2022年3月31日木曜日

 

ロシア農耕共同体と世界資本主義

(※ 以下は、「ロシア農耕共同体と世界資本主義」、『世界資本主義と共同体』、社会評論社、2014年。「第八章」の全文の転用である。ただし、最初の【解説】は新しくつけ加えた。小見出しは、変えているものがある)。 

【リード】

農業における生産協同組合(広義)のいろいろな形態(社会的労働実態)は今日において、新自由主義グローバリゼーション(世界市場)と対峙する位置を形成しているし、また、今日以上にそれを形成してゆくことが可能である。それが資本からパージされた労働者の生活を保障するものとなるような自由さをもって、広がってゆき、資本家の経営する職場――新自由主義よりこちらの方が生きやすいし、生きがいがあるということになり、都市の労働者が農業耕作者(半農半Xであれ)になることが常態化してゆけば、都市の労働者が資本家の労働力商品として生きることを選択しないようになることが可能となる。

そうなれば逆に資本の労働政策もまた変わるだろう。ソ連「労働者国家」が存在したころの、対抗的・国民統合的な反共政策としてあった社会保障政策・雇用政策をやり方は以前とは違うだろうが、とらなければならないということになるのではないかということだ。そしてそうした労働現場における、資本に対する労働者の闘うヘゲモニーを確立して行くことが労働運動の、ひとつの課題になるだろう。職場生産点において多くの仕事と権限を労働者の自主管理で運営する展望も開拓できるだろう。

まさに新自由主義グローバリズムに対抗する<根拠地>としての都市と農村を自主的流通でつらぬく農業生産協同組合戦略は、このような展望において成立するのではないか。

他方で、そのことの可能性を今一番破壊しているものに福島第一原発の原発事故(現在進行形)がある。森林生態系――海洋・河川・土壌に放射性物質は降りそそいでいる。反原発の闘いと農業生産協同組合戦略は不可分の関係にある。原発・核開発は農産物という命の源を生産する農業を破壊するものだ。このような問題意識のもとに、その共同体問題一つのルーツとなるような問題を考えてゆきたいと思う。

 【解説】ここで取り上げるロシア農耕共同体=ミール共同体に関しては、さまざまな分析視覚があり、マルクス生前からいろいろな論争があった。そして、戦後も、宇野経済学者・渡辺寛をはじめとした分析論考がある。それは本論、総体として拙著拙稿「ロシア農耕共同体と世界資本主義」(2014年刊行)で、全面的に論じられているものだ。

まず、この共同体が、どういうものだったかを、確認することから始めたい。

まず、マルクスの「共産党宣言 ロシア語第二版序文」で、欧米におけるロシア革命運動の位置と、そこにおけるミール共同体の評価を見ていこう。ここで、「マルクス・エンゲルス」とぜず、「マルクス」だけにあえてしたのには、含意がある。エンゲルスは、マルクス死後、「ミール」への評価をとりやめたからだ。それは、ミールは近代化(共同体への商品市場の拡大を動機とする――例えばレーニンにあっては後述するように、この論調のオンパレードだ)によって崩壊するという論調であり、後述するように、エンゲルス→プレハーノフ、ザスーリッチ→カウツキー→レーニンへとつづき、スターリンの強制的農業集団化へと展開した一連の経緯をもつものだ。これに対し、ミールを擁護したのがナロードニキ、とりわけ、左翼エスエル(社会革命党左派)であった。

(※ この『共産党宣言ロシア語第二版序文』に署名したエンゲルスは一八九四年、ロシア共同体=共産主義拠点論を撤回し、資本主義(商品経済の法則)が共同体を破壊するとしたのであった(「ロシアの社会状態」再販、あとがき)。そこでは次のように論じられている。

「ところでしかし、わすれてはならないことは、ここで(共産党宣言ロシア語第二版序文のこと――引用者)述べたロシアの共同所有のひどい崩壊が、それ以後、いちじるしく進んだことである。……ロシアの共同体の崩壊が一定の水準に達した以上は、世界のいかなる権力といえども、これを復活することはできるものではない」。エンゲルスはその根拠を「貨幣経済の侵入」としている(マルクス・エンゲルス全集第二二巻、原書ページ、四二九~四三〇頁)。

レーニンもこうしたエンゲルスやカウツキー(例えば『農業問題』1946年、岩波文庫、原著1899年参照)らにしたがって「いわゆる市場問題について」(1893年執筆)、「ロシアにおける資本主義の発展」(1896~1899年執筆)、「カウツキー『農業問題』の書評」(1899年)、「農業における資本主義」(1899年)、「農業問題と<マルクス批評家>」(1901年)などでロシア農耕共同体の解体を「想定」し農耕共同体を拠点とするナロードニキを批判した。だが次に後述するように、その「解体」は世界資本主義の特殊な構造によって全面的にはおこらないばかりか、オプシチーナ、ミールといった農耕共同体には、ロシアの農民の八割以上が帰属し、対地主闘争を元気に展開していった。そして一九一八年ロシア農民革命の一大拠点となっていったのである。

ではいつまで存続したのか? ロシア革命後まで。スターリンがこの共同体を国家暴力によって、国営農場に転換させるまでだ。客観主義的な近代主義者たちの妄想はミールが商品経済の法則によって解体するということを語るだけだった。しかし、ミールはこれからみるように世界資本主義の構造によって存続しただけでなく、一つの革命拠点という共同意志によって自身を保持したのである。そこには新自由主義グローバリゼーションに対する一つの闘いのタイプを発見することもできるのではないか)。

 まさに結論から言うなら(これは、宇野経済学派の渡辺寛の分析で、『レーニンの農業理論』(1963年、御茶ノ水書房)、『レーニンとスターリン』(1976年、東京大学出版会)になるところのものだが)、ロシア農耕共同体は、1917年のロシア革命時において、農村における革命の拠点となった。この共同体には当時のロシアの農民の、90%以上が属していた。それは、世界資本主義との関係では、ロシアが、欧州先進資本主義国に対する農業・自然資源供給国であったため、資本の本源的蓄積の不徹底、農村部の継続が客観的事実としてイギリスのような本源的蓄積が展開されるような資本主義近代化を、西欧ブルジョアジーから要請されなかったことと、ナロードニキの対地主闘争などで、社会的勢力として「農民」階層が存在していたという、主客両面での要因によるのである。以上を説明書きとする。

―――――

●ラトーシュの問題意識●

 

 ラトゥーシュは『<脱成長>は、世界を変えられるか』(作品社、二〇一三年、原著二〇一〇年、以下『脱成長』とする)で、次のように述べている。

「確かにマルクスは、一八八一年にヴェラ・ザスーリッチに宛てた有名な手紙の中で、帝政ロシアの伝統農村共同体(集団農村経営村)(ミール、オプシチーナ農耕共同体のこと――引用者)が資本主義的発展段階を経由せずに社会主義体制に直接以降することを描いた。社会主義革命のこの別のシナリオの可能性は……新たに、メキシコのサパティスタと先住民民族共同体に関して同様のシナリオが構想されている(それはこのラトゥーシュの本の「序章」に論じられているが本論では省略する――引用者)。しかし周知の通り、マルクスの没後から一〇年が経過した頃、エンゲルスがこうしたもう一つの社会主義革命の道に対して非常に懐疑的になった。マルクス思想のこれらの『残滓』は、マルクス没後二〇年たってレーニンによって理論と実践の双方で攻撃され(まさに、この問題を第六章で扱う――引用者)、その後スターリンによって徹底的に除去された。第三世界の様々な『実在するマルクス主義』は、前資本主義的な共同体に対して全く寛容ではなかった。『社会主義的』」近代化は、資本主義的近代化以上の暴力と執拗さを用いて過去を白紙にし、社会主義の実験の失敗に続いて起こった超自由主義的なグローバリゼーションの侵入を容易にしたのである。事実、(『ロマン主義的』あるいは『ユートピア的』という形容詞で根拠なく蔑まれた)初期社会主義の道と声の類稀な多様性は、史的・弁証法的・科学的唯物論の単一的思想の中で矮小化された」(『脱成長』一五一~一五二頁)。

 これから本論でのべようとすることは、まさに、この問題である。後述するように、このラトゥーシュの論述の中で、後述するようなマルクスの農耕共同体とプロレタリア革命のユニットによる社会主義革命の「別のシナリオの可能性」(「別」というのは、生産力主義的な都市革命だけのプランとは別という意味だ)が「レーニンによって理論と実践の双方で攻撃され」という、その「理論」とは、「いわゆる市場問題について」、「ロシアにおける資本主義の発展」などで展開されている市場経済の発達による農耕共同体解消論であり、それらは、これから論述するように、カウツキー、エンゲルスなどからレーニンが継承した商品経済史観にもとづくものであった。さらに、この「実践」とは、ナロードニキ――エスエル、左翼エスエルや、ウクライナ・マフノなどとの党派闘争を土台としつつ、一九一八年以降の、ロシア内戦期において、ボリシェビキが展開した、「食糧独裁令」(穀物・農産物の強制徴発)などのことである。さらに、「スターリンによって徹底的に排除された」とは、「農業集団化」をしめすものである。これ以上の解説は、以降の本文にゆだねよう。

まず、ラトゥーシュが述べている、マルクスの社会主義革命のプラン「別のシナリオの可能性」という問題からはじめよう。

 

●ロシア農耕共同体の運命について

 

 一八八一年二月から三月にかけて、マルクスは、ロシアの革命家、ザスーリッチの依頼に対して四つの草稿をもつ一つの短い手紙を書いた。この手紙の文面に後期マルクスの世界認識をめぐっての重要な観点と一九世紀ロシア革命運動内の戦略論争を背景にしての彼の革命観が表出している。

当時ロシア革命運動は一八七九年、ヴ・ナロード運動の全国的政治組織であった「土地と自由」が二分解し、上からの資本主義化を推進する国家から農耕共同体を守り、国家を暴力的に打倒し革命的独裁を樹立せんとする政治革命派=「人民の意志」党と、農民闘争と同時に都市プロレタリアートの出現に対してこれの組織化を緊要とした「黒い再分割」派が成立していた。前者はツアーリ打倒の真剣な武装闘争をめざし、後者は亡命地において新たな革命の思想形成をめざしていた。

このような情況下で、ロシア革命の戦略的見通しにとって、ロシア社会の中で支配的なミール、オプシチーナといった農耕共同体の運命への分析が要請されていた。国内的に活発な論争が展開し、資本主義的歴史必然として、これが解体する運命にあるのか否か、又、これが資本主義を通過することなく、社会主義へ向かって、解放されていく可能性があるのか否かをめぐって議論が闘わされた。

一八八一年二月の、マルクスによせられた、ザスーリッチ(黒い再分割派に属する)の手紙は、まさに、この論争の中で、マルクスの『資本論』が、重要な分析の対象になっていることを示し、マルクスに、ロシア農耕共同体の見通しに対する分析を求めたものであった。

 

●ザスーリッチのマルクス宛の手紙

 

ザスーリッチのマルクス宛の手紙は次のようであった。

「 一八八一年二月一六日 ジュネーヴ、ローザンヌ街四九号 ポーランド印刷所

敬愛する市民よ! あなたの『資本』がロシアで広汎な読者を得ていることは、あなたのよくご存知のことでしょう。出版されたものは没収されました。しかし、没収をまぬがれてわずかに残った版本が、わが国の多少とも教養ある人々の一団によって読まれています。そして繰りかえしよみかえされていくことでしょう。つまり、『資本』を研究している真摯な人々がいるのです。しかしあなたは、ロシアの農業問題やわが農村共同体(commune rurale)に関する私たちの論争のなかで、あなたの『資本』が、現に果たしている役割については、おそらくご存じないでしょう。

(中略)

この問題は、とりわけわが社会主義者党(parti socialiste)にとって生死にかかわる問題である、と私には考えられるのです。わが革命的社会主義たちの、一人一人の運命は、まさに、この問題をめぐる次の二つの見解のうち、いずれをあなたが採るかにかかっております。

二つのうち一方とはすなわち、この農村共同体が、国庫の無際限の租税徴収や領主への支払いから、さらには恣意専制の行政から、ひとたび自由になれば、社会主義の道において己を発展させることができる。いいかえれば、集合主義(コレクティビスト)的基礎のうえに、生産物の生産とその分配とを徐々に組織することができる。この場合にあっては、革命的社会主義者は、この共同体の解放と発展とに向かって、その全勢力を捧げなければならないことになります。

このような見解とは逆に、もし共同体が死滅する運命にあるものであれば、社会主義者にとって次のことだけが残ることになります。すなわち、ロシア農民の土地が彼らの手からブルジョアジーの掌中にうつるには何十年かかるか、資本主義がロシアにおいて西ヨーロッパのそれに類似する発展を遂げていくには、おそらく何百年もかかるであろうが、果たしてどのくらい先のことか、ということを予測するための、あまり根拠のない計算に専念すること、これであります。この場合には、農民層のなかから不断に溢れ出ていく都市労働者のなかで専ら、宣伝活動をしなければならぬことになりましょう。農民が、共同体の解体のために、賃金を求めて、大都市の舗道に投げだされていくからであります。

農村共同体は、歴史が、そして科学的社会主義が、つまり、この争う余地のないものが、死滅すべきものと宣告している、一つの原古的形態である、と語られるのをわれわれは最近しばしば耳にします。このようなことをいい広めている人は、自分たちのことを、すぐれてあなたの弟子すなわち『マルクス主義者』だ、とみずから語っております。彼らの議論の最大の強みは『マルクスがそう言っている』という点にあることがしばしばあるのです。

『しかし、あなたがた(マルクス主義者)は、そのことをマルクスの『資本』から、どのようにして導き出すのか、マルクスは【『資本』では、農業問題を取り扱っていないし、ロシアについても語っていないではないか』と、人は彼らに反論します。

(中略)

こういう次第で、――市民よ――この問題に関するあなたのご意見が、どれほどわれわれの切実な関心事となっているか、またわが農村共同体のさらされる運命に関する、そしてさらに世界中のすべての国々が資本家的生産の全局面を経過するという歴史的必然の理論に関する、あなたのご意見を、あなた御自身が開陳してくださることが、どれほどにまで大きな寄与を私どもにもたらすか、御了解いただけるでありましょう。

(中略)

もしも、この問題に関する多少とも詳細な御意見を開陳する時間が、いまのあなたにない場合には、せめて、手紙の形式でそうしていただければ、そして、その手紙を翻訳しロシアで公表することを私に対してお許しくだされば、幸いに存じます。市民よ、私の心からなるご挨拶を、お受けとりください。 ヴェラ・ザスーリッチ」(平田清明『新しい歴史形成への模索』、新地書房、一九八二年、一九四~一九七頁。以下「平田本」とする)。

 

●マルクスからザスーリッチへの手紙

 

以上のザスーリッチのマルクス宛の手紙に対する返書は、次のようであった。

 

「 一八八一年三月八日 ロンドン、北西区 メートランド・パーク・ロード 四一番

(中略)

数ヶ月前に私はすでにこの同じ問題について論稿を書くことを、サンクト・ペテルブルグ委員会(「人民の意志」党のこと――引用者)に約束しました。しかし、私の学説といわれるものに関する誤解について、いっさいの疑念をあなたから一掃するには、数行で足りるだろうと思います。

資本家的生産の創生を分析するにあたって、私は次のようにいいました。

『かくして資本主義制度の根底には、生産者と生産手段の根底的分離が存在する。……(引用者注・この「……」はマルクス自身の略)この発展全体の基礎は、耕作者の収奪である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである。……(引用者注・マルクス自身の略)だが西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の運動を経過する』(『資本』フランス語版、三一五頁)。

このような次第で、この運動の『歴史的宿命』は、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているのです。このように限定した理由は、第三二章の次の一節のなかに示されています。 

『自分自身の労働にもとづく私的所有……(引用者注・マルクス自身の略)は、やがて、他人の労働の搾取にもとづく、賃金制度にもとづく資本家的私的所有によって、取って替わられるであろう』(前掲書、三四一頁)。

こういう次第で、この西ヨーロッパの運動にあっては、私的所有の一つの形態から私的所有の他の一つの形態への転化が、問題なのであります。これに反して、ロシアの農民にあっては、彼らの共同所有を私的所有に転化させる、ということが問題なのでありましょう。

こういう次第で、『資本』に示された分析は、ロシアの農耕共同体の生命力を肯定するために人が利用しうる論拠をも、逆にそれを否定するために人が利用しうる論拠をも、提供していないのです。しかし私は、この問題について特殊研究を行い、その素材をオリジナルな資料に求めてきた結果、次のことを確信するに至りました。

すなわち、この共同体はロシアにおける社会再生の拠点である。しかし、そのようなものとして機能しうるためには、それはまず初めに、あらゆる側面からこの共同体に襲いかかっている有害な諸勢力を排除し、ついで、自然成長的な発展の正常な諸条件をこの共同体に確保することが必要であるでしょう。

親愛な市民よ、あなたの忠実な カール・マルクス」(「平田本」一九九~二〇一頁)。

 

●マルクスのロシア農耕共同体に関する見解

 

マルクスの論点は次のように整理できる。

第一に『資本論』のフランス語版を引用し、資本主義の歴史的宿命が西ヨーロッパに限定されていて、ロシア共同体の分析の拠点とはならないのだという点だ。

「資本主義の創成期を分析するにあたり、私は言った。『……資本主義制度の根底には、生産者と生産手段との根本的な分離が存在する。……だが、この発展全体の基礎は耕作民の収奪である。それが根本的な仕方でおこなわれたのはまだイギリスにおいてだけである。……しかし、西ヨーロッパの他のすべての諸国も同一の運動を経過している(『資本論』フランス語版……)』だから、この運動の『歴史的宿命』は、はっきりと西ヨーロッパの諸国に限定されている」(マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』、大月書店、国民文庫、一二九頁)ということである。

第二に、ロシア共同体に対し有害な諸勢力を排除し、発展条件の正常な確保を計れば「ロシアにおける社会再生の拠点」となるという旨のものであった。

また後述するように、『共産党宣言』ロシア語第二版序文においても、マルクスはロシア革命がヨーロッパプロレタリア革命の合図となり、相補的に関係するなら、ロシアの土地共有制は、共産主義的発展の出発点となることができると書いている。

だがザスーリッチは一八九〇年代に入りロシア共同体ミール革命拠点論を撤回した。ザスーリッチは「黒い再分割」派そして、そこからから発生したプレハーノフが指導する「労働解放団」に属していた。プレハーノフはミールを「アジア的専制」の土台にすぎないと考えていた。ザスーリッチ同様、ミール否定である。

後に見るようにエンゲルスもまたマルクス死後、ミール農耕共同体=共産主義萌芽説を否定した。

マルクスの「ザスーリッチへの手紙」は、プレハーノフによって幽閉された。この手紙が発見されるのは、『マルクス・エンゲルス・アルヒーフ』の編集を手がけたリャザーノフ(のちトロツキー派としてスターリンにより粛清)によって、草稿が一九一一年発見され、一九二三年「手紙」の所在が判明し公表された(この経緯について詳しくは平田清明『新しい歴史形成への模索』新地書房、一九八二年、参照のこと)。

ミール拠点論の否定と、西欧的資本主義市場化による農村のプロレタリアートとブルジョアジーへの階級分裂という表明は、プレハーノフの系列によって継続され、ロシア社会民主党へ、ボリシェビキへと、そのナロードニキと対立する党派によって継承されていった。そしてこの流れにおいて、レーニンの「ロシアにおける資本主義の発展」などの見地が確立する。さらロシア革命後のボリシェビキ官僚主義によるミール農耕共同体破壊へと展開してゆくのだ。

これに対しミール農耕共同体=革命拠点論(左翼エスエル――SR社会革命党においては、マルクス同様、プロレタリア革命との合流を条件とするミール共同体拠点論である)を、断固主張した「人民の意志」派と、これを継承した社会革命党左翼エスエル(左翼社会革命党)へと展開する。  ここにボリシェビキと左翼エスエルの根本的な相違も存在するのである。

それはまたボリシェビキが、封建制度資本主義社会主義という、後にスターリンが整理することになる、単線的歴史発展段階説として「原始共同体奴隷制封建制資本主義社会主義」をもって、歴史進歩主義的・近代化主義的にロシア農耕共同体の意義を否定した見解の逆方向でマルクスのロシア革命論が定立していると言うことを意味する。

そもそもこの共同体は封建共同体の概念には入らない、もっと古形の農耕共同体であるロシア農耕共同体について、マルクスは「ザスーリッチへの手紙」への「草稿」中、「西洋でこれにあたるものは、きわめて最近の時代のゲルマン共同体である。それは、ジュリアスシーザーの時代にはまだ存在しておらず、ゲルマン諸種族がイタリアやゴートやスペイン等を征服しにやってきたときには、もはや存在していなかった」と規定している。

つまりこのことは次のことを意味している。このマルクスが言っている「ゲルマン共同体」とは、マルクスが「グルントリッセ」(経済学批判要綱)中の「フォルメン」(「資本主義的生産に先行する諸形態」)でつくった歴史の四類型「アジア的ギリシア・ローマ的ゲルマン的ブルジョア的」の「ゲルマン的」とは別のものであると定義されるものだということだ。

プロレタリア革命との結合によって、共産主義的発展(再生)の出発点・拠点となるという考え方の内に、後期マルクスが、「歴史の単線的発展史観」を否定していることが、鮮明にうちだされているという立場を表明したものに他ならない。

 

●共産党宣言ロシア語第二版序文

 

ロシアの農耕共同体の意義を高く評価したマルクスの全文を読もう。

ちなみに、この文書に署名したエンゲルスは一八九四年、ロシア共同体=共産主義拠点論を撤回し、資本主義(商品経済の法則)が共同体を破壊するとしたのであった(「ロシアの社会状態」再販、あとがき)。そこでは次のように論じられている。

「ところでしかし、わすれてはならないことは、ここで(共産党宣言ロシア語第二版序文のこと――引用者)述べたロシアの共同所有のひどい崩壊が、それ以後、いちじるしく進んだことである。……ロシアの共同体の崩壊が一定の水準に達した以上は、世界のいかなる権力といえども、これを復活することはできるものではない」。エンゲルスはその根拠を「貨幣経済の侵入」としている(マルクス・エンゲルス全集第二二巻、原書ページ、四二九~四三〇頁)。

後に見るようにレーニンもそのエンゲルスにしたがって「ロシアにおける資本主義の発展」などでロシア農耕共同体の解体を予測し農耕共同体を拠点とするナロードニキを批判した。だが、これからみるようにその「解体」は世界資本主義の特殊な構造によって全面的にはおこらないばかりか、オプシチーナ、ミールといった農耕共同体には、ロシアの農民の八割以上が帰属し、対地主闘争を元気に展開していった。そして一九一八年ロシア農民革命の一大拠点となっていったのである。

ではいつまで存続したのか? ロシア革命後まで。スターリンがこの共同体を国家暴力によって、国営農場に転換させるまでだ。客観主義的な近代主義者たちの妄想はミールが商品経済の法則によって解体するということを語るだけだった。しかし、ミールはこれからみるように世界資本主義の構造によって存続しただけでなく、一つの革命拠点という共同意志によって自身を保持したのである。そこには新自由主義グローバリゼーションに対する一つの闘いのタイプを発見することもできるのではないか。

「共産党宣言 ロシア語第二版序文」(全文) (マルクス・エンゲルス全集第一九巻から。原書頁二九五頁、以降)は、次のように述べている。

 「『共産党宣言』のロシア語初版は、バクーニンの翻訳で、一八六〇年代のはじめに『コロコル』発行所から出版された。当時の西欧の人々には、この本(『宣言』のロシア語版)は、文献上の珍品としか考えられなかった。今では、そういう見方をすることは不可能であろう。

その当時に(一八四七年一二月)プロレタリア運動がまだどんなに限られた地域にしか及んでいなかったかは、『宣言』の最後の章、さまざまな国のさまざまな反政府諸党にたいする共産主義者の立場という章が、このうえなくはっきりと示している。つまり、そこには、ほかならぬ――ロシアと合衆国が欠けている。それは、ロシアがヨーロッパの全反動の最後の大きな予備軍となっていた時代であり、また合衆国がヨーロッパのプロレタリアートの過剰な力を移民によって吸収していた時代であった。どちらの国も、ヨーロッパに対する原料の供給者であると同時に、ヨーロッパの工業製品の販売市場になっていた。だから、その当時には、どちらの国もなんらかの仕方でヨーロッパの既成秩序の支柱であった。

それがいまではなんという変わりようだろう! まさにこのヨーロッパからの移民の力が北アメリカに、大規模な農業生産を発展させる可能性をあたえた。そして、いまこの農業生産の競争が、ヨーロッパの土地所有を――大小の別なく――根底からゆりうごかしている。そのうえ、この移民のおかげで合衆国は、非常な勢力と規模でその膨大な工業資源を利用することができたので、西ヨーロッパ、とりわけイギリスの従来の工業上の独占は、まもなく打破されるにちがいない。

この二つの事情は、ともにアメリカそのものに革命的な反作用を及ぼしている。全政治制度の土台である農業者の中小の土地所有は、しだいに巨大農場の競争に敗れている。それと同時に、工業地帯では、大量のプロレタリアートとおとぎ話のような資本の集積とが、はじめて発展しつつある。 それでは、ロシアはどうか! 一八四八年一八四九年の革命のときには、ヨーロッパの君主たちだけでなく、ヨーロッパのブルジョアもまた、ようやくめざめかけていたプロレタロアートから自分たちを守ってくれる唯一の救いは、ロシアの干渉であると見ていた。ツアーリはヨーロッパの反動派の首領であると、宣言された。

今日では、彼はガッチナ【引用者注:一八八一年三月、人民の意志党はアレクサンドル二世を完全打倒(=暗殺)した。これをうけて、アレクサンドル三世はサンクトペテルブルグ(レニングラート)付近にある城・ガッチナに、「人民の意志党」のテロルを避けるため軍隊などの警護をうけて、篭ることになっていた、そのガッチナ】で革命の捕虜になっており、ロシアはヨーロッパの革命的行動の前衛となっている。

『共産党宣言』の課題は、近代のブルジョア的所有の解体が不可避的にせまっていることを宣言することであった。ところが、ロシアでは、資本主義の思惑が急速に開花し、ブルジョア的土地所有がようやく発展しかけているその半面で、土地の大半が農民の共有になっていることが見られる。そこで、次のような問題が生まれる。ロシアの農民共同体(オプシチーナ)は、ひどくくずれてはいても、太古の土地共有制の一形態であるが、これから直接に、共産主義的な共同所有という、より高度の形態に移行できるであろうか? それとも反対に、農民共同体は、そのまえに、西欧の歴史的発展でおこなわれたのと同じ解体過程をたどらなければならないのであろうか? この問題にたいして今日あたえることのできるただ一つの答えは、次のとおりである。もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者が互いに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる。

ロンドン、一八八二年一月二一日、カール・マルクス、F・エンゲルス」。

 そして、こういうマルクスの思潮とフレンドなものとして、まさにナロードニキの次のような共同体論が展開されていたということなのである。

 

●ゲルツェンの農民共同体論

 

これから見るようにレーニンの商品市場拡大=ミール農耕共同体解体論の予測にもかかわらず、そして一九一七年以降のロシア農民革命により、「一九二五年で農民の九〇%以上が農民共同体に属していた」(アレック・ノーヴ『ソ連経済史』、岩波書店、一九八二年、一一九頁)という、この現実において、レーニンが言うような<共同体革命論はロマンチズム>でもなんでもなく、現実の実践的な運動として、レーニンたちに対しては外在化した、歴史的・社会的ヘゲモニーとして存在していたのである。

「共同体所有と個的占有」を所有形態とした農耕共同体は、生産手段のブルジョア的私的所有と非和解的に対立し、社会主義的共同占有とフレンドなものに他ならない。

結局この共同体を打ち砕いたのは、ボリシェビキ官僚主義の農業集団化であり、官僚制国家所有にもとづく近代工業化国家路線にほかならなかった。

以下の共同体革命論は、こうした歴史の流れをふまえつつよまれるべきものである。

ナロードニキのイデオローグ、ゲルツェンに登場願おう。

ゲルツェンが一八五一年に書いた「ロシアにおける革命思想の発達について」(岩波文庫、二〇〇二年)は次のように述べている。

「ロシアの農村共同体はいつのころともわからない遠い昔から存在している。……農村共同体はいわば社会的なひとつの単位であり、法人である。国家はけっしてその内部に立ち入ることはできなかった。共同体は所有者であり、納税の義務を持つ。それはすべてのものに対してまたおのおのの個人に対して責任をもつ。それゆえに内部のことに関するすべてにおいて自治的である。

共同体の経済的原則はマルサスの有名な格言にたいする完全なるアンチテーゼである。共同体は例外なくすべての者におのが食卓の席を提供する。土地は共同体に属するのであって、その個々の成員に属するのではない。これらの成員はおなじ共同体の他のおのおのの成員の所有している土地と同じ面積の土地を所有する不可侵の権利をもっている。この土地は彼が死ぬまでその所有にゆだねられる。彼はこれを遺産として残すことはできない。またその必要もない。彼のむすこは成年に達するやいなや父親が生きている場合でも、共同体から土地の分け前を要求する権利をもつ。一方その成員が死んだ場合は土地は共同体に返還される。

非常にとしをとった成員が自分の土地を渡し、それによって免罪の権利を得る場合もしばしばある。共同体を一時はなれる農民も土地に対する権利を失うことはない。共同体(または政府)によって追放の宣言をうけた者のみが土地をとりあげられる。しかし共同体がかかる決定をするには全員の同意を必要とする。しかもこのような手段に訴えるのは特別の場合に限られる。最後に農民は自己の要求によって共同体との結びつきから解放される場合にも土地に対する権利を失う。その場合には農民は動産のみを持ち去ることを許される。それには自己の家屋の処分または移転を許されることもある。かくて農村プロレタリアートの発生は不可能である。

共同体の中で土地を所有するおのおのの者、すなわち青年に達し納税の義務あるおのおのの者は、共同体内の問題に関する発言権をもっている。村の長老とその補助役たちは一般の集会で選ばれる。種種の共同体の間での問題の審査、土地の分配や租税の割当もおなじようにして行なわれる。(なぜなら本質において支払うものは個人ではなくて、土地だからである。政府は頭数だけを数えているが、共同体は実際に働く労働者、すなわち土地を利用している労働者を単位と見なしている)」。

「地主は農民の土地を切り取り、もっとも良い土地を自分に取り上げることができる。しかし農民に充分な土地を拒むことはできない。土地は共同体に属することによって完全に共同体の管理のもとに、すなわち自由な土地が管理されている場合と同じ原則のもとに置かれている。地主はけっして共同体の管理に干渉することはない。

土地を区分して個人所有に移すヨーロッパ式システムを採用しようとした地主もいた。これらの試みは大部分バルティク諸県の貴族によっておこなわれたものであるが、すべて失敗し、たいていは地主の殺害か土地屋敷の焼き討ちをもって終わった。これはロシアの百姓が自己の抗議を表明するときに用いる国民的な手段である」(付属章「ロシアにおける農村共同体について」)。

こうした農耕共同体を起点としてのゲルツェンの主張は、このようなミールの土地共有と土地の定期的割り替えの仕組みを共同体に対する外からの抑圧としての封建的束縛から解放する、この共同体に生活する農民を抑圧している国家から解放することをめざしてゆくのである。移住の権利、農民の個人的自由は、一七世紀初期の法律により制限された。まさに「窒息せしめられたものは共同体ではなく農民であった、われわれは一七世紀のはじめにおけるツアーリ・ゴドノフの法律を知っている。これはひとりの地主の土地から他の地方の土地に移動する農民の権利を規定し、制限したものである。これが農奴制への第一歩であった」(ゲルツェン、前掲五一頁)。

このような農民に対する国家の抑圧と闘うナロードニキのミール農耕共同体の課題は、現にそこにあるロシア共同体の価値化というにとどまるものではなく、この共同体の作り出している平等なシステムを、革命によって、より活かしてゆくことをポイントにしている。つまり、「共同体がどのような運命か」という、これから見るようなレーニンの問いかけ自身が、客観主義なのである。

ナロードニキは資本主義化で、農民層の労働者階級への階級分化(資本の本源的蓄積)を経ることなくロシアは社会主義に移行できると考えたが、そのポイントは何がしかの宿命論・決定論ではなく、共同体をポジティブな、さらに自己変革してゆく可能性を持った平等的共同体としてとらえる観点、農耕共同体ミール、オプシチーナ、生産協同組合アルテリといったロシア共同体を、ひとつの<新生事物>として〈再生〉してゆくということが、ナロードニキやマルクスのポイントになっているのである。

そしてゲルツェンは前掲書で次のように述べている。

まさにこのような共同体社会を実現するのは、この共同体の革命的発展を妨害してきた専制国家を打倒する革命を不可避とするのだと。

「ロシアの国民は共同体の生活の中にのみ生活してきた。彼らは共同体との関係においてのみ自己の権利と義務とを理解していた。共同体以外のところには彼らは義務を認めず、ただ暴力のみを見る。かれらがそれに服従するのはただ力に服従しているだけである。……ロシアにおいては目に見える状態の背後に、既存秩序の進化であり変形にほかならないような、不可能な理想というものは存在しない。たえず実現を約束しながら、けっして実現することのないような、不可能な理想というものは存在しない。最高権力がわれわれのまわりにはりめぐらしているところの柵のうしろには何ものも存在していない。ロシアにおける革命の可能性は帰するところ物質的な力についての問題である」(前掲一八二頁)と。

 こうしたナロードニキの共同体論に対して、かかる農耕共同体の解消論を展開したのがレーニンだった。

 

●レーニンのロシア農村共同体解消論――その「商品経済史観」的限界

この文のサブタイトルに書いた「商品経済史観」を前提としておさえておこう。商品経済史観とは宇野経済学などで、社会的労働実態としての「資本の本源的蓄積」(典型的な例としてよくあげられることで言えばイギリスのエンクロージャーのような、生産者と生産手段の所有の暴力的分離・収奪の過程)を忘却し、資本主義の形成を単なる商品集積や分業形態の変化に置き換えただけの商品経済拡大史観のことをいう。批判対象となる方法論の呼び名の一つだ。この概念が本論の以降のひとつのキー概念をなすものに他ならない。

宇野弘蔵は次のように述べている。

「古代、中世等々の諸社会における商品経済の発達は、これらの諸社会の歴史的過程をそのままに包含しうるものではない。この商品経済の発達に伴う商品、貨幣、資本の形態的発展を直ちに歴史的過程となすことは、他のところでものべたように(……)、唯物史観を商品経済史観に歪曲し、矮小化するものにほかならない。そればかりではない。商品、貨幣、資本の流通形態の転回自身をも純形態的に行ないえないようにする。いわゆる単純商品社会論はその点を端的に示している。労働価値説がこの商品形態論で行われることの難点もそこにある。例えば、商品論で直ちに行われる労働価値説は、社会的労働といっても、労働力の商品化を基礎とする資本の生産過程を前提しえないために論証不十分なものとならざるをえない。実際またそういう形態規定は、奴隷労働と資本主義的な賃金労働の社会的平均労働をさえ想定しなければならないことにもなるであろう。資本の移動、労働の移動を想定することのできない商品交換関係で想定される社会的労働が、実質的な規定をもちえないのは当然といってもよいであろう。それは労働価値説を真に展開するものではない――と私は考えている。ところがこの商品論で、いわゆる単純商品社会を想定することが、実は旧社会関係の商品経済による全面的支配の過程をも、単なる商品経済自身の発展過程に解消し、歪曲することになるのである。『資本論』が資本の原始的蓄積の過程を商品・貨幣・資本の体系的展開から離れて解明しているのも、それが単なる商品経済自身の内部的な発展となしえないからである」(宇野弘蔵『社会科学の根本問題』「Ⅴ 経済学と唯物史観」、青木書店、一九六六年、一一七~一一八頁)。

 つまりこれらのことは、<商品経済自身の発展過程>なるものの自己運動でその国の産業構造が決まってゆくのではなく、そこには社会的労働実態を基礎とした産業が、どのようなあり方を国際的にも要請されているか、あるいは、国際的な役割連関の中での位置を持つものとなっているかということの中で決まってゆくのだということを、意味している。

 そこでこの商品経済史観だが、エンゲルスは次のように述べている。

「中世に発展していたような商品生産のもとでは、労働の生産物は誰であるべきかという問題は全然起こりようがなかった。通例、個人的生産者は自分のものである原料、しばしば自分で生産した原料で、自分の労働手段を使って、自分またはその家族の手労働でそれを生産した。彼はその生産物をあらためてわがものにするまでもなかった。それはまったくおのずから彼のものであった。こうして生産物の所有は自己労働にもとづいていたのである。……そこへ大きな仕事場や手工制工場への生産手段の集積が、それらの事実上の社会的生産手段への転化がやってきた。しかし、この社会的生産手段と生産物は、それまで通り個々人の生産手段と生産物であるかのように取り扱われた。これまで労働手段の所有者が生産物を取得したのは、その生産物が通例彼自身の生産物であって、他人の補助労働は例外だったからであるが、いまでは、労働手段の所有者は、生産物がもはや彼の生産物ではなく、もっぱら他人の労働の生産物であったにもかかわらず、それを取得し続けた。こうして、生産物は、いまでは社会的に生産されるようになったのに、それを取得するのは、生産手段を実際に動かし、生産物を実際につくりだした人々ではなく、資本家であった。……一方の、資本家の手に集積された生産手段と、他方の、自分の労働力以外にはなにももたなくなった生産者との分離が完了していた」(『マルクス・エンゲルス全集第』一九巻、「空想から科学への社会主義の発展」、原書頁二一三頁)。

つまりここでは単純商品生産者の社会から商品(―生産手段)が資本家に集積され、そのことで階級分解が拡大してゆく様相が論述されているわけである。そして「商品生産が広がるにつれて、ことに資本主義的生産様式が現れるとともに、それまで眠っていた商品生産の諸法則も、もっと公然ともっと力強く作用するようになった」(前掲、原著頁二一六頁)としている。

 これが、商品経済史観といわれているものだ。<単純商品生産者の社会→資本家となる大所有者への商品集積→貧富格差→個人的小生産者のプロレタリア化→階級分裂→資本・賃労働関係の形成>というもので、資本の原始的蓄積(生産者と労働実現条件・生産手段の所有の暴力的・強力的分離、生産者からの生産手段の収奪の過程による階級関係の形成)を忘却、ないしは後景化し、ただ商品経済の拡大と集積を命題とするものである。

 これに対して「原始的蓄積」とは次のようなことを言う。

例えばマルクスはさきの「ザスーリッチへの手紙」でも書いていた、エンクロージャー(土地囲い込み)などの原始的蓄積をおこなったイギリスの例を念頭にこうのべている。「資本関係を創造する過程は……一方では社会の生活手段と生産手段を資本に転化させ他方では直接生産者を賃金労働者に転化させる過程以外のなにものでもありえないいわゆる本源的蓄積は生産者と生産手段との歴史的分離過程にほかならない」。「この新たに解放された人々はかれらからすべての生産手段が奪い取られ、古い封建的な諸制度によって与えられていた彼らの生存の保証がことごとく奪い取られてしまってから、はじめて自分自身の売り手になる。そしてこのような彼らの収奪の歴史は、血に染まり火と燃える文字で人類の年代記に書きこまれている。「人間の大群が突然暴力的にその生活維持手段から引き離されて無保護なプロレタリアとして労働市場に投げ出される瞬間である。農村の生産者すなわち農民からの土地収奪は、この全過程の基礎をなしている」(『資本論』第一巻二四章、岡崎次郎訳、国民文庫、第三分冊、三六〇~三六二頁)ということである。

 

●商品経済史観にもとづく「農民層の両極分解」論

 

以下に見るレーニンの「いわゆる市場問題について」(一八九三年執筆)の分析視覚は、ロシア共同体解消説といってよいものだ。これから見ていくように完全な商品経済史観による論法である。そして後に見るように、そのことは社会的労働実態に関わる分析を後景化させるものとなっているのだ。この観点は「ロシアにおける資本主義の発展」(「発展」とする。一八九六~一八九九年執筆)においても貫かれており、レーニンにおいては規定性を持った分析視角の一つだ。それは端的に言ってレーニンの立場であるロシア・マルクス主義(広義)のナロードニキに対する党派闘争としての意味を持っているのである。

例えばレーニンのいうところでは、「ただナロードニキ主義の経済学者だけが、農民一般をなにか反資本主義的なものと解釈して、「農民」大衆がすでに資本主義的生産の全体系の中でまったく確定した地位を、すなわち農業および工業の賃金労働者という地位をしめていることを、無視しているのである」(「発展」、全集第三巻、一四七頁)というのがそれだ。

だが、そういう分析こそ歴史の現実に裏切られたのである。が、ここで一つ確認しておくべきことは、ナロードニキは農村共同体の「共同体の共同所有と耕作者個人の占有(私有ではない)」、つまり、私有の否定と共同体的所有が、社会主義の出発点になると考えていたのであって、農民の即自存在をそれとして「反資本主義」的としていたわけではないということである。

前置きはこれくらいでいいだろう。レーニンの「いわゆる市場問題について」に入ってゆこう。レーニンはのべている。

「資本主義とは、もはや人間労働の生産物だけでなく、人間の労働力そのものも商品になるという、商品生産の一発展段階のことである。したがって、資本主義の歴史的発展においては、二つの契機が、すなわち、(一)直接生産者の現物経済の商品生産への転化、(二)商品経済の資本主義経済への転化が重要である。第一の転化は、社会的分業――孤立した《これが商品経済の必須条件であることに、注意せよ》、個々の生産者がただ一つの産業部門の仕事に専門化すること――があらわれることによって、おこなわれる。第二の転化は、個々の生産者がおのおの単独で市場目あてに商品を生産し、競争の関係に入ることによって、おこなわれる。各生産者は、より高く売り、より安く買おうとつとめる。その必然的結果は、強者の強大化と弱者の没落、少数者の富裕化と大衆の零落であり、これが、独立生産者の賃金労働者への転化と、多数の小経営の少数の大経営への転化とを、もたらすものである」(レーニン全集第一巻原書頁七七以降、引用頁はすべて原書頁)。

これがおおきな見取り図である。

この場合レーニンが言う、階級分裂へといたる「個々の生産者」とは、エンゲルスなどで「個人的生産者の社会」=単純商品生産者社会なるものを措定し、そこからの商品集積や社会的分業の成功度などでの貧富格差の発生から階級分裂を説く、先述したようなエンゲルス「空想から科学へ」(マルクス・エンゲルス全集第一九巻)第三節の第三、四、五、六、八などのパラグラフに論述されているところの商品経済史観に依拠したものにほかならない。

そしてそれは、マルクスが『資本論』第一巻第二四章で明らかにした資本の本源的蓄積(農民・直接生産者に対する生産手段の所有からの暴力的分離による無産の労働者の形成の過程)を後景化ないしは忘却せんとするものに他ならないのである。

では、もう少しこまかくみていこう。レーニンは述べている。

「『市場』の概念は、社会的分業――マルクスが言っている「あらゆる商品生産《したがってまた資本主義的生産――と、私から付け加えよう》の一般的基礎」――の概念と、まったく不可分のものである、ということである。社会的分業と商品生産があらわれるところに、また、あらわれるかぎりで、「市場」があらわれる。そして市場の大きさは、社会的分業の専門化の程度と、不可分にむすびついている」(八三~八四頁)。

「『人民大衆の貧困化』(市場に関するあらゆるナロードニキ的な議論にかならずつきもの)は、資本主義の発展をさまたげないばかりでなく、かえってその発展をあらわすのであり、資本主義の条件であり、また資本主義を強化するものであるということである。資本主義にとっては「自由な労働者」が必要である。そして、貧困化とは小生産者が賃金労働者に転化することである。大衆のこの貧困化は、少数の搾取者たちの富裕化をともない、小経営の没落と衰退とは、より大きな経営の強化と発展をともなう。この二つの過程は市場の発展を助成する。以前には自分の経営で生活していた「貧しくなった」農民は、いまでは「賃仕事」によって、すなわち自分の労働力の販売によって生活する。……他方ではこの農民は生産手段から解放され、それらの生産手段は少数のものの手に集積されて、資本に転化される。そして、生産された生産物は市場にはいる。農民改革以後の時期におけるわが農民の大量的な収奪が、国の総生産能力の減少ではなく、その増大と、国内市場の増大とをともなったという現象は、ひとえにこのためである」(八七頁))。

「商品経済から資本主義経済への移行、商品生産者の資本家とプロレタリアートへの分解である。そこで、われわれがロシアの近代社会の経済の諸現象に目をむけると、わが小生産者たちの分解こそが主要な地位を占めていることを見るであろう。耕作農民をとりあげてみよう、――そうすれば、一方では、農民が群れをなして土地を放棄し、経済的独立性を失って、プロレタリアになりかわりつつあり、他方では、農民がたえず耕作地を拡張し、改良された耕作に移行している、と言うことがわかる」(九二頁)。

レーニンは、このように書いているのであるが。そして、こう結論付けているのであるが。

「これらの事実を説明する唯一のものは、わが「共同体的」農民をもブルジョアジーとプロレタリアートに分解させつつある。商品経済の諸法則のうちにあるのである」(九三)。 

まさにレーニンの分析方法は、概念化した「市場」なるものの現実への形態論的アテハメであり、「商品経済の諸法則」という〈「法則」の自己運動〉論にほかならない。

だがこうした「市場」の理論からする、レーニンの「ロシア農民の両極分解」の見通しは、例えば宇野経済学派の渡辺寛が論じているように完全に裏切られる結果となったのである。

まさに「だが事実は、こうしたレーニンの予想を裏切ることになった。一九〇五年にはじまる、中央黒土地帯を中心とする農民の共同体的結合による、地主所有地の全面的没収の運動がそれであった。この第一次ロシア革命の農業的構成部分は、レーニンの予想のように農民は両極に分解したのではなく、まだそのうちに、地主にたいする土地要求については、統一的集合力を有する一階級として存在していることを、現実に示したのである」(渡辺寛『レーニンとスターリン』東京大学出版会、一九七六年)ということなのである

 

●ロシア農民の階級的両極分解はなぜおきなかったのか

 

こうしたレーニンの「市場」の理論は、とりわけ、後進ロシアにおいて、それを分析しえない限界をもった理論装置としてそもそも、その弱点を指摘しなければならない。 その問題が先述したような、資本主義の形成条件に、マルクスが『資本論』第一巻二四章で定義した「資本の本源的・原始的蓄積」(生産者と生産手段の所有の分離)論の忘却であり、それは資本主義の形成はただ、共同体の社会的分業の拡大が商品経済を拡大させると同時に、かかる「単純商品生産者の社会」のなかで、強者には商品集積を弱者にはプロレタリア化を展開してゆくという商品経済拡大史観にほかならないのである。 これでは、後進ロシアの資本主義化は分析できなかったといってよい。どうしてか。

そこで宇野経済学の研究者・渡辺寛は、その農民層の階級的分解がなされない問題を、世界資本主義におけるロシア的特性に規定されたところの工業化の狭隘性にもとづく、資本の「原始的蓄積」の限界と、そのことにもとづく、農民のプロレタリア化の圧倒的なまでの不可能性という展開にもとめたのであった。

ここではロシア農耕共同体が存続した客観的諸条件について見てゆこう。この客観的条件に、農民の対地主反乱という主体的な条件が重複することにより、ロシア農耕共同体は解体する運命を免れていたのである。

渡辺は『レーニンとスターリン』では次のように述べている。

 「ロシアの資本主義化は、イギリスにおける産業資本の展開を基軸としてヨーロッパ資本主義が世界市場を形成した自由主義段階で、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国の穀倉として、世界市場にリンクされつつ、工業的・金融的には、イギリス、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、フランスなどに大きく依存して、外国資本の関与のもとに、かなり高度の、しかも矮小な規模の工業生産を中心としておこなわれた。そのためにドイツなどとは質的にことなった農業問題をかかえざるをえなかったのである。

都市における工業の一面的発展、つまり全体としては矮小な規模で、しかも個々的には高度の資本の集中をみた工業の発展、少数の極度に集中したプロレタリアート――これに対応した、農村における過剰人口の堆積、共同体的土地用益の土地私有への転化の停滞、これらを根拠とした地主所有地における高率の労働、現物、貨幣小作料の成立。こうした事態は、世紀末の新大陸諸国の世界穀物市場への登場による、ヨーロッパ穀物市場でのロシアの地位の衰退を、農民にたいする苛斂誅求によってカヴァしようとする大土地所有者の貨幣的欲望を通して、人災の凶作・飢饉を結果することになった。それは、ロシア革命の農業的基礎を形成することになったのである。

(中略) だが、こうした視点を方法的にも捨象せざるをえなかったレーニンは、「資本主義的な賃労働の発展は、雇役制度を根底からくつがえしつつある」と述べ、ロシアの農業問題も、全面的資本主義化とともに解消しつつあるものと想定したのである。

だが事実は、こうしたレーニンの予想を裏切ることになった。一九〇五年にはじまる、中央黒土地帯を中心とする農民の共同体的結合による、地主所有地の全面的没収の運動がそれであった。この第一次ロシア革命の農業的構成部分は、レーニンの予想のように農民は両極に分解したのではなく、まだそのうちに、地主にたいする土地要求については、統一的集合力を有する一階級として存在していることを、現実に示したのである」(三三~三九頁)。

それを、渡辺寛は、『レーニンの農業理論』(一九六三年、お茶の水書房)では、次のようにのべているのである。

 「資本主義である限り、いずれの国もこの過程を経過しなければならなかった」ところの「先進資本主義国イギリスの原始的蓄積の過程に対して、後進資本主義諸国の原始的蓄積の過程は、直接的生産者たる農民と土地との原生的結合と経済外的強制による彼らの土地への緊縛との解除による労働力商品化の機構確立の前提条件の創出という課題を実現しつつも、非常に異なった様相を呈することになる。これらの諸国は、世界市場がイギリスを世界の工場として編成されていたために、この世界市場の要求からして、多分に原料国的、農業国的色彩のもとに、資本主義を確立しなければなかった。しかもイギリスで発展した資本主義的生産方法を輸入して自国を資本主義化したのである。比較的高度の有機的構成(相対的過剰人口が増大する――引用者)による、しかも矮小な規模での資本の蓄積は、工業が農業に対して要求する労働力を比較的小規模にする傾向を生ぜしめ、旧来の農村の諸関係を徹底的に排除することなく、工業の必要とする労働力の商品化を実現しうることにもなるのであった。」

ここがポイントだ。

「したがって、後進資本主義国では、イギリスのように農業と土地所有とを徹底的には変革することなく、原始的蓄積がおこなわれる。従来の小農的生産方法が広汎に存続することにもなるのである。(中略)後進資本主義国の原始的蓄積の特殊性は、農民層の広汎な存在を許すことになる。しかもその後における資本主義の発展は、ひとたび創出された賃金労働者階級とその子弟とを基礎として、相対的過剰人口を形成することによって、労働力商品化の機構をそれ自身でつくりだしてゆく傾向がある。したがって、工業ないし商業が農業から吸収する労働力の規模は、農民をしてその経営を放棄させるに足りるほどのものとはなりにくい。かえって、吸収度が弱化し、農村に過剰人口を停滞させることにもなる」。

 つまり、資本主義近代化の進行にあっても、都市の相対的過剰人口(資本の価値増殖運動に対し過剰な労働人口)の形成は、農村部における労働力の過剰な停滞をつくりだすことが一般的な傾向となるのである。

「農業の再生産過程を根底から商品化しなくとも、すなわち労働力を商品化しなくとも、その生産物を商品化することによって、また工業製品を生活資料、生産手段として販売することによって、資本主義は農業を商品経済化し、自己の体制に包摂する。こうして、一社会として存立しうるのである」。

こうした原始的蓄積の分析は、レーニンの農業の資本主義化の分析からは、はずされていると渡辺は論じている。

「レーニンの市場理論は、工業が最初に資本主義化し、農業は最後に資本主義化するという想定に立っている。だが、かれはこれを時間的な前後関係としてしかみていなかったようである。工業の資本主義化につづいて、農業も自生的に、漸次的に資本主義化してゆくものと想定されたのである。現物経済から商品経済の移行において、商品経済化の契機を内部に求めた結果、商品経済の底力ともいうべきものを過度に評価する傾向が出てきたのであるが、いま、商品経済から資本主義経済への移行を究明するさいに農業内部に資本主義化の推進力(「社会的分業のこと――引用者)を求める結果、資本主義の歴史的画期としての原始的蓄積の問題が、考察からはずされてしまった。商品経済の発生と発展とが内生的なものと想定され、したがってまたその推進力を過度に評価する点では、方法的に(レーニンは――引用者)一貫している」(一〇九~一一一頁)ということなのである。

レーニンはこのような陥穽のもとで、「商品経済の諸法則」(レーニン)が必然的にミール農耕共同体を解体するという仮説をたてたのであり、それは、以上のような後進ロシアの事情によって、予測倒れとなる以外なかったのである。

それにしても、まだ疑問は残るだろう。レーニンがこういう論法をどうして用いることになったのかということである。

 

●レーニンの論法について――カウツキー農業理論「農民層の両極分解」論(資本主義発展一元史観)とその破産

 

渡辺寛は『レーニンとスターリン』の第三章「農業理論」(初出、一九六五年「ロシア革命とレーニンの農業理論」『思想』六五年一一月号)で次のように論じている。

「当時の『マルクス理論』は、『資本論』をもってただちに資本主義の生成・発展・消滅の過程をも明らかにしているものと解釈し、この過程のうちに産業資本による全面的資本主義化、つまり地主・ブルジョアジーとプロレタリアートへの完全な階級分解が、いずれの国において緩急はあれ、実現するものと想定したのであった。

社会の純粋資本主義化がいずれの国においてもやがては実現されるという想定は、現実の世界史的な資本主義の発展の中で示された、商人資本、産業資本、金融資本という、資本の蓄積形態の質的変化をともなう資本主義の段階的発展と、資本家的商品形態によって実質的に包摂さえないで、外的対立を構成することになる農業問題の顕現とによって、その誤りが暴露されることになったのである。資本主義の発展を、産業資本の拡大による全面的資本主義化の過程として把握するこうした考えを、「資本主義発展一元史観」と呼ぶとすれば、レーニンもこの史観から自由たりえなかったのである。

農業問題の古典とされているカウツキーの『農業問題』(一八九九年)は、『資本論』を資本主義発展一元史観として解釈し、その正しさを一九世紀ドイツ農業のうちに実証しようとしたものであった。しかし、中農層の存続と増大という現実をまえにして、さすがのカウツキーも、修正派のように公然とではなく、なしくずしに中農層の増大を認めざるをえなくなったのであるが、それは、『資本論』と現実とに相即不離の関係しか認めない一元史観の立場からして、資本主義の発展過程で中農層が増大すると言う一般的命題を生みだすことになった。それでもなおカウツキーは理論と現実との不一致に苦しんで、やがて『農業問題』を絶版にしてしまったのである。それは、まさに資本主義発展一元史観の現実的破綻にほかならなかったといってよいであろう。

(中略)

(だがしかし――引用者)社会主義革命後にいたるまでの中央黒土地帯を中心とした農村共同体(ミール)の広範な存続、農地における私的所有の未完成、さらには地主所有地での「雇役」制度などに典型的に表現される、ロシア資本主義の特殊的農業問題は、あまりにも特殊的であるために、かえって容易にレーニンをして、封建制度の存続という外的事情にもとづくものと判断させたのである。したがって資本主義発展一元史観は、カウツキーのような複雑さを含むことなく、初期レーニンの著作で展開されることになった。

 レーニンは、資本主義発展一元史観をさらに、「共同体」内部における商品経済の内生的発展・市場の形成・資本主義的両極分解を想定する「市場の理論」……に図式化し、ほぼこの図式にしたがって、ロシア資本主義を分析していった。

一八九九年に完成した大著『ロシアにおける資本主義の発展』がそれである。『小農耕者が農業企業家と農業労働者にわかれてゆく過程』を明らかにしながら、レーニンは、『この(農民層の引用者(この引用者は渡辺))分解が現在すでに完成された事実であること、農民層は対立する諸群に完全に分裂したこと』を実証しようとしたのであるが、ここでロシア農業の特殊問題にゆきあたる。『わが国の農村の経済で農民層の分解をはばんでいる……重要な現象は、賦役経済の遺物、すなわち雇役である』。雇役とは、地主経営地の『付近の農民が自分の農具で(地主の引用者=渡辺)土地を耕すことにあり、その場合の支払い形態は(……貨幣による支払いであろうと、……生産物による支払いであろうと、……土地または土地用役による支払いであろうと)この制度の本質を変えるものではない。雇役は賦役経済の残存物である』というものであった。

つまり、一八六一年にはじまる農民解放の過程で、次第に農民地として画定しはじめた「分与地」だけでは農民は生計を維持してゆくことができず、地主所有地の小作をしなければならないという事態を、レーニンは、『雇役制度』=『賦役経済の直接の残存物』と規定するのである。だが問題は、農奴解放の開始から十月革命にいたる半世紀のあいだ、なぜこのような制度が存続したのかということであり、それは『賦役経済の直接の残存物』という規定を与えても、決して解明されるものではなかった。

共同体的結合を強く残した農民層の存続とその窮乏化、それに基礎を置く雇役、こうしたロシア農業問題の解明は、「市場の理論」という資本主義発展一元史観の果たせるところではなかったといってよい」。と渡辺はのべているのである。

つまりレーニンは農村共同体が窮乏化しつつその存在を維持するためにおこなっていた小作労働・「雇役」労働を、「賦役経済の直接の残存物」と規定することで、農耕共同体をまさしく封建共同体として性格づけ、資本主義発展一元史観にもとづいて階級分化的に解体してゆく過程にあるものと規定したということだ。あるいはレーニンの「資本主義発展一元史観」の方法論的立場からはそのように規定するしかなかったということだ。その規定の限界はこれまで見てきたとおりである。

 

●「資本―賃労働」両階級への機械的分解の理論

 

 ここで渡辺が指摘した農民層の資本家と労働者への両極分解論を概観しておこう。

「「カウツキー「農業問題」の書評」(一八九九年)、「農業における資本主義」(一八九九年)、「農業問題と《マルクス批判家》」(一九〇一年(第一~第九章)、〇七年(第一〇~第一二章)などの諸論文を見てもわかるように、初期のレーニンのマルクス経済学理解はカウツキーによって代表される第二インターナショナルの正統派の水準に拠るものであったといってよい。

例えばレーニンの『カウツキー「農業問題」の書評』(レーニン全集第四巻)では次のように展開されている。

「小規模農業は、大規模農業の競争者であることをやめて、大規模農業のための労働力の提供者に転化するときに、安定性をえるのである。大土地所有者と小土地所有者との関係は、資本家とプロレタリアとの関係にますます近づく」。「農業は、たえまない改変の状態、資本主義的生産様式一般を特徴づけているあの状態に陥った。『農業大経営――その資本主義的性格はますます発展している――のもとにある広大な土地、借地や土地抵当の拡大、農業の工業化、――これらのことは農業生産を社会化するための地盤を準備する要素である』……社会では、一つの部分はある方向に発展し、他の部分は反対の方向に発展すると考えるのは、不合理であろう、とカウツキーはおわりにあたっていっている。実際、『社会の発展は農業でも工業でも同じ方向にすすんでいる』」

 「現代社会における進歩的活動がなしうることは、資本主義的進歩が住民に与える有害な作用をよわめ、この住民の自覚と集団的自己防衛の能力とをつよめるように努力することだけである」(原書頁八一~八三頁)。

 農村のブルジョアジーとプロレタリアートへの階級分裂は不可避だと言っているわけである。この場合、問題は、例えば中農の存在がどうあるかが問題になるだろう。

カウツキーは『農業問題』(岩波文庫、一九四六年、向坂逸郎訳、原著一八九九年)では次のように言っている。

「中農の農業的人口の総ての商品生産的階級の中で、賃金労働者の欠乏によって悩まされること最も少ないものであるが、その代わり近代の農業上に増大する他の負担の下に最も多く悩むのは、まさにこの階級であるのだ!中農は高利貸や中間商人による搾取の主要目的である。貨幣租税と軍務とはこれに最も酷く当る。彼の土地は最も多く地力の枯渇と乱獲にさらされる。そしてかかる経営は商品を生産するものの中最も非合理的のものに属するが故に、それは、最も甚だしく、競争戦を超人間的の労働と非人間的の生活方法とによって遂行するところの経営である。……なほこれらの農民を、その比較的には大きな所有地が郷土につないでおく。だが、ただ彼等だけであって、その子供はもはやつながれていない」。工業へ・都市へ・軍務へと向かう。そして、「中農の家族は小さくなり、それだけにただわづかに経営を進めて行くにも足らなくなり、それだけ農業労働者がここでも演ずる役割は大となり、且つ、それだけに労働者問題も、他の障碍と共に、この段階の経営にも著しくなる」(上巻、三九三~三九五頁)。

つまり農村のブルジョアジーとプロレタリアートへの階級分化は中農の没落とともにすすむと論じたのである。しかし、そのことが実際あった国となかった国とがあった。このことは、これまで見てきたとおりである。

まさに後進国の原始的蓄積は、後進国が市場的・産業的に中心国・先進国の国際的下部構造化(原料・農業国化)する中で、中心国・先進国の工業化の限界・限度に規定される。そのため、後進国では、工業化は、全面的ではなく中間的・部分的・変則的にしかおこなわれず、工業化のための労働力の必要性は限定的なものとなる。つまり原始的蓄積の必要性は限界を描くので、農村部には常に過剰人口が形成される。これによって、農村の階級分解は進まず、ロシアにあるような農耕共同体はむしろ、過剰人口を吸収して存続し、むしろ、地主と農民共同体との矛盾を深めることになる。

つまり、レーニンの「商品経済の法則⇒単純商品生産者社会の措定⇒社会的分業の発展⇒商品経済拡大⇒貧富格差⇒富者への生産手段の集中⇒農村の階級分化」という商品経済拡大史観モデルは――そもそもこの商品経済史観は原始的蓄積過程を分析視覚から忘却しているのであるが――、後進ロシアでは、少なくともそのままの形ではそして全面的には展開しなかったということになるわけである。

 

●左派ナロードニキから見たロシア農耕共同体問題の全体像

 

さてここで話は終わりなのではない。このロシア農耕共同体が、一九一七年ロシア革命以降の時期を含めてどのように展開したかが、次に重要なポイントになる。

この共同体論の一番広いウインドウをあけることにしよう。長文になるが、ここで左翼エスエル指導部の一人でボリシェビキとの連合政府=人民委員会議の司法人民委員だったI.スタインベルク(第二次大戦後に生き残った)『左翼社会革命党一九一七―― 一九二一』(鹿砦社、一九七二年、原著一九五五年)の「第一九章 ロシアの農民」(二三〇頁以降)より、ロシア農業農民共同体問題のポイントとなると考えられるものを引用する。

 

(1)   などの〇番号と見出しは引用者でつけた。

(1)ロシア農耕共同体

「ロシアの農民は、オプシチーナあるいはミールと呼ばれるその土地共同体の根深い諸伝統を革命にもちこんだ。農民人口の五分の四までが、オプシチーナの構成下にある土地で、その諸原理に従って働いていたのである。

この制度の主要な原理とは何であったのか? 第一は、土地の共同所有権、第二は土地に対する全農民の権利。第三はオプシチーナにおける共同体的管理運営。(中略)農奴であった時ですらも、農民たちは確信に満ちてこう言うのであった。「わしらは御領主様の物だ、けど土地はわしらのものさ」と。

彼らはオプシチーナに所属しており、そのことは、一種の直接民主制である農民スホード即ち、村の寄合であらゆる決定がなされることを意味していた。オプシチーナは、その成員の間での種種の土地の配分を決定した。どの農民も自分と自分の家族が耕作するだけの一片の土地への権利を有していた。この意味において権利の平等は広く行きわたっていたのである。新たな世代のためではなく、すべての者にこの権利が保証されることを確保するために、定期的な土地の割替が行われた。そしてこの習慣が、土地は「わしのもの」ではなく、皆のものだ、といった農民の信念を増大させたのである。かくしてこの土地に対する権利というものが、農民経済が、ただ、「売却、購入、そして相続」に立脚しているにすぎない国々とは異なった社会的倫理的風土と社会的諸関係の体系とを創りあげたのであった。

なるほど、オプシチーナは、ツアーリ政府とその徴税政策の重圧のもとに置かれてはきた。だが上からの圧迫は、その内的な様式を変化させることができなかった。1906年、ツアーリの大臣ストルイピンは、農民にそのオプシチーナより離脱する『自由』ならびにひとつかみの土地の私的所有者となることを認める有名な仕事を布告した。その目的とするところは、新たな何百万という小ブルジョア的農民階級を創り出すことによって、くすぶりつつある革命の焔を消しとめることにあった。しかしながら、この機会に乗じてオプシチーナを破壊しようとした者はほとんどなく、しかも一九一七年に革命が勃発すると直ちに、多くの者が自発的にそこへ帰っていったのであった。

これこそ、ロシアの農民たちが偉大な動乱に対して献げた共同体的生活経験という社会的精神的資産だったのである。それは農村だけに行きわたっていたのではなく、ロシアで一般的であった協同組合運動の中にも見うけられた。ロシアの職人たちもまた、その多数が都市の工業労働者となる以前は、アルテリという労働組合に広範に組織されていたのである。良きにつけ悪しきにつけあらゆる機会に、彼らは、農村におけるオプシチーナの都市版であるアルテリの原理へ引きつけられたのであった」。

(二)土地社会化法の成立(一九八一年一月)

「ロシア農業革命の先触れとなった土地社会化法についてさらに注意深く検討してみよう。この法令は、はやくも一九一七年五月、ペトログラードにおける第一回労農大会でその大要が定められていたのであった。(中略)この作業は、第三回農民大会が(ペトログラードにおいて)初めて第三回労働者兵士ソビエト大会と合同で開催されていた一九一八年一月に完了した(この大会で採択された引用者)。九〇〇名のプロレタリアートの、そして六〇〇名の農民の代表が、ロシア勤労人民の統一を、《レーニンとスピリドーノワの握手》に象徴される統一をうちたてたのである」。(注:マリア・スピリドーノワ。左翼エスエル最高指導者。一九一七年一〇月革命以降の農民ソビエトの議長。スターリンにより一九四一年九・一一メドヴェージェフスキーの森で銃殺刑。享年五六歳――引用者)

「彼らの最終的な条文は以下のようなものとなった。「土地、鉱石、水、森林もしくは他の天然資源に関する種種の所有権(国家的所有もふくめて!)はロシア・ソビエト連邦共和国の領土において永久に廃止される。」

この冒頭の宣言に、全ロシアを新たなる土台の上に組み立て、土地総割替(チェールヌイ・ペレジェール)即ち全面的土地再分割という農民の長年の夢を実現した一群の条項が続いた。引用されているのは第二,三,四条である。「土地は、無賠償で全勤労者の使用に供せられることになる」「土地の使用権は、自らの手で労働するもの(つまり、賃労働を雇用しないもの)にのみ属するものである」「この土地の使用権は、性別、宗教、国境もしくは市民権を理由として制限されてはならない」(中略)「ゼムリャー・イ・ヴォーリャ(土地と自由)というスローガンは、もはや一国的性格を脱して、世界性を獲得せんと渇望していた」。

(引用者・渋谷の注:但し、「模範農場」の規定にはソビエトが農場を「《国家》により支払われる労働で耕作する」規定、「《労働者統制》の一般的基準に従う」規定の両規定が併記されている(前者規定=ボリシェビキ、後者規定=左翼エスエル)ことに見られるように、この法をめぐって両者で論争がおこなわれたことは確認しておくべきだ――菊池黒光『十月革命への挽歌』、情況出版、一九七二年、三五一頁参照)。

(三)農民革命(一九一七~一九一八年五月)
「『実際に生じつつあった事態とは、村民による仲間うちでの土地の割替ということだったのだ。小地主や富農は、その土地の大部分を多くの子供をかかえた家族へ譲り渡し、不平を一言ももらさずに自ら滅びつつあった。一週間後には全員が耕作のために畑へと戻り、こうして再分割は完了したのである。』(著者スタインベルクによる、一九二三年の内にユーゴスラビアで刊行された雑誌『ルースカヤ・ムイスリ(ロシアの思想)』でのレポートからの引用引用者)

(中略)こうして一九一八年四月に、ロシアの農民たち土地所有者たちはその所有地を社会的精神的解放のための共同資金へと投げ出したのである。当時の彼らの支払った犠牲というものは、もう一つの事実これも劣らず重要なことではあったがすなわちロシアにおける封建的地主制の崩壊よりも、なお重いものだった。
(原注)『一九一七―― 一九一八年の期間に、共同体(コミューン)によって再分割のために没収された土地の総面積は農民からのものが約七〇〇〇デシャチーナ(一億八九〇〇万エーカー)そして大土地所有者からのものが約四二〇〇デシャチーナ(一億一四〇〇万エーカー)と見積もられていた。大領地からよりも、農民の所有地からより多くの土地が取り上げられ《貯えられた》)(プール)のである。(以下略)』(著者スタインベルクのディヴィット・ミットラー『農民対マルクス』よりの引用文引用者)」。

(四―A) レーニンの食糧独裁令(一九一八年五・一三)
「一九一八年の春、ブレスト=リトフスク講和条約締結直後のことであった(左翼エスエルは講和反対で人民委員会議(政府)から脱退。ソビエトには議員が存在する引用者)。我々は、このいわゆる講和がロシアに、とりわけ都市部に深刻な衝撃を与えたことをすでに知っている。それは、新たな困窮、飢え、政治不安をもたらしたのであった。ドイツ人は食糧生産地域の広大な部分を占領し、中央ロシアをその供給源から切断していた。政府は、力づくで農民からパンを挑発することを決定した。

ボリシェビキはこれ以上ひどい災厄を呼び寄せることはできなかったであろう。農村は、その精神的熱狂の再高揚期を通り過ぎたばかりであった。農村は自己を地主のくびきから解き放っただけではなく、その日常生活における経済的・社会的平等化への基礎をも築いたのであった。(中略)人民にとって必要不可欠な商品の生産者である農民が、都市の工業労働者との友情の絆をすぐにも創りあげるのは、当然のことと思われていた。その時になって突然、ボリシェビキ国家は、彼らに対して何か階級闘争の如きものをしかけたのだった(五月食糧独裁令のこと引用者)。

農村そのものにおいて、ボリシェビキ再びその旧式の理論(カウツキーに影響された「小ブル=農民層の資本家と労働者への階級分化・両極分解」の教条的な理論引用者・渋谷)へと後退したは、勤労農民に、《小ブルジョア》、商売気や私的取引や本来的貪欲さにかぶれた人間という烙印を押しつけた。彼らはほんの少し残っていた《貧民》を圧倒的な農民大衆に敵対させるために組織した、つまり彼らは《貧農》のソビエトを設立したのである。こうして彼らは、自らの手で新たな革命的農村の基礎を破壊することに着手した。

けれども、それでさえも十分ではなかったのだ。彼らは何千人という特別に組織された工業労働者を《パンの徴発》のために農村へと送り込んだ。本書の他の章、とくに「ボリシェビキ・テロル発動す」は、これらの部隊これは抵抗する農民たちに対する懲罰遠征隊にしばしば早変わりしたのだががいかにそのプロレタリア的参加者を堕落させ、信じ難い残虐行為へと導びいたかを詳述している」。

(四―B) スターリンの農業集団化(一九二九年~)

「都市への一層迅速なパンの供給を保証するために、政府は農村における経済組織の新制度を布告した。コルホーズ(集団開拓地)およびソフホーズ(国営農場)である。ソフホーズは《実際にはパン製造工場》とでもいうべきものであった。

即ちそれは、巨大な土地を中央集権化された擬似産業体に転換したものであり、そこでは農民は賃労働者として働くこととなっていたのである。コルホーズは、共産主義的精神で共同の農業単位を確立するためのものと主張された。けれどもそうした精神は、かつて土地革命を鼓吹したオプシチーナ精神とは天と地ほどにも異なっていた。それは農民の自由な決定と国家の強制との間の差異であり、農民たちの中から生まれた共同性と上から押しつけられた統計学的官僚主義的平準化との差異であったのである。

ボリシェビキ的な農業形態の中では、ロシア農民の固有な伝統は、もはやいかなる役割をも果たさなかった。今よりのち、農民は(その軍務に加えるに)都市にパンや他の原料を供給するための物理的経済的道具という存在にすぎなくなったのだった。旧きマルクス主義的処方箋が、今や武装せる国家権力の援助の下に、到る所において勝利を収めていた」。

以上がスタインベルクの分析と主張だ。

 

●廣松渉の「食糧独裁令」に対する分析

 

ここで、哲学者廣松渉(19331994年。『存在と意味』(岩波書店)など)の『マルクスと歴史の現実』(平凡社)での分析を見よう。

一九一八年、内戦のさなか「ロシアでは、五、六、七の月三ヶ月間は端境期にあたり、穀物が市場にほとんど出荷しません。土地革命で小規模自作農化した農民たちは、戦争と革命で商品経済が低迷し、穀物を売っても買う品物がない状態になっていたこともあり、穀物を売りに出そうとはしません。講和条約の締結がもたついていた間にウクライナその他の穀倉地帯がドイツ軍に占領された関係もあって、都市での食糧危機は深刻です。政府としては、とりわけ中央農業地帯とヴォルガ河流域から穀物を調達するしかありません。ところが、この両地域は農民革命の主舞台となった地帯でもあり、エスエル(社会革命党―引用者)の拠点でもありました。左翼エスエルは穀物調達の地方分権化や公定価格の引き上げによる解決策を提議しました。しかし、政府は『貧農委員会』の組織化、『穀物の貯えをかくす農村ブルジョアジーとの闘争』を指令し、『食糧徴発隊』を中央から大挙農村へと派遣してことに当たらせました。いわゆる『食糧独裁令』の施行です。左翼エスエルは『勤労者共和国の基礎をなす二つの勢力、すなわち勤労農民とプロレタリアートが相互にけしかけられる危険』を警告して断固反対しました。現に、食糧徴発隊と現地農民との武力衝突、農民叛乱が各地で起こりました」(二二一~二二二頁)。

こうした<強権の行使>を「階級闘争」と称して展開することをつうじ、ボリシェビキに外在化し、かれらとは独立したヘゲモニーをつくりだしていた農民革命勢力を、ボリシェビキは解体していったのである。

 

●食糧独裁令に対する左翼エスエルの闘い

 

廣松が展開した観点を参考にしつつ、ここでは左翼エスエルに内在した視点を見ることにする。左派ナロードニキであり、農民ソビエト議長マリア・スピリドーノワを最高指導者とする左翼エスエル(SR社会革命党)の、ボリシェビキとの闘いを見ることにしよう。(以下の年表は次の文献に準拠するものである。加藤一郎編『ナロードの革命党史――資料・左翼社会主義―革命家党』、鹿砦社、一九七五年、三〇九~三一〇頁、以下、「資料」とする。 注:この文献には左翼エスエル党の綱領(草案)が全文掲載されるなど、資料価値の高いものとなっている)。

【五・一三】食糧独裁令公布。

【五・一四】全ロシア執行委員会、モスクワ・ソビエト、労働組合と工場委員会代表者合同会議で、カムコーフ(左翼エスエル指導者)ボリシェビキの対外政策は「革命の漸次的圧殺」であると非難。

【六・一一】カレーリン(左翼エスエル)、全露中央執行委第一九回会議で貧農委員会の組織化を批判。

【六・一六】左翼エスエル党中央委員会決定「勤労農民層の不自然な階層分化に帰する有害な方策の実施にたいして、中央と地方で断乎とした形態で戦うことを、左翼エスエルとマクシマリストは声明する」が、左翼エスエル機関紙『ズナーミャー・トルダー』(勤労の旗)に掲載さる。(レーニン・ボリシェビキの「農民層の階級分化・両極分解」論の教条と、農民層に対する「クラーク」のレッテルに対する非難)

【六・二〇】左翼エスエル党中央委員会指令「全党組織は国外国内反革命との斗争のための武装義勇隊を党委員会付属として設立せよ」。党中央委員会付属全ロシア戦闘団総司令部設立。

【六・二四】左翼エスエル党中央委員会、ブレストリトフスク講和条約(三・三調印)による息つぎを即時終結させるためドイツ帝国主義の代表者に対してテロルを組織することを決定。

【六・二八~七・一】左翼エスエル第三回大会(モスクワ)、ブレスト講和、死刑の適用、国家行政の中央集権化に反対する決議採択。

【七・四~一〇】第五回全ロシア・ソビエト大会(ボリシェビキ七七三名、左翼エスエル三五三名など一一六四名)

  【七・六~七】左翼エスエル戦闘団のドイツ大使・ミルバッハ暗殺を合図に、左翼エスエル・モスクワ蜂起。

モスクワ蜂起はブレストリトフスク講和条約に反対し、対独徹底抗戦に突入することを目的とするものだったが、それはこれまで読んできたように、左翼エスエルとしては、ドイツ軍がウクライナをはじめとしたロシアの穀倉地帯を占領していることに対する闘いの呼びかけであり、ドイツと講和し農民から農産物を徴発しているボリシェビキに対する農民革命勢力による抵抗権の発動としての主張をもったものとしてあった。

この七月蜂起によって左翼エスエルは赤軍に鎮圧され非合法化されることとなった。なお、この七月蜂起に反対して結成された左翼エスエル内の二つの分派(ナロードニキ共産党、革命的共産主義者党)は、その後、ボリシェビキ党に入党している。

 

●スピリドーノワのボリシェビキ党弾劾演説
 

 ここでもう一度、左派ナロードニキの主張を、今度は、スピリドーノワ自身の言葉で確認しておきたい。

第五回全ロシアソビエト大会では一九一八年七月四日、スピリドーノワがボリシェビキに対する弾劾演説をおこなった。(引用は前掲「資料」、一七五頁以降の「演説」全文掲載からの抜粋)

「同志諸君! 中央執行委員会に設置されている農民部の活動に関して報告することを許していただきたい」。「この布告(食糧独裁令引用者)は、クラークにではなく広範な層の勤労農民にひどい打撃を与えている。もちろん、エスエル(右派のこと)がおしゃべりをしている。同志諸君!ボリシェビキ、農民諸君! マルクス主義の部厚い著作を手に取ってほしい。そうすれば、なぜ諸君たちに懲罰隊が派遣されているかわかるであろう(カウツキー・レーニンの「小ブル農民層のブルジョアジーとプロレタリアートへの両極分解・階級分解論」にほかならない引用者)。

  私は赤軍兵士隊が襲撃にきて、上からの命令で農村にパニックを持ち込み、余剰

穀物をとりあげているが、クラークから取り上げているのではないという確固とした事実を持っている。(騒ぎ)農村にはソビエトが組織されている。そのソビエトはよく編成されており、農村では誰のところにどういったものがあるかを知っている。

  だからわれわれが農民大会でも語っているように、ソビエトに事業を委任すべきなのである。農村は約九〇%を占める膨大な農民層と一握りのクラークからなっている。この農民群、勤労農民は賃労働によって生活しているわけではない。ツアーリはこの農民層の上に踵で立っていたのである。彼らは戦い。税を支払った。この勤労農民が、今、懲罰隊を向けられているのである。(中略) 農民に対する政策に関する問題では、われわれはあらゆる布告に対して戦闘をしかけるであろう。われわれは地方で闘う。だから地方の貧農委員会(「農業賃労働者」をまきこんで組織したボリシェビキ委員会引用者)は存在しえなくなろう」。「食糧独裁令は(ソビエトに対する引用者)解散権を与えているから、農民代表ソビエトはほぼ解散されるという脅威の下で生存しているようなものである」。

 「(ブレストリトフスク問題では)ボリシェビキ党は、降服に向かっており、すでに帝国主義にとらえられてしまっている。(中略)わが左翼エスエル党は、最後まで国際主義的でありつづけ、いかなる降服、いかなる和解にも応じないであろう。同志諸君!こうした方策によってのみ、階級闘争を先鋭化させ、革命をその論理的帰結にいたるまで推し進めるという方策によってのみ、人民、農民と労働者の階級的本能は最後まで充実したものとなり、その後、われわれは社会主義、平等、友愛、公平の未来王国を勝ち取ることができるであろう」。

スピリドーノワはこの演説で、人民委員会議から撤退したことに伴い、ボルシェビキだけになった農業人民委員部の指令として、農村コミューンには資金を出さず、国家による賃労働を復活させていることを批判、少数にすぎないクラークではなく農民を苦しめている食糧独裁令を批判し、国家による死刑の復活に対し「ブルジョアジーの階級闘争の道具」である「死刑」に反対するとした。

  左翼エスエルの七月モスクワ蜂起の基調的提起、意思統一の内容がここにあった。まさにドイツ軍の侵攻でどれだけの農民が打撃を受けているか、また食糧独裁令でどれだけの農村共同体が打撃を受けているか、左翼エスエルとしては、そういう国内外の農民抑圧に対する正義の蜂起、食糧独裁令とブレスト講和に対する抵抗権の発動、それがモスクワ七月蜂起の左翼エスエルが主張する意味であった。

 それは一九二一年三月クロンシュタット叛乱にいたる――旧帝政派の「白軍」諸潮流との闘いの他方で――ロシア革命派内部の党派闘争の本格的なはじまりを意味するものに他ならなかった。

 渡辺寛はレーニンの革命後の農業理論について『レーニンの農業理論』で、つぎのようにのべている。

「ここではごく簡単にその要点をのべておこう。十月革命を通して大土地所有者から土地を奪い取った農民は、そのなかから必然的に資本主義的両極分解の傾向を示すようになり、この傾向を客観的基礎として、農村でも階級闘争が展開され、やがて「農村における本当のプロレタリア革命」(……「農業問題についてのテーゼ原案」(一九二〇・六)……)がはじまる。この革命の重要な構成部分として、おもに富農にたいする穀物徴発を実施する――これがレーニンの戦時共産主義政策の基本的な考え方であったといってよいであろう。そしてこの考え方の基礎には、レーニンの経済学研究においてすでにすでに定式化されていた、現物経済→商品経済→資本主義経済の内生的発展を説く市場の理論があった。市場の理論によれば、農業においても工業と同じように商品経済はたえず生産者の両極分解を通して資本主義経済に転化するはずのものであった。そしてこのような理論にもとづいて、革命後ロシアの農村においても両極分解の傾向が進展していると主張したのである」(二三四頁)。

 

そういう論理のもとに、戦時共産主義期の下、食糧独裁という、農村に対する「赤色テロル」が吹き荒れたのである。これに対し、一九二一年、クロンシュタット叛乱をうけて政策転換した後の、ネップ期の経済政策では、農民にたいし戦時共産主義の「割当徴発」なるものから「食糧税」に転換し市場を復活させたのである。さらに、レーニン死後、スターリンの専制が開始されてゆく中で農業集団化へと展開してゆく。

 

●スターリンによる農業集団化

 

農業の集団化を組織するに至った工業化路線は、そもそも一九二〇年代においてトロツキー派経済学者のプレオブラジェンスキーが『新しい経済』(一九六〇年代、現代思潮社から翻訳書が出た)などを書き、そのなかで「社会主義的原始的蓄積」を提起し、社会主義の「労働者国家」における、農耕共同体経済などに影響力を持った(国有工業化に対して独自の)市場的経済調整力の解体、農民層の労働者化と工業化のための農業に対する不等価交換の政策を提唱したことを始まりとしている。そこでこの不等価交換による工業化路線を主張したプレオブラジェンスキーと、プレオブラジェンスキーの考えに反対し、消費財生産に従属した工業化と「農民的農業」の育成等々の観点を主張するブハーリンとの間で、論争となったものである(この問題をめぐっては、本書の続編で章を設ける予定)。当初、スターリンは、これに対し労農同盟の破壊だとしてブハーリンらとともにプレオブラジェンスキーに反対していたが、トロツキーを追放した後、この工業化路線の考え方を取り入れた。

ただし、プレオブラジェンスキーもトロツキーも、後述するようにスターリンがやったような強権的な農業集団化には反対していたことは、確認しておかなければならないだろう。

不等価交換の手法は「取引税」である。

「取引税」システムは、工業化のための不等価交換、間接税などから形成される。例えば国家の穀物調達組織が農民から買い取ったライ麦価格をその買い取り額の例えば四倍の金額で国営製粉所に売り、それで得た収入を工業化にまわす。この場合、買い取りには低価格が強制されたため、これが実質的に税の機能を果たしていた。

さらに農業の集団化はそれによって生成した過剰人口を工業労働に組織してゆくことになったのであり、それは、ボリシェビキの近代生産力主義・開発独裁としての工業化論においてはまさに、必然的な過程にほかならなかったのである。

こうした経緯のもとで、スターリンは一九三〇年代初頭、オプシチーナ、ミールの解体を強行したのであった。

渡辺寛はのべている。

「スターリンが粗暴な両極分解論に拠って、「階級としての富農の絶滅」を命令し、富農の生産手段(土地、生産用具)の集団農場への没収をすすめるにつれて、それは農村住民に恐るべき影響をもたらした。富農とみなされ土地を没収され追放されたもの、およそ五五〇万人の多くはシベリアに追放され」(渡辺『レーニンとスターリン』一九四頁以降)た。「富農と中農を区別することは実際には困難」であり、中農にも追放はおよび、中農は、自分たちの家畜を大量に殺処分して富農ではないということを表明せざるをえなかった。

 「三二年にはロシアの農地の七割は集団化され、穀物生産も二八年に対して二割以上の増加をみせた」。だがスターリンは、「三一年の集団化計画の完了とともに」第一次五カ年計画のなかで、富農とその支持者がコルホーズとソフホーズに紛れ込んでいるから、摘発せよとして、三〇年代における大テロルの時代、国内粛清の時代を展開していったのである。 ロシア農耕共同体を破壊した近代は、資本主義ではなくてボリシェビキだったのだ。

2022年3月25日金曜日

ソ連スターリン主義を継承するロシア帝国主義戦争国家のウクライナ侵略戦争・「最初」の一ヶ月――ウクライナ人民(ー軍・民)のレジスタンスを支持し、難民を救援しよう

 【新稿】 ソ連スターリン主義を継承するロシア帝国主義戦争国家のウクライナ侵略戦争・「最初」の一ヶ月――ウクライナ人民( ―軍・民)のレジスタンスを支持し、難民を救援しよう

                              渋谷要

 最終更新 2022・4・02 23:00                    

<1>

 2月24日、ロシア帝国主義はウクライナへの侵略戦争を開始した。まさに今、「一帯一路」を軸とした拡張政策を全世界的に展開する中国スターリン主義と同盟関係を強化し、ウクライナに対する侵略戦争をはじめたのがロシア帝国主義である。これは、欧米日帝国主義に対する世界「再分割」を表明する戦争の一部分にほかならない。欧米日帝国主義に対し、ロシアは、ウクライナをNATOとの中間地帯として維持し、また、ロシア勢力圏の一部として確保せんとしてきた。それがプーチンのウクライナ侵攻の「正当化」の筋書きとなっている。 

 「ウクライナのNATO加盟阻止」ということだ。そのため、ロシアの権力者たちは、ウクライナの首都キエフを制圧し現政権を打倒、ロシアの傀儡政権を樹立して、NATO加盟を阻止しようとしている。それは同時に、ウクライナを占領する選択をのこすものだ。

 そのためにウクライナの東部二州に展開する親ロシア派の武装勢力が事実上の支配地域としている地域を「独立国」として一方的に「承認」するという挙動にでた。そこには「ウクライナに居住するロシア国民を守るため」という正当性の主張がある。また、そのためにプーチンによる侵攻を正当化する「声明」では、世界で一番の「核兵器」の保有国・ロシアを直接攻撃することは自殺行為だとの文言を表明し、それを「防衛のため」と言い切っている。まさにプーチンは、核戦力をふくむ核抑止部隊を、「高度の警戒態勢に置くよう軍司令部に命令した」のである。そしてチェルノブイリ原発を軍事制圧・占領し、欧州最大規模のザポリージャ原発を軍事攻撃で占領した。さらに別の核施設にも軍事攻撃をかけて占領している。

<2>――A

だが、ロシア軍のウクライナ制圧は、思うようには進んでいない。侵略の開始から一ヶ月(3月24日現在)たつが、「電撃的攻勢」で制圧するはずだった、キエフは、いまだに制圧できず、「キエフから15キロに待機している」といわれていた、ロシア軍の部隊は、合衆国の情報筋によると、3月24日には、ウクライナ軍民の激しい抵抗闘争によって、キエフとは50キロの距離までに後退しているといわれている。

 他方、南東部、マリウポリなどでのロシア軍の攻勢はつづいている。ロシア軍の砲撃によってこの廃墟と見間違うような都市となったマリウポリには、まだ、10万人の民衆がとりのこされているという。

 だが、こうした、ロシア軍とウクライナ軍民の闘いでは、いまだに「制空権」をウクライナ側が握っているということは、現局面では非常に象徴的だ。つまり、そう出る以上は、戦闘状態は長くなるはずだ。これに対し、ロシアのミサイルは、ベラルーシ(キエフの北)、親ロシア派占領地のいっわゆる「共和国」(キエフの東)、黒海(キエフの南)から、爆撃機で攻撃し、ミサイルを発射して、都市を無差別に破壊し、逃げ出そうとした人民に射撃している。

 また拘束して、ウクライナ人数千人を、ロシア軍が、ロシア領に強制移住させ、そこからさらに遠隔地に連れ出していると、マリウポリの市議会が声明を発表している(本文【注解】参照)。

 <2>――B 

 では、なぜ、ロシア軍はプラグラム通り進めないのか。いろいろな、行く手を阻まれているのはなぜ、という思いが現れてきてもいる。

 実は、ロシア軍の十分の一の規模ともいわれているウクライナ軍の方が、ロシア軍より、兵器的な機能としては、圧倒的に優れた兵器を手に戦っているということがあるのではないか。

 だから、この2-Bの記事は不快感を覚える人がいるかもしれないが、それが、まさに、このレジスタンス闘争(国土―市民社会防衛闘争)の「唯物論的現実」だ。本論論者は、これを認識したうえで、レジスタンスを支持する。

 例えばこういうことだ。ロシア軍に対し、ウクライナ軍民は、対戦車砲で、道になん十列も並ぶ戦車を一つ一つ攻撃し破壊している。例えばこの対戦車砲だが、一番評価されているのが、米帝(軍産複合体)が生産している「ジャベリン」だ。着弾は二段階で、初めの弾頭がサブ、そのあとメインの弾頭が爆破して装甲を貫通する。射程は2500メートル。上空に向けて撃てば、ヘリコプターも撃破できる。こう言ってよければゲリラ戦仕様なのが特徴で、兵士の肩に乗せて持ち運びできる。発射時にロックした標的に向けて自律飛行する。こういうのが、米帝から支給されている。これは、爆発の力を分散させる仕組みを備えるロシアのT90戦車などの装甲もこの、二段階式弾頭なら貫通することができるというものだ。

 また、例えば、スティンガー地対空ミサイル(携帯型で、命中率もよいとされているが、バッテリーの持続時間が短いなどの短所もある)で、高度6000メートルの空域を部分的に閉鎖することができており、ロシアの空の戦闘力を減速している。ロシア軍は戦闘機100機以上を損失しているとの観測がある。また、人民は火炎瓶を大量に作り、徹底抗戦の構えを一層強化している。まさに軍民総力戦でのレジスタンス(国土ー市民社会防衛戦争)が闘われている。

 さらにウクライナの国産対戦車ミサイルとしては、「スタグナP」が、キーウに拠点をおくルチ設計局というところで、生産されている。レーザービームでもってミサイルを目標へ誘導するレーザー誘導式のもので、長距離であっても貫通力が保持されている。また、この対戦車ミサイルは、三脚に設定して、50メートル離れたところから、ノートパソコンのようなリモコンで、操作することができる。兵士が反撃されるリスクが低減されるというものだ。これもゲリラ戦仕様だ。

 また、ウクライナは、NATOなどに対してウクライナ上空を、「飛行禁止空域」に設定するよう求めている。だが、その設定は、アメリカ合衆国などが直接、戦争に軍事上のかかわりを持つことを意味し、「第三次世界戦争」の引き金になるなどのリスクがあるため、アメリカ合衆国などは態度を留保している。飛行禁止空域の設定を行った主体が、監視する義務を負うためでもある。「飛行禁止空域(区域)」(NFZ)は、軍事上の概念であり、「飛行機が飛んではいけない」空域に、設定することである。設定した軍にとっては、禁止されているのに飛んでいる飛行機は、攻撃してよいとされるものだ。

 (※ 現在、こうした空域に設定されているものとしては、ワシントンDCの「防空識別圏」や、日本では米軍・横田基地などや、日米安保軍の射爆撃場にかかわる「制限空域」などがある。日本の法制では、航空法80条・航空法施行規則173条によって規定するものとされている。有名な作戦では、湾岸戦争後、イラク戦争開戦前の「サザン・ウォッチ作戦」が有名だ。1992・8~2003・3・19イラク戦争開戦まで、イラク南部を飛行禁止空域として、アメリカ合衆国が中心となり、英仏が参加して、監視行動―作戦行動を展開した。)

 こうした、一連の軍事問題の配列において、レジスタンスの武装闘争が闘われている。この闘いの近代ブルジョア法上の法思想的な位置づけを確認しておこう。近代国民国家には、国家―市民社会に、民主主義法秩序の破壊を阻止し、破壊された秩序を回復するという目的で、自然権が保有されている。「国家緊急権」「抵抗権―革命権」だ。よく、絶対平和主義の立場からは、国家緊急権は「ファシズム」、抵抗権―革命権は「民主主義」と発想されるが、それは「一面的」な見方であり、国家―市民社会(個人)を総体として守る自然権として規定されたものだ。だからファシズム国家の侵略から、民主主義国家が国家緊急権を発動する事態がある。それが、典型的には、第二次世界戦争における「レジスタンス」であった。ウクライナの軍民が、レジスタンスで、自分たちの国家と生命を守るために戦っていることは、この近代市民法上の常識と言えるだろう。彼らがその権利を権利として、またその権利を自己の義務として選択している以上、断固として支持する。

<3>

 そもそもウクライナ東部、ドンバス(ドネツク、ルガンスク両州)の分離派・親露派の支配地域の問題は、2014年、ロシアがクリミアを帝国主義的に併合して以降、開始されたウクライナ東部での親露派のドンバス一部地域の武装占拠・実効支配に関わる問題だ。2015年2月、この内戦の停戦合意として、ロシア、ウクライナの当局者と、ドイツ、フランスで、ベラルーシのミンスクで「ミンスク合意」がまとめられ、停戦が成立した。この間、なぜ、フランスなどがロシアのウクライナ侵攻をやめさせるための調停に動いたかということには、こうした背景がある。

 だが、問題は、この合意文書では、東部二州の親露派支配地域に「特別な地位」を付与するとの規定があったことだ。ここで親露派の権力を主張したのが「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」だ。彼らは、実効支配している地域のみならず、ドネツク、ルガンスクの全域が「特別な地位を付与する」地域に相当するという領有権を主張し、ウクライナ政府と争うことになった。その「特別な地位」の解釈は、また、「高度な自治権」という意味をとれば、外交権が主張でき、ウクライナのNATO入りを封じる権限となる。

そういうロシアの勢力圏の形成計画は、ロシアの権力者たちにとっては、1989年ソ連東欧圏の崩壊以降、分散・分解した旧ソ連の各国を、ふたたび、大ロシアのクレムリンに統合しようとする「再統合」(西側に行った分解した国家のクレムリンへの再統合)、つまりNATO諸国に対する東欧圏「再分割」の野望にほかならない。だから、ウクライナがNATOに入ることは、その野望の破壊となるのである。「大ロシアの版図を復権せよ」それは、ソ連邦の復活でもある。だが、もはやこれは、資本主義と社会主義との「生産様式」の違いというような価値観とは、まったくちがった、「大ロシアの版図」の問題なのである。

<4>

そうした中で、ロシア権力者たちは、ロシアの「同盟国」である、ベラルーシを動員しようとしている。この間、ベラルーシの核武装を可能とする、憲法改定が成立した。 

 ベラルーシは、2月27日(2022年)、改憲国民投票をおこなった。20年夏の大統領選での不正が取りざたされているルカシェンコ大統領は、抗議行動を大量拘束で弾圧。EUの制裁対象となった。1999年、ベラルーシはロシアと「連合国家」を創設する条約を締結している。そして、2021年11月、「共通軍事ドクトリン」の改定をもって、安保協力を強めてきた。短距離ミサイル「イスカンデル」、防空ミサイル「S400」の配備などだ。そして、改憲国民投票となった。

 その改憲案の内容は、ベラルーシを「中立地帯」「非核地帯」とする条文の削除が規定されている、これで、ロシア核兵器の配備は可能になる。さらに大統領の任期の延長(最長2035年まで可能となる)ができ、さらに、大統領在任期間の責任が問われない特権が付与されることが規定されている。

<5>

また、ロシアの旧ソ連領「再統合」という観点からいうならば、2008年の「南オセチア戦争――ロシア・グルジア(ジョージア)戦争」は、想起されるべき事態だ。

 2022年3月3日、旧ソ連構成国のモルドバとジョージア(グルジア)が、EUへの加盟申請書に署名した。2月には、ウクライナ国が自国領土に侵攻しているロシアに対してEU加盟申請書に署名している。 

 ロシアの権力者たちは、旧ソ連邦諸国を自身の「勢力圏」とみなし、欧米との接近を阻害してきた。とくに、ジョージアは、2008年、国内のロシア派がその支配地である南オセチアとアブハジアが独立しようとしたときに軍事介入(グルジアの主張では、グルジア軍陣地に対してオセチア軍が大量発砲したことが戦端だったというが、オセチア軍はこれを否定している)。これに対してロシアが「平和維持」を「正当性」として軍事介入し、「南オセチア戦争」となった。結果はロシアが8月26日、グルジア領とされている南オセチアとアブハジアの独立を承認。さらに、ロシア軍はこの地域に、軍隊を残し、「ロシア軍占領地域」(グルジア側の言い方)を形成している。

 今や、東ヨーロッパは、<東・西帝国主義ー間ー争闘戦>のひとつの戦場となりつつある。

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 今回のロシアの権力者たちのウクライナ侵攻は、そうした、「特別な地位」をもつ地域を独立の主権をもった「独立国家」として「承認」し、ウクライナのNATO加入に対しそれを廃棄させる、また、NATO加盟をめざすウクライナの現政権を転覆させるという、「ロシアの国益保護」という「正当化」による、侵略ということができるだろう。

 ロシアの権力者たちが、「承認」した二つの「共和国」は、もともと、ロシアの権力者たちが、ウクライナの侵略のために、クリミア併合以降、用意した、「クリミアの次」の作戦政府にほかならない。

 もちろん、こうした暴力による領土・主権の現状変更は、国際法が禁止していることはいうまでもないことだ。こうした全体主義国家の暴力支配は、ソ連スターリン主義の時代から、いわゆる「東欧圏」には連続的に起こってきたものだ。1956年ハンガリア革命に対するソ連の反革命戦争や、「チェコ事件」などは、その一部だ。ソ連の東欧支配では「制限主権論」によるモスクワの全東欧支配という構図が展開した。

 そうした「独立国家」なるものからの要請を受けて、その国家の安全保障の名目で、ロシア帝国主義の権力者たちはウクライナに侵略戦争を開始した。戦争はいつも、「防衛」を「正当性」の根拠として開始される。 

 プーチンは元・KGB官僚だ。そういう手法は、彼にとっては前提の話だ。これに対して、ロシアの人民は、ウクライナ侵略戦争に反対する反戦デモを闘っている。反戦デモを闘うロシアの人民、侵略の重圧に苦しむウクライナ民衆と連帯し、怒りに燃え、やむにやまれぬレジスタンスに立ち上がった民衆を支援せよ。

 <7>

 さらに、もう一つ、広いウインドで、かかる事態を見るならば、こういうロシアの権威主義国家・全体主義国家の戦争政策は、また、「一帯一路」で全世界的な拡張政策を展開する中国と同盟し、欧米日に対する世界市場と「勢力圏」の「再分割」を目指す意図を常に保持するものだというべきだ。帝国主義の「再分割」をめぐる争闘戦である。

 実際、中国は欧米日などが「経済制裁」を発表し始めるや、中国外務省報道官は、2月25日の会見で「制裁は有効な解決手段ではない。対話を」と表明している。が、侵略行為という国家犯罪をどのように処罰すればいいと考えているのか不明だ。まさに中国は、ロシアのウクライナ侵略と並行して、台湾への軍事侵攻を画策している。「一つの中国」戦略をもって、台湾を併合したい中国にとって、ロシアのウクライナ侵略は台湾侵略の正当性の形成にリンクするものだろう。このように、ロシア帝国主義のウクライナ侵略は、世界に戦争の火種をばらまきはじめている。

 ★ロシア帝国主義のウクライナ侵略戦争を弾劾せよ!

 ★欧米日帝国主義とロシア全体主義・中国スターリン主義による<帝国主義ー間ー争闘戦>を弾劾せよ!

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【解説】帝国主義国民国家とグローバリズム

●グローバリズムと国民国家の軸心が描く座標系を確認することが必要だ

 ロシア帝国主義のウクライナ侵略戦争であきらかとなったように、欧米日が、ロシアに対する経済制裁にのりだし、これまでなかったほど大掛かりな制裁をロシアに科していることだ。それはNATOにおいて、ロシアが侵略戦争を継続し、今以上に過激な兵器を使用するなどすれば、ウクライナへの軍事支援から、その一線を越えて、兵力投入となり、「世界戦争」へと展開する危機を内包したものにほかならない。

 この「経済制裁」だが、ロシアから欧米日の進出企業が引き上げる、ロシアから欧州への天然ガスの供給を欧州の側からストップするんどのほかに、それ以上に、厳しい制裁を、ロシアの侵攻の直後に科している。それが、SWIFT (Society for worldwide  interbank financial  telecommunication)からのロシアの排除だ。これは国際貿易の資金送金の手段で、2020年では、毎日3800万件の送金メッセージがあった。本部はベルギーで、2020年には、3600万ユーロの利益を計上した。この契約から排除されると、の国際金融市場へのアクセスが制限される。企業・個人の輸入品支払い、輸出金の受け取り、海外での借り入れ・投資ができなくなる。もちろん、電話、メッセージアプリ、電子メールなどでの決済チャンネルはOKだ。制裁を科していない国の銀行を経由して支払いを行うことになる。だが、代替手段は効率性や安全性が低い。取引量の減少やコスト上昇の可能性を伴う。

 端的には、ロシアの場合、ドル建てでの取引はできなくなる。ロシアはルーブルでの交易を独自に開始しあとわれているが、ルーブル価値の下落が決定的である以上、今後のロシアの対外交易関係の悪化が懸念されている(ただし、この制裁対象に、ロシア最大手のズべルバンクは含まれていない)。

  ルーブル市場は、ロシア通貨市場にとって取引が停止され、ソ連時代のように、為替レートが人為的に固定されたものになる。排除の解除が不明であり、1991年のロシア危機よりはるかに深刻な事態となっている。

 また、ロシアは、製造業製品の大口購入国。世界銀行のデータでも、たとえば、オランダとロシアは、ロシアにとっては、二番目と三番目の貿易相手国だ。そしてロシアはEUへの原油・天然ガスの供給国だ。この代替を見つけるのはむつかしいとされている。そこでエネルギー価格高騰はさけられないものとなる。そこまでしても、制裁に踏み切ったということだ。 

※ ただ一方で制裁を「暗号通貨」ですり抜けるのではないかともいわれている。だが通常、暗号通貨で取引されている額は、ロシア政府が必要とする資金量に対して、それほどおおいものではないともいわれている。

 さらにG7は、ロシアを「最恵国待遇」から除外する検討に入った。これは品目によって違うが、関税は少なくとも10倍以上に跳ね上がる処置だ。また、ロシア航空機に対するEUの全空港の閉鎖、米国内のロシア中央銀行の資産凍結や、プーチンなどロシア権力者をはじめとし、オリガルヒといわれる米国内ロシア富豪の資産凍結など、広範な経済制裁を展開している。

 そういう中で、オスロ発 3月01日 ロイター配信によれば、ノルウェーの大手肥料メーカー、ヤラ・インターナショナルは1日、ロシアウクライナ侵攻で世界的な食糧供給が危機となっていると警告している。

 「ウクライナとロシアは、合計で、世界の小麦輸出の約29%、トウモロコシ輸出の19%、ひまわり油輸出の80%を占めている。それだけでなく、ロシアは窒素肥料の生産に不可欠な天然ガスや原料も輸出、ヤラによると、窒素とカリ、リン酸という肥料の三大原料は欧州向けの25%がロシアから供給されているという」。ヤラは「ロシアへの依存を減らしてゆくため」「国際社会の団結」を訴えている。「国連世界食糧計画(WFP)のビーズリー事務局長も先週、ウクライナで戦争が始まったことでWFPの食糧支援能力に大きな影響が生じると述べ、食糧と燃料、輸送費の高騰への懸念を表明している」ということだ。

 以上をみてもわかるように、国民国家がグローバリズムに介入し、敵対する国民国家に対して戦略的な圧力、国際市場からの排除が可能となることが、立証されたのである。

21世紀に入る前あたりから、グローバリズムが、コスモポリタン的なニュアンスをもって論じられ、もう、国家間戦争などは起こらない宇宙の時代に入ったと考える経済学者の言説なども見受けられるようになった。だが、そうした「超国家」は、結局は、<学的幻想>であり、グローバリズムの軸線は、国民国家の軸線と座標系を形成して、展開するものに他ならないということが、今回のロシアのウクライナ侵攻とそれによって顕在化した。まさにロシア・中国と欧米日の<帝国主義-間ー争闘戦>という事態(これが今後、どう展開するかはともかく、今日、鮮明化してきた時点で、国民国家のヘゲモニーの顕在化ということは、十分に実証されている)で、はっきりと確認できるものとなっているのだ。

※ 本論論者(渋谷)の、ネグリなどの「超国家」論に対する批判としては、『国家とマルチチュード』第三部第一章「グローバリゼーションと軍事同盟」、社会評論社、2006年、245~247頁を参照してほしい。◆


【注解】スターリン主義の敵対民族「強制移住」政策について

 ――ファシスト思想と同義なスターリン主義(Stalinist,Nazi and other dictatorships「2019・9、欧州議会」「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」という決議文に基づく)は、現在もロシアで生きている

【リード】今は、2022年3月20日だ。ウクライナに軍事侵攻したロシア軍が、ウクライナ南東部の港湾都市、マリウポリの住民数千人を、一週間かけてロシアに強制移住させた、そしてロシア国内の遠隔地に移送している模様だ、という同市当局の「市議会の声明」としての情報という記事が、CNN・CO・JPのニュース(yahooニュース3月20日(日)10:24 配信)で配信されている。

 ナチスやスターリン主義者が、20世紀にやったことだ。この強制移住を一言で言えば、「敵対民族解体政策」にほかならない。プーチンは、ロシア、べラルーシ、ウクライナの「民族的一体性」という大ロシア主義を叫んでいる。そのためには、どんなことでもするということだろう。まさに、そうした帝国主義的民族主義は、20世紀のナチスやスターリン主義者の後継をなすものにほかならない。

【序節】民族の概念をめぐって――スターリン型民族実体主義の陥穽

そこで、基本的なことから始めよう。民族の概念の問題については、そもそもの民族の定義からはじめなければならないだろう。民族の定義についてみたとき、例えばスターリンの実体主義的な民族概念を問題とする以外ない。

スターリンによれば「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人々の堅固な共同体である」。そしてこの「すべての特徴が同時に存在する場合に、はじめて民族があたえられるのである」というものだ(スターリン『マルクス主義と民族問題』、一九一三年、引用は国民文庫、五〇~五一頁)。

このような観点からスターリンは、「経済的に分裂し、異なる地域に住み、異なる言語をつかっているユダヤ人」は民族ではないと論じたものである。

この民族規定は資本主義勃興期における国民国家形成をもとにしたものにほかならないのであるが、かかる規定性は結局、民族の様々に異なった「すべての特徴が同時に存在する」とはとてもいえない諸民族の存在条件の多様さの中で、普遍的定義としては破産せざるをえなかった。

まさに廣松渉がいうとおり「個々の徴標で以って『民族』の区分を一義確定的におこなおうとしても、“客観的に”無理なのである。当事者たちが日常的・既成的に設けている『民族区分』を個々の徴標に即して学理的に追認しようと試みても徒労に終わる」(「国民国家の問題構制」著作集第一四巻。岩波書店、三六七頁)ということだ。

例えばスターリンの言っていることに応接するならば、「言語」の同一性というけれど、様々な人種、民族が、例えばアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどでは英語という同一の言語を話している。しかも異なる国民国家において話している。「地域」の同一性といっても同一地域内で諸民族は混在し、また世界各地に同一民族が存在している。さらに「経済生活」の同一性といっても自給自足経済は、すでに世界的な経済連関によって不可能となり国際化している。「文化」の同一性についても国家の中に多民族が同一の文化をつくり、民族文化は国境をこえて交流しあっているのが実情である。

例えば日本人はハワイ、ブラジルに何十万人も居住し、コーリアンは韓国、朝鮮共和国、日本、アメリカ、中国東北部に居住している。

ここがポイントなのだがスターリンの規定では、それは民族ではないということになってしまうのだ。

スターリンの民族概念からこの現実を見た場合、“同一民族”の一部を他民族あるいは他民族の要素にしなければならないことばかりがおこることがわかるだろう。民族はさまざまの民族、国家、市民社会、共同体の複合的な間主体的関係性において相互に形成されてきた。自存的に形成されたものなどはなく、歴史的過程において変化しているものでもある。したがって「民族」とは結局、個人の自主的な規定と申告による以外なく、客観的に規定できるようなものではないのである。これは多民族国家としてのロシアなど既に歴史的事実となっていることだ。

まさに民族を実体主義的にあくまでも捉えようとすると人間の自然的関係性としてある「血統」とかいう「たしかなもの」に依拠する以外なくなる。

だがその「血統」(同胞的同族性)でさえ「歴史的過程で他民族出身者との混血がおこなわれ、文化的にも異民族からの影響を蒙り、以って民族的固有性・特有性が薄れる方向で長年月の歴史的経過を閲してきたはずである」。「祖先・故知を共有するということだけなら、そこから発して複数の民族が成立する可能性…を排除できないのであって、この“同胞的同族性”自体は民族にとって必要十分条件ではないのである」(廣松、前掲三六四~三六五頁)。まさにスターリン型民族実体主義は完全に破産し去っているのである。

この序節では、「民族」の概念をめぐる問題を論じてきたが、そのことをふまえて、以下、以上の内容とは、区別された、政治闘争(広義)・政治政策(広義)としての「民族」の問題を考えて行こう。

―――――以下、【本節】

 ●スターリン主義「民族理論」のニュートラルな政治的応用性

序節において記した、このスターリンの「民族」規定は、例えば、一地域が帝国主義国家に支配されるなどの抑圧・圧政状態から解放を勝ち取ろうとする民族解放闘争の場合、「この言語・地域・経済生活・文化の共通性・一体性を営む民族国家はわれわれの主権によってできているものだ。侵略者は出て行け」ということにおいては、民族の結束を生み出す、闘争論的に極めて妥当性を持つ規定となるだろう。だからかどうか、第三世界――発展途上国・経済新興国のマルクス・レーニン主義系統の民族解放勢力においては、「スターリン支持」の勢力が存在する。

だが他方で、この規定は、今日のウクライナ問題のばあいなど、「大ロシア主義」をかかげるプーチンにすれば、大ロシアが、いくつもの国家に分かれているのはおかしい、小ロシア=ウクライナは、クレムリンの「勢力圏」だ、ということに、口実をあたえるものとなるだろう。これは、一言で言えば「同化主義」である。だが、この帝国主義的同化主義に対して、ウクライナ民族は、そもそも、言語が違うし、その同化主義はウクライナ民族の解体を意味するとして、民族解放――反併合・民族自決の闘いを必要とすることになる。それが、今日の、ロシア帝国主義のウクライナ侵略に対するレジスタンスという闘いだと、規定できるのである。

まさに、民族解放闘争にも、帝国主義的民族主義にも、対妥当するものであり、例えば、民族解放闘争の側からは、そうした帝国主義的民族主義を拒絶することになる。ロシア・スターリン主義は、他民族を支配し、民族が存在する様態を、クレムリンの都合のいいように作り変える論理として、こうした民族規定をもちいたのである。


 ●スターリン民族理論と「敵対民族」解体政策

そこで、こうしたスターリン民族理論は、歴史上、以下のような党国家に敵対すと彼らが考えた民族への攻撃の武器となった。「言語・地域・経済生活・文化の共通性」「歴史的に構成された人々の堅固な共同体」を、強制移住で解体するという政策だ。それにはまず、その解体対象の民族をクレムリンが政治的に支配する必要があった。

このような中央―地方の関係は一九二一年、スターリン、オルジョニキーゼによって強行された、赤軍のグルジア軍事占領などを先鞭に展開されたものである。グルジアでは一九一九年、憲法制定議会で八〇%の支持を得たメンシェヴィキ政府が樹立された。レーニンはこれを承認したが、それは、グルジアのボリシェビキにはなんの話もなしにこれを、おこなったのである。そして一九二一年、オルジョニキーゼ、スターリンが赤軍を動かしグルジアを軍事的に占領し「ソヴィエト権力」を樹立してしまった。グルジアにとっては、その樹立は外国軍の占領にしかすぎなかったということだ。そしてグルジア共和国のソ連邦への加入手続に反対するグルジア共産党委員会―民族独立派の抵抗を粉砕する党内闘争が展開されるのである。

さらに第二次大戦期、大規模なソ連邦内の諸民族に対する強制移住が行われた。「ナチス占領軍に集団協力」したという理由での政策であった。一九四三年から一九四四年にかけて、「チェチェン人、イングーシ人、クリミア-タタール人、カラチャイ人、バルカル人、カルムイク人の六民族がシベリア、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスへ」。さらに「ギリシア人、ブルガリア人、クリミアのアルメニア人、メスヘティア-トルコ人〔グルジア南部のトルコとの国境に近く住むイスラム化したグルジア人〕、クルド人〔旧ソ連ではアゼルバイジャンとアルメニアに多く住んでいた〕、カフカスのヘムシン人〔十八世紀にイスラム化したアルメニア人〕」が強制移住させられた。

こうした移住政策は、スターリン主義権力にとって、その中央権力に対して自立化しようとする民族を解体しようとする意図をもっていた。

例えばチェチェン・イングーシ自治共和国は、ナチスが一九四二年九月から十週間占領しただけだった。だがチェチェンは、一九世紀、ロシアの植民地政策に反対して闘い、ソヴィエト中央権力からも独立する意図をもち、一九三〇年代からの農業集団化に反対。ソヴィエト中央権力―内務人民委員部(NKVD)はこれを軍事的弾圧、特殊部隊による大砲・飛行機での攻撃などがおこなわれたのである。そういう民族に対する解体攻撃にほかならない。チェチェン人、イングーシ人の強制移住では一九四四年二月に約五二万人にのぼる強制移住としておこなわれた。そして「移住者はコルホーズまたは事業所に配属された」が宿舎は最悪の衛生状態であり、生存条件はきわめて悪かった。大量の死者がでた。そして子供たちには「ロシア語」での教育が義務付けられたのだ(ステファヌ・クルトワ、他『共産主義黒書―ソ連篇』恵雅堂出版 二二八~二四三頁)。 つまりスターリンにとってはこの集団移住は中央権力からの自立をつよめつつある民族の解体を意味したのである。

●ウクライナと強制移住の歴史

ここで、スターリン主義によるウクライナでの強制移住、棄民支配を見ていこう。ここでは、1930年代のスターリン主義全盛時代の問題を取り上げる。なぜなら、この時期のスターリン主義の所業が、ソ連の歴史で、一つの歴史的土台となってゆくからである。プーチン政権にも、「国家強権主義」として繋がる、というものとして、本論論者(渋谷)は考えている。

以下は、ステファヌ・クルトワ、二コラ・ヴェルト『共産主義黒書――犯罪・テロル・抑圧――<ソ連編>』(外川継男訳、惠雅堂出版、2001年、原書1997年)の「第七章 強制的集団化とクラーク撲滅」「第八章 大飢饉」からの引用である。

1932(~1934)年、ウクライナなど穀倉地帯で強制的食糧徴発から大飢饉が発した。これに対し8月、スターリンは、「国営企業、コルホーズ、協同組合の財産保護と国有財産の防衛強化」に関する法律を発布した。違反に対してはしけの死刑の適用までがあった。さらに「労働規律」が強化され、正当でない欠勤は一日でも解雇され、宿舎、配給権を失うことになった。革命後廃止されていた国内旅券制度の復活も、コルホーズ農民には、旅券権利は認められなかった。1933年になると、コルホーズから穀物の国家制定価格での引き渡しの義務が復活。こういう中で、1930年代、農業強制集団化と、そのための「クラーク(富農)撲滅隊」という行政独裁の政策が展開し、それは、政治警察・ゲーペーウーの指導により展開していった。強制的な農業集団化にたいしては、多くの農民反乱が闘われた。「最も激しかったのは、ウクライナ、とりわけポーランドととルーマニアの国境近くの西ウクライナで、そこでは全地区が当局の統制を回避した。次いで黒土地帯と北カフカスであった」。この中央黒土地帯は、かつて、1918年のボリシェビキによる「食糧独裁令(食料徴発)」と闘った一大拠点であり、左翼エスエル(社会革命党左派)の牙城だったところだ。

「弾圧は酷いものだった。西ウクライナの国境地帯だけでも1930年3月末に『反革命分子の一掃』で逮捕された者は、一万五〇〇〇人以上にのぼった。その他2月1日から3月15日までの40日間にゲーペーウーは2万6000人を逮捕し、その内650人を銃殺した。ゲーペーウーの資料によれば、秘密警察の特別裁判で1930年には2万200人が死刑を宣告された」。

強制移住については、次のようだ。

なお、この以下の引用文の文献中では、「クラーク」の等級に「第一」から「第三」まであるが、そこまで、細かな引用は本論の内容を複雑にするだけだというのが私の判断なので、本論では、自粛することとする。

「膨大な数のクラーク(これにはクラーク(富農)より圧倒的に多い数の一般農民などが含まれている――引用者・渋谷)の強制移住は、完全な即興とアナーキーの中で行われた。それは前代未聞の『強制移住=棄民』となって、政治にとって経済的になんらプラスにはならなかった。……クラークの強制移住は1930年2月の第一週からはじまった。政治局によって承認された計画では、第一段階で六万家族の移住が四月には終わっていなければならなかった。北方地域で四五〇〇〇、ウラルで一五〇〇〇家族を受け入れることになっていた」。

「このように強制移住者は予備の食糧もなしに、多くの場合には仮寝の小屋すらないしに、定住することを余儀なくされた」。

「1931年の夏から、もっぱらゲーぺーウーが『特命入植者』と呼ばれるようになるこの強制移住者の、追放から『開拓村』までの全行程に対して責任を負うようになった。この調査によると、約21万の逃亡者と9万の死亡者がいた。大飢饉の年だった1933年には、当局の統計では1933年1月1日に記帳された特命入植者114万2022人中、15万1601人が死亡したことになっている。したがって年間死亡率は、1932年は6・8%、1933年は13・4%となる」等々。<強制移住=棄民=死>ということだ。

さらに、飢饉が襲う。「1932~1933年の飢饉については、農村の強制的集団化の結果生じたソビエト国家と農民との新しい関係を抜きにしては、これを理解することはできない。集団化された農村では、コルホーズの役割は戦略的なものだった。それは『集団的』収穫を次第に厳しく取り立てることによって、国家に農産物の一定の引き渡しを確保する機能を持っていた。……1930年に国家はウクライナで農業生産物の30%を、北カフカスの肥沃なクバン平野では38%、カザフスタンでは33%を徴収した。1931年の収穫はずっと少なかったが、この比率は41・5%、47%、39・5%に上がった。このような徴収の強化は生産のサイクルを混乱させただけだった」。まさに、農民と地方当局との紛争が起きるのは、さけられなかった。だが、スターリニスト官僚の農民に対する弾圧は容赦なかった。

「『黒いリスト』(公的用語に従うなら)に記されたいくつかの地区に関しては、次のような手段がとられた。商店からすべての生産物を撤去すること。商業活動の完全な停止、現在貸し出されている融資の即時返済、非常特別課税、ゲーペーウーの後援のもと速やかな手続きですべての『サボタージュ参加者』、『社会的異分子』、『反革命分子』を逮捕すること、『サボタージュ』が続く時は、住民は大量強制移住に処されるものとされた」。

「ウクライナではモロトフ団が同様の処置を講じた。徴収計画が達成されなかった地区の名が『黒いリスト』に記され、前述したような結果を生んだ。党の地方組織の粛清、コルホーズ員だけでなく、『生産を減少させた』疑いのあるコルホーズ幹部も大量逮捕された。このやり方はまもなく他の穀倉地帯にも適用された」。

まだまだだ。

「スターリンとモロトフが著名したこの通達は地方当局、とりわけゲーペーウーに対して『ウクライナと北カフカスの農民が都市に大量脱出することをあらゆる手段で禁止し、反革命分子の逮捕後、他の逃亡者はその居住地へつれ戻す』ことを命じていた。通達は情況をこう説明していた。『中央委員会及び政府は、この農民の大量脱出は、ソビエト権力の敵、反革命家とポーランドのスパイによって、とくにコルホーズ制度とソビエト権力一般に反対する宣伝目的で組織されているという証拠をもっている』

飢餓が襲たすべての地区で、汽車の切符の販売がただちに中止になった。農民が自分たちの地区から脱出するのを防ぐために、バリケードが築かれ、ゲーペーウーの特殊部隊による検査が行われた。1933年3月初めに、ある政治警察の報告は飢餓農民の都市への脱出阻止作戦で、一ヶ月に二一万九四六〇人が尋問され、うち18万6588人は『元の居住地に戻され』、他の者は逮捕されて、裁判にかけられたことを伝えている」。

まさに「大量強制移住」と「住居強制封鎖」という、人民を人間と思わない、単に、国家・スターリニスト特権官僚の支配を維持する「道具」として位置付ける、そういう体制が、スターリン主義なのだ。

飢餓はハリコフで最もひどかったという。

「農村の死亡率は1933年の春に最高に達した。飢餓にチフスが加わった。数千の人口の村が数十二しか生きられなかった。ゲーペーウーの報告と同様、ハリコフ駐在のイタリア外交官の報告にも人肉を食うケースが書かれている。

「『ハリコフでは、毎晩飢え死にしたか、チフスで死んだ、約250の死体が集められています。その大部分は肝臓がなくなっています。顔を大きく引き裂かれて、取り出されたものと思われます。ついに警察は、これでピロシキを作って市場で売ったと白状した何人かの「切り裂き魔」を逮捕しました。』

 1933年4月にクバンのコサック村を訪れた作家のミハイル・ショーロホフ(『静かなるドン』の作者――引用者・渋谷)は、スターリンにあてた二通の手紙(前頁参照/――この前の頁にその文面がのっているものがある――引用者・渋谷)の中で、地方当局が拷問を用いてコルホーズ員からその保存食糧を徴収し、飢えにさらしていることを詳細に書いている。スターリンは作家へ返事(次頁参照)を書いて、自分の立場を単刀直入に明かした。彼は農民は『ストライキをやり、サボタージュをやった』から、また『ソビエト権力に対して必死でゲリラ戦を行った』から処罰されたのだと答えた」。

それは、こういう工業化という「正当性」のために、スターリンがおこなった、農民への国家テロだったのである。つまりこうだ。

「何百万という農民が飢えで死んでいったこの1933年にも、ソビエト政府は『工業化の必要』のために180万トンの小麦をがいこくに輸出しつづけた。……地理的に『飢餓地帯』は全ウクライナ、黒土帯の一部、ドン、クバン、北カフカスの肥沃な平野、そしてカザフスタンの大部分を覆っている。約4000万人が飢餓若しくは食糧不足を経験した。ハリコフ周辺の農村地域では、1933年1月から6月までの死亡率は平均より10倍も高くなった。1932年6月のハリコフ地域の死亡者は9000人だったが、1932年6月には10万人に達した。……ウクライナの農民は、少なくとも400万人という犠牲を払った」。

「実際のところ、ウクライナやコザックの定住地など多くの地区で、とくに黒土帯のいくつかの地区で、この飢饉は、一九一八~一九一九年に開始されたボリシェビキ国家と農民層との対決の最後のエピソードであった。一九一八~一九二一年の反食糧徴発と、一九二九~一九三〇年の反集団化闘争地帯と、飢餓に襲われた地帯とは、驚くほど一致している。一九三〇年にゲーペーウーに記録された一万四〇〇〇の農民騒擾と農民反乱のうち、85%が1932~1933年の大飢饉に襲われた地区中にあった」ということである。

※この1918年のボリシェビキ政権による「食糧独裁令」(食糧徴発)については、拙著では「 ロシア農耕共同体と世界資本主義 」(『世界資本主義と共同体』、社会評論社――東京都文京区本郷、2014年、所収)、「ボリシェビキ革命の省察」(『エコロジスト・ルージュ宣言』、社会評論社、2015年、所収)を参照してほしい。革命的マルクス主義者としては、厳しい省察が必要だと考えるものである。

【結語】

●こういうのが、スターリン主義なのである。そこでは、敵は刑に服させるのだけではなく、姿事、消滅させてやる、それが「正義」だと、そう考えるのが、スターリン主義なのだ。だから、大量強制移住、強制収容所、強制隔離政策などは、スターリニストにとってはフツーの話なのだ。「ブルジョア民主主義」的「適法性」などは、関係ないパラダイムなのである。 一端、降伏したら、とことん、降伏した人間は奴隷にされる以外ない。そして必ずや抹殺される。だから、戦争となったら、そこから遠くへ(スターリニストの主権がとどかないところに)逃げるか、レジスタンスとして闘うかしか、人間として生きる選択肢はないだろう。

●もう一つだけ、広いウインドを開けてみよう。世界には言語を基準にした場合、四〇〇〇の民族が存在している。そして約一九〇ある主権国家は、一つ一つが多数の民族の共同体としてあるのだ。民族のすべてが<一民族一国家>として独立するならば、そのすべてが国家として自立するみこみがないことは前提だ。だから多民族の共生と共和制のみが民族の存在を確保するのである。

例えば20世紀後半には、旧ユーゴ・ボスニアにおいては、セルビアとクロアチア、モスレムの民族自決権の主張から内戦が勃発したが、このなかで人口の一割をしめる「ユーゴスラビア人」は完全に無視され存在する場所さえ失ってしまった。さらに旧ソ連の崩壊では各共和国に居住していたロシア人二五三〇万人は外国人となり、そのうちの多くの人々がロシアへの民族移動を余儀なくされるにいたった。

まさに<一民族一国家>なる超国家主義幻想は、スターリン型の民族の実体視と、その実体視された民族〈なるもの〉を国民国家へと二重写しに実体視するという民族国家実体主義にほかならない。大ロシア主義、そして、北京・中南海の台湾軍事併合の恫喝など、まさにこのような国家主義的民族主義が、世界の何処を見ても戦争と難民をつくりだしているのだ。

民族の平和において問題なのは、民族の多義的な存在と共生を認めあい、<民族をこえた人民>の権利と生存の保証、平和的生存権を実現し確保すること以外ではないと考える。どうだろうか


2022年3月11日金曜日

「一帯一路」の帝国主義――米中冷戦の「初期」の分析として

ノート・ 「一帯一路」の帝国主義――米中冷戦の「初期」の分析として

                             渋谷要


最終更新 2022・04・15   20:30 


【はじめに】

本論は、資本蓄積と市場形成の様式の形態をふまえつつ、21世紀に入り、本格化してきた「米中冷戦」のあり様を、中国スターリン主義の「一帯一路」の帝国主義(この「帝国主義」という規定は後述する)と、「自由で開かれたインド・太平洋」の西側(広義)帝国主義との、帝国主義間対立との視点から、分析することを、主眼としている。その場合、後述するように中国の動きが、この対立を主導・醸成している側面が強いと考えられる。その点で、本論では、中国の「一帯一路」の分析を中心に、この「一帯一路」に対する日米印豪―欧州の「自由で開かれたインド・太平洋」との攻防を、分析しようとするものである。もっとも、これらは、開始された「米中対立」の「初期」のきわめて、資料的にも十分でない、分析にならざるをえないだろう。本論を踏まえて、続編を展開してゆきたいと考えるものである。

 また、本論著者(渋谷)は、国際社会(=ブルジョア民主主義)のルールどおり、「人権に国境はない」「人権問題を国内問題とするのは、それだけで、ファシストの所業だ」という立場である、この点、明確に明記しておく。


【序節】ウクライナは「一帯一路」で中国と緊密につながっている――中国にとって、ウクライナのNATO参加などありえない

●中国とウクライナの交易関係

 ウクライナ側の統計では2020年において輸出入とも中国が最大の相手国。中国からウクライナへの輸出品は玩具、携帯電話、パソコン、太陽光パネル・セル、工業製品、コロナワクチン、人用ワクチンなど。輸入品は鉄鉱石、トウモロコシ、植物油、穀物、油脂関係など。これは交易関係の一端だ。

 中国と欧州の「一帯一路」沿線国は、国際貨物列車「中欧班列」でつながっている。2020年7月、中国湖北省武漢市からウクライナのキエフ向けの定期直通列車が、2021年9月には、キエフ市からシャンシーション西安市に向けて直通列車がそれぞれ運航を開始した。2021年6月、インフラ建設分野での協力の深化に関する協定を締結。企業・金融機関による道路・橋・鉄道などでの協力を結んだ。

 中国の範先栄・駐ウクライナ大使は、「国家能源集団傘下の風力発電企業の龍源電力によるユージヌイ風力発電プロジェクトは、2021年に完成し稼働を開始した。そしてムイコーライウ州に建設中の風力発電所(2022年稼働予定)は、中国企業のウクライナにおける最大規模の投資プロジェクトだ」としている(新華社20221年1月14日)」(ジェトロ「ビジネス短信」「中国・ウクライナとの経済関係が緊密化 貿易は大きく増加」、中国北アジア課 2022・01・31(中井邦尚)参照引用)。

●ウクライナに展開する軍事産業と中国

 2月27日、ミャンマー軍は、ロシア支持を発表した。そのミャンマーや中国とウクライナの軍事交易を見てみよう。

「ミャンマー民主派弾圧を支えるウクライナの武器輸出――人権団体報告書(セバスチャン・ストラジオ署名)」と題する「News Week」(2021・9・14/18:13)の記事では、ミャンマー軍の防衛産業総局、ウクライナの国営防衛企業ウクロボンプロム、ミャンマーの民間武器ブローカー「ミャンマー・ケミカル&マシナリー」(MCM)等の合弁会社の軍事産業上のつながりが提示されている。アウンフラインウーという人物がこのMCMのトップで、武器取引の仲介役として展開しており、2017年1月にはウクライナの在ミャンマー名誉領事に任命されているとの報告文書が紹介されている。また例えば、ウクライナは中国と軍事生産でも連携している。例えば中国初の空母「遼寧」はもともと旧ソ連製のものをウクライナから購入したものだ。また、世界最大の揚陸艇『ズーブル』も、クリミア半島の造船所でウクライナが作って中国に供与したものだ。こうした関係にあるウクライナがNATOに入ることは、中国にとっては「失地」であり、絶対に避けなければならないことなのである。

 だから中国は「ウクライナへの人道支援」などといいだしているのでもある。まさにNATOと中・ロとの「ウクライナ争闘戦」だ。

 ウクライナにおいても、このように展開してきた「一帯一路」の帝国主義的現実を分析していこう。

【第一節】 香港民主化運動弾圧と「一帯一路」

●香港安全法をめぐって

  二〇二〇年六月、スイスで国連人権理事会が開催された。そこでは中国・北京政府が香港に設置しようとしている「香港国家安全維持法」導入(※二〇二〇年六月三〇日施行)の賛否が採決された。もとより、かかる「安全法」は、香港民主化運動を弾圧し、香港に戒厳体制を施行するものにほかならない。これに「反対」は、二七か国。「賛成」は五三か国であった。

 安全法に賛成した五三か国の国名は次のとうりだ。

「中国、朝鮮、カンボジア、スリランカ、ネパール、パキスタン、ミャンマー、ラオス」(以上がアジア)。「アンティグア・バーブーダ、キューバ、スリナム、ドミニカ、ニカラグア、ベネズエラ」(以上が中南米)。「アラブ首長国連邦、イエメン、イラク、イラン、オマーン、クウェート、サウジアラビア、シリア、バーレーン、レバノン、パレスチナ」(以上が中東)。「エジプト、エリトリア、ガボン、カメル―ン、ガンビア、ギニア、ギニアピサウ、コモロ、コンゴ共和国、ザンビア、シエラレオネ、ジブチ、ジンバブエ、スーダン、赤道ギニア、ソマリア、中央アフリカ、トーゴ、ニジェール、ブルンジ、南スーダン、モザンビーク、モーリタニア、モロッコ、レソト」(以上アフリカ)。「パプアニューギニア」(以上、大洋州)。「タジキスタン、ベラルーシ」(以上、欧州)。

 こうした国家群は、これから見るように中国の「一帯一路」の国際経済圏構想への参加国である。

  「反対」は、二七か国。このとき、アメリカ合衆国は「人権理事会」を脱退(二〇一八年より)しており、韓国は「棄権」している。27か国の共同声明は、「香港国家安全維持法」は「一国二制度」を揺るがす。「人権の保障に影響を与える」。「国連に登録され、法的拘束力を持った条約である中英共同宣言(一九八四年)が香港の『高度な自治』や、報道・集会・結社等の自由や権利を保障している」などと表明するものだった。

二七か国の国名は次のとうりだ。

「日本」(以上、アジア)。「オーストラリア、ニュージーランド、パラオ、マーシャル」(以上、大洋州)。「カナダ」(以上、北米)。「ベリーズ」(以上、中南米)。「アイスランド、アイルランド、イギリス、エストニア、オーストリア、オランダ、スイス、スウェーデン、スロバキア、スロベニア、デンマーク、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、フランス、ベルギー、ラトビア、リヒテンシュタイン、リトアニア、ルクセンブルク」(以上、欧州)。

こうした賛否の「世界地図」は、明確に今日、先に示した「帝国主義間対立」の様相とかかわっている。

まさにこうした現実に対して、次のような分析がある。

「一帯一路では、沿線国に資金を貸し付けて道路や港湾、鉄道、ダムなどを整備するとともに、人・物の交流を深めて『親中経済圏』を構築する。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)は加盟国・地域が一〇二(承認ベース)あり、ここでも南米やアフリカなどが半数を占める。これに対し、日米主導のアジア開発銀行(ADB)は六八にとどまっている。さらに、政治宣伝も兼ねた新型コロナウイルス対策である「マスク外交」により中国が医療支援したのは計一五〇か国に及ぶ」(西岡省二「決して忘れてはならない『中国の香港弾圧を支持した53か国』の名前と場所」、yahooニュース、2020年9月16日配信)。

 こうした、国際社会の現実が、「一帯一路」と「自由で開かれたインド・太平洋」という帝国主義間対立の、攻防の現実、「世界戦略地図」を象徴する出来事となっているのである。

●香港安全法の内容とは何か――それは、欧米日帝国主義との中国全体主義の争闘戦の開戦の表明だった

「中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法」(香港安全法と略す)

第三章犯罪行為および処罰

第一節国家分裂罪

第二十条 ……(1)「香港特別行政区または中華人民共和国のその他すべての地域を中華人民共和国から切り離そうとすること」。(2)(これらの地域の)「法的地位を違法に改変しようとすること」。(3)(これらの地域の地位を)「外国に帰属させようとすること」。

「首謀者」や重大犯罪者は「無期懲役もしくは十年以上の有期刑」などがさだめられている。

また第二十一条では「扇動・協助・教唆・金銭その他の財産での支援」が、五年以上十年以下の有期刑等々になると規定している。

第二節 転覆国家政権罪

第二十二条では「いかなる人も、武力・武力を用いた威嚇行為・またはその他の違法な手段をもって、いかに定める国家政権転覆の一つでも組織したり画策したり実施したり参加したりした場合には、犯罪とされる」とし、いくつかの規定を設けている。とくにその(4)は、香港の「政権機関の職務を履行するための場所および設備を、正常な職務の履行が不可能なほどに攻撃または破壊すること」としている。

罰則として、前条と同様の罰則が規定されている。

さらに「第三節 テロ活動罪」とつづいている。

また第四節「外国または境外の勢力と結託して国家安全に危害を加える罪」が規定されている。その29条の(5)では「各種の違法な方法を通じて、香港特別行政区住民の、中央人民政府または香港特別行政区政府に対する恨みを引き起こし、重大な悪い結果を引き起こす可能性のある行為」とある。「恨み」ってなんだこれ。このような完全に100%権力者の恣意的な乱用が、規定されているのが、この法なのである。これが「三年以上十年以下の有期刑」等とされているのである。

さらに「第五節 その他の処罰規定」がしめされる。

第三十一条「会社・団体などの法人あるいは法人でない組織が本法に定める犯罪を実施した場合には、組織として取り扱い当該組織に罰金を科す」。また「刑事処罰を受けた場合には、責任を持って業務の一時停止を命令、または営業の許可証を取り下げる」。

第三十四条「香港特別区行政区の永久性居民の身分を持っていない人が本法に規定する犯罪を実施した場合にh、独立的にまたは付加的に国外追放を適用することができる」。また「本法の規定に違反した場合、いかなる理由でもそれに対して刑事責任を追及しなかった場青でも、国外追放できる」。

第三十七条「香港特別行政区の永久性居民または(香港内で)設立された会社・団体などの法人あるいは非法人組織が香港特別行政区以外で本法に規定する犯罪を実施した場合、本法を適用する」。

第三十八条「香港特別行政区の永久性居民の身分がない人が香港特別行政区以外で香港特別行政区を的確に狙って本法に対する犯罪を実施した場合には、本法を適用する」等と規定している。

 また、第41条に、非公開・秘密裁判の規定がある。「裁判は公開でなければならない。国家秘密・公共秩序などの状況に及ぶ公開しない方がいい審理の時には、報道関係者や聴衆が全部または一部の審理を傍聴することを禁止することができるが、判決結果は一律に公開・公表しなければならない」。こうして、権力者が好きなように、裁判を操り操作・誘導できるものとなっている。

 まさに、中国共産党権力が必要と認識した弾圧は、どんなことでもできることになる。なぜなら、具体的にどんなものが犯罪に「なるのか」、「ならないのか」は、これらの条文からは、明確に認識できないからだ。国家権力が決めるということだ。

 「あいつらが国家を転覆しようとしている」と権力が決めてしまえば平和デモでも、言論活動でも、そういう合法的なものでも、たとえば、国家転覆罪になってしまう。

 そして第三十八条などは、まったく香港に一回も行ったことがない外国人が、「香港民主化運動を支持する。弾圧をやめろ」と中国の国外で言っただけで、例えば国家転覆罪の「協助」や「教唆」になってしまう可能性も、この条文文章の構成からは、否定できないだろう。

 また、この条項は、「一帯一路」に敵対すると北京の権力者たちが規定した人・集団・会社を香港安全法で粉砕するという図式を含有するものだともいえるだろう。つまり、「一帯一路」に敵対する民間資本勢力との<資本間競争>に適用できるという含意があるという分析視角が成立すると、見なければならない。

  元より、香港安全法は、2019年11月、香港の地方議会に当たる区議会選挙で、民主派は議席の8割を獲得した。これに対する反動として、中国共産党が仕組んだのがこの法律だ。2020年6月に成立した。それ以降、この法に基づく弾圧が展開された。

 そして2021年香港の立法会(議会)選挙では、90議席の内、北京派(「親中派」という言葉があるが、本論論者(渋谷)は北京の共産党スターリニスト指導部の系統という意味で北京派とする)がほぼ議席を独占することになる。それはこういう仕組だ。それまでの議席数70を90にし、選挙委員会枠を新設。「選挙委員」が議席を選出する枠だ。その議席は40議席だ。その選挙委員は、ほぼ北京派である。さらに、民主派の優位な直接選挙枠は従来の35議席から20議席に縮小された。また、残りの30議席は業界別の間接選挙枠となっている。 

 こうした選挙の前提となっていることだが、選挙管理委員会当局から事前審査で、「愛国者」と認められないものは、立候補できないことにされた。さらにそのため、「選挙委員」10人から、推薦を受ける義務がある。まさに、これは、民主主義を破壊する専制政治の管理「選挙」だ。

  こういうのを、権威主義国家(善悪を国家権力がすべて決める。例えば「愛国」の価値観の内容を中国共産党がすべて決める、それは「愛国」ではないと共産党が言えば「亡国」にさえなる)のファシズム立法というのだ。なにが「愛国」かなどは、多様な考えがあるだろうし、<それ以上に>、例えば「愛国」を否定する人も、<それ以上・以外>に<無限に>多様な人々が、自由に立候補できるのが、自由と民主主義でなければならない。

 まさにこの法の施行以降、香港の議会でかなりの勢力を占めていた民主派は、ことごとく、議会から締め出されてしまった。そういうのを、民主主義の否定・全体主義国家というのである。絶対に許容できない。

 では、こういう党独裁の国家権力がめざす「一帯一路」とは何か。かなり広い、ウィンドをあけるところから、始めよう。

【第二節】「一帯一路」の版図

ウィキペディアを検索すれば、比較的詳しい構図をみることができる。

「一帯一路」とは、二〇一四年に北京市で開催された「アジア太平洋経済協力(APEC)」の首脳会議で、当時の習近平「総書記」が提唱したものである。「一帯(陸路)」は、中国→ユーラシア大陸→欧州(「シルクロード経済ベルト」)。「一路(海路)」は、中国沿岸部→東南アジア・南アジア→アラビア半島→アフリカ東岸(「二一世紀海上シルクロード」)。正式名称は「シルクロード経済ベルトと二一世紀海洋シルクロード」だ。

 また、「氷上シルクロード(北極海航路)」としう第三のルートがある。ロシアの大統領プーチンが、一帯一路と北極海航路の結合として提起したものであり、欧州→ロシア→日本→中国というルート設定だ。例えば日本では商船三井が中国企業と提携し北極海航路をつうじてロシアの液化天然ガス(火力発電の燃料)を運搬している。また、中南米諸国とは、「太平洋海上シルクロード」として、南米の鉄道網などの建設に係るとされるものだ。

また、こういう分析もある。

「『一帯一路』に、もはや石油だけでは食っていけない中東諸国がその解決策の一つとして乗りかかろうという理由がある。」として「一帯一路」での「北緯」のルート、大陸を横断するルート(中国→モンゴル→ロシア→欧州)では、「中国→カザフスタン→ポーランド→ドイツ→フランスへと、物流にかかる時間がこれまでの最長六〇日から一八日までに短縮される」という。

「一方の南緯は、中国からウズベキスタン、タジキスタン、イラン、イラク、トルコを結ぶ。こちらは石油や天然ガスといった重量の大きな貨物の輸送ルートとなる予定だ。いわゆる『マラッカ・ジレンマ』(中国のエネルギーや物流にとって死活的意味を持つマラッカ海峡の安全航路がアメリカなどに事実上管理されている現状のこと)を回避でき、アメリカ海軍の影響が及ばないルートだと言える。これが実現すれば、物流コストを現在の七割水準まで下げることができるとされている」。だが、イランやイラクは、アメリカの経済制裁や治安の悪化などで、計画は進まない。「その代わりに二〇二〇年十二月八日、トルコのイスタンブールからジョージア、アゼルバイジャン、カザフスタンを横断して中国の西安まで結ぶ鉄道貨物輸送ルートが開通した。これによい、一か月かかっていた輸送機関が12日間に短縮された」。

こうしたことに対し、イランは、「一帯一路」を積極的に利用しようとしていると論者は分析している。簡単に言えば、一帯一路のルートを、イランの思惑で延長させ、ペルシャ湾で一帯一路の様々なルート(陸路と南路)をつないだり、地中海とパイプラインで連接したりする人工のラインを作り出すことを企図しているというのである。

これには、アメリカ合衆国が管理するスエズ運河の通行料やタンカー規模の限界などの問題が直接にかかわっている。

「スエズ運河の通航料は高い。一艘一回5千万円はかかる。しかも運河の通航路の深さが最大二〇メートルしかなく、それいじょうのスーパータンカーが通れない。…ゆえに物流にコスト高の原因となっている。そのため、イラクのファオの港に大量のスーパータンカーを寄港できるようにし、パイプラインが地中海にまで延びれば、輸送コストも日数も大幅に減らすことができる。またスエズ運河経由よりもさらに安くなる。

ここが大きなポイントなのだ。例えばイスラエルと国交を正常化させたアラブ首長国連邦(UAE)は、スエズ運河ではなく一九六〇年代にイスラエルの紅海側・エイラートの港と地中海のアシュケロン間に敷かれたパイプラインを復活・利用することを決めている」(アビール・アル・サマライ(ハット研究所所長)「中東諸国が中国の『一帯一路』を利用する理由 オイルマネー以外の収入を求め中国に接近」(「東洋経済」オンライン 二〇二一年二月四日)など。

こうした、地域経済の矛盾を受け取りながら、中国の「一帯一路」は、全世界にそのグローバリズムを組織しようとしている。ここでは、その規模の大きさと、いろいろな地域利害や企業利害をうまく取り込みながら、中国が世界化しているさまを確認したいと思う。

 もはや「中国社会主義=一国社会主義=『民族』共産主義」という意味でのスターリン主義という定義は、遠い昔の話なのだ。完全に「帝国主義化」した、膨張主義・覇権主義となり、欧米日の帝国主義の世界秩序に対して、帝国主義的権益の「再分割」を表明し、実践するものとなっている。

では、そこで、どのような、帝国主義的運営の「手法」が駆使されているか。一つ一つの事例によって、それを見ていくことにしよう。

【第三節】「一帯一路」の開発帝国主義――「債務の罠」=「租借地」政策など

●「一帯一路」の今日版「租借地」政策――スリランカの場合

有名な問題となっているものを、まず最初に見ていこう。

 スリランカ政府は二〇一七年七月、中国の援助でスリランカ南部のハンバントタ港を中国国有企業にひきわたした。そこには中国の国旗がかかげられている。スリランカ国営企業と中国国有企業はスリランカ側が中国に港の管理会社の株式70%を99年間譲渡することになった。この港は、親中派のラジャバクサ政権時代に着工したが、その建設費約一三億ドルの大半は中国が融資したものだ。だが、最高六・三%の高金利という債務がスリランカの財政にとって負担となり、中国にリースの形で引き渡された。この譲渡の期間は九九年間だ。「運営権」は中国企業に譲渡される。つまり、中国の管理統制下に入っている。20世紀に行われていた植民地・租借地政策の今日版だ。

「借金漬けの事情(小見出し) スリランカの名目GDP(2017年)は871億ドルである。それに対して政府の対外債務は310億ドルになっている。ちなみにスリランカが2008年から2018年の間に中国から借り入れたのは72億ドルである。これをスリランカは返済することができないでいる。なぜか。一つには、中国融資の条件が他の国や機関より厳しいからである。金利が2%のものもあるが、なかには6・5%に設定されているものもある。据え置き期間も短い。二つ目には、融資を受けて作られたインフラが利益を生んでいないことがある。コロンボ首都圏とカトナヤケ空港を結ぶ高速道路は、確かに役に立っている。しかし、電力事情を一気に解消すると期待されていたノロッチョライ発電所(8億9000万ドル)は故障を繰り返している。マッタラ空港(1億8000万ドル)は世界一ガラガラの空港と言われている。ハンバントタ港は2017年の一年間の寄港船数が251そうと惨憺たるありさまだった。これらの操業による利益を返済に充てることは全くできないどころか、利益を上げているコロンボ港などの稼ぎで赤字を補填している状態だったのである。スリランカ側は中国に返済の延期などを求めたが、中国側は聞き入れなかった」。

 さらに、このコロンボ周辺では、中国による周辺の開発事業が展開しているとレポートはつづられてゆく。「さらに、コロンボの街中には中国の建設するビルがそこかしこにある。中国人労働者向けの、漢字が書かれた看板があるので一目瞭然だ。これらのプロジェクトに直接従事するスリランカ人は決して多くないのかもしれない。しかし、日々大きくなってゆくビル、埋め立ての進む現場に接すると、訪れたこともない、遠いハンバントタの港がかすんで見えても仕方ない」(IDE-JETRO ジェトロ 「IDEスクエア」2018年10月 新井悦代「(アジアに浸透する中国)99年租借地となっても中国を頼るスリランカ」)。

●中国企業によるオーストラリアでの99年賃貸し買収

 これと同様の事態は、オーストラリアなどの先進国でも起こっている。2019年、オーストラリアのケスウィック島を、「チャイナ・ブルーム」という中国企業が買収した。国立公園に指定された島の80%を除く20%を、島が所属するクイーンズランド修に99年の長期賃貸するというものだ。中国企業は、住民や観光客を立ち入り禁止にし、海岸整備事業を強行。その結果、ウミガメの生息地も破壊してしまった。中国の富裕層が独占するリゾートとしているのだ。そのほかにも、セントビーンズ島など、さまざまな島が、買い取られたという状況だ。

また、2015年には、中国の「嵐橋集団」という企業が、北部準州政府とオーストラリアの北部ダーウィンの商業港を99年賃貸する契約を結んだ。が、オーストラリア政府は「安全保障上のリスク」があるとし、2018年に同国で成立した「重要インフラ保安法」との関係などでの「契約見直し」に入ったという事態が生起した。このように、中国の「一帯一路」の帝国主義は、各国に中国の飛び地を作り、そこを「拠点」に経済侵出を設計している。また、それらの「拠点」は軍事転用可能な機能をもつものという、少なくとも、可能性をもつものだ。その事例を、次のアフリカに見ていこう。

●アフリカにおける中国の押し売り的・開発帝国主義的展開

 米中の経済的覇権競争がアフリカで激化している。そこでは、中国の押し売りともいえる開発事業が進めれている。

「巨大経済圏構想「一帯一路」や新型コロナウイルス対策などで、アフリカ支援を強める中国。しかし、身の丈に合わない巨大事業は地元の財政負担が重く、中止や融資拒否の動きも少なくない。その一方、米国企業が中国に対抗するスーパーハイウェー建設をすすめるなど、米中の覇権争いはアフリカにも及ぶ」。

「インド洋に面したケニアの港町、モンパサ。この街からゾウや牛が草をはむサバンナを横切り、内陸のナイロビまでの約480キロの区間を列車が走っている。2017年開業の鉄道は第一期分として中国がケニアに約3200億円を融資し、中国企業が建設した。今年(2020年――引用者・渋谷)一月に列車に乗って視察した中国の王外相は『大成功だ。中国とアフリカのウィンウィンの関係の手本で、「一帯一路」の成果でもある』と自賛した。……車両にはケニアと中国国旗が掲げられている。『中国の基準、技術、装備を採用した』と中国メディアがアピールする通り、モンパサやナイロビには巨大な駅とターミナルがつくられ、チケット売り場や電光掲示板も中国そっくり。運転士も中国人、列車の運行管理も中国企業が担う。

 ただ、ナイロビとモンパサを結ぶ旅客列車は、新型コロナ禍の前でも一日に2往復だけだ。ケニアの外交筋は「中国などからの輸入品をモンパサから運ぶ往路はまだ貨物輸送の需要があるが、ケニアには輸出品がないため復路のコンテナはガラガラ」と明かす。ケニアのビジネス・デイリー紙によると、開業2年目の旅客売り上げは17億6千万シリング(約17億6千万円)、貨物収入は当初の計画より65%低い80億シリング程度にとどまったとみられる。ケニア側は中国の運営会社に年180億シリングを支払わねばならないが、運営費すらまかなえていない。

 アフリカ側から事業を断る例も少なくない。タンザニアのマグフリ大統領は昨年(2019年――引用者・渋谷)6月、中国と合意していた一兆円規模のバガモヨ港の建設計画を中断した。習近平(シーチンピン)国家主席が13年の就任後初の外遊で打ち出した看板事業だったが、『33年間の抵当権や99年間のリース権などを求めてきた。正気でない人間にしか受け入れられない条件だった』と地元メディアはぶちまけた。

 また、西アフリカのシエラレオネも18年、中国から融資を受けて建設予定だった新空港計画を『不必要だ』としてキャンセルした。港や鉄道、空港などのインフラ投資を中心とする従来型の一帯一路事業の多くは、採算割れや過剰債務などの現実に直面している」。

これに対して、「ケニアでは、中国に米国が対抗する動きもある。モンパサとナイロビを結ぶ鉄道に沿う同じ区間を、米国主導で『スーパーハイウェー』を建設する計画が浮上しているのだ」(朝日新聞2020年8月4日5時00分。「(世界初2020)    「一帯一路」アフリカで逆風 中国の巨大事業、中止や融資拒否も」(モンパサ=奥寺淳))。等々である。

 これらの「99年リース」の政策は、かつて、20世紀、「租借地」の名称で知られた植民地主義の政策であり、中国に対するイギリスの九竜半島の租借などが有名だ。大日本帝国は、1905年から中国の遼東半島南部(名称は「関東州」)を「99年間」の租借地とした。管理支配権の獲得などとしては、それと同様の植民地政策を中国スターリン主義は展開しているのである。

●「一帯一路」の開発事業と軍事基地

以下は「アフリカの角」とよばれる地域における「一帯一路」の展開の中での話だ。

 アフリカのジプチは、「一帯一路」の開発事業の一つの重要拠点となっているところだ。

例えば「総面積48平方キロメートル(羽田空港の四倍超)、35億ドル(約3900億円)もの巨費を投じて中国の企業群が建設、そして運営をおこな予定なのがアフリカ最大の『ジプチ国際自由貿易区』である。……黄色く塗られた正面ゲートにはジプチ国旗と中国国旗がたなびいていた。そのゲートの左側には、ほぼ完成しているホテルがその威容を誇っていた。まだほとんど手つかずといっていいこの自由貿易ゾーンだが、その規模は想像を絶する。車で走ってみれば、その地区全体が地平線のようだ」。

「エチオピアに延びる幹線道路は、両国を行き交う大型トラック、タンクローリーなどがひっきりなしに走っている。この道はジプチの生命線だ。電力はエチオピアから送られ、水もエチオピアに依存している。……同じように中国の投資はジプチにとって欠かせないものになりつつある。……(中国の投資はこの自由貿易ゾーンにとどまらない)……この自由貿易ゾーンから連なるジプチの優良な湾岸地域は中国資本によって、巨大開発が急ピッチで進められている。『中国公建』……工事現場は建設を請け負っている中国の企業群の名前で埋め尽くされている。まさに”すべて中国のもの”なのである」。

そして、軍事基地だ。

「自由貿易ゾーンに並ぶように一昨年(2017年)、中国が建設した中国初の海外での中国軍基地が望まれる。万里の長城のような外壁が延々と続き、中の様子はうかがい知ることはできない。一帯一路という途上国にとっての甘い”蜜”は、その国のインフラから、軍事転用可能なインフラへの投資から始める。ましてや、ジプチなどは、自由貿易ゾーンの中に、中国軍基地もふくまれているのだ。……その基地の近くには石油備蓄基地も出来ている。……この地域はさながら中国租界の様相。ジプチから隔離した独立国家のようでもある」。

だが反面「巨額な債務が中国の動きを始めている。それは2・2兆円もの鉄道建設を白紙に戻したマレーシア、誰も利用しない空港、高速道路を作り、残ったのは巨額の債務だけとなったスリランカ、一帯一路のモデル国家といわれたエチオピアもGDPの59%という債務に喘いでいる。エチオピアの姿が、明日のジプチの姿ではないと誰が言えるだろうか」(児玉博 (ジャーナリスト)「中国軍初の海外基地は鉄道・港湾建設の見返りか?――「一帯一路」の衝撃・中国に飲み込まれるアフリカ・ジプチ(後編)」、2019/02/25、「WEDGE Infinity」Wedge reportより引用)と述べている。

(※ 中国租界……「中国の開港都市で、外国人がその居留地区の行政・警察を管理する組織、およびその地域。1845年イギリスが上海に創設、一時は8ヵ国27か所に及んだ。第二次大戦中に消滅」(広辞苑)。大日本帝国は「上海共同租界」に「日本租界」をつくり日本人10万人が居住。また天津などに複数のところに租界をもっていた)。

●スエズ再開発とアフリカ「一帯一路」戦略

エジプトを中心とした「一帯一路」の展開では次のようである。

「中国の習近平国家主席が主導する『一帯一路』は驚異的なスピードと規模で建設が進む。対米貿易戦争が激化する中、海のシルクロードは中東・アフリカ、欧州へと延びるチョークポイント(水上の要塞)のスエズ運河、地中海を抑えようとしている」。

「政変続きのエジプトは改革に取り組む見返りに、2016年、国際通貨基金(IMF)から120億ドル(約1兆3200億円)の融資を受けることで合意した。『エジプトは1956年、アラブの中では初めて国交を樹立した国。習主席になってから両国関係は一段と強化された。『債務の罠』に陥るスリランカやアフリカ諸国ほどエジプトは困っておらず、慎重に投資を受け入れている』。シンクタンク、エジプト外交評議会(ECFR)事務局長のヒシャム・エルジメイティ元駐日エジプト大使は語る。 

2018年9月、シシ大統領と習主席は『新首都』と高速道路、スエズ経済貿易協力区での製油所開発、石炭火力・水力発電所、送電網など総額219億ドル(約2兆4000億円)のメガプロジェクトで署名した。IMFからの融資を上回る規模だ。この五年間では中国の投資が一番大きくなったという報道もある」。

 それはまたシシ大統領と習主席にとって、イスラム過激派を抑えこむということで、共通する課題をもっていることからも相互に重要なものと認識されているという。「エジプトが神経を尖らせるのはイスラム過激派への資金提供で、『シシ政権はテロ資金取締法をつくり、テロに関係していると判断すれば没収できるようになった』とカイロ・アメリカン大学のアミ―・オースティン・ホルムズ准教授は説明する」と。

 記事は最後に次のように締めくくられている。「中国の港湾投資に詳しいオランダのクリンゲンダール国際関係研究所のフランス=ポール・ファン・デア・パッテン上級研究員はこう語る。

『世界における中国の港湾投資のスピードと規模は凄まじい。ギリシャのピレウス港では中国の軍事的リスクより中国製偽造品の増加が現実的な問題になっている。欧米は投資の恩恵を生かすためにも中国の独占支配や軍事的・地政学的な紛争が起こらないよう警戒が必要だ』

 中国の『一帯一路』は南シナ海からスエズ運河、地中海へと巨大ヘビ・アナコンダのように延びる。アナコンダは中の獲物を囲い込むように急速に成長を続けている」と分析している(木村正人(国際ジャーナリスト)「水上の要塞・スエズ再開発に中国が投じる巨額マネー——一帯一路の衝撃、赤く染まる『海のシルクロード』2019/03/01」、WEDGE Infinity、wedge REPORT)。


そこで、次に、地中海のイタリアでの「一帯一路」の展開を見ていこう。

【第四節】イタリアと「一帯一路」――イタリア側からの関係見直しか

●イタリアと「一帯一路」の選択の可否について

イタリアは、中国・北京中南海指導部の「一帯一路」構想において、インド洋→中東→欧州へと展開する「海のシルクロード」の終着点のようである。「一帯一路」については、本論でものべているように、スリランカの事例を典型として「債務の罠」をしかけられ、借金漬けにされたあげく、借金対象を「租借地」などとされるなどが発生しており、「一帯一路」から距離をとり始めた国家もあらわれてきた最中のことである。

イタリアのドラギ首相は13日(2021年6月)「G7サミット閉幕後記者会見し、中国について「多国間のルールを守らない専制国家であり、民主主義国家と同じ世界観を共有していない」と断じた。

『中国と協力する必要があるが、共有できないもの、受け入れられないものについては率直に話し合わなければならない』。」

「イタリアはドラギ氏が首相に就任する前の2019年、G7参加国として初めて中国の広域経済圏構想『一帯一路』に参画する覚書を交わした。中国によるインフラ投資をテコに経済を活性化さえたい狙いだったが、ドラギ氏は『具体的な合意につては慎重に検討していく』と述べ、見直しを含めて考えていくことを明らかにした」(2021年6・14「日本経済新聞」)。

●イタリア―欧州における「一帯一路」港湾事業の展開

以上のイタリアの判断に先立つこと、2019年、中国企業はイタリアの港湾事業に参画した。

「習主席は同23日に、イタリアのコンテ首相とローマで会談を行い、両国は『一帯一路』構想に関する覚書を締結した。

中国外交部によると、この覚書を契機に、『一帯一路』構想と、イタリアの『北部の港建設』『イタリア投資計画』の結合を強化し、各分野での互恵協力を推進するとしている。……宇宙技術、インフラ建設、交通、環境、エネルギーなどの優先分野で、早期に多くの成果を上げるとした」(「イタリアが『一帯一路』構想に関する覚書に署名 主要国に広がる『一帯一路』」(2019年6月27日、JETRO 地域・分析レポート 楢橋広基)。

 この「一帯一路」のイタリアとの協定(2019年)の前から、例えば「中国遠洋運輸集団(コスコ・ショッピング・グループ)」が、港湾投資事業を欧州で展開してきた。「欧州におけるコスコの港湾投資はギリシャのほか、ベルギー・ゼーブルッヘ港(持ち株比率85%)、アントワープ港(25%)、スペイン・バレンシア港(51%)、ビルバオ港(40%)、伊ヴァ―ド・リーグレ港(40%)、オランダ・ロッテルダム港(35%)に広がる。港湾事業会社の招商局港口控股や青島港国際がこれに続く」(「欧州玄関港を支配する中国、トロイの木馬と化すギリシャーー一帯一路の衝撃、赤く染まる『海のシルクロード』」、2019/03/06、木村正人(国際ジャーナリスト)、「WEDGE Infinity」、wedge report)。

以上、見てきたことで、すでに明らかだろう。こうして、「一帯一路」は、西側経済秩序=世界貿易機関(WTO)に対抗する国際秩序として、世界市場の「再分割」を主張しているのだ。それは北京・中南海のスターリン主義指導部にとって、まぎれもなく「勢力圏」の主張をなさんとするもの以外ではない。

こうした「一帯一路」の、前段から今日まで、中国がいわゆる「南シナ海」(日本名)で、行ってきた、国境紛争をみることにしよう。その場合の前提だが、「列島線」問題が、まず、見てくべきこととしてあるだろう。

【第6節】「一帯一路」帝国主義の先鋒としての南シナ海侵出

●中国の太平洋戦略地図――「列島線」問題

「南シナ海争闘戦」などとの関係で、中国の戦略を大きく規定してきた、「戦略地図」を見ていこう。中国が定めた「自国の領海」とする「面」の設定の問題にほかならない。この領有権の主張は、対米軍事防衛のためであるとと同時に、アメリカ合衆国に対する太平洋権益の中国による「再分割」の主張である。

 「そこには台湾、尖閣諸島(魚釣島)、澎湖諸島、東沙諸島、西沙諸島(ベトナムも領有権を主張―引用者)、南沙諸島(中国、ベトナム、フィリピン、マレーシア、台湾が岩礁などを実効支配。ブルネイも領有権を主張ー引用者)など、他国が領有権を主張する島々が多数含まれています。その島々を線でつないだものが、中国が対米防衛のために制海権確保を目標とする第一列島線(九段線)であり、その形状から『中国の赤い舌』と呼ばれています」。「また、中国は軍事的防衛ラインとして、小笠原諸島からグアム、サイパン、、マリアナ諸島などを結ぶ第二列島線も設定しました」。「2017年には、習近平がトランプ大統領(当時ー引用者)に。『太平洋には米中両国を受け入れる十分な空間がある』とかたりました。中国は本気で、アメリカとの太平洋分割を視野に入れていたのかもしれません」(佐藤優『佐藤優の地政学入門』、2022年、学研プラス。50~51頁)。

 これらの計画は、周辺諸国との矛盾・軋轢・緊張・摩擦・紛争などを生み出しており、また、日米・ASEAN諸国などの「自由で開かれたインド・太平洋」を表明・支持する諸国からは、中国の一方的な領土領海の現状変更策動だとする多くの問題を生み出す原因になっている。

●中国の覇権主義的な海洋権益の主張

「中国が南シナ海の領有権に言及しはじめたのは意外と古く、1950年ころから『九段線』という独自の境界線を設定し、南シナ海のほぼ全域に主権や権益が及ぶと主張してきた。

 これに対抗しているのがベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、台湾だ。これらの国・地域は中国同様に自らの領有権を訴え、一歩も引こうとしない。

 ベトナムは1974年と1988年に中国と武力衝突している。さらに2012年にベトナムが南沙諸島と西沙諸島を自国領とする海洋法を成立させると、中国も南海省に南沙諸島と西沙諸島を含む『三沙市』を設置するなど、両国はさまざまな駆け引きを繰り広げているのだ。

 そうしたなか、2016年にオランダ・ハーグの仲裁裁判所が重要な決定を下した。仲裁裁判所は、1994年に発効した『国連海洋法条約』に基づき、中国の南シナ海における主権主張を退けた判断をしたのである。

ところが中国は、仲裁裁判所の判決に従おうとしない。それどころか、判決を”紙くず”呼ばわりして無視したうえ、岩礁をうめたててつくった人工島に滑走路やレーダーなどを建設しはじめたのである。

 これは明らかに軍事施設で、中国の海洋進出を警戒するアメリカを刺激することになった。……2020年には中国の巡視船がベトナムの漁船に体当たりして沈没させたり、マレーシアの国営石油会社が資源開発する海域に自国の調査船を派遣するなど、挑発的な動きがますます目立つようになった。……2021年になってからも、中国の挑発行為は止まらない。フィリピンが南沙諸島で実効支配する島の軍事拠点化計画を進めていると、3月に200艘以上の中国船団が出現し、長期停泊を続けた。その船団のなかには中国海軍の軍艦も含まれていたという」(「中国が『南シナ海領有権』で米国に一歩も引かない理由とは」。DIAMOND online、2021。10.23.04:55。『世界の紛争地図 すごい読み方』、ライフサイエンス)。

 ●中国の覇権主義的海洋侵出

「中国が南シナ海で5月1日から独自に禁漁期を設定し、漁船の取り締まりを強化している。領有権を争う沿岸国のフィリピンやベトナムが反発。中国が海警局に武器使用を認めた海警法を2月に施行したこともあり、緊張の高まりが懸念される。新華社電によると中国海警局は4月30日、禁漁期の警備方針を宣言した。政府は取り締まりを活動を『亮剣2021』と名付け、外国漁船を念頭に『漁業行為の侵害は容赦なくたたく』とけん制した。フィリピン外務省は声明で主権侵害をやめるよう求めた。ベトナム外務省も『一方的な決定に反対し、断固として拒否する』と反発した」(「中国、南シナ海で独自に禁漁措置 フィリピン、ベトナム反発」、共同通信社、2021/05/2517:17)。

●南シナ海争闘戦

「南シナ海のパラセル(西沙)諸島の領有権をめぐり、中国とベトナムの緊張が再び高まっている。同諸島の周辺海域で9月11日にベトナム船が中国当局に拿捕され、乗組員9人が拘束される事件が発生。ベトナム側は抗議を続けているが、乗組員の解法には至っていないためだ。

南シナ海ではパラセル諸島やスプラトリー(南沙)小党の領有をめぐり、海洋権益の拡大を目指す姿勢を強める中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部の国が対立している。特に中国当局によるベトナム船の拿捕はこのところ頻発して」いる。「ベトナム当局者によると、中国側は『漁船が爆発物を使った漁をしていた』との理由で漁船所有者に罰金の支払いを求め、払えば乗組員と船を解放すると伝えた。ベトナム側は『漁船はベトナム領海内で通常の漁をしていた』とし、乗組員9人の即時無条件の解放を要求。同当局者は、中国側から当初受け取っていた報告書には漁船が爆発物を積載していたことに触れていなかった点を挙げ、罰金の支払い命令に対し、『理性を失っている』と批判したという」(「南シナ海 続く緊張  ベトナム船 中国、拘束一か月(2010年10月09日、朝日新聞、朝刊)」)。

そして、このような海域やASEAN諸国の領域で、合衆国と中国双方は、対抗的な軍事演習を展開してきた。最近では、2022年3月に、中国がベトナム沖の南シナ海(演習海域は一部ベトナムの排他的経済水域(EEZ)に入っているといわれる)で展開した。また合衆国h、2022年2月、タイで「コブラ・ゴールド」というアジア最大規模の軍事演習が、展開された。日本の自衛隊も参加した。

こうした政治経済地図において、このかんとくに、「一帯一路」におけるミャンマーの港湾開発が、アジアにおける「一帯一路」のひとつの核心課題として注目されている。それは、マラッカ海峡を経由することなく、インド洋に原油などを運べることが最大の利点となっているからだ。だから、ミャンマーの政権とは「一帯一路」の権益でつながる必要がある。それが非道な軍事クーデター政権であっても変わらず政策続行しているのが現実だ。 

●「一帯一路」と軍事クーデター国家の同盟……ミャンマー港湾開発

  ミャンマー西部・ラカイン州チャオピュー(インド洋に面した港町)での港湾開発での話だ。チャオピューは中国向けの原油と天然ガスのパイプラインの起点だ。パイプライン建設は2010年からだったが、漁獲量が極端に減少した。また、地元紙などによると、当初の港湾開発の事業費は、72億ドル(8062億5600万円)で、出資比率は、中国85%、ミャンマー15%だったが、2018年11月、出資比率をそれぞれ、70%と30%に変更した。4期の計画のうち、一期の16億ドルを13おくどるに縮小した。そして二期以降は需要を確認してから、すすめることになった。また、港周辺では中国主導の「経済特区」も計画。これには軍事利用も懸念されている。さらに2017年に雲南省との間で石油パイプラインが稼働。ラカイン州沖合のシュエ海洋ガス田→天然ガス、原油パイプラインの起点である。

 中国は中東・アフリカ産の原油をマラッカ海峡を通らずに、運べるようになった。このチャウピューから中国内地まで、鉄道や高速道路でつなぐ計画も進んでいる。それは、「中国ーミャンマー経済回廊」という計画だ。中国雲南省の昆明とヤンゴン並びにベンガル湾に面するラカイン州チャオピューの約1700Kmを高速道路と鉄道で結ぶものだ。この間には、山間地帯としてのアラカン山脈があり、そこを横切る。多額の資金がかかり、中国から借款をうけるミャンマーの財務負担が懸念されている。

 2015年12月、中国の国有企業・中国中信集団(CITIC)を中心としたコンソーシアムが、このチャオピューで大規模港湾と工業団地の開発権を取得した。このCITICは、ミャンマー・ポート・インベストメントと、ミャンマー政府の支援するチャオピュー経済特区管理委員会の合弁会社だ。これでもって、「チャオピュー深海湾開発」が2020年8月はじまり、合弁会社の登記は完了している。大型貨物船が出入りできる深海港の建設だ。

 まさに4300エーカー(訳1740ヘクタール)の敷地に、工業団とと深海港をつくるチャオピュー経済特区(SEZ)の一部をなす計画である。それは「一帯一路」にそった、「中国・ミャンマー経済回廊(CMEC)」の主要授業とされる。2021年9月、ICTICから、中国側企業が調査開始で契約した。

(・「Sankei Biz」2019・3・5 06:55ミャンマー・中国の港湾開発で葛藤 経済発展の期待も「債務の罠」不安視 (チャウピュー  共同)。・JETRO アジア経済研究所 「世界を見る眼」「試される一帯一路『債務の罠』の克服――中国ーミャンマー経済回廊の建設状況から考える」石田正美、2019年7月。参照引用)

【第7節】「西側」の対応――「再分割」をめぐる争闘戦

●欧米日の西側帝国主義にとって「一帯一路」は不安定要因となる

 欧米日の資本主義が、中国の「一帯一路」の自分たちにとっての危険性を意思統一したということだ。

「主要7か国(G7)は、11~13日に英コーンウォールで開催する首脳会議(サミット)で、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」への対抗策を協議する調整に入った。複数の日米政府関係者が明らかにした。中国は、構想への参画を発展途上国や欧州に呼びかけるなど影響力を強めており、G7で中国に対する危機感が高まっている。……一帯一路は中国と欧州を、中央アジア経由の陸路とインド洋経由の海路でつなぐ構想で、習近平国家主席が2013年に提唱。甘い融資条件で沿線国にインフラ開発を促し、道路や鉄道、港湾整備などを加速化させた。ところが中国の支援で整備した港湾の債務返済に窮したスリランカが17年、この港湾の運営権を中国に譲渡するなどの問題が表面化している。G7ha、中国が一帯一路を通じ、過剰債務に陥った途上国への影響力を強め、軍事的な国外活動拠点の確保を目指しているのではないかと懸念を強めている。G7は、中国が国有企業の生産能力が高まったことを背景に、構想を辻て強引に輸出先開拓を進めているとも分析している」(『毎日新聞』「中国『一帯一路』への対抗策 G7サミットで協議へ 危機感強める」2021/06/05 19:00)としている。

●「脱中国」を西側の総意として意思統一したい合衆国

 合衆国は、対抗的「一帯一路」に対して、産業競争を意思統一した。

 「バイデン大統領は24日、安全保障上で重要な製品の供給網(サプライチェーン)に関する国家戦略策定を命じる大統領令に署名する。……半導体や電気自動車(EV)用電池、レアアース(希土類)、医療品を中心に、日本など同盟国との連携強化を図る。先端技術で覇権を争う中国からの輸入依存度を引き下げる狙いだ。……半導体では受託生産世界最大手のTSMC(台湾積体電路製造)が拠点を構える台湾、レアアースでは生産大手ライナス社を擁するオーストラリアをそれぞれ巻き込み、日本など同盟国と協力する構想を画く。……米国はレアアース輸入の約8割、日本は約6割を中国に依存する。中国は1月にレアアースの管理強化を発表済みで、米国は供給網の『脱中国』を急ぐ」(JIJI.COM 時事ドットコムニュース 2021年2月25日08時07分)ということだ。

●NATOは中国の「体制上の挑戦」に対抗

 2021年6月のNATOの首脳会議での記事だ。「北大西洋条約機構(NATO)は14日、首脳会議を開き、中国の強硬政策がもたらす『体制上の挑戦』に連携して対抗する方針を宣言するとともに、ロシアによる国際法の軽視に警告を発した。……また、NATOの東部境界地域におけるロシアの軍備増強や挑発的な行為が、『欧州・大西洋地域の安全をますます脅かし、NATOの境界線やそれを超えた地域での情勢不安を助長している』と主張。ジョージア、モルドバ、ウクライナの領土保全への支持を再確認し、ロシア政府に対して『各国の同意なしに駐留させていた軍隊を全三カ国から撤退させる』よう要求した」(【AFP=時事】2021/6/15)。いよいよ、西側帝国主義の対ロシア・中国争闘戦の色彩が強くなっていく。

●「東西・再分割」戦の緒戦としてのウクライナ侵略戦争

 そして、ロシアのウクライナ侵略戦争という形で、争闘戦は、激化し始めた。

 中国は、このロシアの始めた侵略戦争に対し、「侵略」「侵攻」とはいわず、「ロシアとウクライナの紛争」ということを言っている。また、「経済制裁」に反対し「対話を」と、「喧嘩両成敗」を立場とし、経済制裁はじまるやロシアからの「小麦」などの輸入を拡大している。

 時事通信は「仲裁に前向き=ウクライナ問題で軌道修正――中国外相」という見出しで、3月7日、中国の王毅外相は記者会見で、『必要な時に国際社会とともに必要な仲裁をしたい』『ウクライナに人道支援する用意がある』などとしたと、伝えている。

 記事によると、王外相は、一方で、NATOの東方拡大に反対するロシアの立場に理解を示すとともに、台湾問題は「内政問題」であり、ロシアとウクライナの問題とは「本質的に異なる。比較できない」としているという。だが、プーチンも、ウクライナ問題は、「ロシアの一体性をとりもどす」問題なのだ。「大ロシア・ベラルーシ・ウクライナの一体性」なる問題だ。実はこの問題でも、プーチン指導部と北京指導部の覇権主義の内容には、相当の相似性が存在することはあきらかだ。

また、王外相は、「インド太平洋戦略」は「インド太平洋版NATO」であり、英語圏五カ国「ファイブアイズ」、日米豪印「クアッド」、米英豪「AUKUS(オーカス)」、米と同盟国の二国間関係を含めた対中国包囲網の形成を「5432布陣」として、警戒しているとした、と報じている(時事通信社2022/03/07 18:44)。

【結語】<帝国主義―間―対立>=争闘戦が本格化か

●中国のロシア制裁「反対」貿易

 中国はロシアが、経済制裁を受け始めるや、支援を表明した。これまで病害などを理由に一部禁止していたロシア産小麦の輸入を全面解禁した。また中国への天然ガスの追加供給など、制裁での損失との相殺を狙うものと見られる。また、中国は、英仏独などにある中国企業の防衛のため、欧州とは関係を維持したい考えだという。また、SWIFTからの排除で、ロシアが、ドル建てでの送金・決済が困難になることから、自国通貨での決済を拡大する措置をロシアに対してとるという。

同時に、中国は国連のロシア制裁決議に対し「棄権」している。

3月02日(日本時間3日未明)、国連緊急特別会合が開かれた。制裁決議案に対してロシア、ベラルーシ、朝鮮、シリア、エリトリアが反対。棄権は、中国、インド、キューバ、南アフリカ、ベトナム、モザンビーク、ニカラグアなど35国となった。賛成は141か国にのぼった。

 まずインドが棄権した理由についてみることから始めよう。インドは、ロシアは武器の供給国だということがある。パキスタンにロシアは武器を売らないという契約。ロシアからの原子力潜水艦のリースなど。また、インドはパキスタンに侵攻する可能性。国連でインド制裁などの拒否権を行使してくれるのは、ロシアが頼みだ。中国とは、そういう関係ではない。その中国だが、中国は先に書いたように「制裁」に反対を表明してきた。ロシアとNATOが「平等な立場での対話」と言っている。だがそれは、ロシアのウクライナ侵略を、「侵略・侵攻」とは言わず、ロシアを擁護する立場の表明以外のものではない。また、台湾の統一をめざす中国にとって、台湾侵攻に対する国連の制裁を想定しての態度表明だと言えるだろう。

 ここで、ウクライナ問題と台湾問題の類似性について見ておこう。「本質的に違う」などと、中国当局者たちや、西側の専門家など、いろいろな立場の人たちが、「別物」といっているが、類似性は指摘しておくべきだろう。

●二月(2022年)に流出した「誤報道」プーチンの「勝利宣言」と中国の主張の類似性

2月26日午前8時(モスクワ時間)、ロシア国営メディア「ノーボスチ通信」はウェブ上で、「ロシアと新たな世界の到来」と題するウクライナ侵攻の「勝利宣言」を誤送信した。すぐ削除されたというが、読者がすでに、保管したものがあり世界中に拡散されている。

そこに表明されている内容では、プーチンは「ロシア・ベラルーシ・ウクライナの一体性の回復」ということを主張しているという「大ロシアの復興」ということだ。だが、これと、中国の台湾に対する「中華民族の一体性」の主張は類似していると考えるべきだというのが、本論論者(渋谷)の主張である。全部、「内政問題」であり、外国の主権・領土と民族自決権に損害を与えたり、それを破壊することはないという、中国当局者の見解とも一致する。

 だがそう言うのは詐欺的言説だ。中国は「一帯一路」のもと、この権益に敵対する香港(香港の自由主義は、西側と中国との区別がない。国家分裂」の機会にあふれていると北京官僚は考えている(「香港安全法」参照)。それは「一帯一路」の権益拡大の方向に敵対する・破壊するものだということだ)や、チベット、ウイグルなどの内陸部少数民族の民族自決運動(「一帯一路」の阻害・障害となる)への民族ジェノサイドなど、帝国主義的権益に敵対するものを排除・粉砕しようとしてきた。その結果、多くの人権侵害が展開されている。人権問題に国境はない。それを「内政問題だから口を出すな」などということはできない。まさに民主主義破壊の問題であり、中国共産党・中南海指導部を中心とする特権官僚層(スターリン主義官僚)の政治経済支配(専制主義・権威主義・全体主義)が生み出した問題だ。そこで階級として抑圧されている階級は労働者階級であり、農民大衆である。まさにスターリン主義官僚打倒の階級闘争の問題を核心問題として考える必要がある。

●中国のウクライナ支援物資提供の意味するもの

 こうした中、中国政府は3月09日、赤十字を通じてウクライナへ「食品や生活必需品」500万元分(約9126万円)を出荷したと発表した。報道官が記者会見で発表した。同時に、ロシアとの交易関係はこれまで通り継続するとし、 ロシアに対する石油・天然ガス輸入禁止などの経済制裁は「国際法上の根拠がなく一方的」、「アメリカを中心とするNATOが、ロシアとウクライナの関係を極めて危険なものに引き上げた」と西側帝国主義に対する批判・非難を展開した。

それは端的には「中立」を装い、何の「勢力圏」にも属していないという形をとろうとするものだ。それはまた、本論でも、最初に触れたように、中国にとってウクライナは「一帯一路」の拠点国の一つである。したがって、ウクライナへの支援はウクライナとの経済協力を継続したい中国の意思表示だということが言えるが、それは、ロシアに「一帯一路」に直接かかわるものを破壊するなという趣旨、とりわけ、ウクライナから中国まで延びる国際貨物列車『中欧班列』などを破壊するなというシグナルでもあるだろう。さらに多様なロシアとのやりとりの意味を含んでいると思われる。

●米による中国半導体制裁の恫喝

こうした中国の動きは、合衆国の中国への批判と恫喝を一層激化させてきている。

3月08日(2022年)、合衆国のレモンド米商務長官は、ロシアに対するハイテク輸出規制について、制裁逃れの中国企業にも厳罰を適用すると表明した。レモンド長官は中国の半導体製造の生産最大手の「SMIC」を名指し、同社が保有する米国製の半導体をロシアへ横流しすれば、同社は、米国製の製造装置やソフトウェアを使えないようにすると警告している。

 こうして中米貿易戦争は、帝国主義国家間の市場争闘戦へと展開しているのであり、ロシアのウクライナ侵略戦争を機動力に激化していこうとしている。そこではその侵略の経緯をも動力としつつ展開する、中国の「一帯一路」の帝国主義が、今後どのように展開してゆくのか、さらに、注視をしてゆきたいと思う。(2022/03/10)

※【続報・分析】は、この『赤いエコロジスト』では、【別の原稿】として、アップしていく予定です◆(2022/03/10)