6月22日「いいだもも没後三周年」シンポジウムでの渋谷要の発言
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6・22シンポジウム
「世界の危機と主体の再生を考える――いいだもも没後3周年によせて」
日時 2014年6月22日(日)13時30分~17時(会場13時)
場所 日本教育会館9階 喜山倶楽部「光琳」
東京都千代田区一ツ橋2-8-2
プログラム
第Ⅰ部 いいだももとその時代
内藤 三津子(元Nアトリエ) :「世代」の時代とその後
高橋 正久(元日通労研) :水戸での出会いから
松田 健二(社会評論社) :『季刊クライシス』刊行のころ
渋谷 要(社会思想史研究) :いいだ著『赤と緑』をめぐって
猪野 修治(湘南科学史懇談会):藤沢での出会いと研究会
第二部 講演「歴史の岐路に立って――世界の危機と主体の再生」
伊藤誠(東大名誉教授)
「現代資本主義の多重危機を考える――いいだももの志をどう受け継ぐか」
本山美彦(京大名誉教授)
「本来性と主体性――いいだ先生から投げかけられた課題」
参加費 1000円
協賛 お茶の水書房:橋本盛作、社会評論社:松田健二、批評社:佐藤英之、藤原書店:藤原良雄、緑風出版:高須次郎、論創社:森下紀夫、元白順社:江村信治(五十音順)
主催 変革のアソシエ
終了後、同会館で懇親会(会費4000円)
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第Ⅰ部スピーチ
1980年代のいいだももとして、渋谷が話したスピーチをアップします。
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「いいだもも著『赤と緑』をめぐって」渋谷要
自己紹介から始めさせていただきます。58歳です。季刊クライシスの1984年から始まった第三期編集委員会から90年終刊までの、編集委員でした。
いいださんとは、このクライシスで協働するだけの関係だったのですが、今日お話しするのは1980年代にいいださんが主張されていた、「赤と緑」というテーマについての話です。
なぜ、わたしが、話すことになっているのかということですが、わたしはこの4月に『世界資本主義と共同体――原子力事故と緑の地域主義』という本を社会評論社から上梓しました。その中の一章で、この「赤と緑」というテーマでかいた。そういうことで、私にご依頼がきたのではないかと思っています。
緑風出版から発行された、いいださんの『赤と緑』は、チェルノブイリ事故の16日前、86年4・10が発行日です。この本はパラダイムとして、そうした原発の過酷な事故をはっきりと見越した上で書かれていると思います。
いいださんの問題意識を端的に言うとこういう事です。
『赤と緑』の200頁あたりに書いてあることですが、大量生産・大量消費・大量廃棄の大衆消費社会は、廃物廃熱というエントロピーを、急速に増大させてゆきます。このエントロピーを軽減させてゆく以外、地球は環境負荷でパンクします。この資本主義に対する制約は、そのオルタナティブとしての社会主義・共産主義の在り方をもあらかじめ制約している。しかし、ソ連や中国の共産党指導部はそうしたことは考えず、生産力主義的な暴走を展開している、そうしたスターリニスト官僚の暴走に対して、エコロジカルな社会主義を創造していかなければならない。これが、「赤と緑」の中心問題であったと、私は、考えています。
そこからいいださんは、どのように、環境破壊と向き合うのかという事を論じます。1970年代初頭、マサチューセッツ工科大学の研究者たちが、「ローマクラブ」というところの依頼によって、地球の環境汚染をどうしたら削減してゆけるかというケーススタディをやりました。それが『成長の限界』という一冊の本にまとめられました。その内容は、人口・資本が爆発的に増大することで、汚染も爆発的に増大します、これを減少させるために、人口と資本をいかにコントロールするかということでした。
僕もその内容には、大きな影響を受けたものです。
しかし、いいださんは、その限界を「<資本制文明モデル>を動かすべからざる前提としている」と批判しました。同時に「原子力帝国」はクリーンエネルギーではなく、環境破壊を悪化させるとのべます。
このふたつをつなげて考えることが必要です。
『成長の限界』の116頁には、次のように書いてあります。
「核エネルギーの生態学的影響はまだ明らかにはなっていない」。
つまり、これらのケーススタディには、核エネルギーによる環境汚染ということは、入力されていないわけですね。このように核エネルギーの影響を無視した問題は、それから同じ研究チームが20年後に行なった、つまり、チェルノブイリ事故以降のケーススタディ、『限界を超えて』という本にまとめられたものでも、おなじであって。そこでも核エネルギーによる環境汚染という概念はありません。
いいださんの指摘した「資本制文明モデルの枠内のもの」という指摘は正しかったといえます。
最後になりますが、核文明をともなった近代生産力主義は、二つの原発事故を現在進行形として展開しながら暴走しています。チェルノブイリは、石棺がボロボロになっており新たに石棺をつくらなければならない。福島の事故原発は現在も大量の放射性物質を放出しつづけています。
このような近代生産力主義の社会からのパラダイムチェンジが必要です。そのパラダイムチェンジの中心に、いいださんが、提起した『赤と緑』の合流ということを、位置させていかなければいけない、そう私は考えています。これでぼくの話をおわります。ありがとうございました。