第二部門のcとm(c)である。前者は素材は生産手段でありながら生活資料に換えなくてはならないし、後者は素材は生活資料でありながら生産手段に換えられなくてはならない。そこで両者がもし等価値で交換されるなら、拡張再生産が可能となるのである。すると拡張再生産の条件は、

Ⅰv+Ⅰm(k)+Ⅰm(v)=Ⅱc+Ⅱm(c)

となる。このことは、

Ⅰv+Ⅰm>Ⅱc

であることを示す。単純再生産とくらべて拡張再生産では、第一部門が相対的に大きいことが必要なのだ。こうして新しい生産は両部門ともそれぞれ、cにm(c)を加えたものが新しいcとなり、vにm(v)をくわえたものが新しいvとなって出発する」(134~135)ということだ。

―――――

●【本論全体の結語として】「再生産」とパンデミック――文明史的意味が問われている

 こうした「資本主義的再生産」の構造(秩序)といったものが、恐慌やパンデミックなどでは破壊する。だが、それは、「資本主義の資本蓄積運動」そのものが生み出している、まさに、自殺的現象なのである。

 現代の「生産力主義」の問題を踏まえて言うならば、こうした、生産手段生産部門の構造的拡大が、温暖化を生むと同時に、生活資料生産部門の拡張を生み、生活資料の大量生産・大量消費社会を結果している。まさに成長のための蓄積が価値とされ、その悪無限的増加が、社会の原則とされ、生産力の発展を第一とする考え・価値観が社会的なヘゲモニーを展開することになっている。こうした資本主義の生産力主義がグローバル化し、環境破壊を進行させ、それによって、森林伐採をはじめとする多くの自然破壊を展開するなか、ウイルスが生きていくうえで必要な宿主が生息する自然が失われると同時に、その開発された場所に人間が入り介入する、接近することによって、ウイルスが人間にとりつくことが、これまで、典型的には例えば「エボラ出血熱」などによっておこってきた。まさに資本主義自体を、どうにかする必要があるのは、この資本蓄積・生産力主義を本来的に構造化させているあり方からも、わかるだろう。コロナ・パンデミックは、まさに、かかる資本主義の生み出したものなのだ。その結果、以上のような「資本の回転」が、破壊されてしまっている。「自殺する世界資本主義」といっていいものなのである。もちろん、それによってもっとも打撃を受けているのは、本論冒頭でも指摘したように非正規雇用労働者をはじめとする労働者階級である。

 この感染症は世界資本主義という舞台のうえでその世界資本主義の人流回路とフレンドに発生し、拡大しているというのが、本論論者の認識である。

 岡田晴恵氏の『知っておきたい感染症【新版】――新型コロナと21世紀パンデミック』(ちくま新書、二〇二〇年)には、次のように書かれている。

「21世紀は、医療体制が充実し、衛生環境が行き届いている先進諸国であっても、ウイルスの危険と無縁ではいられない。むしろ、人口の過密化、高速大量輸送を背景とし、不特定多数の人々が集まっては霧散する都市の特徴が、感染症に対するリスクを飛躍的に高めている。さらに、その感染の原因の病原体は、思いも寄らない遠隔地から航空機で運ばれ、または高速道路でやってきた、新たな感染症である可能性が高い。地球の一地点で発生した感染症は、密集した人々の中で感染伝播を繰り返し変異して、さらに広域に拡散、同時多発的な大流行を引き起こす可能性がある。これが、21世紀パンデミックである」(三〇一頁)。

まさに、ドンピシャの分析だ。岡田氏が、書いたことと、まったく同じことが、現実にこの地球でまるごと、起こっている・展開している。そして、資本主義批判の主体的問題としては、こうした「資本の回転」の内容を、変革してゆく必要があるということになるだろう。◆