2026年5月23日土曜日

【連載】イラン侵略戦争とNSS(米・国家安全保障戦略)2025【第8回】米中争闘戦下、軍拡を進める日米右派・高市改憲の核心部分を検証する 渋谷要

 

 最終更新2026・05・23 04・41

【連載】イラン侵略戦争とNSS(米・国家安全保障戦略)2025 【第8回】 米中争闘戦下、軍拡を進める日米右派・高市改憲の核心部分を検証する  渋谷要

 ★※※今回から、章節のタイトル数字を、第一回から連続することは、やめにします。回ごとの章節数字とします。※「NSS(米・国家安全保障戦略)2005」の項目などは、前回以前の参照でお願いします。★

 

【はじめに・米中首脳会談(2026/5/14~15)で決まったこと】

 

米中首脳会談は5月14日~15日(2026年)の日程で、北京で開催された。中国側の発表では「建設的戦略安定関係」というものを構築してゆくことで、「合意」したとされる。決まったことと言われているものをまとめよう。

●貿易・投資分野での双方の懸念事項を議題とするため、関税問題などを話し合う貿易委員会と投資委員会を設置する。

●米中両国は一部品目の関税を引き下げることで合意したとされる(時期などは不明)。また、中国が米ボーイング社の航空機を購入する(購入機数は不透明)。その場合、アメリカは、エンジンなど部品の供給を保証する。

●米国が中国の水産物や乳製品などの輸入規制緩和を検討する⇔中国はアメリカ産牛肉の加工施設の登録拡大を推進する。

●他方、AI,半導体も輸出規制などに関しては、米中間の緊張が、確認された。例えば、合衆国政府が許可した米半導体メーカーのエヌビディアのAI向け半導体「H200」の中国企業への納入を、中南海が承認していないという事も、その一つだ。

以上のように、これらは、今回の米中首脳会談の課題の一つが、★★米中争闘戦下の現在における「ディール」(取引)の現実認識での共有化・整理★★を図るものだったことを、示すものだ。

そのうえで、政治的な課題については、二つの柱があった。

 

●一つは、イラン戦争危機の問題だ。まず、米中はイランが行使しているホルムズ海峡閉鎖に対し「ホルムズ海峡の開放」で合意したとされる。また、習近平は、米中首脳会談で、「イランに武器や軍事装備を送らないと約束した」(トランプ大統領談5月19日、[ワシントン 19日 ロイター])との報道があるが、この「約束」の信ぴょう性について、米議会の中などには疑問の声があるという。

 

●「台湾問題」では、習近平が、「米中関係では台湾問題が最も重要だ」とし、「適切に対処されなければ衝突や紛争に発展する」と、トランプに述べている。トランプ氏は、どう答えたかはわからない。だが、5月15日放送の米FOXニュースのインタビューでは「(台湾の)」独立なんかで我々が9500マイルも移動して戦争するなんて御免だ。台湾にも中国にも冷静になってもらいたい」と発言。

この発言は、米国内で、「トランプ氏が台湾への武器売却で、中国に譲歩する可能性を示唆する」という専門家の分析がでているものとなっている。まさに、【台湾有事に対し、合衆国がどう動くかを、アイマイにしておく「アイマイ戦略」】の行使である。

この戦略は、日本に対しては、2025年11月の日米首脳会談で、高市首相がトランプ氏から「あまり中国を刺激しないように」との忠告を受けたことで、実践されているものだ。◆

 

以下は「赤いエコロジスト」の分析視角だ。

2026年5月中旬におこなわれた米中首脳会談は、米中争闘戦下の冷戦的ディスクール(「相互反発・相互依存」にもとづく、互いの意図を探るような言説秩序)のはじまりを意味した。だが、それは一言で言って、これからの中南海とトランプ一派の★★【ボス交の手順などを、取り決めた】★★というものに他ならない。

 

だから、トランプは「会談は大成功、新しい時代をつくるものとなった」と言っているのだ。

 

ここで一つ言っておきたいことは、大国間の冷戦では、地域紛争、地域戦争は、互いの利害関係を調整し合うカードとなることだ。だから両者の権力者たち【にとっては】、一概に悪いこととは言えない。

だから、そうした戦争をコントロールすることが、互いに求められ、また、その方法を、実際の経験から作り上げ、高めてゆくことが、冷戦を冷戦とする「秩序」を作り出してゆくことになる。米ソ冷戦の「世界戦略地図」もこうして作り上げられたのだ。

そこでは、いろいろな、詐欺的・挑発的で・煙幕のような言説が、昔ではなく、一言で言ってこのAI時代に、情報戦争として地球を浮遊して回ることになるだろう。これからの分析は、一層難しくなる。

 

―———

【今回の位置づけ】

 そのような中、日本では、「高市辞めろ」「改憲阻止」「反戦平和」の大衆デモなどが拡大している。「赤いエコロジスト」は断固、連帯を表明します。今回は、自民党の改憲策動批判に焦点を合わせたい。―――

 

≪1≫【21世紀における自民党改憲草案の経緯(2018年「改憲4項目」と2012年改憲草案)】

●【トランプ氏「ステップアップ!」——日米首脳会談2026・3】

 

2026年3月の日米首脳会談で、トランプ大統領は、高市首相とのやり取りで「ステップアップ」という言葉を使っている。これは、「向上させる」「必要な時に役割を果たす」という意味だ。トランプ政権は、イラン侵略戦争の攻防の中で発生している、イランのホルムズ海峡封鎖を解除するため、同盟国の支援を要請した。その中で使われた言葉だ。日本は、アラスカからの米国産の原油を買うなど、さまざまな駆け引きとディールを展開してきた。

なによりも、その姿勢が、NATOより前向きだと、トランプには映っているのだろう。「NATOとは違う」と述べ、日本の高市一派の対イラン戦争政策を評価した。そして、その裏には次のようなやりとりが、あったと考える必要がある。

 

 ホルムズ海峡などへの、自衛隊の派遣についてである。

 

高市首相は、「停戦後の機雷除去などに参加する(つまり、交戦中は無理だ)」ということを、日本政府の正式の見解として表明している。が、それは「日本には憲法九条があり(交戦権否認等の規定があり)、自衛隊は、交戦中の地域には派兵・出兵できない」ということだ。それは、トランプ氏も、同意せざるを得ないだろう。だが、ポイントは、だったら「ステップアップだな」と。つまり、「自衛隊が出兵できるように、改憲しようぜ!」ということなのではないか。

 

 ということで、日米右派=高市一派の、改憲政策について、今回は、みていくことにしよう。

 

●【自民党が現在憲法調査会に提出している「改憲4項目」(「法文イメージ」といわれているもの)とは以下である。

★★★(注……これを踏まえ、これと同じ内容・ベクトルのものを、2026年5月、★「緊急事態条項」について★、衆議院憲法審査会において、衆議院法制局などが「条文形式のイメージ案」を提示した)★★★】

 

「【9条改正】 

 第9条の2

 (第1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

 (第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 (第9条全体を維持した上で、その次に追加)

 

 【緊急事態条項

 第73条の2

 (第1項)大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

 (第2項)内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

 (内閣の事務を定める第73条の次に追加)

 第64条の2

 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

 (国会の章の末尾に特例規定として追加)

 

参院選「合区」解消

 第47条

 両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。

前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

 第92条

 地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、その種類並びに組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。

 

教育の充実

 第26条

 (第1、2項は現行のまま)

 (第3項)国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。

 第89条

 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」。

 

この2018年「改憲4項目」(「この4項目の「条文イメージ」は、党の政権公約に掲げるとともに、国会の憲法審査会において議論のたたき台として提示されているとされているものだ。

 

★★【これに対し】、2012年「憲法改憲草案」は、自民党憲法改正実現本部の「資料」(ブログ)によれば、「当時の議論の総括」であり、 「党の公約や憲法審査会への提示はおこなっていない」★★とされるものである。

 

【だが】、衆議院多数派(2026年現在)の極右政権である高市一派が、改憲国民投票が実施されたとして、それを「9条への自衛隊明記」などだけで、終了するとは考えにくい。高市は、「自衛隊憲法明記」の次に――それができれば、次の「国民投票」では、ないしは、現在の「条文イメージ」の内容更新として――、以下のような、高市改憲のイデオロギー部分となる2012年「改憲草案」の発議を目指していくことになるのではないか。

 

まさに高市首相は5月3日 東京都内で開かれた憲法改正集会にビデオメッセージを送っている。そこで、「憲法は国の礎であるからこそ、時代の要請に合わせて定期的な更新が図られるべきだ」と述べているのだ(「高市首相『憲法は国の礎。時代に合わせ定期的に更新されるべき』 改憲派集会にメッセージ」。「産経新聞デジタル2026/5/3 14:54」より)。⇒「定期的更新を」ということだ。

 

【今回は、この高市改憲の核心部分を分析する】。

 

≪2≫【高市改憲論の中心命題の一つ――国家緊急権「緊急事態条項」は、明治憲法の復活だ】

 

前回第7回で確認したような、軍拡のバックボーンとなっているものが、「改憲」である。が、それは、単に、法文書き直しという問題ではなく、これから見るように高市一派の政治イデオロギーに関わるものだ。

 

つまり、彼らの改憲論法は、彼ら高市一派の、これから見るような国家主義・権力主義の言説秩序ディスクールにおいて、言われている事なのである。

 

まさに以下のような改憲イデオロギーをパラダイムとするものだ。そして以下に見るような日本右派独自のイデオロギーは、トランプのドンロー主義によれば「柔軟な現実主義」というもの――つまり、諸国それぞれの独立した国家ビジョンに対しては、「アメリカ・ファースト」の利益に抵触しない限り、例えばそれが独裁国家であったとしても、問わないというものと、なっているものだ。

 

これから述べるような、2012年自民党「憲法改正草案」での「人権」規定の国家主義的歪曲は、自民党改憲案の「緊急事態」条項の項目において、自民党が自ら明らかにしているものと、密接に結びついているものにほかならない。

 

●【2012年自民党「憲法改憲草案」における「緊急事態条項」——「国家緊急権」の憲法明記】

 

「草案」の「第九章 緊急事態(緊急事態の宣言)第九十八条」は次のようである。

「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。

3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする」。

 

このような緊急事態の定義は、「国家緊急権」と法概念化されるものであり、国家の緊急事態における国家の「自然権」とされているものである。そしてこの規定は、実は、人民が自然権として持っている「革命権・抵抗権」と、セットの関係にあると近代民主主義の自然法概念ではされているものだ。だが「草案」は、こうした「国家緊急権」は認め、人民の「抵抗権・革命権」は、認めないというシフトをとっている。

また、「内乱等による社会秩序の混乱」なども、緊急事態と規定されているように、国家体制打倒の革命に対する反革命基本法として、この「草案」が存在していることは明白である。

 

「【緊急事態】=「政令」案件の問題】

 

 ここでの「緊急事態」での「政令」発令案件は、現在、憲法審査会に自民党が提出している「法文イメージ」でも、言われていることだ。

 

つづいて、この緊急権規定を見ていこう。

「(緊急事態の宣言の効果)第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

 

2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

 

3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、<何人も>、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他<公の機関の指示に従わなければならない>。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

 

4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる」。

(※ 「緊急事態」が宣言されている限り、衆議院等の任期は、そのままとされる。これは、独裁政治の前提だろう)

 

「政府は法律と同じ効力を有する政令を制定できる」とある。後述するように、大日本帝国憲法の「緊急勅令」の復活だ。

 

「政令」は国会の審議を通さないものであって、法律と同じ効力というのは、明治憲法の天皇の緊急勅令とおなじものだ。さらに、「何人も、国その他公の機関の指示にしたがわなければならない」という国民徴用・有事動員の規定が書かれている。

 

●【大日本帝国憲法での「緊急勅令」……天皇大権による「政令」】

 

伊藤博文『憲法義解』では、次のようである。

 

第八条天皇の緊急勅令に関する規定は、「天皇は公共の安全を保持し又は災厄を避くるため緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合において法律に代わるべき勅令を発す。この勅令は、次の会期に於いて帝国議会に提出すべし、もし議会において承諾せざるときは政府は将来に向けてその効力を失ふことを公布すべし」という規定である。

 

天皇は「法律に代る」勅令を発することができ、それは、法律と同じ資格のものであると規定されている。第九条には天皇による「行政命令」が規定されているが、それは、法律を変更することができず、法律としての勅令を規定した第八条の緊急勅令とは、区別されたものである。まさに緊急勅令が、法=王命思想を前提とする専制権力の積極的立法行為として存在するということが、わかる。

 

★★それはこの緊急勅令をもって、法律を変更・廃止することもできるものであった。★★

(以上、伊藤博文『憲法義解』、岩波書店、1940年。原本初版・明治22年。31~35頁参照)

 

このような緊急勅令によって、例えば、憲法一四条戒厳宣告権による戒厳令の発動が、二三年の関東大震災、三六年の二・二六事件において発動された。

これは、どういう法的手続きかというと、例えば関東大震災の場合、「臨時震災救護事務局官制は勅令396号、非常徴発令は緊急勅令第397号、戒厳令は緊急勅令398号と連番になっている」(姜徳相(カン・トクサン)『関東大震災』、中公新書、初版1975年、28頁)などという事態である。「非常徴発令」の発令前には、先行して「行政執行法」による食糧徴発が決定されている。この戒厳令発動の要件となったものが、「朝鮮人暴動」なる流言蜚語にほかならない。

 

また、かかる緊急勅令として1923年には、★★治安維持法の前身とされる「治安維持のためにする罰則に関する件」が発令された。そしてこの緊急勅令の解除と引き換えに、1925年、治安維持法が成立。そののち、1928年には治安維持法の改定が、緊急勅令でおこなわれている★★。

 

この改定によって、治安維持法の厳罰化がおこなわれ、最高刑が死刑となった他、目的遂行罪(「結社のためにする行為」として、ある人が、結社のためにすることを意識しない場合でも、特高警察から見れば、ある人の行為が、結社のためにする行為だとなれば、罰に処することができる)が設定されたのである。

 

また、1936年の226事件の際の緊急勅令では次の様だ。

 

「一定の地域に戒厳令中必要の規定を適用するの件(昭和11年勅令第18号)」というものだ。1936年(昭和)11年の226事件に対する戒厳令適用についての「緊急勅令」である。これは、5月4日、帝国議会で承認されたが、7月に入り、反乱は鎮圧されたという軍司令部などの判断により、緊急勅令(「一定の地域に戒厳令中必要な規定を適用するの件の廃止の件」(昭和11年勅令第189号))での解除となったものだ。

 

★★問題は、このように、議会の決定を前提とするのでは無く、「政令」で、行政権力が専決的に行政執行できる権限が付与されるということである★★。

 

【後述するように】、この帝国憲法の緊急勅令と治安維持法の関係は、また、「草案」の緊急事態の規定と国家権威主義的法実証主義、とりわけ、二一条(表現の自由)二項の規定(公益及び公の秩序を害する結社は「認められない」の規定)とフレンドな関係性をもっているだろう。

 

【戦後民主主義憲法では緊急権規定は一切禁止】

 

これに対し、戦後憲法の人権規定からは次のようにいう事ができる。

 

宮沢俊義の『憲法Ⅱ――基本的人権』(有斐閣、初版一九五九年)を参照したい。

「日本国憲法の人権宣言の保障する基本的人権がかように前憲法的性格を有するとされることから、それらは、憲法制定権をも拘束するという結論がうまれる。……憲法以前の権利であれば、憲法改正によって、これを変えることはできないという考え方である。もっとも、このことは、基本的人権についてのみいわれることであって、人権宣言に規定してあるそのほかの事項は、すべて憲法の改正によって変えられることは、当然である」(二〇六頁)。

また、明治憲法では、

軍人については、人権ではなく軍規軍の法令が優先するという規定(三二条)、

「戦時」「国家事変」に際しての「天皇大権」(非常大権)による人権の制限(三一条)、

戒厳による人権の制限(一四条)、

天皇の緊急命令(勅令)での人権の制限(八条)が認められていた。だが「日本国憲法の人権宣言は、この種の例外をいっさいみとめない」(二〇八頁)ということだ。そうした「平和国家」の自然法思想が否定されているということだ。

 

 この「緊急事態条項」で、問われている根底には、★★これから見るように★★、「人権」という概念を巡る、民主主義の一般的解釈と、高市改憲が意図する国家主義的解釈の決定的な違いが存在するのである。

 

≪3≫【2012年自民党改憲草案のイデオロギー=天賦人権説の否定……現憲法97条削除の意味と「人権」条項の歪曲・破壊】

 

2012年に発表された自民党の「日本国憲法改正草案」の「QA」の「Q2」の項目では、「草案では……天賦人権説に基づく、規定を全面的に見直しました」と明記している。ここが何よりも重要なポイントだ。

 

高市は、2012年に発表となった自民党の日本国憲法「改正草案」を高く評価している。「『憲法記念日に思うこと(2022年5月3日)』」がそれだ。だが、それは、高市のブログから消されている。ここでは「私は個人的に、平成24年の『日本国憲法改正草案』が大好きです。……『日本人の手による、日本の心を持った憲法』を制定することこそ、安全な日本、次世代に誇りをもって遺せる日本をつくるためには不可欠だと確信しています」としている。

 

この、憲法草案は、現憲法97条を、丸ごと削除するものだった。

 

「第97条 この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の結果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことにできない永久の権利として信託されたものである」。そして、これが、天賦人権説(人間は生まれながらにして自由・平等であり、幸福を追求する権利を持っている)を定義した条文とされるものだ。それが丸ごと削除されているのである。 この天賦人権説は、国連憲章、国連人権規約、世界人権宣言などの柱となっているものだ。

 

Q&A44」では、「憲法改正草案では、現行憲法11条を改め、97条を削除していますが、天賦人権思想を否定しているのですか?」というQに対してAは次のように書かれている。

 

「人権は、人間であることによって当然に有するものです。我が党の憲法改正 草案でも、自然権としての人権は、当然の前提として考えているところです。

ただし、そのことを憲法上表すために、人権は神や造物主から「与えられる」とい うように表現する必要はないと考えます。こうしたことから、我が党の憲法改正草案 11条では、「国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。」と規定し、人権は神から人間に与えられるという西欧の天賦人権思想に基づいたと考えられる表現を改めたところです」。

 

「さらに、我が党の憲法改正草案では、基本的人権の本質について定める現行憲法97 条を削除しましたが、これは、現行憲法11条と内容的に重複している()と考えた ために削除したものであり、「人権が生まれながらにして当然に有するものである」ことを否定したものではありません。現行憲法の制定過程を見ると、11条後段と97条の重複については、97条のもととなった総司令部案10条がGHQホイットニー民政局長の直々の起草によることから、政府案起草者がその削除に躊躇したのが原因であることが明らかになっている」。

 

だが現在の戦後民主主義憲法第11条は「国民は全ての基本的人権の★★享有を妨げられない★★。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことにできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」というものであり、神や造物主という単語は皆無であり、戦後憲法の通説である、宮沢俊義の『憲法Ⅱ—―基本的人権』(有斐閣)などでの解釈においても、神や造物主ではないとされている。それは★★★「前憲法的」な人間(ここがポイント)!★★★として普遍的に持っている権利だと規定されている。

 

【「憲法改正草案」の法実証主義】

 

★★では、「改正草案」は現憲法の何を否定したいのか★★。

 

つまり、この「改憲草案」の考え方を、法理論的にいうと、こうだ。

 

引用したように、この「QA44」では「人権が生まれながらにして当然に有するものである」ことを否定したものではありません」という。だが、「生まれながらにして当然有する」というのも、天賦人権論だ。

 

★★★ここで天賦人権論を否定する意味は、「前国家的」なものとしての「人権」の否定を、法実証主義(※参照)の立場から行いたいということなのである★★★。

 ここでは、現憲法の★★★「個人主義」の立場にたつ自然法思想★★★を、★★★国家権威主義【的な脈絡での】法実証主義★★★の立場から否定するということだ。

 

(※ 【法実証主義】とは、例えば、暴君が権力をふるうといった独裁政治に対して、「法の支配」「法治国家」という近代的な国民国家を表明するものとして規定されるものだが、それはまた【これから述べるように】自然法思想を否定し、その自然法は法規範にはなりえないとする。だから、帝国憲法のように、国家が人民に与えた権利として「人権」はあり、国家の公的秩序を国家が規定するように守る範囲で、「人権」も保障されるという解釈が成立するものということなのである。だからこのような意味での法実証主義は、単に「法の支配」ということのうちに、民主主義的な法体系ではない、専制的抑圧的な法体系の入る余地をのこすものであり、こうした国家が人権の上に立つ基本法体系は、例えば<国家権威主義的法実証主義>と規定できるものであろう。

 

【法実証主義では法律(法文)から排除すれば】、「人権」の規範拘束性は排除できる。だが、自然法思想ではできないわけで、そうした点からも、法実証主義を貫徹したいという事だろう。

 

この場合、この法実証主義が「公共の福祉」の国家権威主義的な解釈(「公益及び公の秩序」などというもの)とつながるところの、「自由の制限」とフレンドなものだということは、おさえておく必要がある。

 

※詳しくは拙著拙稿「国家基本法と実体主義的社会観 自民党「憲法改正草案」での社会実在論と戦後民主主義憲法の社会唯名論」、『エコロジスト・ルージュ宣言 続・「世界資本主義と共同体」』 2015年、社会評論社、参照)。

 

【だから】、もう少し、見て行こう。

●【自民党「改憲草案」は第97条削除とともに、★★「人権」や「公共の福祉」の内容規定も、改悪★★している】

 

QA14」では、「国民の権利義務については、現行憲法が制定されてからの時代の変化に的確 に対応するため、国民の権利の保障を充実していくということを考えました。 そのため、新しい人権に関する規定を幾つか設けました。 また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです

 

(※この考え方自体、近代市民社会の「自立した個人」の社会契約説に反する、国家権威主義・民族全体主義的なものだ――引用者・渋谷)。

 

したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。 例えば、憲法11条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という 規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました」。

 

★★これは、どうして改める必要があったのか★★、別の意味があるだろう。

 

●【「公共の福祉」の治安立法化としての「公益及び公の秩序」】

 

問題は「公共の福祉⇒「公益及び公の秩序」に改訂」の位置づけとの関係である。「QA15」では次の様だ。

 

「今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を★★★「公益及び公の秩序」★★★と改正することにより、その曖昧さの解消を図るとともに、★★★憲法によって★★★ 保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。」 

 

これには次のような説明がある。「「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活の ことを意味します。個人が人権を主張する場合に、人々の社会生活に迷惑を掛けてはならないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません」。

 

ハッキリ言って、これは、「公共の福祉」という概念の、あからさまな治安立法化だ。国家権威主義的な管理支配条項といっていい。つまり、権力者によって、「公益」や「公の秩序」の内容はさまざまになり、その度毎の解釈で「公の秩序」の制限が設定されることになる。【これが目的だ】。まさに「人権」を「公益及び公の秩序」という権力者の恣意的判断に服さそうとする、その秩序の範囲でのみ、認めるというものになる以外ない。

そしてその範囲でのみ「人権が大きく制約されるものではありません」となるのである。

 

そして、★これは、後述するように、大日本国憲法との通底性 (改憲草案QAには、「権利」も「共同体」などと歴史性により「徐々に形成されてきた」とあるので)を示唆するものに他ならない。

 

そしてまた、★これから見るように★、「憲法97条削除」は、単に「97条」の個別事情の問題ではなく、憲法に明記されている★★個々の人権諸条項の改定・改悪の、集約点★★としての意味を持つのである。

 

まさに、人権が無数の名もなき民衆の闘いによって歴史的に勝ち取ってきたものではなく、国家が国民に与えるものと説明したいのである。

 

以上が高市の改憲論のひとつの重要な中心となっていることだと考える。

 

≪4≫【帝国憲法の「天皇」と自民党憲法改正草案の「天皇」の類似性】

 

 ここで、「自由民主党日本国憲法改正草案」(草案とする)の、「天皇」の規定を取り上げる必要がある。

 

この一項をみるだけで、自民党の草案が、戦後民主主義憲法の形式を残しつつ、だがしかし、内容的には、その正反対の帝国憲法(明治憲法)の考え方の今日的復活に他ならないことがわかるだろう。「草案」引用中、論点としたいところに<>をつけた。

 

草案の(前文)を見よう。

「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、<国民主権の下>、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、<家族や社会全体>が互いに助け合って国家を形成する。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」。

この「天皇を頂く国家」の「頂く」というのは文学的表現であって、例えば「象徴」なのか「絶対君主」なのか、あるいはそれ以外なのか、はわからない。法制的規定としては、あいまいな規定だ。だが天皇制国家のことにかわりはないだろう。そこでは国民主権は有名無実であり、「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」となっている。ここでは、民主主義国家の「個人」が、ないがしろにされている上、「天皇を頂く」「家族や社会」ということに、文章全体が集約できると考えれば、天皇制国家が、社会を包み込むというイメージはぬぐえない。これが、明治憲法の天皇制国家と社会観として通底しているパラダイム上の問題だ。

 

そこで、今度は、草案の第一条「天皇」を見ていこう。

 

「(天皇)第一条 天皇は、日本国の<元首>であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」。

草案の(前文)を読んで、察しがついていた人もいるだろう。天皇は「元首」になっている。明治憲法の天皇規定(元首であり統治権の総攬者)が、入り込む余地が設定されているといえる。だが主権者は国民であり、国民主権と元首は二重の主権者規定になっている。

 

●【明治憲法の天皇専制主義】

 

ここで、明治憲法=大日本帝国憲法(帝国憲法とする)のパラダイムを概観することにしよう。この帝国憲法は<天皇制国家の回路図>のようなものだからだ。

帝国憲法は、第一条で天皇の永久的統治権(万世一系の天皇之を統治す)を表明し、第三条で、「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定している。この規定は伊藤博文の『憲法義解』(岩波文庫、一九四〇年、二五頁)では「法律は君主を問責するの力を有しない」とし、「独り不敬を以てその身体を干涜すべからざるのみならず、併せて指斥言議の外に在る者とす」としている。これは天皇が専制権力者であること、そういうものとして、尊敬すべきものだということがいいたのである。

 第四条では、天皇は「元首であり統治権の総攬者」であるという規定をもって、国家の主権者であるということを明記している。「草案」も帝国憲法も<天皇=元首>という規定は同じだ。

そうした前提に基づいて、法律の裁可・公布・執行権(第六条)、緊急勅令(第八条)、行政命令(第九条)、軍統帥権(一一条)、戒厳宣告(一四条)、非常大権(三一条)等、十数条の天皇大権が明記されている。

 

●【明治国家的社会観の復活】

 

以上のような天皇の規定についての問題は、次の規定とかかわりがある。

 

つまり、2012年自民党「改憲草案」では、社会の単位を、自然法思想における「個人」の「契約」としての「社会」という考え方ではなく、家族・国家というものを実体化し、価値化した、社会有機体主義(個人は国家の生存的・有機的な一部分という規定)の規定(一言で言うと「国家権威主義」)が、社会観となっている。例えばこうだ。

 

a.「(家族、婚姻等に関する基本原則)第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」。

⇒社会の単位を近代民主主義の社会構成の基本である「個人」(人権の基礎的な定義に即す)ではなく、「家族」にしようとしている。明治憲法の「家族国家」観が復活している。

 

b.「(信教の自由)第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」。

 

⇒天皇の宮中三殿の祭礼(今は天皇の私事となっている国家神道儀礼)やヤスクニ神社を「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」に入れようとする狙いがあるものと思われる。

c.また、「草案」の「前文」からは、「平和のうちに生存する権利」が削除されている。平和を追求するということをなぜ、削除するのだろうか。それは、端的に「戦争国家」を、少なくとも、その将来の国家像の一様態として想定しているからに他ならない、のではないか。

 

●【「天皇大権中心主義」に依拠した法実証主義(自然法思想否定)の問題】

 

ここで確認される必要があることは、<天皇と法との関係>である。

たとえば伊藤博文は、天皇による法律の裁可などを規定した第六条について、次のように述べている。

「裁可は天皇の立法における大権の発動である。故に議会の協賛をへるといえども、裁可なければ法律をなさない」。「我が憲法は法律は必ず王命に由るの積極の主義を取るものである。故に裁可に依て始めて法律を成す。それはただ王命に由る。故に従って裁可せざるの権あり」(伊藤・前掲二〇~三〇)。

 

天皇機関説論争での、美濃部達吉との論争の中心人物であった東大教授、神権天皇制論者であった穂積八束の継承者である上杉慎吉は、『憲法述議』(有斐閣、初版一九三八年、二二四頁)で、「大権中心主義」を宣揚している。

 

ここに、<天皇と国民との関係>も規定されている。

 

「日本臣民は天皇の臣民なり、天皇の統治権に服従し依て以て、一体たり、……日本人は一国一家なり、而してその根本は天皇の臣民たるに存す、……天皇と共に無窮なり、天皇に服従するに依りて、日本国家の哲理的意義を追進し、歴史的使命を完成す」(一四六頁)。

「我が憲法は自由権を保障するも、之を以て天賦の権利なりと為し、統治権もまた之を侵すことを得ざるものとするに非ざるは言を俟たず、臣民は本来権利を有せず、ただ統治権の之を付与するに依りテ、権利を有することを得るのみ」……「我が憲法上における自由権の意義は、一定の自由は天皇定むるところの法律に依るか、又は一定の条件に当たる非ずんば、行政権の命令処分を以て之を制限せざることに存し、また天皇の特に臣民に付与したまうの権なり」(二二四~二二六頁)。

非常大権との関係では、次のようである。

「憲法三一条は、自由権の規定ありといえども、戦時又は国家事変の場合においては、天皇はこれに拘わらず、法律に依らず、また一切の法律に顧慮せず、自由にいかなる行動をも執ることを得る旨を定めたるものなり。

故に非常大権は、自由権を停止して、統治権の何事をも為すことを得るの原則を実行するものなり、自由権は国民天賦の権利に非ず、主権の特に之を付与するに依りて存するものなり、非常大権は憲法の定めたる此の特例を、一時停止するものたり」(前掲三〇〇頁)。

天賦人権説を否定している。この場合、天賦人権説はただしく、「個人」が、うまれながらにして持つ「前国家的」(そういう表現ではないが)権利とされており、これが、法=王命という考え方によって否定されているということだ。

 以上のように「法=王命」論は、法学的には<法実証主義>といわれるものの一つに他ならない。

 

≪5≫【「人権」や「公共」とは何か――それらの一般民主主義と「草案」の国家権威主義的法実証主義の持つ意味の違い】

 

●【「人権」や「公共」の規定では、「改憲草案」は「国家」としての「上から目線」で国民に与えるものになっている……これは市民社会の市民が、近代国民国家を、自分たちを守るための社会契約(民主主義法秩序)の国家をつくったという自由と民主主義の前提を破壊している】

 

 ここで、「草案」における「人権」の位置づけをみよう。引用文中の<>は、引用者による強調である。

a.「(基本的人権の享有)第十一条 国民は、全ての基本的人権を<享有する>。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」。

⇒現憲法では「享有を妨げられない」となっている。「妨げられない」が削除されている。

 

b.「(国民の責務)第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、<常に公益及び公の秩序に反してはならない>」。

 

⇒この規定は、後述するような現憲法の「公共の福祉」の考え方には順ぜず、明治憲法の法=王命説――国家権威主義的法実証主義の、「自由権の制限」の考え方とフレンドであり、実体主義的な「公の秩序」を想定し、その公の秩序が、法律に依って、人民に、自由権を与えているという考え方で書かれている。

 この「人権の制限」ということにおいて、「草案」と現憲法がどのように、「人権」の規定で異なった考えを見せているかがわかる。

 

戦後憲法の通説である宮沢俊義の『憲法Ⅱ――基本的人権(新版)』(有斐閣、一九五九年)から援用する。

 

日本国憲法における人権濫用の禁止の規定は、次のようである。

「(五)濫用の禁止 国民は、基本的人権を濫用してはならない(一二条後段)。人権は、とかく他人の人権と、いろいろな形で、衝突する危険性がある。濫用とは、自由や、権利を、人権宣言がそれらを保障した目的以外の目的のために使うことをいう。人権の濫用は、他人の人権の犠牲においてのみ、可能なのであるから、それは許されない」。

 

「近世の世界で公共の福祉の概念が、しばしば全体主義の旗じるしとして使われたことは事実である。たとえば、ナチ・ドイツでは、『公益は、私益に優先する』……が標語とされたが、この「公益」は、つまり、公共の福祉にあたる。戦時中の日本で、それの日本版として『公益優先』ないし『滅私奉公』……が唱えられたことは、まだ人の記憶に新しい。

 

 かように、公共の福祉およびそれに類する言葉には、多かれ少なかれ全体主義的ないし超個人主義的な意味が伝統的に伴いがちでるが、もちろん日本国憲法における公共の福祉にそういう意味をみとめることは、許されない。日本国憲法における公共の福祉という言葉のコンテクストは、明らかに自由国家的・社会国家的国家観に支配されたものであり、『人間性』の尊重をその最高の指導理念とする。ここには、特定の個人の利益ないし価値を超えた利益ないし価値はあるが、すべての個人に優先する『全体』の利益ないし価値というようなものは存しない。

 かように考えると、日本国憲法にいう公共の福祉とは、さきに説明されたような、人権相互の間の矛盾・衝突を調整する原理としての実質的公平の原理を意味すると解するのが、憲法の各規定を綜合的に見た場合に、いちばん妥当だと考えられる」(二三四~二三五頁)。

だからここにいう公共の福祉は、人権の保障そのものの本質から論理必然的に派生する原理」である(二三六頁)。「草案」がいう「公の秩序」とは一八〇度意味が違っている。

 

c.「(人としての尊重等)第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」。

⇒bと同様。現在の通説として人権から派生すると考えられている「公共の福祉」の考え方と、人権と区別され措定されている「公益及び公の秩序」では、それに「反しない限り」の意味は、まったく違う。また、現憲法の「個人として尊重される」が、「人として尊重される」と変えられている。全体主義の立場からする「個人」という価値観の否定である。

 

●【「奴隷的拘束」の文言削除と徴兵制】

 

d.「(身体の拘束及び苦役からの自由)第十八条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」。

⇒現憲法の「いかなる奴隷的拘束も受けない」「犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」が消されている。削除されるということは、何か意味がある。

Q&A」での説明では、もう「奴隷制社会ではない」からという説明だ。

 

だが、例えば、ファシズムにおける奴隷的拘束、植民地支配における被支配人民に対する奴隷的抑圧、など、暴力支配にもとづく人権抑圧は、どの時代においても存在する。

「奴隷制社会」ではないから「奴隷」はいないとして、人々に、「憲法の緊急事態条項」における「苦役(強制労役など)」などに該当するような「徴用」を、強いることを正当化するものとする危険性・可能性が否定できない。

 

法律概念としてはこうだ。「奴隷的拘束とは、自由な人格者であることと両立しない程度に人身の自由をはじめとする各種の自由が拘束されている状態をいう」。というのが、第一の定義だ。このことの具体的な状態だが、「奴隷はもちろん、人身売買的な拘束の下にある『白奴隷』や、いわゆる『監獄部屋』にある者などは、すべてここにいう奴隷的拘束の下にある者であろう」。

 

つまり、「奴隷」とは、国家の組織する奴隷制度のことだけではなく、以上のような、関係・常態が、奴隷的拘束に該当するということだ。

 

また「その意に反する苦役」とは、「強制労役またはそれに準ずるような隷属状態をひろく含むと解すべきである」ということだ(宮沢俊義『憲法Ⅱ——基本的人権』(法律学全書4)、有斐閣、初版1959年。334頁)。

 

徴兵制との関係だが、宮沢前掲では次の様である。

 

「祖国の防衛は、国民の当然の義務と見るべきであるから、徴兵制はここにいう「苦役」の強制に該当しないという見解もある。……しかし、日本国憲法では、戦争を放棄し、軍隊を否認している第9条の規定から言って、兵役の義務は、みとめられる余地がないだろう。憲法第九条によって、軍の存在が禁止されるとすれば徴兵制が許されないことは、当然であるが、第九条が自衛隊の存在を容認すると解する政府も、徴兵制は、憲法第13条(「個人の尊重と幸福追求権」——引用者)ないし第18条(「奴隷的拘束及び苦役の禁止」——引用者」)に反し、違憲だとしているようである」(前掲335頁)としている。

ここで、宮沢前掲は、「政府も」徴兵制は違憲と考えている例として、(注)として、「昭和45年(1970年)10月28日衆議院内閣委員会での高辻法制局長官の答弁(10月29日朝日新聞等)、同11月5日参議院決算委員会での中曽根防衛庁長官の答弁(同日朝日新聞等)」をあげている(前掲335頁)。

 

さらに1980年12月05日(第九三国会時)、鈴木善幸内閣が、徴兵制は違憲との「答弁書」を提出している(衆議院議員の質問に対する答弁書)。「徴兵制度は、(中略)憲法13条、第18条などの規定からみて、許容されるものではない」としている。「国会ホームページ」、「衆議院」「答弁本文情報」「第〇九三回国会」の欄「昭和五十五年十二月五日受領 答弁第一一号 内閣衆質九三第一一号 昭和五十五年十二月五日 衆議院議長 福田一殿  内閣総理大臣 鈴木善幸」とあるものだ。

以下、そのポイント部分を引用する・

 

「一般に徴兵制度とは、国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度であって、軍隊を常設し、これに要する兵員を毎年徴集し、一定期間訓練して、新陳交代させ、戦時編制の要員として備えるものをいうと理解している。
  このような徴兵制度は、我が憲法の秩序の下では、社会の構成員が社会生活を営むについて、公共の福祉に照らし当然に負担すべきものとして社会的に認められるようなものでないのに、兵役といわれる役務の提供を義務として課されるという点にその本質があり、憲法第十三条、第十八条などの規定の趣旨からみて、許容されるものではないと考えている」。

 

翻って、この憲法改正草案での「奴隷」「苦役」の用語削除は、例えば「奴隷」を「奴隷制社会」の概念におしこめ、徴兵制度をその「規定」から外そう・無関係としようという企図を持つものかもしれないと、推測できる。

 

≪6≫【「自民党改憲草案」としての「人権」の否定】

 

●【「これを侵してはならない」(私権)と「保障する」(国権)では意味が逆だ】

e.「(思想及び良心の自由)第十九条 思想及び良心の自由は、保障する」。

 

⇒★★現憲法では、「これを侵してはならない」が「保障する」になっている。意味が逆だ★★。

 

立憲主義は国家権力をしばるものであり、国民の国家への命令である。それが、国家によって保障されるものとなっている。

人権は「前国家的」なものという原則が否定されており、国家権威主義的法実証主義にほかならない。

f.「(表現の自由)第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。

2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない」。

⇒この「2」は、例えば単にデモ規制というのみならず重大である。「公の秩序を害することを目的」に「結社することは、認められない」という、まさに「治安維持法」の復活が企図されているといえるだろう。これと、「思想信条の自由」が「保障する」と書かれている意味は直結している。まさに、国家権威主義的法実証主義にほかならない。

 

g.「(財産権)第二十九条 財産権は、保障する。

2 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように配慮しなければならない。

3 私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる」。

⇒現憲法では「これを侵してはならない」が「保障する」に代えられている。これも、人権としての財産権が「前国家的」な人民の権利であるということを否定した法実証主義だ。

 

★★また「3」は、私有財産の「徴用」や「強制収用」などを、憲法で規定しようという策動だ。これは、戦争法規の一種と考えていい★★。

 

 h.こうした「人権」の国家権威主義的法実証主義の立場への改変において、次のような権力主義的な人権抑圧の規定も書かれていくことになる。

 

「(抑留及び拘禁に関する手続の保障)第三十四条 何人も、正当な理由がなく、若しくは理由を直ちに告げられることなく、又は直ちに弁護人に依頼する権利を与えられることなく、抑留され、又は拘禁されない。

2 拘禁された者は、拘禁の理由を直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示すことを求める権利を有する」。

 

⇒★★現在「公開の公判でしめされなければならない」が「権利を有する」に★★。端的には、逮捕・拘留された人がもつ権利として、現在では裁判所が拒否できない、勾留理由開示公判が、裁判所など権力の恣意で開かれない可能性がある。権力の恣意的な治安弾圧の正当化にますます、道を開くものである。

 

i.そして、国家権威主義的法実証主義の頂点の規定がこれである。

「(憲法尊重擁護義務)第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」。

⇒第一項は完全に間違っている。★★立憲主義は、主権者である国民が、政府(あるいは国家)に対して、憲法を守らせるのが趣旨★★である。帝国憲法と同じ種類の法実証主義にほかならない。

2は、★★現憲法で書かれている「天皇」が削除されている★★。天皇は、国民や臣の上にいるから、法律に縛られないという、法は天皇を問責できないとする、帝国憲法の立場に立っている。「天皇は神聖にして侵すべからず」(帝国憲法第三条)ということだろう。

 

≪7≫【国家権威主義的法実証主義と戦後民主主義憲法(一九四七年施行)との「人権」の違い――まとめ――】

 

 これまで見てきたように、「憲法」や「人権」、「公の秩序」や「公共の秩序」をめぐっては、先述したように、自然法思想と法実証主義という二つの考え方がある。現在の日本国憲法の通説は、自然法思想をとっている。ここで、その違いを通説によって、まとめてみよう。宮沢俊義『憲法Ⅱ――基本的人権(新版)』(有斐閣、初版一九五九年)である。

そこで宮沢は次のように述べている。

 

●【国家権威主義の下での「人権」】

 

「絶対制の下では、そうした(人権間の――引用者)調整は、比較的に容易だといえ

る。たとえば、天皇が絶対的価値の持ち手だとされる場合には、それを基準として、そうした調整が行われる。すべての人権の矛盾・衝突は、そのいずれが天皇の体現する価値と考えられるものにより近いか、という基準で判定すればいい。ある個人が言論の自由を主張する場合、それが少しでも天皇の利益――明治憲法時代の言葉でいえば、『国体』――を害するときは、そこにその自由の限界があるということになる。学問の自由についても、同様である。そこで、天皇の尊厳を傷つけるような学問の自由が許されないことは、当然である。そもそもそこでは、人権というものが、はじめから天皇の価値と矛盾しない限りにおいてのみ、その価値をみとめられているのであり、天皇の価値――「国体」――に対抗できる人権の価値というものは、認められていないのである」。

 

 ●【民主主義の下での人権】

宮沢は続けて言う。

「ところが、民主主義的考え方の下では、事情がちがう。ここでは、『人間』が至上であるから、人権は何よりも高い価値をみとめられる。人権に対抗できる価値というものは、そこにはあり得ない。ここでは、国家そのものですら人権に奉仕するために存するとされる。ここで、個々の人権に対抗する価値をみとめられるのは、多数または少数の他人の人権だけである。だから、甲の人権と乙の人権とをひとしく尊重しつつ、両者のあいだの矛盾・衝突の調整をはかる、というのが、ここで憲法に課された重大な任務でなくてはならない」(二三〇頁)。

 帝国憲法第二章で保障された権利は、「すべて、憲法によって与えられたものと考えられた。その上論には、『朕はわが臣民の権利及財産の安全を尊重し、及之を保護し、此の憲法及法律の範囲内に於いて、その享有を完全ならしむべきことを宣言す』とあったとおり、それらの権利はどこまでも天皇の『深いおぼしめし』によって人民に賜ったものという建前がとられた。これに反して、日本国憲法第三章では」、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」とされ、「国家の権力によって侵すことが許されないことを意味するとともに、それらの権利が人間が人間であることにのみもとづいて……当然に享有すべきものであるとする思想にもとづくことをあらわしている。……ここで基本的人権とされている権利は、この意味で「自然法」にもとづくものであり、論理的に国家や、憲法に先立つものであるから、国家の権力によって、侵すことは許されないとされる」(二〇五頁)。

 

それはアメリカの独立宣言と同じ「生命・自由および幸福追求に関する国民の権利」と同じものであるが、独立宣言がその権利を「造物主によって、与えられている」というのは、「キリスト教的な概念」であり、「誤解を招く恐れもあることだから、それをここにもち出すのは、適切ではあるまい」(二〇六頁)とされている。

 

●【自民党2012年「改憲草案」での「人権」論と法実証主義のスタンス】

 

これに対し自民党の「草案」は、この「神から与えられた」という「天賦人権論」は削除したとしている(「草案」のQAの部分のQ2Q44)が、それは全くの間違いであり、天賦人権論の自然法思想は、「神から与えられた」ものだけではないのである。

 

自民党のQAの「44」には次のように書かれている。「人権は、人間であることによって当然に有するものです。わが党の憲法改正草案でも、自然権としての人権は、当然の前提として考えているところです。ただし、そのことを憲法上表すために、人権は神や造物主から「与えられる」というように表現する必要はないと考えます。こうしたことから、わが党の憲法改正草案一一条では、「国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのない永久の権利である。」と規定し、人権は神から人間に与えられるという西欧の天賦人権思想に基づいたと考えられる表現を改めたところです」。 

 

現在の戦後民主主義憲法(日本国憲法)の第一一条は、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」というものであり、神や造物主という単語は皆無であり、戦後憲法の通説である、宮沢俊義の『憲法Ⅱ――基本的人権』などでの、解釈においても、神や造物主ではないとされている。それは、「前憲法的な」人間として普遍的にもっている権利だと規定されているものである。

また、QA44は、こう続けている。

「さらに、我が党の憲法改正草案では、基本的人権の本質について定める現行憲法九七条を削除しましたが、これは、現行憲法と内容的に重複している(※)と考えたために削除したものであり、『人権が生まれながらにして当然に有するものである』ことを否定したものではありません。※現行憲法の制定過程を見ると、一一条後段と九七条の重複については、九七条のもととなった総司令部案一〇条がGHQホイットニー民政局長の直々の起草に依ることから、政府案起草者がその削除に躊躇したのが原因であることが明らかになっている」としている。

「生まれながらにして当然有する」というのも、天賦人権論である。だから、このQA44は、ためにする論法でしかない。ここで天賦人権論を否定する意味は、「前国家的」なものとしての「人権」の否定を、法実証主義の立場からおこないたいということなのである。そのために、かかる論法を用いているということだ。

★★★このことは、次のことを意味している。自民党が意識してか、どうかは別に、★★★人権のひとつの重要な要素に、★革命権・抵抗権★という自然権(【この連載でも特集予定がある】)があり、これを排除したいという意味になる★★★以外ないということだ★★★。

また、法実証主義では、法律から排除すれば、その規範拘束性は除去できる。だが、自然法思想では除去できないわけで、そうした点からも、法実証主義を貫徹したいということだろう。

※(注)日本国憲法(戦後民主主義憲法、一九四七・五・三施行)の人権思想

宮沢・前掲書からの援用をおこなう。

「基本的人権は、『侵すことのできない永久の権利である』(一一条、九七条)。その意味は、ここにいう基本的人権が、アメリカ・フランス両革命以来の人権宣言で宣言・保障された『人権』にほかならないというにある。それはまた、そうした基本的人権の宣言・保障を主眼とする日本国憲法第三章が、伝統的な人権宣言の性格を有することを意味する」(二〇〇頁)ということである。

【日本国憲法の基本的人権】

自由権に属するものとして…「奴隷的拘束および苦役からの自由」(一八条)、「思想及び良心の自由」(一八条)、「信教の自由」(二〇条)、「集会・結社・表現の自由」(二一条一項)、「通信の秘密」(二一条二項)、「居住・移転および職業選択の自由」(二二条一項)、「外国移住及び国籍離脱の自由」(二二条二項、「学問の自由」(二三条)、「人身の自由(三三、三四各条)、および住居の不可侵」(三五条)。「拘留・拘禁そのほか刑事裁判に関する人権保護のための諸原則(三四、三六、三七、三八、三九各条)。「財産の不可侵の規定」(二九条)。「法定手続の保障」(三一条)。「平等権」(一四条)。

社会権に属するものとして…「健康で文化的な最低限度の生活をいとなむ権利」(二五条一項)、「ひとしく教育を受ける権利」(二六条一項)、「勤労の権利」(二七条一項)、「勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動をする権利」(二八条)。

「国民の能動的関係における権利」として…「請願権」(一六条)、「裁判所の裁判を受ける権利」(三二条)、「公務員を選定し、および罷免する権利」(一五条一項)など参政権。私有財産を保障する規定(二九条)。◆

 ―――

【次回 第9回 高市一派の「新しい戦い方」(予定)と集団的自衛権】

2026年5月10日日曜日

【連載】イラン侵略戦争とNSS(米・国家安全保障戦略)2025/★第7回★ 米中争闘戦下 高市一派の「安保三文書改訂問題と武器輸出問題」

 【連載】イラン侵略戦争とNSS(米・国家安全保障戦略)2025/★第7回★ 米中争闘戦下 高市一派の「安保三文書改訂問題と武器輸出問題」

渋谷要

 

最終更新2026・05・10 20:00 ——————

本論での、「米・国家安全保障戦略2025」の訳は、「niming538の日記」2025-12-12,「米国国家安全保障戦略2025全文+翻訳(トランプによる前文付き)NSS2025」に依ります。

 

NSS(国家安全保障戦略)2025目次————

、序論アメリカ戦略とは何か

、アメリカ合衆国は何を望むべきか

、我々が望むものを得るために、アメリカが利用可能な手段とは何か

IV. 戦略

1.   原則 2.   優先事項【★★以上、第2回★★

 3.   地域

A、「西半球:モンロー主義に対するトランプ・コロラリー(――「参加させる」「拡大」)

★★★以上、第3回、第4回★★★

 B、アジア:経済の未来を勝ち取り、軍事的対立を防ぐ」(――「力の立場から主導する」「経済:究極的な利害」「軍事的脅威の抑止」)(★★★【第5回】、【前回第6回】【今回第7回】★★★

 //「C、ヨーロッパの偉大さを促進すること」//「D、中東 負担を移し、平和を築く」//「E、アフリカ」。

 ————

 

≪5≫【安保三文書改訂と武器輸出問題―――日本、米国製ドローン大量生産のプロジェクト……右派改憲に先行する「戦後国家」の破壊】

 

●【安保三文書改訂問題――「新しい戦い方(AI、ドローンなど)」が改定内容の一つに】

 

現在日本では、スタンド・オフ・ミサイル配備(長射程ミサイル⇒※)が進められている。また、これを一環として日米IAMD構想(統合)防空ミサイル防衛がすすめられ、2014年には、ハワイの米軍司令部に「太平洋IAMDセンター」が設置された。こうした、日米ミサイル一体化計画や、さらに航空自衛隊の航空中自衛隊への法改正。さらに沖縄・南西諸島軍事基地化がすすめられている。

 

―――

(※)「スタンド・オフ防衛能力の強化」……「令和7年版 防衛白書」「第Ⅲ部第1章第2節1 スタンド・オフ防衛能力」……「1基本的考え方 スタンド・オフ防衛能力とは、侵攻してくる艦艇や上陸部隊などに対して、その脅威圏の外から対処する能力である。長射程化され、迎撃を回避できる高い残存性をもつスタンド・オフ・ミサイルなどにより、脅威圏の外から攻撃することで、自衛隊員の安全を確保しつつ、わが国に対する攻撃を効果的に阻止することができる。また、スタンド・オフ防衛能力は反撃能力にも活用されるものである。」

―――

(なお、IAMD構想と安保三文書に関しては拙論では、「日米安保軍の単一軍化をめざす日米IAMD構想(「——反撃能力」の概念と安保三文書)に関するノート」/本ブログ「赤いエコロジスト」2023/02/28を、参照のこと)

 

こうした戦争国家化を支える「日本版軍産複合体」の展開は、すでに、「防衛産業」では「防衛備品・設備」など、「機器」「車両」「武器」などの製造・受注・販売などの市場運営として展開されてきた。これに、後述するように、「武器輸出問題」、いわゆる「五類型」撤廃(⇒殺傷兵器輸出認可など)が加われば、その市場展開、生産―開発態勢は急速に向上することが予測される。これは同盟諸国の共同軍化の基礎の一つであると同時に、技術と市場全体の軍事化などに展開してゆくものだ。

 

さらに、4月27日(2026年)の、政府による★★「安保三文書」に関する改定★★の「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」の初会合では、★★「新しい戦い方」(AI、ドローン戦争などが基軸となる)★★、「継戦能力」創造・保持、「経済安保」の三点が、課題として挙げられたようだ。

 

これら三つに、「経済の軍事化」という概念を設定することで、戦争国家化の戦略地図が浮かび上がる構図が、見えてくるのではないか。また「非核三原則見直し」「原子力潜水艦導入」「対中政策」などが、課題としてあげられているという。

 

さらに、4月15日、高市首相とポーランド共和国のドナルド・トゥスク首相との会談(総理官邸)では、「ウクライナ支援で一致」。4月18日、小泉防衛大臣が、オーストラリアのマールズ副首相兼国防大臣と会談(メルボルン)し、オーストラリア海軍の艦船共同開発で合意した。海上自衛隊の最新鋭護衛艦「FFM」(もがみ型)能力向上型をベースにするものだという。日豪は、合衆国と同盟関係にある。共同開発によって軍事的連携を強化する狙いだ。

 

●【イスラエル製ドローンを購入するな!】

 

 このような武器取引の問題では、2024年、日本国内で、防衛省が「無人アセット(ドローンや無人潜水艇などのこと)防衛能力」の強化(※)のため、小型攻撃用ドローンを310機導入する、その場合、候補の一つとしてイスラエル製ドローンを導入候補機に含むとの情報が浮かび上がった、そして、防衛省は一般競争入札(2026年2月17日)の予告をおこなった。その策動に反対し、防衛省前で、抗議行動と、ハンガーストライキが、闘われた。結果、イスラエル製は入札に参加しないことになった(オーストラリアのディフェンド・テックス社が落札)。

イスラエルは、ガザで国際法違反の占領を行い、ガザでのジェノサイドを強行してきた。そして、ガザを攻撃ドローンの実験場としてきたのであった。実際にジェノサイドに使われたイスラエル製兵器を入札することは、虐殺への加担以外のなにものでもないだろう。それはイスラエル軍需企業の利益となるばかりでなく、ガザ虐殺者イスラエル製の兵器を購入するルートを容認することになる。

 そこで、防衛大学校卒業生らを中心に、闘いが取り組まれた。防衛省前抗議行動―ハンガーストライキの闘いだ。●2・17入札についてイスラエル製ドローンの採用をやめろ。●すべてのイスラエル製装備品の取得検討を中止せよ。取得済みの装備品に関して、イスラエル企業を排除せよ●防衛装備庁に「ビジネスと人権」監査部署を新設し、以後の防衛装備品調達に当たっては戦争犯罪や人権侵害、国際法違反への加担を防ぐため厳正な審査を行うこと。等々の「要求項目」(※この文では、文章として省略している部分がある)を発表した。前述したように2・17入札においては、イスラエル製の採用は、「不参加」という形で、外れた形となった。

―――

(※「無人アセット防衛能力」……「令和7年版 防衛白書 第Ⅲ部第1章第2節「3 無人アセット防衛力の強化」「1基本的考え方……「無人アセット(装備品)は、有人の装備品と比べて安価であることが多く、また、危険な環境下や長時間連続で運用することができる。さらに、AIArtificial Intelligence)と組み合わせて運用することにより、無人アセットを、同時に、かつ、大量に運用できるほか、運用する要員の養成も容易であるといった特性がある。

こうした特性を踏まえ、これまで有人の装備品が担っていた業務の効率化や、無人アセットによって新たに可能となるオペレーションに無人アセットを活用することで、任務に従事する隊員の危険や負担をできる限り減らしつつ、陸上、水上、水中、空中において、非対称的な優勢を確保することができることから、無人アセットを幅広い任務に効果的に活用していく」。

―――

こういう中で始動し始めたのが、日本によるこの米国製の殺傷型攻撃ドローンの生産である。

 

●【日米共同で米国製殺傷型攻撃ドローンの生産】

 

安保三文書改訂の内容は、すでに、実践としてはじまっている。それがAI.ドローンを使用した「新しい戦い方」だ。つまり、三文書改訂とは、“改訂を通して政策を開始する”の【ではなく】、現在の三文書には集約できない、【新しい課題、事業をやることで、それを、文書で追認】するという、ものにほかならない。

 

前提としては、高市内閣は、閣議と国家安全保障会議(NSC)の決定として、武器輸出原則の「5類型」を撤廃する方針を決定した(2026/4/21)。この脈絡において、以下のプロジェクトが展開されようとしているということである。

 

日米デュアルユース(軍民両用)協力での一番初めの計画として、殺傷型攻撃ドローンの生産が持ち上がっている。このドローン兵器は、実践に使われ、また、様々な第三国に輸出される可能性がある。このデュアルユースでの協力連携の構築は、この間、高市内閣が、防衛装備輸出原則「五類型」を廃止し、殺傷兵器の輸出を解禁した脈絡の中で、起こってきたことだ。

 

ドローン兵器は、全体主義ファシスト・クレムリンのウクライナ侵略戦争と、これに対するウクライナの徹底抗戦のなかで、兵器生産・技術革新がおこなわれ、ウクライナにとっては徹底抗戦の継戦能力を維持するものへと展開しており、まさにドローン戦争という局面を作り出している。

 

この事業には日米両国のドローン生産企業の約50社が、技術者、生産設備、技術開発などで連携するという。世界的に見れば、中国がこのドローン市場に大きな市場を開拓している。これに対抗した、軍事製品のサプライチェーン(供給網)を構築・拡大する計画だ。

 

所轄担当省庁としては、日本側は経済産業省、防衛省、合衆国は、国防総省、在日米国大使館が担当することになっている。

この脈絡の中で、例えば、AIの軍事技術への組織化に重要な役割を果たしてきたパランティア・テクノロジーズのピーター・ティール会長が、3月5日に、首相官邸で高市首相と会談するなど、協力体制が本格化している。(※国会答弁では高市首相は、パランティアとの技術協力について否定している)。

 

 「パランティアは優れた戦闘力と装備を備えていると証明された」。トランプ米大統領は10日、自身のソーシャルメディアへの投稿で、同社を名指しで称賛した。対イラン軍事作戦が展開されるなか、「敵(イラン)に聞いてみろ!」と続けた。

 実際、米軍にとってパランティアは欠かせない存在と言える。米国防総省の軍用AI政策「プロジェクト・メイブン」で基幹システムを提供・運営。米新興会社アンソロピックのAI技術と組み合わせ、これまでバラバラだった膨大な収集データを網羅的に分析し、どの標的を攻撃すべきか瞬時に導き出す仕組みだ」(毎日新聞2026/3/5 12:00「高市首相にも接触 イラン攻撃で米軍が頼るデータ解析企業の正体」)。

こうした、軍拡の技術的高度化が、これからの課題となっているのである。それはもうすでに、事業として実践されているものだ。

 

ここで、武器輸出に関する政府方針の変遷について見て行こう。

 

●【「殺傷兵器」輸出解禁への道――その歴史的出発点】

 

1945年、大日本帝国は、連合国に敗北した。連合国として日本を管理した合衆国は「大日本帝国」の【徹底した武装解除】にとりかかった。

 

その一つが、ファシスト国家「大日本帝国」の武装解除の最高法規である「憲法九条」である。★★★★だから、これは、日本側か、占領軍側(これは連合国の側、現在の「国際秩序」の側という事だ)か、という論争があるが、そんなことはどうでもいい。★★★誰が作ろうが関係なく★★★★、【大日本帝国というファシスト国家の武装解除としての意味と意義を待つ】ものに、変わりはない。その場合、「戦力不保持」「交戦権否認」「国際紛争解決手段としての武力行使の放棄」がその内容となる。

 

★★★そもそも以上の前提は、日本が戦後、国際連合(連合国=UN)に加盟するのは1956年だ、という事が決定的な話の元になっていなければならない。★★★

 

国連総会、1956年12月18日、日本の加盟を可決だ。もちろん、国連憲章の「敵国条項」の対象の国としての日本国の国際社会での位置関係は、変わらない。いつまた、ファシスト国家になるかわからない国なのだ。つまり、「憲法九条」は、「大日本帝国=ファシスト国家の復活を許さない」という「国際社会」の共通した意志のもとに、確認されてきたということだ。右も左も関係なく――このことをどう考えるかは別に――このことを、絶対に忘れてはいけない(【文末注】参照)。

 

国連憲章第53条は、安全保障理事会の許可なく、「敵国」の侵略行為があれば、それを排除できるとしている⇒今日、中国、ロシア、朝鮮というスターリン主義党国家権力起因の現代ファシスト国家権力——いずれも第二次大戦の戦勝国——が、現在の高市一派批判として、「日本の再軍備」を批判しているのは、この脈絡での話だ。

 

それは国内的には、戦後の日本国家を、平和と民主主義の国家として形成していこうとする、様々な人々(左翼や平和主義者だけではない。中道、保守系列の人々も含めての話だ)の【様々な舞台設定】を準備した。この場合、防衛問題は、「憲法九条」の政府解釈―内閣法制局解釈を基軸として言えば、「専守防衛」という軸で、国会論戦などが、おこなわれていくことになる。

 

●【日本の再軍備——日米安保体制の形成】

 

★★★だが、この歴史的出発点をなす時期は、同時に、「大日本帝国」というファシスト国家を解体したアメリカ帝国主義のヘゲモニーで、日本が、再武装してゆく過程であった★★★。ここで武器輸出問題をおおきく規定する安保(軍事同盟)の問題を振り返ろう。(※なお、日本国憲法制定の前日に、最後の「天皇の勅令」としてだされた「外国人登録令」をはじめとする戦後排外主義の問題は、本論別章で扱うものとする)。

 

憲法九条は、「戦力不保持」を明記していながら、自衛隊の合憲化のための解釈改憲になぜ無力だったのか。まさに法制定(1947年5・3)時は「国家正当防衛権の如きことを認むることが有害であると思う」とする1946年6月衆議院本会議での吉田首相の言明に象徴されているように、「9条」は「侵略戦争」に限らず、「自衛戦争」もまた否定するものとして解釈された。

だが、1945年以降の、朝鮮民族解放闘争の前進、中国革命勝利(1949年)などを受け、アジアに東西冷戦の戦争地図が形成されてゆく。合衆国の権力者たちはこれに対し、日本を「反共の防壁にする」(ロイヤル陸軍長官演説/48年1月6日)ことをめざし、日本帝国主義の復活を援助する政策を取り始めた。50年1月1日、マッカーサーは年頭の辞で「日本国憲法は自己防衛権を否定せず」と声明し、ここに〈九条は、自衛権を認めており、それに対応する国家組織が建設されてよい〉とする、いわゆる九条の空洞化が開始されることになったのである。

 

50年朝鮮戦争の勃発と前後して米帝は、朝鮮侵略戦争のために日本政府に協力を要請し、8月、警察予備隊令を公布した。さらに、52年、日米講和条約と同時に日米安保条約を発効し、日本帝国主義の復活、日米同盟の形成へと向かうのであるが、この過程を通じて九条は変更されてゆく。

 

警察予備隊から保安隊(52年発足)への改組が議論されていた52年3月の参議院予算委員会では、「自衛のための戦力は合憲」(吉田首相)と言う説が、また、保安隊から自衛隊(54年発足)への改組が議論されていた衆議院予算委員会では、「戦力なき軍隊」(吉田首相)が、さらに、これらをふまえて「自衛に必要な最小限の実力は合憲」とする自衛力論(内閣法制局)が説かれはじめた。

 

自衛隊発足時の参議院における「自衛隊の海外派兵禁止」決議をふまえつつ日帝は、自衛隊が「国民を守るためだけのもの」であると正当化し、自衛隊合憲論をアピールし、自衛隊建設に反対する人民の反戦の闘いをかわそうとしたのである。かかる「九条解釈」を積み上げていくことにより、1978年、有事の際の日米共同作戦を想定する「日米ガイドライン安保」へと至り、集団的自衛権――同盟国の攻守同盟――の法整備がめざされていくことになる。このようにして日帝は、九条があるにもかかわらず、自衛隊を増強してきたばかりか、三矢作戦計画などの有事立法研究——その有事作戦によって、治安出動で反政府勢力をせん滅・鎮圧などという許すまじき作戦計画・演習を展開してきたのであった。

これらが、1990年代⇒2000年代にかけての、PKO法⇒安保法制=集団的自衛権法制化へと至る日本再軍備の初期の経緯である。

 

●【武器輸出問題―― 一国国防武器から集団的自衛権のための同盟国―間―共有武器の必要性へ】

 

以上のような安保体制の変遷のなかで、その一つの舞台に、「武器輸出」問題があったということだ。

 

【武器輸出三原則(1967)】

東西冷戦の真ただ中、「武器輸出三原則」(1967年、佐藤内閣) が成立した。これは、日本における「国防のための」防衛産業が、拡大したことと対応している。そこで、交易にルールを明記するという必要があったのである。

「以下の国に対しては武器を輸出しない」というもので、●「共産国」,●「国連決議により、武器等の輸出が禁止されている国」、●「国際紛争当事国またはそのおそれのある国」に対して、禁輸を命じたものだ。

 

これに加え1973年には、「政府統一見解」(1973年、三木内閣)として「上記以外にも武器輸出を慎む」とし、「事実上の全面禁輸」が確認された。これは「武器技術、武器の国際共同開発、投資、軍事施設工事請負もこれに準じる」というものだ。

さらに1981年「武器輸出問題等に関する決議」(「武器輸出について、厳正かつ慎重な態度を持って対処する」では、この方向が徹底されることになる。

 

【武器輸出原則の例外化】

だが、1983年「武器輸出原則の例外化」が提起される。これは当時首相であった中曽根首相の軍拡路線の一つだ。1983年(中曽根内閣)=日米防衛協力の分野で、米国側から技術交流の要請が始まり、「対米国」について、三原則の「例外として対処」することになったのだ(「対米武器輸出供与」)。例えば1983年1月28日、参議院本会議で、中曽根首相(当時)は、「(武器輸出三原則は)日米安保に効果的運用のために必要な調整を禁じるものではない」と発言し、例外化が開始された。1983~2013年までの間に、21件実施されているという。例えば2013年(安倍内閣時)には「F35(ステルス多用途戦闘機)の製造等に係る国内企業の参画」がある。

 

【中曽根の軍拡政治】(※以下の年表は、『季刊クライシス』「さよならヒロヒト! 大年表」p246~270、二段組年表——★★「年表作成 渋谷要」(p270に明記★★)――、『季刊 クライシス』1988年4月29日刊行「臨時増刊」号にもとづく)

この1983年、中曽根首相は、日米韓の軍事一体化のために、1月から目まぐるしく政治日程を組織している。【1・11】中曽根首相、訪韓、全斗煥大統領と会談し「日韓新時代」を声明した。【1・14】政府、米の要請により武器技術の供与を決定。【1・18】中曽根訪米、レーガン大統領に「日米は運命共同体」と声明。【1・19】「日本列島不沈空母化・四海峡封鎖」の中曽根発言問題化。【1・24】中曽根施政方針演説「戦後史の大きな転換点」。【3・12】日米防衛協力小委員会、シーレーンに関する日米共同作戦研究の開始を確認。【4・12】中曽根、ヤスクニ春季例大祭への参拝に際し、「内閣総理大臣たる中曽根康弘」を強調。【5・24】政府、行政改革大綱決定。

【6・14】首相の私的諮問機関「文化と教育に関する懇話会」発足。【10・26】天皇在位50年記念事業の一つとして、立川「国営昭和記念公園」開園(立川に地域戒厳令)。【11・9】レーガン来日、天皇・裕仁と会見。中曽根と会談し、相互防衛確認。【11・14】自民党政調会内閣部会靖国小委員会、公式参拝を「合憲」とする見解まとめる。

さらに1984年には、【3.31】★★★ 自衛隊中央指揮所の運用がはじまった。これは、83年11月の★国家行政組織法改訂★により、行政機構の内部部局の編成は、法律事項から政令事項に改訂されたため、★★国会決議を経ずに「政令」で★★設置されたものだ★★★。 また、【8・6】自民党安保調査会・法令整備小委員会で「スパイ防止法案第3次案」が作成された。(これは、1985年6・6議員立法として「国家機密法」を衆院に提出されたが、12・21廃案となっている)。さらに【11・21】中曽根、「日米共同作戦計画案」を了承(内容非公開)したというニュースがあった。

本論では日帝支配層のスケジュールの概観は、以上にとどめるが、こうした、政治日程、政治判断の構築と合わせて、武器輸出の政策が展開してきたということである。

 

【「防衛装備移転三原則——「5類型」とその廃止】

 

輸出緩和における規制ルールとしての★★「5類型」の新設★★――装備輸出緩和への転換は、2014年以降、安倍政権のもとで★★「防衛装備移転三原則」(2014年)★★の制定などとして本格化する。

このことは、集団的自衛権(安保法制——2016年制定)との関連を指摘するべきだろう。同盟国間での、武器・兵器の共有を通じた、共同作戦・連絡通信の円滑さなどの軍の一体化の前提の一つに、装備の共有があるからだ。だから、この三原則が今回、以下のように、変更された(「5類型」撤廃 =殺傷兵器の限定国への輸出)ことは、段階的に実現する計画としてあった、と分析しても何らおかしくはないだろう。

 

内容は次の様である。

●①「移転を求めない」⇒「締結した条約などの義務に違反する場合」「国連安保理決議に違反する場合」「紛争当事国(武力紛争からの平和の回復のため国連安保理が取っている措置の対象国」)への移転となる場合」。

 

●②「移転を認める」⇒「平和貢献・国際協力に資する場合」「日本の安全保障に資する場合」。

 

●③「移転先による適正管理の確保」⇒「目的外使用や第三国移転の際は日本の事前同意を義務付け」。

 

これにより、②のように「条件付きで」防衛装備輸出を認めることができるようになった。⇒そこで、輸出に関しては「規制」ルールが設けられた。

 

これが★★輸出に関する「5類型」★★といわれるものだ。

 

「非戦闘目的」での「救難・輸送・警戒・監視・掃海」に関する装備に限定するというものである。これにより、殺傷力のある護衛艦、空母などの艦船、ミサイル、防空システム、戦闘機の輸出はできないことになっていた。


★★★★この「移転」の実際のケーススタディとして、ウクライナ支援に関するものを見て行こう。これが一番(?)、分かりやすいと思う★★★★

●【ウクライナ支援に関するケーススタディ】

 日本は、ウクライナに「非戦闘目的」の「装備支援」をおこなっている。それは、「侵略を受けている国」への支援という課題によるものだ。防衛省は例えば、「令和5年5月21日」づけで、次のような報告を発表している。

  1. タイトル「ウクライナへの装備品等の提供について」
  2. 発信者「防衛省」
  3. 「昨年3月以降、防衛省・自衛隊は、自衛隊法に基づき、防衛装備移転三原則の範囲内で、防弾チョッキ、鉄帽(ヘルメット)、防護マスク、防護衣、小型のドローン、非常用糧食等をウクライナ政府に提供してきました。
  4. 今般、防衛省・自衛隊は、ウクライナ政府からの要請を踏まえ、新たに自衛隊車両(1/2tトラック、高機動車、資材運搬車)を合計100台規模で提供することとしました。ウクライナ政府へは、準備が完了した車両から順次提供を行っていきます。
  5. あわせて、非常用糧食約3万食も追加提供します。
  6. 防衛省・自衛隊は、今後もウクライナに対してできる限りの支援を行ってまいります」。
  7. ここでは、「国際法違反の侵略を受けている被侵略国に対する支援」として、他方での「紛争当事国(武力紛争からの平和の回復のため国連安保理が取っている措置の対象国)」に対する防衛装備品の移転は行わない(これは「5類型」廃止後も同じ)★★ということとは、別の政策★★が位置づけられている。
  8.   2022年2月から始まった、クレムリンによるウクライナ侵略に対し、ウクライナ政府から支援要請を受けた日本政府は、★★★「防衛装備移転三原則及び運用指針」を改正した。「運用指針」において、装備の海外移転を認める案件として、「国際法違反の侵略を受けているウクライナに対して自衛隊法116条3の規定(「自衛隊不用品」の無償・低額譲渡など)に基づき防衛大臣が譲渡する防衛装備の海外移転」が追加された★★★。これは2023年の改正で、この政策は、対象国をウクライナに限定せず、また、より一般化された(自衛隊法116条3の規定に加え「有償による新品の移転も可能」となる)政策範疇となっている。
  9.    この「国際法違反の侵略を受けている国に対し自衛隊法上の武器に該当しない装備品(非戦闘目的の装備品)が移転可能」という政策の延長上に、「5類型」廃止にともなって、現在、ウクライナに対するいろいろな政策が提起されているといわれている。決まったことは何もない。注視してゆく必要があるだろう。
  10.  では「5類型」廃止とは、どのようなことなのか。
  11. ———

●【閣議と国家安全保障会議(NSC)による「5類型」の撤廃——「防衛装備移転三原則」の「一部改正」(「令和8年4月21日」)という法的位置づけ】

 

以上の五類型が今回、「撤廃」された。「防衛装備移転三原則」がすべて廃止されたわけではない。

だがこれで、≪殺傷兵器などをふくむ完全装備品の輸出≫ができることになったのである。もっとも、●「三原則」によって紛争当事国(武力紛争からの平和の回復のため国連安保理が措置を取っている対象国)への防衛装備の移転は「禁止」されている。これは変わらない。問題は、「5類型」を廃止し、「非武器」と「武器」に分け、【殺傷力のある「武器」も、以下に示すような限定された諸国に移転できるようになった】、というものだ。

 

●輸出対象国は、防衛装備品技術移転協定の締結国・17か国(合衆国、イギリス、オーストラリア、インド、フィリピン、フランス、ドイツ、マレーシア、イタリア、インドネシア、ベトナム、タイ、スウェーデン、シンガポール、UAE,モンゴル、バングラディシュ)に限定。

 

●武器(殺傷兵器)に関しては国家安全保障会議(NSC)の会合での審査を通過したもの(速やかに国会に通知するとされている)。⇒★★★※「5類型」廃止に伴い、「防衛装備移転三原則」に、2026年4月21日、「特に自衛隊法(昭和29年法律165号)上の武器(弾薬を含む。)に該当する完成品について」国家安全保障会議(NSC)の審査で承認された場合、「国会への通知および情報公開」をする【等】の、改正加筆部分が入ったということだ。★★★

 こうした、同盟国間の武器輸出・兵器交易の緩和・全面化は、継戦能力を高めるとともに、同盟国軍の一体化を、技術面からも強化し、共同作戦などでの連携が効率よく一つの軍隊として動ける態勢をつくるうえで必要なものと、されている。以降、いろいろな国への護衛艦などの艦船などの供与など、様々な交流が展開されるという事になるだろう。

まさに★日本国のグローバルな戦争国家化にほかならない。この場合、おさえておくべきポイントは、日本単一の軍事力ではなく★、同盟国の合衆国、同志国と位置付けられたオーストラリアなどとの共同作戦態勢=集団的自衛権の様態強化がポイントだということだ。

 ———

★★【連載第8回】予告……自民党の改憲問題について、高市一派の改憲内容に関するイデオロギーを分析する。 「高市改憲論の中心命題はどこにあるか?――2012年「憲法改正草案」(「党の当事の議論の総括」という位置づけで、正式な党の公約や国会の憲法審査会への提示は見送られることになったもの)における 憲法第97条削除と「人権」条項に対する破壊のイデオロギー性●

 

【文末注】 国連「(旧)敵国条項」と「反撃能力」の同盟国間での共有の意味

(※この文章は「赤いエコロジスト」2023/02/28アップ。「日米安保軍の単一軍化をめざす日米IAMD構想(―—「反撃能力」の概念と安保三文書)に関するノート」の最後に収録されているもの――★★修正加筆した部分があります★★⇒●●で示しています)

  

国連憲章「敵国条項」と「反撃能力」

 国連憲章で「敵国条項」といわれているものは、以下である。

・第53条【地域的取極(とりきめ——引用者)・機関による強制行動】1 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の(「参考 第52条」参照」――引用者)地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

 

2本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

 

(参考)第52条【地域的取極と地方的紛争の解決】この憲章のいかなる規定も、国際の平和及び安全の維持に関する事項で地域的行動に適当なものを処理するための地域的取極又は地域的機関が存在することを妨げるものではない。但し、この取極又は機関及びその行動が国際連合の目的及び原則と一致することを条件とする。

1 前記の取極を締結し、又は前記の機関を組織する国際連合加盟国は、地方的紛争を安全保障理事会に付託する前に、この地域的取極又は地域的機関によってこの紛争を平和的に解決するようにあらゆる努力をしなければならない。

2 安全保障理事会は、関係国の発意に基くものであるか安全保障理事会からの付託によるものであるかを問わず、前記の地域的取極又は地域的機関による地方的紛争の平和的解決の発達を奨励しなければならない」。

 

・第77条【信託統治制度の種類】1 信託統治制度は、次の種類の地域で信託統治協定によってこの制度の下におかれるものに適用する。現に委任統治の下にある地域。第二次世界大戦の結果として敵国から分離される地域、施政について責任を負う国によって自発的にこの制度の下におかれる地域。2前期の種類のうちのいずれの地域がいかなる条件で信託統治制度の下におかれるかについては、今後の協定で定める」と規定されている。

 

・第107条【敵国に対してとった行動の効力】 この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。

以上の三条が、「(旧)敵国条項」といわれるものだ。

 

 「敵国」とは第2次世界戦争において、「連合国」の敵国であった「枢軸国」のことでありドイツ、日本などが、それだ。

 

★★★★その敵国が、第二次世界戦争によって確定した事項を、無効にし、または排除した場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の承認がなくても、無効・排除した敵国に対して、軍事的制裁を科すことが容認され、その行為は制止できないと解釈されるものだ★★★★。

 

現在問題になっている「反撃能力」に照らし合わせて考えるなら、「敵国条項」の存在は、「敵国」が、連合国側の国家と対等に交戦し合う資格を認めていないそこから言えることだが、だから、「敵国」の「反撃能力」は、否定されると解するのが自然だ。そこでこの「敵国条項」が「死文化」しているか、どうかが問題となる。

 この間、ロシアが日本に対してとった以下の対応も、この問題を根拠にしたものだ。例えば朝日新聞デジタル2019222202分配信の記事によれば次のようである。

ロシアの「ラブロフ外相は21日、ドイツ・ミュンヘンで16日に行った河野太郎外相との外相会談で、国連憲章に「(第二次大戦での)戦勝国の行いは議論の対象とはならない」との記述があると主張し、北方領土のロシアの主権を認めるよう迫ったことを明らかにした。インタファクス通信などによると、モスクワでのビジネス関係者らとの会合で述べた。ラブロフ氏は従来、「旧敵国条項」といわれる国連憲章107条には「第2次大戦の結果は変更できないと記されている」と主張している。外相会談でもこの条項に言及しつつ、河野氏にロシア側の原則的な立場を伝えたとみられる」。

まさに、これだと、2019年現在も、この「敵国条項」は「死文化」していないということになる。だから、この問題の歴史的経緯と、国連憲章における条文項目「削除」の手続きについて、確認することが大切だ。

「敵国条項」は「死文化」したとはいえない

この場合「「国連憲章」109条【再審議のための全体会議】2 全体会議の三分の二の多数によって勧告されるこの憲章の変更は、安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の三分の二によって各自の憲法上の手続きに従って批准されたときに効力を生じる」ということがポイントだ。

 ●●また、「全体会議」(1995年国連総会)で、「事実上死文化している」というのが、日本政府の見解(解釈)だが、1995年国連総会の決議(12/11)は「削除(deletion)に向けた作業を開始すること」が決議されたにとどまる。2005年9月の国連首脳会合では「『敵国』への言及の削除を決意する」という決議があがっている。あくまでも「作業を開始する」「決意する」だ。

 翻って、また仮に、1995年の総会決議を各国で「批准」するとしても、●●★★国連加盟国の「三分の二の国の批准」という事実は2023年の今日においても、日本国家は確認できていない。従って「死文化」はしていないと見るのが妥当だ。こうした歴史的経緯に対して日米IAMD構想は「反撃能力」=交戦能力を日本に付与するという意味をもっている。

 

★★★