2017年5月17日水曜日

「帝国主義論の方法」について――宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート   /渋谷要




●「帝国主義論の方法」について-―—宇野経済学とレーニン『帝国主義論』の異同に関するノート

渋谷要



「帝国主義」という概念を経済学として考えるとき、「帝国主義的独占」ということの内容が、問題とならねばならないだろう。それは、いかに・どのような構造かということだ。これが、帝国主義段階の「段階規定」の核心をなす問いである。

そこで問題とされるべきなのは、これから見るようにレーニンの「帝国主義の段階規定」では、まだ、資本主義原理論との間の、「区別」が<なされているようで、なされているわけではない>という問題があるのだ。

これを指摘したのが、宇野弘蔵(1897~1977)だった。

端的には、つぎのようなことだ。帝国主義的「独占資本」の規定をめぐっては、レーニン「帝国主義論」における「独占」概念の分析の方法をめぐり、マルクス経済学者・宇野弘蔵が「「帝国主義論」の方法について」(「「資本論」と社会主義」岩波書店、所収、初版1958年)で、そのレーニンの帝国主義的独占の概念規定が方法論的に限界があるというよりも、外れていると、指摘した問題である。

それは、レーニンが「独占」を、資本主義の一般的な「資本の過剰・集積」の延長上に「自由競争から独占資本へ」と解いたのに対し、宇野が、帝国主義段階における資本蓄積の特殊段階論的位相がそれでは明らかにできないとして、ドイツ鉄工業と金融資本の直接的一体化による株式会社制度の普及・証券投資の増殖に注目し、イギリスのような「資本の輸出」に金融資本化の根拠を求めることとは区別される、ドイツ(やアメリカ)のような、国内の直接産業企業と大銀行の金融資本的一体化による「独占」体の形成こそが、帝国主義的独占の特殊性の出発点だとした問題、まさに「金融資本が国内の生産過程に直接的に基づいて形成せられた点に」(宇野・前掲)その帝国主義的独占の規定をもとめ、それが、「資本の輸出」の、帝国主義段階における前提として、その上で解かれるべきとした問題としてあるということにほかならない。

だが結論はあせらず、宇野の「帝国主義論の方法について」(1955年11月『思想』岩波書店、1958年、『「資本論」と社会主義』、岩波書店、所収)を読むことから始めよう。

「レニンの『帝国主義論』は、君もご承知のように、その第一章で『独占』を説くのでありますが、それはマルクスが『資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争が生産の集積をうみだし、そしてこの集積はその発展の一段階では独占をもたらすことを論証した』(レニン『帝国主義論』邦訳国民文庫版二六頁。以下頁数指示の引用はすべてこの邦訳本による)ということを基礎にしています。この点、僕が最初から所謂重工業のような特定産業における資本集積の増大と固定資本の巨大化とによって、独占を説いているのとは、非常に異なっています。たしかに『資本論』における資本の集中、集積の理論は、レニンの考えるような独占への傾向を説くものといってよいふしがあります。しかし、その点は、実は僕としてはとりえないのです。資本の集中、集積の増進は、一定の段階では独占になるといえば、誰も疑問とするところは内容に考えられますが、よく考えてみると、そういう考えの裏には常に一定の市場を想定し、特定の産業を予想するということがあるのではないでしょうか」と宇野は言う。

 宇野が指摘するポイントを、結論から言うと「帝国主義の根底をなす金融資本による『独占』は、決して原理論的に規定されるような『独占』一般としてでなく、特定の歴史的意味を持ったものでなければなりません」ということである。

まずもって宇野がそこで、レーニンの『帝国主義論』の論述方法を直接問題視して指摘したことは、「『資本論』がその原理論の展開に際してあげる具体的事実は、その内に原理を具体的に示す例証としてである」ことに対し「帝国主義論のような段階論になると、具体的事実はもはや単なる例証であってはならないのです。それはタイプの問題になるのです」ということだ。だが「レニンのは『帝国主義論』では、事実がどうも『資本論』と同じように、何か理論の例証として引かれているかのように考えられるふしがある」というのである。

だから、これから後述するように、イギリス、フランスと、ドイツ、アメリカでは、「金融資本」といってもタイプが違うのに、ごちゃまぜに論じており、それによって、後述するように「ドイツが独占的な金融資本の典型的発展を見た国」とはされず、むしろレーニンは、ドイツを「特別扱い」するな、イギリスも、「いくらかおくれて」「別の形態で」「独占をもたらしつつある」としているというわけである。だが、宇野は「ドイツとイギリスの相違は、もっと重視されなければならない」と強調する。ここでは「独占」「金融資本」の在り様がタイプとして違うことが問題とされるべきで、「独占」「金融資本」に、単になっているか、いないかということではない。

また、後述するように、「帝国主義段階に特有な」「資本の輸出」も、「帝国主義的独占」と、それをつくる「資本の過剰」の「特殊の形態を明らかにした上で説かれるべきではなかったか」と、展開する。

まずこのタイプの問題だが、宇野は次のように、ドイツとイギリスのタイプの違いを指摘する。

「僕自身は、一方にドイツをとり、他方にイギリスをとる方法をとっていますが、そしてアメリカはなお第一次世界大戦までは典型的なものとしてでなく、単に補足的に採り上げられるにすぎないものとして扱ったのですが、それはもちろんドイツ、イギリスの両者に共通な金融資本化の傾向は認めながら、その相違を明らかにすることによって、始めて金融資本の意味も明確にされ、金融資本的『独占』も解明されると考えたからです。独占にしても僕は、それを単なる「独占」としてでなく、『組織的独占』とか『独占体』とかという言葉で表したわけです。もちろん僕もイギリスにおける独占企業の出現を否定するわけではありません。しかしそれはドイツのように大銀行との聯関をもった「独占体」と一様に扱うことはできないと考え、むしろ後者にこそ金融資本の典型が、しかもその積極的な面が認められると思ったのです。イギリスの場合は、これに対して「資本の輸出」にその金融資本化の根拠が求められる。したがってまた同じ金融資本にしても、ドイツの場合のように直接産業企業と大銀行との金融資本的一体化による『独占』は認められないといってよいのです」。「ドイツの場合にはその金融資本が国内の生産過程に直接的に基づいて形成せられた点に、その基本的規定をあたえられるものとした」のだが、それと、イギリスとの相違は、「僕の考えでは、イギリスの資本主義がその蓄積の一部を早くから海外投資に向けてきたということと産業企業の株式会社化が徹底しなかったということとの、相関聯する二つの事実によるものと解しています」ということになる。

宇野はレーニンの「独占」概念が、商品生産と私的所有制の一般的環境→生産の集積→独占→銀行と産業の融合・癒着という形成過程を描いているが、「銀行と産業の融合・癒着」について「株式会社制度の産業企業における普及によってはじめて実現されるのであって、レニンも実際上は株式会社制度の発展によって説きながらその点を明確にしてはいないのです」とする。

宇野の論点は、ここから、レーニンの「独占」概念を導いた論述・分析方法の問題などを細かく論及することになるが、本論としては、まず、帝国主義に特有な「資本の輸出」との関係で、この部分を取り上げることにする。

「ドイツ、アメリカが株式会社形式を極度に利用して資本家的独占組織を発展せしめるのに対して、イギリス、フランスが多かれ少なかれ金利生活者的傾向を示していることを示すと思うのですが、『資本の輸出』という場合にも、この区別が考慮されてよかったのではないでしょうか」。そこから宇野の分析は、レーニンの「資本の輸出」「資本の過剰」の概念問題に入るのだが、ここで、レーニンの「帝国主義」の概念規定について、おさえておこう。



●レーニンにおける「帝国主義」の概念規定



レーニン「帝国主義論」の基本視座から引用していく。

a.次の五つの基本的標識を含むような帝国主義の定義を与えねばならない。すなわち、(1)生産と資本の集中が高度の発展段階に達して、経済生活で決定的な役割を演じている独占体をつくりだすめでになったこと。(2)銀行資本が産業資本と融合し、この「金融資本」を基礎として金融寡頭制がつくりだされたこと。(3)商品輸出とは区別される資本輸出が、とくに重要な意味をもつようになること。(4)資本家の国際的独占体が形成されて、世界を分割していること。(5)巨大な資本主義列強による地球の領土的分割が終わっていること。

 帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が成立して、資本の輸出が顕著な重要性をもつようになり、国際トラストによる世界の分割が始まり、巨大な資本主義諸国による地球の全領域の分割が終わった、そういう発展段階の資本主義である」(選集2、大月書店、758頁)。



b. 「1生産の集中と独占体」

「マルクスは資本主義の理論的および歴史的な分析によって、自由競争は生産の集中を生みだし、この集中は一定の発展段階で独占に導くということを証明した点…生産の集中による独占の発生は総じて資本主義の現在の発展段階の一般的・根本的な法則なのである」(700701)。「(北アメリカ合衆国では)国の全企業の総生産の約半分が企業総数の100分の一ににぎられている。そしてこれら3000の巨大企業は、258の工業部門にわたっている」。



.「2銀行とその新しい役割」、「3金融資本と金融寡頭制」

「生産の集中、そこから生まれてくる独占体、銀行と産業との融合あるいは癒着、――これが金融資本の発生史であり、金融資本の概念の内容である」(選集②723)。「少数者の手に集中され、事実上の独占的地位を占めている金融資本は、会社の創立や、有価証券の発行や、国債等々から巨額の、しかもますます増大する利潤を獲得し、こうして金融寡頭制の支配を強化し、社会全体にたいして独占者へのみつぎ物を課している」(728)。

「金融資本の主要な業務の一つである有価証券発行の異常に高い収益性は、金融寡頭制の発展と強化のうえできわめて重要な役割を演じている。『国内には外債発行のさいの仲介に匹敵する利益をもたらす事業は一つもない』と、ドイツの雑誌『バンク』は書いている」(730)。

金融寡頭制がもっとも進んでいる国を知るには「証券発行統計、すなわちあらゆる種類の有価証券の発行高の統計によって、判断することができる。「国際統計研究所報」のなかで、A、ネイマルクは、全世界の有価証券発行に関するきわめて詳細な、完璧な、また比較可能な資料を発表している。…この資料によれば、およそ一〇〇〇億から一五〇〇億フランの有価証券を所有している四つのもっとも富裕な資本主義国が、くっきりときわだっていることが、一目瞭然である。これらの四つの国のうち二つは最も古いそしてあとでみるように、植民地をもっとも多くもっている資本主義国、イギリスとフランスであり、他の二つは、発展の速度と生産における資本主義的独占体の普及の制度との点で先進的な資本主義国アメリカ合衆国とドイツである。これら四つの国は合計して490億フラン、すなわち全世界の金融資本の80%近くをもっている。それ以外のほとんど全部は、なんらかの形で、これらの国々 -国際的銀行家、世界金融資本の四本の「柱」――に対する債務者と貢納者の役割を演じている」(七三四~七三五)。



.「4資本の輸出」

「イギリスのこの独占(世界交易の―引用者)は、19世紀の最後の四半世紀にくつがえされた。なぜなら、一連の他の国々が、『保護』関税にまもられて、自立した資本主義国家に発展したからである。20世紀に入るころには、われわれは他の種類の独占が形成されたのを見る。第一は資本主義の発展したすべての国々で資本家の独占団体が形成されたことであり、第二は、資本の蓄積が巨大な規模に達した少数のもっとも富んだ国々の独占的地位が形成されたことである。先進諸国には膨大な『資本の過剰』が生じた。…資本主義が依然として資本主義であるかぎり、過剰の資本はその国の大衆の生活水準を引き上げることにはもちいられずに――なぜなら、そうすれば資本家の利潤は低下することになるから――外国へ、後進諸国へ資本を輸出することによって利潤を高めることにもちいられる。これらの

後進国では利潤は高いのが普通である。なぜなら、資本は少なく、地価は比較的低く、賃金は低く、原料は安いからである。資本輸出の可能性は、一連の後進国がすでに世界資本主義の循環のなかにひきいれられ、鉄道幹線が開通するか敷設されはじめ、工業発展の基礎条件が保障されている等々のことから生じる。また、資本輸出の必然性は、少数の国々では資本主義が『爛熟し』、資本には「有利に」投下される場所がない(農業の未発達と大衆の貧困という条件のもとでは)ということから生じる」(レーニン②735~736)。

(これらが、→「5 資本家団体の間での世界の分割」「6 列強のあいだでの世界の分割」への起点にほかならない)。



e.「5 資本家団体のあいだでの世界の分割」

「資本主義のもとでは、国内市場は不可避的に国外市場と結びついている。資本主義は、はやくから世界市場をつくりだしている。そこで、資本輸出が増加し、巨大独占団体のあらゆる対外的および対植民地的結びつきと「勢力範囲」とが拡大するにつれて、事態は「おのずから」これら独占団体の間の世界的な協定に、すなわち国際カルテルの結成に近づいていった。これは資本と生産の集中の新しい段階であ」る(740)。

「金融資本の時代には、私的独占と国家的独占がたがいにからみあっていること、また、前者も後者もともに、実際には巨大独占者たちのあいだで世界を分割するための帝国主義的闘争の個々の環に過ぎない」(745)。「国際カルテルは、いまや資本主義的独占体がどの程度に成長したか、また資本家団体のあいだの闘争がなんのためにおこなわれているかを、示すものである」(746)。「資本家は世界を「資本に応じ」「力におうじて」分割する」。「資本家団体のあいだには、世界の経済的分割を基礎として一定の関係が形成され、…これにともなって…国家のあいだには、世界の領土的分割、植民地のための闘争、「経済的領土のための闘争」を基礎として、一定の関係が形成される」(745)。



f.「6 列強のあいだでの世界の分割」

「この時期の特徴は地球の最後的分割である。…再分割が不可能だという意味ではなく――それどころか、再分割は可能であり、不可避である――、資本主義諸国の植民政策が、地球上の占有されていない土地の略奪を終えたという意味である」(747~748)。

「われわれはいま世界的植民政策という独自の時代にあるわけであって、この政策は、「資本主義措ける最新の段階」と、金融資本と、固く結びついている」(748)。「資本輸出の利益も、同様に、植民地獲得を促す。…金融資本を基礎として発達する経済外的な上部構造、すなわち金融資本の政策やイデオロギーは、植民地獲得の欲求を強める」(754~755)。



g.「7 資本主義の特殊の段階としての帝国主義」

「事の本質はカウツキーが帝国主義の政策をその経済から切り離し、併合を金融資本の『好んでもちいる』政策であると説明し、この政策に、彼によれば同じ金融資本を基礎として可能であるという他のブルジョア的政策を対置している点にある。…資本主義の最新の段階のもっとも根本的な矛盾の深刻さを暴露するかわりに、それらの矛盾をあいまいにし、やわらげることになり、マルクス主義のかわりにブルジョア改良主義が生じることになる」(761)。

h.「8 寄生性と資本主義の腐朽」

「金利生活者国家は、腐朽しつつある資本主義の国家であり、そしてこの事情は、一般にはその国のあらゆる社会政治的条件に、とくに労働運動内の…潮流に反映せずにおかない」(769)。「労働運動の内部でも、いま大多数の国で一時勝利を占めた日和見主義者が、まさにこの方向にむかって系統的にたゆみなく『働いでいる』ことだけを、つけくわえておくべきであろう。帝国主義は、世界の分割と、中国に限らない他国の搾取を意味し、ひとにぎりのもっとも富裕な国々が独占的高利潤を手にいれることを意味するので、それは、プロレタリアートの上層部を買収する経済的可能性をつくりだし、そのことによって日和見主義をはぐくみ、形づくり、強固にする」(771)。「日和見主義は、いまでは、十九世紀の後半にイギリスで勝利を得たように、数十年の長期にわたってある一国の労働運動内で完全な勝利者となるなることはできない。しかしそれはいくたの国で最後的に成熟し、腐朽してしまって、社会排外主義の形で、ブルジョア政治と完全に融合しているのである」(774)。

「『二十世紀はじめのイギリス帝国主義』を研究した一ブルジョア研究家は、イギリスの労働者階級について述べるさい、労働者の『上層』と『本来のプロレタリア的下層』とを系統的に区別することをよぎなくされている。…いま記述している一群の現象と関連のある、帝国主義の特質の一つとして、帝国主義諸国からの移出民の減少と、賃金の安い、おくれた国からくるこれらの国への移入民(労働者の流入と一般の移住)の増大とがある」(772)。  

「帝国主義は、労働者のあいだでも特権的な部類を分離させ、これをプロレタリアートの広範な大衆から引き離す傾向をもっている」(773)。

以上がレーニン「帝国主義論」の要点だ。



●レーニンによる「金融資本の支配」説明の限界



ここで、もう一度、帝国主義段階を画期する、「株式資本」=「金融資本」の存在の措定の仕方を確認しよう。

「かれは、帝国主義段階における有価証券の巨額な増大を示し、これをもって金融資本の支配の指標とする。したがって世界的規模での金融資本の支配は、いまや「富裕な本主義国」の有価証券所有と、「それに対するその他のほとんどすべての世界」の「債務者と貢納者の役割」(全集㉒276頁)への転落をもって特徴づけられることになる。銀行と産業と

の癒着にもとづく組織的独占体の形成という意味での『金融資本の支配』は、ここではその内容を抜きさられ、たんなる有価証券所有の優劣、つまりレントナー化へと形式的に一般化されることになっている。そしてまた、このように『富裕な資本主義国』の国際的レントナー化をもって、『金融資本の依存と連絡との国際網の創出』(同)と規定することによって、ここから『資本の輸出』の問題、もみちびきだされているのである」(降旗節雄『帝国主義論の系譜と論理構造』二一五頁)。



ヒルファーディングの説明



 こうした宇野学派のレーニンに対する違和は、ヒルファーディングの次のような、段階規定での立論を媒介としている。降旗節雄『宇野経済学の論理体系』(社会評論社)では、つぎのようである。

「ここでヒルファーディングは次のように言う。

『資本主義の発展は、それぞれの国で土着的におこなわれるのではなく、むしろ資本といっしょに資本主義的な生産および搾取関係が輸入されるのであり、しかも最先進国で到達された段階においていつも輸入されたのである。それは、ちょうど今日あらたにうまれる産業が、かならずしも手工業から出発し、手工業的技術をへて近代的大経営に発展するのではなく、最初方高度資本主義企業として創立されるのと同様に、資本主義もまた今日では、そのときどきの完成された段階において、あらたな国に輸入されるのであり、したがって、それは例えばオランダやイギリスの資本主義的発展が必要としたよりもはるかに大きな重圧をもって、はるかに短い期間において、その革命的作用を展開する』。(ヒルファーディング(岡崎次郎訳)『金融資本論』下、岩波文庫版、八五頁)

 ここで示されている資本主義の発展についての理解は、マルクスの資本主義認識にはまったくなかったものである。マルクスの場合、後進国はつねに先進国の後をおうにすぎなかったのに対して、ヒルファーディングにあっては関係は逆転する。

『はじめはドイツ資本主義発展のたちおくれにもとづいた一事情が、結局はイギリス産業に対するドイツ産業の組織上の優越の一原因ともなったわけである。イギリスの産業は有機的に小さな始まりから、しだいに発展して後に大きくなった協業とマニュファクチゥアが生まれ、工場はまず主として紡績業という比較的小資本しかいらない産業で発展した。それは組織の点では主として個人経営にとどまった。株式会社ではなくて個人資本家が支配権をにぎり、資本主義的には個別産業資本家の手にとどまった。……そこ(ドイツ)では、もとより資本主義の発展はイギリスのそれを後から一々追ってゆくことはできなかった。むしろ先進国のすでに到達した段階を、技術的にも、経済的にも、できるだけ自国の到達点にしようとの努力がなされざるをえなかった。とはいえ、最高度に発展した諸産業で生産をイギリスのすでに到達した規模でおこなうには、企業が個人企業であるかぎり、個々人の手における資本の蓄積が必要だったが、そのような蓄積はドイツにはなかった。そこで、ドイツでは株式会社は、ドイツの形態にもイギリスの形態にも共通な機能のほかに、所要の資本を調達する機関となるという新たな機能をもった。……産業で株式形態を有利にした同じ原因が、銀行をもまた株式銀行として発生させた。だから、ドイツの諸銀行は、はじめからドイツの産業株式会社に所要の資本を融通するという任務、したがって流通信用だけでなく資本信用をも扱うという任務をもっていた。だからはじめから産業に対する銀行の関係は、ドイツでは、そして――部分的に、ちがった形態で――アメリカでも、イギリスとはまるでちがわざるをえなかった。この相違は、なかんずくドイツの後進的な、おくれて形成された資本主義的発展に由来するが、逆に、産業資本と銀行資本とのこうした内面的むすびつきは、ドイツおとびアメリカにおけるヨリ高い資本主義的組織形態のへの発展において重要な一契機となった』(前掲、五一~五三頁)。

 このヒルファーディングの文章に示されているのは、資本主義的発展における先進国と後進国の逆転の論理である。一九世紀中葉最大限の個人企業的発展をとげたイギリスと、資本蓄積のきわめて遅れたアメリカ、ドイツという二つの類型の資本主義国家において、「最高度に発達した諸産業」つまり固定資本の巨大化した重工業部門を基幹産業として定着せしまざるをえないという状況が発生した。この解決は、いかにスムーズに株式会社形式を産業企業に普及させるかにかかっていた。イギリスにおける個人企業の全面的発展は、株式会社形式の採用に阻止的に働き、アメリカ、ドイツでは、その資本蓄積の後進性がかえって促進的に作用した。こうして生産力の発展における逆転が生じたというのである。宇野は、このヒルファーディングの把握を、かれの段階論的認識の前提として採用した」(降旗前掲一二七~一二八頁)。

 

●宇野・帝国主義論の核心



 以上のような宇野の「帝国主義」分析の核心を降旗は次のように説明する。

「宇野教授の帝国主義段階把握の核心は、次の文章である。

『自由主義時代の基礎をなした産業資本は、原則的には、原理的に説かれる資本の蓄積のように、個々の個人資本家の蓄積による綿工業の発展にみられたのに対して、帝国主義時代は、株式会社による最初から資本家社会的に集中せられた資本をもって行われる比較的大規模なる固定施設をもった鉄工業などの重工業がドイツのような後進国では却っていわゆる金融資本なるあらたな資本のタイプを形成する基礎となるのであった。それはもはや産業資本のように個々の資本家としての競争を貫徹せしめることよりも、むしろいわゆる独占的利益を求める特殊の組織の形成を容易にするものであった』(「経済政策論・改訂版」、弘文堂、一五三頁)。

 つまり教授にあっては、『世界の工場』として一九世紀中葉までの資本主義の発展を規定したイギリス資本主義と対抗しつつ、かつその影響のもとに資本主義化を実現せざるをえなかった後発資本主義国ドイツにおける資本蓄積の特有のあり方が、帝国主義段階の資本の存在様式の基本的タイプとされているのであって、帝国主義段階の支配的資本としての金融資本は、最初から一定の時と所とに限定された具体的歴史性において把握されているのである。このように把握された金融資本の特質を、いま、前節の最後で要約した、レーニン帝国主義論のもつ問題点との対比において示せば次のようになろう」(降旗前掲二九二頁)。

「レーニンは、帝国主義段階の資本主義の「最もいちじるしい特質の一つ」として「生産の集積」をあげ、しかもこれを資本主義の基本的特質である自由競争の必然的結果として把握していた。産業資本における『生産と資本の集積』の一定の発展が、資本主義的独占の成立根拠をなすというわけである。これに対して宇野教授は、帝国主義段階に支配的な金融資本の成立の根拠として、『資本集積の増大と重工業における固定資本の巨大化』をあげる。つまりこの場合の『資本の集積』は、『すでに産業資本による資本主義の一定の発展を基礎とするものではあるが、単にその拡大とはいえないものを含む』(『政策論・改訂版』一五七~八)のであって、一九世紀後半における重工業の特殊な技術的発展に支えられて異常な固定資本の巨大化をみちびき、かつそれに規定された資本の集積なのである。しかもこの場合、一九世紀中葉までの資本主義の発展における基幹産業が綿工業だったのに対して、一九世紀末葉からは鉄工業がその地位を取って代わったのであって、このような基幹産業の交替自体は、たんなる競争による大規模生産の創出と小規模生産の駆逐とから必然的に生ずるものではない。……(それらは――引用者・渋谷)たんなる資本集積の増大という一般的論理からはみちびきえない、産業資本としての綿工業を基幹産業とする資本主義の特定の発展段階が、いわば技術的に生み出した技術的現実なのである。そして資本主義的生産は、それが支配的生産様式たるかぎり、このような特殊な歴史的現実をも、それ自身の運動によって処理しなければならないのであるが、そのためには、もはや産業資本は適合的な資本形態たりえないことになる。資本の所有と経営とを分離しつつ、一応その所有から離れて支配を異常に集中しうる株式会社形態が、まさにこのような歴史的現実に適合的な資本形態として登場せざるをえないのである」(降旗前掲二九三頁)。

「株式会社形態においては、資本は、現実資本と株式としての資本とにその存在を二重化される。そしてこのことは、現実資本から分離して株式がいわゆる擬制資本として売買されることによって、資本は現実資本としては依然としてG―W…PW´―G´として存在しつつ、資本市場を通して流動化されるという特殊な運動を可能にするとともに、直接株式売買をとおしてあらゆる社会的資金が生産過程に動員されることをも可能にする。株式会社は『社会的に蓄積せられた資金から、事業の経営に必要な任意の額の資本を調達するという資本主義社会に特有な資本家社会的なる機構を一般的に確立する』(『政策論・改訂版』一六八~九頁)資本形式をなすのである。個人資本の集積によってでなく、既存の資本の社会的集積をとおして、一挙に巨大な資本蓄積を実現しうる株式会社は、かくて巨大固定施設をもつ重工業を、しかも後進資本主義国において、資本主義的に確立するためのもっとも適合的な資本形態となった」(降旗前掲二九三~二九四)。

「以上のような性格をもって、重工業を巨大企業として実現する株式会社は、銀行に対しても特有の関連を要請することになる。つまり、いわゆる商業銀行としての流通信用的関係をこえて、直接資本信用を供与するとともに、株式会社形式は銀行側でもこの資金を新株式の発行によって回収することを可能にするのであり、さらに銀行自身も発行業務をとおして操業利得を獲得しうることになる。巨大産業企業と銀行とは、このような株式会社形式をばいかいとして癒着し、相互に益々巨大化しつつ、銀行を中心とする特有の組織的独占体を形成することになる。以上のような重工業における固定設備の巨大化、株式会社によるその巨大企業としての実現―株式会社形態を媒介とする産業と銀行の癒着―組織的独占体の成立という一連の過程は、19世紀末葉のドイツにおいて最も典型的に実現された。これは結局、『不断の過剰人口を基礎とする労働力の商品化』を社会的基礎とする金融資本的遅奇跡様式として、重商主義段階における商人資本、自由主義段階における産業資本に対して、帝国主義段階の支配的資本形態たる位置をしめることになる。しかし、重商主義段階、自由主義段階と違って、この帝国主義段階の特質は、それまでのイギリス資本主義を典型とする世界史的過程に対して、後進国ドイツがその後進性をいわば優越条件に転化せしめつつ積極的参加を実現した点にあるのであって、その支配的資本としての金融資本も、この『ドイツの進出的な役割に対してイギリスが防衛的立場に立つ』(宇野前掲『経済政策論』、一九一頁)という帝国主義国同士の対立関係によってきていされているのである。したがって、イギリス羊毛工業やイギリス綿工業において典型的に示された商人資本や産業資本と異なって、金融資本は『積極的にはドイツ重工業の発展に規定されつつ、イギリスにおいて特殊の、直接、生産過程に基礎をもつとはいえない形態で発現』(同)するという特有な関連において、いわば相互補足的な二類型の様相をもって実現されることになるのである」(降旗前掲二九三~二九五頁)。 

「帝国主義国による資本進出―植民地領有関係の展開は、歴然と存在する二つの類型にわけれることになる。第一は、イギリスのように、すでに自由主義段階から『世界の工場』、『世界の銀行』としての世界市場におけるその優越的地位を前提として蓄積された資本が、マーチャント・バンカーなどの投資銀行業者の媒介によって海外に向かっていたものであって、帝国主義段階ではいわばその延長線上に発展を見たのである。第二は、ドイツに代表されるような後発資本主義国のそれであって、そこでは国内における基幹産業の独占的組織による支配完了とともに、過剰資本の処理が過剰商品輸出と有機的連関を保ちつつ、大銀行を中心として先進国の支配地域への割り込みとして強行される場合である。…帝国主義段階の資本の輸出―世界の分割とは自由主義段階から展開されてきた先進資本主義国の資本輸出と植民地分割に対して、後発資本主義国における…過剰資本の海外投資が、植民地再分割を要求するという点に特色がある」(降旗前掲二九八~二九九頁)。つまり「帝国主義的対立は、むしろ海外投資にむかうイギリスとドイツに代表される帝国主義国の過剰資本の形成機構自体の差異を基礎として明らかにされねばならない。…たんに各帝国主義国における過剰資本の増大という量的変化の結果ではなかった。…そしてこのような意味での植民地ないし勢力圏の再分割の要求と、それに対する防衛との対抗関係は、結局『戦争によってでも解決せられるほかに途のない対立』(宇野前掲『経済政策論』二五七頁―引用者・渋谷)を必然化することになる。……帝国主義戦争も結局、この特殊な蓄積様式と対応する経済政策の総括的結果として解明されたことになるのである」(降旗前掲三〇〇頁)。
――(ここまで)

2016年5月12日木曜日

社会民主党・考


社民党が、民進党との合流を「打診」していることが、報道された。
日本の左翼の中には、戦後の「日本社会党」の幻影を未だに、頭の片隅にもっておられ、そのために、そういう「打診」に首をかしげる方もおられるかもしれない。また、沖縄をはじめ、全国で、社民党は反基地、「安保法制反対」の運動を展開しており、その点は評価すべきだという意見もあるだろう。それはそのとおりだ。だが、ここで、問題になっているのは、個々の問題ではなく、社民党が、何を自分たちのパラダイムとし、政治的ヘゲモニーを組織するときの方法としているかということだ。
 社民党は、今年の京都市長選挙など、地方首長選挙では、自民党や民主党(民進党)と、相乗りの選挙協力をつづけてきた。その地方の社会的ヘゲモニーの土俵で、自分たちの多数派獲得をめざす・政治的ヘゲモニーを確保するという社会民主主義の「王道」を順守している。日帝権力と、あるところでは闘い、あるところでは闘わない。これが、改良主義的政策路線をとる社会民主主義の基本だ。
 だが、これでは、日帝に対する「革命的祖国敗北主義」は、貫徹できないのだ。ここに、社民党のアポリアがある。社民党は、完全に<国家支配階級としての自民党>とは闘えず、民主党→民進党と同じスタンスに立っているということは、すでに「自社さ」政権以降、はっきりしている。
その決定的文書に、1990年代初頭において表明された日本社会党の「社会民主主義とは何か」という、綱領的文書がある。これで、自社さ政権も可能となったのである。

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社会民主党・考
                                       渋谷要


日本社会党は、戦後久しく綱領的文書であった「日本における社会主義への道」を最終的に放棄したのち、それに代わる綱領的文書を、日本社会党の社会主義理論センターが、1990年に発表した。それが「社会民主主義とは何か」だ。この文書の前半部分の主要部分と考えられるところを、ここでは読んでみよう。後半部分は、各論になってゆくので、ここでは、省略する。この文書は、まさにソ連東欧圏の崩壊の中で書かれており、ソ連スターリン主義は破産した、これからは社民主義だという歴史認識が伺えるものとなっている。

ここでの、ポイントだが、この文章で、もっとも、ナンセンスなのは、共産主義を戦略的に敵視していることである。

「周知のように、国際社会主義運動は、第一次世界大戦後大きく二つの組織に分裂した。一つは社会民主主義者の労働社会主義インターナショナル(一九二三年五月結成、通称第二インターナショナル)であり、いま一つはマルクス・レーニン主義者の共産主義インターナショナル(一九一九年三月結成、通称第三インターナショナル)である。この二つの組織は、傘下の党が一九三〇年代フランス、スペインで反ファッショ人民戦線政府運動を行ったさいに共闘したほかは終始、激しく対立しあった。対立の原因は、第二インターナショナルが議会主義と漸進的社会改良による社会主義の実現を主張したのに対して、第三インターナショナルがそれと真っ向から対立する武力革命によるソビエト政権の樹立を主張したことにある」(「【1】歴史的に規定された社会民主主義の概念」の「4」)と。

そして、第一次大戦における、ドイツ社民党の帝国主義戦争参戦や、これに反対したローザらスパルタクスブント虐殺、社民党:国防大臣ノスケの義勇軍(フライコール)の展開が、ナチス武装組織形成へと展開したことを、一切、覆い隠すものとなっている。

こんなことが、ゆるせるとでも思っているのか!!

社会民主主義は日本でも、戦前、改良主義の社会大衆党が日本共産党のようにも闘えず、戦時総翼賛体制にのみこまれていった。

西欧社会民主主義は単に議会主義で、日和見主義だからダメだということではなく、帝国主義の戦争を支えた民間反革命そのものだということである。まず、そのことを西欧社会民主主義者は、はっきりと自己批判するべきではないか。

例えばブレアのイラク戦争参戦などの西欧社民の帝国主義の侵略反革命参戦などは、彼らの綱領的前提である西欧民主主義的価値の防衛を例えば、共産主義からの防衛、西洋文明を否定するイスラム原理主義過激派からの防衛など、帝国主義と同一ベクトルをもってなそうとしてきた、その考え方に拠っているのだ。

そういうかれらの、ブルジョア近代の価値観から生み出されてきたのである。
そして、かれらは国際資本主義の共通の価値の防衛・利害の防衛をブルジョアジーとともにになうことで、資本主義改良のヘゲモニーをとってゆくことができると、妄想してきたのである。まさしく、戦争も労使協調でやる。これが西欧社民主義の歴史の中で、現実に展開されてきたことではないのか!! まさしく、正真正銘の反革命戦争の思想、それが西欧社会民主主義だ!


以下、主な内容について、読んでゆこう。


社会民主主義とは何か(前半部分、以下は省略)

一九九〇年七月二六日

日本社会党・社会主義理論センター

*西欧社会民主主義の立場から社会民主主義概念を整理した文書。出典は『月刊社会党』一九九〇年九月号(第四一九号)長文のため2ページに分けて掲載。 ……

(*この文書は中央執行委員会の諮問を受けて、社会民主主義の一般的考え方を整理したものである)


【Ⅰ】歴史的に規定された社会民主主義の概念(略)

【Ⅱ】 社会民主主義とは何か

 6 社会民主主義に対する今日的定義は、社会民主主義を掲げる各党が共同で作成した社会主義インターナショナルの宣言のなかから得ることができる。一九五一年、社会主義インターナショナルは創立にあたって『民主的社会主義の目標と任務』と題する宣言(フランクフルト宣言)を採択したが、この宣言は第二次大戦後の社会民主主義がどのようなものであるかを示しており、一九八九年六月に開催された社会主義インターナショナル大会で採択された『社会主義インターナショナルの基本宣言』(ストツクホルム宣言)は、社会民主主義の現時点における到達点を示すものである。以下、これらの宣言によりながら今日の社会民主主義がどのようなものであるかを明らかにしたい。

一 基本価値の実現が社会民主主義である

7
 社会民主主義は、実現すべき基本価値(基本理念)として自由、公正(平等)、連帯の三つを挙げる。政治、経済、社会、文化など人間生活のあらゆる領域で人びとが連帯して自由を実現し、公正(平等)を実現するのが社会民主主義である。

8
 自由、公正(平等)、連帯は一挙には実現できない。たゆみない民主主義的改革によって一歩一歩実現される。その意味で社会民主主義は「社会と経済の民主化、社会的公正を増大する持続的な過程である」(ストックホルム宣言)。現に普通選挙制、労働三権、社会保障などさまざまな民主的な制度が行われているが、さらに基本価値を実現するための諸政策が実現されることによって社会民主主義的社会編成はいっそう前進していく。永続的なこの過程が社会民主主義を発展させ、成熱させていく。社会民主主義が発展することによって人間解放、人間性の自由な発展が可能になる。

 9 社会民主主義は、基本価値を実現するためにどのような政策手段が最適であるかをあらかじめ決めることはしない。その国の政治的・経済的条件のもとで自由や公正や連帯を実現するうえで最適な手段を選択する。従って基本価値を実現する運動は国によって当然異なることになる。イギリス労働党はかつて国有化政策を実行したし、ミッテラン政権もその初期に国有化政策を行ったことがある。西ドイツ社会民主党は、「同権にもとづく参加」という社会民主主義の基本路線にたって企業レベルだけでなく社会レベルにおいても共同決定を追求している。「民主的社会主義をめざす各国のたたかいは、政策面での相違と立法措置での違いを示すであろう。それらは歴史の違いとさまざまな社会の多様性を反映するであろう。社会主義は、もはやそれ以上の変革も改革もできず、発展させることもできない最終的で完成された社会主義の青写真を持つ、などとは主張しない。民主的な自主決定をめざす運動には、各人と各世代が独自の目標を設定する以上、常に創造のための余地が存在する」(ストックホルム宣言)のである。

10 これに対して、ソ連型社会主義では社会主義を実現する手段は最初から決められていた。議会主義を否定するプロレタリアート独裁(共産党の一党独裁)と市場を追放する中央集権的計画経済が社会主義を実現する政治的・経済的手段であった。長期にわたる実験の結果、この社会モデルは無惨にも崩壊した。プロレタリアート独裁が社会主義の目的である自由と民主主義を圧殺し、中央集権的計画経済が国民経済を破局的停滞に導いたのである。ソ連、東欧では共産党一党独裁と中央集権的計画経済が放棄され、複数政党制と市場経済の導入が決定された。手段が目的の達成をさまたげるとき、その手段が放棄され、別の手段が選択されるのは当然のことである。

11 社会民主主義は、一つの完成された社会モデルを描くことはしない。基本価値を実現する手段は多様であり、基本価値を実現する運動は永続的であって完成した社会モデルを描くことはできないからである。民主的な経済制度や社会制度ができることによって公正(平等)が前進した、とする。それは明らかに社会民主主義の発展である。しかし社会民主主義は、いくつかの民主主義的な制度ができたからといって完成することはない。さらにより多くの自由、より進んだ公正をめざして運動が進むからである。

12 人間生活のあらゆる領域で自由、公正(平等)、連帯を実現するためには、人びとの積極的な参加がなによりも必要である。その意味で「参加と民主主義」は社会民主主義の基本路線である。社会民主主義は「最高の形態における民主主義」(フランクフルト宣言)であるといわれるゆえんである。


13,14(略)


15 政治的民主主義の行われているわが国では、憲法の規定によって国会が国家権力の最高機関である。普通選挙権をもつ国民の自由な意思によって選ばれた国会議員が、国民のさまざまな意見や利益を代表して討論し、法案の採択をつうじて国民の最高意思を決定する。国民の多元的な意見や複雑な利害が国会で調整され、国民生活のあり方が決定されていくのである。
 社会民主主義政党は国民の最高意思が決定される国会を重視し、基本価値を実現するために必要な諸法案の国会通過のために努力する。日常的な政策形成活動、法案提出と徹底的な審議、法案の成立とその実施、これが議会主義を基本路線とする社会民主主義政党の中心的活動である。

16 わが国のように国会で多数を占めた政党が内閣を組織できる国では、国会をつうじて政権を獲得することができる。従って社会民主主義政党は、国会選挙で国民の多数の支持を得て政権を獲得し、社会民主主義の基本価値を実現するための諸政策を実施する。政策が国民の支持を失い、選挙で過半数の議席を得ることができなければ、当然野に下って捲土重来を期する。

17 このように議会制民主主義のもとでは、国家権力を組織するのは結局は国民である。国民が国会議員を選び、国会の多数派が内閣を組織し、内閣が裁判官を任命するからである。現代国家はその意味でまさに民主主義国家であって階級国家ではない。自由民主主義政党が国会で多数を占めれば、国家は財界の意向に沿って機能することが多いであろう。逆に社会民主主義政党が多数を占めれば、国家は勤労国民の利益のために機能することが多いであろう。民主主義国家は国民の選択の結果、このように大資本の利益を反映することもあるが、勤労国民の利益を反映することもある。もはや大資本の階級支配のためだけの国家ではない。それは社会民主主義運動、労働組合運動が長年の苦闘の末に獲得した国家でもある。これらの運動によってかちとられた政治的自由と民主主義のおかげで、社会民主主義政党は現代国家に参加し政権政党になることができるのである。このように、現代国家はもはや一部の経済的強者のためだけに機能するのではなく、社会保障制度の発展に端的にみられるように国民のなかにある貧困と不平等をとりのぞくためにも機能する。現代の民主主義国家は、自由な選挙権を行使し、平等に政治に参加した成年男女によって形成されたものであり、それゆえ、国民的利益に奉仕することがその任務でなければならない。

18 とはいえ、現代日本国家の中枢を形成する官僚機構には、長期にわたって政権を独占してきた自由民主主義政党と財界の強い影響がみられる。政府が組織する各種審議会も自由民主主義政党と財界の政策推進機関となっている。官僚機構の民主化と各種審議会への国民参加がきわめて不十分なのである。社会民主主義勢力の力量不足の結果というはかはない。

19 権力の集中は、民主主義の実現をさまたげる。民主主義の発展のためには集権化された権カを分権化することが必要である。分権が進めば進むほど人びとの政治参加は容易になる。自治と分権によって政治的民主主義は前進する。


――――――ここまで。


以上、読んできた文章には、さまざまな問題点があるが、一点だけ指摘しておこう。


その一つに「17」全文の問題がある。


「17 このように議会制民主主義のもとでは、国家権力を組織するのは結局は国民である。国民が国会議員を選び、国会の多数派が内閣を組織し、内閣が裁判官を任命するからである。現代国家はその意味でまさに民主主義国家であって階級国家ではない」。


ここでは国家というものを、議会と議員内閣制にきりちぢめている。国家の実体をなすのは、官僚制度と常備軍、つまり軍事的官僚的統治機構である。この官僚制度には警察機構など、公的暴力機関がふくまれる。例えば民主党の改革も、官僚制度そのものをなくすわけではない。議会選挙こそ、階級支配とそのための機関を覆い隠すものにすぎない。


「自由民主主義政党が国会で多数を占めれば、国家は財界の意向に沿って機能することが多いであろう。逆に社会民主主義政党が多数を占めれば、国家は勤労国民の利益のために機能することが多いであろう。民主主義国家は国民の選択の結果、このように大資本の利益を反映することもあるが、勤労国民の利益を反映することもある。もはや大資本の階級支配のためだけの国家ではない。それは社会民主主義運動、労働組合運動が長年の苦闘の末に獲得した国家でもある」。


このようにいうことで、結局、ブルジョアジーの支配を肯定してしまっている。階級搾取をなくすためには、労働力の商品化を廃絶しなければならない。それは労働者の生産自治を通じて可能となるのであり、当然、現代国家に替わるプロレタリアの共同社会、パリ・コミューン型の共同社会、マルクス主義的に言えばプロレタリア・ソビエトに根ざした国家が求められることになる。


以上のようなプロレタリア革命を否定する社民主義の「階級支配のためだけではない」無階級国家=行政(政策)国家論は、ブルジョアジーによる生産手段の階級的領有に手をつけず、労働力の商品化は容認することになってしまう。その結果、非妥協的な階級闘争のプロレタリア革命としての決着を否定するのであるから、資本家と労働者の階級闘争の調停・統制を本来の国家の機能と考えるような「第3権力」としての国家権力をも容認する以外ないことになる。


「これらの運動によってかちとられた政治的自由と民主主義のおかげで、社会民主主義政党は現代国家に参加し政権政党になることができるのである。このように、現代国家はもはや一部の経済的強者のためだけに機能するのではなく、社会保障制度の発展に端的にみられるように国民のなかにある貧困と不平等をとりのぞくためにも機能する。現代の民主主義国家は、自由な選挙権を行使し、平等に政治に参加した成年男女によって形成されたものであり、それゆえ、国民的利益に奉仕することがその任務でなければならない」。


こうして、「現代国家」の価値観自体は、防衛すべし、ということになり、ブルジョア国家(階級国家)としての打倒の対象ではなく、改良の対象と措定される。


「(現代国家は)国民的利益に奉仕することがその任務でなければならない」という、現代国家を運命共同体とする国家の共同幻想性にまきとられた見解にほかならない。


それからさらに、この国家は、近代民主主義の市民にとって対外的にも「運命共同体」だとなり、戦争(対外的な公的暴力の発動)に際しては、平時からの労使協調を背景として、祖国防衛主義=城内平和政策がとられることになる。つまり、国家の共同幻想性が展開するのである。


マルクス主義国家論をめぐっては、国家の本質なるものが実体化され、「本質=公的暴力」説と「本質=共同幻想体」説とが論争してきたが、この社民主義との対比から、わかることは、「本質=公的暴力」説を否定することは、「本質=共同幻想体」説も同時に否定することだということだ。


「18 とはいえ、現代日本国家の中枢を形成する官僚機構には、長期にわたって政権を独占してきた自由民主主義政党と財界の強い影響がみられる。政府が組織する各種審議会も自由民主主義政党と財界の政策推進機関となっている。官僚機構の民主化と各種審議会への国民参加がきわめて不十分なのである。社会民主主義勢力の力量不足の結果というはかはない。」


こういう「18」が指摘する現実は、資本家階級の階級支配の政治委員会としてブルジョア国家が成立していることを確認するもの以外ではない。


以上は、社民主義の無階級国家=労使協調=城内平和に対する、基本的な批判的観点の確認だ。

 こうして、自社さ政権→民主党連合政権・閣内協力→民進党との合流打診。地方首長選挙での、自民、民主との相乗り選挙協力(地方的主流ヘゲモニー路線ともいうべきもの)が、展開してきたのである。



2015年11月9日月曜日

書評 トマ・ピケティ『21世紀の資本』 渋谷要


●編集者の方へ。以下の文章で書かれているrは、リターン(return)のアールであって(文中にも説明した箇所が一か所あります)、γ(ガンマ)ではありません。イタリックあるいは斜体の表記から解説書などでもγガンマとしている人がいますが、NHKEテレ白熱講義や、伊藤誠先生の論文などすべてアールとされています。


書評  世襲資本主義と税制社会国家

――トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、訳・山形浩生、守岡桜、森本正史、2014年、原著2013年)を読む

渋谷要(社会思想史研究)

●はじめに

本書著者のピケティは1971年生まれ。フランス人でパリ経済学校経済学教授など経済学の研究者。本書は米国(英語版)では発売三か月余りで40万部を販売した。本書は格差社会を分析した迫真の研究書である。また米国・ウォール街の「1%」の富裕層を糾弾する運動と連動するものとなっている。

例えば昨年(2014年)9月、国税庁は2013年分の「民間給与実態統計調査」を発表した。2013年に民間企業に就労した労働者の中で、年収200万円以下のいわゆるワーキングプア(貧困層)が11199000人に達していることが分かった(1994年で774万人、177%)。民間給与所得者(5535万人、会社役員を含む)の全体に占める比率は241%。この数字は安倍政権の発足1年にして前年比で30万人、ワーキングプア層が増加したことを意味している。

これに対し年収別1000万円以上の人は前年より約14万人増加して186万人、全体の4%である。4%と241%だ。両方とも増加していることが分析として重要な意味をもつ。加えて、厚生労働省の発表によると201410月の生活保護受給者は前月比3484人増の2168393人、世帯数で3287増の1615242世帯となった。これは2013年に「過去最多」といわれた水準で推移していることを意味している。格差が拡大していることがわかるだろう。こうした格差社会の進行に対し、日本の統計も含んで、その在り様を分析し、解決策を提起しようと試みたのが、トマ・ピケティ『21世紀の資本』に他ならない。


●本書での統計の方法について

本書で使われているデータは、計量経済学者で統計学者のクズネッツの米国における「所得格差推移」(19131948)の研究資料を拡大することを出発点としている。欧米日をはじめとして「課税記録」を収集し、「高所得層の十分位(上位10%――引用者)や百分位(上位1%――引用者)は、申告所得に基づいた税金データから推計」し、「それぞれの国で所得税が確立した時期から始まり(これはおおむね1910年から1920年くらいだが、日本やドイツなどの国では1880年から開始されているし、ずっと遅い国もある)」(1819頁)。

また「相続税申告の個票を大量に集めた」。これによりフランス革命以来の富の集積に関する均質な時系列データを確立できたとしている。

これらは「コンピュータ技術の進歩により、大量の歴史データを集めて処理するのがずっと簡単になった」ことに依っているという(2022頁)。

 これだけを見ても、「搾取論」を解いたマルクスの『資本論』とは全く趣が異なっていることが分かるだろう。こうしたデータはマルクスの時代にはなかった、個人の「課税記録」、「相続税申告」のデータなどの統計を用いたものであり、搾取概念よりは完全に広く<資産>(世襲)と言うものが、中心概念となっている。ここが本書の特徴だ。


●富裕層の状態=格差の状態

本書は、第1部「所得と資本」、第2部「資本/所得比率の動学」、第3部「格差の構造」、第4部「21世紀の資本規制」の4部からなっている。ここでは、第3部での格差の在り方を概観した上で、その原因としてピケティが説明している第1部と第2部、そして第4部で展開されている基本的な考え方を確認したい。第3部でピケティは次のように述べている。

「成人一人当たりの世界平均資産は6万ユーロ」(454頁)だが(1ユーロは140円前後――引用者)、「最も裕福な1パーセント――45億人中4500万人――は、一人当たり平均約300万ユーロを所有している(大まかに言って、この集団に含まれる人たちの個人資産は100万ユーロ超)。これは世界の富の平均の50倍、世界の富の総額の50パーセントに相当する」(454頁)。

この数字は、119日(2015年)、反貧困のNGO団体・オックスファムが発表した報告で2014年、上位1%が世界の富の48%を所有し、一人当たりで270万ドル(約32千万円)に達する、他方下位80%の庶民の資産は、平均でその700分の13851ドル、合計でも世界全体の55%にしかならないとしていることからも明らかだろう。

ピケティは言う。「手元の情報によると、世界的な富の階層の上部で見られる格差拡大の力は、すでに非常に強力になっている。これは『フォーブス』ランキング(長者番付のこと――引用者)に登場する巨額の資産のみに当てはまるのではなく、おそらくもっと少ない1000万―1億ユーロの資産にも当てはまる。こちらの人口集団ははるかに規模が大きい。トップ千分位(上位01%――引用者)(平均資産1000万ユーロの450万人の集団)は、世界の富の約20パーセントを所有しており、これは『フォーブス』の億万長者たちが所有する15パーセントをはるかに上回る。だから肝要なのは、この集団に作用する格差拡大の規模感を理解することだ」(455頁)。

 

●格差の原因(r>g)

ここで問題になるのは、以上のような富裕層の相続資産である。

「この根本的な不等式をr(資本収益率、リターン(return)のアール―引用者)>g(経済成長率―引用者)と書こう(rは資本の年間収益率で、利潤、配当、利子、賃料などの資本からの収入を、その資本の総額で割ったものだ。gはその経済の成長率、つまり所得や産出の年間増加率だ)、…ある意味で、この不等式が私の結論全体の論理を総括しているのだ」(2829頁)とピケティは言う(「文末注」参照)。

「たとえばg=1%で、r=5%ならば、資本所得の5分の1を貯蓄すれば(残り5分の4は消費しても)、先行世代から受け継いだ資本は経済と同じ比率で成長するのに十分だ。富が大きくて、裕福な暮らしをしても消費が年間レント(「資本所得」のこと439頁など)収入より少なければ、貯蓄分はもっと増え、その人の資産は経済よりもより早く成長し、たとえ労働からの実入りがまったくなくても、富の格差は増大しがちになるだろう。つまり厳密な数学的観点からすると、いまの条件は「相続社会」の繁栄に理想的なのだ――ここで「相続社会」と言うのは、非常に高水準の富の集中と世代から世代へと大きな財産が永続的に引き継がれる社会を意味する」(366頁)。

 第一次大戦前の「ベル・エポック」と言われた時代は、富裕層の繁栄の時代であり、労働者階級との格差は格段に開いていた。だが、二度にわたる世界戦争と大恐慌によって富裕層の相続する富が破壊され(285頁等)、それにつづく「公共政策」の必要と高度成長に支えられ191470代までは、この資本収益率と経済成長率のかい離が狭まっていた。これを底として「U字曲線」を描いて、1980年代以降――経済成長率の鈍化による労働力の削減・価値低下が構造化される他方で――富裕層の資本収益率におうじて資産が増大した(415頁)。富の不平等な分配が拡大している。ピケティはこれを「世襲資本主義」と規定する。


●富裕税論

そこで、こうした世襲資本主義に対し富裕層の金融資産をはじめとする年間所得と資産に対して累進資本課税と相続税を軸とした富裕税が提起される。

例えば「ヨーロッパ富裕税の設計図」としては、次のようである。

「パリのアパルトマンを持つ人物は、地球の裏側に住んでいて国籍がどこだろうと、パリ市に固定資産税を払う。同じ原理が富裕税にも当てはまるが、不動産の場合だけだ。これを金融資産に適用できない理由はない。その事業活動や企業の所在地に基づいて課税するのだ。同じことが国債についても言える。「資本資産の所在地」(所有者の居住地ではない)を金融資産に適用するには、明らかに銀行データの自動的な共有により、税務当局が複雑な所有構造を評価できるようにする必要がある。こうした税金はまた、多重国籍の問題を引き起こす。こうした問題すべての解決策は、明らかに全ヨーロッパ(または全世界)レベルでしか見い出せない。だから正しいアプローチは、ユーロ圏予算議会を創り出して対応させることなのだ。……各国が通貨主権を放棄するなら、国民国家の手の届かなくなった事項に対する各国の財政的な主権を回復させるのが不可欠だろう。たとえば、公的債務に対する金利、累進資本税、多国籍企業への課税などだ」(590591頁)。

 こうした「税制社会国家」(513頁)の構想は、私見では単に税制に一面化されるものではなく、格差の是正策として、地域通貨や地域の生活協同組合運動など、例えばラトゥーシュの『<脱成長>で世界を変えられるか?』作品社、2013年、原著2010年)で論じられている内容などと<接合>する必要があるのではないか。

【注】資本収益率(r)の考え方

資本収益率とは「年間の資本収益」を、その法的な形態(利潤、賃料、配当、利子、ロイヤルティ、キャピタル・ゲイン等々)によらず、その投資された資本の総額に対する比率として表すものであり、「利潤率」や「利子率」より、はるかに広い概念だ(5657頁)。

まず「α=r×β」(「資本主義の第一法則」と定義される)の式が大切だ。

αは「「国民所得」の中に占める資本の割合」である。rは「資本収益率」で民間資本(資産と意味づけられるもの)と、それが作り出した一年間の収益との比率。βは「資本/所得比率」で、「国民資本」(=民間財産(資本、資産)+公的財産で「国富」の総資本のストック)と「年間の国民所得」(年間の、資本所得+労働所得)との比率。「国民資本」が「年間の国民所得」の何倍あるかという値、6倍だったらβは6、あるいは600%となる。

例解として、ピケティがしているように(59頁)個別企業に置きかえて考えてみよう。500万(単位ユーロ)の資本で、年間100万の所得を生産し(これがβの比率で、資本は生産された所得の5年分だから、β=5で、500%)、そのうち労賃60万、利潤40万とすると(これがαの資本取得の比率で100万の所得に対して40万だから40%)、資本収益率rは8%となる(04008×5)。

この式は国民経済総体の所得の配分に関する式であって、この国民経済のレベルでの民間「資本収益率」rが、g国民経済全体の「所得と産出の年間増加率」(経済成長率)よりも、大きい状態が、格差を生み出す関係性となる(r>gと表す)。そういう状態では「論理的にいって相続財産は産出や所得よりも急速に増える」(29頁)。相続資本(資産)を多く持つ富裕層は、資本所得からごく一部を貯蓄するだけで資本の集積を増加させることができる。またそこにおいて「資本主義の第二法則」として、βはs/g(貯蓄率s割る成長率g)とされ「年間の国民所得の貯蓄率」に対して「年間の国民所得の成長率」が落ちると、「国民資本(総ストック)」の「年間国民所得」に対する比率は上昇する。世襲資本が多い者は、より多くの割合で経済資源のシェアを拡大する(175頁)。総じて、資本(資産)収益率が高い社会が、「世襲資本主義」の社会だ。